カテゴリー「ヘブライ語/עברית」の15件の記事

メモ:アーサー・C・クラーク (Arthur C Clarke) の「無限」

[ギズモード・ジャパン] のタイムスタンプ 2011.02.25 21:00 の記事に [SF界の巨匠アーサー・C・クラーク氏がこの世の終わりを語った31ワード] と云うものがあった。

米版の [GIZMODO] のタイムスタンプ Feb 14, 2011 8:40 AM の記事 [Arthur C. Clarke’s 31-Word, Universe-Ending Sci-Fi Story] の紹介なのだが、その31語とは次のようなものだ。

And God said: DELETE lines One to Aleph. LOAD. RUN.
And the Universe ceased to exist.

Then he pondered for a few aeons, sighed, and added: ERASE.
It never had existed.
--Arthur C Clarke

私は アーサー・C・クラーク (Arthur C. Clarke) の著作を読んだことがない。従って、彼に就いての知識は極めて表層的なものである。だから、以下のことは全く的外れかもしれない。

一読して解るように、このショートショートストーリー (と云う表現が不似合いな程短いが) は、神をコンピュータ・プログラマ (音声だか意思だけで命令を実行できる) に見立てて、宇宙の創成ならぬ、宇宙の消滅を描いている (原題の "siseneG" は、"Genesis" つまり、旧約聖書冒頭の「創世記」--その第1章第1節は「初めに、神は天地を創造された。」である-- の逆綴りになっている) 。

aleph-zero
最小の超限基数 (the first transfinite cardinal)

そこで、少し気になったのは "Aleph" だ。"lines One to Aleph" と云うのは、宇宙を存在させる為のプログラムを指しているのだろう。そして、"Aleph" は、ヘブライ文字「アルファベット」の第一字であり、数学 (集合論) で可算無限基数を表わす ℵ の積もりだと推測できる ([2011-03-05 [土] 08:50: 補足] 数学の記号として正確には「可算無限基数」を表わすには、左に示したような "aleph-zero" を用いねばならない)。つまり「1行目から無限行目まで」といった意味合いだったのだろう。(神にとっては、人間にとっての「無限」と「有限」との区別は意味がないと云うことも意味している。これは後述 "aeon" についても同じことが言える。)

omega-zero
最小の超限順序数 (the first transfinite ordinal)

しかし、ℵ は「基数」(集合の「濃度」と云う言い方をすることもある)、つまり、われわれが日常生活にあって「何個」と数える仕方に対応する概念なのだ。ところが "lines One to ..." の場合、「第1行から第...行まで」と訳すこともあるように、それは、「何番目」と数える仕方に関する。こちらの方に対応する集合論上の概念は、基数とは別に存在して、それは「順序数」と呼ばれるものだ。自然数全体の集合 (整列集合) の順序数は、通常、ギリシア文字オメガの小文字 ω で表わされるから、ここは "lines One to Aleph" ではなく "lines One to omega" 又は、字面をおもんぱかるなら、"lines One to Omega" あるいは、いっそのこと "lines 1 to ω" としたほうが良かったかもしれない ([2011-03-05 [土] 08:50: 補足] 自然数全体に対応する整列順序数は、単に "omega" ではなく、左に示したように "omega-zero" を用いる書き方もある)。

それから "aeon" も要注意だろう。日本では「イオン」と言えば、スーパーマーケットグループの名称だが、欧米文化内では、古代ギリシア語 αἰών (アイオーン) 由来の時間概念で、宗教的な文脈では人間の営みを超越した「永遠にも等しい時間」を意味する。サンスクリットの「カルパ」(劫) に類似する。

あと、訳す場合に要になるのが "had" の扱いだ。アンダーラインで強調が加えられていることからも解るように、この「ストーリー」の皮肉の要だからだ。つまり、神を宇宙を創造したことを後悔して、それがかって存在したことさえも消去してしまったと云う落ちなのだから。

全体的な雰囲気は、こんな感じだろう。

そして、神は言われた:「『第1行から第無限行を消去』をロード」。「実行」。
すると、宇宙は存在を停止した。

その後、神を幾永劫か沈思され、溜め息をつかれ、付け加えられた:「抹消」。
すると、宇宙は存在したことがなくなった。

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メモ:ヘブライ語で「神の賜物」を意味する人名

今朝程 (2010/05/05 04:45)、キーフレーズ [ヘブライ語で「神の齎すもの] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

これだけだと、条件が緩くて、何をお調べになっているのか忖度しかねるところがあるが、もしヘブライ語で「神の賜物」を意味する言葉をお探しであるというなら、人名化している筈だから、取り敢えずは、聖書中の人名を当たるのが基本なのではなかろうか。

ただ、よく知られているように、聖書では「神」の呼び方に2通りの流れがあって、(以下の話は、私の聞き齧り・読み齧りを、殆ど裏付けを取らないまま、書き流したものなので、その積もりで読んで戴きたい) その一つは、セム語族に共通して「神」を意味する言葉である、カタカナ語化すると「エル」や「イル」になる言葉 (אל)。ただし、聖書でイスラエル民族の「神」を指す時には、単数扱いながら強調の複数形が使われて אֱלהִים (エロイム) になる (英語聖書では "God" と訳されているようだ。対応して、日本語聖書中では「神」)。謂わば、普通名詞としての「神」だ (もっとも、本来は「エル」又は「イル」も、古代多神教時代の天空神の名前だったらしいが)。

もう一つは、モーセに尋ねられて、「神」が自ら明かしたとされる יהוה 、カタカナ語化すると「ヤハウェ」になる言葉 (こちらの方は、英語聖書では "the Lord" と訳されているようだ。対応して、日本語聖書中では「主」)。これは固有名詞としての神名といったところか (日本文化内だと「神」は、本質的には固有名詞としてしか存在しないので、唯一神を示す固有名詞と云うのは、概念上存在しえないから、説明しづらい)。

従って、「神の賜物」を意味するユダヤ人名は、「エル」系と「ヤハウェ」系がある。ただし,「ヤハウェ」系はそのママで使われることはなくて (だいたい、固有名詞としての神名は濫りに唱えてはならず、したがって、実際にはどのように発音されたかは実例らしいもの残っていないので、「ヤハウェ」と云うのも、現代の研究での推定によっている。以前は「ヱホバ」などとされていた) カタカナ語化すると「ヨハ」またはその類似音 (英語経由なら「ジョ」) が含まれる言葉になる。

で「賜物」の方は、(他にも言い方があるようだが) נָתָן (ナタン) あたりになる。この「ナタン」は独立して人名化していて、ゴットホルト・エフライム・レッシングの戯曲「賢人ナータン 」の主人公にもなっている。

と云う訣で、「神の賜物」は、取り敢えずは、「エル/ヨハ」と「ナタン」の組み合わせになる。(他にもあるらしいが面倒なので調べていない。)

したがって、「エル」系は נְתַנְאֵל (ナタニエル)。私なんぞが、最初に思いつくのはナタニエル・ホーソン (日本語版ウィキペディアでは「ナサニエル・ホーソーン」)。「緋文字」の小説家だが、読んだことはないな。

「ヤハウェ」系では「ヨナタン」。本来は יְהוֹנָתָן (ヤホナタン) 又は יְהוֹנָתָ (イェホナタン) と云う言葉だったらしい。英語なら Jonathan (ジョナサン) ですね。

聖書には登場しないようだが、אֱלִינָתָן (エリナタン) と云う人名もある由。これは「エル」系。

「エル」と云うのは国名としては「イスラエル」に含まれている。これは、聖書の記載上、もともとは「神」と相撲をしたヤコブに「神」が与えた名前で、聖書伝承上、ヤコブの十二人の (男性の) 子供の子孫である人々がイスラエル民族と呼ばれるようになり、それが国名になった訣だ。この「イスラエル」に就いて、[創世記]32:28 では「其人いひけるは汝の名は重ねてヤコブととなふべからずイスラエルととなふべし其は汝神と人とに力をあらそひて勝たればなりと」と説明されているが、これは、所謂「民間語源」であるらしく、とは言え、学問的にも微妙に疑義が残っているらしいのだが、「神は戦う」ぐらいの意味らしい。

新約聖書中でも「エル」系の言葉は表われる。ナザレのイエスが十字架上で最後に叫んだと云う「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」がそれで、聖書自身の中で「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし」と訳されている ([マタイ]27:46。[マルコ]15:34 では、少し異なる)。ただし、これはアラム語らしい。

「エル」又は「イル」は、同じセム語派に属するアラビア語でも使われている。ただし通常は定冠詞「アル」が付いているし、若干変形して、الله となる。カタカナ化すると「アッラー(フ)」(日本語としては「アラー」が普通だろう)。

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"pax vobiscum" と「フォースのともにあらんことを」、そして「神ともにいまして」

一昨日朝 (2009/09/24 07:07:05)、キーフレーズ [pax vobiscum 意味] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

"pax vobiscum" なら、私のようなものが一知半解のラテン語知識を振り回さずとも、適切な情報が、ネットの何処かが開示されているに違いない、と、思えたので、一旦は、そのまま「スルー」したのだったが、その後、これが、以前書こうとしたが、何かに取り紛れて書かないままになった二・三の話題に関係していることに気が付いた。

それやこれやを、少し書いてみることにする。纏まりが悪くなるのは、予めご勘弁を願っておきたい。

で、取り敢えず「一知半解」を披露する。

"pax" は勿論「平和」の意 (勿論「ラテン語」)。Pax Romana (パクス・ロマーナ)、Pax Americana (パクス・アメリカーナ) の pax である。"vobiscum" は、人称代名詞第2人称複数もしくは敬意第2人称単数奪格 (「従格」と云う言い方もする) の"vobis" と、 共同・随伴・手段等の含意を有して奪格を支配する前置詞 "cum" との結合である (前置詞 "cum" は、人称代名詞、再帰代名詞、関係代名詞を支配する場合、後置されてしかも一語に融合される)。前置詞 "cum" は、英語で言えば "with" 又は "by" に相当する言葉であるとするなら、あらましは理解できるだろう。

つまり、"pax vobiscum" を英語に置き換えるなら "peace with you" ぐらいになる。しかし、これを、日本語で言い換えようとすると、英語の方に、もう少し補足が必要で、"peace be with you" 「平安の[汝/汝等]とともにあらんことを」 と願望法にまで引き戻して考えた方が良い (願望法だと文章が古格になる)。

更に言うなら、この "pax" は、本来ならば "pax Domini" つまり「主の平安」なのだ。以前、[フランス語で「主の平和」] (2009年7月19日[日]) で引用したように、所謂「ラテン語ミサ」では、その山場ともいえる聖体拝領の儀式の中で "Pax Domini sit semper vobiscum." (絶ゆることなく主の平安の汝等とともにあらんことを) と唱えられるが、その簡略形として "Pax Domini vobiscum" も使われることがあるのである。

このようにすると、"pax vobiscum" と、「神ともにいまして ("GOD BE WITH YOU")」、更に「フォースのともにあらんことを」との並行性が見えてくる。

これに就いては、[NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金])、["May the Force be with you."に就いて] (2004年8月6日[金])、[「フォースのともにあらんことを」と「神ともにいまして」] (2008年5月28日[水]) も参照していただきたいのだが、要するに、これらは全て、神霊的な何かが相手に同伴することを念じている一種の「呪文」なのだ。そして、「神ともにいまして ("GOD BE WITH YOU")」と「フォースのともにあらんことを」とでは、その基本は、これから「旅」に出ようとするものに対する「はなむけの言葉」である。"pax vobiscum" に就いても、その根っこは、やはり、聖体拝受による象徴的生まれ変わりにおける (つまり、人生と云う旅の再出発に対する) はなむけの言葉であろうと、私は思っている。

付言するまでもないかもしれないが、[NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金]) に指摘しているように、"goodbye" も、同じ範疇の挨拶である。

なお、この "pax vobiscum" を、復活したイエスが弟子たちに向かって放った言葉として説明されていることがある (例:ウェブページ「立教大学新座キャンパス・施設紹介チャペル(礼拝堂)」) が、これは私にはヤヤ不審。ラテン語聖書 (つまり、所謂ヒエロニムスの「ヴルガータ/Vulgata」) の範囲内では厳密には少しだけ異なる。Vulgata の [ルカによる福音書24:36] や [ヨハネによる福音書20:19] では、復活したイエスが弟子たちに "pax vobis" と言っていて、"pax vobiscum" ではないのだ。

ここで、一言書いておくと、特にルカの方では " pax vobis ego sum nolite timere" となっていて、その語感は、「あなたがたに平和があるように」(新共同訳) と言うより、「落ちつきなさい。私である。怖れてはならない」になるような気がする。

もっとも、現在のギリシャ語聖書テキスト ([現代ギリシャ語聖書] ではなくて、現代欧米語聖書の基礎となったギリシャ語聖書のオリジナル・テキスト) である Nestle-Aland (ネストレ・アーラント) の "NOVUM TESTAMENTUM GRAECE" (私が所持しているのは第26版だが、現在は第27版になっているようだ) では、該当箇所は、ともに "ειρηνη uμιν" (その前は、"και λεγει αuτοις" で、その後ではセンテンスが停止する) とあるのみで "ego sum nolite timere" に相当する語句 ("εγω ειμι, νη φοβεισθε") は、ヨハネでも(これは当然かもしれないが)、ルカにも見当たらないのだ。これと対応する形で、[新ヴルガータ/Nova Vulgata] では、[ルカ] でも [ヨハネ] でも、単に "Pax vobis!" になっている。つまり、復活したイエスは、ヘブライ語の "שָׁלוֹם" (シャーローム/Shalom) を連想させる挨拶をしたことになる (イエスが何語を話していたかと云う問題は、この際措いておく)。

ただし、これについて Bruce M. Metzger の "A textual commentary on the greek new testament" (2nd ed. 1994) は "εγω ειμι, νη φοβεισθε" を (恐らく[ヨハネによる福音書6:20] に由来する) 欄外注記の混入であると断じている一方で、"ειρηνη uμιν" に関連して、この状況で通常の挨拶の言葉が発せられるかには、若干の疑義が存在することを指摘している (p.160)。

なお Vulgata 内では "pax vobiscum" と云うコロケーションは、[創世記43:23] だけらしい。ただ、実は、この後に "nolite timere" と続くことは注意しておいてよいかもしれない。この "pax vobiscum nolite timere" は新共同訳では「御安心なさい。心配することはありません。」となっている。

こうした「素材」を並べてみると、私には "pax vobiscum" が聖書 (特に、福音書) に由来するというより、ラテン語ミサに由来すると考えた方が良いと思えるのだ。

旅の道連れとしての守護的神霊と云う発想は、所謂「旧約聖書外典」の [トビト記] で、トビトの息子トビアが旅をする際の指南役として天使のラファエルが同伴するし、日本においても、四国巡礼における「同行二人」が良く知られているから、宗教的気分として普遍的なものなのかもしれない。

以下、話が変わる。"May the Force be with you." を「フォースともにあらんことを」と訳す流儀と、「フォースともにあらんことを」と訳す流儀があるようだが、私は「の」派である。

[日本語で一番大事なもの] や [岩波古語辞典] に見られる大野晋の説明を私になりパラフレーズするなら、日本古語に限定する限りでは、元来連体助詞であったものが、主格の助詞に転用されるようになったと云う点では、「の」も「が」も同じであるのだが、「が」は発話者の身内の (より正確には、発話者が身内として扱った) 対象 (自分自身を含む) を受けるのに対し、「の」は、それ以外の、自分自身のみには所属しえない、一般的なもの、尊貴なもの、疎遠なものを受ける。

だから、自分自身を受ける時は「が」を使って「わが門の片山椿まこと汝我が手触れなな土に落ちもかも: nouse (物部広足 [万葉集20]4418/4442)」とか「君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く」(額田王 [万葉集488/491]) とかする訣だ。

「君」を受ける場合でも、その「君」が、自分のパートナーである場合には、「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる」(額田王 [万葉集1]20) と「が」で受けるが、「君」が主君である場合には、「大君の境ひたまふと山守据ゑ守るといふ山に入らずはやまじ」 (読人しらず。笠朝臣金村歌集所収歌。或いは車持朝臣千年の作かとも。 [万葉集6]952/957) とか「大君の みこの柴垣 八節結り 結り廻し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣 」 (志毘臣 [古事記]歌謡109) などと「の」で受ける。

ただし、こうした使い分けは、「扱い」の問題なので、一般的には尊貴な対象であっても、親愛の情を込める時には「が」で受けることもあるようだ。

「が」は、親愛の情だけでなく、狎れ親しんだものから、軽侮の対象を受けることもある。また、本来尊重しなければならないものを、「が」で受けることで、それに対する軽蔑の扱いを表わすこともある。これは大野晋が引用している例だが、[貧窮問答歌] 中の「しもと取る里長が声は寝屋戸まで来立ち呼ばひぬ」(山上憶良 [万葉集5]892/896) では「里長(さとをさ)だから本当は「の」で遠くに扱って敬意を表明すべきなのに、税金を取り立てに来る不愉快な相手なので、『里長が声』」と言っている。」

"May the Force be with you." の the Force は、超越的な能力を指すから、日本古語の通例としては「の」で受けるべきであると云うのが私の考えである。

"May the Force be with you." を「フォースともにあらんことを」と訳したり、或いは、命令形にして「フォースともにあれ」と訳すことがあるようだが、これは論外。引きもどって言うと、"pax vobiscum" にしろ "peace with you" にしろ、「(神の)平安」が「[あなた/あなたたち]とともにある」ようにと願っているのであって、「[あなた/あなたたち]」に「平安とともにある」よう命じているわけではない。それと同様、"May the Force be with you." も "the Force" が「[あなた/あなたたち]とともにある」ようにと願っているのであって、「[あなた/あなたたち]」に「"the Force" とともにある」よう願ったり命じているわけではない。

話が散らばって申しわけないが、改めて、キーフレーズ [pax vobiscum 意味] で再検索 (google) してみると、どうやら "pax vobiscum" はアニメソングのタイトルとして採用されているらしい。それが「PAX VOBISCUM-願わくば平安汝等とともに-SAMURAI DEEPER KYO」だと云うのだが、ここは「ば」ではなくて「は」にしてほしかったなぁ。「願はく」は、「老いらく/老ゆらく」や「思はく/思惑」と同様、動詞の「アク語法」 (一般の呼び方では「ク語法」)であって、名詞相当だから、係助詞の「は」で受けるのが、日本古語として順当なのだ。まぁ、「願はくば」も、常用日本語として定着してしまっているのは確かなのだが。

その他では、Bathory (バソリー) と云うスエーデンのメタルバンドの "Requiem" と云うアルバム (1994年) にも同名の曲が収められている由 (Cf. "Bathory:Pax Vobiscum - LyricWiki - Music lyrics from songs and albums")。

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ヘブライ語で「ねずみ」

本日昼ごろ (2009/07/02 12:01:43)、キーフレーズ [ねずみ ヘブライ語] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

もしヘブライ語で「ねずみ」を何と書き表すのかと云うことなら、取り敢えずは "עכבר" で良いではないか (ヘブライ語版ウィキペディアの該当項目 "עכבר" を参照)。

むりやりカタカナにすると「アハバル」ぐらいかな (ラテン文字では "achbar" になる。なお、これに就いては、ブログ記事 "Balashon - Hebrew Language Detective: achbar" が興味深い)。ただし "achbor" (アクボル) と云う表記もあるので注意。

"עכבר" は英語の "mouse" に相当するヘブライ語だが、"rat" (日本語での実験動物としての「ラット」とは異なる。rat は mouse よりはヤヤ大型) に相当するのは "חולדה" らしい (フルダ/Huldah)。

どうやら、コンピュータの入力装置のマウスも、"עכבר" のようですね。

それからウォルト・ディズニー・カンパニーのキャラクタである「あのネズミ」は "מיקי מאוס" だそうな。つまり、日本語におけるのと同様音訳してあって、まぁ「ごもっとも」とでも言うしかない。

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「フォースのともにあらんことを」と「神ともにいまして」

[nouse: "May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと] (2008年3月27日[木]) での補足や [nouse: 『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合] (2008年3月27日[木]) での補足で書いたように、「フォースのともにあらんことを」をヘブライ語で言うとしたら、取り敢えずは "יהיה הכוח אתכם" や "יהי הכוח אתכם" そして、更に "יהי הכוח עמך" ぐらいになるのだろう。

しかし、[nouse: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] や [nouse: 『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合] (2008年3月27日[木]) で論じたように、この "הכוח" (「(ザ・)フォース」) は "יהוה" (「神」) の「隠れ蓑」と考えることができる。

とすれば、これを置き換えるとどうなるか、と私が考えてみたのは当然の成り行きだろう。そうすると、次のようになる:

  • יהיה יהוה אתכם

  • יהי יהוה אתכם

  • יהי יהוה עמך

この内、最初の二つはネットで検索してもはかばかしい結果は得られないのだが、3番目の יהי יהוה עמך は、無慮2ダースほどヒットするのだな。その内容をいちいち細かく見なかったが、ざっと眺めた所、結局考慮すべきなのは1件だけらしい。それは [歴代誌上]第22章第11節 である。「なんだ」と言われそうで困るのだが (というか、私自身が「なんだ」と思ったのだから世話はないのだが)、これは [nouse: "May the Force be with you."に就いて (2004年8月6日[金]] 中の「宿題」で所在を書き留めておいた 「旧約 [出エジプト] 10:10; [ヨシュア] 1:17 ; [歴代誌 上] 22:11」と「新約 [テサロニケ 2] 3:16 」の内のひとつである:

עַתָּה בְנִי, יְהִי יְהוָה עִמָּךְ; וְהִצְלַחְתָּ, וּבָנִיתָ בֵּית יְהוָה אֱלֹהֶיךָ, כַּאֲשֶׁר, דִּבֶּר עָלֶיךָ.
--דברי הימים א פרק כב יא
わたしの子よ。今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。
--新共同訳聖書 [歴代誌上]22:11

行き掛かり上、他のものも引用しておこう。まず旧約聖書の他の2つのパラグラフは:

וַיֹּאמֶר אֲלֵהֶם, יְהִי כֵן יְהוָה עִמָּכֶם, כַּאֲשֶׁר אֲשַׁלַּח אֶתְכֶם, וְאֶת-טַפְּכֶם; רְאוּ, כִּי רָעָה נֶגֶד פְּנֵיכֶם.
--שמות י י
ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときには、主がお前たちとともにおられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。...」
新共同訳聖書 [出エジプト記]10:10

これが検索でヒットしなかったのは、間に「よろしい」(כֵן) が入っていたのと、対象が「お前たち」(עִמָּכֶם) と複数だったためだろう。

כְּכֹל אֲשֶׁר-שָׁמַעְנוּ אֶל-מֹשֶׁה, כֵּן נִשְׁמַע אֵלֶיךָ: רַק יִהְיֶה יְהוָה אֱלֹהֶיךָ, עִמָּךְ, כַּאֲשֶׁר הָיָה, עִם-מֹשֶׁה.
--יְהוֹשֻעַ בִּן נוּן א יז
我々はモーセに従ったように、あなたに従います。どうか、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。
新共同訳聖書 [ヨシュア記]1:17

これが検索でヒットしなかったのは、動詞2通り、前置詞2通りで、全部で4通りあるのに、3通りしか検索しなかったためというより、「あなたの神、主」(יְהוָה אֱלֹהֶיךָ) と云う形まで検索の手を拡げなっかったせいが大きかったと思う。

新約聖書の方は、以下の通り:

Αὐτὸς δὲ ὁ κύριος τῆς εἰρήνης δῴη ὑμῖν τὴν εἰρήνην διὰ παντὸς ἐν παντὶ τρόπῳ. ὁ κύριος μετὰ πάντων ὑμῶν.
--ΘΕΣΣΑΛΟΝΙΚΕΙΣ Β΄ 3:16
どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。
--新共同訳聖書 [テサロニケの信徒への手紙 二]3:16

こう並べてくると、語法が異なるものの、所謂「ヤコブの夢」中のヤハウェの約束と、それに応えた「ヤコブの誓願」も引用したくなる:

וְהִנֵּה אָנֹכִי עִמָּךְ, וּשְׁמַרְתִּיךָ בְּכֹל אֲשֶׁר-תֵּלֵךְ, וַהֲשִׁבֹתִיךָ, אֶל-הָאֲדָמָה הַזֹּאת: כִּי, לֹא אֶעֱזָבְךָ, עַד אֲשֶׁר אִם-עָשִׂיתִי, אֵת אֲשֶׁר-דִּבַּרְתִּי לָךְ.
--בראשית כח כ - כח טו
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地へ連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない 。
--新共同訳聖書 [創世記]28:15
וַיִּדַּר יַעֲקֹב, נֶדֶר לֵאמֹר: אִם-יִהְיֶה אֱלֹהִים עִמָּדִי, וּשְׁמָרַנִי בַּדֶּרֶךְ הַזֶּה אֲשֶׁר אָנֹכִי הוֹלֵךְ, וְנָתַן-לִי לֶחֶם לֶאֱכֹל, וּבֶגֶד לִלְבֹּשׁ.
וְשַׁבְתִּי בְשָׁלוֹם, אֶל-בֵּית אָבִי; וְהָיָה יְהוָה לִי, לֵאלֹהִים.
וְהָאֶבֶן הַזֹּאת, אֲשֶׁר-שַׂמְתִּי מַצֵּבָה--יִהְיֶה, בֵּית אֱלֹהִים; וְכֹל אֲשֶׁר תִּתֶּן-לִי, עַשֵּׂר אֲעַשְּׂרֶנּוּ לָךְ.
--בראשית כח כ - כח כב
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。
「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る者を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
--新共同訳聖書 [創世記]28:20-28:22

(一応注意しておくと、「わたしはあなたと共にいる」は "אָנֹכִי עִמָּךְ" で、「神がわたしと共におられ」は "אֱלֹהִים עִמָּדִי" だから、この記事で問題にしている文型とは異なっている。)

しかし、「共にある」と云うヤハウェの本質属性を語るなら、モーセの召命におけるヤハウェ自身の言葉を逸するわけにはいかないだろう:

וַיֹּאמֶר מֹשֶׁה, אֶל-הָאֱלֹהִים, מִי אָנֹכִי, כִּי אֵלֵךְ אֶל-פַּרְעֹה; וְכִי אוֹצִיא אֶת-בְּנֵי יִשְׂרָאֵל, מִמִּצְרָיִם.
וַיֹּאמֶר, כִּי-אֶהְיֶה עִמָּךְ, וְזֶה-לְּךָ הָאוֹת, כִּי אָנֹכִי שְׁלַחְתִּיךָ: בְּהוֹצִיאֲךָ אֶת-הָעָם, מִמִּצְרַיִם, תַּעַבְדוּן אֶת-הָאֱלֹהִים, עַל הָהָר הַזֶּה.
--שמות ג יא - ג יב
モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
--新共同訳聖書 [出エジプト記]3:11-3:12

(「わたしは必ずあなたと共にいる。」は "אֶהְיֶה עִמָּךְ"。)

さらに言うなら、「ある」こそヤハウェの自己規定であった:

וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים אֶל-מֹשֶׁה, אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה; וַיֹּאמֶר, כֹּה תֹאמַר לִבְנֵי יִשְׂרָאֵל, אֶהְיֶה, שְׁלָחַנִי אֲלֵיכֶם.
--שמות ג יד
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うが良い。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
--新共同訳聖書 [出エジプト記]3:14

(「わたしはある。わたしはあるという者だ」--若干微妙な訳だが--は、"אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה"。注:少なくとも、私のブラウザではこの文は語順が正しく表示されない。ブラウザの所為というより、ココログ側の不備だろうけれども。)


ただし最後に、ミスリードを防ぐ為に、「神ともにいませ」が旅に出る者への別れの挨拶としてや、それを敷衍した書簡の結びの文句としてだけ使われるのでなく、語形が若干異なる (つまり「神ともにいませ」よりも「神ともにいます」と取れる) ものの、旅人がその土地で出会った相手の発する例もあることを注意しておいても良かろう:

וְהִנֵּה-בֹעַז, בָּא מִבֵּית לֶחֶם, וַיֹּאמֶר לַקּוֹצְרִים, יְהוָה עִמָּכֶם; וַיֹּאמְרוּ לוֹ, יְבָרֶכְךָ יְהוָה.
--רות ב ד
ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」と言うと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。
--新共同訳聖書 [ルツ記]2:4

(「主があなたたちと共におられますように」は "יְהוָה עִמָּכֶם"。)

このほか、幾つか参考になるかも知れない「聖句」の所在を記録しておく:

    旧約聖書
  1. [民数記]14:43「行く手にはアマレク人とカナン人がいて、あなたたちは剣で倒される。主に背いたから、主はあなたたちと共におられない」。

  2. [サムエル記上]17:37「行くがよい。主がお前と共におられるように」。

  3. [サムエル記上]20:13「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように」。

  4. [列王記上]1:37「主は王と共にいてくださいました。またソロモンと共にいてくださいますように」。

  5. [歴代誌上]22:16「立ち上がって実行せよ。主が共にいてくださるように」。

  6. [歴代誌下]20:17「ユダとエルサレムの人々よ。恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。 主がともにいる」。

    新約聖書
  1. [マタイによる福音書]28:20「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」。
  2. [ローマの信徒へ手紙]15:33「平和の源である神があなたがた一同と共におられるよう、アーメン」。
  3. [テモテへの手紙二]4:22「主があなたの霊と共にいてくださるように」。

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ヘブライ語の挨拶

今日 (2008/04/21 00:36:00)、キーフレーズ [ヘブライ語 挨拶] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

どの程度、役に立つか分からないが、以下のウェブページを参考にされてはいかがと思う。

1. Hebrew Online - Basic words Learn Hebrew, Hebrew Dictionary, Hebrew phrase book
2. Hebrew Online - Greetings and polite expressions Learn Hebrew, Hebrew Dictionary, Hebrew phrase book

感嘆符の置き方とか、すこし奇妙なところがあるので、それを直して幾つか書き写してみると:

英語ヘブライ語発音ヘブライ語
Yes  ken  כֵּן
No  lo  לֹא
Please  be׳vakasha  בְּבַקָּשָׁה
Thanks a lot  toda raba  תּוֹדָה רַבָּה
Hello  shalom  שָׁלוֹם
Good-bye  le׳hitra׳ot  לְהִתְרָאוֹת
Good morning!  boker tov!  !בֹּקֶר טוֹב
Good afternoon!  tzohorayeem toveem!  !צָהֳרַיִם טוֹבִים
Good evening!  erev tov!  !עֶרֶב טוֹב
Good night!  laila tov!  !לַיְלָה טוֹב

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ヘブライ語で「海」

今日になったばかりのころ (2008/04/13 00:13:55)、キーフレーズ [ヘブライ語で海] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。多分、ヘブライ語で「海」は何というのかお調べなのだと思う。

ヘブライ語に興味をお持ちなのだろうから、旧約聖書の天地創造説話やモーセの「割れる海」説話はご存じだと思うのだが...

関連部分を一応再録しておくと:

神言ひたまひけるは 天の下の水は一處に集まりて乾ける土顯べしと 即ち斯なりぬ
神乾ける土を地と名け 水の集合(あつまれ)るを海と名けたまへり 神之を善(よし)と觀たまへり
--[創世記1:9-1:10]

時にヱホバ、モーセのいひたまひけるは 汝なんぞ我に呼はるや イスラエルの子孫(ひとびと)に言て進みゆかしめよ
汝杖を擧げ手を海の上に伸て之を分ち イスラエルの子孫(ひとびと)をして海の中の乾ける所を往かしめよ
[出エジプト記14:15-14:16]

で、その原文は:

וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים, יִקָּווּ הַמַּיִם מִתַּחַת הַשָּׁמַיִם אֶל-מָקוֹם אֶחָד, וְתֵרָאֶה, הַיַּבָּשָׁה; וַיְהִי-כֵן.
וַיִּקְרָא אֱלֹהִים לַיַּבָּשָׁה אֶרֶץ, וּלְמִקְוֵה הַמַּיִם קָרָא יַמִּים; וַיַּרְא אֱלֹהִים, כִּי-טוֹב.
וַיֹּאמֶר יְהוָה אֶל-מֹשֶׁה, מַה-תִּצְעַק אֵלָי; דַּבֵּר אֶל-בְּנֵי-יִשְׂרָאֵל, וְיִסָּעוּ.
וְאַתָּה הָרֵם אֶת-מַטְּךָ, וּנְטֵה אֶת-יָדְךָ עַל-הַיָּם--וּבְקָעֵהוּ; וְיָבֹאוּ בְנֵי-יִשְׂרָאֵל בְּתוֹךְ הַיָּם, בַּיַּבָּשָׁה.

ハハ、自分で引用しておいて何だが、『創世記』の方は יַמִּים で複数形だし、『出エジプト記』の方は、二つとも הַיָּם で、定冠詞が付いていて、例としては適当ではないかもしれない。

裸の形を書いておくと יָם になる。むりやりカタカナにすれば「ヤム」ぐらいか。

יָם に方向を表わす接尾辞が付いて יָמָּה となると「(地中)海の方」で、「西へ」を意味するのだそうな(『創世記』28:14)。


勿論、上記のようなことをせずとも、日本語版ウィキペディアの [] のページの [他の言語] で עברית (← 「ヘブライ語」の意) をクリックして、対応するヘブライ語版ウィキペディアのページ [ים] を開けば、その見出しに求めるものが得られる (母音記号が付いていない形であるけれども)。

さら安直には、英文版の Wiktionary:Main Page で "sea" を検索して得られるページ "sea" を見ることある。そこには、各国語の海の訳語が列挙されていて、[Hebrew: יָם (yam) m. ] が含まれている。

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『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合

[nouse: "May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと] (2008年3月27日[木]) において、ヘブライ語の場合は調べがつかないと書いたが、その補足をしておく。

ヘブライ語版の "May the Force be with you." が見つからなかったのは、単に私の浅学の然らしむる處だったのかもしれないが、そのことは不問にして、私の印象を書いておくと、ヘブライ語利用者には "May the Force be with you." をヘブライ語化することを避けて、英語版をそのまま使っているのかの如き節が見られる。「翻訳が難しい」と一言で言っても、その含意は様ざまでありうるので、憶測はしないに限るが、そこに一種の文化的障壁がある可能性は排除できないだろう。

補足 2008-05-19 [月]: "יהי הכוח אתכם" や "יהיה הכוח אתכם" や、更に "יהי הכוח עמך "(このフレーズは正しい並び方で表記されていないようだ。確認画面では期待通りの並び方になるのだが、公表画面では順番が変わってしまう。いろいろ試してみたが修復に到っていていない) と云う表現が実在するが、用例は少ないようで google 検索で前二者はそれぞれ 1件、3番目は数件ヒットするのみである ([nouse: "May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと] 中の「補足」参照)。

この数は微妙な気もするのだが、一応以下の議論はそのままにしておく。

ヘブライ語化を避けている一番端的な例は、ヘブライ語版のウィキクォートの「スター・ウォーズ」の項 "מלחמת הכוכבים" で見られる (ちなみに「英語版」と言うか、その入り口は [Star Wars - Wikiquote] である):

.ברכה נפוצה בסרטי מלחמת הכוכבים - "may the force be with you"

つまり、翻訳を示さないで「映画『スター・ウォーズ』中で頻出する挨拶」と云う説明のみで済ましている。

「スター・ウォーズ」がイスラエルで公開された際 (エピソードⅣの特別版は1997年3月21日イスラエル・リリース)、この科白がどのような扱いをされたか、生憎私の承知する處ではないので、若干知りたくはある。


「常にともにある」と云うのは、ヘブライ語文化、あるいはユダヤ文化では、ヤハウェのみに許される属性であろうから、その属性を有するなにものかを「フォース」と呼んでしまうのは、一種の「偶像崇拝」になる可能性はあるだろう。


付言すると、「そして、Star Wars の中で、"May the Force be with you." は、まさに別れに際する挨拶であったはずです。少なくともこの局面では George Lucas が the Forceを[神]のメタファーとして使っていると、かなりの確度をもって推定できるでしょう」と云うのが [nouse: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金]) の結論だったが、George Lucas 自身が、インタヴュー記事 "Wired: Life After Darth - issued May 2005" において、"the Force" と云う言葉が、生命体が高度に複雑な機械にすぎないと主張する人工知能学者 Warren S. McCulloch に反対して映画製作者・監督 Roman Kroitor (IMAX 開発者の一人) が述べた:

"Many people feel that in the contemplation of nature and in communication with other living things, they become aware of some kind of force, or something, behind this apparent mask which we see in front of us, and they call it God."

に影響 ("an echo of that phrase") を受けていることを認めている。

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"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと

このまえ、"May the Force be with you." (「フォースのともにあらんことを」) を、スウェーデン語で何と言うかと云う記事を書いた ([nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をスウェーデン語で言うと] 2008年3月2日[日])。昨年は、ドイツ語で何と言うかに就いても書いてある (nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うと 2007年2月23日[金])。

それぞれ、そう云う目的でこのサイトを訪問されたらしい方がいらしたために、余計なお世話を焼いたに過ぎない。

しかし、スウェーデン語とドイツ語 (そして、英語) が分かると、その他の言語では何と言うのか気になってくる。そこで、以下簡単に纏めておく。

ただし、「定訳」が存在していないこともありうるし (このような「決め文句」は、文脈上特段の理由がない限り「定訳」が採用するのが好ましい)、また少なくとも一部の印欧系の言語では第二人称の単複と、それに伴う親称・敬称 (もしあれば) の扱いが問題になるのだが、何れもほぼ考慮せず、ネットで発見してものを収集したにとどまる。

それでも、印欧系言語で第二人称単数親称を使った表現らしいものが見つかった場合は、それが最初に来るようにはした。それは "May the Force be with you" が、基本的には使命を帯びて旅立つ者への「はなむけの言葉」であるからだ ([マタイ]28:20 参照。ただし、そこでのイエスの言葉は1人ではなく11人に言われているけれど)。

引用句の最後はピリオドではなく感嘆符とする例も多多あるのだが (スペイン語では文頭にも付くこともある)、以下では一切付けていないので、適宜補って読んで戴きたい。

イタリア語: Che la Forza sia con te. / Che la Forza sia con voi. / Che la Forza sia con lei. / Che la Forza sia con loro.
スペイン語: Que la Fuerza te acompañe. / Que la Fuerza esté contigo. / Que la Fuerza os acompañe. / Que la Fuerza esté con vosotros. / Que la Fuerza esté con ustedes. / Que la Fuerza lo acompañe. / Que la Fuerza les acompañe.
フランス語: Que la Force soit avec toi. / Que la Force soit avec vous.
ポルトガル語: Que a Força esteja contigo. / Que a força esteja com você. / Que a Força esteja convosco. / Que a força esteja com vocês.

ドイツ語: Möge die Macht mit dir sein. / Möge die Macht mit euch sein. / Möge die Macht mit Ihnen sein.
オランダ語: Moge de kracht met je zijn. / Moge de kracht met jou zijn. / Moge de kracht met u zijn. / Moge de kracht met jullie zijn.

スウェーデン語: Må kraften vara med dig. / Må kraften vara med er.
デンマーク語: Må Kraften være med dig. / Må Kraften være med jer.
フィン語 (フィンランド語): Olkoon Voima kanssasi.
ハンガリー語: Az Erö Legyen Veled.

ギリシャ語: Η Δύναμη μαζί σου. / Η Δύναμη να είναι μαζί σου
ラテン語: Vis tecum sit. / Sit vis vobiscum. (2009-09-24 [木]:"nobiscum" を --vobiscum-- に訂正。)

ロシア語: Да пребудет с тобой Сила. / Да пребудет с Вами Сила.

ポーランド語: Niech Moc będzie z tobą. / Niech Moc będzie z Wami.
クロアチア語: Neka Sila bude s tobom. / Neka je Sila s tobom. / Neka Sila bude s vama. / Neka je Sila s vama.
ブルガリア語: Нека силата бъде с теб. / Нека силата бъде с вас.

中国語: 愿原力与你同在。/ 願原力與你同在。
韓国語: 포스가 함께 하기를。 / 포스가 당신과 함께 하기를 빌겠소。

トルコ語: Güç seninle olsun.

ヘブライ語では何というかに就いては調べがついていないので宿題としておこう。例えば "הכוח" "מלחמת הכוכבים" の組み合わせ (「スター・ウォーズ」と「フォース」) で検索してみたが、はかばかしい結果が得られなかった。

補足 (2008-04-30 [水]):
その後、"יהיה הכוח אתכם" で google 検索してみたところ、1件ヒットした (DEMONS: Under the Sink)。また "יהיה הכוח אתך" では1件もヒットしなかった。

2008-05-19 [月]: "יהי הכוח אתכם" でも1件ヒットする。それは、やはり "Demons: Under the Sink" 中の記事だが、別のページ (Reviews Master)である。更に、"יהי הכוח עמך" と云う言い方もありうる。これは数件ヒットするようだ。おそらく「フォースのともにあらんことを」のヘブライ語訳としては、この二つが最も「それっぽい」のではないか (文脈によっては、対象が二人称複数の形にしてもよいだろう)。

"יְהִי כֵן יְהוָה עִמָּכֶם" ([出エジプト記]10:10) が参考になるかもしれないので、ここに書き留めておく。

参考になるかもしれないサイト:
1. Force (Star Wars) - Wikipedia, the free encyclopedia
2. הכוח (מלחמת הכוכבים)

「"May the Force be with you" を色色な言語で言うと」は、「ネタ」としては平凡なものであるので、同主題で既に幾つもの記事が書かれている。そのうちの一つだけを引用しておく:
[Somewhere in the Middle: Que la Fuerza te acompane!]

このブログ記事は、[nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をスウェーデン語で言うと] と [nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うと] の他に次の記事にも関連する:
1. [nouse: "May the Force be with you."に就いて] (2004年8月6日[金])
2. [nouse: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金])

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ヘブライ語で「月」

時どき (2週間に1度ぐらいか)、どうやらヘブライ語で「月」を何と言うのかお調べのご様子で、このサイトを訪問される方がいらっしゃる。私自身、「どうでもいいな」と云う内容ではあるし、また、[nouse: 吉田兼好の "deja vu" と私の "jamais vu"] でも書いたが、現在異常に長い (とうとう 600k bytes を超してしまった) ブログ原稿に掛かっているので無視していたのだが、今朝 (2008/02/13 03:58:53) やはりキーフレーズ [ヘブライ語で月] での訪問者があったのと併せて、ちょうど先程ブログ原稿作成が一区切りついたので (まぁ、もう一度ぐらい見直さねばならないのだが)、ヘブライ語で「月」を何と言うか、調べてみることにした。

といっても、「月月に月見る月は多けれど月見る月は此月の月」(『夏山雑談』) と云うくらいで、「月」には英語で言う "month" と "moon" の二つの意味がある (そう言えば、[獅子てんや・瀬戸わんや] が、「マンスマンスにムーン見るマンスは多けれどムーン見るマンスはこのマンスのムーン」と言っていたような気がするな)。そのどちらか分からないので、両方調べる。

もっとも、私が考えるようなことだから、遣ることは単純で、日本語版ウィキペディアの「月」の項目から、対応ヘブライ語版へ飛んで、その見出しを見るだけだ。

これは、それなりに応用が効くだろうから、今後似たようなことがあったら、ご自分で遣ってみることをお勧めする。そうすれば、このサイトを訪問するような無駄なことはしないですむだろう。

で、暦の方の月 (つまり「マンス」の方) は、חודש になる。

これに就いては、ウィキブック中の、ヘブライ語における日本語グロサリのページ יפנית/אוצר מילים/אחר も参照されたい。

では、空に浮かぶお月様 (つまり「ムーン」)の方はどうかと云うと、הירח だと云うことだ。これは定冠詞が付いた語形だが、それが付かない ירח では「衛星」と云う意味になる由。なるほどね。

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