カテゴリー「どうでもいいこと」の76件の記事

2009年12月 2日 (水)

「ガリレオ列」について

先程 (2009/12/01 23:11:49)、キーフレーズ [ガリレオ列] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

初等整数論における「ガリレオ列 (Galilio sequence)」に就いての情報をお探しなら、取り敢えず、"Elementary Number Theory in Nine Chapters" (James Joseph Tattersall 1999/11 Cambridge University Press) あたりを御覧になっては如何だろうか。

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2009年11月11日 (水)

「アルタイル」の韓国語表記

今朝ほど (2009/11/11 04:25:45)、キーフレーズ [アルタイル 韓国語表記] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。

「アルタイル/Altair」、つまり、「わし座/Aquila」の主星 (所謂「牽牛星」) の韓国語表記をお探しであるのかもしれない。

そう云うことなら、まぁ「견우성」ぐらいで良いのだろう。「견」・「우」・「성」のそれぞれが「牽」・「牛」・「星」に当たっている筈。読みは「キョンヌソン」ぐらいかな。

「星」を落として「견우」とだけ書くことも多いようだ。

因みに、連れ合いの「織女星」の方は、「직녀성」(チンニョソン)。これも「직녀」と云う言い方がある。

だから、所謂七夕伝説は「견우직녀」となる。

と、ここまで書いてきて、お探しになっているのが「牽牛」の対応語ではなくて、「アルタイル」の「音訳」である可能性があることに気が付いた。

そこで、ネットを検索してみたところ [シリスの物語 : 空と夢] と云う韓国語サイトがヒットしたのだが、その中の [견우성 (알타이르:Altair) 과 직녀성 (베가:Vega)] と云うページのタイトルが、そのまま示すように、「アルタイル」の韓国語音訳は「알타이르」(「ベガ/Vega」は「베가」) になる。

更に、改めて [알타이르] で検索してみたら、韓国語版ウィキペディアの項目に立っていたことが判明。つまり日本語版ウィキペディアの [アルタイル] の記事から、対応韓国語版ウィキペディアのページに飛べば、そのまま [알타이르] に辿りつけたのだ。勿論、[베가] のページもある。

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2009年10月23日 (金)

メモ:河出文庫版 [お楽しみはこれもなのじゃ] (著:みなもと太郎) 所引の「満州国国歌」

漫画家みなもと太郎に [お楽しみはこれもなのじゃ--漫画の名セリフ] と云う傑作がある。これは、映画評論画文集として著名な、そしてやはり傑作である和田誠の [お楽しみはこれからだ--映画の名セリフ] の鮮やかなパスティーシュである一方で漫画の評論としても十分に成立していると云う、アッパレとでも言うしかない放れ業なのだが、ここで、その内容を論ずる余裕はない (ただ、一言当てずっぽうを言っておくと、[お楽しみはこれもなのじゃ] の成功には、日本の漫画には映画評論と同じ手法による批評を受け入れる素地があることが関係しているのだろう)。

ここで書き止めておくのは、[お楽しみはこれもなのじゃ] 中、「上田とし子 [フイチンさん]」からの引用である次の一節とその脚註とへの注意である:

「レンミン三チェンワン♪ レンミン三チェンワン♬ ういーぷ」
 なんのことかわからないのも道理で、これは中国語の歌なのであります*

*読者の手紙によって、これは旧満州国国歌らしいことが判明した。「人民三億人」の字をあてるとか……。(み)
--河出文庫版 [お楽しみはこれもなのじゃ] (1997年4月。東京。河出書房。ISBN4-309-47325-3) p.331
ここで「(み)」とあるのは、「みなもと太郎」の略。

「レンミン」は勿論「人民」でよい ([人民日報] は、ピンインでは "Renmin Ribao" と表記される) が、「三チェンワン」は「三億人」にはならないだろう。ここはごく自然に「三千万」と解釈すべきだ。因みに、「チェン」の方は兎も角も、「万(萬)」を、中国語で「ワン」と読むことは、麻雀牌の中に「萬」の字を印したものを「ワンズ」と呼ぶことがあるから、知っている人も多いだろう。

それに、1930年代から1940年代にかけて、中国東北部の人口が「三億人」であったとは到底思えないから、その点からも「人民三億人」は本当らしくない。

そう思って、ネットを検索してみたら、簡単にウィキペディアの [満州国の国歌] と云う記事を見つけた。それによると、「満洲国の国歌は、国務院佈告として正式に制定された二曲があり、その前にも国歌の為に製作された一曲がある」そうだが、「正式に制定された二曲」のうちの一曲め (国務院佈告第4号により1933年2月24日制定) に「人民三千萬人民三千萬」と云うくだりがあるのだ。この「国歌」(作詞:鄭孝胥。作曲:高津敏・園山民平・村岡楽童) は、「軽快な旋律が中国的な印象を与え、日本語の歌詞がないにもかかわらず、日本人に親しまれた」由。

ついでに、検索していて見かけた記載中から、上記に関連する次項を補足すると、ウィキペディアの [満州国] によれば「1934年の初めの満洲国の人口は3088万人、1世帯あたりの平均人数は6.1人、男女比は122:100と推定されていた」とのこと。また、YouTube に音源「満州国国歌」がある。

なお、[お楽しみはこれもなのじゃ] には、私が持っている河出文庫版の他に、立風書房版 (1991年) と角川書店版 (2004年) があるらしいが、私は未見。

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2009年10月13日 (火)

メモ:泡坂妻夫「宝引の辰 捕者帳/幽霊太夫」所引の「小唄」

文春文庫版 [宝引の辰 捕者帳 「凧をみる武士」] (泡坂妻夫著。1999年8月。東京都。文藝春秋。) 所収の [幽霊太夫] 中に次のような一節がある:

どこからともなく聞こえてくる三味線は小唄で、
君がこぬとて枕をなげそ  なげる枕にとがもなや
--文春文庫 [凧をみる武士] p.82

「小唄」は、[捕者帳] と云う時代設定からいうと「端唄」の方が馴染みそうだが、これは細かい詮議だてをしても始まらない。

それよりも、問題は「枕をなげそ」のほうだ。「枕をなげそ」では日本語にならない。これは「枕をななげそ(枕をな投げそ)」とするか、七音にするために格助詞の [を] を取り去って「枕ななげそ(枕な投げそ)」とすべきところだ。

副詞の「な」と終助詞の「そ」とで動詞を挟んで穏和な禁止表現とするのは、日本語古典文法を幾らか学んだ者なら、誰でも知っているだろうから、これ以上くだくだしい説明はしない。

文春文庫版のオリジナルは日本放送出版協会が1995年5月に発行したものらしい。こちらの方は、私は未見である。

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2009年10月12日 (月)

アメリカ合衆国市警察のロゴ

先程 (2009/10/12 01:10:40)、キーフレーズ [合衆国市警察ロゴ] で画像検索 (google) されていて、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

若干興味が引かれて、キーフレーズ ["united states" police department logo city] で google 検索すると、その結果のトップが [Best Brands of the World] と云うサイトの [City of Philadelphia Police Department logo] と云うページだったんだが、これは「ジョーク」作品だろうな。記章の中のモットーが "COFFEE", "DONUTS, "CORRUPTION" (「コーヒー」、「ドーナッツ」、「腐敗」)と、当て擦りめいた文言になっているのだ。

ここは、地道に、英文版ウィキペディアのカテゴリページ [Category:Municipal police departments of the United States] をベースにして、アメリカ合衆国地方自治体警察の各記事をブラウズし、そこに「ロゴ」が掲載されているかチェックした方が確度が高いような気がする。

因みに、英文版ウィキペディアのフィラデルフィア市警察の記事 ([Philadelphia Police Department (Pennsylvania)]) によるなら、その記章に書かれているモットーは "HONOR", "SERVICE", "INTEGRITY" (「道義」、「奉仕」、「廉潔」と謂ったところか)。

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2009年9月30日 (水)

メモ:パーテル・ノステル (pater noster)

["pax vobiscum" と「フォースのともにあらんことを」、そして「神ともにいまして」] (2009年9月26日[土]) の最後のほうで、「願わくば」よりも「願わくは」(歴史仮名遣いでは「願はくは」) の方が、古典語としては正しいと云うことを書いたが、恐らく、現代日本人が聞き知っている可能性が一番多い用例は、文語聖書における「主の祈り」(pater noster) だろう。

イエスが「汝らは斯く祈れ」(マタイ傅6:9) と指定していると云う意味で、キリスト教において最も重要な祈祷文である。

天にいます我らの父よ、
願(ねがは)くは、御名(みな)の崇(あが)められん事を。
御國の來らんことを。
御意(みこころ)の天のごとく、地にも行はれん事を。
我らの日用の糧を今日もあたへ給へ。
我らに負債(おひめ)ある者を我らの免(ゆる)したる如く、我らの負債をも免し給へ。
我らを嘗試(こころみ)に遇(あは)せず、
惡より救ひ出(いだ)したまへ。
--マタイ傅6:9-6:13
[ルカ]にも平行記述が存在する。
父よ、願(ねがは)くは御名(みな)の崇(あが)められん事を。
御國の來らんことを。
我らの日用の糧を日毎(ひごと)に與へ給へ。
我らに負債(おひめ)ある凡(すべ)ての者を我ら免せば、我らの罪をも免し給へ。
我らを嘗試(こころみ)にあはせ給ふな。
--ルカ傅11:2-11:4

もっとも、私などは、子どものころ、出だしを「天にまします我らの父よ」と覚えたのだが、これはこれで、そのように訳している会派もあるるらしい (「くろはたホームページ:主の祈り」及び「主の祈り - Wikisource」を参照。その他、「主の祈り」の変異例に就いては「クリスチャン・ネット:主の祈り」も参考)。

"Pater Noster" はラテン語で「我らの父よ」("pater" は呼格で「父よ」。"noster" は複数第1人称所有代名詞男性形「我らの」)で、「主の祈り」が、こう呼ばれるのは、そのラテン語版が、この言葉で始まることによる。

そう云う訣で "Pater Noster" が Vulgata ではどうなっているかと云うと:

Pater noster qui in caelis es
sanctificetur nomen tuum
veniat regnum tuum
fiat voluntas tua sicut in caelo et in terra
panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie
et dimitte nobis debita nostra sicut et nos dimisimus debitoribus nostris
et ne inducas nos in temptationem
sed libera nos a malo
--SECUNDUM MATTHEUM6:9-6:13
Pater sanctificetur nomen tuum
adveniat regnum tuum
panem nostrum cotidianum da nobis cotidie
et dimitte nobis peccata nostra siquidem et ipsi dimittimus omni debenti nobis
et ne nos inducas in temptationem
--SECUNDUM LUCAM11:2-11:4
新約聖書だからギリシャ語テキストも引用しておこう:
Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς·
ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου·
ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου·
γενηθήτω τὸ θέλημά σου, ὡς ἐν οὐρανῷ, καὶ ἐπὶ τῆς γῆς·
τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον·
καὶ ἄφες ἡμῖν τὰ ὀφειλήματα ἡμῶν, ὡς καὶ ἡμεῖς ἀφίεμεν τοῖς ὀφειλέταις ἡμῶν·
καὶ μὴ εἰσενέγκῃς ἡμᾶς εἰς πειρασμόν,
ἀλλὰ ῥῦσαι ἡμᾶς ἀπὸ τοῦ πονηροῦ.
--ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ6:9-6:13
Πάτερ, ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου·
ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου·
τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δίδου ἡμῖν τὸ καθ᾿ ἡμέραν·
καὶ ἄφες ἡμῖν τὰς ἁμαρτίας ἡμῶν· καὶ γὰρ αὐτοὶ ἀφίεμεν παντὶ τῷ ὀφείλοντι ἡμῖν·
καὶ μὴ εἰσενέγκῃς ἡμᾶς εἰς πειρασμόν.
--ΚΑΤΑ ΛΟΥΚΑΝ11:2-11:4
ただ、私の場合、"Pater Noster" と云うと、次の4行から始まる ジャック・プレヴェール (Jacques Prevért) の詩も懐かしい:
Notre Père qui êtes aux cieux
Restez-y
Et nous, nous resterons sur la terre
Qui est, quelquefois, si jolie.
--« Pater noster », dans Paroles, Jacques Prévert, éd. Pléiade Gallimard, 1992, p. 40 (Jacques Prevert - Wikiquote, le recueil de citations libre)

天にまします我らの父よ
天に留まりたまえ
我らは地上に残ります
地上は時々美しい
Jacques Prevért の "Pater Noster" 全文は、例えば "Jacques Prevért : Pater Noster (Commentaire composé)" を参照。

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2009年9月22日 (火)

メモ:江戸端唄 [海晏寺]について (アレ 見やしゃんせ 清玄は...)

今日、午後4時頃 (2009/09/22 15:57:48)、キーフレーズ [あれみやしゃんせ清玄は] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

既に解決されているかもしれないが、一応、書いておくと、これは、江戸端唄 [海晏寺 (かいあんじ)] の (その「替え歌」?) の一節と思しい。

[笹木美きえ] と云う方のサイト [江戸端唄・俗曲の試聴と紹介] に依れば、次のような詞である。

アレ 見やしゃんせ 海晏寺 ままよ 龍田が 高尾でも
   およびないぞえ 紅葉狩り

アレ 見やしゃんせ 与三郎 三十数か所の刀傷
   これも誰ゆえ お富ゆえ

アレ 見やしゃんせ 清玄は 破れ衣に破れ傘
   これも誰ゆえ 桜姫

同一内容が、江戸端唄・俗曲 笹木美きえ の「海晏寺」に示されている (ただし、このサイトにアクセスすると [JWordプラグイン] アドオンされるように求められるので注意)。

さらに、[月のあしび: 明治の歌…まとめ] には「『明笛胡琴月琴』(山田要三 大阪又間精華堂 明33)「俗曲」所載の工尺譜より復元」したと云う音曲 (mid) が紹介されている。

因みに、海晏寺は、東京都品川区南品川に現存するらしい。

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2009年7月21日 (火)

ドイツ語で「陽電子」

本日昼下がり (2009/07/21 14:35:06)、キーフレーズ [陽電子 ドイツ語] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。ドイツ語で「陽電子」を何というかお調べだったのだろうか。

ログを読んでいて、「陽電子」...。英語だったら "positron" なんだから、ドイツ語だったら "Positron" で良いんとちゃうのん? と、思わず擬製関西弁してしまったが、調べてみると、それ以上付け加えることはない。

勿論 "Antielektron" と云う言い方もあるが、それほど一般的には使われていないのではないか。

言うまでもなかろうが "Positron" も "Antielektron" も、ともに中性名詞。

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2009年7月20日 (月)

オランダ語で「ねこちゃん」

先程 (2009/07/20 07:35:36)、キーフレーズ [オランダ語 ねこちゃん] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

([nouse: ウェブ・ガジェット "Maukie" に就いて] からも伺いとることができようが) オランダ語で「ねこちゃん」に相当する言葉と言えば、「ネコ」を意味する "kat" (de名詞女性) に指小辞 "je" を付けた "katje" ("je" が付いているので中性名詞) あたりが穏当なのではなかろうか。

辞書では "katje" の意味として「子猫」が挙げられているが、ネコ好きにとっては「全ての猫は子猫である」(或いは、少なくとも、自分の飼い猫は「子猫」でありつづける) と云ったようなところがあるようで 、実際 "katje" で google画像検索をしてみると、たしかに子猫の画像が数多くヒットするが、冷静な者なら「成体」と呼ぶしかないようなネコも含まれいてる。

いま、ふと思ったのだが、Ogden Nash は、はたしてネコ好きだったのだろうか? (Cf. [nouse: 子猫の欠点] 及び [nouse: 「子猫の欠点」補足])

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2009年7月19日 (日)

フランス語で「主の平和」

昨日夜 (2009/07/18 19:52:24) に、キーフレーズ [主の平和をフランス語訳にするとどうなるか] で、このサイトを訪問されたかたがいらしたようだ。

こう云うことを尋ねられても「どうなんでしょうなぁ」と答えるしかない。自らの教養の無さに恥じ入るばかりだ。

「主の平和」と聞いて思い出すのは、何かで聞き齧ったラテン語 "Pax Domini" だけだ。たぶん、カソリック典礼文中の言葉の筈 (この記憶は当たっていた。「ミサ聖祭の主な応答句」を参照)。

そして、私の当てずっぽうでしかないのだが、「主の平和」に対応する言葉は、フランス語のネイチヴスピーカであっても、ラテン語の "Pax Domini" を自然に使うことが少なくないような気がする (日本人が、本来は中国語である故事成語を日本語として使うように)。だとしたら、それを「フランス語」ではないと排除するのには、私は抵抗を感じる (フランス語のページに限定して "Pax Domini" を google 検索してみると2500件余がヒットする)。

勿論、私でも "Pax Domini" をフランス語に当て嵌めれば "la paix du Seigneur" になるぐらいの知識は持ってはいる (google で検索すると、10000 以上のヒット数があるから、流通している表現であることは確かだろう)。

しかし、それが「主の平和」に対応するかどうかは自信が持てなかったので、"Pax Domini" と "paix du Seigneur" とを AND 検索してみた。

すると "Ordinaire de la Messe selon le Rite de Saint Pie V: latin-français" と云う文書が出てきた。「ピウス5世典礼によるミサ通常文: ラテン語-フランス語」ぐらいの意味だろう。つまり、伝統的な「トリエント・ミサ/Rite tridentin」の羅仏対訳な訣だ。

この pdf イメージ、元のパンフレットの綴じを外して解体してからコピーしたものらしく、ページの順番が変わってしまって、左右対訳になっていないが、それでも、典礼文中において "Pax Domini" は、司祭 (で良いのかな?) が Pater Noster を唱えた後、Agnus Dei の直前に、司祭により会衆に対して投げかけられる "Pax Domini sit semper vobiscum." (主の平安が変わることなくあなたがたと共にあるように) として登場することが分かる (第14ページの下から3行目。この唱句そのものは、上記の「ミサ聖祭の主な応答句」でも確認できる)。

これに対するフランス語訳は "La paix du Seigneur soit toujours avec vous." (第15ページの下から3行目) である。

つまり、"Pax Domini" の「フランス語訳」は "la paix du Seigneur" とすることの裏付けが取れたと言って良いと思う。

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