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メモ: 所謂「モンティ・ホール問題 (Monty Hall problem)」に就いて

以前、図書館から「放浪の天才数学者エルデシュ」と云う本を借りて読んだ時、彼が、所謂「モンティ・ホール問題 (Monty Hall problem)」に引っかかったと云うエピソードが紹介されていて (その後、文庫版を購入した。文庫版 /*草思社文庫 ISBN978-4-7942-1854-4*/ では第6章「はずれ」に書かれている)、その「問題」に就いて無知であった私は、ザッとネットで調べたことがある。

有名な問題らしく、ウィキペディアに項目が立てられていた (「モンティ・ホール問題」)。それに対する印象は、「説明がピンとこない」と云うものだった。実は、「放浪の天才数学者エルデシュ」にも解説があって、それも読んでいた訣だが、キツネにつままれた気分だった。しかし、「読んでいて理解できない・腑に落ちない」と云うことは、私のように超絶的に頭の悪い人間にはデフォルトで発生する現象なので、そうした場合のルーチンである、「何度も読み直す」とか、「新規まき直し自分の頭で考えてみる」とかをする訣だが、この場合も、結局は納得したのだった。ただ、「少なくとも、私自身にとっては、もっと分かりやすい説明の仕方がある」と云うオマケが付いたりする。

今回は、そのオマケを紹介しておく。ただ、当時、そして今回もこの原稿を書くに当たって、ごく簡単に調べただけだから、以下のことは、ネット上に、(あるいは、それどころか、私が気が付かないだけで、ウィキペディアの記事自体の中に)、既に指摘されているかもしれない。そうした場合は、笑殺していただきたい。調べたり考えたりしたことの前回分と今回分とが、私の頭の中で錯綜しているような気がするが、弁別することはしないでおく。そうしたことに拘るほど、大した内容ではないのだ。

ます、スタートラインとして、ウィキペディアに従って、本稿で論ずる「モンティ・ホール問題」とは、いかなるものかを確定しておこう。

「プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。

ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」

1990年9月9日発行、ニュース雑誌 ''Parade'' にて、マリリン・ボス・サヴァントが連載するコラム「マリリンにおまかせ」において上記の読者投稿による質問に「正解は『ドアを変更する』である。なぜなら、ドアを変更した場合には景品を当てる確率が2倍になるからだ」と回答した。すると直後から、読者からの「彼女の解答は間違っている」との約1万通の投書が殺到し、本問題は大議論に発展した。
--モンティ・ホール問題(最終更新 2017年3月1日 [水] 04:14)

引用者註:「司会のモンティ」は、あらかじめ、アタリとハズレのドアを知っている。

こうした反論に対して、マリリン・ヴォス・サヴァント (Marilyn vos Savant) は、「ドアを変えれば勝てるのは3回の内2回、負けるのは3回の内1回だけ、しかしドアを変えなければ勝てるのは3回の内1回だけ」と反論したそうだ。私に言わせれば、私が読んだ説明の中では、最終的には、これが一番単純で分かりやすい。私の以下の説明も、このヴォス・サヴァントの指摘の枠内に留まるものであることをあらかじめ認めておく。


では、わたしなりの解釈を述べることにする。

いま、1つの「アタリ」と2つの「ハズレ」からなる3つの回答候補がある問題があって、それに対しに2つの異なるフォーマットのクイズ・プログラムを作るとする。それを F1 と F2 と呼ぶことにする。

フォーマットF1 のルールは所謂「三択(三者択一)」である。挑戦者は、3つの候補の内の1つドアを選択して、それがアタリであるなら、ウィナーになり、ハズレであればルーザーになる。挑戦者がウィナーになる確率は 1/3 である。

フォーマットF2 のルールでは、3つの候補の内、2個の選択が許される。選択した2つのドアを開けたとき、その内の中にアタリが含まれているなら挑戦者はウィナーになり、両方ともハズレであればルーザーになる。挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 である。ここで、注意しておくと、「開けるドアを2つ選択する」と云うことは、「開けないドアを1つ選択する」と云うことと同じであることである。

私の「納得」のキッカケも、「モンティ・ホール問題」では、司会者の提案を受け入れると、挑戦者が「開けるドアを1つ選択する」状態から「開けないドアを1つ選択する」状態に推移することに気づいたことだった。

さて、次のような、プロトタイプのプログラムを考える。

プログラム0: 司会者 (上記の例で言うなら「司会のモンティ」) が、プログラムの冒頭で、挑戦者 (プレーヤー) に対して、フォーマットF1のクイズと、フォーマットF2のクイズとを提示して、そのどちらのフォーマットでクイズを行っても良いと宣言する。つまり、ドアの選択の前に、クイズ・フォーマットの選択をする。

そして、挑戦者が選択したフォーマットに従って、プログラムが進行する。この場合、どちらのフォーマットが挑戦者にとり有利かと言えば、当然 F2 (アタリの確率が 2/3) の方が F1 (アタリの確率が 1/3) の2倍有利である。

プログラム0 は、フォーマット自体の選択を行うことが明示されている。「モンティ・ホール問題」の核心は、プログラムの途中で、フォーマットF1 からフォーマットF2のへ切り替えが行われているのに、それが気づきづらいようにされていることである (フォーマットの切り替え自体、「ルール違反」だろう)。以下、フォーマット切り替えが容易に透けて見えるプログラムから、フォーマット切り替えがホボ隠蔽されているプログラムへと順次変更していく。

プログラムI: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が、開けるドアをもう1つ追加して、2つにしても良いと宣言する。つまり、フォーマット F1 からフォーマット F2 への切り替えを提案する。

もし、挑戦者がこの提案に同意するなら、挑戦者がウィナーになる確率は 1/3 から 2/3 へと倍増する。

このプログラムI を以下の系列で、「 フォーマットF1 を、それの2倍有利なフォーマットF2 に切り替える提案が行われる」と云う事実を変えないまま、プログラムI のコンテンツを「モンティ・ホール」型のコンテンツへ徐々に変形していく。

プログラムII: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が挑戦者に対して、当初選択した1つのドアを開けない代わりに、当初選択しなかった2つのドアを開けることを提案する。

この変更は、「開けるドアの集合」の包含関係を意味しない。つまり、「開けるドア」の追加ではない。しかし、「開けるドア」の個数 (集合の濃度) は、1つから2つへと2倍になっている。フォーマットF1 と F2 の要件は、「開けるドア」の個数のみに依存することに注意するなら、この場合も、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えになっていることが分かる。

挑戦者は、司会者の提案に応じるか応じないかに従って、2つ又は1つのドアを開ける。当然のことながら、挑戦者がウィナーになる確率は、司会者の提案を受け入れた場合の方が、受け入れない場合の2倍になる。

プログラムIII: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が挑戦者に対して、当初選択したドアを開けない代わりに、当初選択しなかった2つのドアを開けることを提案する。つまり、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えを提案する。ここまでは、プログラムII と同じである。

しかし、プログラムIII では、挑戦者が提案を受け入れた場合、開けるべき2つのドアのうちの一つを挑戦者自身が、そして他方のドアを司会者が同時に開ける

ただし、「同時に開ける」のは、司会者が、「挑戦者の分身」としてドアを開けることを際立たせるためであり、フォーマットF2 への転換後なら、司会者が、挑戦者の前にドアを開けても (次のプログラムIV 参照)、後でドアを開けても、そして、勿論同時に開けても (このプログラムIIIの場合)、いずれの場合も、司会者が挑戦者の分身であることには変わりはない。どの場合も,挑戦者がウィナーになる確率の値は等しく 2/3 である。それらが、コンテンツとして訴求性を有するかどうかは問題にしていない。

プログラムIII以降では、フォーマットF2 への切り替えが行われるなら、司会者が、あるドアを開けるようになっている。ここで、確率の導出のため、挑戦者自身がドアを開ける最終段階までプログラムが進んだ状態を想定するなら、挑戦者自身と司会者がどう関わるにしろ、2つのドアの両方が開くという最終形態は同一であるのだから、その順番も (あるいは同時であっても)、また、司会者及び/又は挑戦者のどちらが開けるかも、挑戦者がウィナーになる確率には影響しない。しかも、司会者がドアを開けるのは、必ず挑戦者の分身としてであることが重要な意味を持つ。司会者はウィナーにもルーザーにもならないのである。

従って、以下、プログラムの変形で指針となるのは、「挑戦者自身の行為により、挑戦者がウィナーになるか、ルーザーになるかが決定する」と云う籤引き型クイズとしての基本的要請を守ることである。ただし、そのことは、確率の計算とは無関係である。

プログラムIV: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が挑戦者に対して、当初選択したドアを開けない代わりに、当初選択しなかった2つのドアを開けることを提案する。つまり、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えを提案する。ここまでは、プログラムII 及びプログラムIII と同一である。

しかし、プログラムIV では、挑戦者が提案を受け入れたなら、開けるべき2つのドアのうち、司会者が挑戦者より先に、2つのドアの内、少なくとも一つはあるハズレのドア (司会者は、アタリ・ハズレのドアを知っている) を開けてしまい。残りのドアを挑戦者自身に開けさせる。

この場合でも、時間が前後しているだけで、司会者が挑戦者の分身としてドアを開けると云う事実には変わりはないから、挑戦者がウィナーになる確率は、やはり、提案を受け入れない場合の確率の2倍になる。

このプログラムの場合、司会者がハズレのドアを開けた時点で、「挑戦者がウィナーになる確率は?」と云う設問に対して、「1/3」又は「1/2」と考える人たちが多数いたことが「モンティ・ホール問題」がスキャンダルになった理由だった。しかし、これは間違っている

つまり、F2 への切り替わり当初は「2/3」だったが、司会者がハズレのドアを開けた時点では「1/3」又は「1/2」になると云うようなことは、起こらない。開かないで残っているドアが2つになっていても、挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 である。

ドアが2つになったことで、「二者択一」になったように見えても (この見かけにより、プログラムは「盛り上がる」かもしれないが)、それはあくまで「見かけ」であり、ウィナーになる確率には影響しない。アタリ/ハズレを知っている司会者が、意図的にハズレのドアをあけており、挑戦者が正解する可能性を減らしていないから、挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 のままである。

挑戦者がウィナーになるかどうかは「フォーマットF2 では、開けることになった2つのドアにどちらかがアタリであればよい」と云う事実に変化はなく、少なくともその片方が必ずハズレと云うフォーマットF2移行時当初からの確定事項が意図的に暴露されたとしても、最終結果の確率には影響は出ないのである。

プログラムIV を変形して、フォーマットF2において開けるべき2つのドアのどちらかにアタリのドアがある場合に「司会者が先にアタリ・ハズレに関わらずドアを開く」としも、挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 である。ただし、この場合は、上記の「挑戦者自身の行為により、挑戦者がウィナーになるか、ルーザーになるかが決定する」と云う籤引き型クイズとしての基本的要請に反することになる (この場合、司会者は、アタリのドアであることを承知で開ける訣で、プログラムとして滑稽なことが起こる)。

プログラムV: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者は、挑戦者が選択しなかったドアの内、少なくとも一つはあるハズレのドア (挑戦者は、アタリ・ハズレのドアを知っている) を開けてしまった後、挑戦者に対して、当初選択したドアを開けない代わりに、「当初選択しなかった2つのドアで、ハズレであることが分かっているドアの他」に、「まだ開いていない残りのドアも」開けることを提案する。

開けるドアは2つだから、これも、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えになっている。ただし、フォーマット切り替えの提案が、プログラムIV では、司会者によるハズレのドア開扉の前に行われているのに対し、プログラムV では、司会者がハズレのドアを開けてしまった後に、フォーマットの切り替えが提案されているので、フォーマット切り替えという事実が認識しにくくなっている。

もし、挑戦者が提案を受け入れたなら、開けるべき2つのドアのうちのうち、司会者が既に開けてしまったドアとは別のドアを挑戦者自身に開けさせる。この場合でも、2つのドアを開けると云う選択を行ったのは挑戦者自身だから、時間が前後しているだけで、司会者が挑戦者の分身としてドアを開けると云う事実には変わりはない。従って、挑戦者がウィナーになる確率は、やはり、受け入れない場合に確率の2倍になる。

このように、このプログラムV (そして、次のプログラムVI) では、興味深いことが発生している。もし、挑戦者が司会者の提案を受け入れると、提案以前に司会者が、挑戦者と別主体として行ったドアを開けると云う行為が、挑戦者の分身としての行為に、時間を遡及して転化するのである。これは、フォーマットF1 及びフォーマットF2 の構成要件に時間が関係しないことから起こるパラドクスである。「モンティ・ホール問題」の解析にベイズ理論が親和するのも、これに起因するのだろう。

プログラムVI: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者は、挑戦者が選択しなかった2つのドアの内、少なくとも一つはあるハズレのドア (挑戦者は、アタリ・ハズレのドアを知っている) を開けてしまう。ここまでは、プログラムV と同一である。そして、挑戦者に対して、開けるドアを、「挑戦者が当初選択したドア」から、「挑戦者が当初選択しなかった2つのドアの内、まだ開いていないドア」に「切り替える」ことを提案する。

ここで、プログラムVI と司会者の提案の文言が異なっているだけであることに注意。司会者は挑戦者が開けるドアの「切り替え」を提案している形だが、実際には、開けるドアの追加を提案しているのである。

しかし、司会者がこうした言い方をすることで、実際にはフォーマットF1からフォーマットF2への切り替えが提案されているのに、そのことがホボ隠蔽されてしまっている。

提案を受け入れることにより、「切り替え」られるのは、「挑戦者が開けるドア」ではなく、クイズのフォーマットである。挑戦者は、司会者と云う「潜在的な分身」により、ドアを1つ開けており、提案を受け入れることは、「分身を含めて挑戦者が開けるドア」を2つにすることを意味する。従って、挑戦者がウィナーになる確率は、やはり、受け入れない場合に確率の2倍になる。

このプログラムVI は、「モンティ・ホール問題」そのものである。

付言すると、司会者の Monty と云う名前は、three-card Monte や three-cup Monte (これらに就いては、適宜、YouTube をご参照頂きたい) などの、short con game (イメージとしての訳語を当てるなら「大道芸」ならぬ「大道詐欺」) を連想させる。

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フェルミ、ハイゼンベルク、パウリ3人のカイラリティ

数年前のことになると思うが (2012年のことだったらしい)、近くの図書館で、「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」(発行年:2009年 著者:佐藤文隆 発行:京都大学学術出版会) と云う本を借りて通読したことがある。

「残念! 」と云う読後感だけが残っている (私としては、これは非常に珍しい「症例」)。たしか、著者自身も、内容について弁明めいたものを書いていたようだ。しかし、それだけなら、「『残念感』を味わいたい方には最適」と言う訣にもいかず、ここで取り上げるには及ばない。

しかし、ある一点で、私の記憶の底にコビリついたままのものがあるので、それを書いておく。まぁ、私自身のための厄落としである。

この本の第36ページに、3人の物理学者 (「マスコミ」風に言うと「天才物理学者」) の、所謂「スリーショット」写真が掲げられている。そのキャプションに曰く

1927年にイタリア・アルプスのコモ湖畔で開かれたボルタ記念集会での (左から) フェルミ、ハイゼンベルグ、パウリ。

これを見たとき「オイ・オイ・オイ」と突っ込みましたね。私は、人の顔・名前を記憶するのが病的に苦手なんだが、それでもパウリ (Wolfgang Ernst Pauli/ヴォルフガング・パウリ) の顔は識別できる。左端にいるのは、フェルミ (エンリコ・フェルミ/Enrico Fermi) ではなく、まごうことなく、パウリなのだ。ハイゼンベルグ (ドイツ語風に言うなら「ハイゼンベルク」だが。Werner Heisenberg/ヴェルナー・ハイゼンベルク) もなんとなく分かる。これは、確かに真ん中にいる。フェルミの顔は、申し訳ない知らなかった (と言うか、覚えられていなかった)。

そう言えば、かって、コペンハーゲン (København) にあった「理論物理学研究所/Københavns Universitets Institut for Teoretisk Fysik」での1932年の会議の余興として演じられたと云う「ファウスト」のパロディの中で、パウリはメフィストフェレスを当て書きされていた (ちなみに「主」つまり、「全能の神」は勿論ニールス・ボーア/Niels Bohrである)。少なくとも顔を含めてイメージとしてだけなら、「パウリのメフィストフェレス」は、ハマり役だったろう。

「えっ!? 」と思って、その写真を、二度見してみると、右端のフェルミ (私にとっては「フェルミらしき人」) の胸ポケットが向かって左側(つまり、右胸側) に着いていることに気が付いた。フラワーホールらしきものも向かって左にある。

「なんだ。裏焼きジャン」

しかし、物理学者が書いた書籍中において、「くどいようだが、マスコミ風に言うと天才」物理学者のスリーショットで、裏焼きに気づかないことがありうるのか?

思わず、調べてしまいましたね (当時の話)。

そしたら、CERN (欧州原子核研究機構) の [PAULI-ARCHIVE-PHO-0​18] がマンマ裏焼きになっていた。これは想像だが、親亀がコケタので、子亀だか孫亀だかヒーィッマゴガメだかもコケタのだ (旧い譬えで申し訣ない)。

次を参照のこと。

  1. CERN のアーカイヴ中にある当該の写真:Wolfgang Pauli on a boat on Como lake - CERN Document Serve
  2. 写真に対する私のコメント (今回調べ直して、公表されているのに初めて気付いた):Wolfgang Pauli on a boat on Como lake - CERN Document Server
  3. 正しい向きの写真:Fermi, Heisenberg and Pauli - Stock Image H400/0132 - Science Photo Library

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日本語版 Wikipedia の項「ラプラス作用素」の瑕疵

先日、必要があって、Wikipedia の記事、「ラプラス作用素」を、ザッと、読み流したのだが、その時に気が付いたことを書き留めておく。

勿論、ゴクささやかな、どうでもいいことなのだが。。。

初めに、書誌学的注意をしておくと、対象となる記事は、日本語版 Wikipedia の「ラプラス作用素」(タイムスタンプは 最終更新 2016年6月5日 (日) 02:46) である。そして、この記事は、少なくともおおむね、英文版 Wikipedia の記事、"Laplace operator" の訳文であるようだ (英文版の、本稿作成時のタイムスタンプは 7 June 2016, at 19:42)。Wikipedia ユーザーの個人設定の有無等に応じて、タイムスタンプは若干食い違う可能性はあるが。。。

で、私が引っかかったのは、[一般化] のセクションだ (その直前のセクション [スペクトル論] 中、「ラプラス=ベルトラム作用素」とあるのは、「ラプラス=ベルトラミ作用素」の誤りだが、ただの入力ミスだろうから、大量に発生しているのでもない限り、本稿では、話題にするに値しない類のものだ)。

[一般化] と云うセクションは、2つのサブセクション [ラプラス=ベルトラミ作用素] と [ダランベール作用素] とに分かれる。実は、この [ラプラス=ベルトラミ作用素] が、私が目ざしていた情報に関わると思われたので注目したのだ。

文脈をはっきりさせる為に、[ラプラス=ベルトラミ作用素] 全体を引用する。

ラプラス作用素の概念は、リーマン多様体上で定義されたラプラス=ベルトラミ作用素 (英語版) と呼ばれる楕円型作用素に一般化することができる。同様にダランベール作用素は擬リーマン多様体上の双曲型作用素に一般化される。ラプラス=ベルトラミ作用素を函数に適用すれば、その函数のヘッセ行列トレース

\Delta f = \mathrm{tr}(H(f))

が得られる。ただし、トレースは計量テンソルの逆に関して取るものとする。ラプラス=ベルトラミ作用素を同様の式でテンソル場に作用する作用素(これもまたラプラス=ベルトラミ作用素と呼ばれる)に一般化することができる。

ラプラス作用素の別な一般化として、擬リーマン多様体上で定義される外微分を用いた「幾何学者のラプラシアン」と呼ばれる

\Delta f = d^* d f

を考えることもできる。ここで d^* は余微分 (英語版) で、ホッジ双対を使って書くこともできる。これが上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。そのことは大域解析学の論文を読むときには常に気を付けねばならない。 より一般に、微分形式 α に対して定義される「ホッジ」ラプラシアンは

\Delta \alpha = d^* d\alpha + dd^*\alpha

と書ける。これはまたラプラス=ドラーム作用素 (英語版) とも呼ばれ、ヴァイツェンベック不等式 (英語版) によってラプラス=ベルトラミ作用素と関係する。

(引用者註: α の位置が間違っていたので訂正した。)

で、私が引っかかったのは、

これ (引用者註:つまり、「幾何学者のラプラシアン」) が上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。

の部分だった。「幾何学者のラプラシアン」と「解析学者のラプラシアン」では、呼び方が異なってているのだから、「日常的文章感覚」では「異なるもの」であるのは当然で、「注意すべき」も茄子のへったくれもない。

ダメ出し的なことを言うなら、これが、逆に、定義が異なっているにも関わらず、実は「幾何学者のラプラシアン」と「解析学者のラプラシアン」とが、同一のものだったと云う話の流れだったら、その同一性に「注意すべき」と云う表現がもっともになっただろう。

どう云う訣合だろうと思って、英語版の "Laplace operator" を見たら、疑問が氷解した (話が、後先にあるが 日本語版が実質英語版の翻訳であるのに、この時気が付いた。まぁ、いづれにしろ英語版も参照するのがルーチンワークだから、細かく言っても無意味だが)。

そこで、英語版も引用しておく。

The Laplacian also can be generalized to an elliptic operator called the Laplace–Beltrami operator defined on a Riemannian manifold. The d'Alembert operator generalizes to a hyperbolic operator on pseudo-Riemannian manifolds. The Laplace–Beltrami operator, when applied to a function, is the trace of the function's Hessian:

\Delta f = \mathrm{tr}(H(f))

where the trace is taken with respect to the inverse of the metric tensor. The Laplace–Beltrami operator also can be generalized to an operator (also called the Laplace–Beltrami operator) which operates on tensor fields, by a similar formula.

Another generalization of the Laplace operator that is available on pseudo-Riemannian manifolds uses the exterior derivative, in terms of which the “geometer's Laplacian" is expressed as

\Delta f = d^* d f

Here d^* is the codifferential, which can also be expressed using the Hodge dual. Note that this operator differs in sign from the "analyst's Laplacian" defined above, a point which must always be kept in mind when reading papers in global analysis. More generally, the "Hodge" Laplacian is defined on differential forms α by

\Delta \alpha = d^* d\alpha + dd^*\alpha

This is known as the Laplace–de Rham operator, which is related to the Laplace–Beltrami operator by the Weitzenböck identity.

大袈裟な準備をした挙句、[落ち] がアホらしくて申し訣ないが、

これが上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。

の「原文」は

Note that this operator differs in sign from the "analyst's Laplacian" defined above,...

である。つまり、「訳者」は "in sign" を見落としてしまったのだ。そして、未熟練翻訳者にはありがちなこととはいえ、"differs" を機械的に「異なる」で置き換えてしまっている。確かに、"differs in sign" は「符号が異なる」としても、翻訳として及第点は貰えるだろうが、技術文では、「文章のエントロピー」とでも言うべきものを出来るだけ低くした方がいいので、ここは「符号が逆」とすべきだったろう。つまり

この作用素と、上記の「解析学者のラプラシアン」とでは、符号が逆になっていることに留意されたい。

とでもすべきだっただろう。

恥を忍んで告白するなら、この「結論」に達した途端、「この話、既にどこかの本で読んだことがある」ことを思い出した。私のマヌケさ加減も相当念が入っていると言うしかない。落ち着いて読んでおけば、Wikipedia の記事が、「解析学者のラプラシアン」と呼んでいる \Delta f = \mathrm{tr}(H(f)) が、フツーの「ラプラシアン」の形式上自然な拡張になっていることに、その場で気が付いたはずだったのだ (その前に、知識として知っておけよと、自分に言いたい気もする)。もっとも、それに気が付いたとしても、「異なる」=>「符号が異なる」=>「符号が逆」と迄、頭が回転したかどうか、自分の馬鹿さ加減を重々承知している身としては、自信がない。

それから、「ヴァイツェンベック不等式」は、英文版リンク先が "Weitzenböck identity" であることが示すように「ヴァイツェンベック恒等式」に訂正する必要がある。

微分幾何の楕円作用素間の関係を表す「Weitzenböck identity (ヴァイツェンベック恒等式)」の他に、平面幾何に「ヴァイツェンベック不等式 (Weitzenböck's inequality)」と云うものが実在するから、現状では、ミスリーディングする可能性が無いとは言えない。ちなみに、英文版の "Weitzenböck identity" の冒頭には 「"Weitzenböck's inequality" と混同するな」と書いてあったりする。vice versa.

ついでに書いておくと、次の小節 [ダランベール作用素] において

ここでは計量の符号を作用素の空間成分に関して負符号を許すようにしてあることに注意

と云う箇所があり、これの「原文」は

Note that the overall sign of the metric here is chosen such that the spatial parts of the operator admit a negative sign

である訣だが、「負符号を許すように」は、"admit" に引きずられ過ぎててしまっている。それに、その前の "the overall sign of the metric" が「計量の符号系」であることを (多分) 見落としている。「木を見て森を見ず」と云う奴だ。

ここでは、計量の符号系が、ダランベール作用素の空間部分の符号が負になるように選択されているのだと云うことに注意されたい。

ぐらいにすべきだっただろう。

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坂本龍馬の西郷隆盛評

坂本龍馬の西郷隆盛評「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」が、[礼記] 中の [学記第十八] の一節を踏まえた表現であることは、知っている人なら知っているだろう。

これが、[学記] とは別に龍馬の独創であったかもしれぬと云う想像は、論ずるに値しない。同じく [礼記] から特に挙げられて、[四書] 中に並べられている [大学] 及び [中庸] ほどではないにしろ、[礼記] 全体が [五経] の一つなのだから、儒教思想の根幹をなしている。また、卑近な例でいえば、[学記] は、人口に膾炙する「玉、みがかざれば器とならず。人、学ばざれば道を知らず」の出典でもある。「偶然の一致」とするのは迷妄にしかなりえない

ただ、だからと言って、龍馬が [礼記] なり、あるいは、その一篇としての [学記] を手に取り「勉強」したことがあるかどうかは、私には断定できない。しかし、そのことは問題にならない。龍馬が所属していた社会集団は、当然何重にも交錯していたはずだが、そのうちの「思想性」が接着剤となる集団では、その基本リテラシの中に、教育理念の祖型として「礼記」が組み込まれていに違いないからだ、たとえ、「机に向かって勉強」したことがなくとも、所謂「耳学問」をしていたことはありうる。

脱線するが、「玉、みがかざれば器とならず。人、学ばざれば道を知らず」は、昭憲皇太后御歌 (明治20年 [女子学習院] に下賜と云う事実を踏まえるなら「皇后御歌」の方が適切かもしれない。もっとも「皇太后」と云う追号に就いては、「イキサツ」があったらしい。参照: Wikipedia「昭憲皇太后」)「金剛石もみがかずば、珠のひかりはそはざらむ。人もまなびてのちにこそ、まことの徳はあらはるれ」の出典であるのも論を俟たない。皇太后 (又は、その「ブレーン」) が、[学記] を踏まえて詠んだものなのだろう。ちなみに、[学記] 原文は、「玉不琢、不成器、人不學、不知道」(明治書院「新釈漢文大系28」[礼記中] p.543)。

そもそも -- などと大仰なことを言ってしまって申し訣ないが -- 問題の「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」の「元ネタ」自体が、諸橋轍次の[中国古典名言事典]に採録されている (講談社学術文庫版 p.276)。「折紙」付の「名言」である訣だ。

話が後先になった。肝心の原典を示すことにしよう。

善待問者、如撞鐘、叩之以小者則小鳴、叩之以大者則大鳴
善く問を待つ者は、鐘を撞くが如し、之を叩くに小なる者を以てすれば則ち小さく鳴り、之を叩くに大なる者を以てすれば則ち大きく鳴る。
--明治書院「新釈漢文大系28」[礼記中] p.552

そして、龍馬の西郷評として知られているものは、次の勝海舟の「雑談」に由来する。

坂本龍馬が、かつておれに、先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行つて会ツて来るにより添書をくれといツたから、早速書いてやつたが、その後、坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。
--講談社文庫 (勝海舟) [氷川清話] 「西郷隆盛」p.60 (私の手元にあるものは、40年ほど前に発行されたもので、多分現在絶版。後継の版が、講談社学術文庫に収められているようだ。なお、引用文中「しばしば」及び「なかなか」の後半は、原文では「踊り字」の「くの字点」)

しかし、私に言わせれば、この西郷評の眼目は、「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」と云う cliché ではない。核心は、「西郷といふ奴は、わからぬ奴だ」、そして、「馬鹿なら大きな馬鹿、利口なら大きな利口」の方だ。これは、勿論、西郷を大いに褒めている訣で、それは、この表現のネガ「西郷といふ奴は分かりやすい奴だ」と「馬鹿なら小さな馬鹿、利口なら小さな利口」を考えてみれば良い。だからこそ、西郷贔屓の勝安房守が「なかなか鑑識のある奴」とご満悦だった訣だ。

実際、龍馬の西郷評の後で、海舟自らが「答え合わせ」をするように「西郷は、どうも人にはわからないところがあつたヨ。大きな人間ほどそんなもので……小さい奴なら、どんなにしたつてすぐ腹の底まで見えてしまふが、大きい奴なるとさうでもないノー」と語っている。--講談社文庫 (勝海舟) [氷川清話] 「西郷隆盛」p.61

逆に言えば、「西郷贔屓」である勝を得心させるようなコースの変化球として、龍馬は自らの感想を海舟の心の中に投げ込んだと言える。勿論、これは単純な追従といったレベルのことではなくて、海舟と云う「師匠」と龍馬と云う「弟子」の間に孕む緊張感が許す細いただ一本の糸のようなコースであっただろう。

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都筑道夫「水見舞」(「なめくじ長屋捕物さわぎ」シリーズ) 中の地名「小村井」の読み

都筑道夫の「なめくじ長屋捕物さわぎ」シリーズ中の一篇に「水見舞」と云うものがある。本稿は、この作品中に登場する一語のルビに関する。

以下の記載は、光文社時代小説文庫「ときめき砂絵」所収のテキストに依っているが、ことの性質上、この刊本に固有の問題でありうることをあらかじめ断っておく。などと、大上段に構えてしまったが、実は、たかが一文字に就いての話だ。

「水見舞」冒頭の三文が

台風や大雨のために、河川が氾濫することを、出水(でみず)という。出水があった地域の知りびとの家に、様子をたずねにいくのが、水見舞(みずみまい)だ。八月すえの晴れた日、神田白壁町の御用聞、常五郎が東橋(あずまばし)をわたったのも、水見舞のためだった。きのうの嵐で、小梅(こうめ)で植木屋をやっている親戚の様子を、見にいくところなのだった。
--光文社時代推理文庫「ときめき砂絵」p.223 原文のルビを括弧 () に入れて示した。

で始まっていることがしめすように、事件の舞台は「向島」である。

常識的なところから、話を始めると、東京都区の内、隅田川左岸(東側)には、上流から足立・墨田・江東とならんで川に接している。

上流端で北区を貫通したり、下流端で分流して月島川として中央区を貫通していることなど、細かいところでは、いろいろ注釈を付けねばならないかもしれないが、ここでは詮索しない。現代行政的には、隅田川の起点は北区の「岩淵水門」なのだろうが、江戸時代の感覚を現代に移すなら、現足立区内の「千住大橋」だろう。下流に就いても、江戸時代に埋め立てたのが「ツキヂ」で、明治に入ってから埋め立てたのが「ツキシマ」だと云う話を聞いたことがあるから、本稿の文脈では、江東区より下流は気にしても始まるまい。

墨田区は、敗戦後の都区整理で、旧向島区と旧本所区を合併して作られたことは、東京都区内の小学校に通学したものなら、「わたしたちの××区」レベルの知識で知っている人が多いだろう。

その他に「旧大森区」と「旧蒲田区」を合わせて「大田区」にしたと云う話を最初に聞いた時、子供心にあきれた覚えがある。しかし、そんな話は多いようだ。「分寺駅」と「川駅」の間に新設された駅が「国立」と命名され、結局市の名前にもなってしまった。まぁ、「霞町」とか「笄町」とかの、ゆかしい町名を「西麻布」や「南青山」などと云う索漠たる町名にするよりマシかもしれない。地名と云う文化の中核は、「会議室で決めて、片々たる通知一つで変更」と云う拙速を取るべきものではないのだが、まことに「お前麻布で気が知れぬ」と言いたくなる。

閑話休題、そこで「向島」だが、これは、大ざっばには現墨田区の北半分に当たる。 物語の舞台は向島で、女性の遺体が発見されたのが、三囲稲荷そばの料理屋「平岩」の庭だった (「平岩」は実在した店で「鯉こく」で有名だった。その地域一番の店と云うことで「葛西太郎」を号していたと云う)。

また脱線するが、私の亡父は、本格的なものでは全くなかったが、それでも、川釣りや釣り堀が趣味で、と云うか、栃木の山奥の出身なので、子供のころは、山の中を跋渉するか、川で雑魚を捕まえるかぐらいの遊びしか覚えられなかったに違いない、とにかく、ある時、釣ってきた鯉で、鯉こくもどきを作ったことがある。しかし、素人料理の悲しさで、胆嚢 (にがだま) を潰してしまったらしく、苦くて食べられたものではなかった。しかし、鯉の胆嚢は有毒らしいから、食べなくて正解だったのだ。

東京ロコには、説明するのも気恥ずかしいが、三囲稲荷も実在して、宝井其角の雨乞いの句 (「ゆうだちや・田をみめぐりの・神ならば」) や、越後屋当主三井家の信仰で知られている。

しかし、こうしたことも本稿の主題とは関係がない。実は、私には、次の一文が引っかかったのだ。顔が四角くて、「下駄」のようだと云うので、陰では「下駄常」と呼ばれている「神田白壁町の御用聞、常五郎」が、平岩から、被害女性の実家がある向島請地村へ向かうくだりで、

下駄常は往来に出た。平岩のわきの道は、くねくね曲がって、請地村、中の郷村に通じている。
さらに小梅、押上 (おしあげ)、小村井 (こむらい)。葛飾郡 (かつしかごおり) の村むらは、源兵衛堀、大横川 (おおよこがわ)、北十間川 (きたじっけんがわ)、曳舟堀 (ひきふねぼり)、梅若堀(うめわかぼり)、荒川と、大小の河川に囲まれている、秋葉権現の森を目ざして、歩いていくと、泥水はたちまち、脛のなかばをまた越えた。
--光文社時代推理文庫「ときめき砂絵」p.237 原文のルビを括弧 () に入れて示した。

「請地」・「中の郷」(中之郷)・「小梅」・「押上」は分かる。いずれも、旧向島区内の地名だ。「押上」など「東京スカイツリー」のお蔭で、全国的な知名度が上がっているかも知れないから、ご存知の方も多いだろう。(なお、「断腸亭料理日記2012 東京スカイツリー界隈のこと その3」も参照されたい)

しかし、「小村井(こむらい)」が、引っかかる。旧向島区の「小村井」は「おむらい」と読ませるはずだからだ (行政上の地域名としての「小村井」は消滅しているが、「小村井駅」は現存する)。少なくとも現在は。。。

実際、ネットで検索してみると、墨田区の「小村井」は「おむらい」と読む、と云う「知らせ」や「気づき」は相当数ある。

その一方で、今回、本稿を起稿するうえで、調べなおして発見したのだが「東武・亀戸線再訪(廃駅跡をたずねて) - おやじのつぶやき」と云うブログでは、『「小村井」(ある時期から、この読みも「こむらい」から「おむらい」に変わっています)』と指摘するものもあることはある (私が見つけられたのは、この一件だけだった)。ただし、その根拠になる1965年頃の、国土地理院地形図のウェブ画像の該当箇所駅名が不鮮明で「むらい」は認識できるがその前の一文字が、読み取りがたい。「お」には見えないが、「こ」としても歪んでいる (細かいことを言えば、「駅名」と「近隣地名」が合致するとは、必ずしも言えない)。

それに、明治や江戸と云った、かなりの以前はともかく、1965年 (昭和40年) の段階で「こむらい」と読んでいたという情報には、首を傾げざるを得ない。実は、私の亡母は、旧向島区の出身だった (私の家では、母の実家を今でも「向島」と呼んでいる)。もっとも「小村井」は、南方にある「北十間川」を挟んで本所と対峙すると云う旧向島区の南部に位置するが、母の実家は、「百花園」や「言問団子」・「長命寺桜もち」が、、、と言っても、実感できない人には、情報として意味がないか。。。エーット、隅田川に架かる「白鬚橋」近くの、区内北部にあるわけだが、旧向島区内としては地元であることにかわりはないだろう。その母親が、「小村井」を「おむらい」と呼んでいたらしい (実は、私自身は、そう言っていたような気がする程度の、ウッスラとした記憶しかない。これは、姉からの伝聞情報。狭いといえば狭い同一区内で、だからこそ、母には、近隣地区への若干の対抗意識があったようだ)。大正年間の生まれの母は、若年時に聞き覚えた呼び方を、そのまま使ったはずで、だとしたら、昭和前半には「おむらい」と云う呼び方が一般的であったと思われる。

ただ、留保しなければならないのは、私の母は、「ダンプカー」を「タンプカー」と呼び、「デパート」を「デバート」と言ってしまう態の人間だったことだ。しかし、「おむらい」と「こむらい」は、言い分けられたと思う。

実は,私は母の言語能力をとやかく言える立場ではない。先ほども、「白髭橋」(しらひげばし) と入力したつもりが「白重橋」(しらしげばし) と変換されて腐った。

脱線に次ぐ脱線で申し訣ないが、以前、三島由紀夫の「邯鄲」(「近世能楽集」所収)を読んだ時、ワキとして登場する「菊」(四十がらみの地味な和服を着た女) が、シテである「次郎」に「パスじゃないよ、バスだってば。今でも君、デバートだの、ゲソリンだのって言っているだろう。」とからかわれた直後に、それを否定しながら「デバート」と言ってしまうくだりがあって、なにやら懐かしかった (新潮文庫「近世能楽集」(三島由紀夫) p.11)。

だったら「おむらい」で良いではないかと言われそうだが、著者の都筑道夫は、地名・人名・物称には、細かく気遣う人で、例えば、今も江東区を流れる「小名木川 (おなぎがわ)」の「小」は、「こ」ではなく「お」と読まねばならないことを、都筑道夫は、その複数の作品の中で、憤懣やるかたないと云った風情で断りを入れているくらいだ。我が偏愛の小説家都筑さんのことだから、「どうでもいいこと」とはわかりつつ、「お」と「こ」の違いは、なにやら見過ごせない。

単純な校正ミスである可能性も十分あるのだが、釈然としないまま、随分月日がたっているので、一旦文章化して、私のささやかな「鬱懐」を晴らした。

「ときめき砂絵」

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[ところてん] 雑談。或いは、「スドちゃん」としての「古川緑波」

古川緑波 (1903年8月13日--1961年1月16日。 喜劇人 [古川ロッパ] は、文章をモノする時、[古川緑波] と云う筆名を用いた。読みは同じく 「ロッパ」) に、「氷屋ぞめき」と云う短文がある。手近に得られるだろう刊本では [ちくま文庫] の [ロッパの悲食記] (古川緑波。筑摩書房。1995年) で、表題を含めても2ページ余り (pp.87--89)、33行の短さだ (青空文庫にも収録されている [古川緑波 氷屋ぞめき])。

ロッパの子供時代は、[アイスクリーム] を売っているところが少なかったが「中流以上の家庭には、いまの電気洗濯機がある程度に、アイスクリームをつくる機械があって、時に応じて、ガラガラとハンドルを廻して、つくったものである」(「古川緑波」、こと、古川郁郎は、華族の家に生まれ、姻戚の満鉄役員に養子として引き取られて育ったから、それは「中流以上の家庭」と言って良かろう。おそらく、彼の養家には「アイスクリームをつくる機械」があったにちがいない)、と云う話から始まって、「アイスクリームよりも、もうちょっと安い」[ミルクセーキ] は氷屋で製造販売されていたと云う想い出から、東京と大阪での [氷屋] の違いに話題が移る。そして最後は、次のように結ばれている。

 大阪の氷屋に、「すいと」と書いてあった。
「すいと」とは何だろう。すいとんのことでもなさそうだし――と、きいてみたら、ところてんだった。
 ところてんを、酢糸とは、シャレてる。

古川緑波としては [すいと] を、糸にみたてた [ところてんの突き出し] に酢味のタレをかけ廻したイメージであったろう。しかし、この文章から窺えるように、緑波は「すいと」を実際に食べて (最近の言い方に倣えば「実食して」) いない。それどころか「実見」もしなかっただろう。そのせいだろうか、古川緑波はここで微妙な勘違いをしているようだ。

私は、[氷屋ぞめき] の初出情報を持っていないし、また、料理史に就いては全く無知であるから、全くの憶断になってしまうが、緑波が大阪の氷屋の、恐らくは [品書き] で見かけた「すいと」には、(多分黒蜜をかけることによる) 甘い味付けがしてあった筈である。

現在でも、[大阪府民はところてんに黒蜜をかけてたべるんですか?byケンミンSHOW - Yahoo!知恵袋] での

大阪府民はところてんに黒蜜をかけてたべるんですか?byケンミンSHOW
質問日時:2008/5/23 12:22:01ケータイからの投稿.

と云う質問に対して

はい黒蜜です。
横浜に引っ越したのですが、こちらはおかず/つまみ感覚なので、酢醤油ですね。
大阪では基本的におやつ感覚なので甘い黒蜜です。
目的が違うのだから食べ方が違っていても不思議じゃない。
回答日時:2008/5/23 14:32:4

と云う回答がされている。

ただ、古川緑波が見損なったであろう [すいと] に、黒蜜が懸かっていたであろうと云うのは、今のところ、私の憶断である。しかし、それは少なくとも「酢糸」ではないことは、確かである。

なぜなら、例えば、[大阪ことば事典] (牧村史陽編。講談社。1979年) に [スイト] (名詞) の項があって、次のように説明されている

すいとん [水飩] の約。ところてん。心太。今では死語に近い。
--[大阪ことば事典] (牧村史陽編。講談社。1979年) p.347

とあって、[守貞謾稿] 及び [皇都午睡 (みやこのひるね)] (日本語版Wikipedia [西沢一鳳] の項参照) からの引用を付している。

[守貞謾稿] は [近世風俗志] と云うタイトルで岩波文庫に収められている。[大阪ことば事典] における引用は、[守貞謾稿] の [心太売り] の記述の一部のみであるから、ここで岩波文庫版から全体を転記しておこう (図版は省略する)。

心太、ところてんと訓ず。三都とも夏月これを売る。けだし京阪、心太を晒したるを水飩 (すいとん) と号く。心太一箇一文、水飩二文。買ひて後に砂糖をかけこれを食す。江戸、心太値二文。またこれを晒すを寒天と云ひ、値四文。あるひは白糖をかけ、あるひは醤油をかけこれを食す。京阪は醤油を用ひず。またこれを晒し、乾きたるを寒天と云ひ、これを煮るを水飩と云ふ。江戸は乾物・煮物ともに寒天と云ふ。因みに曰く、江戸にては温飩粉を団し、味噌汁をもつて煮たるを水飩と云ふ。けだし二品とも非なり。本は水をもつて粉団を涼(さま)し食ふを水飩と云ふなり。今世冷し白玉と云ふ物水飩に近し。
--岩波文庫 [近世風俗志 (一)] p.280
[皇都午睡] の方は、[大阪ことば事典] での引用を転載しておく。
心太は、今上製の物をスイトンと云ふ。下品なるをトコロテンと云ふ。是、心太(こころぶと)にて、心太なり。水太(すいとん)も同じ心なるべし。
--[皇都午睡]二編上

つまり、既に幕末の時点で ([守貞謾稿] は天保/1830--1843/年間から約30年に亘って書きつがれたと云う。 本人による補正が完了したのは慶應3年/1867年。[皇都午睡] は嘉永3年/1850年上梓とのこと) 「ところてん」には「すいとん」と云う別名があったのだ 。古川緑波の「(東京地方における意味での)すいとんのことでもなさそうだし」は、本人の意外に的を射ていたと云う程ではないにしろ、的をかすめていた訣だが、それはそれとして「すいとん」では (「水飩」・「水太」を当てることの是非は別にして)、その「す」に「酢」を当てるのは難しいだろう。

もっとも、[守貞謾稿] における説明に関わらず、江戸時代、[ところてん] が酢味でも食べられていた。それは 江戸時代中期の1712年頃刊行の [和漢三才図会] における、[ところてん] への説明の一部に「用薑酸沙糖等食之能避暑也 (薑酸・砂糖等を用いてこれを食せば、よく暑を避くるなり)」とあることや、江戸時代前記から中期かけての俳人椎本才麿 (しいがもと さいまろ 1656--1738) の俳句「からし酢や鼻に夏なきところてん」(1678年刊[江戸新道]) からも窺える。

私は、古川緑波が「ところてんを、酢糸とは、シャレてる」と書いているのを見て、微笑せざるを得なかった。これでは、まるで「スドちゃん」、つまり落語「酢豆腐」に登場する「気障で知ったかぶりの若旦那」そのものではないか。しかし、だからと言って、私は古川緑波の無知を嗤うつもりはない。私自身、言ってみれば[コテコテの関東人] であり、[ところてん] とは「酢醤油・和がらし・一本箸」が基本であって (「浅草の辛子の味や心太」万太郎)、子どものころは、それ以外食べ方があるとは想像だにしなかったからだ ([ところてん] を操りなやみつつ「どうして、こんな食べづらい食べ方をするのだろう」と不思議には思ったが、変わった食べ方がそれはそれで面白かったのも事実だ)。

そうした、私は、かなりの昔のことだが、大阪では [ところてん] に黒蜜を書けると云う話を始めて聞いた時、生理的拒否反応を起したほどだった。冷静に考えるなら、麺状ではなく、サイコロ状に切ってあると云う違いだけで、黒蜜がかかっている [蜜豆] を何の躊躇もなく食べる人間が、[ところてん+黒蜜] を食わず嫌いする方が可訝しい。だから、いま改めて、心を落ち着けてつらつらとジックリ虚心坦懐に考えてみるなら、「歯応えのない葛きり」だと思いこんでしまえば食べられないことは無いような気がしないでもない。試してみる気は無いが。。。

やはり憶断になるが、古川緑波にとっても、ところてんと黒蜜の組み合わせは、想像を絶するものだったのではなかろうか。ここで、憶断に妄想を上乗せすると、もし、古川緑波が、件の「氷屋」で実際に「すいと」を食べていたなら、やはり拒否反応を起してしまったのではないかと私には思えるのだ。そして、その後で彼には是非こう言って欲しい。「いや、酢糸はひと口に限る。」

上記のアマゾンへのリンクのうち、[大阪ことば事典] は、講談社文庫版 (1984年刊) 及び新版 (2004年刊) で、私の持っているのは1979年版。私は [講談社文庫版]、[新版] とも未見だが、同内容だと思う。安藤鶴夫の [わが落語鑑賞] も、私が持っている [落語鑑賞] とは別の刊本で、内容は見ていないが、「酢豆腐」は採録されていて、その限りではほぼ同内容だと思う。

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パスカルのパンセ中の一節「完全な静止は死である」に就いて

本日と言っても、午前1時過ぎ (2012/06/07 01:09:45)、キーフレーズ [パンセ 完全な静止は死である 英語] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

この「完全な静止は死である」は "complete rest is death." と英訳されるのが普通のようだ。ただし、これには前段があって、それは "Our nature consists in motion;" になっている。

たまたま、手元に中公文庫版の [パンセ] があったから、それを参照してみると

われわれの本性は運動のうちにある。完全な静止は死である。
--中公文庫 [パンセ] (パスカル。訳者:前田 陽一、山本 康) p.88 (第2章 [神なき人間の惨めさ]129)

とされている。ただし、勿論、原文はフランス語で

Notre nature est dans le mouvement; le repos entier est la mort.

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メモ:[ハイゼンベルクの顕微鏡] (日経BP社)

所謂 [小澤の不等式] に就いて解説した [ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか] (出版社: 日経BP社 2005/12/28 ISBN-10: 4822282333 ISBN-13: 978-4822282332) を読む機会があって、卒読したのだが、なかなか面白かった。ただ、内容に就いて云云する学力は私にはないので、気がついたことだけを2点書き留めておく。

1. 冒頭 (p.7)、「十九世紀の最終年から四半世紀をかけて描かれてきた龍に、不確定性原理という点睛が入ったことにより、量子力学はカンバスを抜け出して二十世紀の空に舞い上がったのである」とあるが、「点睛」の「点」は「一筆描き入れる」と云う意味だから、「点睛が入った」では「描き入れる」と云う意味が重複してしまう。「瞳が描き入れられたことにより」又は「瞳が点ぜられたことにより」、或いは、単に「点睛により」ぐらいにしておいた方が良かったろう。

なお、「画竜点睛」の原文に就いては、このブログの [「画龍点睛」の出典と訳] や、[三省堂中国故事成語辞典] の [画竜点睛] の項 (p.143) あたりを参照していただきたい ([三省堂 中国故事成語辞典] には原文のほかに書き下し文も示されている)。

2. p.215 冒頭の不等式の不等号は、向きを逆にする必要がある。

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メモ:理科年表 [物理/化学部 レプトンとクォークの性質] における誤植

既に、誰かが指摘している可能性が大きいとは思うが、簡単に検索した範囲では見当たらなかったので書いておく。

平成24年度版 (第85冊) [理科年表] (丸善出版 東京 2011年) の [物127(489)] ページにある表 [レプトンとクォークの性質] において、トップクォーク (t) の質量数値には、単位が脱落しているので GeV を補足する必要がある。

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メモ: 朝永振一郎 [新版 スピンはめぐる] 中の誤植

図書館で見かけた [新版 スピンはめぐる] (著者:朝永振一郎 注:江沢 洋 出版:みすず書房 2008年) が面白そうだったので、借りてきて読んだ (正確には、以前にも「図書館で見かけて面白そうだったので」借りたことがあるのだが、その時は、時間の繰り合わせがつかずに読みそこなっていたのだ。今回は、2度目か3度目である)。

実際、大変面白かった。ただ、「どう面白いか」説明しようとすると、色々と調べたり考えたりしなければならないことが山のように出てくるのが目に見えているので、それだけで辟易してしまう。

だから、気が付いた誤植だけ記録しておく (ただし、[第11話 再びトーマス因子について] と [附録] は、読み飛ばしたので、その部分はカバーしていない)。いずれも文脈上、誤植であることは明白で、ミスリードを引き起こすことは考えにくいから (そうした誤植でも編集時に見落とされことがあるのは、校正の経験者なら何の不思議も感じないだろう。だから「誰が悪い」とか言う話ではない。単に直せば、或いは直して読めば良いだけのことだ)、読むのに障害となるものではない。

  1. p.7 に掲げられている [表1 アルカリ類2重項の内部量子数] 中の第3段 (P流) の第3行の J_\mathrm{P}j_\mathrm{P} とすべきである。

  2. p.64 中の2番目の式 (式(II)と式(III)との間の式番号欠番の式) の左辺 (\mathbf{s}_{1}\cdot \mathbf{s}_{1})\psi(\mathbf{s}_{1}\cdot \mathbf{s}_{2})\psi とすべきである。

  3. p.102 第9行「固有値 E_{z=2}(n_{1},l_{1}), E_{z=2}(n_{2},l_{2})」は、「固有値 E_{Z=2}(n_{1},l_{1}), E_{Z=2}(n_{2},l_{2})」とすべきである。つまり添え字の小文字 "z" は、大文字の "Z" にしなければならない。

  4. p.167 中の式 (8-25) は、末尾を右パーレン "}" で閉じる必要がある。

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