カテゴリー「語義・語法」の39件の記事

"Rolling Stones" 命名の由来について推測したことがあるがハズレだったようだ。

いつのことだったか、「Rolling Stones って、なんで、Rolling Stones って言うんだろう? 」って考えたことがある。

勿論、それまでも "Rolling Stones" は、素直に、諺の "Rolling stone gathers no moss." が典拠なんだろうな、とは考えていた。しかし、「ロック」と「諺」とはそぐわない。この「そぐわなさ」は、うまく説明できないが、「ロック」は、少なくとも表面上は「処世知」と対立するが (日本古語の「傾(かぶ)く」を連想させる。ちなみに、rock は、「体を前後左右に揺り動かす」)、「諺」は「処世知」をスローガン化したものである、と、いったところかもしれない (「そぐわなさ」を「ロック」にすることはできるだろうが、また、「諺」にさえできるかもしれないが、「表層性の深い意味合い」と云った類の話は、ここでする積りはない)。

譬えるなら、ロッカーが

金で買えないものもある。そりゃそうさ。
そんなもん、だけど、どうすりゃいいんだよ。
Berry Gordy and Janie Bradford
--Rolling Stones :::: Money. - YouTube
--マネー - Wikipedia
と歌う時、「どうすりゃいいのか」を云々するのが「諺」なんじゃないだろうか。もっもと、諺と云うものは、様々な状況に対して様々に云々するだけに終わることが多いのだが。

RollingStones_163by258.png


ま、兎に角、その違和感が急に膨らんで、あらためて "Rolling Stones" の命名の由来が気になりだしたのだった。

その時、ちょっとした「言葉遊び」が成立することに気が付いた。


<<== こんなものだ。。。


要素の文字を変えているから、agngram とは呼ぶには難があるが、応急的に semantic anagram とでも名付けておくと、"Rolling Stone(s)" とは、"Rock and Roll" の pseudonym by semantic anagram ではないか、と云うのが、その時思ったことだった。ただ、この思い付きは、そのまま放置してしてしまったのだが。

しかし、今回、本稿を草するにあたって調べた範囲では、これはハズレだったようだ。バンド名 "Rolling Stones" は Muddy Waters (マディ・ウォーターズ) の "Rollin' Stone" (aka "Catfish Blues") によるらしい。

According to Richards, Jones christened the band during a phone call to Jazz News. When asked for a band name, Jones saw a Muddy Waters LP lying on the floor; one of the tracks was "Rollin' Stone".
リチャーズによれば、バンドに命名したのはジョーンズで、それは「ジャズ・ニューズ」にかけた電話中のことだった。バンド名を聞かれたジョーンズに、床にあったマディ・ウォーターズの LP 中の一曲 "Rollin' Stone" が見えたのだ。
--The Rolling Stones - Wikipedia

そして、マディ・ウォーターズ の "Rollin' Stone" そのものは、諺の "Rolling stone gathers no moss." を踏まえているということだ (Cf. "Rollin' Stone - Wikipedia")。

この "Rolling Stones" 命名の逸話は、「ホラ話」(このごろの言い方をするなら「話を盛ってある」) 臭がする から話半分に聞いておくにしても、マディ・ウォーターズ の "Rollin' Stone" に基づいていることはありそうな気がする。しかし、マディ・ウォーターズ の "Rollin' Stone" そのものが諺の "Rolling stone gathers no moss." を踏まえていると云う説明には、私は、まだ釈然としないでいる。

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taxi の語源。「タクシー」に付いているから「タクシーメーター」と呼ぶではなく、「タクシーメーター」が付いているから「タクシー」と呼ぶのだと云う話。

以前から、taxi と云う英単語を見るたびに「変わった綴りだな」と云う思いが頭をよぎっていた。ただ、一瞬して忘れてしまう。

タクシーなど、年に一度、8月に、父の墓のある北関東の山奥に最寄駅から向かう時に利用するだけである。存命だった父に連れられて訪れた昔は、曲がりなりにもバスが、地元民でない人間にも利用するに足る頻度で通っていたのだが、現在では申し訳程度に運行されているだけだ。もっとも、当時は、道路が十分整備されていなくて、幅員に余裕がなく、道路の片方に迫った斜面から伸びた木の枝をこすりぬけながら走るバスが、道路逆側で誘う崖に転がり落ちるのではないかと、子供心にヒヤヒヤしたものだった。

話がズレた。兎に角、私は滅多にタクシーに乗車しない。だからと言っては悪かろうが、事実として "TAXI" への興味が持続しないので、そのまま、「気になる」が膨らむことはなかった。

しかし、先日、外出中にやはり、TAXI と書いた表示を見た拍子に、英語 "taxi" の語源が、古典ギリシャ語 (この「古典ギリシャ語」は「新約ギリシャ語」をカヴァーする、非常に大まかな意味で言っている。本稿のレヴェルでは、「プラトンの頃」と「新約時代のコイネー」の、更には、現代ギリシャ語との区別をしても仕方がないので、以後、単に「ギリシャ語」と呼ぶことにする) の ΤΑΧΥΣ (形容詞「速い」) ではないかと、思い付いたのだ。

勿論、ギリシャ語の Χ を英語に翻字すると、通常 Ch になる (ギリシャ語 Χ を翻字すると通常 Ch になるのは英語に限らないだろうが、ロシア語では通常 Х になるから、話を一般化するのは控えておく) ことは、私のような無知な人間でも承知している。確かに、「キリスト」 (ギリシャ語だと Χριστός) が英語では "Christ" になるのだ。とは言え、キリスト生誕を祝うミサは、"Christmas" だけでなく "Xmas" と表記されることもあるから、"ΤΑΧΥΣ" を語源とする交通機関が "taxi" と名付けられることもあるうると云うのが、私の思い付きの根拠だった。

ちなみに、キリストは、ロシア語では Христос。これをカタカナ化するなら「ハリストス」になる。東京神田の聖橋そばにある所謂「ニコライ堂」は「日本ハリストス正教会」の首座主教座教会である (ただし、ややこしい話だが、「日本ハリストス正教会」の対応ロシア語 Японская православная церковь には Христос 又は、その屈折形は含まれていない)。

さすがに忘れずに帰宅してから調べたのだが、これはハズレだった。

taxi は、もともと、taxicab, 更には taximeter cab の省略形らしい。運行距離に応じた課金高を表示する taximeter を搭載した cab (これ自体も、本来は、一頭立ての二輪馬車を意味する cabriolet の省略形) だという。

そして、以下の文章の要になる情報を示しておくと、「タクシー」に搭載されている料金計だから「タクシーメーター」と呼ばれるようになったのではなく、「タクシーメーター」を搭載した「少人数の乗客を随時運搬して、タクシーメーターに従った料金を請求する車両」を「タクシー」と呼ぶのだと云うことである。

以下の情報は英文ウィキペディアの記事 "Taxicab" 及び "Taximeter" と、ウェブページ "Early Sports and Pop Culture History Blog: Taximeter, Taximeter, Uber Alles - a History of the Taxicab" その他の資料の内容を取捨選択したものである。従って、詳しくは、そして恐らく正確には、原文を確認されたい。

まず、周辺的情報を纏めておくと、ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー (Gottlieb Wilhelm Daimler, 1834年3月17日 - 1900年3月6日) が、彼の盟友ヴィルヘルム・マイバッハ (Wilhelm Maybach, 1846年2月9日 - 1929年12月29日) と共にガソリンエンジン駆動の四輪車 (Daimler Motorkutsche) を発明したのは、1886年である。これは、4輪馬車に、ガソリンエンジンを取り付けたものだった。二人は、1890年に株式会社ダイムラー自動車会社 (Daimler-Motoren-Gesellschaft.略称は DMG) を設立し、1892年に史上最初のガソリンエンジン車 Daimler Motor-Straßenwagen を販売し始める。

DMG は1894年以降、ベルトドライヴ式の "Daimler Riemenwagen" (「ダイムラー・ベルトドライヴ車」ぐらいの意味) を製造・販売していたが、1986年6月、シュトゥットガルト (Stuttgart) の荷馬車業者 Friedrich Greiner (フリードリッヒ・グライナー) が、これに「タクシーメーター」(恐らく、当時、そう云う呼び方で指定されたのではないだろうが) を付け加えたものを注文してきた。これに応じて、DMG が製作したのが "Daimler Riemenwagen Typ Victoria" (「ダイムラー・ベルトドライヴ車」タイプ・ヴィクトリア) である。これは、翌1897年5月に納入された。そして、グライナーの会社は、史上最初のガソリン車によるタクシー会社となった。
参照:The world’s first motorized taxi cab – built by Daimler-Motoren-Gesellschaft - Daimler Global Media Site

この "Typ Victoria" は "Daimler Victoria" と呼ばれることもある。しかし、同時期に、当時 DMG と競合会社であった Benz & Cie. も "Benz Victoria" ("Benz Patent-Motorwagen Victoria" とも呼ばれる) を製造販売しており紛らわしい。

しかし、こうしたことども以前から「タクシーメーター」は存在した。しかも、それを搭載したのは馬車ばかりではなかった。「タクシーメーター」付の「電気自動車」さえ存在したのだ (両者は、結局、ガソリンエンジン型のものに駆逐される)。

「電気自動車」に就いては英文版ウィキペディアの記事 "Electric vehicle" 及び "History of the electric vehicle" を参照されたい。

また、所謂「輪タク」型のものも存在した。1896年の米国ニューヨークの新聞 New-York tribune (ニューヨーク・トリビューン) の記事には、ドイツのベルリンでの「3輪自転車キャブ」が登場したとの報告がある。それは、ドイツでは通常の「辻馬車」に装備されている "taximeter" が付いていて、前輪が1つに後輪が2つで、後輪の上方に乗客が後ろ向きに乗るようなものであったらしい。
参照:New-York tribune. (New York [N.Y.]) 1866-1924, November 15, 1896, Image 31 « Chronicling America « Library of Congress

さて本題に戻ると、「タクシーメーター」の原形を発明したのは、ドイツ (プロシア) の音楽教授ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ネドラー (Wilhelm Friedrich Nedler) だった。彼は、乗客が馬車その他の車両を利用した距離・時間に応じた料金を表示する装置の特許を英米仏独で取得している。彼は、この装置を Taxanome と名付けた。

Taxanom の内、Taxa は「料金」を意味する中世ラテン語の taxa 及び/又は ドイツ語の Taxe (ラテン語 taxa からの転訛) に由来し、nome は「規則・法律」を意味する νομος (nomos) に由来すると思われる (nome の方は、ギリシャ語から直接と云うより、楽曲のテンポを測定するメトロノーム metronome がヒントになった可能性がある)。ネドラーは、株式会社 Taxanom-Aktien-Gesellschaft (タクサノム株式会社) を 1884年にハンブルクで設立した ("Early Sports and Pop Culture History Blog: Taximeter, Taximeter, Uber Alles - a History of the Taxicab" では "Professor Nedler, wound up in Hamburg with his taxanom in the mid-1880s:" となっていて、この言葉通りなら「事業を清算した」になるが、文脈からして、その逆である)。

中世ラテン語 taxa は、ラテン語の動詞 taxo (非難する。値踏みをする。計算する。) から来ている。「税金」を意味する英語 tax も、ラテン語 taxo に由来するから、taxi と tax は同語源という訣だ。

ネドラーのほかに、ハンブルクのクロノメーター (船舶用精密時計) の製造業者フェルディナンド・デンカー (Ferdinand Dencker. ドイツ語版ウィキペディアに "Ferdinand Dencker" と云う項目があるが、これと同一人物だろう) は、Taxanome の改良を行い、例えば、乗客人数や料金体系の変動に応じて、料金表示の変更が容易に行えるようにした。彼も、Taxanome に就いての特許を取得している。

Taxanome の市場規模は大きくなっていき、競合他社も増加して、競争も激しくなっていったが、品質的に優れていたのは、ネドラーの会社と デンカーの会社の2つだった。しかしながら、ネドラーとデンカーとは、1890年7月に Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper (タクサメータ製造所ヴェステンダープ・ウント・ピーパ) と云う会社に、特許を譲渡している。

その詳細は不明である。なお、ここで Taxameter と云う言葉が使われていることに注意。Taxameter から Taximeter への転訛は容易に起こりそうな気がする (特に、ドイツ語 --にしろ、他の特定言語にしろ-- になじみのない場合は、「聞き取った単語相当の音の塊」に期待される意味からの情報補足が欠ける可能性があり、Taxameter を Taximeter と受け取り違えることもありうるだろう)。

現在使われているタクシーメーターの基本形を作ったのは、Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper の技術者だった Friedrich Wilhelm Gustav Bruhn (フリードリッヒ・ヴィルヘルム・グスタフ・ブルーン。1853年11月11日 - 1927年) である。彼の行った代表的な改良は、料金メーター (Taxameter) に「空車」を示すパネルや小旗を取り付けて、それを倒し隠すと課金が始まり、同時に乗客がいることが分かるようにしたことである。

1897年、ブルーンは独立して、やはりハンブルクに、Internationaler Taxameter, G.m.b.H. (インタナツィオナーラ・タクサメータ株式会社) を設立した。事業は好調で、1906年には、ブルーンは、古巣の会社 Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper を買収している。Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper 買収後、ブルーンは、その製品に自分の名前を被せるようにした。例えば、"Taxameter" は "Original Taxameter Bruhn" として販売された。タクシーメーターの「発明者」がブルーンであるとされることがあるのはこのためかもしれない。

しかし、ブルーンが独立した 1897年は、ダイムラー社が、タクシーメーター (恐らく、取引上、当時はまだ Taxameter と呼ばれていたろうが) を搭載したガソリンエンジン車 Typ Victoria を出荷した年である (Daimler Victoria に搭載された Taxameter が Bruhn のものかどうかは確認できなかった)。

ただし、馬車からガソリン車への切り替えにしろ、Taxameter 付きガソリン車の一般化にしろ、すぐに起こったのではない。1906年、イギリス・ロンドンでの特別委員会に証人として出席したブルーンは、ベルリンに 7500台ある cab のうちガソリン車は 300台 に過ぎないと証言している。

それでも、どうやら、この 1906年から1907年あたりが、潮の変わり目だったらしい (「特別委員会」でブルーンが証言したこと自体が、そのことを暗示しているとも言える)。

米国ワシントンD.C.の新聞ナショナル・トリビューン (National tribune) 1907年5月23日号第2頁には、ロンドンでは taximeter を搭載した taxicab と云う自動車が評判で、数多くあり、馬車型の cab を駆逐しつつあると報じている (米国における例だが、既に、"taxicab" そして "taximeter" と云う単語が使われていることに注意)。
参照:The National tribune. (Washington, D.C.) 1877-1917, May 23, 1907, Page 2, Image 2 « Chronicling America « Library of Congress

また、米国ニューヨーク州の新聞ニューヨーク・トリビューン (New-York tribune) 1907年10月1日号第5頁では、New York Taxicab Company が、開業に合わせて、フランスから輸入した taxicab 25台のパレードを、前日、ニューヨーク市5番街で行ったと報じている。
参照:New-York tribune. (New York [N.Y.]) 1866-1924, October 01, 1907, Page 5, Image 5 « Chronicling America « Library of Congress

New York Taxicab Company が購入した自動車は、フランスの A Darracq et Cie 社製のものだった。また、タクシーメーターは、やはりフランスの Société Générale des Compteurs Voitures 社のものだった。

New York Taxicab Company は最終的には A Darracq et Cie から600台の taxicab を輸入したらしい。

この後、数年にして、ガソリン車のタクシーの普及は進み、その製造も一般化する。

Société Générale des Compteurs de Voitures の株券 (1904年) では、taxamètre と表記されていることを注意しておく。

結局、上記のように、既に 1896年には、taximeter と云う言葉が使用されており、taxameter から taximeter への変化は、かなり早かったらしいと云うことしか分からなかった。

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『「メモ:「泉声」の語義 (「百谷泉声」に関連して)」』補足

「ココログ」の「アクセス解析」を見たら、最近、このサイトのページ「メモ:「泉声」の語義 (「百谷泉声」に関連して)」を訪問される方が多いようだ。

まぁ、それはそれで良いのだが、実は、あの記事で、私は、当然含めるべき情報を書き洩らすという失態を演じている。脱稿した後も、全く気が付かず、かなり後になってから、予期しないまま、何かのきっかけで、事実を知った。それほど失念していたのだ。

それは、記事中、引用した詩のうちの最後である、菅茶山の詩が、富士川英郎 (ふじかわひでお) の「江戸後期の詩人たち」で取り上げられていることだ (筑摩叢書 [江戸後期の詩人たち] pp.50-51)。

分かる人には分かってもらえると思うが、これは至極ミットモナイ手抜かりで、見過ごしてもらえるものなら見過ごしてもらいたい態のものだ。そして、私は、実際放置してしまった。しかし、この一時期のことであろうけれども、そして、このささやかなサイトの中のランキングとは言え、注目を浴びている以上、当該記事の欠落を補わない訣にはいくまい。

まったく慚愧に堪えない。お詫びして、補足する。本来なら、関連情報を改めて調べ、その結果ともども報告すべきところだろうが、生憎、時間にも気分にも、余裕がない。情報を、そのままのものとして、お知らせする。

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「場の古典論(原書第6版)」第11章第96節中の用語「擬テンソル」に就いて

今年も押し詰まってしまった。暮れ切ってしまう前に。過去の記事の補足なり訂正なりでよいから、二つ三つ投稿をしようと11月ぐらいから考えていたのだが、ことここに至って、とても無理だということが分かった。

転居を比較的短い間に2度した後整理をサボっていて、蔵書 (と云うほど、大したものではないのだが) の大部分が段ボールの中に入ったまま、そこら中に積みあがっている。であるのに、現在自宅に「自力リフォーム」まがいのことをしており、どの部屋も乱雑を極めていて、段ボールから本を取り出すことがママならない。そのため「話のタネ」として用いたい本が何処にあるのかさえ見当が付かない状態なのだ。

しかし、去年・一昨年のように年間1本と云うテイタラクではないにしろ、今年も数本しか記事を書いていないのは情けないので、枯れ木に花を一輪足すだけにしかならないにしろ、一文をひねり出すことにする。記事として最低限のレベルを確保できるか危ぶみつつ。。。

「場の古典論(原書第6版)」(発行:東京図書株式会社) 第11章第96節「エネルギー・運動量の擬テンソル」(pp.312-319) の用語「擬テンソル」が気味が悪いと云う、それだけ言えば「出落ち」的に話が終わってしまうだけの話を、以下ヤヤ詳しく書くことにする (第96節には一目で分かる誤訳があるが、それこそ「一目で分かる」から全体の文脈には影響しないだろうから、ここではカカヅラワルことはしない。そうした話は、将来「『場の古典論』講読」と云った記事を書く機会があったら、他のものと合わせて取り上げよう)。

「擬テンソル」と云う用語は、「場の古典論(原書第6版)」の pp.19-20 でも出てくる。こちらの方は、私も気にならない。この両者は別物なのだ。

それは、「場の古典論」の記述自身から明らかだ。それが分かる、それぞれに就いて特徴的な文章を摘出しておく。

任意の階数の[擬テンソル],とくに[擬スカラー]は,回転から合成できない変換を除いて,すなわち,回転に帰着させることのできない,座標の符号の変化である反転をのぞいて,すべての変換に対してテンソルのようにふるまう.
--「場の古典論(原書第6版)」第1章第6節「4元ベクトル」pp.19-20

(重力場のエネルギー・運動量擬テンソルである/引用者補足/)t^{ik} の大切の性質は,それがテンソルをつくらないということである。それは、(p.314 での t^{ik} の定義式 96.5 中の/引用者補足/) \partial{h^{ikl}}/\partial{x^{l}} において現れるのが共変導関数ではなく,ふつうの導関数だということからたやすく示される.しかし,t^{ik}\varGamma^{i}_{kl} によって表わすことができ,\varGamma^{i}_{kl} は座標の1次変換にたいしてはテンソルのようにふるまうから (§ 85 を参照),t^{ik} についても同じことがいえる。
--「場の古典論(原書第6版)」第1章第96節「エネルギー・運動量の擬テンソル」p.315

ちなみに、どちらの「擬テンソル」も英語では pseudotensor, さらにちなみにロシア語では псевдотензор である。

後者の「擬テンソル」である「エネルギー・運動量の擬テンソル」は「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」とも呼ばれるので、以下、そう呼ぶことにする。他方、前者を何と呼ぶかが、悩ましい。私としては只の「擬テンソル」としか呼びようがないのだ。しかし、対比の必要上、そうもいかない。仕方がないので、ad hoc な用語として「数学的擬テンソル」と呼ぶことにする。

念のため、一応注意しておくと、単に「テンソル」と云う用語が用いられている場合でも、その意味には大きく分けて2種類あることである。第1は、線形空間又は、その双対空間のテンソル積の元である。第2は、所謂「テンソル場」、つまり,極めて大雑把な言い方で申し訣ないが、可微分多様体の各点に対し、その点上の接空間と余接空間 (つまり接空間の双対空間) とのテンソル積の要素であるテンソルを対応させる写像で、その可微分多様体の構造と両立するものである。

困ったことに、上記の「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」にしろ、「数学的擬テンソル」にしろ、可微分多様体の各点に、テンソル又は擬テンソルを対応させる写像だが、「テンソル場」ではない。

もう少し具体的に言うと、「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」は、擬リーマン多様体の各点から、その点での余接空間2個のテンソル積の要素としのテンソルを対応させる写像だが、底空間をなす擬リーマン多様体の構造と両立していない。但し、余接空間の基底の一次変換に限るならば「テンソル」として振る舞う。

「数学的擬テンソル」の方は、ミンコフスキー計量が付いた実4次元アフィン空間の各点からその点上の接空間、つまり4次元ユークリッド空間に関わる擬テンソルを対応させる写像であるから、当然「テンソル場」ではない。

これを踏まえて言うと、上記の引用から分かるように、座標反転に対して、数学的擬テンソルは、相対論的環境では、擬テンソルとしてテンソルと異なる振る舞いをするが、座標反転も接空間や余接空間に移れば一次変換となるから、ランダウ・リフシッツ型擬テンソルでは、テンソルと同じ振る舞いをする。

ランダウ・リフシッツ擬テンソルは、擬リーマン多様体上の各点に、上記第1意味での「テンソル」を対応させているものの、テンソル場でないのは勿論、擬テンソルを対応させている訣でもないから「擬テンソル場」(今の文脈を離れた広いの文脈で適切な用語となるか疑問だが)でもない。せいぜい、テンソル場に類似する、テンソル場のまがい物と云う意味での「擬-テンソル場」(「擬テンソル-場」ではなく) といったところだろう。私が感じる「気味の悪さ」が分かっていただけるだろうか。

ただし、微分多様体上の「場」である以上、その局所化されえない属性は、本質的に大域的な存在と云うことになる。これに関連して、「場の古典論」の「重力場のエネルギーの空間内の局在化ということを考えるのは,いずれにしても無意味である」と云う記述 (p.316) は示唆に富む (これと同じことを P.A.M. ディラックが「一般相対性理論」の第31章で言っている)。「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」の物理的意味は深い。

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語義: G.N.Watson "a treatise on the THEORY OF BESSEL FUNCTIONS" p.3 の "heavy chain"

G.N.Watson "a treatise on the THEORY OF BESSEL FUNCTIONS" p.3 (第1章) に、次の一文がある。

In 1738 Daniel Bernoulli published a memoir containing enunciations of a number of theorems on the oscillations of heavy chains.
1736年、ダニエル・ベルヌーイは、鎖の振動に関する幾つかの定理をまとめた覚え書きを発表した。

この "heavy" の語感は、「重い」よりも「(個々の環に)存在感がある」に近い。勿論「質量」にも関連していて、詳しくは「無視しえない質量線密度を有する」と云う含意だろう。だから、日本語としては「重い」より「太い」を使いたくなるが、単に「太い」と訳しても、原文における語感と隔たりがある。やや細かく「しっかりとした太さが感じられる鎖」としても、事態は改善されてない。"heavy" の語感を強調すべき文脈ではなく、サラリと訳す必要があるからだ。結局、日本語に訳すなら単に「鎖」とした方が良い。

単振子は「錘」に質量が集中し、錘と支点との間の桿は剛体でありながら、質量は無視されるが、「鎖」の場合は、独立した「錘」は存在せず、支点から懸下した、一定の長さを有する1次元延長体の全体に質量が一様に分布し、かつ、その延長体は、伸び縮みはしないが、自由に変形可能であることが想定されている。

なお、分子医学で、抗体 (antibody 機能名)、つまり、免疫グロブリン (immunoglobulin 物質名) の分子構造の「部品」として、英文で "heavy chain" 及び "light chain" と呼ばれるものがあり、それぞれ「重鎖」及び「軽鎖」と訳されることがあるが (「H鎖」及び「L鎖」と云う用語もある)、分野が異なり、しかも、文脈水準も「マクロな文脈」と「ミクロな文脈」とで異なるので、日を同じくして論ずる訣にはいかない。

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メモ:[幽明録] の一節における「日中当至」に就いて

以前 (十日ほど前?) にも二・三度 [幽明録 日中当至] と云うキーフレーズで、このサイトを訪問された方がいらして、つい調べかかったのだが、現在、私の「脳味噌」は「物理学のお勉強」モードになっていて、[中文/漢文] を喋喋すると、大失態を犯しそうなので、すぐに切り上げて、放置してしまった。

しかし、昨日深夜 (2013/07/12 23:20:05)、やはり、[幽明録 日中当至] なる訪問者がいらしたので、この機会に、全く的外れかもしれないことをお含み起き戴いた上で、前回調査時にチラと考えていたことを、ここに記録しておく。

おそらく、この「日中当至」は、[太平御覧] 所引の [幽明録] (幽明录) 中の次の一節に関わっているのだろう (魯迅の手になる [古小説鈎沈 (こしょうせつこうちん)] にも収められもいる)。

隴西秦嘉字士會,俊秀之士。婦曰徐淑,亦以才美流譽。桓帝時,嘉爲曹掾赴洛,淑歸寧于家。晝臥,流涕覆面。嫂怪問之,云:「適見嘉自說往津鄉亭病亡。二客俱留,一客守喪,一客賫書還,日中當至。」舉家大驚。書至,事事如夢。
--[維基文庫]太平御覽卷四百.人事部四十一「凶夢」
(引用文中「嫂怪問之,云:」の直後のゲタ一字を、他の資料で補った。)


陇西秦嘉,字士会,俊秀之士。妇曰徐淑,亦以才美流誉。桓帝时,嘉为曹掾赴洛。淑归宁于家,昼卧,流涕覆面,嫂怪问之,云:“适见嘉自说往津乡亭病亡,二客俱留,一客守丧,一客赍书还,日中当至。”举家大惊,书至,事事如梦。[御览四百]
--古小说钩沈 [幽明录]
(引用文で [トーフ] になっている「嫂」を補った。)

うーむ。新字体に直しておくか。

隴西秦嘉字士会,俊秀之士。婦曰徐淑,亦以才美流誉。桓帝時,嘉為曹掾赴洛,淑帰寧于家。昼臥,流涕覆面。嫂怪問之,云:「適見嘉自說往津鄉亭病亡。二客俱留,一客守喪,一客賫書還,日中当至。」舉家大驚。書至,事事如夢。

このコンテキストだと 「日中当至」は、「日中マサニ至ルベシ」とでも、読ませたいのではないか。中国語で「日中」は日本語の「正午」又は「正午前後のそれなりの長さの時間」を意味するらしいから、「(手紙は)正午頃には届く筈だ」ぐらいの意味だろうが、私自身の好みを言うなら、[徐淑] が昼寝をしていたことを踏まえて、「夕方までは」としたいところだ。

意味はこんな感じだろう。

隴西の[秦嘉]は、字(あざな) を「士会」と言って、才知に優れた官僚だった。妻は[徐淑]と云う名で、これも才色兼備の名声が流布していた。(後漢第11代) 桓帝の時、嘉は曹掾として (後漢の都である) 洛陽に赴いたが、淑は、自分の実家に戻った。彼女が昼寝した後、涙を流し顔を覆ったので、兄嫁が怪訝に思って尋ねると彼女は「たった今、嘉と遭ったのです。彼自らに、 『津鄉亭に行った所、そこで病死してしまった。津鄉亭に共に滞在していた二名の内、一人は私の遺体の見守ってくれており、もう一人は手紙を携えて、そちらに急行している。夕方までには届く筈だ』と伝えられました」と言ったので、家中が大騒ぎになった。実際、手紙が届くと悉く夢の通りであった。
--2013-08-18 [日] 訳文にカギカッコ 『』 を付加し、閉じの方のカギカッコ 』 と重なる読点を削除した。

色いろ不備もあろうが、今日は、高校のクラス会で、私は、所謂「ケツカッチン」なのだ。と云う訣で、これ以上のことはしないでおく。

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古今亭円菊 [町内の若い衆] における「しかんけの犬」

2012年10月13日に、落語家古今亭円菊が亡くなって、既にほぼ一か月が過ぎてしまった。と、事ごとしく書いたが、円菊さんに就いては、テレビ番組で噺を一・二度聞いたことがあるような記憶がうっすらとあるばかり。後は、やはりテレビか新聞かで、自らの師匠である古今亭志ん生の逸話を聞いたか読んだような気がする。

志ん生は、茶わんに盛った御飯に焼酎を掛けて、茶漬のようにして掻き込んでいたと云うことを聞いたことがあるが、これは円菊さんから仕入れたのかもしれない。何れにしろ、『飲まば焼酎・死なば卒中』と豪語していた志ん生らしい逸話ではある。

それだけの縁しかないのに、なぜこの文章を書き始めたのかと云うと、随分昔に、古今亭円菊の高座で、かすかながらも気になった [言葉尻] があるからだ。「テレビ番組で噺を一・二度聞いたことがあるような記憶」と書いたばかりで胡乱なことを言う、と思われそうだが、実は、彼の高座の口述筆記なら、読んだことがあるのである。

角川文庫に、落語協会が編集した [古典落語] と云う10冊組みの、タイトル通り、古典落語の口演を書き起こしたものが収められている。10冊中初めの2冊は「艶笑・郭ばなし」が充てられているのだが、第2冊の3話めが、円菊師匠演じるところの [町内の若い衆] と云う噺なのだ。

所謂 [艶笑ばなし] に分類されていて、類話と云うことになっている落語 [氏子中] は、1941年10月に、高座に載せることが自粛された53種 (所謂「禁演落語」) のひとつである。私には確認できなかったが、[町内の若い衆] も口演が自粛された可能性が十分あるだろう。事実、現在では、[町内の若い衆] は「かっての禁演落語」として扱われているようだ。

私は落語の [氏子中] を聞いたことはなく、また口演の筆記も読んだことがない。従って、以下の議論は、サイト [落語あらすじ事典 千字寄席] 中の項目 [氏子中(うじこじゅう)] に示された概況に拠るので、自分でも心もとないところがあるのだが、それを留保しつつ断ずるなら、[氏子中] と[町内の若い衆] では、サゲの発想が同工であるとは言え、物語の構造が異なっているのだ。

[氏子中] は、確かに所謂 [バレ噺] だが、[町内の若い衆] は、バレるのはサゲだけで、基本は「真似そこない」型の笑話と看做せる。実際、円菊版の [町内の若い衆] のマクラは、次のような典型的な「真似そこない」話である。

 一席ごきげんをうかがいます。
 ええむかしからこのう、付け燒き刃ははげやすいなんてえことを申しまして、とかくこのう人まねというもんは、これはうまくいくもんじゃございませんよ。まあ、でもむかしは、このう、夏の暑い盛りに甘酒(あまざけ)を売って歩いたなんという商売がございます。
 「あまあーい甘酒ェ」
 「おっ甘酒屋!」
 「へえい」
 「あついかい?」
 「へえい、あつうがんす」
 「じゃ日陰歩きな」
 「ばかにしてるなあの野郎」
 なんてんで、甘酒屋をからかって……。これをそばで聞いていたのがわれわれ同様というのか、少々ぼうーっとしてやつで、
 「旨(ンま)いこと言いやがるなあの野郎、『甘酒屋、あついかい』ってやがる。『おあつうござんす』と言ったら日陰歩けって、ふふん、おれもからかってやれ」
 なんてよしゃいいのに
 「あまあーい甘酒ェ」
 「おいっ、甘酒屋!」
 「へえい」
 「あついかい?」
 「いいえ、飲みごろです」
  「ん、フッフ一杯くれ」
  なんてんでね、逆に飲まされちゃったりなんかしまして……。
  とかくこの人まねというものは、これァうまくいくもんじゃございません。
--[古典落語〈2〉艶笑・廓ばなし 下] (東京。角川書店。角川文庫 1974年) pp.44--45
なお、ここにリンクを付けたアマゾン出品のものは1980年刊。1974年のものを復刊したものか?

また、構造的に、わかりやすい相違点を指摘しておくと、[氏子中] では、女性主人公の妊娠が冒頭から明らかにされて、そこから物語が展開していくのだが、[町内の若い衆] では、女性主人公の妊娠は、物語の完結に直結する最後の段階で明らかにされる。

ちなみに、[落語あらすじ事典 千字寄席] でも項目 [町内の若い衆(ちょうないのわかいしゅう)] の解説で「別話」であると指摘されている。

[落語あらすじ事典 千字寄席] の [氏子中(うじこじゅう)] に従うなら、落語 [氏子中] の現在知られている最古の原話は、正徳2年(1712)、江戸で刊行された笑話集「新話笑眉」中の [水中のためし] だと云う。この [水中のためし] が、その後半世紀経った宝暦12年(1762)刊の「軽口東方朔」巻二 [一人娘懐妊] 等、多くの模擬作品を産んで、その後の落語 [氏子中] につながったと云うことらしい。

ただ、ここで注意しておくなら、女性主人公は [水中のためし] では「下女」であり、[一人娘懐妊] では (私は、概況でさえ不承知なのだが、タイトルからホボ確実に) 「娘」であることだ。「物語」の層では「下女」はカテゴリとして「娘」であるから、笑話と落語 [氏子中] とでは物語としての「風合い」がかなり異なっている。議論を単純化しすぎであることを認めつつも、対比すると、笑話では「娘と後家は若衆のもの」を連想させるような、古代的な、更には、聖婚にまで遡りえるような神話的背景が感じられるのに対し、落語では、せいぜい中世以降、多分に近世的な、それも都市生活者間における cocuage が物語の要になっているからだ。

ただ、ここで実時代における「古代/近世」の対立に固執するのは意味がない。例えば、江戸時代、佐久間某の「下女」であった [お竹] が大日如来の化身であったと云う逸話に、川柳作者たちの間で「町内の若い衆」と同系の神話性が付与される機微を、石川淳は、その [江戸人の發想法について] で鮮やかに指摘している。

  佐久間の下女は箔附のちぢれ髪

  裏に來てきけばをとつひ象に乘り

 お竹大日如來のことは民俗學のはうではどうあつかふのか知らない。某寺の聖のはなしとか流しもとの飯粒を大切にするはなしとかがこれに關係づけられてゐるやうである。しかし、この風變りな如來縁起が市民生活の歴史のなかでいかなる關係物によつて支へられてゐるにしろ、前もつて能の江口といふものがあたへられてゐなかつたとすれば、すなはち江口に於て作品化された通俗西行噺が先行してゐなかつたとすれば、江戸の佐久間某の下女が大日如來の化けるといふ趣向は發明されなかつたらう。江口の君が白象に乘つて普賢菩薩と現じたといふ傳承は前代から見のこされて來た夢のやうなものだが、江戸人はその夢を解いて、生活上の現實をもつてこれに對應させつつ、そこにまたあらたなる夢を見直すことを知つてゐた。そして、かういふ操作がきはめてすらすらおこなはれてしまふので、それがかれらの生得の智慧のはたらきであること、同時に生活の祕術であることを、江戸人みづから知らなかつた。後世が作為の跡しか受け取らなかつたとすれば、當の江戸人はそのとほり駄洒落さと答へてけろりとしてゐるであらうが、じつは後世がむざむざとかれらの智慧にだまされてゐるようなものである。お竹大日如來の場合は、文學のはうではたまたま川柳の擔當になつてゐるので、後生の文藝批評家はなるべくこれをやすつぽく踏み倒すことによつて自家の見識を示さうとする。われわれは、その見識の高下をしらない。
 箔附のちぢれ髪といふ。おもての意味は明かに佛菩薩の螺髪のことをいつてゐる。しかし、箔附のとは、れつきとした、極めつきの、例のあれさ、といふ意味でもある。すると、ちぢれ髪とは何か。按ずるに、ちぢれ髪の女は情が濃いといふ俗説を踏まへてゐるのだらう。ここで「こなたも名におふ色好みの、家にはさしも埋木の、人知れぬことのみ多き宿に」といふ江口の本文をおもひ出しておいてよい。江戸の隠語に、來るもの拒まない女のことを、醫者の慣用藥にたとへて、枇杷葉湯といふ。お竹はけだし枇杷葉湯なのだらう。お竹とはかならずしも佐久間家の婢にはかぎるまい。市井の諸家の臺所に多くの可憐なるお竹がゐて、おそらくは時に町内の若者を濟度することを辭さなかつたのだらう。すなはち見立江口の君である。おろかな、たわいない、よわい女人はここにまで突き落とされたかと見るまに、一轉して後シテの出となる。臺所は「世をいとふ人とし聞けば假の宿に心とむなと思ふばかりぞ」といふ假の宿である。また「惜しむこそ惜しまぬ假の宿」である。すでにして、お竹は「これまでなりや歸るとて」白象に乘つた遠い普賢像であつた。その姿の消えた後に、裏に來て安否をとふものは、かならずやかつて濟度をかうむつた町内の若者の一人なのだらう。憶測をたくましくすれば、この相手方もまた一所不住の浮かれもの、見立西行といふこころいきであらうか。
--[文学大概] (東京。中央公論社。中公文庫 1976年) pp.74--76
--[石川淳選集 第14巻 評論・随筆 4] (東京。岩波書店。1980年) pp.173--174

しかし、現状では考える材料が調えられないので、これ以上、あれこれ頭をひねっても仕方がない。本題に入ろう。

角川文庫版の [町内の若い衆] には、次のようなくだりがある。

「なにを言ってんだい、夫が聞いてあきれるよ。[おっとおっと] って言いやがって、その下に [どっこい] をつけてごらん」
「おっとどっこい……なに言ってんだ、畜生め、ええ、いまなあ、ええ、感心しちゃったんだ、おらあ」
「なに言ってんだあ、感心しちゃ首曲げてやがらあ。しかんけの犬」
「なんだい、しかんけの犬てえのは」
「首を曲げてばかりいるからだよう」
--[古典落語〈2〉艶笑・廓ばなし 下] (東京。角川書店。角川文庫 1974年) p.49
上記引用文で [ と ] とで囲んで在る部分は、原文では「丶」による強調がされている。また、ここにリンクを付けたアマゾン出品のものは1980年刊。1974年のものを復刊したものか?

最初この部分を読んだ時、私には「しかんけの犬」が何を指しているのか分からなかった。そして多分、江戸時代、又は、かっての東京で使われていた「悪態」の一つなのだろうと思ったのだった。

しかし、その後、「町内の若い衆」を別のテキストを読んだ時に、上記引用文では「しかんけの犬」となっているところが「蓄音機の犬」といるのを読んで、自分の勘違いに気が付いた。「首を傾げた」仕草を、音楽レコードのブランドである HMV (His Master's Voice) の商標である犬「ニッパー (Nipper)」になぞらえたのだ。

ただ、「ちくおんき」が「しかんけ」になるのは、[江戸/東京弁] としても、やや特異であるかもしれない。

私自身、東京で生まれ育った人間で、例えば、子どもの頃、夏場に近所の友達と水の掛け合いをしていて、その友達に、水を浴びせた瞬間「シャッケー、シャッケー」と叫ばれた経験がある。その時、私は「『鮭』がどうしたのだろう」と不思議に思うばかりだった。東京近辺だけのことか、それ以外に拡がりがあるか承知しないが、取り敢えず、私の身の回りでは「酒」は「さけ」だが、「鮭」は「しゃけ」だったのである。勿論、「鮭」を「さけ」と呼ぶこともあって、しかも「酒」の「さけ」と、「鮭」の「さけ」とはアクセントが異なるから、混同はしない筈なのだが、私なぞは、子どもの頃、塩を吹いて真白になった中に赤くて堅い切り身が隠れている形で食膳に載る魚は「しゃけ」だと思いこんでいたし、また今でも「鮭」は「しゃけ」でないと、微妙な違和感がある。

勿論、「シャッケー」は「冷やっこい」の訛りである。実際の転訛の変遷を私は知らないが、図式的には「ひやっこい → しゃっこい → しゃっけー」と考えられる。ただ、当時小学校低学年だった私は「冷やっこい」と云う言葉を知らなかったから (家庭内でも使っていなかった。使っていたのは「つめたい」か、「つべたい」だった。もっとも、私の母親は家庭内では、しばしば「おべたい」などと言っていたが、これは、おどけて幼児語化していたのだろう)、連想の浮かびようもなかったのだ。

もっとも、「シャッケー」そのものも、本来は幼児語だった可能性はある。何故なら、江戸時代の江戸では、町内を廻って水を売る商売 (所謂「ボテフリ」の「水売り」) があったが、それは2種類に分けられて、日照りで井戸枯れの時、取り敢えず必要になる飲料水を売り歩く種類と、現在で言う清涼飲料水を扱う種類があった (砂糖を溶かしたり、白玉を加えて売られたらしい) が、少なくとも、この [清涼飲料水] タイプの方の売り声が「ひゃっこいひゃっこい」だったからだ (従って、彼らは「ひゃっこい」とも呼ばれた)。細かく言うなら、文字どおり「ひゃっこい」と発音されていたと云う保証はないかもしれないが、順当に考えるなら、[大のおとな] は、少なくとも、その気になれば、「ひゃっこい」と言えたし、実際にそう発音していたと云うことなのだろう。

後ればせながら断わっておくと、私は自分が所謂「東京弁」を常用しているとは思っていない。「ひ」と「し」の使い分けに難があるだけが、微かにそれらしいだけで、取り立てて「某某弁」と呼べるような特徴のある話し方はしていない筈である (「まっつぐ」なんて言わないよ。「まん真ん中」も余り使わないな。逆に、関西由来と思われる「ど真ん中」は、時どき使っているかもしれない。一番使っているだろうのは、無印の「真ん中」)。実際に聞いてみるならば東京弁使用者を認識することはできる気がするが、「この人は東京弁を使っている」と感じる実体験は滅多にない。それが、東京弁ネイチブ・スピーカーが絶滅危惧種であるためか、私の東京弁認識能力が似非なのか、なんとも言えないだろう (「両方」と云うこともある)。だから、この記事に書いてあることが基本的に間違っている可能性さえあるのだ。

そう断わっておいて、改めて設問すると、で、「ちくおんき」が「しかんけ」になったのは、どう云うことなのか?

実は、この稿を書き始めるまでチャンと考えたことがなかったような気がする。円菊さんが亡くなったから思い出したので、普段は忘れていたからだ。

円菊さんは、当然、この噺を、師匠の古今亭志ん生から受け継いだのだろう。事実、志ん生には(七代)金原亭馬生時代に吹き込んだ「氏子中」のSP盤レコードがあるというが、その内容は、通常の「氏子中」(落語) ではなく、むしろ「町内の若い衆」であると云う。

円菊さんの口演では、静岡茶を褒めるクダリがあって、これは静岡出身である円菊師匠が付け加えたのではないかと思われるが、そのように、全てが志ん生譲りとは言えなかろう。「ちくおんき」が「しかんけ」に変わるに就いては、志ん生、円菊、原稿作成・校正者の3つのレベルが関わりうるのだ。

東京で育った人間なら、例えば「文字焼き (もんじやき) → もんじゃき → もんじゃ」と云う転訛が、ごく自然に受け入れられる。同様に、「蓄音機 (ちくおんき) → ちこんき」と云う転訛なら、当然そう云うこともあるだろう、と、納得できる (「ちこんき → ちこんけ」と云うのもありうるのではないか)。

この原稿を書きだしてから、思いついて google 検索してみて気付いたのだが、「しかんけの犬」や「シカンケの犬」では、現時点で1件もヒットしないが、「チコンキの犬」なら多数ヒットする。

「ちこんき → しかんけ」が、円菊さんの聞き間違え・言い間違えや、原稿作成・校正者のミスと云う可能性も勿論ある。しかし、私は、志ん生師匠自身が、円菊さんの前で「しかんけ」に聞えるような発話をしていたのではないかと思うのだ。「だから何なのだ」と言われると、それまでなのだが。。。

古今亭円菊と同日に、丸谷才一も亡くなった。私はこのブログで、2008年3月頃、彼と大野晋との対談 [日本語で一番大事なもの] 中で取り上げられた引用文に就いての記事を数多く書いているが、その際、肝腎の書名を書きあやまると云う大失態を犯してしまった。その訂正かたがた、必要ならば、記事への補足、又は瑕疵の点検と訂正を行ないたいと思っていたが、全く手つかずのまま、2008年7月の大野晋の死去に続いて、丸谷才一まで鬼籍に入ってしまった訣で、自らの怠惰に忸怩たらざるを得ない。

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メモ: 都筑卓司 [なっとくする量子力学] 及び [なっとくする統計力学]

たまたま図書館で見かけて都筑卓司の [なっとくする量子力学] (講談社。1994年6月) 及び [なっとくする統計力学] (講談社。1993年11月) を借りてきて通読した。子ども (高校生?) のころ読んだ同じ著者の [マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ (ブルーバックス 152)]の記憶が懐かしかったからだ。もっとも、今、思いだそうしてみても [マックスウェルの悪魔] の内容はサッパリ思い出せない (新装版が出ているが、これに就いては、私は語るべきものを持っていない)。勿論、[統計力学] に就いての啓蒙書であったのだろうけれども、その後に僅かながらに学んだ物理学の雑多な知識に覆いかぶされてしまっているようだ。要するに、「面白いなぁ」と思ったぐらいの印象しか残っていないのだ。

いきなり脱線してしまって申しわけない。で、その [なっとくする量子力学] と [なっとくする統計力学] なんだが、読後感が「ビミョー」なのだ。形容が難しいのだが、強いて言えば、「物理学者の楽屋話」とでも言いたいことが所どころに書いてあって、他の入門書を読んでいて引っ掛かっる所が、まさに「なっとくする」かたちで書いてある。そして、(最近の入門書では改まっているものを見受けられるが) 初歩的なことを丁寧に書くと、自らの「沽券」に係わるとでも言いたげな発想から自由であるのも好ましい。

しかし、では、他人様(ひとさま)、特に初学者に薦められるかと云うと、到底出来ない。私のような「面白がり」が一種のゲーム感覚で読むと云う、本来の目的からズレている「利用法」ではなく、フツーに物理学の学習の為に読むには、いかんせん、[誤植/校正ミス] が多すぎるのだ。

一般論としては、[誤植/校正ミス] は書籍に付き物なので、基本的にはその価値に影響しない。そして、[誤植/校正ミス] に気付いた時には、必要に応じて、公表し、情報の共有をすればそれで済むだけのことだ。また、私の個人的感想だが、物理学関連の書籍、それも数式が出てくるレベルのものは、[誤植/校正ミス] が他の分野より格段に多い傾向がある。だから、物理学分野では、ある程度の [誤植/校正ミス] には目くじらを立てないようにしている。

しかし、何ごとにも限度がある。

私はザッと通読しただけなのだが、それでも [なっとくする量子力学] では20箇所以上、[なっとくする統計力学] では、60箇所程度の校正ミスが見つかった (あり体に言えば、[なっとくする統計力学] では、著者校を含めて、校正を行なったとは思えない)。私の見落としもあるだろうし、見誤りもあるだろうが、少なくとも 、[なっとくする統計力学] は出版物として失格している。

ただ、言い添えておきたいのは、2冊とも呆れながらも通読できたのは、文章に読ませる底力があったからだ。著者が「物理」を学ぶ楽しさを読者と共有したいと云う思いが伝わってくる。もし [誤植/校正ミス] がなかったら、物理学過程の副読本として優れたものになっていたと思われ、そうした意味で、残念な本なのだ。

「失格」などと書いた以上、幾つか事実を指摘しておく (煩わしいので、全てをあげることはしない。この2つの書籍の場合「情報の共有」の必要性は小さいと思われる。更に、記号の表記上、説明しやすいものだけにしておく)。

まず、「まだマシ」と言える [なっとくする量子力学] では、「量子力学は20世紀の初期30年間に花開いた」とすべきを「量子力学は19世紀の初期30年間に花開いた」とか(p.15)とか、「全体的に」を「全体的もに」(p.77) とか、「磁束密度」を「磁末密度」(p.123) とか、「正式」を「制式」 (p.147,p.177) とか、正弦関数の記号 sin を sim (p.181 の 5.24 式) とか、「相対論」を「相体論」(p.192) とかの一目で見て分かる「可愛いミス」 (その他、例えば「すなわち分解能」を「すなわ分解能」としているような脱字もある。p.198) だけではなく:

  • p.137 で Cr と Mn の量子数が逆 (6←→7)
  • p.177 で、ウィーンの公式及びプランクの公式 (式5.20) の両方で、指数関数の指数に誤ってマイナス符号が付いている。
  • p.178 の式 (5.21) は、変数が ν ではなく λ だから、左辺を U(ν) ではなく、U(λ) にする必要がある。
  • p.179 の式 (5.22) の第1辺で、指数関数の指数のマイナス符号は不要。
  • p.224 の式 (6.41) の左辺のブレース {} 内第3項の分母の sin は2乗でなければならない。(水素原子内のポテンシャルに就いての電子のシュレディンガー方程式。こう云う所で間違えられると本当に落胆する)
  • p.226 の「ラゲール関数」の定義式で括弧内の指数関数の指数 - n は - x としなければならない。
  • p.258 の式 (7.55) の亀甲括弧内の ν(n,m) の後に t を挿入する必要がある。
  • p.260 の式 (7.63) の左辺の縦ベクトルの第1要素 u の下付きサフィックス m は 1m にする必要がある。

[なっとくする統計力学] でも、p.41 の図1.7 でのサイコロの出目3-2が重複しているので、前の方を、出目の位置を逆転して、2-3にする必要があるとか、p.42 で「2のでる確率」を「3のでる確率」とし、また、エントロピーの計算式の2つ目の等号は削除する必要があるとか、p.197 で、ドイツ語 "Zunstandessumme" は "Zustandssumme" の綴り間違いだとか、p.236 の表6.1でコバルトの元素記号 Co の "o" が数字の 0 になっているとか、p.271 で「宇宙船」は「宇宙線」の誤りだとか、p.285 で、2箇所の「フォトン」は「フォノン」にしなければならないとかの、やはり「可愛いミス」もあるのだが (脱字もそれなりにある。例:p.179 て「固体結晶」が「固結晶」になっている。また p.235 で「反強磁性」が「反強性」になっている)、こちらの方は深刻な間違いも多い。例えば、式や図の 引用で番号が間違っているものが幾つかあって、これは見かけよりも重大になりうる。気がついたものを列挙しておくと (「→」がある場合、左側が原文で、右側が訂正したもの):

  • p.53 第2行「図 2.2」→「 図 2.3」
  • p.66 第1行「(2.5) 式から」→「(2.15) 式から」
  • p.95 下から6行目の「図 3.8」→「 図 3.9」
  • p.106 第2行「図 3.13」→「図 3.14」
  • p.295 第1行「(8.28) 式」→「(8.27) 式」
  • p.295 下から12行めの「(8.30) 式」→「(8.29) 式」

ついでに書いておくと、式番号 (3.3) はp.80 と p.81とで重複している。式 (3.14) の計算での引用 (p.91第10行) を考えると、p.80での (3.3) を削除した方が良いだろう。

また、単純な誤記であっても、等閑視できないものがあって(「→」がある場合、やはり、左側が原文で、右側が訂正したもの):

  • p.65 式 (2.17) の最後の 0 → 1
  • p.96 図3.8で「π/4 ステラジアン」→「π/2 ステラジアン」(ちなみに、p.95に言及があって、そこでは「π/2 ステラジアン」と正しく書かれている)
  • p.103 ページ末尾の式中で 0.131 + 10-2 t2 → 0.131 × 10-2 t2 (但し、式そのものが古いデータに拠っているようだ)。
  • p.106 クーロンの法則の式中の2番目の等号は不要。(ため息が出るほど初歩的な書き間違い)
  • p.121 「z 方向の速度成分が w + w + dw」→「z 方向の速度成分が w と w + dw」
  • p.145 式 (4.35) の2番目の等号は不要。

しかし、深刻なのは、式中にひどい書き間違いがあることだ。ある程度数学や統計物理を学んだ経験がなければ、その瑕疵を修復することは困難だろうから。「ひどくないかもしれない」ものもあるのだが、弁別が面倒なので、取り敢えず、「説明しやすいものだけに限る」と云う原則で指摘しておくと:

  • p.56-p.57 指数関数の指数内にある分母の 2a は全て乗数として分子側に移さねばならない。実際、そうでなければ、p.57 の『a が大きいほど (よくひっくり返るほど)、それは「すみやか」である』と云う記述と整合しない。ちなみに、件の微分方程式の解法を「いわゆる変数変化法により」と説明しているが (p.56)、寡聞にして「変数変化法」なるものを私は知らない。知っているのは「定数変化法」と「変数分離法」だけである。そして、ここでの処理は、所謂「変数分離法」である。
  • p.57 指数関数の指数内にある分母の a + b は全て乗数として分子側に移さねばならない。
  • p.71 log p の前にマイナス記号 (-) を挿入する必要がある。
  • p.91 式 (3.14) の第2辺の最後の項の対数関数の変数部分での分数の分子は 1 → x。そして、第2辺の全体に係数 T を追加する必要がある。好ましいのは、冒頭のマイナス記号の後。
  • p.132 式の3行めの積分範囲の上端 α → ∞
  • p.135 式 (4.23) で第2辺の分母にも t を補う必要がある。
  • p.138 左辺が N12 の式。右辺に u を追加する必要がある。最後が適当。
  • p.139 「これを先の衝突回数の式に代入して」の直後の式で、右辺被積分関数内の分母の (2πkT)2 の指数の 2 は 3 に改めねばならない。また、ここでも、右辺に u を追加する必要がある。(a1 + a2)2 の後が適当。
  • p.139 「公式 (2.26-b) を利用して」の直後の式で、右辺の被積分関数内の指数中の分子の式で、μu122μ12u2 と改めねばならない。また、(a1 + a2) の指数を2にする必要がある。
  • p.156 式 (4.56) の第2辺のブレース {} 内の式第2項の (r0/r)6 には係数 2 が必要。
  • p.180 式 (5.6) で左辺第1項係数の分母 8m → 8πm。また、左辺第2項の π には 指数 2 が必要。(「調和振動子のシュレディンガー方程式を間違えるなよ」と、ツッコみたくなる)
  • p.183 式 (5.12) の (hνi/kT) には指数 2 を書き加える必要がある。同様に、式 (5.13) の (hν/kT) にも指数 2 を書き加える必要がある。
  • p.186 式 (5.16) 分数係数の分母中の c には指数 3 が必要。
  • p.191 熱容量 Cv を求める最初の式で被積分関数 (でなくて係数部分でもよいが) h が抜けている。或いは、分子の (hν/kT2) 中の h の指数を2にして (h2ν/kT2) でもよい。
  • p.195 下から3番目の式で、2つの括弧の夫々の内部の式で最初の項の 1 は x にしなければならない。また、2つめ括弧の中の式の第3項 ix5/5! の前はマイナス (-) でなくプラス (+) にする必要がある。
  • p.196 アインシュタインの比熱式の右辺の e の指数の分母分子を逆転する必要がある。つまり T/θEθE/T
  • p.242 式 (6.39) の第2辺の括弧内第2項の分子 c → 1
  • p.264 式 (7.20) の第1行の最後 nklog nk → nk
  • p.271 フェルミ関数の式の分母の最後の項は - 1 ではなく + 1 にしなければならない。
  • p.272 式 (8.1) の分母の指数中の + 1 は指数ではなく指数関数全体に係るように変更する必要がある。
  • p.283 式 (8.17) の右辺最後 (kT/μ) には指数 2 を付け加える必要がある。

その他、注意すべき箇所としては p.158 の第2行の「ところが係数が小さいと」は「ところが係数が大きいと」の書き誤り、そして、p.283 で「第二の積分は ζ 関数とよばれるもので」とあるが、正確には ζ(2) の2倍である (だから π2/3 になる)。

と、長々と書いたが、実は、この2冊の本を通読して、一番興味が引かれたのは物理学的な内容ではなくて、著者のちょっとした思い出話だった。

いささかくどいかもしれないが、似たような例で、将棋の金を4枚振る場合を考えよう。現在のようにゲーム器の発達していない昔 (戦前といったらいいか) には、これを盤上で振って、盤の隅を駒を回し、歩、香、桂……と順次上っていったものだ。2 が一番でやすく、ゼロや 4 はなかなか出なかった。そのためゼロを「夜桜」とよび、4を「お歯黒」などと称して、1度に 20 とか 50 とかすすむことができる……などという特典が与えられていたような記憶がある。
--[なっとくする統計力学] (都筑卓司。講談社。1993年11月) p.44

これは、所謂「まわり将棋」のことだろう。私も、子どものころ、遊んだ覚えがある。ただし、「夜桜」や「お歯黒」と云った「特典」に特典に就いては記憶がない。私は「戦争を知らない子供たち 」の一人だから、戦前のことを云々されると、「そうだったのですか」とでも言うしかない。むしろ、日本語版ウィキペディア [まわり将棋] (最終更新 2012年8月31日 [金] 22:36) で説明されているように、駒が立ったりした場合に特典がついた (もっもと、[ウィキペディア] では「裏向きの(何も文字が書いていない方が上を向いている)金将が4枚揃う」場合のことも書かれている)。

ただし、4枚とも表になることを「お歯黒」と呼ぶのは納得できる。駒の一つ一つを「歯」に見立てているに違いないからだ。現在の殆どのテレヴィや映画では無視しているが (歴史的・社会階層的に変動があるので、極めて大雑把な言い方になるが) 都市における既婚女性 (公家においては女性に限らないと云った話は、ここでしない) は五倍子(フシ)に含まれるタンニンと鉄とを用いて歯を黒く染めていた。東京墨田区で生まれ育った私の母の幼少時代 (おそらく、大正末年から昭和初年) でも、近所にお歯黒をしていた婦人がいたとのことだから、全く遠い過去の話ではないので、戦前の子供たちにとっても「お歯黒」と云う言葉に甚だしい違和感はなかっただろう。

しかし、4枚とも裏になることを「夜桜」と呼ぶのは、何故だろう?

将棋の金将の裏は、[王将/玉将] と並んで、空白になっている。共に「成り金」にはなりえないからだが (飛車・角行が「成って」竜・馬になることは、この文脈では無視してよい)、空白になっていることと「夜桜」とはどう結びつくのか、考えてしまったのだった。

一番単純には、4枚揃った白木の姿が、夜空に浮かぶ桜の花弁を連想させるのかもしれない、といったところだろうが、八重桜は論外として、通常の桜はバラ科の花の通例として5枚だろう。そこで、ネット上で調べもしたが、納得できる結論は出せないままでいる。

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[ところてん] 雑談。或いは、「スドちゃん」としての「古川緑波」

古川緑波 (1903年8月13日--1961年1月16日。 喜劇人 [古川ロッパ] は、文章をモノする時、[古川緑波] と云う筆名を用いた。読みは同じく 「ロッパ」) に、「氷屋ぞめき」と云う短文がある。手近に得られるだろう刊本では [ちくま文庫] の [ロッパの悲食記] (古川緑波。筑摩書房。1995年) で、表題を含めても2ページ余り (pp.87--89)、33行の短さだ (青空文庫にも収録されている [古川緑波 氷屋ぞめき])。

ロッパの子供時代は、[アイスクリーム] を売っているところが少なかったが「中流以上の家庭には、いまの電気洗濯機がある程度に、アイスクリームをつくる機械があって、時に応じて、ガラガラとハンドルを廻して、つくったものである」(「古川緑波」、こと、古川郁郎は、華族の家に生まれ、姻戚の満鉄役員に養子として引き取られて育ったから、それは「中流以上の家庭」と言って良かろう。おそらく、彼の養家には「アイスクリームをつくる機械」があったにちがいない)、と云う話から始まって、「アイスクリームよりも、もうちょっと安い」[ミルクセーキ] は氷屋で製造販売されていたと云う想い出から、東京と大阪での [氷屋] の違いに話題が移る。そして最後は、次のように結ばれている。

 大阪の氷屋に、「すいと」と書いてあった。
「すいと」とは何だろう。すいとんのことでもなさそうだし――と、きいてみたら、ところてんだった。
 ところてんを、酢糸とは、シャレてる。

古川緑波としては [すいと] を、糸にみたてた [ところてんの突き出し] に酢味のタレをかけ廻したイメージであったろう。しかし、この文章から窺えるように、緑波は「すいと」を実際に食べて (最近の言い方に倣えば「実食して」) いない。それどころか「実見」もしなかっただろう。そのせいだろうか、古川緑波はここで微妙な勘違いをしているようだ。

私は、[氷屋ぞめき] の初出情報を持っていないし、また、料理史に就いては全く無知であるから、全くの憶断になってしまうが、緑波が大阪の氷屋の、恐らくは [品書き] で見かけた「すいと」には、(多分黒蜜をかけることによる) 甘い味付けがしてあった筈である。

現在でも、[大阪府民はところてんに黒蜜をかけてたべるんですか?byケンミンSHOW - Yahoo!知恵袋] での

大阪府民はところてんに黒蜜をかけてたべるんですか?byケンミンSHOW
質問日時:2008/5/23 12:22:01ケータイからの投稿.

と云う質問に対して

はい黒蜜です。
横浜に引っ越したのですが、こちらはおかず/つまみ感覚なので、酢醤油ですね。
大阪では基本的におやつ感覚なので甘い黒蜜です。
目的が違うのだから食べ方が違っていても不思議じゃない。
回答日時:2008/5/23 14:32:4

と云う回答がされている。

ただ、古川緑波が見損なったであろう [すいと] に、黒蜜が懸かっていたであろうと云うのは、今のところ、私の憶断である。しかし、それは少なくとも「酢糸」ではないことは、確かである。

なぜなら、例えば、[大阪ことば事典] (牧村史陽編。講談社。1979年) に [スイト] (名詞) の項があって、次のように説明されている

すいとん [水飩] の約。ところてん。心太。今では死語に近い。
--[大阪ことば事典] (牧村史陽編。講談社。1979年) p.347

とあって、[守貞謾稿] 及び [皇都午睡 (みやこのひるね)] (日本語版Wikipedia [西沢一鳳] の項参照) からの引用を付している。

[守貞謾稿] は [近世風俗志] と云うタイトルで岩波文庫に収められている。[大阪ことば事典] における引用は、[守貞謾稿] の [心太売り] の記述の一部のみであるから、ここで岩波文庫版から全体を転記しておこう (図版は省略する)。

心太、ところてんと訓ず。三都とも夏月これを売る。けだし京阪、心太を晒したるを水飩 (すいとん) と号く。心太一箇一文、水飩二文。買ひて後に砂糖をかけこれを食す。江戸、心太値二文。またこれを晒すを寒天と云ひ、値四文。あるひは白糖をかけ、あるひは醤油をかけこれを食す。京阪は醤油を用ひず。またこれを晒し、乾きたるを寒天と云ひ、これを煮るを水飩と云ふ。江戸は乾物・煮物ともに寒天と云ふ。因みに曰く、江戸にては温飩粉を団し、味噌汁をもつて煮たるを水飩と云ふ。けだし二品とも非なり。本は水をもつて粉団を涼(さま)し食ふを水飩と云ふなり。今世冷し白玉と云ふ物水飩に近し。
--岩波文庫 [近世風俗志 (一)] p.280
[皇都午睡] の方は、[大阪ことば事典] での引用を転載しておく。
心太は、今上製の物をスイトンと云ふ。下品なるをトコロテンと云ふ。是、心太(こころぶと)にて、心太なり。水太(すいとん)も同じ心なるべし。
--[皇都午睡]二編上

つまり、既に幕末の時点で ([守貞謾稿] は天保/1830--1843/年間から約30年に亘って書きつがれたと云う。 本人による補正が完了したのは慶應3年/1867年。[皇都午睡] は嘉永3年/1850年上梓とのこと) 「ところてん」には「すいとん」と云う別名があったのだ 。古川緑波の「(東京地方における意味での)すいとんのことでもなさそうだし」は、本人の意外に的を射ていたと云う程ではないにしろ、的をかすめていた訣だが、それはそれとして「すいとん」では (「水飩」・「水太」を当てることの是非は別にして)、その「す」に「酢」を当てるのは難しいだろう。

もっとも、[守貞謾稿] における説明に関わらず、江戸時代、[ところてん] が酢味でも食べられていた。それは 江戸時代中期の1712年頃刊行の [和漢三才図会] における、[ところてん] への説明の一部に「用薑酸沙糖等食之能避暑也 (薑酸・砂糖等を用いてこれを食せば、よく暑を避くるなり)」とあることや、江戸時代前記から中期かけての俳人椎本才麿 (しいがもと さいまろ 1656--1738) の俳句「からし酢や鼻に夏なきところてん」(1678年刊[江戸新道]) からも窺える。

私は、古川緑波が「ところてんを、酢糸とは、シャレてる」と書いているのを見て、微笑せざるを得なかった。これでは、まるで「スドちゃん」、つまり落語「酢豆腐」に登場する「気障で知ったかぶりの若旦那」そのものではないか。しかし、だからと言って、私は古川緑波の無知を嗤うつもりはない。私自身、言ってみれば[コテコテの関東人] であり、[ところてん] とは「酢醤油・和がらし・一本箸」が基本であって (「浅草の辛子の味や心太」万太郎)、子どものころは、それ以外食べ方があるとは想像だにしなかったからだ ([ところてん] を操りなやみつつ「どうして、こんな食べづらい食べ方をするのだろう」と不思議には思ったが、変わった食べ方がそれはそれで面白かったのも事実だ)。

そうした、私は、かなりの昔のことだが、大阪では [ところてん] に黒蜜を書けると云う話を始めて聞いた時、生理的拒否反応を起したほどだった。冷静に考えるなら、麺状ではなく、サイコロ状に切ってあると云う違いだけで、黒蜜がかかっている [蜜豆] を何の躊躇もなく食べる人間が、[ところてん+黒蜜] を食わず嫌いする方が可訝しい。だから、いま改めて、心を落ち着けてつらつらとジックリ虚心坦懐に考えてみるなら、「歯応えのない葛きり」だと思いこんでしまえば食べられないことは無いような気がしないでもない。試してみる気は無いが。。。

やはり憶断になるが、古川緑波にとっても、ところてんと黒蜜の組み合わせは、想像を絶するものだったのではなかろうか。ここで、憶断に妄想を上乗せすると、もし、古川緑波が、件の「氷屋」で実際に「すいと」を食べていたなら、やはり拒否反応を起してしまったのではないかと私には思えるのだ。そして、その後で彼には是非こう言って欲しい。「いや、酢糸はひと口に限る。」

上記のアマゾンへのリンクのうち、[大阪ことば事典] は、講談社文庫版 (1984年刊) 及び新版 (2004年刊) で、私の持っているのは1979年版。私は [講談社文庫版]、[新版] とも未見だが、同内容だと思う。安藤鶴夫の [わが落語鑑賞] も、私が持っている [落語鑑賞] とは別の刊本で、内容は見ていないが、「酢豆腐」は採録されていて、その限りではほぼ同内容だと思う。

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メモ:理科年表 [物理/化学部 旋光物質] における用語の誤りに就いて

平成24年度版 (第85冊) [理科年表] (丸善出版 東京 2011年) のノンブルで言うなら [物102(464)] にある表 [旋光物質] は、次のようになっている。

物  質   条 件 [α]D20/(°)
果糖 c = 10 -104 (溶解後 6m), -90 (溶解後 33m)
果糖 p = 2 -- 31 -91.9 - 0.11p (平衡に達した後)
ショ糖 c = 0 -- 65 +66.462 + 0.00870c - 0.000235c2
転化糖 p = 9 -- 68 -19.447 - 0.06068p + 0.000221p2
ブドウ糖(右旋) c = 9.1 +105.2 (溶解後 5.5m), +52.5 (溶解後 6h)
ブドウ糖(右旋) p = 1 -- 18 +52.50 + 0.0188p + 0.000517p2 (平衡に達した後)
ブドウ糖(左旋) p = 4 -94.4(溶解後 7m), -51.4(溶解後 7h)
酒石酸 p = 4.7 -- 18 +14.83 - 0.149p
酒石酸 p = 18 -- 36 +14.849 - 0.144p
酒石酸カリウム p = 9 -- 55 +27.62 + 0.1064p - 0.00108p2
ロシェル塩 -------- +29.73 - 0.0078c

問題は、[ブドウ糖] に関する3行、特に3行目だ。これは、[旋光物質] としての「ブドウ糖」に [右旋型] と [左旋型] との2種類あることが前提となっている記載だろう。実際、比旋光度 [α]D20/(°) も、それに対応した値になっている。「右旋性」の物質の比旋光度は正であり、「左旋性」の物質の比旋光度は負であるからだ。

しかし、[ブドウ糖] とは D-glucose つまり、「右旋型 のグルコース」だけを意味し、「左旋型のグルコース」は「ブドウ糖」とは呼ばないのだ。つまり、「ブドウ糖」と書かれているなら、それは、その文脈が [旋光] に関していようがいまいが [右旋型] の化合物なのだ。

「右旋型」は [d-] とか [(+)-] と云う記号を使って表わされることが多い。これに対し、その対比形である「左旋型」は [l-] とか [(-)-] と云う記号を使って表わされることが多い。ここで d は dextrorotatory (右旋性の) により、l は levorotary (左旋性の) によっている。しかし、IUPAC (International Union of Pure and Applied Chemistry/国際純正・応用化学連合) は右旋性・左旋性を表わすのに [d-]・[l-] を用いないように強く勧めているので、以下では、基本的には d /l 対比ではなく(+)/(-) 対比を用いることにする。

例えば、[東京化学同人] 発行の [化学大辞典] で、[ブドウ糖] の項 (p.2019) は [D-グルコース] (p.647) へのクロスリファレンスを与えている (辞書中 [D-グルコース] の項目の位置は [グルコース] に従っている)。

ちなみに [果糖] (p.453) は [D-フルクトース] (p.2048) をクロスリファレンスしているのだが、[D-グルコース] 及び [D-フルクトース] から関連箇所を引用すると:

D-グルコース [D-glucose]
1700年代の末ごろ, ハチ蜜から単離され, ギリシャ語の glykys (sweet) にちなみ命名され, 右旋性を示すのでデキストロース (dextrose), ブドウ汁に含まれるのでブドウ糖 (grape sugar) ともいわれる.

L-グルコースは天然から産出せず, L-アラビノースから合成され, 融点 146~147℃, [α]22D -53°(水, 終末値).
-- [化学大辞典] (東京化学同人 1989年) p.647,648

D-フルクトース [D-fructose]
1800年代の末, ハチ蜜から始めて結晶化され, 果汁に広く含まれるので, ラテン語の fructus (fruit) にちなみ命名された. 大きな左旋性を示すので, 右旋性の D-グルコースをデキストロースというのに対比し, レブロースともいわれる.
-- [化学大辞典] (東京化学同人 東京 1989年) p.2048

ここで、ラテン語に就いて補足しておくと、dextrose の元になったラテン語は「右側へ/右側の」を意味する dexter, 「レブロース (levulose)」の元になったラテン語は「左側へ/左側の」を意味する laevus である。

glykys のギリシャ語原綴は γλυκυς である。

なお、比旋光度をあらわす記号 [α]22D で、測定光と測定時温度の上付き・下付きが、[理科年表] における [α]D20/(°) と逆になっているが気にしないでおく。

ついでに [岩波理化学辞典第5版] からも引用しておこう:

グルコース
アルドヘキソースの1つ. D-グルコースはブドウ糖 (grape suger) またはデキストロースともいい, 代表的なアルドースである. 単糖のうちD-フルクトースとともに最も分布が広く, 遊離状態では甘い果実中に多量に存在し, また血液, 脳脊髄液, リンパ液中にも少量含まれ, 糖尿病患者の尿中には多量に存在する.

L-グルコースはコウマ(黄麻)やある種のキク科植物の葉の加水分解物中に存在すると報告されているが, L-アラビノースから炭素数を増やしてゆく反応で得られる.
-- [岩波理化学辞典第5版] (岩波書店 東京 1998年) p.384

フルクトース
ケトヘキソースの一種. D-フルクトースは果糖 (fruit suger), 左旋糖 (levulose, レブロース) ともいう.
-- [岩波理化学辞典第5版] (岩波書店 東京 1998年) p.1205

[東京化学同人] の [生化学辞典第2版] (1990年。私の手持ちは、この版しかない。現在は第4版である) からも引用しようと思ったがやめておく。引用すべき内容が、特に [D-グルコース] では、[岩波理化学辞典第5版] とほぼ同一だからだ (どちら辞典にたいしても、それを咎め立てているわけではない。為念)。

(炭水化物・糖類の構成単位である) 単糖や (タンパク質・ペプチドの構成単位である) アミノ酸 (それらの誘導体も含む) の鏡像異性体を持つ場合 (殆どの場合持っている訣だが、それはそれはして)、1対存在する鏡像異性体を対比的に区別するため、分子の立体構造の特定の一部分の相違点に着目した D/L 対比と、旋光性の相違 (鏡像異性体は必ず一対で存在し、その一方が右旋性なら他方は必ず左旋性になり、逆に左旋性でないなら右旋性になる) に着目した (+)/(-) 対比に就いて説明することは控えておくが (有機化学の教科書を適宜読んで下さい)、様ざまなところで注意されているように、この2種類の区分は、歴史的な経緯から紛らわしい記号 D/Ld /l が用いられることがあるとは言え、現在の我々の立場からするなら、独立した区分法であることは改めて強調しておくべきだろう。

実際、グルコースにもフルクトースにも D 異性体と L 異性体が存在するが、上述のようにグルコースの D 体は右旋型 ((+)型) であるのに対し、フルクトースのD 体は左旋型 ((-) 型) である。

そして、D-グルコース、つまり「ブドウ糖」と、D-フルクトース、つまり「果糖」は、それ自体、又は、化合物の構成要素として、自然界に広く、そして多量に存在するのに対し (大雑把に言うなら、D-グルコース1分子と D-フルクトース1分子とがグリコシド結合したものがショ糖1分子である)、それぞれの L 異性体は、天然に存在しないか、するにしても僅かでしかない (希少糖)。

生体内の代謝で主要な役割を果たすのは、D-グルコースである。例えば、生化学での解糖系の議論や、食品工業にあっては L-グルコースは無視可能なので、D-グルコースを単に「グルコース」と呼ぶことは普通である。従って、その文脈では「グルコース」は「ブドウ糖」と同義になる。

しかし、これはあくまでも「文脈から明らかであるので」と云う条件のもとでの「D-グルコース」の省略形としての「グルコース」であって、全ての場合に通用する訣ではない。

憶測だが [理科年表] の表 [旋光物質] の作成担当者は、[グルコース] と[ブドウ糖] が同一であると思いこんでいたのだろう。だから「ブドウ糖(左旋)」とあるのは、「左旋体のグルコース」、つまり「L-グルコース」の積もりだったのだろう。しかし、「L-グルコース」は、左旋体の「グルコース」であっても、それを「左旋体のブドウ糖」と呼ぶことはできない。上記のように「ブドウ糖」は「右旋体のグルコース」限定の呼称であるからだ。

この表のように、右旋体と左旋体を区別する場合には、「グルコース」と「ブドウ糖」の混同は、致命的な誤りと言える。。。と言うか、むしろ不思議なのは、[理科年表] のような国民的リファレンスブックにあって、このような初歩的な誤りが、校正者・校閲者・そして恐らくは、読者からも見過ごされていることだ。まぁ、私自身、最近調べものをしている際 ([デキストロース当量] に就いて補足的な記事を書こうとしたのだが、結局纏まらないままでいる) に見るまで気がつかなかったのだから、偉そうなことは言えないのだけれども。

「(右旋)」と「(左旋)」の注意書が必要なのはむしろ [酒石酸] の方だろう。酒石酸は右旋型 (L体) も左旋型 (D体) もともに「酒石酸」と呼ばれているからだ (もっとも、表 [旋光物質] では右旋型酒石酸しか示されていない)。さらに、酒石酸は、分子内の内部補償により鏡像対称性をもったメソ体 (mesoisomer) も、D体とL体の等量混合物であるラセミ体 (racemic modification. 記号 (±)- 又は dl- が付されることが多い) も存在する。ラセミ体の酒石酸は「ブドウ酸 (racemic acid)」とも呼ばれ、「ラセミ体」の名は、これに拠っている。

蛇足的な注意をしておくと、表 [旋光物質] では比旋光度 [α]D20/(°) が統一的に与えられているから、この記事において所謂「コットン効果 (旋光異常分散)」([円偏光二色性 - Wikipedia] 参照) の影響の可能性について考慮する必要は全くない。

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