カテゴリー「日本語/和文」の514件の記事

2009年9月26日 (土)

"pax vobiscum" と「フォースのともにあらんことを」、そして「神ともにいまして」

一昨日朝 (2009/09/24 07:07:05)、キーフレーズ [pax vobiscum 意味] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

"pax vobiscum" なら、私のようなものが一知半解のラテン語知識を振り回さずとも、適切な情報が、ネットの何処かが開示されているに違いない、と、思えたので、一旦は、そのまま「スルー」したのだったが、その後、これが、以前書こうとしたが、何かに取り紛れて書かないままになった二・三の話題に関係していることに気が付いた。

それやこれやを、少し書いてみることにする。纏まりが悪くなるのは、予めご勘弁を願っておきたい。

で、取り敢えず「一知半解」を披露する。

"pax" は勿論「平和」の意 (勿論「ラテン語」)。Pax Romana (パクス・ロマーナ)、Pax Americana (パクス・アメリカーナ) の pax である。"vobiscum" は、人称代名詞第2人称複数もしくは敬意第2人称単数奪格 (「従格」と云う言い方もする) の"vobis" と、 共同・随伴・手段等の含意を有して奪格を支配する前置詞 "cum" との結合である (前置詞 "cum" は、人称代名詞、再帰代名詞、関係代名詞を支配する場合、後置されてしかも一語に融合される)。前置詞 "cum" は、英語で言えば "with" 又は "by" に相当する言葉であるとするなら、あらましは理解できるだろう。

つまり、"pax vobiscum" を英語に置き換えるなら "peace with you" ぐらいになる。しかし、これを、日本語で言い換えようとすると、英語の方に、もう少し補足が必要で、"peace be with you" 「平安の[汝/汝等]とともにあらんことを」 と願望法にまで引き戻して考えた方が良い (願望法だと文章が古格になる)。

更に言うなら、この "pax" は、本来ならば "pax Domini" つまり「主の平安」なのだ。以前、[フランス語で「主の平和」] (2009年7月19日[日]) で引用したように、所謂「ラテン語ミサ」では、その山場ともいえる聖体拝領の儀式の中で "Pax Domini sit semper vobiscum." (絶ゆることなく主の平安の汝等とともにあらんことを) と唱えられるが、その簡略形として "Pax Domini vobiscum" も使われることがあるのである。

このようにすると、"pax vobiscum" と、「神ともにいまして ("GOD BE WITH YOU")」、更に「フォースのともにあらんことを」との並行性が見えてくる。

これに就いては、[NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金])、["May the Force be with you."に就いて] (2004年8月6日[金])、[「フォースのともにあらんことを」と「神ともにいまして」] (2008年5月28日[水]) も参照していただきたいのだが、要するに、これらは全て、神霊的な何かが相手に同伴することを念じている一種の「呪文」なのだ。そして、「神ともにいまして ("GOD BE WITH YOU")」と「フォースのともにあらんことを」とでは、その基本は、これから「旅」に出ようとするものに対する「はなむけの言葉」である。"pax vobiscum" に就いても、その根っこは、やはり、聖体拝受による象徴的生まれ変わりにおける (つまり、人生と云う旅の再出発に対する) はなむけの言葉であろうと、私は思っている。

付言するまでもないかもしれないが、[NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金]) に指摘しているように、"goodbye" も、同じ範疇の挨拶である。

なお、この "pax vobiscum" を、復活したイエスが弟子たちに向かって放った言葉として説明されていることがある (例:ウェブページ「立教大学新座キャンパス・施設紹介チャペル(礼拝堂)」) が、これは私にはヤヤ不審。ラテン語聖書 (つまり、所謂ヒエロニムスの「ヴルガータ/Vulgata」) の範囲内では厳密には少しだけ異なる。Vulgata の [ルカによる福音書24:36] や [ヨハネによる福音書20:19] では、復活したイエスが弟子たちに "pax vobis" と言っていて、"pax vobiscum" ではないのだ。

ここで、一言書いておくと、特にルカの方では " pax vobis ego sum nolite timere" となっていて、その語感は、「あなたがたに平和があるように」(新共同訳) と言うより、「落ちつきなさい。私である。怖れてはならない」になるような気がする。

もっとも、現在のギリシャ語聖書テキスト ([現代ギリシャ語聖書] ではなくて、現代欧米語聖書の基礎となったギリシャ語聖書のオリジナル・テキスト) である Nestle-Aland (ネストレ・アーラント) の "NOVUM TESTAMENTUM GRAECE" (私が所持しているのは第26版だが、現在は第27版になっているようだ) では、該当箇所は、ともに "ειρηνη uμιν" (その前は、"και λεγει αuτοις" で、その後ではセンテンスが停止する) とあるのみで "ego sum nolite timere" に相当する語句 ("εγω ειμι, νη φοβεισθε") は、ヨハネでも(これは当然かもしれないが)、ルカにも見当たらないのだ。これと対応する形で、[新ヴルガータ/Nova Vulgata] では、[ルカ] でも [ヨハネ] でも、単に "Pax vobis!" になっている。つまり、復活したイエスは、ヘブライ語の "שָׁלוֹם" (シャーローム/Shalom) を連想させる挨拶をしたことになる (イエスが何語を話していたかと云う問題は、この際措いておく)。

ただし、これについて Bruce M. Metzger の "A textual commentary on the greek new testament" (2nd ed. 1994) は "εγω ειμι, νη φοβεισθε" を (恐らく[ヨハネによる福音書6:20] に由来する) 欄外注記の混入であると断じている一方で、"ειρηνη uμιν" に関連して、この状況で通常の挨拶の言葉が発せられるかには、若干の疑義が存在することを指摘している (p.160)。

なお Vulgata 内では "pax vobiscum" と云うコロケーションは、[創世記43:23] だけらしい。ただ、実は、この後に "nolite timere" と続くことは注意しておいてよいかもしれない。この "pax vobiscum nolite timere" は新共同訳では「御安心なさい。心配することはありません。」となっている。

こうした「素材」を並べてみると、私には "pax vobiscum" が聖書 (特に、福音書) に由来するというより、ラテン語ミサに由来すると考えた方が良いと思えるのだ。

旅の道連れとしての守護的神霊と云う発想は、所謂「旧約聖書外典」の [トビト記] で、トビトの息子トビアが旅をする際の指南役として天使のラファエルが同伴するし、日本においても、四国巡礼における「同行二人」が良く知られているから、宗教的気分として普遍的なものなのかもしれない。

以下、話が変わる。"May the Force be with you." を「フォースともにあらんことを」と訳す流儀と、「フォースともにあらんことを」と訳す流儀があるようだが、私は「の」派である。

[日本語で一番大事なもの] や [岩波古語辞典] に見られる大野晋の説明を私になりパラフレーズするなら、日本古語に限定する限りでは、元来連体助詞であったものが、主格の助詞に転用されるようになったと云う点では、「の」も「が」も同じであるのだが、「が」は発話者の身内の (より正確には、発話者が身内として扱った) 対象 (自分自身を含む) を受けるのに対し、「の」は、それ以外の、自分自身のみには所属しえない、一般的なもの、尊貴なもの、疎遠なものを受ける。

だから、自分自身を受ける時は「が」を使って「わが門の片山椿まこと汝我が手触れなな土に落ちもかも: nouse (物部広足 [万葉集20]4418/4442)」とか「君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く」(額田王 [万葉集488/491]) とかする訣だ。

「君」を受ける場合でも、その「君」が、自分のパートナーである場合には、「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる」(額田王 [万葉集1]20) と「が」で受けるが、「君」が主君である場合には、「大君の境ひたまふと山守据ゑ守るといふ山に入らずはやまじ」 (読人しらず。笠朝臣金村歌集所収歌。或いは車持朝臣千年の作かとも。 [万葉集6]952/957) とか「大君の みこの柴垣 八節結り 結り廻し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣 」 (志毘臣 [古事記]歌謡109) などと「の」で受ける。

ただし、こうした使い分けは、「扱い」の問題なので、一般的には尊貴な対象であっても、親愛の情を込める時には「が」で受けることもあるようだ。

「が」は、親愛の情だけでなく、狎れ親しんだものから、軽侮の対象を受けることもある。また、本来尊重しなければならないものを、「が」で受けることで、それに対する軽蔑の扱いを表わすこともある。これは大野晋が引用している例だが、[貧窮問答歌] 中の「しもと取る里長が声は寝屋戸まで来立ち呼ばひぬ」(山上憶良 [万葉集5]892/896) では「里長(さとをさ)だから本当は「の」で遠くに扱って敬意を表明すべきなのに、税金を取り立てに来る不愉快な相手なので、『里長が声』」と言っている。」

"May the Force be with you." の the Force は、超越的な能力を指すから、日本古語の通例としては「の」で受けるべきであると云うのが私の考えである。

"May the Force be with you." を「フォースともにあらんことを」と訳したり、或いは、命令形にして「フォースともにあれ」と訳すことがあるようだが、これは論外。引きもどって言うと、"pax vobiscum" にしろ "peace with you" にしろ、「(神の)平安」が「[あなた/あなたたち]とともにある」ようにと願っているのであって、「[あなた/あなたたち]」に「平安とともにある」よう命じているわけではない。それと同様、"May the Force be with you." も "the Force" が「[あなた/あなたたち]とともにある」ようにと願っているのであって、「[あなた/あなたたち]」に「"the Force" とともにある」よう願ったり命じているわけではない。

話が散らばって申しわけないが、改めて、キーフレーズ [pax vobiscum 意味] で再検索 (google) してみると、どうやら "pax vobiscum" はアニメソングのタイトルとして採用されているらしい。それが「PAX VOBISCUM-願わくば平安汝等とともに-SAMURAI DEEPER KYO」だと云うのだが、ここは「ば」ではなくて「は」にしてほしかったなぁ。「願はく」は、「老いらく/老ゆらく」や「思はく/思惑」と同様、動詞の「アク語法」 (一般の呼び方では「ク語法」)であって、名詞相当だから、係助詞の「は」で受けるのが、日本古語として順当なのだ。まぁ、「願はくば」も、常用日本語として定着してしまっているのは確かなのだが。

その他では、Bathory (バソリー) と云うスエーデンのメタルバンドの "Requiem" と云うアルバム (1994年) にも同名の曲が収められている由 (Cf. "Bathory:Pax Vobiscum - LyricWiki - Music lyrics from songs and albums")。

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2009年8月22日 (土)

メモ:「泉声」の語義 (「百谷泉声」に関連して)

20日夜 (2009/08/20 22:18:31)、キーフレーズ [百谷泉声の意味] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

「百谷泉声」と云うと、素直に読み下すかぎり「百谷の泉声」として、その意味は「百の渓谷には泉から湧き出る水の音 (がする)」ぐらいだろうという気がしたが (勿論「百」は「数が多い」たとえ)、こうした文の「読み下し」と「意味」は、文脈によって可成異なってくるのは当然で、それどころか、私のように無学なものは、文脈をチェックしないと、トンでもない間違いをしでかしがちである。

と云う訣で、取り敢えず「"百谷泉声"」で google 検索してみると、書道教室の「お題」がらみで何件かヒットするのだが、その他に、中国語サイトで、[中华古诗文网] (中華古詩文網) 中の [全唐诗逸] のページがヒットした。

この [全唐詩逸] は日本国内の出版である。唐詩を網羅すべく編纂された [全唐詩] に、残念というべきだろうが、同時に当然ともいえる遺漏の詩句を、市河寛斎が全三巻に纏めたものだ。1804年 (文化元年) 刊。

この [中华古诗文网] によるなら「百谷泉声」は、[贺兰暹 (賀蘭暹)] 作の断片11句の内の一つ:

千峰黛色因晴出 百谷泉声欲暮寒

に含まれる。

元元は、「望太宝山」(「太宝山を望む」だろう) と云う詩の一句だそうな。

で、この読み下しなのだが、実は [全唐詩逸] は、その影印の pdf が、[うわづらをblogで] と云うブログサイトに掲載されている (全唐詩逸.pdf)。それに曰わく:

千峰黛色因晴出
百谷泉聲欲暮寒
千峰の黛色 晴に因って出で
百谷の泉聲 暮なんと欲して寒し

素直な読み下しで、私としても異論はない。これで、「一件落着」と思ったのだが、実は、そうではなかった。

一応、作者の [賀蘭暹] と、題にある [太宝山] の情報を補足しておこうと調べ始めたところ、いつものことながら、ジタバタ騒ぎをする羽目になったのだったのだ。

作者の [賀蘭暹] は、ネットを検索してもはかばかしいデータを得られなっかったが、彼は、氏名と詩断片とのみならば、日本で古くから知られていた詩人だったらしい。何故なら [和漢朗詠集] に、次の2句が見られるからだ (実は、この2句も [全唐詩逸] に収められている。と云うか、むしろ [全唐詩逸] の方が、[和漢朗詠集] から引用したのだろう):

黛色迥臨蒼海上。
泉声遥落白雲中。

(百丈山)
黛色迥(はる)かに 蒼海の上に臨み
泉声遥(はる)かに 白雲の中(うち)に落つ

--[和漢朗詠集 巻下]491「山」
秋水未鳴遊女佩。
寒雲空満望夫山。

(寄所思佳人)
秋水 未だ遊女の佩を鳴らさず
寒雲 空しく望夫の山に満つ

--[和漢朗詠集 巻下]718「遊女」

ここで、私は戸惑ってしまった。[百丈山] の句「黛色迥臨蒼海上。泉声遥落白雲中。」にも「泉声」の語句があるが、これは「泉から湧き出る水の音」と云う解釈には馴染まない(「[全唐詩逸] を覗いた時に気が付けよ」と、自分でも思うのだが、事ほど左様に私は迂闊だと云うことだとでも言うしかない)。

実際、[和漢朗詠集] の通常の注釈では、この「泉」を「滝」と解しているようだ。うーむ。「滝」....

「滝」と言っても、色色で、ナイアガラ瀑布と云ったものは、別範疇として除外するにしても、全てが [華厳の滝] や [那智の滝] のようなものばかりとは限るまいから、あまりこだわる必要はないのかもしれないのだが、「泉」を「滝」とするのにも抵抗を感じたのだ (勿論、ここで言う「滝」とは、日本語の「タキ」のことである。この「滝」を「タキ」の意味に使う用法は、日本独特らしい)。

つまり、私は、「泉声遥落白雲中」や、更に遡って「百谷泉声欲暮寒」の「泉」が、日本語で云う「イヅミ」と解釈するのには問題があることに気付いたものの、それを「タキ」と捉えることにも抵抗を感じたのだった。

「泉」の釈義は、ひとまず措いておくとして、改めて感じなおして見ると、私にとり、この「泉声」の情景としてしっくりするのは、川の最上流部で、流れが速く、水音が確かに聞こえてくると云うものだった (水量の多寡に就いては、どちらでもありうるだろうから、判断を保留しておく)。

と、ここまで考えて、日本語でも、少なくとも、古くは、そうした流れを「タキ」と呼んでいたことに気が付いた。「瀬を早み岩にせかるる滝川の」とは、まさにそうした情景である。コレまた迂闊なことではあった。

話の纏まりが悪くて申しわけない。混乱を避けるために言い直すと、「タキ」と云う表現や概念を排除しないものの、私には、この「泉」が、何よりも「(川の上流部の) 早瀬」のようなものに思えるのだ。

だから、王維の [過香積寺 (香積寺を過る)]
不知香積寺  知らず 香積寺(こうしゃくじ)
數里入雲峯  数里 雲峰に入る
古木無人徑  古木 人径無し
深山何處鐘  深山 何処の鐘ぞ
泉聲咽危石  泉声 危石に咽ぶ
日色冷青松  日色 青松に冷やかなり
薄暮空譚曲  薄暮 空譚の曲
安禪制毒龍  安禅 毒竜を制す
--王維 [過香積寺] (岩波文庫 [王維詩集] 岩波書店。東京 1972年。p.152)

においても、「泉聲咽危石」は「きりたつ岩にむせぶ泉の音」(岩波文庫 p.153) と解釈するより「切り立つ岩に早瀬が当たってむせんでいる」とした方が良いように思える。

こうした機微は、江戸時代の漢詩人には、皮膚感覚として理解されていたのかもしれない。管茶山が、其の死 (1827年) の数日前に詠じたという [病中即事] には

月露秋容嫩  月露 秋容嫩く
風軒暮色敷  風軒 暮色敷く
少間離病蓐  しばし病蓐を離れ
俄頃隠書梧  いささか書梧に隠(よ)る
幽澗泉声小  幽澗 泉声小にして
遙村火影孤  遙村 火影孤なり
従茲経幾日  これより幾日を経べし
転惜此宵徂  転た惜し 此の宵の徂くを
--病中即事

とあるそうだが、この「幽澗泉声小」は、人気(ひとけ)の無い谷川に水が音低く流れていることを描いているのだろう。

[太宝山] は未詳。所謂 [嵩山] は、かって [太宝山] と呼ばれたことがあったらしいが (「嵩山 (SongShan):中国五岳之一。春秋前称太宝山」--地理教師网)、賀蘭暹の詩との関係は何とも言えない。

一応、纏めるならば、「百谷泉聲」とは、「(太宝山の峰峰の合間あいまの)数多くの谷のそれぞれから聞こえてくる早瀬の水音」と謂ったところか。

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2009年5月15日 (金)

「をのこども詩を作りて歌に合はせはべりしに、水郷の春望といふことを」の英訳

本日未明 (2009/05/15 03:43:19)、キーフレーズ [をのこども詩を作りて歌に合はせはべりしに、水郷の春望といふことを english] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。リモートホスト名から推測するにアメリカ合衆国東部の大学からのアクセスらしい。恐らくは「をのこども詩を作りて歌に合はせはべりしに、水郷の春望といふことを」の英訳をお探しなのだと思われる。

後追いで検索してみた所、 (別のオプションや設定では別の結果が出ているかもしれないが) このサイト以外はヒットしなかったのは意外だった。そして残念なことに、このサイトには「をのこども詩を作りて歌に合はせはべりしに、水郷の春望といふことを」に関連する情報はなかったのだ。

勿論、これは新古今和歌集第一巻に収めされた後鳥羽上皇御製の

見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ
--[新古今和歌集1]36

の詞書だから、新古今和歌集の英訳本 (あることはあるらしい。"The shin kokinshu; the 13th-century anthology edited by Imperial edict. by Heihachiro Honda - Alibris" を参照)には、それが訳出されている可能性が高いが、生憎私は未見で確認することができない。

ただ、次のような感じになるのではないかと思う:

When some vassals were composing Japanese verses in reply to a Chinese poem, the ex-Emperor versed a spring landscape of a province with a river running through:

ついでに、所謂「新古今三夕 (さんせき)」も引用しておこう。

題しらず
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮
--[新古今和歌集4]361 寂蓮法師

心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕暮
--[新古今和歌集4]362 西行法師

西行法師すすめて百首歌よませ侍りけるに
見わせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
--[新古今和歌集4]363 藤原定家

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2009年5月 8日 (金)

續日本後紀第九巻仁明天皇承和七年五月「庚辰。停五日節 以後太上天皇不豫也」

昨日遅く (2009/05/07 23:33:20)、キーフレーズ [庚辰。停五日節 以後太上天皇不豫也] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

或いは、既に目的の情報を得られているかもしれないが、一応書いておくと、この言葉の出典は續日本後紀卷第九の仁明天皇承和七年五月の条にあると思われる。

    参考になるかもしれないサイト:
  1. 久遠の絆ファンサイト IN 台湾新編 續日本後紀卷第九 仁明天皇
  2. XMLの日本古典への応用の試み続日本後紀
  3. 國學院大學デジタルライブラリー続日本後紀 巻五 Page 015

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2009年3月 8日 (日)

長唄「都鳥」: たよりくる 船の内こそ ゆかしけれ 君なつかしと 都鳥...河上遠く 降る雨の 晴れて 逢う夜を 待乳山

数時間前 (2009/03/08 18:43:25) に、キーフレーズ [待乳山、逢ふて、うれしき、あれ、みやしゃんせ] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだが、ここに限らずはかばかしい結果は得られなかったのではなかろうか。

問題のキーフレーズは、恐らく長唄の「都鳥」の一節と思われるので、そちらに重点を移して検索することをお薦めする。

例えば、グーグルで [長唄 都鳥] を検索するとヒットする [nagauta] と云うウェブページが参考になるのではないかと思われる。

その「都鳥」の項に、次のようにあった:

都鳥

(本調子)たよりくる、船の内こそ、ゆかしけれ、君なつかしと、都鳥(合)幾代かここに、隅田川は、往来の人に、名のみ問はれて(合)花の蔭、水に浮かれて面白や(合)河上遠く、降る雨の(合)晴れて、逢う夜を、待乳山、逢ふて嬉しき、あれ見やしゃんせ、つばさ交はしてぬるる夜は、いつしか、更けて、水の音(合)思ひ思ふて、深みぐさ、結びつとひつ、みだれ逢ふたる、よもすがら、早やきぬぎぬの、鐘の声(合)憎やつれなく、明くる夏の夜

解説

 安政二年、二代目杵屋勝三郎の作曲で、清水清玄と桜姫の書き替え狂言である、(以下略)
--nagauta


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2008年3月21日 (金)

Oh, to be in England
Now that April's there,
And whoever wakes in England
See,.....

作者:ブラウニング 出典:"Home thought from Abroad"
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.39

丸谷才一の説明:薄田泣菫の詩「大和にしあらましかば」は、この詩をまねた。しかし、「おお」oh では、あまりしみじみとしない。それで「ああ」としたのだが、これは、「あはれ」 の「あ」に引き摺られたのだろう。

Home thought from abroad
Oh to be in England
Now that April's there,
And whoever wakes in England
Sees some morning, unawares,
That the lowest boughs and the brushwood sheaf
Round the elm-tree bole and in tiny leaf"
While the chaffinch sings on the orchard bough
In England now!
--Robert Browning "Home thought from Abroad"

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

作者:ヴァレリー 出典:"Le Cimetière marin"
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.86

Le vent se lève !… il faut tenter de vivre !
L’air immense ouvre et referme mon livre,
La vague en poudre ose jaillir des rocs !
Envolez-vous, pages tout éblouies !
Rompez, vagues ! Rompez d’eaux réjouies
Ce toit tranquille où picoraient des focs !
--"Paul Valéry: Le Cimetière marin" 1920

堀辰雄が、"Le vent se lève, il faut tenter de vivre." を「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳したが、「やも」は反語なので、原文の意味に反する。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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  女をかたらはんとてめのとのもとにつかはしける
かくなんとあまの漁火ほのめかせ磯辺の波の折もよからば

作者:源頼光 出典:[後拾遺和歌集11]607
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.134

口語的な「なん(なむ)」が和歌本体中に使われている例。お姫様を誘惑するために乳母に贈った歌。「かくなん」は乳母のセリフ。
大野晋の解:「お姫様に接近するいい折があったら、『ここです』と、漁火をほのめかせ」

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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居り明かしも今宵は飲まむほととぎす明けむあしたは鳴き渡らむぞ

作者:大伴家持 出典:[万葉集18]4068/4092
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.385

勧誘の「む」。
丸谷才一による解:「徹夜で今夜は飲みましょう。徹夜で飲んだその翌日にはほととぎすが鳴くことでしょう」
この歌には [二日は立夏の節に応る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ] と云う注記がある。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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をとつひも昨日も今日も見つれども明日さへ見まくほしき君かも

作者:橘文成(たちばなのあやなり) 出典:[万葉集6]1014/1019
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.240

「さへ」の用例。
大野晋による解:「一昨日も逢ったし、昨日も逢ったし、今日も逢ったけれども、さらに加えて明日も逢いたいと思うあなたです」

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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をち水[ヲ]イ取り来て

作者:不詳 出典:[万葉集13]3245/3259
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.328

『万葉集』中接頭辞イを有し、文脈から平面上の移行に関する意味を有すると判断できる動詞の8例の一つとして、大野晋が挙げているもの。
天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも (作者不詳 [万葉集13]3245/3259)」

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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をしめども春の限りの今日のまた夕暮れにさへなりにけるかな

作者:読人しらず 出典:[後撰和歌集3]141
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.240

「さへ」の用例。大野晋の解説によると、「さへ」は後になると「...までも...だ」の意味になっていった。歌の意味は「今日で春は終わりだと思いつめているのに、そのまた夕暮れにまでもなってしまったことだなあ」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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惜しめども散り果てぬれば桜花いまは梢をながむばかりぞ

作者:御白河院 出典:[新古今和歌集2]146
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.99

「である」を意味する「ぞ」は新古今には少ないが、この歌は、丸谷才一の紹介するそうした例。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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岡に寄せ我が刈る草のさ寝がやのまこと和やは寝ろとは言なかも

作者:東歌 出典:[万葉集14]3499/3520
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.366

「かも」の用例。
大野晋の説明:「言なかも」とあって、「かも」は体言を承けるから、その上の「な」は連体形。「まこと和やは寝ろとは言なかも」は、「本当に和やかに一緒に寝ろとはおまえは言わないんだね」の意味になる。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子

作者:与謝野寛 出典:紫
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.39

近代和歌での感動詞「ああ」の用例。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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我のみや世をうぐひすとなきわびむ人の心の花とちりなば

作者:読人しらず 出典:[古今和歌集15]798
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.129

「や」の用例。
大野晋による解:「あなたの心が花のように散ってしまって、私への思いを捨ててしまったならば、私だけは、世の中がつらいと泣いて力を落とすでしょうね」。
「世をうぐひす」と言う時には、「うぐひす」の「う」だけにかかるのか、あるいは、「憂し」にかかるのか、と云う丸谷才一の質問に対して、大野晋の回答は、「世をうぢ山と人はいふなり」では「世を」は語幹の「う」だけに係っているが、この歌の「世をうぐひす」では、「世を」は「うぐ」に係っていると看做すべきだが、それは長くかかるほうが自然だと云うことだけで、「う」だけに係ると考えてもよい。
私 ([ゑ]) なりにパラフレーズすると「あなたが私を思ってくれる心の花が散ったとしても、私の方はあなたを思い続けて、花を失った鴬が嘆き鳴くように、『この世は憂し』と嘆き泣くでしょうね」。

参考(『古今和歌集』での前後の歌):
色見えでうつろふ物は世中の人の心の花にぞ有りける (小野小町 [古今和歌集15]797)
思ふともかれなむ人をいかがせむあかずちりぬる花とこそ見め (そせい法師 [古今和歌集15]799)

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われし羨しも

作者:大伴宿奈麻呂 出典:[万葉集4]533/536
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.324

「し」の使用例。下に条件句が来ていない例。「難波潟潮干のなごり飽くまでに人の見る子を我れし羨しも (大伴宿奈麻呂 [万葉集4]533/536)」

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われこそは憎くもあらめわが宿の花たちばなを見には来じとや

作者:不詳 出典:[万葉集10]1990/1994
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.143, p.177

「こそ...め」の已然形係結びの例。大野晋の説明と解:男と女が喧嘩して、男が女の家から怒って帰った。女は男に挨拶の歌を贈った。「われこそは憎くもあらめ」の意味は「私のことは憎いでしょうけれど」で (つまり「こそ」の結びは「ど型」)、だから私には会いにこなくてもいい。「(...けれど、)私の家の花たちばながきれいに咲きました。その花は見には来ないと云うわけですか」。

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わびぬれば身を浮草の根を絶えてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ

作者:小野小町 出典:[古今和歌集18]938及び仮名序
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.333

「を」の用例。『日本語で一番大切なもの』中に解は見当たらないので、私なりのものを付けておく:「我が身の上は、浮草と同じに根のない『憂き暮し』をしていて、心細いのですが、浮草である以上、誘ってくれる水があるのなら、そこに流れ去ろうと思います」。已然形 + 「ば」だが、単純な順接ではなく、気分に一旦「溜め」がある。

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海の底おきを深めて生ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき

作者:不詳 出典:[万葉集11]2781/2791
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.164

大野晋の解:「いまこそ私の恋のせつなさはなんともするすべがない」

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わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそわが恋やまめ

作者:遣新羅使 出典:[万葉集15]3605/3627
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.386

「こそ」の用例。
大野晋の解と説明は以下の通り:「海に流れている飾磨川の水が絶えている日はないように、私のこの恋の思いはやむ時はないにちがいない」。「絶ゆる日にこそ」ではなくて「絶えむ日にこそ」と言っている。「絶ゆる日」と言うと、明らかに絶えるのが目の前に確かにある感じになるが、「絶えむ日」と言うと、それは自分の観念の中で思っていることだと云うことを、ちゃんと表わしている。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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忘れても人に語るなうたたねの夢みてのちも長からじよを

作者:馬内侍 出典:[新古今和歌集13]1161
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.346

「を」の用例。丸谷才一によるなら、三通りの解釈が可能:
「二人がいま関係してすぐに明けるであろう夜のことを人に絶対語るな」
「人に語るな、一夜を共にしても長くはあるまいと思われるわれわれの命なのだから」
「人に語るな、うたたねの夢のような恋を味わったのち、すぐに夜は明けるのに(つまり、二人の仲は長く続かないであろうに)」

こう説明されると「ナルホドネー」とでも言うしかないのだが、どうもピンとこないなぁ。まず、「忘れても人に語るな」が係っているのは「うたたねの夢」なのか、「長からじよ」なのか、と考えると、「うたたねの夢」、つまり「儚い逢瀬」と「忘れても人に語るな」とは素直に繋がる。では「長からじよ」と「忘れても人に語るな」の方はどうかと云うと、「『よ』が長くないから、忘れてもいいけれど、人には話さないで」となって、意味不明だ。

「私の読みが浅いのかしらん」と思いながら、仕方がないので、取り敢えず、問題を迂回して、馬内侍の歌で「忘れ」と「人に語るな」の用例を探していたら、[時代統合情報システム 新古今和歌集 巻第十三] では当該歌が、次のように表記されていた:

わすれても-ひとにかたるな-うたたねの-ゆめみてのちも-なからへしよを (馬内侍 [新古今和歌集13]1161)

「長らへしよを」か...。意味が通じてしまうなぁ。こんな感じだろうか:「私たちの恋のことは忘れても構いませんが、人には話さないでくださいね。『うたたねの夢』のようなあの儚い逢瀬が終わった後も、私たちは世の中を生きてきているのですから」。

「時代統合情報システム」は、どこから「なからへしよを」を何処から引っ張ってきたのか不明なので、裏付けの取りようがない。そして、どちらにしろ現状では圧倒的に少数派だ (単独で孤立している?)。私にとっては、「長からじよを」では意味が取りにくいが、「長らへしよを」なら意味が通じると云うことだけが、根據なんだが、無視する気は起こらない。今後の見当材料として、ここに書いておく。

なお、この歌の詞書は「人に物いひはじめて」である。つまり「釘を刺した」ぐらいの意味なんだろう。このことも「なからへしよを」採用の補強証拠になるかもしれない。

参考 (馬内侍の歌の中で「忘れ」や「人に語るな」が詠まれいる例):
  かへる雁をよめる
とどまらぬ心ぞみえん帰る雁花のさかりを人にかたるな
(馬内侍 [後拾遺和歌集1]70)

  忘れじと言ひ侍りける人のかれがれになりて、枕箱とりにおこせて侍りけるに
玉くしげ身はよそよそになりぬとも二人ちぎりしことな忘れそ
(馬内侍 [後拾遺和歌集16]924)

  雪のあした人のまで來て、かくならひて來ずば、いかゞ思ふべきと申しければ
忘れなば越路の雪のあと絶えて消ゆるためしになりぬばかりぞ
(馬内侍 [金葉和歌集(三奏本)8]445)

  左大将朝光、誓言文(ちかごとふみ)を書きて、代りおこせよと責め侍りければつかはしける
ちはやぶる賀茂のやしろの神も聞け君忘れずは我も忘れじ
(馬内侍 [千載和歌集15]909)

やとかへて-にほひおとるな-うめのはな-むかしわすれぬ-ひともあるよに (馬内侍 [続古今和歌集17]1498)

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忘れてはうち嘆かるる夕べかなわれのみ知りて過ぐる月日を

作者:式子内親王 出典:[新古今和歌集11]1035
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.344

「を」の用例。『日本語で一番大切なもの』における説明:接続助詞としての「を」と格助詞としての「を」が重層的になっている。このため「月日を忘れては」とも「月日なるものを」ともとれる。

『新古今和歌集』における、この歌の前後の歌:
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする (式子内親王 [百人一首]89/[新古今和歌集11]1034)
わが戀は知る人もなしせく床のなみだもらすな黄楊の小まくら (式子内親王 [新古今和歌集11]1036)
3首全体の詞書:「百首歌の中に、忍戀を

この歌の重層性に就いては、『日本語で一番大切なもの』p.345-p.355 で丸谷才一と大野晋が語っている通りだが、私なりに補足すると、「うち嘆かるる」、つまり「ふと溜め息をつく」のは無意識的な行為だが、「忘れ」るのは、意識的に意識の外へ追い出したとも、無意識的に意識から消失したともとれることだ。つまり、以下の全ての解が重層的に成立して、共鳴しあっている:
「この秘めた恋を『忘れてしまおう』と忘れてみたら、ふとため息が出た夕べです。私だけが知っている、これまでの月日があるのです」。
「これまでの秘めた恋の月日を『忘れてしまおう』と忘れてみたら、ふとため息が出た夕べです」。
「気が付くと、『秘めた恋』が心の中から消えていて、ふとため息が出た夕べです。私だけが知っている、これまでの月日があるのです」。
「気が付くと、これまでの『秘めた恋』の月日が心の中から消えていて、ふとため息が出た夕べです」。

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分けてやる隣もあれなおこり炭

作者:一茶 出典:七番日記
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.152

「あれな」を使っている例。岩波文庫『一茶俳句集』p.199 [文化後期]。岩波文庫『一茶七番日記(上)』 p.412 文化10年10月

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和気い申してあり

作者:菅野真道 et al. 出典:[続日本紀26]宣命34
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.313

主格にあたる使い方の「い」。

参考 (菅野真道 et al. [続日本紀26]宣命34):
八月庚申の朔、從三位和氣王(わけのおほきみ)、謀反(むへん)に坐(つみ)せらさて乃(すなは)ち誅(ちう)せらる。
詔(みことのり)して曰(のたま)はく、
「今(いま)和氣(わけ)に勅(の)りたまはく、先(さき)に奈良麿(ならまろ)らが謀反(むへん)の事(こと)起(おこ)りて在(あり)し時には、仲麻呂(なかまろ)い忠臣(ただしきおみ)として侍(はべ)りつ。然(しかる)に後(のち)に逆心(さかしまにあるこころ)を以(もち)て朝庭(みかど)を動(うごか)し傾(かたぶ)けむとて兵(いくさ)を備(そな)ふる時に和氣(わけ)い申(まを)して在(あ)り。此(これ)に依(よ)りて官位(つかさくらゐ)を昇(あ)げ賜(たま)ひ治(おさ)め賜(たま)ひつ。かくはあれども仲麻呂(なかまろ)も和氣(わけ)も後(のち)には猶(なほ)逆心(さかしまにあるこころ)以(もち)て在(あり)けり。復(また)己(おの)が先靈(おやのみたま)に祈(いの)り願(ねが)へる書(ふみ)を見(み)るに云(い)ひて在(あ)らく、『己(おの)が心(こころ)に念(おも)ひ求(もと)むる事をし成(な)し給(たま)ひてば、尊(たふと)き靈(みたま)の子孫(うみのこ)の遠(とほ)く流(なが)して在(あ)るをば京都(みやこ)に召(め)し上(あ)げて臣(おみ)と成(な)さむ』と云(い)へり。復(また)『己(おの)が怨男女(あたをとこをみな)二人在(あ)り。此(これ)を殺(ころ)し賜(たま)へ』と云(い)ひて在(あ)り。是(こ)の書(ふみ)を見(み)るに謀反(むへん)の心(こころ)ありとは明(あき)らかに見(み)つ。是(ここ)を以(もち)て法(のり)のまにまに治(をさ)め賜(たま)ふと宣(の)る」とのたまふ。
岩波書店[新日本古典文学大系]『続日本紀四』p.86-p.87

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吾妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨にわれさへ濡れな

作者:不詳 出典:[万葉集7]1090/1094
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.236

「さへ」の用例。丸谷才一の説明:「われさへ濡れな」は「わたしも濡れたい」

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わが故に思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ

作者:遣新羅使 出典:[万葉集15]3586/3608
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.351

「ものゆゑ」の用例。大野晋の解:「私のことを思って痩せたりしないで下さい。秋風の吹くその月には必ず逢うものと決まっているのだから」。出発に際して男から、残る女へ贈った歌。

出発は天平8年6月だったので、男はすぐにでも帰ってくると詠んだわけだが、実際の帰還は翌天平9年春だった。

参考 (「筑紫を廻り来て、海路にして京に入らむとし、播磨の国の家島に至りし時に作る歌五首」(詞書) の第2歌):
草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく (遣新羅使 [万葉集15]3719/3741)

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わが宿の花たちばなにほととぎす今こそ鳴かめ友に会へるとき

作者:大伴書持(おほとものふみもち) 出典:[万葉集8]1481/1485
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.384

助動詞「む」の用例。催促。『日本語で一番大切なもの』における解:「私の家の花たちばなにいるほととぎすよ、いま友達と会っているこの時に鳴きなさいよ」

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我宿にさける藤浪立ちかへり過ぎがてにのみ人のみるらむ

作者:凡河内躬恒 出典:[古今和歌集2]120
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.400

大野晋の説明:「らむ」とあるが疑の心がない例。時枝誠記が「わが宿に咲いている藤の花を行きすぎることができなくて立ちかえり、人が見ることだな」と云う意味だとした。

「藤浪」は、藤の花房が風に靡いて揺れる様子を波に見立てたもの。

「なみ」、「のみ」、「のみ」と類似音が重なっていることに注意。

[ゑ]補足:「過ぎがてにのみ」の「のみ」は強調。「だけ」と云う意味ではない。「通り過ぎることができず、本当に立ち返って」ぐらいの意味。

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わが身のかくいたづらに沈めるだにあるを......もし我におくれてその志とげず、この思ひおきつる宿世たがはば海に入りね

作者:紫式部 出典:源氏物語[若紫]
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.255

大野晋の説明と解:この「だに」は「すら」に近い。「沈んでいるのすら(耐えがたいのに)まして...」

『源氏物語』[若紫]
「さて、その女は」と、問ひ給ふ。
「けしうはあらず、かたち・心ばせなど、侍るなり。代々の國の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、更にうけひかず。『我が身の、かく、いたづらに沈めるだにあるを、この人一人にこそあれ、おもふさま、殊なり。もし、われに後れて、その心ざしとげず、この、おもひおきつる宿世たがはば、海に入りね』と、つねに、遺言しおきて侍るなる」
と聞こゆれば、君もをかしと聞き賜ふ。
岩波文庫『源氏物語(一)』p.166-p.167

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わが欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉そ拾はぬ

作者:中皇命 出典:[万葉集1]12
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.101

助詞「そ」の用例。
大野晋の説明と解:「玉そ拾はぬ」と連体形で終わっている。これは、「拾はぬ(は)玉そ」の倒置である。
「私が見せたいと思った野島は見せた。阿胡根の浦の玉である、まだ拾わないものは」。

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わが袖は手本とほりて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ

作者:遣新羅使 出典:[万葉集15]3711/3733
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.372

条件節を作る「ずは」の用例。「手元」の訓は「たもと」。「恋忘れ貝」は、それを拾うと恋の苦しさを忘れると云う貝。二枚貝のバラバラになった一方、又はアワビを指すと云う。

大野晋の解:「着物の袖が濡れてしまうとしても、私は恋忘れ貝を拾わずには行くまい」。

参考 (前2首及び後1首の中のこの歌):
家づとに貝を拾ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ (遣新羅使 [万葉集15]3709/3731)
潮干なばまたも我れ来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来ぬ (遣新羅使 [万葉集15]3710/3732)
我が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ (遣新羅使 [万葉集15]3711/3733)
ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ (遣新羅使 [万葉集15]3712/3734)


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わが袖はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらねかわく間もなし

作者:二条院讃岐 出典:[百人一首]92/[千載和歌集12]760
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.371

「見えぬ」。「ぬ」は否定の助動詞「ず」の連体形。

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わが背子が来まさぬ宵の秋風は来ぬ人よりもうらめしきかな

作者:曽禰好忠 出典:[拾遺和歌集13]833
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.294

大野晋の説明:「が」は、本来体言と体言とを結ぶものだったが、この歌では「わが背子が宵」に「来まさぬ」が入っている。

「背子」は女性が夫・恋人を呼ぶ場合にも、男性が男性の友人を呼ぶ場合にも使われるが、この歌は『拾遺和歌集』の「恋三」に収められているから、女性の立場で詠んだものとしておいてよいだろう。「あの人が来てくれない夕方に秋風が吹くと、あるいは、飽きられてしまったのかもしれないと気を揉んで、あの人が来てくれないことよりも、本当はどうなのかと、そちらの方が気にかかりつづけます」

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わが背子がイ立たせりけむ厳橿がもと

作者:額田王 出典:[万葉集1]9
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.328

『万葉集』中接頭辞イを有し、必ずしも「平面上の移行」とは言えないが、「或る点への移行・連続」と取ってもさしつかえがなさそうな動詞の11例の一つとして、大野晋が挙げているもの。
この句は、『万葉集』中の難訓歌に登場する。参考:
莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子がい立たせりけむ厳橿が本 (額田王 [万葉集1]9)

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わが里に大雪ふれり大原の古りにし里にふらまくは後

作者:天武天皇 出典:[万葉集1]103
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.275

大野晋の説明:「大原の」が「古りにし里」の形容詞になっている。これは、「の」が、「大和の国」のような存在の場所を示すことから広がって、命名したり、指名したりする用法が生じたのである。「吉野の山」と言えば、「吉野にある山」でもあるし、「吉野という山」でもあるのと同じである。それで「の」は「...という」と訳せるのである。

詞書は「天皇、藤原夫人に賜ふ御歌一首」。「天皇」は天武帝。「藤原夫人」は、藤原鎌足の娘、五百重姫。「夫人」は天皇に侍す女性の地位で第3位 (上から順に「皇后」・「妃」・「夫人」・「嬪」)。

「大原」は藤原鎌足誕生の伝承地。『万葉集』中の次歌から、当時藤原夫人がいたことが分かる。天武天皇がいた飛鳥浄御原宮から直線距離で 1km 足らずしか離れていなかった筈であるが、天皇がこちらは大雪が降ったけれど、田舎であるそちらに降るのはこれからだろうと揶揄ったのである。「ふれり」と「古りにし」と「ふらまく」で音が重なり、「大雪」と「大原」で音が重なり、「里」が重出する。

これに対し、藤原夫人は「我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ (藤原夫人 [万葉集2]104)」と、「おかみ」(水神) に頼んで大原で降らせてもらった雪が砕けて、そちらに飛び散ったのでしょうよ、と切り返している (ただし、折口信夫は『水の女』の中で、[万葉集2]104 に就いて「藤原氏の女の、水の神に縁のあった事を見せてゐるのである」と記している)。「岡」は明日香の地名かもしもないが、あるいは、天武御製で「里」とあったのに対比させたか?

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わが恋も今は色にや出でなまし軒のしのぶも紅葉しにけり

作者:源有仁 出典:[新古今和歌集11]1027
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.223

丸谷才一の指摘:『国歌大観』に載っている歌の中でただ一つ「我が恋も」とある歌。
大野晋の説明:この歌では、「わが恋も」と「軒のしのぶも」と二つ並べて肯定しているので、「も」の新しい使い方。

「しのぶ」は、「(恋を)隠す」と云う意味での上二段動詞「しのび」(連用形) を掛けてある。「私の恋も今はもう顔色に出てしまえば良いのに。(恋を隠すために吊るした)軒の忍草の葉も色が変わっていましたよ」。シノブグサ (ノキシノブ) は常緑性なので、基本的には「紅葉・黄葉」しない筈だが、何らかの事情で変色したか?

参考(詞書):「忍草の紅葉したるにつけて、女のもとに遣はしける

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風騒ぐなり

作者:慈円 出典:[新古今和歌集11]1030
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.220, p.291

丸谷才一の紹介する所では、窪田敏夫に、王朝和歌の本質は謎と答えであると云う説がある。それを、この歌に当て嵌めると、「わが恋は松を時雨の染めかねて」と云う謎に対して「真葛が原に風騒ぐなり」と云う答えを出す形になっている。

「真葛が原に風騒ぐなり」は「うらみ」に掛けてあるのだろう。『日本語で一番大切なもの』では解はあたえられていない。強いて付けるならば「私の恋のことを言うならば、いくら時雨に濡れても松が色を変えないように、いくら待ってもあの人の心は変わらないのだ。その代わりに、葛の生い茂った野原である真葛が原に風が吹き騒いで一面の葛の葉の裏が見えるように、私の心は『うらみ』で一杯になるくらいあの人への思いが吹き騒いでいる」。

p.291 では、地名は「が」で承けることが多い例として引用 (「真葛が原」)。

参考 (「嵐吹く真葛が原」):
嵐吹く真葛が原に啼く鹿はうらみてのみや妻を恋ふらん (俊恵法師 [新古今和歌集5]440)

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わが恋はしる人もなし堰く床の涙もらすな黄楊の小枕

作者:式子内親王 出典:[新古今和歌集11]1036
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.213

提題の「は」の典型例。
丸谷才一の解:「わたしの恋は知っている人もいない。せきとめている私の涙をもらすな、枕は人に告げ口をするといわれる、その黄楊の枕よ」
([ゑ]補足。パラフレーズすると「わたしの恋を知る人はいない。せっかく床が私の涙をせき止めてくれているのに、漏らさないでおくれ、黄楊の枕よ」。「人にもらすな」ということだが「涙をもらすな」をかけいてる)

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わが恋は知らぬ山路にあらなくにまどふ心ぞわびしかりける

作者:紀貫之 出典:[古今和歌集12]597
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.287

「わが恋」。内扱いの助詞「が」の用例。

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わが心なぐさめかねつ更科やをばすて山に照る月を見て

作者:読人しらず 出典:[古今和歌集17]878
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.72

地名+「や」で「...の」、「...にある」を意味する例。

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若草の や 妹も乗せたり あいそ 我も乗せたり や 船かたぶくな 船かたぶくな

作者:未確認又は該当情報なし 出典:神楽歌
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.68

丸谷才一の説明:この終助詞「や」は掛け声。

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わが門の片山椿まこと汝我が手触れなな土に落ちもかも

作者:物部広足(もののべのひろたり) 出典:[万葉集20]4418/4442
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.365

「汝」の訓は「なれ」。大野晋の説明によれば、「我が手触れな」の「な」は上代東国方言「なふ」の未然形とは言えない。この型の例は10例たらずあるが、上野国、武蔵国など「なふ」の分布と同じ国で使われる。しかし、用例をみると、「な」は連体形である。この歌場合も「なな」の下の「な」は、助詞「に」の訛りと見られるから、この場合も上の「な」は連体形。文脈上、「なな」は「ずに」、「ぬに」と解釈されるので、終止形又は連体形だが、どちらかは決めがたいが、未然形ではない。

参考 (原文):
和我可度乃 可多夜麻都婆伎 麻己等奈礼 和我弖布礼奈々 都知尓於知母加毛

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わが門の榎の実もり喫む百千鳥千鳥は来れど君そ来まさぬ

作者:不詳 出典:[万葉集16]3872/3894
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.101

助詞「そ」の用例。「も り」は「もぎ」の子音交代形。
大野晋の説明:「君そ来まさぬ」は、「来まさぬ(人は)君そ」の倒置で、「来まさぬ」は「人」に係るから連体形になる。それが、倒置されれば、その連体形が下にくることになる。こうして、連体形で終わる形の係結びが成立した。
「わたしの家の門のところに植えてある榎の木の実をもぎ取って食べにいろいろな鳥はくるけれど、あなたの方は来ない」。

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2008年3月20日 (木)

わが命も常にはあらぬか昔見し象の小川をゆきてみむため

作者:大伴旅人 出典:[万葉集3]332/335
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.67

「も...か」の呼応だが、万葉集で「も...ぬか」となっているときは願望になる。
丸谷才一の解:「昔見たことのある象の小川をもう一度みるために、私の命もずっとあってほしいものだ」。

大伴旅人が太宰帥の時の詠歌。この歌は、次の5首作の第2歌:
  帥大伴卿が歌五首
我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
(大伴旅人 [万葉集3]331/334)
我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため (大伴旅人 [万葉集3]332/335)
浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも (大伴旅人 [万葉集3]333/336)
忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため (大伴旅人 [万葉集3]334/337)
我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ (大伴旅人 [万葉集3]335/338)

大伴旅人が「象の小川」に何時何度行ったかに就いては未調査。

参考:「「昔見し象(さき)の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも (大伴旅人 [万葉集3]316/319)」

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らんは全く疑也。故にらんと留るは上に疑の詞にても、てにはにても有へしとぞ。疑の詞は〽いつ〽いづれ〽たれ〽など〽さぞ等也。疑のてにはは、かの字やの字也

作者:栂井道敏 出典:てには網引綱
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.399

「らん(らむ)」の上には「いつ」、「いづれ」、「たれ」などが来ると云うことを言っている。

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夜ひかる玉といふとも酒飲みて情をやるにあに若かめやも

作者:大伴旅人 出典:[万葉集3]346/349
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.360

『万葉集』における「あに」の使用例。
「夜ひかる玉」は伝説上の宝珠。

参考:
[《述異記》卷上]:南海有明珠,即鲸魚目瞳。鲸魚死而目皆無精,可以鑒,謂之夜光。

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夜やくらき道やまどへる郭公わが宿をしもすぎがてに鳴く

作者:紀友則 出典:[古今和歌集3]154
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.128

大野晋の説明:『古今集』になると、「や」の使い方が少し広くなって、疑いや、不明のことに使うようになった。この歌は、形としては倒置だが、倒置として直訳すると、もう通じない。
丸谷才一は、「夜やくらき」が、係結びであることが分っていないと「くらき道」と誤読すると云う話を紹介している。
大野晋の解は「郭公がわが宿をすぎにくくてわが宿で鳴いている。おまえさん、夜が暗いのかい、道を間違えて迷っているのかい」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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宵々に君をあはれと思ひつつ人にはいはで音をのみぞ泣く

作者:藤原実頼 出典:[新古今和歌集14]1234
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.122

「夜ごとにあなたを可哀想だな可哀想だなと思いながら、口に出すことができないで自分だけで泣いているんですよ」。この歌の前に、何かあって、それに対する言い訣。この「宵々」を逆手にとられて「君だにも思ひ出でける宵々を待つはいかなる心地かはする (読人しらず [新古今和歌集14]1235)」と切り替えされてしまった。

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宵なは来なに明けぬしだ来る

作者:東歌 出典:[万葉集14]3461/3480
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.365

上代東国方言の例。
大野晋の説明:「な」は、体言を承ける助詞「に」の前にあるから、「な」は連体形である。「宵なは来なに明けぬしだ来る(宵ニハ訪ネテ来ズニ、夜ガ明ケタトキニ訪ネテ来ル)」と相手を責めている。

あぜと言へかさ寝に逢はなくにま日暮れて宵なは来なに明けぬしだ来る (東歌 [万葉集14]3461/3480)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
「あぜ」は上代東国方言。「どうして・なぜ」や「どう・いかに」を意味する。「しだ」も上代東国方言らしい。「(...する)時」を意味する。現代語の「行きしな」、「帰りしな」の「しな」の古語。
「あぜと言へか」については、「どういうわけか」、「何と言うか」などの釈義が与えられるのが普通らしいが、私自身の判断はここでは控える。

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世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

作者:大伴旅人 出典:[万葉集5]793/796
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.26, p.28

気付きの助動詞「けり」の用例。「いよよますます悲しかりけり」の形で p.28 に再出。
神亀5年6月23日の作歌。大伴旅人は神亀5年4月初旬に妻の大伴郎女を失っていた (その前にも、弟の大伴宿奈麻呂が亡くなっていたらしい)。従って、勿論、この歌は「哀傷」なのだが、「悲し」には、現代語と重なる意味の他に「愛おしい」と云う意味もあることは無視してはならないだろう。このことに引き寄せた解を示しておくと:「生きることのはかなさ知った今、生きることがますます愛おしくなりました」。

参考 (「愛おしい」と云う意味の「悲し」の用例):
大汝 少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄る辺なみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ [佐夫流と言ふは遊行女婦が字なり] (大伴家持 [万葉集18]4106/4130)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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世にふるも更に宗祇の宿り哉

作者:芭蕉 出典:[虚栗]
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.350

詞書:「手づから雨のわび笠をはりて」。
安藤次男は「前書がなければこの句に俳はない」と断じていて (文春文庫『芭蕉百五十句』p.283) そのこと自体には反論しづらいが、前書き込みで俳味があれば、そうするのが正しい味わい方なのではあるまいか。宗祇の句も二条院讃岐の歌も、当然のこととして文彩的借景とすべきだろう。
世にふるは苦しきものをまきの屋にやすくもすぐる初時雨かな (二条院讃岐 [新古今和歌集6]590)」
世にふるもさらに時雨の宿り哉 (宗祇 [新撰菟玖波集20]3801)」

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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世にふるもさらに時雨の宿り哉

作者:宗祇 出典: [新撰菟玖波集20]3801
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.350

世にふるもさらに時雨の宿り哉」は [新撰菟玖波集20]3801 (「時代統合情報システム:新撰菟玖波集」参照) 以外にも [時代統合情報システム:萱草]、[発句判詞]、[自然斎発句]1355 に見られる。因みに、この発句は、次の句に和したものである:
  応仁の頃、世の乱れ侍りし時、東に下りてつかうまつりける
雲はなほ定めある世の時雨かな
(権大僧都心敬 [新撰菟玖波集20]3800)

参考:
世にふるは苦しきものをまきの屋にやすくもすぐる初時雨かな (二条院讃岐 [新古今和歌集6]590)
世にふるも更に宗祇の宿り哉 (芭蕉 [虚栗])

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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世にふるは苦しきものをまきの屋にやすくもすぐる初時雨かな

作者:二条院讃岐 出典:[新古今和歌集6]590
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.349

「ものを」の用例。「人間は世の中を苦労しながら生き渡るものなのに、初時雨の方は、槙葺きの屋根をやすやすと過ぎ渡っていくことですね」。「世」は「夜」を、「ふる」は「経る」と「降る」を掛け、さらに「すぐる」と対応する。また「苦しき」と「やすく」とが対比する。「真木の屋」と「時雨」は縁語。

参考 (類歌及び派生):
まきの屋に時雨の音のかはるかな紅葉や深く散り積るらむ (藤原実房 [新古今和歌集6]589)
音にさへたもとをぬらすしぐれな眞木の板屋の夜半の寐覚めに (源定信 [千載和歌集6]403)
まばらなる真木の板屋に音はしてもらぬしぐれや木の葉なるらん (藤原俊成 [千載和歌集6]404)
まきの屋の時雨の音を聞く袖に月のもり来てやとりぬるかな (西行 [西行法師家集 冬]294)
世にふるもさらに時雨の宿り哉 (宗祇 [新撰菟玖波集20]3801)
世にふるも更に宗祇の宿り哉 (芭蕉 [虚栗])

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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よしさらば後の世とだに頼めおけつらさにたへぬ身ともこそなれ

作者:藤原俊成 出典:[新古今和歌集13]1232
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.172

「こそ」による係結びの例。「もこそ」は、「もぞ」同様、危惧、懸念を表わす。藤原俊成が、藤原定家の母になることになる女性 (美福門院加賀) に贈った歌。

大野晋の解:「よし、それならばせめてあの世で (一緒になろうと) だけでも頼みにさせておいてくれ、そのあなたの態度の辛さに耐えない身になってしまうといけないから」。

うーむ。私 ([ゑ]) の理解は少し違う。「頼めおけ」が命令形であることに注意しなければならない。この言葉は美福門院加賀には向けられえない。藤原俊成にかけられてこそ意味がある「諭し」なのだ。つまり、この歌は、藤原俊成が自分自身に言い聞かせている形だ (勿論、女に聞いてもらいたい「独り言」なのだが)。だから解を付けるなら「よしそう云うことなら、来世だけでも当てにするのだ。この恋の苦しさに堪えられなくなるようだから」になる。つまり、「このままでは恋の苦しさに死んでしまうにちがいない。それでも、来世だけでも当てにしながら死んでいこう」ということだろう。女が冷淡なので、拗ねているのだ。

返歌は「頼めおかんたださばかりを契りにて憂き世の中の夢になしてよ (藤原定家母/美福門院加賀 [新古今和歌集13]1233)」。こちらの方の解は「『来世だけでも当てにするのだ』と思えてしまえるのですね。では、それぐらいのご縁だと云うことで、あなたの恋心を、儚いこの世の夢と云うことにしてください」

この記事は[nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引 (改)] (2008年3月1日[土]) の一部をなすものである。

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能く渟れる水かな

作者:未確認又は該当情報なし 出典:常陸風土記
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.11, p.20

奈良時代の「かな」の用例はこれ一つ。

奈良時代に「かな」の用例が他に存在しないので、「かな」が上代東国方言であろうと推定されるが、(以下『日本語で一番大切なもの』p.28) 厳密には上代東国語にそうした例があるとだけしか言えない。

参考 ([常陸國風土記])
郡の東十里に桑原の岳あり。昔、倭武の天皇、岳の上に停留り給ひて御膳を進奉りき。時に水部をして新ち清井を掘らしめしかば、出泉淨く香り、飲み喫ふに尤好かりき。勅り給ひしく「能く渟れる水かな」 [俗によくたまれるみづかなといふ] と宣り給ひき。是に由りて、里の名を田餘と謂ふ。[以下略す] (岩波文庫『風土記』 p.55)

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由良のとを渡るふな人かぢをたえ行方も知らぬ恋の道かも

作者:曽禰好忠 出典:[百人一首]46/[新古今和歌集11]1071
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.22, p.332

この歌では「かも」と「かな」の異同が甚だしい。丸谷才一の説明によれば、岩波古典体系の『新古今和歌集』では「かも」。 東洋文庫にある素庵加筆本『百人一首』、後水尾院宸筆本の『百人一首』、私家集大成の『曽丹集』は「かな」。朝日古典全書の『新古今和歌集』も「かな」だが、その底本では「かも」で、校訂者の小島吉雄が流布本に従って直したものである。

p.332 での引用形は「ゆらの戸をわたる舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋のみちかも」。橋本進吉は「かぢを絶え」の「かぢを」を客語ととらえて「楫を絶たれ」と解釈するが (丸谷才一の紹介)、大野晋は、これに反対して「かぢを」は「梶緒」であるとする。

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夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりそ今も寝ねがてにする

作者:不詳 出典:[万葉集11]2588/2593
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.103

「ぞ」による係結びの例。倒置表現であることがはっきりしている。大野晋の解:「今になっても眠れないのは、夕方になったらあなたが来るだろうと、昨夜から一晩中待っていた、そのなごりです」

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夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつ空なる人を恋ふとて

作者:読人しらず 出典:[古今和歌集11恋歌1]484
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.108

「ぞ」による係結びの例。「はたて」は「はて」の意。

[ゑ]補足:「あまつ空なる人」を「高貴な人」と解釈することが行なわれているようだが、私は、これには異論がある。なるほど「身分差」はあるかもしれないが、「手が届かぬほど」とは思えない。ここで「あま (天)」とあるのは、「雲のはたて」の縁語として置かれていることを忘れてはならない。そして、「あま」は「あまつ空なる人」と云う形で「空なる人」、つまり「不実な恋人」を導く。そうした恋人に如何しようもなく惹かれてしまっている (「恋ふ」) ために、これからの成り行きに自信が持てず悩んでいる (「物ぞ思ふ」) のだ。ただ、私には「夕ぐれは雲のはたてに」が、微妙に分からない。あるいは、(夕焼け)雲で占いをしているのか、それとも、恋人からの連絡がない憂愁を雲を見て遣り過ごしているのかとも思うが、それを判断する材料がない。
私なりの解を与えておくと「夕暮れの空の雲の果てを眺めながら、私は恋の先行きをなやむ。上の空の態度をとるあの人に如何しようもなく惹かれてしまっているので」。

参考 (「そらなる人」の例。[源氏物語39]「夕霧」)
山がつの籬をこめて立つ霧も心そらなる人はとゞめず (岩波文庫『源氏物語(四)』p.209)

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湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

作者:久保田万太郎 出典:流寓抄以後(昭和38年)
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.9

戦後俳句の代表作。

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ゆくものはかくのごときか昼夜をおかず

作者:孔子 出典:[論語]子罕
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.119

参考 (『論語』[子罕第九]):「子在川上曰。逝者如斯夫。不舎晝夜。」『論語の新研究』(宮崎市定。東京。岩波書店。1974年) p.253

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行春や鳥啼き魚の目は泪

作者:芭蕉 出典:[奥の細道]千住旅立ち
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.74, p.75

俳句の切字「や」の例。p.75 では「行春や」の形で引用されている。

参考 ([奥の細道]千住旅立ち):
彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野谷中の花の梢又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝく。
  行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。
岩波文庫『奥の細道』p.10

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2008年3月19日 (水)

ゆく年のをしくもあるかな増鏡みるかげさへにくれぬと思へば

作者:紀貫之 出典:[古今和歌集6]342
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.65

「も」を「かな」で承けている例。『日本語で一番大切なもの』での説明:「な」を付けることで字余りになってしまっているが、「をしくもあるか」で切ったのでは強くなりすぎるので、「な」を付けたのだろう。

『日本語で一番大切なもの』では解は与えられていない。

実は、私 ([ゑ]) は、この歌の大意を掴めないままでいる。「かげさへにくれぬと思ふ」であって「かげさへくれぬと思ふ」ではないから、「くれぬ」は「年」だけに係っていると考えて良いだろう(大体、「かげさへくれぬ」では意味が取りづらい)が、しかし、それでは「みるかげ」と「としくれぬ」とは、どう繋がるのかと云うと、私には説明が付かない。「増鏡」が只の枕詞で意味を担わないとすると、「かげ」の含意がまとまらなくなるから、「みるかげ」が「鏡に映る自分の姿」であることは動かせないから、そこから「としくれぬ」を導かねばならないのだが、すっきりした筋道がたてられないでいるのだ。
ただし、「年」と「増」が縁語になっているから、この歌は、単純に鏡に映った自らの姿の老醜を嘆くようなものではないにしろ (「現状が続いてほしい」と思っている初二句に注意)、抗いがたい時の流れへの嘆きを詠っていることは確かだ。
一応、疑問点を残したまま、解を作るとこうなる:「今年が終わってしまうのが残念でたまらない。鏡の中に映る自分の姿を見てさえ『また一年が終わってしまう (また一つ年を取ってしまう)』と思うので」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし

作者:鴨長明 出典:方丈記
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.119

『方丈記』の冒頭部分。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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雪のうちに春は来にけりうぐひすの氷れる泪いまやとくらん

作者:二条后 出典:[古今和歌集1]4
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.391

うぐひすの泪のつらら打解けて古巣ながらや春を知るらん (惟明親王 [新古今和歌集1]31)」の本歌。

この歌に契沖が注を付けて、鳥が泣くことはないから、泪は流さないと云うのは散文的な考え方だとした。

丸谷才一『新々百人一首』所収歌 (新潮文庫『新々百人一首(上)』p.41-p.p.70)。

『日本語で一番大切なもの』には(また『新々百人一首』にも) 解は与えられていないようなので、私なりものを付けておく:「雪はまだ降っているのに立春の日が来てしまいましたね。冬の間ないて出来た鶯の涙のつららは、今溶けていることでしょう」。

参考(『古今和歌集』における前後の歌):
春霞立てるやいづこみ吉野の吉野の山に雪は降りつつ (よみ人しらず [古今和歌集1]3)
梅が枝にきゐるうぐひす春かけてなけどもいまだ雪は降りつつ (よみ人しらず [古今和歌集1]5)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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雪とのみふるだにあるを桜花いかにちれとか風の吹くらむ

作者:凡河内躬恒 出典:[古今和歌集2]86
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.121, p.393

p.121 では係助詞「か」の用例として引用されている。丸谷才一の解:「まるで雪のように桜の花が降っているのに、つまり、これだけでも十分なのに、これ以上どんなふうに散れと風が吹くのだろうか」。
「だに」は、本来否定・推量・仮定・意思・願望・命令 (不確定な表現) で終わり、「せめて...だけでも」を意味し、特に否定表現で終わるばあいには「せめて...だけでもと願っても、それもない」を意味した。しかし、「...だにある」と肯定的に終わる場合には、「...まである」、「...すらある」、「...さえある」を意味する。

p.393 では、「か」をを受ける理由の推量の「らむ」の用例として引用されている。

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山より出づる北時雨、行くへや定めなかるらん

作者:金春禅竹 出典:能「定家」
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.402

「かな」に相当する「らん」の例。

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補足 (金春禅竹 「定家」)
山より出づる 北時雨、山より出づる 北時雨、行くへや定め なかるらん
(岩波日本古典文學大系「謡曲集(下)」p.47)

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山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく

作者:柿本人麻呂 出典:[万葉集3]429/432
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.146

已然形の用法。「なれ」+「や」で「なれや」の場合。
大野晋の説明によれば、恋人が死んで、吉野の山で火葬にして、その火葬の煙がたなびいていると云う歌である、と云うのだが、「出雲の子」が柿本人麻呂の恋人でなくても成立するだろう。
「出雲の子らは霧であるんですかね」と、相手に聞く形で、そんなはずはないとそれを否定している。「なれ」と云う已然形で「あるので」と云う部分までを含んでいる。平安時代になると已然形には、「ば」か「ど」を付けて、「ば」の場合か「ど」の場合かをはっきり示すようになった。

詞書は、「溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首」。「火葬る」の訓は「やきはぶる」。もう一首は「八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ (柿本人麻呂 [万葉集3]429/432)」。
一応私なりの解をを付けておく:「出雲娘子は霧である訣はないだろうに、煙が山間を抜けて去って、吉野の山の嶺にたなびいている」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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山里は冬ぞさびしさまさりけるひとめも草もかれぬと思へば

作者:源宗于(みなもとのむねゆき) 出典:[百人一首]28/[古今和歌集6]315
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.421

「ぞ」による係結びの例。「ぞ」で「冬ぞさびしさまさりける」と云う倒置が起こっているが、歌全体でも、初三句と下二句とが倒置されている。
『日本語で一番大切なもの』では解は与えられていない。そこで一応私なりのものを付けておくが、その際注意したいのは、「ひとめ」は、通常「人目」、つまり「人の訪問」と説明されているが、そればかりではなく、「め」が「芽」に掛けてあるだろうことだ。「『山里』と云うものは、冬に寂しさが一層増すことが分りました。人の訪問も絶え、木の芽も草も見当たらなくなったり枯れてしまうことを考えますと。」

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山里は人来させじと思はねど訪はるることぞうとくなりゆく

作者:西行 出典:[新古今和歌集17]1658
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.382

一人称を承ける「じ」は「...ないつもりだ」「...しまい」を意味する。丸谷才一の解は、「この山里に誰も来させまいと思うわけではないければも、訪ねてこられることが次第に少なくなっていく」だが、なんだか微妙だな。
対抗するつもりはないが、私の解も付けておく:「山里に住んだのは、人を来させまいと思ってしていることではないのですが、人に訪問されなくても気にならなくなっています」。この「人」は「あなた」に置き換えてもよいかもしれない。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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八百日行く浜の沙もわが恋にあに益らじ沖つ島守

作者:笠女郎 出典:[万葉集4]596/599
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.360

『万葉集』における「あに」の使用例。「八百日」の訓は「やほか」。「沙」の訓は「まなご」。「益らじ」の訓は「まさらじ」。「笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首」(詞書) のうちの1首。

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社し無かリせば

作者:佐伯赤麻呂 出典:[万葉集3]404/407
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.323

「し」の使用例。下に条件句が来ている。「ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを (作者不詳(娘子) [万葉集3]404/407)」。この歌の詞書は「娘子、佐伯宿禰赤麻呂が贈る歌に報ふる一首」。「粟蒔かまし」に「逢はまかまし」を掛けている。「佐伯宿禰赤麻呂が贈る歌」は見当たらない。

参考 (この歌に続く2首):
  佐伯宿禰赤麻呂がさらに贈る歌一首
春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し恨めし
(佐伯赤麻呂 [万葉集3]405/408)
  娘子がまた報ふる歌一首
我が祭る神にはあらずますらをに憑きたる神ぞよく祭るべし
(作者不詳(娘子) [万葉集3]406/409)
「社」や「神」が、赤麻呂の「妻」をたとえるのに使われいてる。

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ヤア虎が涙のしるしが見えて、空が曇つた

作者:近松門左衛門 出典:心中刃は氷の朔日
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.425

「ぞ」から「が」への移行は、江戸時代に入ると確立する。「空が曇つた」も、そうした一例。([ゑ]注:この例は連体形終止がハッキリしていないようだ。)

「虎が涙」:陰暦5月28日に降る雨。愛人曾我十郎祐成の討ち死にを悲しむ大磯の遊女虎御前の涙が雨となって降ると伝える。虎が雨。曾我の雨。

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ももしきや古き軒ばのしのぶにもなほあまりある昔なりけり

作者:順徳院 出典:[百人一首]100/[続後撰和歌集18]1205
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.74

地名に添える「や」から発展して、普通名詞に添える間投助詞「や」が出てきて、『新古今和歌集』では、普通名詞+間投助詞「や」の形が非常に多くなるが、この歌もそうした『新古今』時代の作。
「しのぶ」は「しのぶ草」と動詞「しのぶ」の両方が掛けてある。動詞「しのぶ」は「昔を偲ぶ」の意 (もともとは四段動詞、平安時代には上二段活用する例も出てきた)。

「しのぶ」は「隠す」を意味する上二段動詞である場合もあるが、その場合は連体形が「シノブル」となり、この歌の「しのぶにも」とは合致しない。

参考 (「シノブグサ」に「隠す」の意味の「しのぶ」が掛けてある例)
わが恋も今は色にや出でなまし軒のしのぶも紅葉しにけり (源有仁 [新古今和歌集11]1027)

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ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮しつ

作者:山部赤人 出典:[新古今和歌集2]104
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.84, p.150

p.84 では、助詞「や」の用例として引用されている。
『日本語で一番大切なもの』における論議:この歌を直訳して「大宮人は桜をかざして今日も暮らしている。いとまがあるからなんだな」と解釈すればいちおう解けるが、これを「暇があるからか」ととるのは無趣味。それを一歩進めると、「いとまもあるはずもないのに」という意味になり、歌柄が良くない。だから「大宮人は暇があるんだな」くらいにとる方がいい。
「や」には、自分の見込み、推定が含まれいてる。

p.150 では、「あれや」の用例として引用されている。
『日本語で一番大切なもの』における論議:この歌は『万葉集』「ももしきの大宮人はいとまあれや梅をかざしてここに集へる (山部赤人 [万葉集10]1883/1887)」からの引き歌で、『万葉集』でもやっはり「暇あれや」と言っているから、「暇があるからなんだな」というのが古い形で、それなら疑いでもあるし、場合によると話者の見込みであるから、反語にもなる。自分の見込んでいる理由を入れる言い方は、『万葉』、『古今』、『新古今』では、『万葉』がいちばんはっきりしていて、だんだん薄れていく。だから『新古今』を読み慣れていると、これを気分で受けとろうとする。

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もみぢ葉の流れざりせば立田川水の秋をば誰かしらまし

作者:坂上是則 出典:[古今和歌集5]302
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.120

係結び「誰かしらまし」の使用例。係結びが形式化してきている。「鶯の谷よりいづる声なくは春くることを誰かしらまし (大江千里 [古今和歌集1]14)」を参照。

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もとなし恋ば

作者:大伴坂上郎女 出典:[万葉集4]723/726
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.323

「し」の使用例。下に条件句が来ることが多いが、そうした例。「もとな」は「とめどもなく」、「みだりに」の意。
常世にと 我が行かなくに 小金門に もの悲しらに 思へりし 我が子の刀自を ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷に この月ごろも 有りかつましじ (大伴坂上郎女 [万葉集4]723/726)」

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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最上川のぼればくだる稲舟の否にはあらずこの月ばかり

作者:東歌 出典:[古今和歌集20]1092
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.43

否定の返事「いな」の例。丸谷才一の説明:第一句から第三句までは序。男から口説かれた女が「嫌ではないのだけれど、いまだけは月の触りがあるから」と否んでいる。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

作者:斎藤茂吉 出典:『白き山』
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.9

現代和歌での「けるかも」の用例。

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紫のひともとゆゑに武藏野の草はみながらあはれとぞ見る

作者:読人しらず 出典:[古今和歌集17]867
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.106

「ぞ」による係結びの例。「みながら」は「全部そのままで」の意。

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紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

作者:天武天皇 出典:[万葉集1]21
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.77

あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる (額田王 [万葉集1]20)」への返歌。
額田王では「紫野」は具体的に紫草を栽培している草園を指しているが、天武天皇の歌では、同音の「紫草の」は「にほへる」(美しい顔である) に係る枕詞である。
女の方が、不倫が露見するかもしれない軽率な行動を男がとっていることを叱っているのに対し、男の方が「だって好きなんだから人妻でもしょうがないよ」とずれた答えをして、取り合わないでいる。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足:2008-09-09[火]
「美しい女性よ。あなたに腹を立てているのだとしてら、(無理だろうとは思いつつも) 人妻であるあなたを何とかして手に入れたいなどと思うでしょうか?」
([nouse: 「先生」・「先生」・「先生」の聲] 参照)

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虫のごと声にたててはなかねども泪のみこそ下に流るれ

作者:清原深養父 出典:[古今和歌集12]581
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.273

「こと」は「同じ」と云う意味。「虫と同じようには声にたててなかないけれども」。

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向つ岡の若楓の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも

作者:不詳 出典:[万葉集7]1359/1363
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.316

「い」の本義は「これ」と解釈することができる。「向つ岡の-若楓の木-下枝取り」の訓は「むかつをの-わかかつらのき-しづえとり」。
「向かいの岡から採ってきた若楓の木の下枝の花が咲くのを待っている、この今、私は溜息をついてしまった」。

参照:「青柳の糸の細しさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも (作者不詳 [万葉集10]1851/1855)」

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昔こそ難波田舎と言はれけめ今は京引き都びにけり

作者:藤原宇合(ふじわらのうまかい) 出典:[万葉集3]312/315
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.176

「こそ」による係結びの例。「京引き都びにけり」の訓は「みやこひきみやこびにけり」。
大野晋の解は「昔『こそ』は難波は田舎だといわれたろうけれど、いまはもう都がそこに移って、本当に都らしくなったなあ」。

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三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠さふべしや

作者:額田王 出典:[万葉集1]18
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.78, p.250

p.78 では、助詞「や」の用例として引用されている。「隠すか」は疑問よりも、詰問している。せめて雲だけでも情があってほしいと、相手をなじり、そして「隠さふべしや」は反語になっている。

p.250 では、助詞「だに」の用例として引用されている。

大野晋曰く:自分(額田王)は、三輪山のふもとの飛鳥の地の大海人皇子(おおあまのみこ)と一緒にいたかった。それが天智天皇により近江の都に連れられていく。「(奈良山を越えようとして南を見ると、ちょうど三輪山に雲がかかってきている)三輪山をこんな風に隠すのか、せめて雲だけでも心があってもらいたい。あの懐かしい三輪山を隠すべきではないのに」。

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神山の山下とよみ行く水の水脈し絶えずは後もわが妻

作者:不詳 出典:[万葉集12]3014/3028
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.415

「ずは」の用例。この「ずは」は、「よりも」でも「ずに」でも解釈できない。大野晋は「水の流れが絶えない限り、お前は私の妻だぞ」と解釈すべきと、極めて妥当な判断をしている。「神山」の訓は「みわやま」。

大野晋の「ずは」に対する説明の要旨は、その先行部分が示す事態が「1.既に成立している」、「2.未だ成立していない」、「3.成立するはずがない」の3通りのそれぞれで含意が異なると云うものである。

「ずは」の他の用例:
かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根し枕きて死なましものを (磐姫皇后(磐之媛命, 磐姫, 仁徳天皇妃) [万葉集2]86)
立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひ渡りなむ (上総国郡司妻女等 [万葉集20]4441/4465)
見渡せば近きものから岩がくりかがよふ玉をとらずは止まじ (読人しらず [万葉集6]951/956)

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見わたせば柳さくらをこきまぜて都ぞ春の錦なりける

作者:素性法師 出典:[古今和歌集1]56
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.106

「ぞ」による係結びの例。

参考 (柴田清熙「見わたせば」-- [小学唱歌集(初)] 明治14年11月)
見わたせば、あおやなぎ、
花桜、こきまぜて、
みやこには、みちもせに、
春の錦をぞ。
さおひめの、おりなして、
ふるあめに、そめにける。
(岩波文庫『日本唱歌集』p.15)

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見渡せば近きものから岩がくりかがよふ玉をとらずは止まじ

作者:読人しらず。笠朝臣金村歌集所収歌。或いは車持朝臣千年の作かとも。 出典:[万葉集6]951/956
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.414

「ずは」の用例。この「ずは」は、「よりも」でも「ずに」でも解釈できない。「光っている玉を取らないではいられない」。

なお、ネット上では「岩」は「いそ」ではなく「いは」と読む例が多い (白文を示しておこう「見渡者 近物可良 石隠 加我欲布珠乎 不取不巳」) が、「岩波古語辞典」では「磯隠れ」(「いそがくれ」下二段動詞連用形) を採用して、この歌を用例としてあげている。語義は「海辺の石のかげに隱れる」。ちなみに、同辞典では「岩隠り」(「いはがくり」四段動詞連用形) には「亡くなる」の語義を与えている。

『日本語で一番大切なもの』では解は与えられていない。一応私なりの解を付けておくと:「見渡したので近くにあることは確かだと分っている。海辺の石のかげに隱れて光り輝いている玉を取らないでおくものか」。

この歌は、やはり「ずは」の用例になっている次の歌と対 (掛け合い?) になっている:
大君の境ひたまふと山守据ゑ守るといふ山に入らずはやまじ (読人しらず。笠朝臣金村歌集所収歌。或いは車持朝臣千年の作かとも。 [万葉集6]952/957)

「ずは」の他の用例:
かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根し枕きて死なましものを (磐姫皇后(磐之媛命, 磐姫, 仁徳天皇妃) [万葉集2]86)
立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひ渡りなむ (上総国郡司妻女等 [万葉集20]4441/4465)
神山の山下とよみ行く水の水脈し絶えずは後もわが妻 (作者不詳 [万葉集12]3014/3028)

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見る夢のうつつになるは世の常ぞ現つの夢になるぞ悲しき

作者:読人しらず 出典:[拾遺和歌集14]920
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.98

「ぞ」の用例。「世の常ぞ」の「ぞ」は「である」の意。丸谷才一の解は「夢解きが的中して、夢見が正夢で現実になるこの世間でよくあること。この仕合わせな現実が、いつかはかない夢になってしまうと思うと悲しい」。

私の解釈は、少し違う。私には、この歌から恋愛の臨場感 (勿論、この歌は恋歌である。そもそもからして、『拾遺和歌集』巻十四「恋四」所収) が伝わってこないのだ。なんとなく「他人事」と言って悪ければ、恋愛を感じていないで、恋愛を論じている風とでも言うべきか。それを踏まえて、解を作ると「見た夢が正夢で、現実になるなどは陳腐である。本物だと思っていた恋が夢と儚く消えることの方が、印象が深いのだ」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足 (「世の常」の用例)
[枕草子]182
村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、「これに歌よめ。いかが言ふべき」と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、「雪月花の時」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむいひがたき」とぞ仰せられける。

おなじ人を御供にて、殿上に人さぶらはざりけるほど、たたずませ給ひけるに、炭櫃にけぶりの立ちければ、「かれは何ぞと見よ」と仰せられければ、見て帰りまゐりて、
  わたつ海の沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり
と奏しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りて、焼くるなりけり。

(岩波文庫『枕草子』p.230-p.231)

ちなみに「雪月花の時」は『和漢朗詠集』[交友] 中の「琴詩酒の友は皆我を抛つ、雪月花の時最も君を憶ふ/琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君 (白居易)」を踏まえる。

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見らくしよしも

作者:[万葉集]中で6首該当。大伴坂上郎女, 大伴坂上郎女, 柿本人麻呂, 尾張連, 大伴駿河麻呂, 大伴家持 出典:[万葉集6]983/988, [万葉集6]992/997, [万葉集7]1247/1251, [万葉集8]1421/1425, [万葉集8]1660/1664, [万葉集19]4167/4191
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.324

「し」の使用例。下に条件句が来ていない例。
山の端のささら愛壮士天の原門渡る光見らくしよしも (大伴坂上郎女 [万葉集6]983/988)
故郷の飛鳥はあれどあをによし奈良の明日香を見らくしよしも (大伴坂上郎女 [万葉集6]992/997)
大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくしよしも (柿本人麻呂 [万葉集7]1247/1251)
春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも/春山の咲きのをゐりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも (尾張連 [万葉集8]1421/1425)
梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹を見らくしよしも (大伴駿河麻呂 [万葉集8]1660/1664)
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも (大伴家持 [万葉集19]4167/4191)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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み吉野の吉野の山の春がすみ立つを見る見るなほ雪ぞ降る

作者:紀貫之 出典:[風雅和歌集1]32
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.263

「み吉野吉野春がすみ」。この「の」は「...にある」の意味。丸谷才一の説では、この貫之の歌は、単なる風景描写ではなく、秋の収穫を祈るおまじないの歌である。「春の雪」は豊年をあらかじめ祝う、めでたいものだった。

この歌の「みるみる」は「確かに見えているにもかかわらず」だろう。
「吉野にある吉野山に春霞が立っているのが確かに見えてはいるけれど、春の雪はまだ降っている」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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み雪降る冬の林に飄風かもい巻き渡ると思ふまで

作者:柿本人麻呂 出典:[万葉集2]199
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.320

動詞に接頭語「い」が付いている例。「飄風」の読みは「つむじ」。大野晋曰く:この「い」は「息」と云う意味ではないか。

参考 (柿本人麻呂 [万葉集2]199):
  高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのうへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并せて短歌
かけまくも ゆゆしきかも [一云 ゆゆしけれども] 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に ひさかたの 天つ御門を 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山超えて 高麗剣 和射見が原の 仮宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひ [一云 掃ひたまひて] 食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御いくさを 召したまひて ちはやぶる 人を和せと 奉ろはぬ 国を治めと [一云 掃へと] 皇子ながら 任したまへば 大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も [一云 笛の音は] 敵見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに [一云 聞き惑ふまで] ささげたる 幡の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の [一云 冬こもり 春野焼く火の] 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に [一云 木綿の林] つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの畏く [一云 諸人の 見惑ふまでに] 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ [一云 霰なす そちより来れば] まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消なば消ぬべく 行く鳥の 争ふはしに [一云 朝霜の 消なば消とふに うつせみと 争ふはしに] 渡会の 斎きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひ賜ひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 申したまへば 万代に しかしもあらむと [一云 かくしもあらむと] 木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を [一云 刺す竹の 皇子の御門を] 神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の 麻衣着て 埴安の 御門の原に あかねさす 日のことごと 獣じもの い匍ひ伏しつつ ぬばたまの 夕になれば 大殿を 振り放け見つつ 鶉なす い匍ひ廻り 侍へど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬りいまして あさもよし 城上の宮を 常宮と 高く奉りて 神ながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かれども
(柿本人麻呂 [万葉集2]199)
これは、万葉集中最長歌である。

ちなみに、反歌は2首あって:
ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひわたるかも (柿本人麻呂 [万葉集2]200)
埴安の池の堤の隠り沼のゆくへを知らに舎人は惑ふ (柿本人麻呂 [万葉集2]201)

さらに:
  或書の反歌一首
哭沢の神社にみわ据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ
(柿本人麻呂 [万葉集2]202)
   右一首は、類聚歌林には「桧隈女王、泣沢の神社を怨むる歌なり」といふ。 日本紀を案ふるに、曰はく、「十年丙申の秋の七月辛丑の朔の庚戌に、後皇子尊薨ず」といふ。
「神社」の読みは「もり」。

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宮柱したつ磐根にしきたてて露もくもらぬ日のみかげかな

作者:西行 出典:[新古今和歌集19]1877
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.262

助詞「つ」の用例。丸谷才一の説明:「したつ磐根(いはね)」は『時代別国語辞典』にもないが、西行の独創ではなく大祓の祝詞にある。この場合の「したつ磐根」は、まさに自分の外界にある。

参考:
六月晦大祓〔十二月も此に准へ〕
集侍はれる親王 諸王 諸臣 百官人等諸聞食せと宣る
天皇が朝廷に仕奉る 比礼挂くる伴男 手襁挂くる伴男 靫負ふ伴男 剱佩く伴男 伴男の八十伴男を始めて 官官に仕奉る人等の 過犯しけむ雑雑の罪を 今年の六月の晦の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食せと宣る
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 八百万の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫之尊は 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き
如此依し奉し国中に荒振神達をば 神問しに問し賜ひ 神掃に掃賜ひて 語問し磐根樹の立草の垣葉をも語止て 天磐座放ち 天の八重雲を伊頭の千別に千別て 天降依し奉き
如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭日之御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は
天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を 天津罪と法別て
国津罪と 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ
如此出ば 天津宮事を以て 大中臣天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ
如此乃良ば 天津神は天磐門を押披て 天之八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む 国津神は高山乃末短山之末に登坐して 高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む
如此所聞食てば 皇御孫之命の朝廷を始て 天下四方国には 罪と云ふ罪は不在と 科戸之風の天之八重雲を吹放事之如く 朝之御霧夕之御霧を朝風夕風の吹掃事之如く 大津辺に居る大船を 舳解放艫解放て大海原に押放事之如く 彼方之繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃事之如く 遺る罪は不在と 祓賜ひ清賜事を 高山之末短山之末より 佐久那太理に落多支都速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 如此持出往ば 荒塩之塩の八百道の八塩道之塩の八百会に坐す速開都比咩と云神 持可可呑てむ 如此可可呑ては 気吹戸に坐す気吹主と云神 根国底之国に気吹放てむ
如此気吹放ては 根国底之国に坐す速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ
如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在と 高天原に耳振立聞物と馬牽立て 今年の六月の晦日の 夕日之降の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食せと宣る
四国の卜部等 大川道に持退出て祓却と宣る
--六月晦大祓祝詞 - Wikisource

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見むと言はば否といはめや梅の花散りすぐるまで君が来まさぬ

作者:中臣清麻呂 出典:[万葉集20]4497/4521
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.43

否定の返事「いな」の用例。「遭いたいと言えば、嫌とは決して申しませんのに」だろうと、大野晋は言っているが (そして、この歌だけを読むなら、そうした解釈もあながち不自然ではないのだが)、この「見む」は、素直に「梅の花が見たい」の意味だろう。何故なら、この歌は「式部大輔中臣清麻呂朝臣が宅にて宴する歌十首」と詞書のある一連の和歌 ([万葉集20]4496/4520-[万葉集20]4505/4529) の第2首なのだが、その第1首は、「恨めしく君はもあるかやど梅の散り過ぐるまで見しめずありける (大原今城真人 [万葉集20]4496/4520)」なのである。つまり、宴に招かれた客である大原今城真人が、主人宅の梅の花が散ってしまっているのをみて「見せてくれなかったのは残念」と揶揄ったのに対して、主人の中臣清麻呂は、まともに「『見たい』ということなら『いや』と言うことがありうるでしょうか。梅の花が散りきってしまうまであなたがいらっしゃらなかったじゃありませんか」と、まともに答えたのだ。所謂「ボケ殺し」である。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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みは上におのれつちのと下につきすでにやむのみなかばなりけり

作者:未確認又は該当情報なし 出典:物覚え歌
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.139

物覚え歌。漢字の「巳」、「己」、「已」の字形の違いを歌っている。

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皆是レ金光明経ノ力ナリケリ

作者:未確認又は該当情報なし 出典:西大寺本「金光明最勝王経」
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.25

気付きの助動詞「けり」の用例。「ケリ」は、現在の事を述べている。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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水上やたえだえ氷る岩間より清滝川に残る白波

作者:藤原良経 出典:[新古今和歌集6]634
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.74

『新古今和歌集』では、普通名詞+間投助詞「や」の形が非常に多くなる。この歌は、その一例。この歌の「清滝川」は、京都愛宕山麓より保津川に注ぐものを指すと思われる。「清滝川の水源近く、ところどころ氷った岩の間には、『清滝川の白波』が残っている」。

参考:
降りつみし高嶺のみ雪とけにけり清滝川の水の白波 (西行 [新古今和歌集1]27)
いしばしる水の白玉かず見えて清滝川に澄める月かげ (藤原俊成 [千載和歌集4]284)

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みつみつし久米の若子がイ触れけむ磯の草根のかれまく惜しも

作者:河辺宮人 出典:[万葉集3]435/438
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.329

『万葉集』中接頭辞イを有し、必ずしも「平面上の移行」とは言えないが、「或る点への移行・連続」と取ってもさしつかえがなさそうな動詞の11例の一つとして、大野晋が挙げているもの。
みつみつし久米の若子がい触れけむ礒の草根の枯れまく惜しも (河辺宮人 [万葉集3]435/438)」

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水鳥の発ちの急きに父母に物言ず来にて今ぞ悔しき

作者:有度部(うとべの)牛麿 出典:[万葉集20]4361/4337
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.104

助詞「ぞ」の用例。防人の歌。「水鳥の」は様ざまな言葉に係る枕詞。この歌では「たち」に係っている。「急いで出発してきたために、父母に言うべきことも言わずに来てしまったのが『今ぞ悔しき』」。「今ぞ悔しき」と云う成句が当時あって、それをこの歌の中に入れたのだろう、と云うのが丸谷才一の説。私も大野晋と同様に「なるほど」と言いたい。

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水茎の岡の木の葉を吹き返へしたれかは君を恋ひんと思ひし

作者:読人しらず 出典:[新古今和歌集11]1056
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.126

反語「かは」を使っている例。「水茎の」は「水城」、「岡」に係る枕詞。丸谷才一 の解は、「岡の木の葉を吹き返す風が吹いているが、吹き返すようにくり返して恋しく思うのは誰だろうか(つまり自分である)」。しかし、「吹き返すようにくり返して恋しく思う」には、引っ掛かる物を感じる。あるいは、「あなたが私を恋しく思ってくれるお返しに、もっとずっと強くあなたを恋しく思うのは誰でしょう(、他ならぬ、私です)」ではないか。荒井由美の「少しだけ片思い」を少しだけ連想させる。

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道の隅イつもるまでに

作者:額田王 出典:[万葉集1]17
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.328

『万葉集』中接頭辞イを有し、文脈から平面上の移行に関する意味を有すると判断できる動詞の8例の一つとして、大野晋が挙げているもの。
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや (額田王 [万葉集1]17)」

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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みちのくはいづくはあれどしほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも

作者:東歌 出典:[古今和歌集20]1088
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.206

これは、「いづく」と云う疑問詞を「は」で受けている珍しい例。大野晋の説明によれば、この場合、「みちのくはいづく」と云うのが一纏まりなのである。「春は (何時がいちばんいいかと言うと) あけぼの」と同じ形式であって「みちのくはどこ (が一番か)」と考えられる。次の「あれど」は、奈良時代でも平安時代でも「ともかく」の意味で使われている。だから全体としては「みちのくはどこ (が一番かと云うこと) はともかくとして、しおがまの浦こぐ舟の綱手は非常に心をしみじみと打つ」。

『日本語で一番大切なもの』中では特に問題にされていないが、私には何故「しほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも」なのかが、もうひとつ釈然としない。これは宿題にしておく。

参考 (後世への影響):
世の中はつねにもがもな渚こぐあまの小舟のつなでかなしも (鎌倉右大臣/源実朝 [百人一首]93/[新勅撰和歌集8]525/[金槐和歌集]594)

[奥の細道]「末の松山」(曾良随行日記によれば「元禄2年5月8日」)
それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造て末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も、終はかくのごときと悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、 籬が島もほど近し。蜑の小舟こぎつれて肴わかつ聲々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして、奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず舞にもあらず、ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに邊土の遺風忘れざるものから殊勝に覚らる。 (岩波文庫『奥の細道』p.28)

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2008年3月18日 (火)

道しあればおのが越路のふるさとも同じ春とや雁のゆくらん

作者:後醍醐院 出典:[続後拾遺和歌集]53
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.230

「ふるさとも」の「も」を、推量の「雁のゆくらん」で受ける。(新編国歌大観第1巻歌集p.526)
「越路と云う帰る道はあることであるし、越路 (北国) にある自分の故郷もやはり春になっているのかと雁は行くのだろうな」

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三島江や霜もまだひぬ芦の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く

作者:源通光 出典:[新古今和歌集1]25
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.72

「...では」を意味する 地名+「や」の例。動詞「つのぐみ」(連用形) は「新芽が角のように出始める」こと。

参考 (詞書):
詩をつくらせて歌に合せ侍りしに、水郷春望といふことを
「三島江」は、現大阪府高槻市あたり。万葉以来の歌枕。

参考 (「三島江」の歌):
三島江の入江の薦をかりにこそ我れをば君は思ひたりけれ (作者不詳 [万葉集11]2766/2776)
三島江の玉江の薦を標めしより己がとぞ思ふいまだ刈らねど(作者不詳 [万葉集7]1348/1352)
みしま江につのぐみ渡る蘆のねの一よのほどに春めきにけり(曾禰好忠 [後拾遺和歌集1]42)
三島江や蘆の枯葉の下ごとに羽がひの霜をはらふをし鳥 (藤原忠通 [夫木和歌抄17]6979)

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みかりする交野のみ野にふる霰あなかままだき鳥もこそ立て

作者:崇徳院 出典:[新古今和歌集6]685
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.42

感動詞「あな」の用例。「あなかま」は口語性が強い。

崇徳院が実際に行なったかどうかは、浅学にして私 ([ゑ]) は不案内だが、皇室の遊猟地があった「交野が原」における鳥の狩りの情景だろう。折あしく霰が降ってきたので、鳥が逃げてしまうと心配しているのである。

参考:
床近しあなかま夜半のきりぎりす夢にも人の見えもこそすれ (藤原基俊 [新古今和歌集15]1387)」。「床」の訓は「ゆか」。

[新古今和歌集6]685-[新古今和歌集6]688
  百首歌めしける時
御狩する交野のみ野に降る霰あなかままだき鳥もこそ立て
(崇徳院 [新古今和歌集6]685)
  内大臣に侍ける時、家歌合に
御狩すと鳥だちの原をあさりつつ交野の野邊に今日も暮しつ
(法性寺入道前関白太政大臣/藤原忠通 [新古今和歌集6]686)
  京極關白前太政大臣高陽院歌合に
御狩野はかつ降る雪にうづもれて鳥立も見えず草がくれつつ
(前中納言匡房/大江匡房 [新古今和歌集6]687)
  鷹狩のこころをよみ侍ける
狩りくらし交野の真柴折りしきて淀の川瀬の月を見るかな
(藤原公衡 [新古今和歌集6]688)

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みかの原わきて流るる泉川いつみきとてか恋ひしかるらん

作者: