カテゴリー「中国語/漢文/中文」の49件の記事

『「メモ:「泉声」の語義 (「百谷泉声」に関連して)」』補足

「ココログ」の「アクセス解析」を見たら、最近、このサイトのページ「メモ:「泉声」の語義 (「百谷泉声」に関連して)」を訪問される方が多いようだ。

まぁ、それはそれで良いのだが、実は、あの記事で、私は、当然含めるべき情報を書き洩らすという失態を演じている。脱稿した後も、全く気が付かず、かなり後になってから、予期しないまま、何かのきっかけで、事実を知った。それほど失念していたのだ。

それは、記事中、引用した詩のうちの最後である、菅茶山の詩が、富士川英郎 (ふじかわひでお) の「江戸後期の詩人たち」で取り上げられていることだ (筑摩叢書 [江戸後期の詩人たち] pp.50-51)。

分かる人には分かってもらえると思うが、これは至極ミットモナイ手抜かりで、見過ごしてもらえるものなら見過ごしてもらいたい態のものだ。そして、私は、実際放置してしまった。しかし、この一時期のことであろうけれども、そして、このささやかなサイトの中のランキングとは言え、注目を浴びている以上、当該記事の欠落を補わない訣にはいくまい。

まったく慚愧に堪えない。お詫びして、補足する。本来なら、関連情報を改めて調べ、その結果ともども報告すべきところだろうが、生憎、時間にも気分にも、余裕がない。情報を、そのままのものとして、お知らせする。

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坂本龍馬の西郷隆盛評

坂本龍馬の西郷隆盛評「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」が、[礼記] 中の [学記第十八] の一節を踏まえた表現であることは、知っている人なら知っているだろう。

これが、[学記] とは別に龍馬の独創であったかもしれぬと云う想像は、論ずるに値しない。同じく [礼記] から特に挙げられて、[四書] 中に並べられている [大学] 及び [中庸] ほどではないにしろ、[礼記] 全体が [五経] の一つなのだから、儒教思想の根幹をなしている。また、卑近な例でいえば、[学記] は、人口に膾炙する「玉、みがかざれば器とならず。人、学ばざれば道を知らず」の出典でもある。「偶然の一致」とするのは迷妄にしかなりえない

ただ、だからと言って、龍馬が [礼記] なり、あるいは、その一篇としての [学記] を手に取り「勉強」したことがあるかどうかは、私には断定できない。しかし、そのことは問題にならない。龍馬が所属していた社会集団は、当然何重にも交錯していたはずだが、そのうちの「思想性」が接着剤となる集団では、その基本リテラシの中に、教育理念の祖型として「礼記」が組み込まれていに違いないからだ、たとえ、「机に向かって勉強」したことがなくとも、所謂「耳学問」をしていたことはありうる。

脱線するが、「玉、みがかざれば器とならず。人、学ばざれば道を知らず」は、昭憲皇太后御歌 (明治20年 [女子学習院] に下賜と云う事実を踏まえるなら「皇后御歌」の方が適切かもしれない。もっとも「皇太后」と云う追号に就いては、「イキサツ」があったらしい。参照: Wikipedia「昭憲皇太后」)「金剛石もみがかずば、珠のひかりはそはざらむ。人もまなびてのちにこそ、まことの徳はあらはるれ」の出典であるのも論を俟たない。皇太后 (又は、その「ブレーン」) が、[学記] を踏まえて詠んだものなのだろう。ちなみに、[学記] 原文は、「玉不琢、不成器、人不學、不知道」(明治書院「新釈漢文大系28」[礼記中] p.543)。

そもそも -- などと大仰なことを言ってしまって申し訣ないが -- 問題の「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」の「元ネタ」自体が、諸橋轍次の[中国古典名言事典]に採録されている (講談社学術文庫版 p.276)。「折紙」付の「名言」である訣だ。

話が後先になった。肝心の原典を示すことにしよう。

善待問者、如撞鐘、叩之以小者則小鳴、叩之以大者則大鳴
善く問を待つ者は、鐘を撞くが如し、之を叩くに小なる者を以てすれば則ち小さく鳴り、之を叩くに大なる者を以てすれば則ち大きく鳴る。
--明治書院「新釈漢文大系28」[礼記中] p.552

そして、龍馬の西郷評として知られているものは、次の勝海舟の「雑談」に由来する。

坂本龍馬が、かつておれに、先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行つて会ツて来るにより添書をくれといツたから、早速書いてやつたが、その後、坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。
--講談社文庫 (勝海舟) [氷川清話] 「西郷隆盛」p.60 (私の手元にあるものは、40年ほど前に発行されたもので、多分現在絶版。後継の版が、講談社学術文庫に収められているようだ。なお、引用文中「しばしば」及び「なかなか」の後半は、原文では「踊り字」の「くの字点」)

しかし、私に言わせれば、この西郷評の眼目は、「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」と云う cliché ではない。核心は、「西郷といふ奴は、わからぬ奴だ」、そして、「馬鹿なら大きな馬鹿、利口なら大きな利口」の方だ。これは、勿論、西郷を大いに褒めている訣で、それは、この表現のネガ「西郷といふ奴は分かりやすい奴だ」と「馬鹿なら小さな馬鹿、利口なら小さな利口」を考えてみれば良い。だからこそ、西郷贔屓の勝安房守が「なかなか鑑識のある奴」とご満悦だった訣だ。

実際、龍馬の西郷評の後で、海舟自らが「答え合わせ」をするように「西郷は、どうも人にはわからないところがあつたヨ。大きな人間ほどそんなもので……小さい奴なら、どんなにしたつてすぐ腹の底まで見えてしまふが、大きい奴なるとさうでもないノー」と語っている。--講談社文庫 (勝海舟) [氷川清話] 「西郷隆盛」p.61

逆に言えば、「西郷贔屓」である勝を得心させるようなコースの変化球として、龍馬は自らの感想を海舟の心の中に投げ込んだと言える。勿論、これは単純な追従といったレベルのことではなくて、海舟と云う「師匠」と龍馬と云う「弟子」の間に孕む緊張感が許す細いただ一本の糸のようなコースであっただろう。

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魏曹操「短歌行」

今年の年賀状の文案で「没」になったものをリサイクルする。

魏の曹操の「短歌行」と言えば、漢詩のアンソロジーを編むならば、その定番作品となるべき素材と言える。その文の冒頭、酒に及ぶを以って、それなりの料理をするならば、賀詞になりうるかと工夫してみたのだが、うまくいかなかった。

悪筆の私としては、年賀状を色紙に見立てる訣にはいかないので、原文を書いただけでは収まらない。烏滸がましくも、訳詩めいたものを作ったわけだが、それも無駄骨に終わった。ここでは、waste recycling の積りで、その時に作成したものに若干手を入れて、今回の記事とする。

魏曹操「短歌行」

對酒當歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多

慨當以慷
憂思難忘
何以解憂
唯有杜康

眼の前には酒がある。飲むしかないではないか。
人と生まれた、この命
譬えてみれば、朝の露。
それも随分過ぎ去った。

嘆きはつのる。つのった嘆きは言葉となる。
それでも憂いは消えはせぬ。
どうしようもないのをどうしよう。
酒を飲むしかないではないか。

「烈士暮年壮心不已」(歩出夏門行)とは真逆の沈淪ぶりで、思わず「君もそーかね」と言いたくなるが、しかし、「短歌行」の後続部分は、「青衿」(「有意の若者」ぐらいの語感か) に対する recruitment song なのだ。「短歌行」は、組織のトップの個人的感慨 (「歡樂極兮哀情多 少壯幾時兮奈老何」漢武帝「秋風辭」) と、組織人としての前進の志向 (「安得猛士兮守四方」漢高祖劉邦「大風歌」) が一身の中で同居している訣で、興味深い。

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「桃夭」私訳試訳

今年の年賀状を書いた際「桃夭」の私訳を作成した(高校漢文の定番「桃夭」に説明はいらないだろう)。「于歸」を初めとして、解釈が微妙なのだが、ここでは年賀状で採用しなかった形のものを書いておく。いづれにしろ、苦し紛れのでっち上げである。

桃之夭夭 桃の若木に
灼灼其華 燃え立つような花が咲く。
之子于歸 嫁となったこの娘
宜其室家 家によろしい妻になる。

桃之夭夭 桃の若木に
有蕡其實 しっかりとした実が出来る。
之子于歸 嫁となったこの娘
宜其家室 家によろしい妻になる。

桃之夭夭 桃の若木に
其葉蓁蓁 枝いっぱいの葉が茂る。
之子于歸 嫁となったこの娘
宜其家人 家によろしい妻になる。

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メモ:[幽明録] の一節における「日中当至」に就いて

以前 (十日ほど前?) にも二・三度 [幽明録 日中当至] と云うキーフレーズで、このサイトを訪問された方がいらして、つい調べかかったのだが、現在、私の「脳味噌」は「物理学のお勉強」モードになっていて、[中文/漢文] を喋喋すると、大失態を犯しそうなので、すぐに切り上げて、放置してしまった。

しかし、昨日深夜 (2013/07/12 23:20:05)、やはり、[幽明録 日中当至] なる訪問者がいらしたので、この機会に、全く的外れかもしれないことをお含み起き戴いた上で、前回調査時にチラと考えていたことを、ここに記録しておく。

おそらく、この「日中当至」は、[太平御覧] 所引の [幽明録] (幽明录) 中の次の一節に関わっているのだろう (魯迅の手になる [古小説鈎沈 (こしょうせつこうちん)] にも収められもいる)。

隴西秦嘉字士會,俊秀之士。婦曰徐淑,亦以才美流譽。桓帝時,嘉爲曹掾赴洛,淑歸寧于家。晝臥,流涕覆面。嫂怪問之,云:「適見嘉自說往津鄉亭病亡。二客俱留,一客守喪,一客賫書還,日中當至。」舉家大驚。書至,事事如夢。
--[維基文庫]太平御覽卷四百.人事部四十一「凶夢」
(引用文中「嫂怪問之,云:」の直後のゲタ一字を、他の資料で補った。)


陇西秦嘉,字士会,俊秀之士。妇曰徐淑,亦以才美流誉。桓帝时,嘉为曹掾赴洛。淑归宁于家,昼卧,流涕覆面,嫂怪问之,云:“适见嘉自说往津乡亭病亡,二客俱留,一客守丧,一客赍书还,日中当至。”举家大惊,书至,事事如梦。[御览四百]
--古小说钩沈 [幽明录]
(引用文で [トーフ] になっている「嫂」を補った。)

うーむ。新字体に直しておくか。

隴西秦嘉字士会,俊秀之士。婦曰徐淑,亦以才美流誉。桓帝時,嘉為曹掾赴洛,淑帰寧于家。昼臥,流涕覆面。嫂怪問之,云:「適見嘉自說往津鄉亭病亡。二客俱留,一客守喪,一客賫書還,日中当至。」舉家大驚。書至,事事如夢。

このコンテキストだと 「日中当至」は、「日中マサニ至ルベシ」とでも、読ませたいのではないか。中国語で「日中」は日本語の「正午」又は「正午前後のそれなりの長さの時間」を意味するらしいから、「(手紙は)正午頃には届く筈だ」ぐらいの意味だろうが、私自身の好みを言うなら、[徐淑] が昼寝をしていたことを踏まえて、「夕方までは」としたいところだ。

意味はこんな感じだろう。

隴西の[秦嘉]は、字(あざな) を「士会」と言って、才知に優れた官僚だった。妻は[徐淑]と云う名で、これも才色兼備の名声が流布していた。(後漢第11代) 桓帝の時、嘉は曹掾として (後漢の都である) 洛陽に赴いたが、淑は、自分の実家に戻った。彼女が昼寝した後、涙を流し顔を覆ったので、兄嫁が怪訝に思って尋ねると彼女は「たった今、嘉と遭ったのです。彼自らに、 『津鄉亭に行った所、そこで病死してしまった。津鄉亭に共に滞在していた二名の内、一人は私の遺体の見守ってくれており、もう一人は手紙を携えて、そちらに急行している。夕方までには届く筈だ』と伝えられました」と言ったので、家中が大騒ぎになった。実際、手紙が届くと悉く夢の通りであった。
--2013-08-18 [日] 訳文にカギカッコ 『』 を付加し、閉じの方のカギカッコ 』 と重なる読点を削除した。

色いろ不備もあろうが、今日は、高校のクラス会で、私は、所謂「ケツカッチン」なのだ。と云う訣で、これ以上のことはしないでおく。

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メモ:[ハイゼンベルクの顕微鏡] (日経BP社)

所謂 [小澤の不等式] に就いて解説した [ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか] (出版社: 日経BP社 2005/12/28 ISBN-10: 4822282333 ISBN-13: 978-4822282332) を読む機会があって、卒読したのだが、なかなか面白かった。ただ、内容に就いて云云する学力は私にはないので、気がついたことだけを2点書き留めておく。

1. 冒頭 (p.7)、「十九世紀の最終年から四半世紀をかけて描かれてきた龍に、不確定性原理という点睛が入ったことにより、量子力学はカンバスを抜け出して二十世紀の空に舞い上がったのである」とあるが、「点睛」の「点」は「一筆描き入れる」と云う意味だから、「点睛が入った」では「描き入れる」と云う意味が重複してしまう。「瞳が描き入れられたことにより」又は「瞳が点ぜられたことにより」、或いは、単に「点睛により」ぐらいにしておいた方が良かったろう。

なお、「画竜点睛」の原文に就いては、このブログの [「画龍点睛」の出典と訳] や、[三省堂中国故事成語辞典] の [画竜点睛] の項 (p.143) あたりを参照していただきたい ([三省堂 中国故事成語辞典] には原文のほかに書き下し文も示されている)。

2. p.215 冒頭の不等式の不等号は、向きを逆にする必要がある。

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「门内有径」の意味

今朝程 (2011/09/17 07:06:49)、キーフレーズ [门内有径 日本語 意味] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

まぁ、順当に考えて、これは「門」(「门」は、「門」の簡体字) の「内側」には「小道」があると云うことでしょうね。まとめれば「門の内側には小道がある」。

視点を門の外側に置くなら「門の向こう側には小道がある」と云う訳し方も可能でしょう。

大きなお世話ながら [门内有径] で検索してみると、これは、林語堂 (林语堂, Lin Yutang) が、或るアメリカ人に対して、中国人の理想の暮しを表現したものとして引用したと云う明代の書家・画家 [陳継儒] (陈继儒/陳繼儒) の「小窗幽记」(「醉古堂剑扫」とも。日本新字体ではそれぞれ、「小窗幽記」及び「醉古堂剣掃」) に収めれた (巻六 [集景]) 一節

门内有径,径欲曲;径转有屏:屏欲小;屏进有阶,阶欲平;阶畔有花,花欲鲜;花外有墙,墙欲低;墙内有松,松欲古:松底有石,石欲怪;石面有亭,亭欲朴;亭后有竹,竹欲疏;竹尽有室,室欲幽;室旁有路,路欲分;路合有桥,桥欲危;桥边有树,树欲高;树阴有草,草欲青;草上有渠,渠欲细;渠引有泉,泉欲瀑;泉去有山,山欲深:山下有屋,屋欲方;屋角有圃,圃欲宽;圃中有鹤,鹤欲舞;鹤报有客,客不俗;客至有酒,酒欲不却;酒行有醉,醉欲不归。
--wiki.guoshuang.com : 小窗幽记 陈继儒

がヒットする。

高校の漢文の授業を居眠りしないでいた人物には説明不要だろうが、「径欲曲」の「欲」は、漢文の所謂「助字」で、通常「いまにも・・・しようとしいてる」と云う意味だと説明されるのが普通だ。人口に膾炙する 杜甫の「絶句 江碧鳥逾白 山青花欲然 今春看又過 何日是歸」の「山青花欲然」は「山は木々の青葉で被われ、その花は今にも燃えだすのではないかと思われるほど赤い」と云う訣だ。

しかし、上記引用文では、「欲」が繰り返して使われていて、描写そのものと云うより、言い切らないことで空想であることを暗示し、更に、一種の韻律をもたらす為の修辞的技法になっている。だから、必ずしもイチイチ「いまにも・・・しようとしいてる」と解釈しないほうが良い。

こんな感じだろう:

門の内側には小道があって、曲がっている。小道を曲がると、二之門があって、これは小さい。二之門を進むと、石段があって平坦になっている。石段の傍らには花が咲いていて、鮮やかである。花の向こう側には垣根があって、背が低い。垣根の内側には松の木があって、古色がある。松の根方には石があって、不思議な形をしている。石の傍には亭 (あづまや) があって、飾り気が無い。亭の後には竹林があって、まばらである。竹林を過ぎると小屋があって、ひっそりとしている。小屋の傍には道が通っていて、分かれている。分かれた道が合う所に橋があって、谷底は深い。橋のたもとには樹があって、高い。木陰には草があって、青々としている。草の近くには溝があって、細い。溝は泉に繋がっていて、その泉は水を溢れさせている。泉を過ぎると山があって、深い。山の麓には屋敷があって、四角い。屋敷の隅には菜園があって、広々としている。菜園の中には鶴がいて、踊っている。鶴は来客があったのを知らせたのだが、その客は高雅の士である。来客とあれば酒であり、酒は辞退されない。酒がすすめば酔いを発し、酔いを発せば帰らない

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中国語で「母の日」

今朝ほど (2011/05/03 07:14:12)、キーフレーズ [母の日 中文 中国語] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。中国語で [母の日] は何と言うのかをおしらべだったのだろうか。

もしそういうことなら [母親節] (簡体字では「母亲节」) で良いのではないからと思う。[中文版ウィキペディア] の [母亲节
] (最後修訂於2011年5月2日 (星期一) 23:35) には

[簡体:] 母亲节是一个感谢母亲的节日,而在世界各地的母亲节的日期也会有所不同。母亲们在这一天里通常会收到礼物;而在许多人心目中,康乃馨被视作最为合适于献给母亲的鲜花之一。
[繁体:] 母親節是一個感謝母親的節日,而在世界各地的母親節的日期也會有所不同。母親們在這一天里通常會收到禮物;而在許多人心目中,康乃馨被視作最為合適於獻給母親的鮮花之一。
--母亲节 (最後修訂於2011年5月2日 (星期一) 23:35)
[母親節] は、母親への感謝を表す為の日である。世界各地で行なわれるが、日付は異なることがある。普通、この日には、母親達は、プレゼントを受け取るが、母親に送る生花としてはカーネーションが最も適していると考えている人が多い。

とあるし、また [百度百科] の [母亲节] の項では「母亲节 (Mother's Day),作为一个感谢母亲的节日,...」([母親節] (Mother's Day) は母親に感謝を表す為の日であり・・・) となっている。

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メモ:元好問「山居雜詩六首 」

本日 (2011-03-29 [火]) 13時頃、キーフレーズ [山意秋向秋多 元好問 語句の元詩] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

大きなお世話だろうが、「山意秋向秋多」ではなく「山意向秋多」で検索しなおされた方が良いのではないか。そうすると、次の結果が得られるからだ (2首目の結句)。

元好問【山居雜詩六首】

瘦竹藤斜掛
幽花草亂生
林高風有態
苔滑水無聲

石潤雲先動
橋平水漸過
野陰添晚重
山意向秋多

樹合秋聲滿
村荒暮景閑
虹收仍白雨
雲動忽青山

川迥楓林散
山深竹港幽
疏煙沉去鳥
落日送歸牛

漲落沙痕出
堤摧岸口斜
斷橋堆聚沫
高樹閣浮槎

鷺影兼秋靜
蟬聲帶晚涼
陂長留積水
川闊盡斜陽
--元好問集 維基文庫,自由的圖書館

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日本語で「水」は中国語でも「水」

先程 (2010/04/28 08:35)、キーフレーズ [水 中文化学名] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。

おそらく化学物質としての「水 (日本語)」は中国語では何と言うかと云うことをお調べだったのだろう。

しかし、「水」は (特に化学物質としては)、中国語でも「水」で良いと思う (調べはしなかったが、実際は話が逆で、『中国語の「水」を、日本語でも「水」と言う』だと、ほぼ確信を以って言える)。

中国語版ウィキペディアの「」の冒頭には

水 (化学式:H2O) 是由氢、氧两种元素组成的无机物,在常温常压下为无色无味的透明液体。
--中国語版ウィキペディアの「」(最后修订于2010年4月9日 (星期五) 13:15)
水 (化学式:H2O) は、水素 (「氢」) と酸素 (氧) との二種類の元素から構成される無機物であり、常温常圧下では、無色無味透明な液体として存在する。

と云う「まんま」な解説が載っている (勿論「まんま」であるべきなのだが、何となく可笑しい)。

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