カテゴリー「ドイツ語/Deutsch」の18件の記事

2009年7月21日 (火)

ドイツ語で「陽電子」

本日昼下がり (2009/07/21 14:35:06)、キーフレーズ [陽電子 ドイツ語] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。ドイツ語で「陽電子」を何というかお調べだったのだろうか。

ログを読んでいて、「陽電子」...。英語だったら "positron" なんだから、ドイツ語だったら "Positron" で良いんとちゃうのん? と、思わず擬製関西弁してしまったが、調べてみると、それ以上付け加えることはない。

勿論 "Antielektron" と云う言い方もあるが、それほど一般的には使われていないのではないか。

言うまでもなかろうが "Positron" も "Antielektron" も、ともに中性名詞。

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2009年5月29日 (金)

デカルトの正葉線の曲率

Folium of Descartes, or folium cartesii
デカルトの正葉線
Folium of Descartes (folium cartesii)

先日 (2009/05/22 17:22:28)、[デカルトの葉線 曲率] と言うキーフレーズでこのサイトを訪問された方がいらしたらしい。恐らくは、デカルトの葉線 (「デカルトの正葉線」とも言うが、要するに xy 平面上で、式 x^3 + y^3 - 3 a x y = 0 で表わされる曲線のことである。ちなみに、x + y + a = 0 が漸近線になる) の曲率の表示式をお探しだったのだろう。

[デカルトの葉線 曲率] では、デカルトの葉線の曲率表示式は、探しにくいかもしれないが、英語の "Folium of Descartes" や、或いは、ラテン語の "folium cartesii" を使うなら、なにも "curvature" を付けないでも、その検索結果 (Google 検索で "Folium of Descartes" 又は "folium cartesii") から、"Wolfram MathWorld" の "Folium of Descartes" のページに辿りつけて、そこで曲率の表示式を見つけることができる。ただし、その曲率の表示式では、パラメータ (t) が使われている。

「そもそも」と云うほど大げさなことではないが、少し遡って説明を補足するなら、デカルトの葉線は y = f(x) の陽関数で捉えようとすると、原点の近傍 (正確に言うなら、x が正の微小値である範囲内) では1価関数にならない。したがって、パラメータ (t とする) を使って、都合よく x = x(t),\ y = y(t) と表わすことができないかと考えて、葉線の形を見ると、原点を通る直線と葉線との原点以外の交点は、高々1つしかなく、また原点を通る直線の傾きが -1 以外なら、原点以外の交点が必ず1つ存在することが容易に確認できる。従って、 t = y/x をパラメータとするのが適当であると推測できるので、そのようにすると、x^3 + y^3 - 3 a x y = 0 から


\begin{eqnarray*}
x = \frac{3at}{1 + t^3} \\
y = \frac{3at^2}{1 + t^3}
\end{eqnarray*}

が簡単に得られる (ただし、t \ne -1)。従って、求める曲率もまた、このパラメータ t で表わすのが自然な流れとなる訣である。そして、それは "Wolfram MathWorld" の "Folium of Descartes" のページに書いてあるように、


k(t) = \frac{2(1 + t^3)^4}{3a(1 + 4t^2 - 4t^3 -4t^5 + 4t^6 + t^8)^{3/2}}

になる。

この曲率を計算するのは大学初年級の解析学の演習レベル (それどころか、高校生でも、「物好き」なら、この程度のことはするだろう) だから、くだくだしくは書かないが (つまり、書くと「くだくだしく」なる)、一言注意しておくと、平面曲線のパラメータ表記 x = x(t),\ y = y(t) による曲率の計算式


\[
\frac{x^\prime y^{\prime\prime} - y^\prime x^{\prime\prime}}{((x^\prime)^2 + (y^\prime)^2)^{3/2}}
\]

よりも、平面曲線の陰関数表示 F(x, y) = 0 からの曲率の計算式


-\frac{F_{xx}F_y{}^2 - 2F_{xy}F_xF_y + F_{yy}F_x{}^2}{(F_x{}^2 + F_y{}^2)^{3/2}}

を使って、曲率を一旦 x, y, a の式として表わしてから x = x(t),\ y = y(t) を代入した方が計算が若干簡単になる。

しかし、まぁ、こうしただけのことなら何も記事を書く必要はないのだ。放っておいても、自然にこの程度の結果は得られた筈だからだ (因みに、アクセスしてきたのは、数学とは非常に親近性のある技術系の大手メーカー内からである。相応のリソースが備わっていると信じてよいだろう)。

では、何故、今この記事を書いているのかと言うと、"Wolfram MathWorld" の"Folium of Descartes" のページを見たとき、最近 (2009年5月18日) 正式公開された検索エンジン "Wolfram|Alpha" のことを思い出したことから、話が始まる (そして、すぐ終わる)。

実は、"Wolfram|Alpha" の公開直後、一度試しに使ってみて、その「検索」の範囲が科学技術系に限定されているらしいことに気付き、そして反応が遅いことに落胆して、そのまま立ち去っていたのだった。私のように、ネット内を彷徨して知的冒険ならぬ知的遭難を繰り返しているような人間には、不向きな道具に思えたからである。

しかし、「デカルトの葉線の曲率」と云った明確な技術的課題を調べるには適切に思えた。

そこで、"Folium of Descartes" を "Wolfram|Alpha" を調べて見たのだが (私のシステムの場合、スクリプトの実行し続けるとコンピュータが反応しなくなる可能性があるとして、中止を示唆する警告が出るのだが、強いて続行したところ) 確かに、曲率の表示式を含む、幾つかの特徴が表示されたのだった。

しかし、その陰関数表示が x^3 + y^3 = 3xy となっていて、一般的な形式で書かれていなかったのだな。つまり、(やはりパラメータと呼ぶしかないのだが)パラメータの a --この記事の書き方でも、Wolfram|Alpha 内の書き方でも同じ記号 a が使われている-- が抜けいている。勿論、他の部分は a の存在を前提にした書き方をしているから、全体として不統一になってしまっている。

勿論、「検索エンジン」だから、内容のチェックをしていないと言われればそれまでなのだが、しかし、google 式の検索エンジンが、玉石混淆を、そのままブチまけるため、慣れた利用者には「石」の存在に耐性があるのに対し、「単一の答え」を提示する Wolfram|Alpha のスタイルでは、ここら辺で躓いてしまっては、早晩営業が苦しくなるのは目に見えている。

「デカルトの葉線」に就いて、デカルト (René Descartes) とフェルマー (Pierre de Fermat) とのメルセンヌ (Marin Mersenne) を介した応酬 (Cf.「The mathematical career of Pierre de Fermat, 1601-1665 - Google ブック検索」) や、デカルト自身は、「葉線」が第1象限と同じ図形が、第2象限・第3象限・第4象限で繰り返されている (つまり「四つ葉」風になっている) と信じていたらしいと云う話 ("La courbe possède une forme de nœud de ruban. Lors de leur étude, Descartes et Roberval se limitèrent à une boucle, ne considérant que les coordonnées positives (x>0,y>0) car ils pensaient que la boucle se répetait dans chaque quart de repère, à la manière des quatre pétales d'une fleur (d'où son nom de folium = feuille). "--フランス語版ウィキペディア"Folium de Descartes") の真偽などを調べて見たいのだが、今はその餘裕がない。後後の為に、参考になるかもしれないリンクを幾つか纏めて置くだけにする:

  1. Descartes - Œuvres, éd. Adam et Tannery, I.djvu
  2. Œuvres de Fermat - I
  3. persee.fr - Revue d'histoire des sciences, Annee 1998, Volume 51, Numero 51-2-3, pp. 355-362
  4. La géométrie by René Descartes - Project Gutenberg
  5. The mathematical career of Pierre de Fermat, 1601-1665 - Google ブック検索
  6. COMMENT L'HISTOIRE DE LA GEOMETRIE ANALYTIQUE PEUT AIDER LES ...
  7. Richard L. Amoroso Fe, Fi, Fo, Folium: A Discourse on Descartes’ Mathematical Curiosity
  8. Full text of "Oeuvres de Descartes"
  9. File:Folium of Descartes Curvature.svg - Wikimedia Commons

なお、「デカルトの葉線」はフランス語では "Folium de Descartes" だが "nœud de ruban" と呼ばれることもある (ドイツ語では "Kartesisches Blatt")。

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2009年3月 8日 (日)

1926年のシュレディンガー論文 "Quantisierung als Eigenwertproblem" (固有値問題としての量子化) に就いて: ファインマンの言及箇所探し

[nouse: アハラノフ・ボーム効果とその実証実験 (本ブログ「サニャック効果」関連記事の余談として)] (2009年3月1日[日]) で引用したリチャード・ファインマン (Richard Feynman) の物理学教科書 "The Feynman Lectures on Physics" の一節の冒頭に "The theory we have described was known from the beginning of quantum mechanics in 1926. The fact that the vector potential appears in the wave equation of quantum mechanics (called the Schrödinger equation) was obvious from the day it was written." 「上記に説明した理論は、量子力学の創成当初である1926年以来分っていたのだ。量子力学の波動方程式 (シュレディンガー方程式) が書き表されたその日から、そこには、明白な事実としてにベクトルポテンシャルが現れていた。」 とあるが、この「1926年 」とは、勿論、Erwin Schrödinger (エルヴィン・シュレディンガー) が、量子力学史上重要な "Quantisierung als Eigenwertproblem" (固有値問題としての量子化) 4部作を発表した年である (「重要な」などと書いたが、私はろくに読んだことはない):

  1. "Quantisierung als Eigenwertproblem (Erste Mitteilung)" Annalen der Physik, (4), 79, (1926), 361-376
  2. "Quantisierung als Eigenwertproblem (Zweite Mitteilung)" Annalen der Physik, (4), 79, (1926), 489-527
  3. "Quantisierung als Eigenwertproblem (Dritte Mitteilung: Störungstheorie, mit Anwendung auf den Starkeffekt der Balmerlinien)" Annalen der Physik, (4), 80, (1926), 437-490
  4. "Quantisierung als Eigenwertproblem (Vierte Mitteilung)" Annalen der Physik, (4), 81, (1926), 109-139

因みに、シュレディンガーは、第2論文と第3論文との間に、これもまた「重要な」"Über das Verhältnis der Heisenberg-Born-Jordanschen Quantenmechanik zu der meinen" (Annalen der Physik, (4), 79, (1926), 734-756) (ハイゼンベルクボルンヨルダンの量子力学の私の量子力学に対する関係に就いて) を発表している。

で、ファインマンが言及している、1926年に書かれたベクトル・ポテンシャルを含む波動方程式のことなのだが、やはり「固有値問題としての量子化」4部作中に含まれていると考えるべきだろう。そして、ザッと眺めたところ、ハミルトニアンから波動方程式を導いて、更に、それをクーロン・ポテンシャルでの2体問題 (ケプラー問題) に適用しているらしい第1論文や、作用関数やホイヘンスの原理から波動方程式を論じて、更に、ケプラー問題以外の例として、磁場の非存在下 (第514ページ) での1次元調和振動子等の簡単な系の量子化を扱っているらしい第2論文中には現れるとは思えない。

これに対して摂動論を扱っている第3論文には、期待が持てそうだと、所々を覗いてみたのだが、結局、スカラーポテンシャルについて、次の記述が見つかっただけだった:

Indem wir der Wellengleichung des Keplerproblems, Gleichung (5), S. 362, Bd. 79 dieser Annalen, eine potentielle Energie +eFz hinzufügen, wie es der Einwirkung eines elektrischen Felds in der positiven z-Richtung von des Stärke F auf ein negatives Elektron vom Ladungsbetrag e entspricht, erhalten wir folgende Wellengleichung für den Starkeffekt des Wasserstoffatoms

(32) \Delta\psi + \frac{8\pi^2m}{h^2}\left(E + \frac{e^2}{r} - eFz\right)\psi = 0

welche die Grundlage des restlichen Teiles dieser Abhandlung bildet.
--"Quantisierung als Eigenwertproblem (Dritte Mitteilung)" II. 3 ("Annalen der Physik" Vierte Folge, Band 80, S. 457)

本紀要第79巻第362ページの式 (5) として示されたケプラー問題の波動方程式に、強さ Fz 軸正方向に向かう電場による、電荷 e の負である電子への作用に相当するポテンシャル・エネルギー +eFz を付け加えることで、以後の議論の基礎となる水素原子のスタルク効果に対する次の波動方程式が得られる

(32) \Delta\psi + \frac{8\pi^2m}{h^2}\left(E + \frac{e^2}{r} - eFz\right)\psi = 0

--「固有値問題としての量子化 第3部」第2章/第3節 (「物理学紀要」第80巻第4号第457ページ)

    訳註:
  1. シュレディンガーが "ein negatives Elektron vom Ladungsbetrag e" と云う持って回った言い方をしているので「電荷 e の負である電子」と訳してあるが (言うまでもないが、この論文時点で、陽電子は発見は勿論、少なくとも一般的には、予想もされていない。従って、シュレディンガーは、「陽電子」との区別のために "negative" と云う限定を入れたのではない)、「負電荷 -e の電子」と云うことだろう。

しかし、ファインマンはハッキリ「ベクトル・ポテンシャル」と書いているから、彼が言及しているのは第4論文の次のような箇所だったのだろう (第4論文も摂動を扱っている。ただし、第3論文は時間に依存しない系が主題であるのに対し、第4論文は時間に依存する系が主題である)。

Die Hamiltonsche partielle Differentialgleichung für das Lorentzsche Eelektron läßt sich leicht in folgende Gestalt setzen

(34) <br />
\begin{equation*}<br />
\left\{<br />
\begin{split}<br />
\Bigl(\frac{1}{c}\partialdiff{W}{t} + \frac{e}{c}V\Bigr) &- \Bigl(\partialdiff{W}{x} - \frac{e}{c}\mathfrak{A}_x\Bigr) - \Bigl(\partialdiff{W}{y} - \frac{e}{c}\mathfrak{A}_y\Bigr)  \\<br />
 &- \Bigl(\partialdiff{W}{z} - \frac{e}{c}\mathfrak{A}_z\Bigr) - m^2c^2 = 0 <br />
\end{split}<br />
\right.<br />
\end{equation*}<br />

Hier sind e, m, c Ladung, Masse des Elektrons und Lichtgeschwindigkeit; V, \mathfrak{A} sind die elektromagnetischen Potentiale das äußeren elektromagnetischen Feldes am Elektronenort. W ist die Wirkungsfunktion.

Aus der klassischen (relativistischen) Gleichung (34) suche ich nun die Wellengleichung für das Elektron abzuleiten durch folgendes rein formale Verfahren, welches, wie man leicht überlegt, auf die Gleichungen (4'') führen würde, wenn es auf die Hamiltonsche Gleichung eines in beliebigem Kraftfeld bewegten Massenpunktes der gewöhnlichen (nichtrelativischen) Mechanik angewendet wird. -- Ich ersetze in (34) nachdem Ausquadrieren die Größen

(35) <br />
\begin{equation*}<br />
\left\{<br />
\begin{split}<br />
&\hspace{10mm} \partialdiff{W}{t}, \quad \partialdiff{W}{x}, \quad \partialdiff{W}{y}, \quad \partialdiff{W}{z}, \quad \\<br />
&\mathrm{bezw. \ durch \ die} \ \mathit{Operatoren} \\<br />
&\pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{t}, \quad \pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{x}, \quad \pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{y}, \quad \pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{z} \mbox{.}<br />
\end{split}<br />
\right.<br />
\end{equation*}<br />

Den so erhaltenen linearen Doppeloperator, ausgeübt an einer Wellenfunktion \psi setze ich gleich Null:

(36) <br />
\begin{equation*}<br />
\left\{<br />
\begin{split}<br />
\Delta\psi - \frac{1}{c^2}\partialdiffsecond{\psi}{t} \mp \frac{4\pi ie}{hc}\Bigr( \frac{V}{c}\partialdiff{\psi}{t} + \mathfrak{A}\,\grad{\psi} \Bigl) \\<br />
\hspace{10mm} + \frac{4\pi^2e^2}{h^2c^2} \Bigr( V^2 - \mathfrak{A}^2 - \frac{m^2c^4}{e^2} \Bigl)\psi = 0 \mbox{.}<br />
\end{split}<br />
\right.<br />
\end{equation*}<br />

(Die Zeichen \Delta und \mathrm{grad} haben hier die elementare dreidimensionaleuklidische Bedeutung.) Das Gleichungspaar (36) wäre die vermutete relativistisch-magnetische Verallgemeinerung von (4'') für den Fall eines einzigen Elektrons und zwar wäre es ebenfalls in dem Sinne zu verstehen, daß die komplexe Wellenfunktion entweder der einen oder der anderen Gleichung zu genügen hat.
--"Quantisierung als Eigenwertproblem (Vierte Mitteilung)" ("Annalen der Physik" Vierte Folge, Band 81, SS. 133-134)

ローレンツ電子に就いてのハミルトン偏微分方程式は、容易に次の形式に表わすことができる:

(34) <br />
\begin{equation*}<br />
\left\{<br />
\begin{split}<br />
\Bigl(\frac{1}{c}\partialdiff{W}{t} + \frac{e}{c}V\Bigr) &- \Bigl(\partialdiff{W}{x} - \frac{e}{c}\mathfrak{A}_x\Bigr) - \Bigl(\partialdiff{W}{y} - \frac{e}{c}\mathfrak{A}_y\Bigr)  \\<br />
 &- \Bigl(\partialdiff{W}{z} - \frac{e}{c}\mathfrak{A}_z\Bigr) - m^2c^2 = 0 <br />
\end{split}<br />
\right.<br />
\end{equation*}<br />

ここで e, m, c は、電子の電荷・質量と光速度であり、V, \mathfrak{A} は、電子の位置における、外部電磁場の電磁ポテンシャルであり、W は、作用関数である。

古典論的な (相対論的な) 方程式 (34) から、以下の純形式的な手続き (容易に分かるように、これを、任意の力場における通常の非相対論力学的な運動質点のハミルトン方程式に適用するなら方程式 (4') が得られる) により、電子の波動方程式を導き出してみよう。つまり (34) において、平方展開に、各項

(35) <br />
\begin{equation*}<br />
\left\{<br />
\begin{split}<br />
&\hspace{10mm} \partialdiff{W}{t}, \quad \partialdiff{W}{x}, \quad \partialdiff{W}{y}, \quad \partialdiff{W}{z}, \quad \\<br />
&\mbox{それぞれを、次の{\bf 作用素}} \\<br />
&\pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{t}, \quad \pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{x}, \quad \pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{y}, \quad \pm \frac{h}{2\pi i}\partialdiff{}{z} \mbox{.}<br />
\end{split}<br />
\right.<br />
\end{equation*}<br />

に置換するのだ。こうして得られた線型2階作用素を、波動関数 \psi に適用したものをゼロに等しいとすると、次のようになる:

(36) <br />
\begin{equation*}<br />
\left\{<br />
\begin{split}<br />
\Delta\psi - \frac{1}{c^2}\partialdiffsecond{\psi}{t} \mp \frac{4\pi ie}{hc}\Bigr( \frac{V}{c}\partialdiff{\psi}{t} + \mathfrak{A}\,\grad{\psi} \Bigl) \\<br />
\hspace{10mm} + \frac{4\pi^2e^2}{h^2c^2} \Bigr( V^2 - \mathfrak{A}^2 - \frac{m^2c^4}{e^2} \Bigl)\psi = 0 \mbox{.}<br />
\end{split}<br />
\right.<br />
\end{equation*}<br />

(ここで、記号 \Delta 及び \mathrm{grad} は、初等的な3次元ユークリッド空間に対するものである)。対をなす方程式 (36) は、単一電子の場合に対する方程式 (4'') を相対論的磁場への一般化と措定して良いだろうが、このことの意味はつまり、複素波動関数は、上記方程式のどちらか一方を満足しなければならないと解釈されるべきだと云うことである。

--「固有値問題としての量子化 第部」第6節 (「物理学紀要」第81巻第4号第133-134ページ)

    訳註:
  1. やや余談に属するが、上記独文の翻訳には、主に小学館の [独和大辞典第2版 (コンパクト版)] を参考にしたが、そこには "Quantisierung" (量子化) と云う見出しが見られず、少々落胆した。まぁ、恐らくは、"Quantisierung" は、ブリティッシュ英語の動詞 "quantise" のドイツ語したものの更に派生名詞形と思われるから、と言うか、あるいは "quantisation" から直接造語したのかもしれないが、いずれにしろドイツ語にとっては「外来語」である可能性が大きいので、「ドイツ語」の辞典に収録するのに抵抗があるかもしれないことを認めるに吝かではない。しかし、逆に、だからこそ、利用者に一定の予備知識がないと、語義を推測しようがないことにも留意してほしかった。辞書への収録は、言葉の重要性との兼ね合いがあるのは、勿論だが、私に言わせれば "Quantisierung" は十分重要な単語である。
  2. "Ausquadrieren" も採録されていない。実は、この語義に就いては、私も若干不審なところがある。一応字面に合わせて「平方展開」と訳しておいたが、一般に「(式の) 展開」を意味する可能性が捨て切れない。
  3. 訳文中の式 (34) に就いて: 最近の Winshell は日本語に対応しているので、tex ファイル中に日本語が入っていても無事に dvi を作成出力する。しかし、そうした dvi ファイルを dvipng.exe で png 画像に変換しようとすると拒絶されてしまう。上記訳文中、式 (34) で使用した png ファイルは、モニター画面上に表示させた dvi 画像をキャプチャして png 形式で保存し、GIMP を使って、所要部分の切り取り、縮小、背景透明化を行なったものである。
  4. 一応、式の (4') がどのようなものか、下に紹介しておく:
    (4') \Bigr( \Delta - \frac{8\pi^2}{h^2}V + \frac{8\pi^2}{h^2}E \Big
l) \Bigr( \Delta - \frac{8\pi^2}{h^2}V - \frac{8\pi^2}{h^2}E \Bigl) \psi = 0

なお、私は未見だが (存在自体は承知していた)、以前共立出版から「シュレーディンガー選集」が出されたことがあって、その第1巻が [波動力学論文集] だった(1974年)。上記で引用した論文も、少なくとも一部は、当然収録されているだろう。

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2008年3月27日 (木)

"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと

このまえ、"May the Force be with you." (「フォースのともにあらんことを」) を、スウェーデン語で何と言うかと云う記事を書いた ([nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をスウェーデン語で言うと] 2008年3月2日[日])。昨年は、ドイツ語で何と言うかに就いても書いてある (nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うと 2007年2月23日[金])。

それぞれ、そう云う目的でこのサイトを訪問されたらしい方がいらしたために、余計なお世話を焼いたに過ぎない。

しかし、スウェーデン語とドイツ語 (そして、英語) が分かると、その他の言語では何と言うのか気になってくる。そこで、以下簡単に纏めておく。

ただし、「定訳」が存在していないこともありうるし (このような「決め文句」は、文脈上特段の理由がない限り「定訳」が採用するのが好ましい)、また少なくとも一部の印欧系の言語では第二人称の単複と、それに伴う親称・敬称 (もしあれば) の扱いが問題になるのだが、何れもほぼ考慮せず、ネットで発見してものを収集したにとどまる。

それでも、印欧系言語で第二人称単数親称を使った表現らしいものが見つかった場合は、それが最初に来るようにはした。それは "May the Force be with you" が、基本的には使命を帯びて旅立つ者への「はなむけの言葉」であるからだ ([マタイ]28:20 参照。ただし、そこでのイエスの言葉は1人ではなく11人に言われているけれど)。

引用句の最後はピリオドではなく感嘆符とする例も多多あるのだが (スペイン語では文頭にも付くこともある)、以下では一切付けていないので、適宜補って読んで戴きたい。

イタリア語: Che la Forza sia con te. / Che la Forza sia con voi. / Che la Forza sia con lei. / Che la Forza sia con loro.
スペイン語: Que la Fuerza te acompañe. / Que la Fuerza esté contigo. / Que la Fuerza os acompañe. / Que la Fuerza esté con vosotros. / Que la Fuerza esté con ustedes. / Que la Fuerza lo acompañe. / Que la Fuerza les acompañe.
フランス語: Que la Force soit avec toi. / Que la Force soit avec vous.
ポルトガル語: Que a Força esteja contigo. / Que a força esteja com você. / Que a Força esteja convosco. / Que a força esteja com vocês.

ドイツ語: Möge die Macht mit dir sein. / Möge die Macht mit euch sein. / Möge die Macht mit Ihnen sein.
オランダ語: Moge de kracht met je zijn. / Moge de kracht met jou zijn. / Moge de kracht met u zijn. / Moge de kracht met jullie zijn.

スウェーデン語: Må kraften vara med dig. / Må kraften vara med er.
デンマーク語: Må Kraften være med dig. / Må Kraften være med jer.
フィン語 (フィンランド語): Olkoon Voima kanssasi.
ハンガリー語: Az Erö Legyen Veled.

ギリシャ語: Η Δύναμη μαζί σου. / Η Δύναμη να είναι μαζί σου
ラテン語: Vis tecum sit. / Sit vis vobiscum. (2009-09-24 [木]:"nobiscum" を --vobiscum-- に訂正。)

ロシア語: Да пребудет с тобой Сила. / Да пребудет с Вами Сила.

ポーランド語: Niech Moc będzie z tobą. / Niech Moc będzie z Wami.
クロアチア語: Neka Sila bude s tobom. / Neka je Sila s tobom. / Neka Sila bude s vama. / Neka je Sila s vama.
ブルガリア語: Нека силата бъде с теб. / Нека силата бъде с вас.

中国語: 愿原力与你同在。/ 願原力與你同在。
韓国語: 포스가 함께 하기를。 / 포스가 당신과 함께 하기를 빌겠소。

トルコ語: Güç seninle olsun.

ヘブライ語では何というかに就いては調べがついていないので宿題としておこう。例えば "הכוח" "מלחמת הכוכבים" の組み合わせ (「スター・ウォーズ」と「フォース」) で検索してみたが、はかばかしい結果が得られなかった。

補足 (2008-04-30 [水]):
その後、"יהיה הכוח אתכם" で google 検索してみたところ、1件ヒットした (DEMONS: Under the Sink)。また "יהיה הכוח אתך" では1件もヒットしなかった。

2008-05-19 [月]: "יהי הכוח אתכם" でも1件ヒットする。それは、やはり "Demons: Under the Sink" 中の記事だが、別のページ (Reviews Master)である。更に、"יהי הכוח עמך" と云う言い方もありうる。これは数件ヒットするようだ。おそらく「フォースのともにあらんことを」のヘブライ語訳としては、この二つが最も「それっぽい」のではないか (文脈によっては、対象が二人称複数の形にしてもよいだろう)。

"יְהִי כֵן יְהוָה עִמָּכֶם" ([出エジプト記]10:10) が参考になるかもしれないので、ここに書き留めておく。

参考になるかもしれないサイト:
1. Force (Star Wars) - Wikipedia, the free encyclopedia
2. הכוח (מלחמת הכוכבים)

「"May the Force be with you" を色色な言語で言うと」は、「ネタ」としては平凡なものであるので、同主題で既に幾つもの記事が書かれている。そのうちの一つだけを引用しておく:
[Somewhere in the Middle: Que la Fuerza te acompane!]

このブログ記事は、[nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をスウェーデン語で言うと] と [nouse: 「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うと] の他に次の記事にも関連する:
1. [nouse: "May the Force be with you."に就いて] (2004年8月6日[金])
2. [nouse: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] (2004年7月16日[金])

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2008年2月 1日 (金)

「へゲール」とは俺のことかとヘーゲル言い

昨日深更 (2008/01/31 23:01:50)、キーフレーズ「へゲールの弁証法とは」で、このサイトを訪問された方がいらしたようだが、これではゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (Georg Wilhelm Friedrich Hegel) の弁証法 (Dialektik) には辿りつけないのではないか。何故かと言うと:

1. 音引き「ー」と「ゲ」の位置が逆。
2. 最初の「へ」がカタカナではなくひらがな。

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2007年11月30日 (金)

色色な言語で「宵の明星」

今日午前 (2007/11/30 10:29:20) キーワード[宵の明星 明けの明星 イタリア] でこのサイトを訪問されたかたがいらしたらしい。[nouse: 色色な言語で「明けの明星」] (2007年11月14日[水]) は作ったが、「宵の明星」の方はとサボっていたので、この機会に作っておく。

前回と同様 [LOGOS - Multilingual E-Translation Portal] の[evening star] の項と [Webster's Online Dictionary] の [Evening Star] の項を、内容未チェックのまま纏める。

英語: Evening Star
アフリカーンス語: Venus, Aandster
オランダ語: Venus, Avondster
フランス語: Vénus, l'étoile du soir
ドイツ語: Venus
ハンガリア語: Vénusz
イタリア語: Venere, la stella della sera
日本語: 宵の明星, 一つ星
マン島語: Rollage yn Astyr (Hesperus, the evening star). (various references)
Papiamento: Venus //"Papiamento" はカリブ海の所謂 ABC 諸島 で話されている言語。
偽ラテン語 (Pig Latin): eveningay arstay
ルーマニア語: luceafãrul de searã
ロシア語: вечерняя звезда
セルビア・クロアチア語: večernjača
トルコ語: venüs, akşamyıldızı, çulpan
ベトナム語: sao hôm
ユカテク・マヤ語 (Yucatec): Xnuk Ek'
ラテン語: Cytherea, Venus, vesper, vespere, vesperi, vespero, vesperum
スペイン語: la estrella vespertina
デンマーク語: Venus
フィンランド語:iltatähti
ペルシャ語: ناهيد

[nouse: サッポーの詩] にも呼格の形で出てきたが、古典ギリシャ語で「夕づつ」つまり「宵の明星」は Ἔσπερος である。

また、[nouse: 色色な言語で「明けの明星」] で触れたように、中国語では「宵の明星」は「長庚(长庚)」。これをハングル表記すると 장경 になる。

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2007年11月28日 (水)

オランダ語で「夜」

本日 四更 (2007/11/28 01:38:09) キーフレーズ [夜 オランダ語] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。おそらくは、オランダ語で「夜」を何というのかお調べだったのだと思う。

オランダ語で「夜」は "nacht" である(男性名詞)。ドイツ語と (Nacht 女性名詞) 同じ綴りだが、頭文字が大文字ではない。

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2007年11月14日 (水)

色色な言語で「明けの明星」

昨夜、20時20分頃、キーフレーズ [イタリア語で明けの明星] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。 まぁ、"l'astro del mattino" ぐらいでしょうね。

「明星」、「明星」と、イチイチ面倒なので、纏めて書いてあるものを探したら [l'astro del mattino - Logos Dictionary - Logos Translations multilingual dictionary] と Webster's Online Dictionary の [Morning Star] と云うものが見つかった。内容未チェックのまま、それに従うと:

英語: morning star
イタリア語: l'astro del mattino
スペイン語: lucero del alba
フランス語: l'étoile du matin
ブルトン語: gwerelaouen
デンマーク語: morgenstjerne
フィンランド語: aamutähti
ラテン語: sidus matutinum //ゑびすや贅言: Lucifer で良さそうな気がするが、キリスト教文化内では、安易に使えない言葉なのだろう。
マプンズグアン語: wüñejfe
ペルシャ語: ستاره صبح
ポルトガル語: estrela da manha, estrela d'alva
ウェールズ語: seren y bore
アルバニア語: ylli i mëngjesit
ブルガリア語: зорницата
チェコ語: jitřenka
オランダ語: morgenster
エスペラント: matenstelo
ドイツ語: morgenstern
現代ギリシャ語: αυγερινόσ
ヘブライ語: עמוד השחר 参考: עמוד השחר
אילת השחר, אילת 参考:morning star | Hebrew | Dictionary & Translation by Babylon
שחר 参考: Isaiah 14:12
ברקאי 参考: Naftali Herz Imber
ハンガリア語: hajnalcsillag
インドネシア語: bintang timur
日本語: 暁星, ぎょうせい, ひとつぼし, よあけのみょうじょう, みょうじょう
マン島語: rollage ny madjin, maddinagh
偽ラテン語 (Pig Latin): orningmay arstay
ルーマニア語: luceafãrul de dimineaţã
ロシア語: утренняя звезда
セルビア・クロアチア語: zvezda danica, zornjača
スウェーデン語: morgonstjärna
トルコ語: sabah yıldızı
ベトナム語: sao mai

以上に追加すべきものとしたら、以下のようなところだろうか(こちらも、あまり自信はない):

中国語: 啓明(启明)
参考: 「太白金星_百度百科」で指摘されているように [诗·小雅·大东 (詩経/小雅/大東]) には 「东有启明 西有长庚」(诗经·小雅) と云う句がある。つまり「啓明」が「明けの明星」を「長庚」が「宵の明星」を指す。

韓国語: 샛별
参考: Paran 사전(辞典):「啓」

古典ギリシャ語: Φωσφόρος

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2007年9月 3日 (月)

ドイツ語版ウィキペディア "Sagnac-Interferometer" 訳文

以下はドイツ語版版ウィキペディア中の [サニャック干渉計] の項 [Sagnac-Interferometer (zuletzt am 31. Mai 2007 um 20:11 Uhr geandert)] の訳文であるただし、ドイツ語版でのカテゴリ等、編集上のタグは原則として採用していない)。なお、訳文部分の著作権は、原文と同様 [GNU Free Documentation License] に従う。

Ein Sagnac-Interferometer ist ein Interferometer, das es ermöglicht, Rotationen absolut zu messen.
「サニャック干渉計」は、絶対的な回転運動の測定が可能な干渉計である。

Einführung
Nach der speziellen Relativitätstheorie können [[Geschwindigkeit]]en nur relativ zu einem anderen [[Bezugssystem]] gemessen werden. Bei Drehbewegungen ist dies jedoch anders. Rotationen können absolut gemessen werden.
導入部
特殊相対論によれば、座標系間の相対的な速度のみが測定可能である。しかし、回転運動の場合は異なる。回転は絶対的な測定が可能なのである。

Die älteste Methode zur absoluten Rotationsmessung ist das Foucault'sche Pendel, mit dem es erstmals gelang, die Rotation der Erde ohne Himmelsbeobachtungen zu messen und damit das heliozentrische Weltbild des Kopernikus zu bestätigen. Auch Kreiselkompasse funktionieren nach diesem Prinzip.
回転運動の絶対的測定を行なうため方法としては、古くは、フーコーの振り子があり、これにより初めて、天体観測を用いずに地球の自転を測定し、それによりコペルニクス地動説を立証することに成功した。ジャイロコンパスも、この原理で動作する。


Der Sagnac-Effekt
Ein weiterer Effekt wurde [[1913]] von [[Georges Sagnac]] (1869-1926) entdeckt. Er beobachtete, dass zwischen kohärentem Licht, das im Uhrzeigersinn, und Licht, das im Gegenuhrzeigersinn über Spiegel auf der selben Strecke im Kreis gelenkt wird, eine Phasenverschiebung auftritt, sobald man die gesamte Apparatur dreht. Er deutete diese Beobachtung als Nachweis der Existenz des Lichtäthers. Sie lässt sich jedoch auch im Rahmen der Relativitätstheorie erklären, wie weiter unten gezeigt wird.
サニャック効果
別の効果がジョルジュ・サニャック (Georges Sagnac 1869-1926) により1913年に発見された。サニャックは、鏡を使って、同一の行路を、干渉性のあるの一方が時計周りに進むようにし、他方が反時計回りに進むようにした装置全体を回転させると、即座に位相シフトが発生することを観測したのである。サニャックは、こうした観測事実は、エーテルの存在を証明するものだと考えた。しかし、この観測事実は、以下に示すように、相対論が解明した空間においても成立する。

1925 gelang es Albert Abraham Michelson und Henry G. Gale mit einem Interferometer von 613 m Länge und 339 m Breite nach diesem Prinzip die Rotation der Erde mit einer relativen Genauigkeit von 2% zu messen. Die relative Streifenverschiebung betrug 0,23. Um scharfe Interferenzstreifen zu erhalten, war der komplette Lichtweg auf 17 mbar evakuiert.
1925年、アルバート・アブラハム・マイケルソン (Albert Abraham Michelson) とヘンリー G, ゲイル (Henry G. Gale) は、この原理に従って、長さ 613 m、幅 339 m の干渉計を用い、相対誤差 2% の精度で地球の自転を測定するのに成功した。その縞の位置の相対的シフトは0.23だった。鮮明な干渉縞を得るために、光路全体が 17 mbar 迄減圧された。

Michelson und Gale erkannten bereits selbst korrekt, dass ihr Experiment keine Aussage über die Existenz des Äthers macht. Es lässt sich sowohl mit der Relativitätstheorie als auch mit dem Äther erklären.
マイケルソン及びゲイルは、彼らの実験結果がエーテルの実在を意味するものではないことを、既に自ら正しく認識していた。それは、相対論によってもエーテル理論によっても説明が可能だったのである。

Der Aufbau


Originalskizze von Georges Sagnac
ジョルジュ・サニャックによる元の概略図
Ein kohärentes Lichtbündel einer Quecksilberdampflampe O wird mit einem Strahlteiler j in zwei Teilstrahlen R und T aufgeteilt. Diese werden mit Hilfe von Spiegeln M1 bis M4 in entgegengesetzter Richtung im Kreis geführt und treffen an dem Strahlteiler wieder aufeinander. Das Interferenzmuster wird auf einem Schirm c beobachtet. Befindet sich die Anordnung in Ruhe, sind die Wege beider Strahlen gleich lang und in der Mitte des Schirms sieht man destruktive Interferenz, denn bei der Reflexion entsteht jeweils eine Phasenverschiebung von 90°, was bei dem im Bild gegen den Uhrzeigersinn laufendem Strahl eine Phasenverschiebung von 180° gegenüber dem im Uhrzeigersinn laufenden Strahl ergibt. Wird nun aber der ganze Aufbau um eine Achse senkrecht zur Strahlebene gedreht, ist der optische Weg für beide Teilstrahlen nicht mehr gleich lang, da sich in der Zeit, die das Licht für einen Umlauf benötigt, der Strahlteiler bereits ein Stück weiter gedreht hat. Dadurch sieht man eine Verschiebung der Interferenzstreifen.
構造
水銀灯 O から発せられた干渉性のある光束は、ビームスプリッター j により2本の部分光束 R 及び T に分割される。これらの部分光束は、鏡 M1 から M4 によって、環状をなすようにして逆向きに案内されて、ビームスプリッターの位置で再び出会い、スクリーン c 上に、干渉パターンが観測される。この構成が静止している場合、2本の光束の長さは同じになり、スクリーン中央で相殺的干渉が現われていたら、反射毎に位相が 90 度ズレることで、結像において、反時計回りに進んだ光束が、時計まわりに進んだ光束に対して 180度の位相ズレを有するようになっていると云うことである。しかし、この構造全体を、光路面に対し垂直な或る軸を中心にして回転させると、2本の部分光束の光路の長さが一致しなくなってしまう。これは、光が一周するのにかかる時間の間に、ビームスプリッターが少しだけ更に回転してしまっているからである。このために、干渉縞にシフトが生じる。

Theorie
In jedem Inertialsystem breitet sich Licht mit konstanter Geschwindigkeit c aus. Im Folgenden ist das Inertialsystem das Bezugssystem, und das Interferometer dreht sich. Licht läuft auf einer beliebig geformten geschlossenen Bahn der Länge l um. Es wird entsprechend durch Spiegel abgelenkt. Die Zeit, die das Licht benötigt, um die Strecke dl zurückzulegen, beträgt

理論
全ての慣性系で、光は、一定速度 c で伝播する。以下の記述では、慣性系であるのは座標系であり、干渉計は回転している。光は、長さ l である任意に形成された閉路を巡っている。光は、鏡により、適宜に方向を変えられているのである。光が、道のり dl を進むのに要する時間は、

である。

Während dieser Zeit dreht sich die Apparatur um den Winkel . Das Licht muss also unter der Annahme in Tangentialrichtung ein um

längeres bzw. kürzeres Wegstück zurücklegen. (r ist nicht der Abstand zwischen der Drehachse und dem Streckenstück dl, sondern der Abstand zwischen der Drehachse und der an dl anliegenden Tangente. ist daher die in Tangentialrichtung zeigende Komponente der Rotationsgeschwindigkeit.) Für den kompletten Umlauf ergibt sich also
,
wobei A die vom Strahlengang eingeschlossene Fläche ist. Die Differenz der Strecken, die die beiden umlaufenden Lichtwellen zurücklegen müssen, beträgt 2x. Die relative Streifenverschiebung ist damit

この時間の間に、装置は、角度 だけ回転する。ここで、 と云う仮定が成り立っているなら、光は、接線方向に

だけ長いか或いは短かいかする区間を進むことになる。(ただし 、r は、回転軸と区間 dl との間の距離ではなくて、回転軸と dl に接する接線との間の距離である。従って、 は、回転速度の接線方向成分である)。従って、一周全体では、次の式が得られる

ただし、ここで A は、光線の軌跡に囲まれた面積である。2本の周回光波が進行しなければならない道のりの差は、2x であるから、相対的な干渉縞シフトは、

となる。

Auf diese Art und Weise lassen sich allerdings mit realistischen Werten nur relativ schnelle Rotationen messen. Bei einer Fläche A = 1 m2 (in der Skizze mit S bezeichnet) und einer Wellenlänge λ = 633 nm benötigt man eine Winkelgeschwindigkeit Ω von 227 Umdrehungen pro Minute, um von maximalem Signal zu Auslöschung (Δ = 1/2) zu wechseln.
このような技術は、「比較的早い」程度の速度の測定法としては確実に実用性に堪える。面積 A = 1 m2 (概略図中では S で示されている) で、波長 λ = 633 nm なら、最大信号を消光に変えるには (Δ = 1/2)、毎分 227 回転の角速度 Ω が必要である。

[[訳註:{((1/2)/4)*(633*10-9)*(3*108}/{(2*3.14)*60}=226.79 (rpm)]]

Literatur
文献


  • Georges Sagnac: ''L'ether lumineux demontre par l'effet du vent relatif d'ether dans un interferometre en rotation uniforme'', in: ''Comptes Rendus'' 157 (1913), S. 708-710

  • Georges Sagnac: ''Sur la preuve de la réalité de l'éther lumineux par l'expérience de l'interférographe tournant'', in: ''Comptes Rendus'' 157 (1913), S. 1410-1413

  • Albert Abraham Michelson, Henry G. Gale: ''The Effect of the Earth's Rotation on the Velocity of Light'', in: ''The Astrophysical Journal'' 61 (1925), S. 140-145

Siehe auch:
Faserkreisel, Ringlaser
参照:
"Faserkreisel" 及び "Ringlaser"

    関連記事 (本サイト内):
  1. nouse: 英語版ウィキペディア "Sagnac effect" 訳文
  2. nouse: フランス語版ウィキペディア "Effet Sagnac" 訳文
  3. nouse: オランダ語版ウィキペディア "Sagnac-effect" 訳文
  4. nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出

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2007年7月 8日 (日)

マルトデキストリンの構造式?

ときどき [maltodextrin (マルトデキストリン) 構造式] と云った類のキーフレーズで、このサイトを訪れる方がいらっしゃる。それを見ると、本当に大きなお世話だろうが、「一体、この人は、どの程度の情報を知りたがっているのだろう」と、首を傾げてしまうのだ。

変なサジェスチョンをすると、「そんな分かりきったことを調べているのではない」と叱られそうな気がする。その一方で、かなり初歩的なレベルで困っていらっしゃるのかも知れないと云う気もする。

最近も、そうした訪問者があった。勇を鼓して、変なサジェスチョンをしておこう。

まず話の土台を作るために、その物ずばりのタイトルであるドイツ語版ウィキペディア "Maltodextrin" (28. April 2007 um 14:38 Uhr) から少し訳出する:

Maltodextrin (Warenzeichen Maltrin) bezeichnet ein wasserlösliches Kohlenhydratgemisch, das durch Hydrolyse von Stärke (Poly-α-glucose) hergestellt wird (siehe modifizierte Stärke). Die Hydrolyse erfolgt teilweise durch Säure, teilweise auf enzymatischem Wege.
マルトデキストリン (商標名 "Maltrin") はデンプン (ポリ-α-グルコース) の加水分解により生産される水溶性炭水化物混合体のことである(ドイツ語版ウィキペディア "modifizierte Stärke" --化工デンプン-- の項を参照)。加水分解は、酸によって行なわれることも、酵素によって行なわれることもある。

Maltodextrin ist ein Gemisch aus Monomeren, Dimeren, Oligomeren und Polymeren der Glucose. Je nach Hydrolysegrad unterscheidet sich die prozentuale Zusammensetzung. Diese wird durch das Dextrose-Äquivalent beschrieben, das bei Maltodextrin zwischen 3 und 20 liegt.
マルトデキストリンは、グルコースの、モノマー、ダイマー、オリゴマーポリマーからなる混合物である。成分の割合は、加水分解の進み具合に応じて様様であるため、組成の記述にはデキストロース当量が用いられるが、その値は3乃至20である。

訳註:
1.「ダイマー」と「オリゴマー」との間に、「トリマー、...」を入れたくなるのだが、そのまま訳しておく。
2. デキストロース当量 (「ブドウ糖当量」とも謂う。或いは "DE" とも表記される。これは、英語 "Dextrose Equivalent" の略) とは、デンプンの加水分解物や糖が、同量のデキストロース(つまり「グルコース」、つまり「ブドウ糖」)の何%に相当する還元力を持っているかを示す値。従って、デンプンのデキストロース当量は0で、デキストロース(グルコース/ブドウ糖)のデキストロース当量は100になるのは当然だが、この他に例えばショ糖は非還元糖なのでは 0 になる。デキストロース当量は、デンプンの加水分解にあっては、還元糖までの分解がどの程度まで進んでいるかを示す目安になる。

Das Wort Maltodextrin leitet sich von Maltose und Dextrose ab: Maltose (= Malzzucker) ist das Dimer zweier Glucose-Moleküle, während Dextrose (= Glucose = Traubenzucker) ein Monomer darstellt.
マルトデキストリンと云う言葉は、マルトースとデキストロースに由来する。マルトース(麦芽糖)は、2個のグルコース分子のダイマーであるのに対し、デキストロース(つまりグルコース、つまりブドウ糖)は単糖である。

訳註:
1. "ab|leiten sich4 von et3": 「...に由来する」
2. この部分の記載に対して、私は眉に唾を付けざるをえない。字面を素直に読む限り、Maltodextrin は、麦芽(malt/モルト)中に形成される(のと同様な)デキストリンの意だろう。

Maltodextrin ist kaum süß und beinahe geschmacksneutral. Da es gerade noch wasserlöslich ist, wird es in der Diätetik eingesetzt, um Mahlzeiten mit Kohlenhydraten anzureichern. In Wasser bildet es eine klebende, trübe und viskose Masse.
マルトデキストリンには、殆ど甘味はなく、ほぼ無味である。水にはなんとか溶けるので、食事に炭水化物を補足する目的で、食餌療法において用いられる。水に溶けると、マルトデキストリンは、粘着性のある不透明な粘性な塊を形成する。

訳註:
1. "Diätetik" は「食餌療法」と訳しておいた。日本語の「ダイエット」は意味に偏りがありすぎるからである。

Maltodextrin hat die CAS-Nummer 9050-36-6.
マルトデキストリンの化学物質登録番号 (CAS Number) は9050-36-6である。

以上を読めば、お分かりになると思うが、「マルトデキストリン」の「化学物質」としての「立場」は、「ビミョー」なのだ。

まず、「マルトデキストリン」には、「デンプンの加水分解によって得られた」と云う製法依存の属性が付いている (つまり「マルトデキストリン」とは「デンプンの加水分解によって得られたデキストリン」と云うことだ)。従って、「マルトデキストリン」は化学的にはせいぜい「デキストリン」の下位概念にしかならないし、それどころか「工業的には意味があっても、化学的には独立した意味がない概念だ」と云う考え方もできるのだ。

その上、「デキストリン」そのものが、グルコースモノマーが基本になっているとは言え、様様な重合度の糖類が様様な割合で混合した一連の範囲の組成物の総称だから、議論によっては、構造式を云云すべきではないこともありうるだろう。

勿論、適用範囲に限界があることを十分念頭におくなら、英語版 Wikipedia の "Dextrin" の項 (あるいは、むしろ、Wikipedia が引用している "21 C.F.R. 184.1444 Maltodextrin") で示されているような、グルコース1分子から水1分子を落としたものを重合化したことを表わす ((C6H10O5)n が有用である場合もあるだろうけれども。

関連記事:
nouse: [nouse: マルトデキストリンの構造式?] 補足

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2007年4月12日 (木)

釈明若干: 記事 " List of Links to Mercurius/Hermes Images" に関連して

自分で書いておいてナニだが、日本語ブログのなかに英語のページが突然あると、かなり面妖なものだ。自己諒解が主目的である本ブログであっても、「鼠に齧らせておけばよい」などとすましてはいられまい。何らかの釈明が必要であろうと思って書いておく。

Wir überließen das Manuskript der nagenden Kritik der Mäuse um so williger, als wir unsern Hauptzweck erreicht hatten - Selbstverständigung.
--Karl Marx - Zur Kritik der Politischen Oekonomie - Vorwort

問題の英語ページ [nouse: List of Links to Mercurius/Hermes Images (English Version)] は、日本語ページ [nouse: メルクリウス/ヘルメス図像リンク集: イル・ジョルナーレ ("Il Giornale") ロゴに関連して] 中のリスト部分に、リスト作成の経緯を英文で付したものである。

いみじくも www (world wide web) と云う言葉が名詮自性するように、このささやかなブログであっても、世界中からアクセスがある。例えば、最近4ヵ月 ( 2007年1月1日 ~ 2007年4月11日) における当ブログ訪問者が使用するブラウザの言語設定を纏めたものを、ココログのアクセス解析から転写すると以下の通りだ。

1 [ja]Japanese2,369 93.1%
2 [en]English116 4.6%
3 [es]Spanish9 0.4%
3 [fr]French9 0.4%
5 [zh]Chinese8 0.3%
6 [de]German7 0.3%
7 [ko]Korean5 0.2%
8 [it]Italian4 0.2%
9 [ca]Catalan3 0.1%
9 [el]Greek3 0.1%
11 [pt]Portuguese2 0.1%
11 [ru]Russian2 0.1%
13 [da]Danish1 0.0%
13 [nb]NorwegianBokmal1 0.0%
13 [sl]Slovenian1 0.0%
13 [chr]1 0.0%
13 [hu]Hungarian1 0.0%
13 [nl]Dutch1 0.0%
13 [fi]Finnish1 0.0%

"chr" と云う言語コードはアメリカ先住民のチェロキー (Cherokee) のものであるらしい。

私自身が世界中のサイトを覗きまわっているので、逆にこのサイトの訪問者の使用言語が多種に亘るのには「お互い様」だ。

使用言語とリモートホストの URL から見て、ギリシア在住のギリシャ人と思われる方が検索されて、世界でただ一つこのサイトがヒットしたために訪問されたのを見たりすると、ちょっとした縁 (えにし) を感じたりしたこともあるのだが、それまでのことなのだ。「非日本語使用者は、このサイトに来た瞬間に失望しているだろうな」とは思うのだが、だからドウコウするようなことはなかった。中には、グーグルの翻訳エンジンを使って、翻訳させている訪問者もあって、もちろん結果は噴飯物なのだが、「あんなものは使う方が悪い」と、私は考えているから、同情する気は起こらない。

そうした事情が、「メルクリウス/ヘルメス図像リンク集・・・」を書いた後、変わった。グーグルのイメージ検索を介して、様様な言語使用者が頻頻とそのページを訪問されるてくる。「瞬間最大風速」的なものではあるが、非日本語使用者総数が日本語使用者数に拮抗したりする。こうなると放ってはおけない。" List of Links to Mercurius/Hermes Images" を作成した所以である。機械翻訳より、ちったあマシな英文になっているであろうと思っている。

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2007年2月23日 (金)

「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うと

検索キーワードから推測すると、「フォースのともにあらんことを 」("May the Force be with you.") をドイツ語で言うとどうなるかを確認すべく、本サイトを訪問された方がいるようだ。ネットでの検索結果を参考にすると "you" をどう解釈するかで、代名詞部分が変化するが、だいたい次のようになるのではないか。

  • Möge die Macht mit euch sein.
  • Möge die Macht mit dir sein.
  • Möge die Macht mit uns sein.
  • Möge die Macht mit Ihnen sein.

日本語に訳すと、どれも「フォースのともにあらんことを 」になってしまう。

英語で考えると、"Möge" は 助動詞 "mögen" の接続法で may に、"die" は the に、"Macht" は Force に、"mit" は with に、"sein" は be に対応する。代名詞部分は "euch" が二人称複数親称 (you)、"dir" は二人称単数親称 (thee)、"uns" は一人称複数 (us)、"Ihnen" は二人称単数及び複数敬称 (you) である。

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2007年1月30日 (火)

"One for all, and all for one" (「一人は万人のために、万人は一人のために」) に就いて

記事 [「一人ひとりに、それぞれの必要に応じて。一人ひとりが、その能力に応じて。」と「全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。」] (2007年1月26日) で書いた [三銃士 (ダルタニャン物語 第一部)] ("Les Trois Mousquetaires" 1844年) に現われる "Tous pour un, un pour tous." (「全員が一人のために。一人は全員のために。」) の対応英語形は "One for all, all for one" になる。この変異例としては "One for all, and all for one" や "all for one, one for all" 或いは "All for one, and one for all" がある。日本語の「一人は万人のために、万人は一人のために」も、この系統とみなして良いだろう。

"Voyage en Icarie ([イカリア旅行記] 第3版 1845年)" 表紙における "Tous pour chacun. Chacun pour tous." (全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。) が、どう関わるのかは、未確認。


で、取り敢えず話を日本に限ると 「一人は万人のために、万人は一人のために」(変異例:「みんなが一人のために、一人はみんなのために」)や "One for all, all for one" 等は、様ざまな組織及び個人の pet philosophy になっている:

生活協同組合 (生協)
コープこうべ
全国生協連
大学生協
農業協同組合 (農協)。 ただし「"Each for All, All for Each (一人は万人のために 万人は一人のために)"」を採用している。
JA (農協) 東京中央会
JA 全農
JA 全中
その他の協同組合
全労済
労働組合
動労千葉
自治労群馬県本部
自治労横浜
関西合同労組
全日本郵政労働組合 英文による組織紹介のタイトルが "One for all, all for one"
チーム競技
ラグビー (愛知県「岡崎ラグビースクール」)
サッカー (神戸大学体育会サッカー部)
野球 (松坂大輔)
ソフトボール (茨城県東海村「舟石川ソフトボールスポーツ少年団」)
バレーボール (Vリーグ「トヨタ自動車」チーム)
フットサル (フットサルラボ:脱初級者フットサルブログ)
ラクロス (東京女子体育大学・ラクロス部)
駅伝 (99年北大駅伝)
モダンダンス (大東文化大学モダンダンス部)
チアリーディング (福井県 WENDYS)...
バンドスタイル又はシンガーチームスタイルのタレントの features
H.P.オールスターズ: "Hello! Project" のユニット。「ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!」は、その楽曲名。
氣志團ちゃんブログ:ONE FOR ALL.ALL FOR ONE. (2006年4月21日)
学校/課外活動のモットー
聖ドミニコ学園小学校(東京都世田谷区)
山口県立豊北高等学校
岡山県立矢掛高校吹奏楽部
学園祭・運動会のテーマ
西九州大学福祉医療専門学校・佐賀調理製菓専門学校の合同学園祭
沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学 学生会2006キリ学祭
横浜市國學院大學幼児教育専門学校“若葉祭”
文教大学付属中学・高等学校学園祭 (東京都品川区旗の台)
神戸山手女子中学校・神戸山手女子高等学校
啓新高校(福井県)
広島県立加計高等学校
大阪産業大学
横浜市立日限山中学校
舞鶴市立城南中学校
高知県立高知追手前高等学校吾北分校
山口県立南陽工業高等学校体育祭...
成人式の標語
秋田県横手市
政治家の看板文句
豊島区議会議員 池田なおひろ (自由民主党)
衆議院議員 後藤田 正純 (自由民主党)
前・衆議院議員 田中慶秋 (民主党)
山口県下関市議会議員 長ひでたつ (公明党)
千葉県浦安市議会議員 辻田あきら
福井県議会議員 のだ富久 (県民連合)
神奈川県知事 松沢成文
長野県下伊那郡下條村議会議員 宮島きよのぶ
衆議院議員 森喜朗 (自由民主党)
ブログのタイトル
多数。無慮数百あるようだ。
個人の「好きな言葉」/「座右銘」
多数。

なにか、こう目眩いがしてくるね。

保険会社も、しばしば「一人は万人のために、万人は一人のために」を標語にする:

その根拠にしているのは、ドイツ語形の "Einer für Alle, Alle für Einen" のようだ。これは、直接にはドイツ(その後米国に移住)の保険学者 Alfred Manes によるらしいが、それが更に由来するものがあるかどうかは、私には不明。

外国での対応表現の使われ方に就いて調べてみるつもりだったが、別の機会を俟つことにする。

    参考になるかもしれないサイト:
  • One for all, and all for one - Wikipedia: 記事中、"One for all, and all for one" をモットーとする団体として具体的に挙げられているのは "Hells Angels" だけである。
  • Panthéon de Paris - Wikipedia: 2002年11月30日に Alexandre Dumas がパリ・パンテオンに改葬された際に、棺にかけられた drap bleu には "Tous pour Un, Un pour Tous " と記されていたと云う (Alexandre Dumas, samedi 30 novembre 2002)。
  • Rugby School Internet Services: rugby football が始まったとされるイングランドの public school "Rugby School" のサイト。"one for all" や "all for one" に就いて特記している様子は見られない。「学校新聞」である "The Grapevine" 2006年2月号に "This term has been a pretty amazing one for all the badminton squads,..." とあるが、これは「今期は、バドミントンチームの全てが素晴らしい成績を残した」と云うこと。
  • Rugby Football Union: 英国ラグビーフットボール協会のサイト。"one for all" や "all for one" に就いて特記している様子は見られない。
  • RugbyRugby: Latest News: ラグビーフットボールの専門サイト中の記事。"one for all and all for one" と云うスローガンに就いての言及がある。
  • Unus pro omnibus, omnes pro uno - Wikipedia: ラテン語。非公式ながらもスイスの伝統的モットー。
  • Trivia for The Truman Show (1998) によれば、映画 "The Truman Show" (1998年) には、"UNUS PRO OMNIBUS, OMNES PRO UNO" が町のモットーとして登場する。この映画は、1967年のイギリステレビドラマシリーズ "The Prisoner" (「プリズナーNo.6」) を意識している。
  • Solidarität im Verfassungsstaat:「立憲国家における団結」"Einer für Alle, Alle für Einen" や Alfred Manes の話が出てくる。副題: "Grundzüge einer normativen Theorie der Verteilun" は「分配の標準理論の基本的特徴」と言ったところか。
  • 集団主義 - Wikipedia 曰わく: 「One for All , All for One」(1人はみんなのために、みんなは1人のために)というスローガンは、個人主義的な成員に、心理的に集団と一体化しよう、と呼びかける理念・イデオロギーで、1844年にイギリスで生活協同組合運動が発足したときに考案されたもの。これを西欧的集団主義と把握する考え方がある。北朝鮮はこのスローガンを愛用し、全体主義批判に対し、自国は集団主義であると反論する。
  • 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法: 第5章 [公民の基本権利及び義務] 第63条 朝鮮民主主義人民共和国において公民の権利及び義務は、「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という集団主義原則に基づく。
  • Rochdale - Wikipedia: イングランド西北部の都市。協同組合運動 (cooperative) 発祥の地。
  • Rochdale Principles - Wikipedia: 初期協同組合運動の原則。"one for all, all for one." に類する箇条は見当たらない。
  • Statement on the Co-operative Identity - Wikipedia: "International Co-operative Alliance" (ICA 国際協同組合同盟) による協同組合運動宣言。

ついでに書いておくと "one for all, all for one." 及び "one for all, and all for one." に対応するロシア語表現は,それぞれ "Один за всех, все за одного." 及び "Один за всех и все за одного." また、イタリア語形は "Uno per tutti, tutti per uno." 及び "Uno per tutti e tutti per uno."

"Один за всех" "все за одного" が、Сергей Михайлович Эйзенштейн (セルゲイ・エイゼンシュテイン)の 映画 "Броненосец Потёмкин" (「戦艦ポチョムキン」)に出てくるらしいが、未確認(ただし "Battleship Potemkin: Scenario and script by Sergei Eisenstein" 参照)。

"One for all, all for one." は、「ユートピア/革命の昂揚」の指標であるのと同時に、「ディストピア/革命の幻滅」隠蔽の指標でもあると言うべきか。

いみじくも、アレクサンドル・デュマ・ペール (Alexandre Dumas) は、このあたりの機微を、アトスとアラミスに「手を差し出して誓え!」と迫られたポルトスが、「ブツブツ口ごもりながらも、周りの勢いに気圧されて」(Vaincu par l'exemple, maugréant tout bas)、ダルタニャンとの四人で「全員が一人のために、一人は全員のために」と唱和したと、書いていることを忘れるべきではないだろう( [ダルタニャン物語 第一部「三銃士」"Les Trois Mousquetaires"] 第9章)。


    最後に、各国語おける問題の標語を改めてまとめておこう(主な変異例がある場合には、それも付ける):
  • フランス語: "Tous pour un, un pour tous."

  • 英語: "One for all, all for one." ("One for all, and all for one." )

  • ドイツ語: "Einer für Alle, Alle für Einen"

  • 日本語: 「一人は万人のために、万人は一人のために。」(「みんなは一人のために、一人はみんなのために。」)

  • イタリア語: "Uno per tutti, tutti per uno." ("Uno per tutti e tutti per uno.")

  • ラテン語: "Unus pro omnibus, omnes pro uno"

  • ロシア語: "Один за всех, все за одного." ("Один за всех и все за одного.")


    補足
  • スペイン語: "uno para todo, todo para uno." ("uno para todo y todo para uno.")

  • オランダ語: "Een voor allen, allen voor een." ("een voor allen en allen voor een.")

  • ポルトガル語: "um para todos, todos para um." ("um para todos e todos para um.")

  • 中国語形: "我為人人,人人為我" らしい。(中国語ウィキペディアのスイスの項 "瑞士" による。) "one" には「我」、"all" には「人人」が当てられているのが興味深い。

  • ハングル: "전체는 하나를 위해, 하나는 전체를 위해" 「チョンチェヌン ハナルル ウィフィェ, ハナヌン チョンチェルル ウィフィェ」か? (ハングル版ウィキペディアのスイスの項 "스위스" による。"전체"「チョンチェ」は「全体」の意、"는"「ヌン」は主題を表わす格助詞、"하나"「ハナ」は数詞「一」、"를"「ルル」は目的格助詞、"위해"「ウィフィェ」は目的を表わす用言「為である」。)


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2007年1月26日 (金)

「一人ひとりに、それぞれの必要に応じて。一人ひとりが、その能力に応じて。」と「全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。」

記事 [メモ: John Lennon "Imagine"] (2007年1月4日) において、

No need for greed or hunger" などマルクスが「ゴータ綱領批判」(Karl Marx - Kritik des Gothaer Programms) で示した共産主義社会における生産と供給との関係のスローガン "Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen! (一人ひとりが、それぞれの能力に応じて! 一人ひとりに、それぞれの必要に応じて!)" を連想させる(ただし、人間性の理解に就いては若干浅薄ながらも秀逸なこのキャッチコピーは、マルクスの独創ではないらしい)。

と書いたが、これは Étienne Cabet (エチエンヌ・カベー。1788年1月I日-1856年11月9日) が、彼の著作 "Voyage en Icarie ([イカリア旅行記] 初版 1840年)" 第3版(1845年)の表紙に、

A chacun suivant ses besoins. De chacun suivant ses forces.
一人ひとりに、それぞれの必要に応じて。一人ひとりが、その能力に応じて。
("forces" を 「諸力」と訳す向きもあるようだが、これは「能力」と訳す方が良いと思う。)

と掲げているのを踏まえている。

なお "Voyage en Icarie" の表紙には、次の言葉も見られる。

Tous pour chacun. Chacun pour tous.
全員が一人ひとりのために。一人ひとりは全員のために。

これと類似するモットーに "Tous pour un, un pour tous." (「全員が一人のために。一人は全員のために。」)と云うものがある。これは、アレクサンドル・デュマ・ペール (Alexandre Dumas, 1802年7月24日-1870年12月5日) の小説 [三銃士 (ダルタニャン物語 第一部)] ("Les Trois Mousquetaires" 1844年) 第9章末尾近くに登場する。

-Et maintenant, messieurs, dit d'Artagnan sans se donner la peine d'expliquer sa conduite à Porthos, tous pour un, un pour tous, c'est notre devise, n'est-ce pas ?
– Cependant… dit Porthos.
– Étends la main et jure ! » s'écrièrent à la fois Athos et Aramis.
Vaincu par l'exemple, maugréant tout bas, Porthos étendit la main, et les quatre amis répétèrent d'une seule voix la formule dictée par d'Artagnan :
« Tous pour un, un pour tous. »
« C'est bien, que chacun se retire maintenant chez soi, dit d'Artagnan comme s'il n'avait fait autre chose que de commander toute sa vie, et attention, car à partir de ce moment, nous voilà aux prises avec le cardinal. »
--Les Trois Mousquetaires - Chapitre 9 - Wikisource
(文脈をチェックしていないので、心許ないが、一応訳を付けておく。)
ダルタニャンは、ポルトスには自分の振る舞いの訣を敢えて説明せずに、こう言った:「だって諸君、『全員が一人のために、一人は全員のために』と云うのが僕らの合い言葉だったんじゃなかったっけ?」
「しかしなぁ...」とポルトス。
「手を差し出して誓え!」アトスとアラミスとが同時に叫んだ。
ブツブツ口ごもりながらも、他の三人が手を差し出したのに気圧されて、ポルトスも手を差し出した。四人の朋友は、ダルタニャンが定めた「決め科白」を声を揃えて繰り返したのだった:「全員が一人のために、一人は全員のために。」
「これでよしと。各自、一旦自分のところに戻ること。」ダルタニャンは、生まれてこのかた命令ばかりしてきたかのような口振りで言った。「ただし、すぐに出発するぞ。今度は枢機卿との戦いだ。」

日本語版ウィキペディア [(ダルタニャン物語)] によれば「原作でこの言葉が登場するのは、手を重ねて誓いを立てた1度きりで、この合言葉で銃士たちが剣を掲げる場面は登場しない」とのこと( [三銃士たちの合言葉] の項参照)。

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2007年1月 4日 (木)

メモ: John Lennon "Imagine"

"Happy Christmas (War Is Over)" に就いて書いた (2006年12月22日) ついでに、"Imagine" (1971年。同一タイトルのアルバムに収録) に就いても少し書いておく。

原歌詞に就いては、以下のサイトなどを参照:

この歌詞は、その「政治性」とか「反宗教性」を云云されることがあるようだ。しかし、私の見るところでは、この詩の内容は、反教会(勿論、キリスト教の「教会」)的かもしれないが、少なくとも部分的には明確に宗教的だ。更に端的に言えば、新約聖書におけるイエスの宣教とパラレルな部分もある(そうでない部分もあるが)。

共産主義的言辞を理由とする「政治性」に就いても、この歌詞が描いているのは、(「類型的な」と云う表現が意地悪になってしまうなら、言い換えると、いみじくもタイトルが示すように) image としての宗教的コミューンであって、政治的現実(変革への具体的プロセス)に対する深刻な認識は見られない(注意: そのことの善し悪しを言っているのではない)。

ここでの John Lennon は、無邪気な教祖のように振る舞っている。もっとも、だからと言って、Lennon の意図は別として、彼の歌が政治的アジテーションの役割を持ちえないかと云うと、それは別の話なのだが...(付言しておくと、"Power to the People" などの一見アジテーション・ソングに見えるようなものより、"Imagine" の方が、人びとを動かす力は強いかもしれない)。


以下 "Song Lyrics Domain - Discover the songs you love..." 所収の "John Lennon Imagine lyrics" に従って論じる。

第1スタンザの "all the peple living for today" は、新約聖書中の「だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34。[フランシスコ会訳聖書研究所]版。以下の新約聖書からの引用に就いても同様) を思い起こさせる。あたかもこれに応えるように、本来の意味を現代人に伝えるように訳すと云う目標を持って出版されたと云う "New Living Translation/NLT" 版の英文聖書 (1996年) では、[マタイ6:34] は "So don't worry about tomorrow, for tomorrow will bring its own worries. Today's trouble is enough for today." と訳されている。

むしろ、第1スタンザは、[マタイ6:34] を踏まえないと、理解が難しいかもしれない。人が平安に生きていくには、「天国」に生まれ変われたいと思い煩ったり、「地獄」に落ちたくないと思い煩ったりすべきではない、と云うのが、このスタンザの含意だろう。

ちなみに、島崎藤村は [千曲川旅情の歌] で、「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪 明日のみを思ひわづらふ」と詠っているが、藤村の自己憐憫と Lennon の自己肯定との方向性の異なり方が面白い。

第2スタンザでは、教会や国家が必然的に伴う思想信条、つまり「大義」を拒絶している。勿論、そうした拒絶の思想信条も、「大義」ではないにしろ、一定の思想信条になってしまう。しかし、それをカテゴライズするのは、あまり意味がないと思う。「小義」だから当然かもしれないが、「John Lennon の思想信条」は、本人以外にとっては(そして多分、本人にとっても)かなり漠然としており、「Lennon 教」とでも言うしかないのではないか。

「サビ」の第3スタンザと第5スタンザは、謂わば、「Lennon 教」への勧誘だな。

第4スタンザ第1行の "possessions" は、個々の「財産」と云うより、「財産と云う考え方」つまり「私的所有制」を指す。たしかに、このスタンザの内容は共産主義的だ。"No need for greed or hunger" などマルクスが「ゴータ綱領批判」(Karl Marx - Kritik des Gothaer Programms) で示した共産主義社会における生産と供給との関係のスローガン "Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen! (一人ひとりが、それぞれの能力に応じて! 一人ひとりに、それぞれの必要に応じて!)" を連想させる(ただし、人間性の理解に就いては若干浅薄ながらも秀逸なこのキャッチコピーは、マルクスの独創ではないらしい)。しかし、Lennon のボンヤリと描いている「共産主義」は「科学的」なものではなく、この歌詞の言葉尻を踏まえるなら「夢想的」と言えるものだ(「科学的社会主義」が破綻した現在では、その分、「夢」の重みが歴史の前景に迫り出してきているが)。

たいして意味のある措定ではないが、あるいは、Lennon の「思想」は、communism より、anarchism や dadaism に近いかもしれない。Lennon は、どうすれば「大人達」の顰蹙を買うか良く知っていて、そして旨く顰蹙を買うと、それで逆に安心していたようなところがある。

第4スタンザに言う財産の否定も、マタイ第19章後半の[金持ちの青年の逸話] (「もし完全になりたいならば、帰って、あなたの持ち物を売り、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を蓄えることになる。それから、わたしについて来なさい。」マタイ19:21) や、イエスが空腹になった群集にパンや魚を頒ち与えて満腹させたと云う逸話(マタイ第14章、マタイ第15章及び並行箇所)を思い起こさせる。

なお、第4スタンザ第4行末の "man" は、第2行末の "can" と韻を踏ませているのだが、冠詞なしに使われていて、「男」ではなく「人類一般」を表わしている。

第4スタンザ後半は、「世界は一家、人類はみな兄弟」と云ったところだ。それは、「史的弁証法」とは対極の発想であることに注意。更にこれは、「社会変革」のためには「闘争」が必要だと明確に意識していたナザレのイエスの考え方とも異なっている。イエスはこう言う:「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためであると思うな。わたしが来たのは、平和をもたらすためではなく、剣を投げ込むためである。わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。家の者は、主人の敵となる。」([マタイ10:34-10:36])。またマルコ第11章等に記されている、イエスの神殿境内市場への襲撃事件も参照。こうした反逆的行動と「アジテーション」ゆえに、イエスは処刑されることになるのだが、口実とされたのは、彼が「冒涜の言葉」を吐いたため、つまり「反宗教的」だと云うことだった。

第1, 第2, 及び第5スタンザは、それぞれ、最初の行で「天国(死後を含む将来への懸念)」、「国家(大義)」、「財産(私的所有制)」が無い世界をイメージするよう聴衆に呼びかけている。第2行では、イメージすることの叱咤又は挑発。第3行及び第4行は、第1行の敷衍。そして、第5行と第6行とで、そうした世界が素晴らしいものであることを約束する。全スタンザで第2行と第4行とが脚韻。

歌詞の大雑把な意味を書いておく。

考えてごらん

考えてごらん。「天国なんてものは無いんだ」って。
やってみれば簡単だよ。
足の下には地獄はなくって
頭の上には空があるばかり。
考えてごらん。「人びとみんなが
一日をその一日のためだけに生きている」姿を。

考えてごらん。「国家なんてものは無いんだ」って。
難しいことじゃないんだよ。
殺すこともないし、命を捨てなくてもいいんだ。
宗教なんかもなくってさ。
考えてごらん。「人びとみんなが
心穏やかに暮らしている」姿を。

夢物語を信じている奴って、君らは言うかもしれないな。
だけれど、こう云うのって僕一人だけじゃないんだよ。
君らがいつか、僕らの仲間になって
世界が一つになって欲しいんだ。

考えてごらん。「財産なんてものは無いんだ」って。
君らにはできるかな。
余計に欲しがることも、足りなくて困ることもないんだ。
人間がみな仲よく暮らしてさ。
考えてごらん。「人びとみんなが
世界全体を分かち合っている」姿を。

夢物語を信じている奴って、君らは言うかもしれないな。
だけれど、こう云うのって僕一人だけじゃないんだよ。
君らがいつか、僕らの仲間になって
世界が一つになって欲しいんだ。


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2006年9月14日 (木)

ビンスワンガー [夢と実存] 中の一挿話

Ludwig Binswanger の "Traum und Existenz" の和訳が、Michel Foucault の「序論」(le Rêve et l'existence -- Introduction) とともに、[みすず書房] から出版されている([夢と実存]。L.ビンスワンガー/M.フーコー。1992年 東京 みすず書房。ISBN4-622-03059-4)。

フーコーの序論の方が、ビンスワンガーによる本体より2倍ほど長いと云う、どちらが母屋でどちらが庇かよく分からない本なのだが、まぁ、そんなことはどうでもいい。

その本体のほうで、ビンスワンガーが紹介している Gottfried Keller (ゴットフリート・ケラー) が見た夢の話が印象的だった(pp.130-133)。それは、ケラーの [夢日記] (Traumtagebuch) の(前後の日付からして1847年)12月3日に記されているものだ。

前後2つの夢が記録されているのだが、前の夢はケラーを悲しませ、後の夢は喜ばせたと云う。

"Traum und Existenz" の原書は所持していないので、ネット上で見つけた、ケラーの Traumtagebuch から対応部分を以下引用する。

Den 3. Dezember

Heute Nacht träumte mir von einem Weih. Ich schaute in einem Hause zum Fenster hinaus, im Hofe standen die Nachbarn mit ihren Kindern, da flog ein großer, wunderschöner Gabelweih über den Dächern einher. Er schwebte eigentlich nur, denn seine Flügel waren dicht geschlossen und er schien vor Hunger krank und matt, indem er immer tiefer sank und sich mit Mühe wieder erheben konnte, aber nie so hoch, als er vorher gesunken war. Die Nachbarn mit ihren Kindern schrien und lärmten und warfen ungeduldig die Mützen nach ihm, um ihn ganz herabzuwerfen. Er sah mich an und schien, sich auf und nieder bewegend, mir sich nähern zu wollen. Da lief ich schnell weg in die Küche, um etwas Speise für ihn zu holen. Ich fand mit Mühe etwas, und als ich hastig damit wieder am Fenster erschien, lag er schon tot am Boden in den Händen eines kleinen lausigen Jungen, welcher die prächtigen Schwungfedern ausrupfte und umherwarf und endlich ermüdet den Vogel auf einen Misthaufen schleuderte. Die Nachbarn, welche ihn endlich mit einem Steine herabgeworfen hatten, waren unterdessen auseinander- und an ihre Geschäfte gegangen. Dieser Traum machte mich sehr traurig; hingegen ward ich wieder sehr vergnügt, als ein junges Mädchen kam und mir einen großen Strauß Nelken zum Kaufe anbot. Ich wunderte mich sehr, daß es im Dezember noch Nelken gebe, und handelte mit dem Kinde; sie verlangte drei Schillinge. Ich hatte aber bloß zwei in der Tasche und war in großer Verlegenheit; ich verlangte, sie sollte mir für zwei Schillinge von den Blumen absondern, indem nur so viel in meinem Champagnerglas, in welchem ich die Blumen gewöhnlich aufbewahre, Platz hätten. Da sagte sie: »Lassen Sie mal sehen, sie gehen schon hinein.« Nun stellte sie eine Nelke nach der andern bedächtig in das schlanke glänzende Glas, ich sah ihr zu und empfand jenes Behagen und Wohlgefühl, welches immer in einen kömmt, wenn jemand vor unsern Augen eine leichte Arbeit still, ruhig und zierlich vollbringt. Als sie aber die letzte Nelke untergebracht hatte, wurde es mir wieder angst. Da sah mich das Mädchen freundlich und schlau an und sagte: »Sehen Sie nun? Es sind aber auch nicht so viel, wie ich geglaubt habe, und sie kosten nur zwei Schillinge.« Es waren indessen doch keine eigentlichen Nelken, aber von einem brennenden Rot und der Geruch war außerordentlich angenehm und nelkenhaft.
Projekt Gutenberg-DE - Kultur - SPIEGEL ONLINE

前の方の夢では、ケラーは家の中におり、窓から「鳶」(Weih 又は Gabelweih--アカトビ?) が疲れた様子で高くなり低くなり飛行しているのを見つける。彼は、鳥に「食べる物」を与えようとして台所に走るが、窓まで戻ると、「鳶」は既に隣家の子供に捕らえられ殺されていた。死んだ鳥は、羽根(Schwungfedern--風切り羽根。ちなみにアカトビは初列風切り羽根は白く目立つ)をむしり捨てられた揚げ句、ゴミの山(Misthaufen--みすず書房版では「堆肥」)に投げ棄てられてしまう。

ケラーは、" Dieser Traum machte mich sehr traurig;" (この夢は私を大変悲しませた) と書いてから、次の夢を語りはじめる。こちらの夢では、ケラーは、少女と出会い、カーネーション (Nelken--ナデシコ属の総称なので「ナデシコ」と訳す手もあるだろう) の大きな束を3シリングで買わないかと言われるが、彼は2シリングしか持ち合わせがない。そこで、いつも彼が花を挿すシャンパングラスには入りきらないと云う口実をつけて2シリングだけ買おうとする・・・

ここから先は、みすず書房版からの引用をしよう。

このとき彼女はいった。「まあ、わたしにまかせてごらんなさい。ちゃんとみんなはいりますから」と。そして彼女はカーネーションを、一本一本、きらきら輝くほっそりしたグラスに慎重に差していった。わたくしは彼女の様子を眺めながら、心地よさ、快適感を味わっていた。この感じは、だれかが目の前で、だまって静かに優美に、たやすい仕事をやってのけるのをみているときに、いつも感じる性質のものであった。しかし彼女が最後のカーネーションを差しおわったとき、わたくしはふたたび不安になった。このとき少女は、親しげに悪戯っぽくわたくしをみて、こう言った。「ごらんなさい。でも、あたしが思っていたほど沢山はないから、二シリングだけで結構です。」しかもこうしているうちに、これは、普通みるカーネーションではなくて、燃えるような真赤な色のカーネーションになっていた。しかもその香りは、カーネーションらしいここちよいものであった。--p.133

"schlau" は、どう訳すかで、文章の印象が随分変わるが、みすず書房版では「悪戯っぽく」と訳されていて、これはこれで「有り」かなとも思える。しかし「(親しげに、そして)なにもかも承知している様子で」や、「(親しげに、けれども)皮肉っぽく」も、検討して良いだろう。

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2005年6月 4日 (土)

丸谷才一「新々百人一首(下)」(新潮文庫)

「新々百人一首(下)」(新潮文庫 ISBN4-10-116910-1) のブックマーク。

73・91 永福門院(えいふくもんいん)
うれしとも一かたにやはながめらるる待つ夜にむかふ夕ぐれの空

76・40 和泉式部(いづみしきぶ)
黒髪のみだれもしらず打伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき

78・72 式子内親王(のりこないしんのう)
わが恋は知る人もなしせく床の泪もらすなつげの小枕

80・34 藤原公任(ふぢはらのきんたふ)
おぼつかなうるまの島の人なれやわが言の葉を知らぬ顔なる

84・67 祇寿(ぎず)
難波江の春のなごりにたへぬかなあかぬ別れはいつもせしかど

85・50 源俊頼(みなもとのとしより)
あさましやこは何事のさまぞとよ恋せよとても生れざりけり

97・2 天智天皇(てんぢてんのう)
朝倉や木の丸殿(まろどの)にわがをれば名のりをしつつゆくはたが子ぞ

なお、ニ連の番号の始めは、書中の順番、後ろのほうは、時代順の番号。

「恋」の部中、第七十六首から第七十八首までの三首は、和泉式部、小野小町、式子内親王と続いて、「強打者を並べてみました」と云うおもむきで、厭味ですらある(ちなみに、第七十五首は清少納言であり、第七十九首は伊勢である)が、私としては、永福門院の歌に一番心打たれた。また「女が男を待つ」と云うテーマの「民謡」(「読人しらず」)の実作者の多くが男性だったらしいと云う指摘に注意。

和泉式部は、恋の歌の不動の四番打者とでも言うべきか。丸谷才一は、一首に対する寺田透の解釈を引用して、それに「ことごとく賛成した上で、なほ一つのことを言ひ添へておきたい」と云う形で重大な読み替えを提案している。片口を聞いただけの裁断になってしまうが、丸谷の読みは正鵠を失してはおるまい。

式子内親王の歌に関連して、枕が世界的に呪物であったことの例証としてエゼキエル書を引用したのは、勇み足に近かったろう。丸谷才一が依っているのは、いわゆる文語訳聖書「主ヱホバかくいいたまふ吾手(わがて)の節々の上に小枕を縫つけ諸(もろもろ)の大きさの頭に帽子(かぶりもの)を造り蒙(かぶら)せて霊魂(たましひ)を猟(から)んとするものは禍(わざはひ)なるかな・・・我汝等が用ひて霊魂(たましひ)を猟(かる)ところの小枕を奪ひ霊魂を飛さらしめん我なんぢらの臂(ひぢ)より小枕を裂(さき)とりて汝らが猟(かる)ところの霊魂(たましひ)を釈(はな)ち其(その)霊魂(たましひ)を飛さらしむべし」(エゼキエル第13章第18節及び第20節)だが、これは例えば、新共同訳では「主なる神はこう言われる。災いだ、人々の魂を捕らえようとして、どの手首にも呪術のひもを縫い付け、どんな大きさの頭にも合わせて呪術の頭巾を作る女たちよ。・・・わたしは、お前たちが、人々の魂を鳥を捕らえるように捕らえるために、使っている呪術のひもに立ち向かい、それをお前たちの腕から引きちぎり、お前たちが鳥を捕らえるように捕らえた魂を解き放つ。」

つまり「小枕」ではなく「呪術のひも」になっている。ざっと調べてみると、「七十人訳」や Vulgata, King James Version, そしてルター訳(1545年)では、それぞれ προσκεφαλαια, pulvillos, pillows, Kissen と、確かに「枕」を思わせる言葉が使われているが、日本語の旧口語訳(1955年)の時点で既に「占いひも」になっている。この変化の理由は、私のような浅学なものには不明であるし(マソラ本文の、あるいは כּסתות あたりの解釈の変更か)、また新しい訳の方が正しいとは限らないから、断定的なことは言わないが、それでも、問題のコンテキストでエゼキエルを引用するなら、議論の組み立てを一層周到にすべきだったろう。

藤原公任の一首中「うるまの島」とは鬱陵島のこと。

祇寿は「遊女」。「都で山ばかり見てゐる王朝貴族は、淀川を下つて難波の海を見ることを好んだ。」「ここで逸してならないのは、風光の楽しみのほかに江口、神崎の娼女があったといふ事情である。」「祇寿はおそらく江口か神崎の妓で、難波に同行したのだろう。」「王朝の風俗においては貴顕が遊女を召すことは卑しまれなかったし、母が遊女、白拍子、舞女である公卿も多かつた。」

源俊頼の歌も皮肉な味わいで良いのだが、それよりも、勅撰和歌集の恋の部の掉尾を飾ると云うことで(一首は「金葉和歌集」。ただし、「金葉」は三度奏上されて、ようやく白川院が嘉納。この「三奏本」が「勅撰」の地位を占めたわけだが、恋の部の最後と云うのは、流布した所謂「二度本」でのこと。まぁ、「二度本」にも異本はあるらしいのだが)参考引用されている、古今和歌集の「流れては妹背の山のなかに落つる吉野の川のよしや世の中(読人しらず)」や後拾遺和歌集の「しら露も夢もこの世もまぼろしもたとへていはば久しかりけり(和泉式部)」の方が印象に残った。

伝天智御製の解釈で、丸谷才一は、「名のりをしつつゆく」のは、ホトトギスなどの鳥であると主張している。この議論は十分説得力がある。ちなみに、議論に「さ夜ふかみ山時鳥なのりして木のまろ殿を今ぞすぐなる(藤原公行)」を援用していないのは、やや不思議。

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2005年5月17日 (火)

「小学館独和大辞典第2版」(コンパクト版)の誤植

私が、独和辞典として今一番良く使っているのが、この「小学館独和大辞典第2版」(コンパクト版 ISBN4-09-515032-7)。やや重大な不満が無いわけではないのだが、この「不満」は他人様に話せるよう纏めるのに時間がかかりそうなので、その話はしないでおく(ただし、現在書店店頭に出ている独和辞典の中で一冊だけを選ぶと云うなら、これが一番良いことを認めるのに、私は吝かではない)。

今回は、単に誤植の報告である。

私が持っているのは「コンパクト版」だけなので、それに沿って記載すると、"sich" の語義の説明中 "1.b.5" (p2119 右欄) の「3格支配の前置詞と」のコロケーションとしてあげられている "an sich" の訳語が、「そもそも, それ自体としては; [哲]アン-ジッヒ」と並べられた後、「即時」が続いている。勿論、これは「即自」の誤りである。

"1.a.6" では "an und für sich" の訳語として、正しく「即自かつ向自」が示されているから、これは単純な見落としだろう。「哲学に就いて初歩的な知識があれば、こんな間違いはしない筈だ」などと言う気は毛頭ない。ホメロスだってウトウトすることがあっただろう如く、カントやヘーゲルでもボンヤリしていることもあったろうから、個々のケアレスミスに、知識の初歩的とか深淵とかの詮索は、あまり意味がない。

ただし、初版では(これもコンパクト版での話だが)、対応箇所で "an sich" は、正しく「即自」と訳されている。この辺の経緯は分らない。私の「不満」と関係しているかもしれないし、していないかもしれない。しかし、それに就いて考えるには材料が少なすぎる。


それから、もう一つ。

"verlangen" 語義 "I:1" (p.2522 右欄) で示されている例文 "Wieviel verlangt et dafür? 彼はその代価としていくら要求しているのか" 中の "et" は、"er" の誤り。これも、初版本では正しくなっている。


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