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"Rolling Stones" 命名の由来について推測したことがあるがハズレだったようだ。

いつのことだったか、「Rolling Stones って、なんで、Rolling Stones って言うんだろう? 」って考えたことがある。

勿論、それまでも "Rolling Stones" は、素直に、諺の "Rolling stone gathers no moss." が典拠なんだろうな、とは考えていた。しかし、「ロック」と「諺」とはそぐわない。この「そぐわなさ」は、うまく説明できないが、「ロック」は、少なくとも表面上は「処世知」と対立するが (日本古語の「傾(かぶ)く」を連想させる。ちなみに、rock は、「体を前後左右に揺り動かす」)、「諺」は「処世知」をスローガン化したものである、と、いったところかもしれない (「そぐわなさ」を「ロック」にすることはできるだろうが、また、「諺」にさえできるかもしれないが、「表層性の深い意味合い」と云った類の話は、ここでする積りはない)。

譬えるなら、ロッカーが

金で買えないものもある。そりゃそうさ。
そんなもん、だけど、どうすりゃいいんだよ。
Berry Gordy and Janie Bradford
--Rolling Stones :::: Money. - YouTube
--マネー - Wikipedia
と歌う時、「どうすりゃいいのか」を云々するのが「諺」なんじゃないだろうか。もっもと、諺と云うものは、様々な状況に対して様々に云々するだけに終わることが多いのだが。

RollingStones_163by258.png


ま、兎に角、その違和感が急に膨らんで、あらためて "Rolling Stones" の命名の由来が気になりだしたのだった。

その時、ちょっとした「言葉遊び」が成立することに気が付いた。


<<== こんなものだ。。。


要素の文字を変えているから、agngram とは呼ぶには難があるが、応急的に semantic anagram とでも名付けておくと、"Rolling Stone(s)" とは、"Rock and Roll" の pseudonym by semantic anagram ではないか、と云うのが、その時思ったことだった。ただ、この思い付きは、そのまま放置してしてしまったのだが。

しかし、今回、本稿を草するにあたって調べた範囲では、これはハズレだったようだ。バンド名 "Rolling Stones" は Muddy Waters (マディ・ウォーターズ) の "Rollin' Stone" (aka "Catfish Blues") によるらしい。

According to Richards, Jones christened the band during a phone call to Jazz News. When asked for a band name, Jones saw a Muddy Waters LP lying on the floor; one of the tracks was "Rollin' Stone".
リチャーズによれば、バンドに命名したのはジョーンズで、それは「ジャズ・ニューズ」にかけた電話中のことだった。バンド名を聞かれたジョーンズに、床にあったマディ・ウォーターズの LP 中の一曲 "Rollin' Stone" が見えたのだ。
--The Rolling Stones - Wikipedia

そして、マディ・ウォーターズ の "Rollin' Stone" そのものは、諺の "Rolling stone gathers no moss." を踏まえているということだ (Cf. "Rollin' Stone - Wikipedia")。

この "Rolling Stones" 命名の逸話は、「ホラ話」(このごろの言い方をするなら「話を盛ってある」) 臭がする から話半分に聞いておくにしても、マディ・ウォーターズ の "Rollin' Stone" に基づいていることはありそうな気がする。しかし、マディ・ウォーターズ の "Rollin' Stone" そのものが諺の "Rolling stone gathers no moss." を踏まえていると云う説明には、私は、まだ釈然としないでいる。

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taxi の語源。「タクシー」に付いているから「タクシーメーター」と呼ぶではなく、「タクシーメーター」が付いているから「タクシー」と呼ぶのだと云う話。

以前から、taxi と云う英単語を見るたびに「変わった綴りだな」と云う思いが頭をよぎっていた。ただ、一瞬して忘れてしまう。

タクシーなど、年に一度、8月に、父の墓のある北関東の山奥に最寄駅から向かう時に利用するだけである。存命だった父に連れられて訪れた昔は、曲がりなりにもバスが、地元民でない人間にも利用するに足る頻度で通っていたのだが、現在では申し訳程度に運行されているだけだ。もっとも、当時は、道路が十分整備されていなくて、幅員に余裕がなく、道路の片方に迫った斜面から伸びた木の枝をこすりぬけながら走るバスが、道路逆側で誘う崖に転がり落ちるのではないかと、子供心にヒヤヒヤしたものだった。

話がズレた。兎に角、私は滅多にタクシーに乗車しない。だからと言っては悪かろうが、事実として "TAXI" への興味が持続しないので、そのまま、「気になる」が膨らむことはなかった。

しかし、先日、外出中にやはり、TAXI と書いた表示を見た拍子に、英語 "taxi" の語源が、古典ギリシャ語 (この「古典ギリシャ語」は「新約ギリシャ語」をカヴァーする、非常に大まかな意味で言っている。本稿のレヴェルでは、「プラトンの頃」と「新約時代のコイネー」の、更には、現代ギリシャ語との区別をしても仕方がないので、以後、単に「ギリシャ語」と呼ぶことにする) の ΤΑΧΥΣ (形容詞「速い」) ではないかと、思い付いたのだ。

勿論、ギリシャ語の Χ を英語に翻字すると、通常 Ch になる (ギリシャ語 Χ を翻字すると通常 Ch になるのは英語に限らないだろうが、ロシア語では通常 Х になるから、話を一般化するのは控えておく) ことは、私のような無知な人間でも承知している。確かに、「キリスト」 (ギリシャ語だと Χριστός) が英語では "Christ" になるのだ。とは言え、キリスト生誕を祝うミサは、"Christmas" だけでなく "Xmas" と表記されることもあるから、"ΤΑΧΥΣ" を語源とする交通機関が "taxi" と名付けられることもあるうると云うのが、私の思い付きの根拠だった。

ちなみに、キリストは、ロシア語では Христос。これをカタカナ化するなら「ハリストス」になる。東京神田の聖橋そばにある所謂「ニコライ堂」は「日本ハリストス正教会」の首座主教座教会である (ただし、ややこしい話だが、「日本ハリストス正教会」の対応ロシア語 Японская православная церковь には Христос 又は、その屈折形は含まれていない)。

さすがに忘れずに帰宅してから調べたのだが、これはハズレだった。

taxi は、もともと、taxicab, 更には taximeter cab の省略形らしい。運行距離に応じた課金高を表示する taximeter を搭載した cab (これ自体も、本来は、一頭立ての二輪馬車を意味する cabriolet の省略形) だという。

そして、以下の文章の要になる情報を示しておくと、「タクシー」に搭載されている料金計だから「タクシーメーター」と呼ばれるようになったのではなく、「タクシーメーター」を搭載した「少人数の乗客を随時運搬して、タクシーメーターに従った料金を請求する車両」を「タクシー」と呼ぶのだと云うことである。

以下の情報は英文ウィキペディアの記事 "Taxicab" 及び "Taximeter" と、ウェブページ "Early Sports and Pop Culture History Blog: Taximeter, Taximeter, Uber Alles - a History of the Taxicab" その他の資料の内容を取捨選択したものである。従って、詳しくは、そして恐らく正確には、原文を確認されたい。

まず、周辺的情報を纏めておくと、ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー (Gottlieb Wilhelm Daimler, 1834年3月17日 - 1900年3月6日) が、彼の盟友ヴィルヘルム・マイバッハ (Wilhelm Maybach, 1846年2月9日 - 1929年12月29日) と共にガソリンエンジン駆動の四輪車 (Daimler Motorkutsche) を発明したのは、1886年である。これは、4輪馬車に、ガソリンエンジンを取り付けたものだった。二人は、1890年に株式会社ダイムラー自動車会社 (Daimler-Motoren-Gesellschaft.略称は DMG) を設立し、1892年に史上最初のガソリンエンジン車 Daimler Motor-Straßenwagen を販売し始める。

DMG は1894年以降、ベルトドライヴ式の "Daimler Riemenwagen" (「ダイムラー・ベルトドライヴ車」ぐらいの意味) を製造・販売していたが、1986年6月、シュトゥットガルト (Stuttgart) の荷馬車業者 Friedrich Greiner (フリードリッヒ・グライナー) が、これに「タクシーメーター」(恐らく、当時、そう云う呼び方で指定されたのではないだろうが) を付け加えたものを注文してきた。これに応じて、DMG が製作したのが "Daimler Riemenwagen Typ Victoria" (「ダイムラー・ベルトドライヴ車」タイプ・ヴィクトリア) である。これは、翌1897年5月に納入された。そして、グライナーの会社は、史上最初のガソリン車によるタクシー会社となった。
参照:The world’s first motorized taxi cab – built by Daimler-Motoren-Gesellschaft - Daimler Global Media Site

この "Typ Victoria" は "Daimler Victoria" と呼ばれることもある。しかし、同時期に、当時 DMG と競合会社であった Benz & Cie. も "Benz Victoria" ("Benz Patent-Motorwagen Victoria" とも呼ばれる) を製造販売しており紛らわしい。

しかし、こうしたことども以前から「タクシーメーター」は存在した。しかも、それを搭載したのは馬車ばかりではなかった。「タクシーメーター」付の「電気自動車」さえ存在したのだ (両者は、結局、ガソリンエンジン型のものに駆逐される)。

「電気自動車」に就いては英文版ウィキペディアの記事 "Electric vehicle" 及び "History of the electric vehicle" を参照されたい。

また、所謂「輪タク」型のものも存在した。1896年の米国ニューヨークの新聞 New-York tribune (ニューヨーク・トリビューン) の記事には、ドイツのベルリンでの「3輪自転車キャブ」が登場したとの報告がある。それは、ドイツでは通常の「辻馬車」に装備されている "taximeter" が付いていて、前輪が1つに後輪が2つで、後輪の上方に乗客が後ろ向きに乗るようなものであったらしい。
参照:New-York tribune. (New York [N.Y.]) 1866-1924, November 15, 1896, Image 31 « Chronicling America « Library of Congress

さて本題に戻ると、「タクシーメーター」の原形を発明したのは、ドイツ (プロシア) の音楽教授ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ネドラー (Wilhelm Friedrich Nedler) だった。彼は、乗客が馬車その他の車両を利用した距離・時間に応じた料金を表示する装置の特許を英米仏独で取得している。彼は、この装置を Taxanome と名付けた。

Taxanom の内、Taxa は「料金」を意味する中世ラテン語の taxa 及び/又は ドイツ語の Taxe (ラテン語 taxa からの転訛) に由来し、nome は「規則・法律」を意味する νομος (nomos) に由来すると思われる (nome の方は、ギリシャ語から直接と云うより、楽曲のテンポを測定するメトロノーム metronome がヒントになった可能性がある)。ネドラーは、株式会社 Taxanom-Aktien-Gesellschaft (タクサノム株式会社) を 1884年にハンブルクで設立した ("Early Sports and Pop Culture History Blog: Taximeter, Taximeter, Uber Alles - a History of the Taxicab" では "Professor Nedler, wound up in Hamburg with his taxanom in the mid-1880s:" となっていて、この言葉通りなら「事業を清算した」になるが、文脈からして、その逆である)。

中世ラテン語 taxa は、ラテン語の動詞 taxo (非難する。値踏みをする。計算する。) から来ている。「税金」を意味する英語 tax も、ラテン語 taxo に由来するから、taxi と tax は同語源という訣だ。

ネドラーのほかに、ハンブルクのクロノメーター (船舶用精密時計) の製造業者フェルディナンド・デンカー (Ferdinand Dencker. ドイツ語版ウィキペディアに "Ferdinand Dencker" と云う項目があるが、これと同一人物だろう) は、Taxanome の改良を行い、例えば、乗客人数や料金体系の変動に応じて、料金表示の変更が容易に行えるようにした。彼も、Taxanome に就いての特許を取得している。

Taxanome の市場規模は大きくなっていき、競合他社も増加して、競争も激しくなっていったが、品質的に優れていたのは、ネドラーの会社と デンカーの会社の2つだった。しかしながら、ネドラーとデンカーとは、1890年7月に Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper (タクサメータ製造所ヴェステンダープ・ウント・ピーパ) と云う会社に、特許を譲渡している。

その詳細は不明である。なお、ここで Taxameter と云う言葉が使われていることに注意。Taxameter から Taximeter への転訛は容易に起こりそうな気がする (特に、ドイツ語 --にしろ、他の特定言語にしろ-- になじみのない場合は、「聞き取った単語相当の音の塊」に期待される意味からの情報補足が欠ける可能性があり、Taxameter を Taximeter と受け取り違えることもありうるだろう)。

現在使われているタクシーメーターの基本形を作ったのは、Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper の技術者だった Friedrich Wilhelm Gustav Bruhn (フリードリッヒ・ヴィルヘルム・グスタフ・ブルーン。1853年11月11日 - 1927年) である。彼の行った代表的な改良は、料金メーター (Taxameter) に「空車」を示すパネルや小旗を取り付けて、それを倒し隠すと課金が始まり、同時に乗客がいることが分かるようにしたことである。

1897年、ブルーンは独立して、やはりハンブルクに、Internationaler Taxameter, G.m.b.H. (インタナツィオナーラ・タクサメータ株式会社) を設立した。事業は好調で、1906年には、ブルーンは、古巣の会社 Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper を買収している。Taxameter Fabrik Westendarp & Pieper 買収後、ブルーンは、その製品に自分の名前を被せるようにした。例えば、"Taxameter" は "Original Taxameter Bruhn" として販売された。タクシーメーターの「発明者」がブルーンであるとされることがあるのはこのためかもしれない。

しかし、ブルーンが独立した 1897年は、ダイムラー社が、タクシーメーター (恐らく、取引上、当時はまだ Taxameter と呼ばれていたろうが) を搭載したガソリンエンジン車 Typ Victoria を出荷した年である (Daimler Victoria に搭載された Taxameter が Bruhn のものかどうかは確認できなかった)。

ただし、馬車からガソリン車への切り替えにしろ、Taxameter 付きガソリン車の一般化にしろ、すぐに起こったのではない。1906年、イギリス・ロンドンでの特別委員会に証人として出席したブルーンは、ベルリンに 7500台ある cab のうちガソリン車は 300台 に過ぎないと証言している。

それでも、どうやら、この 1906年から1907年あたりが、潮の変わり目だったらしい (「特別委員会」でブルーンが証言したこと自体が、そのことを暗示しているとも言える)。

米国ワシントンD.C.の新聞ナショナル・トリビューン (National tribune) 1907年5月23日号第2頁には、ロンドンでは taximeter を搭載した taxicab と云う自動車が評判で、数多くあり、馬車型の cab を駆逐しつつあると報じている (米国における例だが、既に、"taxicab" そして "taximeter" と云う単語が使われていることに注意)。
参照:The National tribune. (Washington, D.C.) 1877-1917, May 23, 1907, Page 2, Image 2 « Chronicling America « Library of Congress

また、米国ニューヨーク州の新聞ニューヨーク・トリビューン (New-York tribune) 1907年10月1日号第5頁では、New York Taxicab Company が、開業に合わせて、フランスから輸入した taxicab 25台のパレードを、前日、ニューヨーク市5番街で行ったと報じている。
参照:New-York tribune. (New York [N.Y.]) 1866-1924, October 01, 1907, Page 5, Image 5 « Chronicling America « Library of Congress

New York Taxicab Company が購入した自動車は、フランスの A Darracq et Cie 社製のものだった。また、タクシーメーターは、やはりフランスの Société Générale des Compteurs Voitures 社のものだった。

New York Taxicab Company は最終的には A Darracq et Cie から600台の taxicab を輸入したらしい。

この後、数年にして、ガソリン車のタクシーの普及は進み、その製造も一般化する。

Société Générale des Compteurs de Voitures の株券 (1904年) では、taxamètre と表記されていることを注意しておく。

結局、上記のように、既に 1896年には、taximeter と云う言葉が使用されており、taxameter から taximeter への変化は、かなり早かったらしいと云うことしか分からなかった。

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[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金]) への補足。オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell) の言葉へのリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク (Friedrich August von Hayek) の言及

経済学者 (と云う一言で片づけて良いのか私には判断が付かない。ただし、世間的な通りが良い言い方をするなら所謂「ノーベル経済学賞」1974年受賞者) フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク (Friedrich August von Hayek) に、"The Constitution of liberty" (邦訳名「自由の条件」) と云う著作がある。その第1部第3章 THE COMMON SENSE OF PROGRESS のエピグラフとして、次の一文が銘されている。

Man never mounts higher than when he knows not where he is going.
—Oliver Cromwell
人と云うものは、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。
-オリバー・クロムウェル

本ブログの『メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」』及び『[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])の訂正』で取り上げたクロムウェルの言葉

A man never goes so far as when he doesn't know where he is going.
のもとの形は、これだったのだろう (ちなみに、クロムウェルには言及していないが、『ドイツ語と英語の初歩。または、私は如何にして心配するのを止めて [メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] 補足を書くことになったか』もご参照頂きたい)。

注意すべきは、「原形」では、出発点からの移動の大きさが「遠近」ではなく「高低」で表されていることだ。

メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」』でも書いたことだが、「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」と云う (岩波新書1969年[エスプリとユーモア]でタレーランによると紹介されていた) 言葉を読んだ時、私は、それが「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」ぐらいの意味だと感じた訣だが、これが、「人間は、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。」であったのだったら、解釈の仕方は、「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」に対応する一通りだっただろう。

このことに就いてもう少し書いておくことができる。なぜなら、このエピグラフに続く文章で、ハイエクは、この言葉の出典を明らかにしているからだ。曰く

The quotation at the head of the chapter is taken from Jean François Paul de Gondi de Retz, Mémoires du Cardinal de Retz, de Guy-Joli, et de la duchesse de Nemours, contenant ce qui s'est passé de remarquable en France pendant les premières années du règne de Louis XIV (6 vols. in 8; Nouvelle édition; Paris:Chez Étienne Ledoux, 1820), vol. 2, p. 497, where President Bellièvre is recorded as having said that Cromwell once told him "on ne montait jamais si haut que quand on ne sait où l'on va."
--The Constitution of Liberty: The Definitive Edition - F. A. Hayek - Google ブックス
本章冒頭の引用句は、ジャン・フランソワ・ド・ポール・ド・ゴンヂ・ド・レ他著「レ枢機卿、ギ=ジョリ、ヌムール公爵夫人回想録。ルイ十四世治世初年時代にフランスで起こった著しいことども」(全6巻。八つ折判。新版。パリ:エチエンヌ・ルドゥ書店。1820年) 第2巻第497頁からのものである。当該箇所では、ベリーブル法院長が、かって、クロムウェルより、"on ne montait jamais si haut que quand on ne sait où l'on va." (人と云うものは、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する) と言われたことがあると、記録されている。

この "Mémoires du Cardinal de Retz, de Guy-Joli, et de la duchesse de Nemours" もまた、ネット上で閲覧することができる。問題の文の少し前から引用すると

Je vous entends, répondit le président de Bellèvre, et je vous arrête en même temps pour vous dire ce que j'ai appris de Cromwel (M. de Bellièvre l'avait vu et connu en Angleterre): il me disait un jour qu'on ne montait jamais si haut que quand on ne sait où l'on va.
--Mémoires du cardinal de Retz, de Guy Joli, et de la ... c.1 v.2. - Full View | HathiTrust Digital Library | HathiTrust Digital Library
となっている。自信がないが、一応、訳を試みてみると、

ベリーブル法院長は答えた。君の言うことは分かるよ。けれど、止めておいた方がいいね。もっとも、私がクロムウェルの知遇を受けていた当時 (ベリーブル殿は、イギリスでクロムウェルと会って、交友を結んだことがあるのだ)、 ある日、彼は私に「人と云うものは、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。」と語ったことがあるとも付け加えておくがね。

つまり、ベリーブルがイギリスにおいてクロムウェルの知遇を得ていたことが書き添えされており、クロムウェルの言葉は、そうした出会いの中でのものだったことがうかがえる。

この「ベリーブル法院長」に就いては "The Constitution of liberty" の編集者が

Pomponne de Bellièvre (1606–57), grandson of two chancellors of France and the first president of the Parlement of Paris, at one point served as French ambassador to England.
--The Constitution of Liberty: The Definitive Edition - F. A. Hayek - Google ブックス
ポンポンヌ・ド・ベリーブル (1606–57) は、フランスの二人の大法官の孫であり、パリ高等法院の法院長となった。一時期、イギリスにおけるフランス大使を務めたこともある。
と云う注釈を付けている。つまり、この Pomponne de Bellièvre は、二世 (Pomponne II de Bellièvre) の方のこと。彼は、無印の Pomponne de Bellièvre (1529-1607) Pomponne de Bellièvre の孫にあたる。彼がイギリスへの大使を務めたのは、1637年-1640年と1646年のことだったらしい (1637-1640 et de nouveau, en 1646, pour offrir la médiation de Louis xiv entre Charles Ier et son Parlement (Correspondance française de Guy Patin, éditée par Loïc CapronFamille de Bellièvre 及び Archives nationales - Thèse Pour le diplôme d’archiviste paléographe も参照されたい)。

しかし、所謂「短期議会」が招集され、ケンブリッジ選出の議員となった1640年以前のクロムウェルは、ほぼ無名だったらしいから、ベリーブルがクロムウェルと出会ったのは1646年だったろう。当時、クロムウェルは未だ単一権力を握っていないとは言え、清教徒軍が、チャールズ一世軍に決定的な勝利を収めつつある時期であり、チャールズ二世の亡命、チャールズ一世の処刑、共和国の建国と続く流れの中で、クロムウェルはまさに意気軒高としていたはずだ。そうした状況下で、彼が、フランスからの大使と面談して、「人間は、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。」と語ったとしたら、それは、彼が自分の行き先が何処か分からないと云うことを告白したことを意味するのではあるまい。むしろ、「行き先」への展望は確信へと変わっていたが、それは他者、そしてもしかすると、仲間に対してさえ秘匿する必要を本人が感じるほどの「高み」だったと云うことだろう。

廃車寸前のポンコツ老人である私だが、「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」を読んで「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」と云う意味だろうと考えた18歳の私に、「目的地」を悟られたくない時にも、人は「目的地は分からない」と言うものだと云うことを教えてやりたい。

ハイエクの著作に戻ろう。

ハイエクは、引き続いて、このクロムウェルの言葉が、18世紀の思想家たちに深い感銘を与えたようだ (The phrase apparently made a deep impression on eighteenth century thinkers,...) と、書いている。

そして、そうした思想家として、デイヴィッド・ヒューム (David Hume)、アダム・ファーガソン (Adam Ferguson) 、アンヌ=ロベール=ジャック・テュルゴー (Anne Robert Jacques Turgot)、アルバート・ヴェン・ダイシー (Albert Venn Dicey) 、そして、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe) を挙げている (ジャンバッティスタ・ヴィーコ (Giambattista Vico) にも言及している)。

また、ゲーテに就いては、彼の言葉

Man geht nie weiter, als wenn man nicht mehr weiss, wohin man geht.
が引用されている。

ハイエクは、タレイラン=ペリゴールには言及していないようだ。

だが、ベリーブルの回想録での記載がある以上、「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」の「言い出しっぺ」が、英 (クロムウェル)、仏 (タレイラン)、独 (ゲーテ) の誰かと云う疑問は、活躍した時代の前後関係そのままに、クロムウェルと断定してよいだろう。

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[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])の訂正

本ブログの記事 [メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])で、私は、こう書いた。

日付が変わってしまったので、昨日の話になるが、先程、1日遅れでたまたま手にした「2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 (東京本社13版)」を流し読みした所、[天声人語] がこう始まっていた (現時点では、同内容の物がウェブ上の [asahi.com(朝日新聞社):天声人語 2011年6月8日(水)] で見ることができる) ([ゑ]引用時補足:現在ではリンクが切れている)。

〈行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない〉。ゲーテの言葉である。目的地が定まらないと足取りが重くなる。そんな意味だろう。逆に、確かな目標があれば急坂や回り道をしのぎ、転んでも起き上がり、大きな事を成せる
--2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 (東京本社13版) 第1面 [天声人語]

これを読んだ時の、私の感想は「ヤッチマッタナー」(© クールポコ) と云うものだった。箸にも棒にも掛からない詰まらないことを「したり顔」(最近は「ドヤ顔」と謂うらしいが) で書いてある。大体、「行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない」では警句にならない。「当たり前」にさえなっていない。当たり前の日本語を使いたいなら、せめて「行き先を決めない限り、遠くまで行くことはできない」ぐらいにしろよ、と言いたい。

浩瀚なゲーテの著作の中の何処かで、そんなことも書かれているかもる知れないが、そして私はまことに無教養で無知蒙昧ではあるが、私の知っているゲーテは、「行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない」とは言ってはいない。少なくとも、私が子どもの時に読んだ小辞典 (福音館書店刊であったか、昭文社刊であったかだと思う) の巻末についていた名言集では、そんなことを言っていなかった。うろ覚えだか、こんな感じだったのだ。

人は何処に行くか分からない時ほど遠く迄行くことはない。

(子どもだった私にも、これが「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」ぐらいの意味だと云うことが感じられた。)
(以下略)

しかし、この「私が子どもの時に読んだ小辞典 (福音館書店刊であったか、昭文社刊であったかだと思う) の巻末についていた名言集では、そんなことを言っていなかった。」は、私の記憶違いだったのだ。

その後、自宅にある段ボールの山の中に詰め込んであった私のシガナイ「蔵書」から出てきた、福音館書店 [ことわざ 故事金言 小辞典] (編者: 江藤寛子/加古三郎。1957年) の巻末の [金言・名句集] には、そうした文言は見当たらなかったからだ (「昭文社刊」は、誤り。福音館書店版が出てきた時の「これだ! 」と云う懐かしさは、余人には共感していただけないと思う。中学生の頃の私の [愛読書] だったのだ)。

福音館書店の [小辞典シリーズ] は、そのころ、小遣いをつぎ込んで、かなり買い揃えたが、身の憂き節の間ハザマに、大部分を「処分」してしまった。本・雑誌を [捨てる] ことに、生理感覚的な苦しみを覚える人間としては、「処分」と云う言葉さえ恨めしいが、そうした思いも時間は押し流してしまう。「これだけは」と取っておいた [ことわざ 故事金言 小辞典] も、結局は、[本の山] の中に紛れ込んでしまっていた。

まぁ、老人となった今では、「処分」は正解だったと、中年の頃の私に声ならぬ声をかけるしかない。買い揃えただけで、ほぼ読むことはなかった、それらの [雑書] の前に「取り敢えず読まなければ基本的な書籍」が、あと何回生まれ変わったとしても足りないくらいあるのだから。

しかし、僥倖により見出した [あの本] の中に目当ての文言が見当たらないのは、どうしたことだろう。索漠たる思いに一瞬とらわれたが、結局、そのままになった。「取り敢えずしなければならない野暮用」が山積している身としては、感慨に耽っている暇はないのだ。

ところが、偶然と云うものはあるので、その後しばらくしてから、やはり本の堆積の中から出てきた [懐かしい一冊] (書き込みを見ると、高校三年の3月27日に購入したものだ。私としては珍しく、読了日の書き込みがあって、購入当日である。卒業式が終わって、大学入学迄の間、暇だったのだな)

岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)

を、旧友に再会した思いで披見していると、いきなり出てきたのだ。ただし、ゲーテの言葉としてではなく、タレイラン=ペリゴールの言葉として

「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」

[あぁ、これだったか] と、廻りまわって釈然とした。

少し脱線すると、つまり『これが「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」ぐらいの意味だと云うこと』を感じた「私」は、18歳だったのだ。さすがに、「子どもだった」とは言いづらい年齢である訣で、この点も間違っていた。

その時、すぐに訂正をアップすべきだったのだろうが、単に訂正ではなく、ある程度しっかりした補足を行うべきだろうと、つまらぬ色気を出したために、放置したまま、延々と遅れてしまった。ところが、最近新しく記事を書こうとして、簡単にかけそうな話題が全くないことに気が付き、ツメクサ代わりに、こうして訂正のみの記事を書いているという訣だ。

[エスプリとユーモア] の問題の箇所を、その前の部分から引用しておこう。今、読んでも面白いので、やや長めになる (この本は、現行の言葉遣いでい云う「コピペ」と云うか、「マトメ」でできたようなものだが、そのことを、とやかくは言うまい。私自身が、このブログで類似のことをしていると云うこともあるが、概括的な情報を纏めることには、十分な意味があるからだ)。ただ、引用するだけでは曲がないので、ネットで見つかった対応するフランス文を挿入しておく、最後の3つの bon mots を除けば、同一の書物 "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots" (Louis Thomas. Les Bibliophiles fantaisistes, 1909) 「タレイラン殿の機知: 逸話と警句」(ちなみに、彼は伯爵家の長男だったが、ある事情で家督を継ぐことなく、僧籍に入った。彼が時に「オータンの司教/l'évêque d'Autun」と呼ばれることはあっても、「タレイラン伯爵」とは呼ばれないのは、そのためである) で見出せる。これが [種本] かもしれない。

フランスの政治家に鋭いエスプリの持主の多いことはすでに書いたが、その代表的な天才はタレーランであったことは通説になっている。彼の名文句を集めた本はいろいろあるが、その言葉の矢を少し紹介してみよう。

彼はある若い外交官に向かっていった。「言葉というものは、自分の考えをかくすために、人間に与えられたものであることをを覚えておきたまえ。」
Un jeune auditeur au Conseil d'Etat, admis chez M. de Talleyrand, parlait de sa sincérité et de sa franchise.
« Vous êtes jeune, lui dit M. de Talleyrand ; apprenez que la parole a été donnée à l'homme pour dissimuler sa pensée. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文では、"Un jeune auditeur au Conseil d'Etat" 「国務院 (参事院とも) の新人評議官」ぐらいだろうから、「外交官」とはニュアンスが異なる。ただ、時代によっても意味合いが異なっている可能性はある。

ナポレオンの死をきいたとき、
「十年前なら大事件だったろうが、現在では単なるニュースにすぎないね。」
Quand on annonça à M. de Talleyrand la mort de Napoléon : «C'est une nouvelle, dit-il; ce n'est plus un événement. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文には「十年前」と云う言及はない。それから、"une nouvelle" は、「ニュース」とするのは微妙。「通知」とか「情報」ぐらいになると思う。実は、タレイランの口ぶりは、かなりそっけないのだが、その「そっけなさ」を出すのが意外と難しい。特に "n'est plus" を言葉として訳すと、訳文内の力点が、本来あるべきところからずれてしまう。「『情報』の一つだね。『事件』ではない。」ぐらいだろう。

ある日、友人のナルボンヌと散歩していると、彼はいろいろの情報をさかんに教えてくれる。そのとき偶然二人のそばを通った男が大きなあくびをした。それを見たタレーランはいった。
「君、声が大きすぎるようだぜ」
Le comte Louis de Narbonne, un de ceux que M. de Talleyrand aima le mieux, s'il aima quelqu'un, se promenait avec lui en récitant des vers de sa façon.
M. de Talleyrand aperçut un promeneur qui bâillait :
« Regarde donc, Narbonne, dit-il à son ami, tu parles toujours trop haut. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文 "en récitant des vers de sa façon" は「いろいろの情報をさかんに教えてくれる」と云うより、「独特な節回しで詩の朗誦をした」だろう。

スタール夫人は、彼女ともう一人の女性のどららか好きかと知りたいと思って質問した。
「もしあのかたと二人で河のなかへ落っこちたら、どらちらを先に助けて下さいますか。」
「わかってますよ、奥さん、あなたが水泳の名人でいらっらしゃることは」とタレーランは答えた。
Madame de Staël, qui partageait avec Madame de Flahaut les préférences de M. de Talleyrand, voulut un jour savoir de celui-ci laquelle des deux il aimait le mieux. Madame de Staël insistait beaucoup sans pouvoir obliger le galant abbé à se prononcer.
« Avouez, lui dit-elle, que, si nous tombions toutes deux ensemble dans la rivière, je ne serais pas la première que vous songeriez à sauver?
— Ma foi, madame, c'est possible, vous avez l'air de savoir mieux nager. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

「わたくしども二人が、一緒に川に落ちたら、貴方が最初に助けようと思うのは私ではないとお認めなさいまし。」
「マダム、正直に申して、それはありそうなことですな。貴方は、泳ぎがお得意でいらっしゃるようお見受けいします。」
フランス文では、タレイランは「水泳の名人でいらっらしゃる」と云う直截な言い方をしていない。
ちなみに、スタール夫人ももう一人の女性 「フラオ夫人」 も、タレイランの愛人だった。勿論、二人ともタレイラン以外の男性を「夫」を持っていた (二人とも「夫人」である。ただし、当該文献内での呼称が統一されていて、この逸話の当時は未婚だった可能性はある)。かれは艶福家だったのだ。この他にも、画家ドラクロア (Eugène Delacroix) の実の父親が彼だったと云う話は、かなり信じられている (ドラクロアの戸籍上の父親シャルル・フランソワ・ドラクロア Charles-François Delacroix は、タレイランの前任外務大臣)。
外交官・艶福家としてのタレイランに就いては、中公文庫 [タレイラン評伝] 上下2巻 (著:ダフ・クーパー。訳:曽根保信。1979) を参照のこと。

この外交官からしばしば馬鹿にされたスタール夫人は、いかなる政体にもうまく立ちまわる彼のことを、頭がコルクで足が鉛で作られた、いくら投げてもすぐ起き上がる、おきあがりこぼしにたとえていた。

不確実なニュースとして、イギリスのジョージ三世の死がパリに伝えられたとき、ある相場師がタレーランのところへ真相をききにやってきた。この外交官は次のように答えた。
「あるものはイギリス国王が死んだというし、また別の情報は国王が死んでいないという。僕としてはこのどちらも信用しないんだ。しかしこれは君にだけ内密に知らせるんだから、ひとにしゃべって貰っては困るよ。」
Un spéculateur lui demandant s'il était vrai que le roi d'Angleterre fût mort,
M. de Talleyrand répondit: « Les uns disent que le roi d'Angleterre est mort, les autres disent qu'il n'est pas mort. Pour moi, je vous le dis en confidence — surtout ne me trahissez pas! — je ne crois ni les uns, ni les autres. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文では、後半、順序が違っていて、ちゃんと落ちが付いている。「英国王は死んだと言う者もいれば、死んでいないと言うものもいる。私の意見を君だけに打ち明けると -- 絶対他言は無用だよ -- どちらも信じていないのさ。」

タレーランの言葉を少しばかり。
「中傷よりもっとおそろしい武器がある。それは真実だ。」
「私は自分と同意見でない人は許すが、彼自身のもっている意見に一致しない人間は許せない。」
「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くへゆくことは決してない。」

--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年) pp.112-114

上記引用中のタレイラン=ペリゴールの言葉の最後の3つの原文は、次のとおりである。

「中傷よりもっとおそろしい武器がある。それは真実だ。」
"Il y a une chose plus terrible que la calomnie, c'est la vérité."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde

フランス文では「武器」と云う言葉は使われていない。単に「もの (chose)」である。

「私は自分と同意見でない人は許すが、彼自身のもっている意見に一致しない人間は許せない。」
"Je pardonne aux gens de n'être pas de mon avis, je ne leur pardonne pas de n'être pas du leur."
Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Ses citations - Dicocitations & Le Monde

「自分と同意見」より「私と同意見」の方が良かろう。

「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くへゆくことは決してない。」
"On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va."

問題は、この3つ目である。

確認できる資料が少ないのだ。例えば、"Mes citations en vrac: Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord" と云うウェブページに見出されるのだが、これだけでは心もとない。ただし、これとは、別に、閲覧が不自由な形であるとは言え、google books に収められている Des enjeux éthiques pour demain - André Beauchamp の p.104 には、

Mais la lucedité cynique de Talleyrand nous prévient: « On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va! »
しかし、頭脳明晰な冷笑家タレイランは、「人は何処に行くか分からない時ほど遠く迄行くことはない」と、我々に教えてくれている。
と云う記述がみられる (ちなみに、この文章は、科学技術の倫理問題を論じているらしい。)

後はここで指摘するには「喰い足りない」ものが、幾つかあっただけだった。それでも、一応、これで一件落着したと言いたいところだ。ところが、そうは簡単に問屋が卸してくれなかった。

実は、"On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va." をネットで検索すると、これをタレイランの言葉としてではなく、クリストファー・コロンブスの言葉だとするサイトや、さらには、Antoine de Rivarol (Antoine Rivaroli) と云う人物と云うサイトまであって、訣が分からなくなった。

結局、クロムウェル (Oliver Cromwell [1599年4月25日 - 1658年9月3日])と、タレイラン (Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord [1754年2月13日(2月2日説も) - 1838年5月17日])と、ゲーテ(Wolfgang von Goethe [1749年8月28日 - 1832年3月22日])との三人 が、ほぼ同一の発言

a man never goes so far as when he doesn't know where he is going. クロムウェル
On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va. タレイラン
man geht nie weiter, als wenn man nicht weiß, wohin man geht. ゲーテ
をしているとされているだけでなく、コロンブス他一名も乱入してきてしまい、「英仏独そろい踏みで、話が良くできてらぁ」と笑っていられなくなった。なにしろ、コロンブスはイタリア生まれだといわれ、それがポルトガル・スペインと流れていったらしいから、なにやらタチの悪い冗談でも聞いているようで、嫌気がさしてきた。

と云う訣で、これ以上調べるのは、当面やめにしておく。再開するにしても何年先になることやら。。。 (鬼の哄笑が聞こえてくるようだ)

最後に、タレイランの言葉を調べているうちに、検索に引っかかったものを幾つか列挙しておこう。

"Les femmes pardonnent parfois à celui qui brusque l'occasion, mais jamais à celui qui la manque."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
女は、好機をもぎ取る男を許すことはあっても、好機をつかみ損ねる男は決して許さない。

"Ne dites jamais du mal de vous; vos amis en diront toujours assez."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
君は自分の欠点なんか一切言わんでいいのさ。そんなことなら、君の友達が常々たっぷりと言っているよ。

"Café : Noir comme le diable Chaud comme l'enfer Pur comme un ange Doux comme l'amour."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
コーヒー : 黒きこと悪鬼の如く、熱きこと地獄の如く、清澄なること天使の如く、甘美なること恋愛の如し。

"La vie serait supportable s'il n'y avait pas les plaisirs."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
快楽と云うものが無くなってさえくれたなら、人生は、我慢しうるものになるだろう。

"En politique, il n'y a pas de convictions, il n'y a que des circonstances."
--Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Ses citations - Dicocitations & Le Monde
政治においては、信念などと云うものは存在しない。あるのは、情勢だけである。

"Pas de zèle!"
--Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
「熱心」禁止!

"Dans les temps de révolutions, on ne trouve d'habileté que dans la hardiesse, et de grandeur que dans l'exagération."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
革命の時代、人々は、大胆な行為の中のみに技巧を感じ、誇張の中のみに偉大を感じていた。

"En France nous avons 300 sauces et 3 religions. En Angleterre, ils ont 3 sauces mais 300 religions."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
我がフランスでは300種類のソースと3種類の宗教がある。しかし、かの英国では、3種類のソースに対し300種類の宗教がある。

"Il y a trois sortes de savoir: le savoir proprement dit, le savoir-faire et le savoir-vivre; les deux derniers dispensent assez bien du premier."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
知識には3種類あるのだ: 本来の意味での「知識」と、「行為の知識」と、「人生の知識」だ。後の二つがあれば、最初の一つはなくても十分に足りる。

"Qui n'a pas vécu dans les années voisines de 1780 n'a pas connu le plaisir de vivre."
--Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
1780年頃を生きたことがないものは、「生きる歓び」を経験しなかったと云うことだ。

"Le meilleur auxiliaire d'un diplomate, c'est bien son cuisinier."
--Citations de Talleyrand - abc-citations
外交官にとって、彼の優秀な料理人が、最良の懐刀である。

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日本語版 Wikipedia の項「ラプラス作用素」の瑕疵

先日、必要があって、Wikipedia の記事、「ラプラス作用素」を、ザッと、読み流したのだが、その時に気が付いたことを書き留めておく。

勿論、ゴクささやかな、どうでもいいことなのだが。。。

初めに、書誌学的注意をしておくと、対象となる記事は、日本語版 Wikipedia の「ラプラス作用素」(タイムスタンプは 最終更新 2016年6月5日 (日) 02:46) である。そして、この記事は、少なくともおおむね、英文版 Wikipedia の記事、"Laplace operator" の訳文であるようだ (英文版の、本稿作成時のタイムスタンプは 7 June 2016, at 19:42)。Wikipedia ユーザーの個人設定の有無等に応じて、タイムスタンプは若干食い違う可能性はあるが。。。

で、私が引っかかったのは、[一般化] のセクションだ (その直前のセクション [スペクトル論] 中、「ラプラス=ベルトラム作用素」とあるのは、「ラプラス=ベルトラミ作用素」の誤りだが、ただの入力ミスだろうから、大量に発生しているのでもない限り、本稿では、話題にするに値しない類のものだ)。

[一般化] と云うセクションは、2つのサブセクション [ラプラス=ベルトラミ作用素] と [ダランベール作用素] とに分かれる。実は、この [ラプラス=ベルトラミ作用素] が、私が目ざしていた情報に関わると思われたので注目したのだ。

文脈をはっきりさせる為に、[ラプラス=ベルトラミ作用素] 全体を引用する。

ラプラス作用素の概念は、リーマン多様体上で定義されたラプラス=ベルトラミ作用素 (英語版) と呼ばれる楕円型作用素に一般化することができる。同様にダランベール作用素は擬リーマン多様体上の双曲型作用素に一般化される。ラプラス=ベルトラミ作用素を函数に適用すれば、その函数のヘッセ行列トレース

\Delta f = \mathrm{tr}(H(f))

が得られる。ただし、トレースは計量テンソルの逆に関して取るものとする。ラプラス=ベルトラミ作用素を同様の式でテンソル場に作用する作用素(これもまたラプラス=ベルトラミ作用素と呼ばれる)に一般化することができる。

ラプラス作用素の別な一般化として、擬リーマン多様体上で定義される外微分を用いた「幾何学者のラプラシアン」と呼ばれる

\Delta f = d^* d f

を考えることもできる。ここで d^* は余微分 (英語版) で、ホッジ双対を使って書くこともできる。これが上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。そのことは大域解析学の論文を読むときには常に気を付けねばならない。 より一般に、微分形式 α に対して定義される「ホッジ」ラプラシアンは

\Delta \alpha = d^* d\alpha + dd^*\alpha

と書ける。これはまたラプラス=ドラーム作用素 (英語版) とも呼ばれ、ヴァイツェンベック不等式 (英語版) によってラプラス=ベルトラミ作用素と関係する。

(引用者註: α の位置が間違っていたので訂正した。)

で、私が引っかかったのは、

これ (引用者註:つまり、「幾何学者のラプラシアン」) が上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。

の部分だった。「幾何学者のラプラシアン」と「解析学者のラプラシアン」では、呼び方が異なってているのだから、「日常的文章感覚」では「異なるもの」であるのは当然で、「注意すべき」も茄子のへったくれもない。

ダメ出し的なことを言うなら、これが、逆に、定義が異なっているにも関わらず、実は「幾何学者のラプラシアン」と「解析学者のラプラシアン」とが、同一のものだったと云う話の流れだったら、その同一性に「注意すべき」と云う表現がもっともになっただろう。

どう云う訣合だろうと思って、英語版の "Laplace operator" を見たら、疑問が氷解した (話が、後先にあるが 日本語版が実質英語版の翻訳であるのに、この時気が付いた。まぁ、いづれにしろ英語版も参照するのがルーチンワークだから、細かく言っても無意味だが)。

そこで、英語版も引用しておく。

The Laplacian also can be generalized to an elliptic operator called the Laplace–Beltrami operator defined on a Riemannian manifold. The d'Alembert operator generalizes to a hyperbolic operator on pseudo-Riemannian manifolds. The Laplace–Beltrami operator, when applied to a function, is the trace of the function's Hessian:

\Delta f = \mathrm{tr}(H(f))

where the trace is taken with respect to the inverse of the metric tensor. The Laplace–Beltrami operator also can be generalized to an operator (also called the Laplace–Beltrami operator) which operates on tensor fields, by a similar formula.

Another generalization of the Laplace operator that is available on pseudo-Riemannian manifolds uses the exterior derivative, in terms of which the “geometer's Laplacian" is expressed as

\Delta f = d^* d f

Here d^* is the codifferential, which can also be expressed using the Hodge dual. Note that this operator differs in sign from the "analyst's Laplacian" defined above, a point which must always be kept in mind when reading papers in global analysis. More generally, the "Hodge" Laplacian is defined on differential forms α by

\Delta \alpha = d^* d\alpha + dd^*\alpha

This is known as the Laplace–de Rham operator, which is related to the Laplace–Beltrami operator by the Weitzenböck identity.

大袈裟な準備をした挙句、[落ち] がアホらしくて申し訣ないが、

これが上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。

の「原文」は

Note that this operator differs in sign from the "analyst's Laplacian" defined above,...

である。つまり、「訳者」は "in sign" を見落としてしまったのだ。そして、未熟練翻訳者にはありがちなこととはいえ、"differs" を機械的に「異なる」で置き換えてしまっている。確かに、"differs in sign" は「符号が異なる」としても、翻訳として及第点は貰えるだろうが、技術文では、「文章のエントロピー」とでも言うべきものを出来るだけ低くした方がいいので、ここは「符号が逆」とすべきだったろう。つまり

この作用素と、上記の「解析学者のラプラシアン」とでは、符号が逆になっていることに留意されたい。

とでもすべきだっただろう。

恥を忍んで告白するなら、この「結論」に達した途端、「この話、既にどこかの本で読んだことがある」ことを思い出した。私のマヌケさ加減も相当念が入っていると言うしかない。落ち着いて読んでおけば、Wikipedia の記事が、「解析学者のラプラシアン」と呼んでいる \Delta f = \mathrm{tr}(H(f)) が、フツーの「ラプラシアン」の形式上自然な拡張になっていることに、その場で気が付いたはずだったのだ (その前に、知識として知っておけよと、自分に言いたい気もする)。もっとも、それに気が付いたとしても、「異なる」=>「符号が異なる」=>「符号が逆」と迄、頭が回転したかどうか、自分の馬鹿さ加減を重々承知している身としては、自信がない。

それから、「ヴァイツェンベック不等式」は、英文版リンク先が "Weitzenböck identity" であることが示すように「ヴァイツェンベック恒等式」に訂正する必要がある。

微分幾何の楕円作用素間の関係を表す「Weitzenböck identity (ヴァイツェンベック恒等式)」の他に、平面幾何に「ヴァイツェンベック不等式 (Weitzenböck's inequality)」と云うものが実在するから、現状では、ミスリーディングする可能性が無いとは言えない。ちなみに、英文版の "Weitzenböck identity" の冒頭には 「"Weitzenböck's inequality" と混同するな」と書いてあったりする。vice versa.

ついでに書いておくと、次の小節 [ダランベール作用素] において

ここでは計量の符号を作用素の空間成分に関して負符号を許すようにしてあることに注意

と云う箇所があり、これの「原文」は

Note that the overall sign of the metric here is chosen such that the spatial parts of the operator admit a negative sign

である訣だが、「負符号を許すように」は、"admit" に引きずられ過ぎててしまっている。それに、その前の "the overall sign of the metric" が「計量の符号系」であることを (多分) 見落としている。「木を見て森を見ず」と云う奴だ。

ここでは、計量の符号系が、ダランベール作用素の空間部分の符号が負になるように選択されているのだと云うことに注意されたい。

ぐらいにすべきだっただろう。

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Love Me or Leave Me

ここしばらく、時間ができると、(趣味としてではなく、必要に迫られた)自宅のリフォームまがいか、(こちらは、趣味と云うか、完全な「物好き」だが一般相対論の)テンソルの計算ばかりしていて、やや屈託している。しばしば消沈してしまって、そうした時は、都筑道夫の小説を読んだりしてやり過ごすのだが、この前、そうした合間に、"Love Me or Leave Me" の大雑把な意味を日本語にしてみた。[物部太郎] ばりにカードで城でも作れると良いのだが、生憎手先が極めて不器用なため、こうしたことしかできないのだ。

"Love Me or Leave Me" はジャズのスタンダードだから、所謂「和訳」はいくらでもあるだろうが、それらと張り合うつもりは全くないし、全く参考にしていない。成立の背景なども調べていない。たしか、書き上げるのに30分ぐらいしかかけていないはずだ (まぁ、この投稿を書くにあたって、それなりに手を入れたが)。勿論 "Love America, or leave America" や "Love America, and leave America" に話を展開する気も起きなかった。

最初に、初歩的な注意をしておくと、原文 (ネットで検索してください。私が使ったのは "Songtext von Nina Simone - Love Me or Leave Me Lyrics") の "believe me" は、「私と云う人格を信じて」ではなく「私の今言っていることを信じて」つまり、「これは嘘ではない」あるいはくだけて言うと「マジなんだから」と云う意味。

lonely と only, kissing と reminiscing, you と blue, borrow と tomorrow とが脚韻を踏んでいる。kissing と reminiscing など無理筋と云う気がするが、somebody/someone や nobody の使い方は効果的だ (特に There'll be no one unless that someone is you)。

I'd rather be lonley than happy with somebody else
Regretting instead of forgetting with somebody else
There'll be no one unless that someone is you
There's no love for nobody else

これらが、スタンザの末尾行又は冒頭行になっているのは、勿論意図的なものだろう。

それから "the night time" (定冠詞あり) を「今夜」と解するか、「夜一般」と解するかが問題だろうが、私としては「今夜」をとる。これに対し "night time" (定冠詞なし) は「夜一般」。

「愛してないなら出て行って」

愛してないなら出て行って。一人きりにしておいて。
嘘じゃないのよ。愛しているのはあなただけ。
「次の人で幸せに」なんてどうでもいい。一人ぼっちで構わない。

「今夜はキスをしなくっちゃ」とあなたは思っているのでしょう。
私は違う。私には、夜は思い出だけのためもの。
次の人で忘れるくらいなら後悔していた方がいい。

あなた以外はありえない。
私は一人でひたすら沈んでいたかった。

借りものじゃないあなたの愛が欲しいのよ。
今日は私のもの。明日は誰かに返す。そういうのは御免だわ。
あなたの愛が私の愛。
他の人のは愛じゃない。

そうよ。愛してないなら出て行って。一人きりにしておいて。
嘘じゃないのよ。愛しているのはあなただけ。
「次の人で幸せに」なんてどうでもいい。一人ぼっちで構わない。

「今夜はキスをしなくっちゃ」とあなたは思っているのでしょう。
私は違う。私には、夜は思い出だけのためもの。
次の人で忘れるくらいなら後悔していた方がいい。

あなた以外はありえない。
私は一人でひたすら沈んでいたかった。

そうよ、借りものじゃないあなたの愛が欲しいのよ。
今日は私のもの。明日は誰かに返す。そういうのは御免だわ。
あなたの愛が私の愛。
私の愛はあなたの愛。
他の人のは愛じゃない。

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"What A Wonderful World" の「大雑把な意味」になるのかならないのか分からんが。。。

G.N.Watson の "a treatise on the THEORY OF BESSEL FUNCTIONS" の第1章 "BESSEL FUNCTIONS BEFORE 1826" を読んで簡単なメモを作ると云う作業を、しばらく前から細々と続けている。その草稿が出来上がったのだが、チェックをしようとして、気が萎えた。

実は、だいぶ以前にプリンタが故障していて、若干の事情のもとで (勿論「経済的事情」もある) そのままにしておいたのだが、紙にプリントアウトしてチェックしたほうが良いに決まっているからだ。私の個人的能力のせいかもしれないが、ディスプレイ上のチェックと、 (「古い意味での」と修飾すべきか?) ハードコピー上のチェックでは、ミスや補正・補足の必要性の摘出度が画然と異なる。

本来なら、当面出来るディスプレイ上でチェックをすべきなのだろうが、そうした気にもならず、グダグダと古いアメリカンポップスなんぞ聞いている。

で、まぁ、Louis Armstrong の "What A Wonderful World" が出てきたと思いねぇ。そこで、一向に気分が浮かない現状への一種の「作業療法」として、"What A Wonderful World" の「大雑把な意味」を書き上げたと云う按排な訣さ。半時間ほどのヤッツケ仕事だから、後から直したいところが色々でそうだが、そうした気分を振り切っておく。とりあえず「完成」するのが目的さ。勿論、"too" と "you", "white" と "night", "sky" と "by", "grow" と "know" と云う押韻を反映させるなどと云うことは、天から考えていない。

原文は "LOUIS ARMSTRONG LYRICS - What A Wonderful World" (http://www.azlyrics.com/) によっている。

そうだ、この世は素晴らしい。

そうだ。木々は緑で、バラは赤いのだ。
バラが咲くのは、僕と君のため。
僕は心の中でつぶやく。そうだ、この世は素晴らしい。

そうだ。空は青くて、雲は白いのだ。
昼は幸多き明るさ。夜は神聖な闇。
僕は心の中でつぶやく。そうだ。この世は素晴らしい。

空にかかる虹の色は、とりどりに美しい。
通り過ぎる人々の顔の色も、とりどりに美しい。
握手している人たちがいる。
「初めまして」と言っている。
けもども、本当の意味はこうだ。
「あなたを愛します。」

赤ん坊が泣いている。見守っていると育っていくのが分かるのさ。
そのうち、多くのことを学んで、僕を越えていくだろう。
僕は心の中でつぶやく。そうだ。この世は素晴らしい。

そうだ。僕は心の中でつぶやく。この世はとても素晴らしい。

本当に。本当に。

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語義: G.N.Watson "a treatise on the THEORY OF BESSEL FUNCTIONS" p.3 の "heavy chain"

G.N.Watson "a treatise on the THEORY OF BESSEL FUNCTIONS" p.3 (第1章) に、次の一文がある。

In 1738 Daniel Bernoulli published a memoir containing enunciations of a number of theorems on the oscillations of heavy chains.
1736年、ダニエル・ベルヌーイは、鎖の振動に関する幾つかの定理をまとめた覚え書きを発表した。

この "heavy" の語感は、「重い」よりも「(個々の環に)存在感がある」に近い。勿論「質量」にも関連していて、詳しくは「無視しえない質量線密度を有する」と云う含意だろう。だから、日本語としては「重い」より「太い」を使いたくなるが、単に「太い」と訳しても、原文における語感と隔たりがある。やや細かく「しっかりとした太さが感じられる鎖」としても、事態は改善されてない。"heavy" の語感を強調すべき文脈ではなく、サラリと訳す必要があるからだ。結局、日本語に訳すなら単に「鎖」とした方が良い。

単振子は「錘」に質量が集中し、錘と支点との間の桿は剛体でありながら、質量は無視されるが、「鎖」の場合は、独立した「錘」は存在せず、支点から懸下した、一定の長さを有する1次元延長体の全体に質量が一様に分布し、かつ、その延長体は、伸び縮みはしないが、自由に変形可能であることが想定されている。

なお、分子医学で、抗体 (antibody 機能名)、つまり、免疫グロブリン (immunoglobulin 物質名) の分子構造の「部品」として、英文で "heavy chain" 及び "light chain" と呼ばれるものがあり、それぞれ「重鎖」及び「軽鎖」と訳されることがあるが (「H鎖」及び「L鎖」と云う用語もある)、分野が異なり、しかも、文脈水準も「マクロな文脈」と「ミクロな文脈」とで異なるので、日を同じくして論ずる訣にはいかない。

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メモ: ロビン・ウィルソン [四色問題] (新潮社)

「四色問題」又は、既に証明されているので、別の言い方では「四色定理」の証明法について全く無知だったので、たまたま図書館で見かけた [四色問題] (新潮社 2004年。著者:ロビン・ウィルソン 訳者:茂木健一郎) を借りてきて通読した。好著であって、大いに学ぶところがあったことをまず言っておきたい。

ここで、注意しておくと「訳者」茂木健一郎自身が、[訳者あとがき] において、「本書の刊行に当たっては、翻訳家の北村拓哉さんに下訳をお願いし、その上で私が訳文を詰めるという形をとった。難しい数学を扱っている割には読みやすい本になったのも、北村さんの努力に負うところが多い。」(p.286) と認めていることだ。実質的な翻訳者は [北村拓哉] と考えてよいだろう。ちなみに、この[訳者あとがき] は、謝辞以外は具体的な内容に乏しく、この書物の中で唯一詰まらない箇所である。

訳文は、ほぼ滞り無く読めるもので、良く出来た仕事と云ってよい。ただし、それでも首を傾げた所が無い訣ではないので、そのことを書いておく。

と言っても、目立ったのは一点しかない。それは、訳本 p.228 等に見られる「懸案の五対五ペア」の「懸案の」である。それは次のような文に登場する。

上右の「懸案の五対五ペア」は、配置を取り囲む輪の内部で一つの国 C に接している、隣り合う五辺国のペアである。
--[四色問題] (新潮社 2004年。ISBN4-10-545201-0) p.228

しかし、この文脈で「懸案の」と云う言葉が出てくるのは可訝しい。「懸案の」と言うなら、ここで取り上げられている3つの「還元障害」配置は等しく「懸案」なのである。

その時、私が最初に思ったのは、「懸案の」が "pendent" の「訳」の積もりなのだろうと云うことだった。確かに、"pendent" には「懸案の」と訳しても良い語義が存在する。しかし、この文脈では、より適合する語義があって、それは「吊り下がった」と云うものだ (あえて「懸」の字を使うなら「懸垂している」と云う言い方も可能であるが、そこまで「懸」にこだわることはあるまい)。だから、「懸案の五対五ペア」は「吊り下がった五対五ペア」とか「五対五ペアの吊り下がり」と訳すべきだろう、と云うのが、一読した時の私の感想だった ([四色問題] の p.228 図2の「懸案の五対五ペア」を見てもらうと、私が何を言いたいのか分かると思うが、実は、下記で原書の対応部分を埋め込んであるので、そちらを御覧になった方が手っ取り早い)。

勿論、それを確かめるためには原文に当たらねばならない。手始めに原題を知る必要があるが、日本語訳のジャケットに "FOUR COLOURS SUFFICE" とあるから、それが原題だろうと推定できるし、実際その通りだった (なお、"colour" はイギリス英語の綴り。 アメリカニズムの "color" を用いて、書名が "FOUR COLORS SUFFICE" となっている版の方がネット上で多数派のようだ。以下、"FOUR COLORS SUFFICE" で統一する)。

わざわざ断わって言うまでも無いだろうが、私は "FOUR COLORS SUFFICE" を持っていない。日本語訳にしてから図書館から借り出したものだ。だが、ありがたいことに "FOUR COLORS SUFFICE" は google books に、収められている。ただ、当然の事ながら、著作権が設定されているから、その全文は読めない。そして、単に書名だけで google books を開くと、日本語訳の p.228 の対応部分は表示されなかった・・・

しかし諦めるの早いので、google books では検索語の組み合わせを旨く選ぶと、 目指しているページを丁度開いてくれることがある。そこで、"pendent" (変異形として "pendant", "pending") を含むフレーズで検索したのだが、旨くいかなかった。それでも、あれこれ試行錯誤しているうちに、ようやく目指すページに辿り着いたが、そこには "pendent" (そして "pendant" や "pending" も) 含まれていなかった。上記の引用部分の対応英文はこうだったのだ。

The third is a hanging 5-5 pair, a pair of adjacent pentagons that adjoin a single country C inside the surrounding ring.
--Robin J. Wilson "Four Colors Suffice: How The Map Problem Was Solved" (Princeton University Press, October 18, 2004, ISBN-10: 0691120234 ISBN-13: 978-0691120232) p.193

私は、自分の間抜けさかげんに笑わざるを得なかった。"pendent" ("pendant", "pending") ではなく "hanging" だったのだ。この "hanging" にも "pendent" と同様、「懸案の」の他に「吊り下がった」と云う意味がある。従って、訳文に就いては、上記の指摘は生きており、「懸案の五対五ペア」ではなく、「吊り下がった五対五ペア」とか「五対五ペアの吊り下がり」と訳した方が良いと云うのが私の断案である。

以下に google books に見られる対応ページを埋め込んでおくので、参照していただきたい。また、"hanging 5-5 pair" の図も同一ページに示されているので、それを見ていただくと、「吊り下がった五対五ペア」(又は「五対五ペアの吊り下がり」) が「見た通り」のものであることがお分かりになると思う。
2013-01-05[土]:google books での対応ページが正常に表示されなくなっていたので、削除した。

実は、翻訳上の瑕疵と云うのではなく、原文自体の論理に不備があるところがある。それは、訳本の p.180 における、次の部分である。

七辺国はどうなるか? もともと -1 の電荷を持っていた七辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つようになるためには、図7のように少なくとも六個の五辺国から合計五分の六の電荷を分けてもらう必要がある。けれどもこのとき、隣国の五辺国のうち少なくとも二つは隣り合うことになり、これは許されない。したがって、放電が終わっても、七辺国の電荷は負のままである。

八辺国はどうなるか? もともと -2 の電荷を持っていた八辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つようになるためには、少なくとも一一個の五辺国が必要だが、これは明らかに不可能である。したがって、放電が終わっても、八辺国の電荷は負のままである。九辺国、十辺国・・・・・・についても同様である。
--[四色問題] (新潮社 2004年。ISBN4-10-545201-0) p.180

各段落の結論である「放電が終わっても、七辺国の電荷は負のまま」と「放電が終わっても、八辺国の電荷は負のまま (九辺国、十辺国・・・・・・についても同様)」は正しい。しかし、そこに導くための論理に穴があるのだ。七辺国にしろ八辺国にしろ、放電後に電荷が負のままであることを言うには、放電後、それらの電荷が正にも 0 にもならないことを示す必要があるが、ここでは放電後の電荷が正にならないことを証明しているだけだからだ。

従って、次のように数値を少しだけ変える必要がある。

七辺国はどうなるか? もともと -1 の電荷を持っていた七辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つか、又は電荷 0 を持つようになるためには、少なくとも個の五辺国から合計の電荷を分けてもらう必要がある。けれどもこのとき、隣国の五辺国のうち少なくとも二つは隣り合うことになり、これは許されない。したがって、放電が終わっても、七辺国の電荷は負のままである。

八辺国はどうなるか? もともと -2 の電荷を持っていた八辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つか、又は電荷 0 を持つようになるためには、少なくとも個の五辺国が必要だが、これは明らかに不可能である。したがって、放電が終わっても、八辺国の電荷は負のままである。九辺国、十辺国・・・・・・についても同様である。

やはり、以下に google books に見られる対応ページを埋め込んでおく。
2013-01-05[土]:google books での対応ページが正常に表示されなくなっていたので、削除した。

本書の日本語訳、原著、ペーパーバック版のアマゾンリンクも貼っておく。

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パスカルのパンセ中の一節「完全な静止は死である」に就いて

本日と言っても、午前1時過ぎ (2012/06/07 01:09:45)、キーフレーズ [パンセ 完全な静止は死である 英語] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

この「完全な静止は死である」は "complete rest is death." と英訳されるのが普通のようだ。ただし、これには前段があって、それは "Our nature consists in motion;" になっている。

たまたま、手元に中公文庫版の [パンセ] があったから、それを参照してみると

われわれの本性は運動のうちにある。完全な静止は死である。
--中公文庫 [パンセ] (パスカル。訳者:前田 陽一、山本 康) p.88 (第2章 [神なき人間の惨めさ]129)

とされている。ただし、勿論、原文はフランス語で

Notre nature est dans le mouvement; le repos entier est la mort.

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