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2009年3月21日 (土)

メモ: 岩波書店 [ディラック 量子力學 原書第4版] の誤植及び微妙訳

私が ディラック (Paul Adrien Maurice Dirac) の名前を初めて聞いたのは、たしか中学生だったか小学生の時だったと思う。物理学の啓蒙書ででも聞きかじったのだろう (ガモフのトムキンス物--「不思議の国のトムキンス」とか--など読み散らしていたのだ)。物理学的内容など分かる訣もなく (これは確かに小学生の時だが、友達に「E = mc^2 って知ってる?」と聞かれてヘドモドした記憶がある)、「天才物理学者」達の逸話に無闇と興奮していただけだった。

その中でも、ディラックの逸話は印象的だった。例えば、ある婦人 (今、ネットで調べてみたら、ロシアの実験物理学者ピョートル・カピッツァ --Пётр Леонидович Капица-- の2度目の夫人 Анна Алексеевна らしい。ウェブページ "Paul Dirac" 参照) が、編み物をしているのを見て、数学 (位相幾何) 的に言って、その編み方とは別の編み方が可能だと気付き、それをそのご婦人に説明した所、彼女に、それは昔から良く知られていて「裏編み」と呼ばれていると言われてしまった。。。(つまり、彼女は「表編み」をしていた訣です。)

大学に入ってから、教養学部の、物理や化学の参考書として「ディラック」に再び出会う訣だが、読んでみると、何とも咀嚼しづらかった。これは、勿論私が「劣等生」だったと云うこともあるだろう。何しろ、化学の、分子軌道か何かの授業中に、講師が「 "self consitent theory" は通常『自己無道着理論』と呼ばれるが、『自己満足の理論』とも呼ばれる」と云うジョークを飛ばしたのだが、化学の授業で覚えたは、そのことだけだったりするのだ。

しかし、咀嚼しづらかった別の理由の一つは、当時既に、内容が微妙に陳腐化していたせいもあったろうが (なにしろ「量子力学」ではなくて「量子力學」だからね。ただ、ディラックの名誉のために付言するなら、「量子力學」の内容あるいは表現が陳腐化したのは、ディラック自身の偉業の結果だった。彼の量子電磁気学 (Quantum Electrodynamics/QED) は、現在爆発的成長を遂げた場の量子論の鏑矢となったし、超関数論成立の主要動機の一つは、当初数学的に厳密な根拠が与えられていなかったディラックのデルタ関数の合理化だった)、やはり、大きかったのは、量子力学そのものの「分かりにくさ」(と、当然、私の頭の悪さ) だったろう。

量子論の認識論的な「異常性」はさておき (いや、実は「さておき」ではない筈なのだが、ここでは兎に角「さておき」)、何と言うか「結果オーライ」的な「論理」の進展に私は付いて行けなかったのだ。

「こんなことをしてどうして間違えないでいられるのだろう」と立ちすくむ凡人の呟きを余所に、天才は量子の世界を疾走する。

そう云う訣で、「量子力學」に挫折したのだが、それがずっと心に残っていて (まぁ、「虎馬」と云うヤツだな)、時々思い出す度に「そのうち、また挑戦してみよう」と云う呪文で、記憶の亡霊を封印してきたのだ。

しかし、最近アハラノフ・ボーム効果に就いて少し勉強した ([nouse: アハラノフ・ボーム効果とその実証実験 (本ブログ「サニャック効果」関連記事の余談として)] 参照) ついでに、意を決して「量子力學」も強引に通読してみた (ただし「附録 近似的な解き方」は、読んでいない。また、「譯者の註」も必要に応じて参考しただけである)。

読後感は、「名著であることには異存はないのだけれども、やはり既に『歴史的文書』になっている」と云うものだった。

その際若干の誤植に気が付いた。そこで、以下、[ディラック 量子力學 原書第4版] (朝永振一郎・玉木英彦・木庭二郎・大塚益比古・伊藤大介共訳。岩波書店 1968年4月。ISBN-10: 4000061232 ISBN-13: 978-4000061230) の誤植に就いて纏めておく。利用したのは、私の手元にある第5刷 (1971年12月) である。ただし、単純に活字が欠落していることが明白であると思われるもの (「刷り」によって異なるだろうから、例になるかどうか分からないが、手元のものから挙げておくと p.160 の (29) 式で、指数関数の肩にかかっている式中の y が欠けていたり、p.235 の4行目の1つ目の \alpha に付くプライムは2つでなければならないのが1つになっていたりする) は、無視した。また、適宜、みすず書房刊のリプリント版原書 ("The Principles of Quantum Mechanics. 4th ed." ) を援用する。

併せて、「誤訳」と言えないまでも、翻訳として微妙な部分も纏めておいた。

一つ釈明しておくと、「誤植」・「微妙訳」の指摘と言っても、別に、原書全体と訳本を逐一対照させて検討した訣ではない。あくまでも、作業の基本は、訳本を読んでいて意味の通じないところと、そして、それに対して、私の一存で妥当と思われるような変更を並記しただけのことである。と云う訣で、見落とし・見損ないは当然あり得る。ただし、勿論、指摘した部分に就いて、原書の対応箇所に当たり「裏を取る」ぐらいのルーチンワークはしてある。その結果に就いては「備考」に記した。

岩波書店 [ディラック 量子力學 原書第4版] 正誤表
Chap.V-§31 p.165 l.14
\bra{a(q)\partialdiff{b(q)}{q_r}}\bra \bracket{{a(q)\partialdiff{b(q)}{q_r}}}
備考: 式 (41) の左辺の2番目のブラはケットにすべき。原書 p.123 l.19 from the bottom では正しく表記されている。
Chap.VI-§35 p.191 l.8 from the bottom
無限の回轉 無限小の回轉
備考: 原書 p.143, l.5 from the bottom では "infinitesimal ones". また訳文2行前では "infinitesimal rotations" の対応箇所が「無限小の回転」と訳されている。
Chap.VI-§41 p.222 l.4
\mathcal{H}_z + \hbar\sigma_z m_z + \hbar\sigma_z
備考: 原書 p.166 l.7 では正しく表記されている。
Chap.VII-§45 p.236 l.8 from the bottom
(3) (31)
備考: 式番号の間違い
Chap.VIII-§52 p.271 l.12
\absolutevalue{\bracketo{k}{V}{P^\prime\omega\chi d^\prime}} \absolutevalue{\bracketo{k}{V}{P^\prime\omega\chi\alpha^\prime}}
備考: 式(51) の最終辺の被積分関数中で \alphad と取り違えている。原書 p.203 l.10 では正しく表記されている。
Chap.VIII-§53 p.275 l.5 from the bottom
吸収の係數 (59) と, 放出の係數 (56) を 吸収の係數 (59) と放出の係數 (56) との積を
備考: 原書 p.206 ll.10-9 from the bottom では "the absorption coefficient (59) multiplied by the emission coefficient (56)" と、積を作ることが明示されている。
Chap.X-§60 p.311 l.5
\delta b_{x_r} \delta_{bx_{r}}
備考: 式 (27) 右辺中 \delta の後の b は、下付きの添字。原書 p.230 the bottom line では正しく表記されている。
Chap.X-§62 p.319 欄外
§61 §62
備考: 節番号の間違い。
Chap.XI-§69 p.352 l.3 from the bottom
-c\alpha_1 c\alpha_1
備考: マイナス記号は余計。原書 p.263 l.17 from the bottom では正しく表記されている。
Chap.XI-§69 p.353 l.5
\hbar/2mc^2 h/2mc^2
備考: \hbarh の誤り。原書 p.263 l.10 from the bottom では正しく表記されている。訳書の前2行の2か所で h であることにも注意。
Chap.XI-§73 p.364 l.4
\frac{H^\prime}{mc^2} = \left(1 + \frac{\alpha^2}{s_2}\right)^{-\frac{1}{2}} \frac{H^\prime}{mc^2} = \left(1 + \frac{\alpha^2}{s^2}\right)^{-\frac{1}{2}}
備考: s にかかる添字 2 は、下付きではなく上付き。原書 p.272 l.5 では正しく表記されている。
Chap.XI-§73 p.364 ll.5-4 from the bottom
この場合には, c_s の係數に a を掛け {c^\prime}_s の係數に a_2 を掛けて加え合わせると, この場合には, c_s の係數に a_1 を掛け {c^\prime}_s の係數に a を掛けて加え合わせると,
備考: 原書 p.272 では the first coefficient (c_s) と the second coefficient ({c^\prime}_s) に就いて "In this case we get, multiplying the first coefficient by a_1 and the second by a and adding," (ll.10-9 from the bottom) と正しく表記されている。
Chap.XII-§76 p.382 l.6 from the bottom
-(8\pi)^{-1}\mathcal{A}_r\mathcal{A}^{ss}_rd^3\mathbf{x} -(8\pi)^{-1}\int\mathcal{A}_r\mathcal{A}^{ss}_rd^3\mathbf{x}
備考: 式左辺で積分記号が抜けている。原書 p.287 l.4 では正しく表記されている。ちなみに、原書では \mathbf{x} はボールド体ではなくナミ字。他にも同様な箇所がある。少なくともこの本の範囲内では、趣味とか習慣の問題 (ともに大変重要な要素だが) であって、どちらが正しいと云うわけあいのものでもあるまい。
Chap.XII-§76 p.383 l.3
H_{FL}\!\! =\! (8\pi)^{-1}\!\!\int\!\{(U\!-\!A_0)^r(U\!+\!A_0)^r\! + (V^{rr}\!\!-\!B_0)(V^{ss}\!\!+\!B_0)\}d^3\mathbf{x}
備考: この式には、番号 (49) を付けねばならない。原書 p.287 l.12 では正しく表記されている。ちなみに、原書では \mathbf{x} はボールド体ではなくナミ字。
Chap.XII-§77 p.388 ll.13-14
光子の各状態あたり半エネルギー量子よりなる無限大の數項 光子の各状態あたり半エネルギー量子づつが寄与してなる無限大の項
備考: 原書 p.291 ll.2-1 from the bottom の "an infinite numerical term, consisting of a half-quantum of energy for each photon state." を参照。訳書のままだと、「項」が複数あるように見える。しかし、「無限大の數の項」とすると、日本語としてこなれない。ここは "numerical" を敢えて訳す必要はないだろう。
Chap.XII-§78 p.389 l.4 from the bottom
第2量子化によって, \psi は §65 の \bar{\eta} のように 第2量子化によって, \psi 等は §65 の \bar{\eta} 等のように
備考: この文章の内容には \psi, \bar{\psi}, \eta, \bar{\eta} と複数種類の関数が関わるので、そのことを明示的に示すよう「等」を付け加える必要がある。原書 p.293 ll.3-4 でも "The second quantization makes the \psi's into operators like the \bar{\eta}'s of §65," と複数形になっている。
Chap.XII-§78 p.395 ll.13-21
下記参照
Chap.XII-§79 p.399 ll.11-12
\begin{eqnarray*}&&[\kappa(\mathbf{x},x^\ast_0),\ \lambda(\mathbf{x}^\prime,x^\ast_0)] = [\kappa(\mathbf{x},x_0)+\epsilon v_r x_r[\kappa_{\mathbf{x}},H],\ \lambda(\mathbf{x}^\prime,x_0)+\epsilon v_s x^\prime_s[\lambda_{\mathbf{x}^\prime},H]] \\&&\quad =[\kappa(\mathbf{x},x_0),\ \lambda(\mathbf{x}^\prime,x_0)] + \epsilon v_s x^\prime_s[\kappa_{\mathbf{x}}, [\lambda_{\mathbf{x}^\prime},H]] + \epsilon v_r x_r[[\kappa_{\mathbf{x}},H], \lambda_{\mathbf{x}^\prime}]end{eqnarray*}
備考: 式 (103) の前半部分 (この引用ではスペースが少ないため折り畳んであるが、訳書ではもともとは2行に書かれいてる)。実は、数式としては誤っていない。また、原書 (p.301 ll.2-4) とも一致する。それでも式の全体の流れの統一の観点から言ったら、添え字の s は、4箇所全て r に直した方が良いだろう。実際、反交換子関係に就いての対応する式 (104) では r で統一されている。
Chap.XII-§79 p.400 ll.6-7
我々は方方で \epsilon のべきまで式を計算し, \epsilon^2 は無視してきた. 上記 \epsilon の冪式として計算した箇所においては、\epsilon^2 の項は無視された。
備考: 原書 p.301 ll.8-7 from the bottom では "At several places we worked out expressions in powers of \epsilon and neglected \epsilon^2." ここで "several" は敢えて訳す必要はあるまい。訳すにしても、「方方」などとしてはいけない。
Chap.XII-§80 p.401 l.9 from the bottom
\psi_{a{\mathbf{x}}},\ j_{0{\mathbf{x}}}] [\psi_{a{\mathbf{x}}},\ j_{0{\mathbf{x}^\prime}}]
備考: 式 (109) の左辺。原書 (p.302 the bottom line) でも同じなのだが、1つ前の式を見れば分かるように、荷電密度の添字 \mathbf{x} にはプライムを付けて \mathbf{x}^\prime にする必要がある。
Chap.XII-§81 p.406 l.7
\zeta^\ast_{\mathbf{bp}+\mathbf{k}\hbar} \zeta^\ast_{b\mathbf{p}+\mathbf{k}\hbar}
備考: 式 (120) での被積分関数中の \zeta^\ast の添え字でボールド体の \mathbf{b} は、ナミ字の b にする必要がある。原書 (p.306 l.4 from the bottom) では正しく表記されている。

[量子力學] の翻訳は、「意味を取る」と云う観点からだけ見るなら、概ね出来の良いものだ。ただ、(僅かな比較だけから判断してもうしわけないが) 訳者たちには、原文の「雰囲気」とか「ニュアンス」とかを伝えると云う努力はしなかったようだ。[量子力學]の訳文からは、訳者たちが行なったのは、原文を、単文に分解して、それぞれを直訳した後、英文を参照にしつつも、結局は和文の文脈の中で、適宜、論理的・物理的整合性に従って、訳文の文章を再構成していったと云う印象を受ける。そして、実を言うと、それで良かったので、ディラックの文章そのものが文飾に凝ったと云った類いのものではない。勿論、如何なる文章もその文化・歴史的背景を背負っているから、作者の意図に関わらず「雰囲気/ニュアンス」は発生する。しかし、ザッと見た限りでは、ディラックの文章には、「雰囲気/ニュアンス」が重要な意味を担うと云ったことはありそうもない。実際、彼自身は逸話の多い人で、そういった意味では、文学的対象になりうるのだが、その一方で、彼は文学的営為とは無縁であったらしいことが、その逸話自体から伺える (彼は、詩を書いていると云うオッペンハイマー (J. Robert Oppenheimer) に向かってこう言っている, "I do not see how a man can work on the frontiers of physics and write a poetry at the same time." 「物理学の最前線で活動する一方で、同時に詩を書けるなんて、僕には訣が分らない」)。

だから [量子力學] を「名訳」と呼ぶのは「贔屓の引き倒し」になりかねないにしても、「誤訳」らしい「誤訳」がほぼない (らしい) ことだけでも、十分優れていると言って良い。これは、訳者たちが、内容をしっかり理解していて、英文として日本語にしづらいところは、穏当な「意訳」をすることができたからだ。私が [量子力學] を読んでいて、「こう云う日本語になる英文ってあるのだろうか?」と感じて、原文を当たった所、確かに (少なくとも翻訳の非専門家にとっては) ヤヤ訳しづらいところだったと云うことが数度あった。と言うか、ある意味、[量子力學]全体が「穏当な意訳」からなっているとも言えるかもしれない。

しかし、残念ながら第 XII 章の翻訳品質は、若干落ちる。何か、翻訳に不慣れな人が訳した趣きがあるのだ。それは、自分の英文理解に自信がなく、「手探り」のまま訳しているとでも形容したら良いのかもしれない。。

例えば、XII-§78/p.394 ll.14-19 (原書 p.296 the bottom line - p.297 l.5) の反交換関係が満たすべき性質の箇条書きで "it" を「それ」と訳してしまっているため、日本語としてこなれていないが、ここは、すべて「反交換関係」を使うところだろう。

あるいはまた、XII-§76/p.380 ll.11 and 16 (原書 p.285 ll.14 and 20) で、原文の「波長が零でない波」は、「波数が零でない波」の思い違いだろうと云う正しい指摘を訳者は「譯者の註」(p.465) でしているにも関わらず、訳文では「波長」を温存しているのは、訳者が自分の物理学理解に自信がないためではなく、英語理解に自信がないことのあらわれと見てよい (もっとも「譯者の註」での説明は、大袈裟のような気がするが)。

そうした「不慣れな訳文」の中で、私が一番違和感を覚えたのは XII-§78/p.395 ll.13-21 (原書 p.297 l.8 from the bottom - p.298 l.2) だ。原文と対応させてみると、間違っているのではないのだが、もっと「普通の日本語」に訳せるだろうと云う気になる。これは、ヤヤ長いので、上記の表には纏めず、以下に、その概要を示すことにした。

まず、原文を示す:

Thus (l^\mu\alpha_\mu + S\alpha_m)_{ab}K_{ba}(x, x^\prime) (87)
should be invariant with K_{ab}(x, x^\prime) given by (85), and its invariance would be sufficient to ensure the invariance of the anticommutation relations. We get for (87)

<br />
\begin{eqnarray*}<br />
&&h^{-3}\!\!\int\Sigma\!\frac{1}{2}(l^\mu\alpha_\mu\! +\! S\alpha_m)_{ab}(p_0\! +\! \alpha_rp_r\! +\! \alpha_mm)_{ba}e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3p \\<br />
&&\quad = h^{-3}\!\!\int\!\Sigma\frac{1}{2}\{(l_0\! -\! l_s\alpha_s\! +\! S\alpha_m)(p_0\! +\! \alpha_rp_r\! +\! \alpha_mm)\}_{aa}e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3p \\<br />
&&\quad = h^{-3}\!\!\int\!\Sigma{2}(l_0p_0\! -\! l_rp_r\! +\! Sm)e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3p. \qquad \qquad \qquad (88)<br />
\end{eqnarray*}<br />

This is Lorentz invariant because the differential element p^{-1}_0d^3\mathbf{p} is Lorentz invariant.
--P.A.M. Dirac "The Principles of Quantum Mechanics" 4th ed. Oxford University Prerss (1958) pp.297-298 (XII-§78)

これに対する [量子力學] の訳文は:

從って (85) で與えられる K_{ab}(x, x^\prime) について

(l^\mu\alpha_\mu + S\alpha_m)_{ab}K_{ba}(x, x^\prime) (87)

が不變でなければならない。そして、これが不變であることが、反交換關係の不變性を保証するのに十分である. (87) として,

<br />
\begin{eqnarray*}<br />
&&h^{-3}\!\!\int\!\Sigma\frac{1}{2}(l^\mu\alpha_\mu\! +\! S\alpha_m)_{ab}(p_0\! +\! \alpha_rp_r\! +\! \alpha_mm)_{ba}e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3\mathbf{p} \\<br />
&&\quad = h^{-3}\!\!\int\!\Sigma\frac{1}{2}\{(l_0\! -\! l_s\alpha_s\! +\! S\alpha_m)(p_0\! +\! \alpha_rp_r\! +\! \alpha_mm)\}_{aa}e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3\mathbf{p} \\<br />
&&\quad = h^{-3}\!\!\int\!\Sigma{2}(l_0p_0\! -\! l_rp_r\! +\! Sm)e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3\mathbf{p}. \qquad \qquad \qquad (88)<br />
\end{eqnarray*}<br />

が得られる. 微分要素 p^{-1}_0d^3\mathbf{p} がローレンツ不變であるから、この式はローレンツ不變である。
--P.A.M. ディラック [ディラック 量子力學 第4版] 東京 岩波書店 (1968) 朝永振一郎・玉木英彦・木庭二郎・大塚益比古・伊藤大介共訳 p.395 ll.13-21 (第XII章第78節)

こまかい翻訳技量の難点をイチイチあげつらっても仕方がないので、私なりの訳文を示すだけにしておく:

と云う訣で (85) で表わされる K_{ab}(x, x^\prime)

(l^\mu\alpha_\mu + S\alpha_m)_{ab}K_{ba}(x, x^\prime) (87)

とは、不変量であるか否かが一致することなる。従って、反交換関係の不変性を証明するには (87) の不変性を証明しさえすれば良い。そこで (87) を計算すると

<br />
\begin{eqnarray*}<br />
&&h^{-3}\!\!\int\!\Sigma\frac{1}{2}(l^\mu\alpha_\mu\! +\! S\alpha_m)_{ab}(p_0\! +\! \alpha_rp_r\! +\! \alpha_mm)_{ba}e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3\mathbf{p} \\<br />
&&\quad = h^{-3}\!\!\int\!\Sigma\frac{1}{2}\{(l_0\! -\! l_s\alpha_s\! +\! S\alpha_m)(p_0\! +\! \alpha_rp_r\! +\! \alpha_mm)\}_{aa}e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3\mathbf{p} \\<br />
&&\quad = h^{-3}\!\!\int\!\Sigma{2}(l_0p_0\! -\! l_rp_r\! +\! Sm)e^{-i(x-x^\prime)\cdot p/\hbar}p^{-1}_0d^3\mathbf{p}. \qquad \qquad \qquad (88)<br />
\end{eqnarray*}<br />

が得られるが、微分要素 p^{-1}_0d^3\mathbf{p} はローレンツ不変であるから、この式もローレンツ不変である。


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2009年2月20日 (金)

Winshell3.3 の Runtime Error

LaTeX ファイル作成支援ソフトWinShell を 3.3 にヴァージョンアップしたところ (Download WinShell) 、新規プロジェクトを作成しようとすると runtime error が出て、ソフトが強制終了されるようになった。

プロジェクトを作らないままでなら新規の TeX ファイルは作れるようだ。

この事例と全く一致するのか、私には判断できないが、類似の現象はネット上に報告されている。

  1. 3.2.1でVisual C++ Runtime Error!で涙目になったから,必死で旧版を探して使っている件 - BiBoLoG
  2. TeX総合スレ III の「296:10/03(金) 10:49 NtmTXPou0 」と「297:10/03(金) 11:03 NtmTXPou0 」
  3. TeX Q & A スレッド (50001-50500)」の「[qa:50060] Runtime Error」。この件に就いて、奥村晴彦は MSXP での Msvcirt.dll 7.0.x の欠陥に関るのではないかと推測しており (「TeX Q & A [qa:50078] Re: Runtime Error」参照)、 MS は「修正プログラム」も発表しているが、私はまだ試していない。
  4. TeX Q & A スレッド (50001-50500)」の「[qa:50292] WinShellのRuntime errorの再現性とダウングレード」では Winshell をダウングレードする対処法が報告されていて、その結果は良好だった由。
  5. Winshell の 公式サイト "WinShell - LaTeX User Front End" 中のフォーラム "WinShell - Forum" でも、報告されていて (WinShell - Forum - Miscellaneous - run time error!)、WinShellWinShell を一旦閉ぢてから WinShell.ini ファイルを削除し、その後 Winshell を再開することが薦められているが、これでは解決しないようだ。

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2009年2月 7日 (土)

今日は初午。練馬区高松の地口行灯

東京都練馬区高松に、所謂「激安スーパー」である [業務スーパー練馬店] (東京都練馬区高松3-21-18) があって、時時買い物をする。だから、その敷地の中に、恐らく以前はそこに大きな屋敷 (農家) があっただろう名残と思われる稲荷祠があることには気が付いていた。

いま google map のストリートビューで確認してみたら、看板や木が邪魔をして屋代そのものは見えづらいのだが、鳥居ぐらいは見ることができた (航空写真では、屋代の赤い屋根が見える)。

その [業務スーパー] に、たまたま昨日今日 (2009年2月5日・6日) と行く用事があったのだが、その「お稲荷さん」に地口行灯が五・六灯飾ってあったのだな。「ああ。そう言えば、もう初午なんだな」と思ってしまった。調べてみたら今日 (「こんにち」と読んでいただきたい) 2月6日が初午だった。

しかし、顧みてみると、初午に地口行灯が飾ってあるのを実見したのは初めてかもしれない。子どものころ見たことがあるかもしれないのだが、だとすると、忘れてしまっている (そう言えば、去年だったか一昨年だったか、板橋の下頭橋の豊敬稲荷だったかの前を初午の日に通りかかったら、太鼓が柵柱に吊り下げてあって、誰でも叩けるようにしてあったのを見た記憶があるが、その時にも地口行灯はなかったようだ)。

勿論、地口行灯そのものは、北千住の商店街や浅草寺門前の伝法院通りで見かけたことがあるのだが、あれは観光用であって常時掲げられており、初午とは関係ない。

今日見た地口行灯で私が読み取れたものはたった二つで、曰わく「小狐三本桜」と「狐道成寺」だけだった。まぁ「義経千本桜」と「娘道成寺」ぐらいなら私でも知っていると云うだけのことなのだが、そのほかも全て「狐」で通しているらしかった。かってそう云う風習があったのだろうか。浅学にして、その有無を承知しないのが残念である。

原稿を書いているうちに日付が変わってしまったが、このまま投稿することにする。

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2008年12月 9日 (火)

[nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出] の URL (所謂「固定リンク」) に就いて

先日、本ブログの [nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出] (2007年9月30日[日]) に、[nouse: ホロノミー (holonomy) としてのサニャック効果 (Sagnac effect): 物理篇 ] (2008年11月 8日[土]) へのリンクを補足して、保存しなおしたところ、記事の URL (所謂「固定リンク」) が変わってしまった。

具体的には、ファイル名が "post_4f1e.html" から "post-4f1e.html" に変えられていたのだ。

「事故を防ぐ」と云う観点から、投稿記事の URL をココログが独自の方針で割り当てるのは、ある程度理解できる。しかし、一旦割り振った URL を変えてしまってどうするのだ。ファイルシステムが成立しないではないか。作成したファイルの内容の自己同一性を担保するのは、「公序良俗に反しない限り」投稿者 (厳密には「著作者」だが表見的には「投稿者」である) のみの責任であるとともに、投稿者のみの権利である (これは著作者人格権に関わる)。そして、同一の URL は、ファイルの内容の自己同一性の基本的な表示なのだ。

このブログ中の既存記事には [nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出] へのリンクを張ったものが複数存在する。それは現在リンク切れの状態になっている。しかし、リンクを張りなおしすと、リンク元の記事自体の URL が変わってしまう可能性があるので迂闊に手を出せない。

また、検索エンジンでも、古い方の記事にヒットした場合はリンク切れになっている。

ココログスタッフの猛省を促したい。

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2008年9月 1日 (月)

「先生」・「先生」・「先生」の聲

[nouse: 英文版ウィキペディア "Born coordinates" 導入部、第1節-第3節翻訳草稿] (2008年8月2日[土]) を書いていて、サニャック効果 (Sagnac effect) とは時空多様体を「空間」上のファイバーバンドル (fiber bundle) と捉えた時のホロノミー (holonomy) なのだと気付いたのだったが、少なくとも日本の「知的状況」では (と云う書き方もオゾマシイほど初歩的なことなんだが、まぁとにかく)、一般的に認識されていないようなので、微分幾何学の初歩の復習も兼ねて、ファイバーバンドルの理論をホロノミーの所ぐらいまで纏め始めたのだったが、これが例によって難渋している。

書きはじめる前の予定では、8月中旬には (ハッキリ書くと「8月11日」) 脱稿・ ポストだったのが、今日は既に8月末日である。

しかも昨日当たりから、当初は全く書くつもりのなかった「層 (sheaf/faisceau)」のことを、、極めて簡単ながらも (取り敢えず「層係数のコホモロジー」ぐらいに就いては) 触れる必要があることに気が付いた。しかし、幾ら「簡潔」と云っても、「1」のことを書こうとしたら、少なくとも「20」とか「30」ぐらいのことは調べたり考えたりする必要がある。そして、それだけ苦労しても、しばしば手ひどい過ちをするのが、私のような愚かな人間には通例なので、手を抜くわけにはいかないのだ。まだ、しばらく泥沼状態が続きそうである。

なんだかガッカリしてしまった。

そう云うわけで、今日は作業に手が着かず、バックレてしまって、カテゴリー「『日本語で一番大切なもの』」のなかの記事の内部リンクを補足したり、大意を書きたしたりし始めたのだったが、「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも (天武天皇 [万葉集1]21)」の大意を書こうとして、とたんに行き詰まってしまった。

「恋ひめやも」が反語であることはともかく、「憎くあらば」は何なのだろう。

勿論、贈歌は言わずと知れた「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる (額田王 [万葉集1]20)」なんだが、この贈返二歌、微妙に照応していない。

恋愛の上でのことだから、「ズラシ」は基本的な作法でありうるのだが、だとしたら、背景に「事件」があったことを想像してしまう。

素直に受けとるならば、二人の間に、「女」の側からすれば、「男」から嫌われたかもしれないと考えたとしても不思議でない「事件」があったことになる。

さらに厳密に言うならば、これは「男」の発想内での「事件」なのだ。つまり、男の発想では「『女』の側からすれば、『男』から嫌われたかもしれないと考えたとしても不思議でない『事件』があった」。

「男」は、「女」の「不安」を劇的に解消するために、「野守」が監視している「標野」で、「女」に対して「袖を振る」と云う愛情表現をすると云う無謀なことをワザとする (cocu は、クニの支配者である)。

「女」は、「男」の行為に呆れたのか、感激したのか、そのどちらかであるかは、実は恋愛の相のもとでは、あまり意味がないので、重要なのは、「男」の関係修復を願うサインを受け入れたことを示すための優位の姿勢で、「男」をたしためたと云うのが、「[万葉集1]20」だ。「野守が見ていないとでも言うのですか?」

これに対する「男」の返歌は、「女」の贈歌に直接答えていない。自分は「女」を嫌っていないと云う、当面の最重要メッセージを伝えることに終始している。「美しい女性よ。あなたに腹を立てているのだとしてら、人妻であるあなたを何とかして手に入れたいなどと思うでしょうか?」

勿論、「事件」を、単純に、「女」が「人妻」になったと云う事実であると捉えることは可能なのだが、実は、それ以外の何かがあったような気もするのだ。しかし、そうなると、結局「憎くあらば」をどう解釈するかと云う問題に戻ってしまう。

思案投げ首していたら、窓の外から、この雨続きで肌寒い一週間ばかり聞こえていなかったクマゼミの鳴き声が「シャン・シャン・シャン」と聞こえてきた。物理/数学も不可、万葉も不可である私を「先生・先生・先生」と嗤わっているようだ。

     大窪詩佛
古松林裏聽蟬鳴
先生先生先生聲
聲聲似把先生笑
莫笑先生老遠行
三十年來舊遊地
白首重來幾先生


富士川英郎 (「江戸後期の詩人たち (1973年)」) によれば、常陸国多賀郡大久保に生まれ、江戸神田お玉ヶ池に詩佛堂を営んだ詩人が紀州に旅をしたときのこの詩 (題はないらしい) の「蟬」は「おそらく熊蟬だろう」と云うことだ。おそらく、彼の耳に、このセミの鳴き声は耳新しかったのだろう。そう言えば、やはり関東に生まれ、いまもその住人である私にとっても、「シャン・シャン・シャン」は、幼年時代聞かなかったような気がする。

詩を詩佛に倣おうとは思わないが、それでも、ここはやはり蝉どもに対して、「嗤ふなかれ小生の老いて遠行することを」と言っておきたい。


駄文を弄しているうちに、日付が変わってしまった。もともと、原稿が書きあぐねたすさびに書き始めた文章だから、それも当然か。「莫笑」。

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2008年3月22日 (土)

メモ:ユニコードファイル二題。テキストソートと xyzzy の設定

私は、xyzzy エディタを用いてテキストを作成している。そのコードは基本的にユニコード (utf-8n) で、改行コードは lf である。以下の話題は、この事実に関する。

[nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) で引用文を五十音順 (辞書配列順) にソートする際には ruby を使用した (勿論、テキストソースでは、各引用文冒頭にその読みのひらがな化してソートタグに付けてある)。これは、xyzzy の filter-buffer でバッファ内容を sort.exe に喰わせた所、ゴミを吐き出したためで、恐らくは、xyzzy が呼ぶようになっている sort.exe がユニコードに対応していないのだろう。Windows で動くユニコード対応の sort.exe を少し探してみたが、出てこない。早々と諦めて ruby なら当然ユニコード対応になっているはずだと、方針を切り替えたのだ。

呆気ないほど簡単に [Rubyのほそ道・けもの道] で、テキスト・ファイル全体のソートを行なうスクリプトが見つかった。5行の短いものだが、こうしたものでさえ、私のような素人が作ろうとすると、些細な所で躓いて、ひどい苦労をするものだ。作成者の Minagawa Mitsuo さんに感謝する由縁である (入力ファイル名が "input.txt" 限定、出力ファイル名が "output.txt" 固定だが、一回限りの利用には何の問題もない)。

実際に引用文ファイルを流した所、綺麗にソートされた output.txt が出来た。それに leading 部分を付けたのが、[nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] である (フランス語詩と英語詩については別扱いにして最後にもってきてある)。

ただし、うつかりしていて、改行コードが cr+lf のままになってしまっているのが残念だ。


その後、「引用文索引」ファイルから、一行づつ切り取って別々の記事として [nouse: ああしやごしや、ええしやごしや] (2008年3月4日[火]) から [nouse: Oh, to be in EnglandNow that April's there,And whoever wakes in EnglandSee,.....] (2008年3月21日[金]) までの記事としてポストした。

その際、操作の効率化のために、いままで余り使わなかった find-file でファイル名指定をして新規バッファを開き、「引用文索引」ファイルから冒頭一行をカットして、新規バッファにペーストして保存するようにした。其の数、497。

しかし、テキストソートの話を書こうとして、ファイルを幾つか見直した時に、そうして作った「シングルカット」ファイルのコードがユニコードでなく、Shift-JIS になっていることに気付いたのだ。数秒間呆然としたね。全部が Shift-JIS なのか確かめた訣ではない (なにしろ 497 個だから) が、その可能性はある。おいおい。

改行コードは勿論と言うか、何と言うか、cr+lf だ。再び、おいおい。


この記事の冒頭でも書いたが、私はテキストを、コードは基本的にユニコード (utf-8n) で、改行コードは lf で作成する。従って、新規バッファで作成したファイルを、ファイル名を指定して保存する際にはディフォルトで utf-8n, lf になるように、次のような設定を .xyzzy に書き込んである。

; 文字コード : utf8n
(set-buffer-fileio-encoding *encoding-utf8n*)

; 改行コード : LF
(set-buffer-eol-code *eol-lf*)

だから、当然 find-file でファイル名を指定した場合も、この指定が生きていると思いこんでいたのだ。

しかし違うのだな。考えてみれば、これは当然なのだ。関わる関数が違うからね。

と云う訣で [mieki256's diary - xyzzyで特定種類のファイルの文字コードを指定] を参考にして、*find-file-hooks* に add-hook して、取り敢えず find-file でファイルを作成した時は全部 utf-8n, lf になるようにしてしまった。本当は、拡張子でキチンと場合分けをしなければならないのだが、まぁ「取り敢えず」ということで...

それで思い出した。xyzzy の「新規作成」でファイルを作成すると、やはりディフォルトは Shift-JIS, cr+lf なのだった。まぁ、「新規作成」でファイルを作ることは多くないのだが、それでも時々あって、そのたびにコードの変更をしなければならず「ウザイ」と思っていた。ついでに、それも直しておこうと云うことで、次のようなことをしてみた。これで良いのか、自分でも心許ないのだが、一応設定が変わったようだ。

;「新規作成」も utf-8n, lf
(setq *default-buffer-mode* 'text-mode)

(add-hook '*text-mode-hook* 'my-text-mode-hook)

(defun my-text-mode-hook ()
(progn (set-buffer-fileio-encoding *encoding-utf8n*) (set-buffer-eol-code *eol-lf*)))


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2007年12月21日 (金)

"Rboard PRO for PC" 被昇天

昨2007年12月20日午前、十年ほどもしっかり働いてくれた "Rboard PRO for PC" が天に召されました。

ハードウエアとしての使い心地はとても優れていたものの、ドライヴァの出来は今ひとつで、ときどき突如として半角カナコードを吐き出すようになって、システム再起動を余儀無くさせられましたが、それも今となっては良い想い出です。

最近は、システム立ち上げ時に、キーボードの認識が成立せず、そのたびに BIOS 画面をオープン・アンド・シャットすると云う便法を取らざるを得ないことが頻頻と起こるようになっていました。

更に、この數日間は、数文字、或いは一文字打ち込んだだけで半角カナ状態に切り替わることが常態化していました。そして遂に昨日になって、システム立ち上げのキーボード認識失敗だけでなく、BIOS 画面を開く為の DEL キー入力さえ出来なくなってしまったのでした。

キーコードが入力できなければ、キーボードはキーボードではなく、コンピュータも只の箱です。こうなってしまっては、この Rboard を偏愛してきた私としても為す術がありません。思うに、二台の「アスキーボード」と、この "Rboard PRO for PC" とで長い間続いてきた親指シフト専用キーボードの利用が到頭終わってしまったので、若干の感傷ナシとしませんが、普通の日本語キーボードに AltIME と「親指ひゅんQ」を入れて凌いでいます。

でもやはり使いづらいですね。慣れれば何とかなるのでしょうか。そうあって欲しいとは思っていますが。

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2007年11月21日 (水)

ココログ管理ページの favicon が変だった

ココログ管理ページには、favicon (favorite icon: アドレスバーに表示されるアドレスの先頭や、タブブラウザのタブの先頭に付けられることがある、個々のページ用のアイコン) がある。正方形の中に2行取りで [ココログ] と表示されているものだ。文字のフォントは、基本のロゴのものを踏襲している。

これが、群青色の正方形の中に白抜きで [経] 一字に変わってしまったのだ。それ以外の動作がおかしくなることはないので、そのうち元に戻ればそれで良いと、放っておいた。それが一向に直らない。そのうち、[四角に経] が、時時覗くことがある [みんなの経済新聞ネットワーク] の favicon であることに気が付いた。そう分かると、キチンと直したくなる。

ネットを調べてみると、[IconCacheを削除してもアイコン表示が元に戻らない -OKWave] と云うページがあって、Tweak UI のアイコン修復機能を使うことが勧めれていたので、実施してみたが、事態は変わらなかった。しかし、そこで紹介されている [IconCache.dbについて] を読んで、[IconCache.db の削除] は試してみる価値があることに気が付いた。

で、そうしたところ、あっさりとココログ管理ページの favicon は復旧したのだった。

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コンピュータ筐体を開けてビックリ

コンピュータ・システムの電源が落ちるのが止まらない。遂には、ワクチンソフトでウィルス・スキャンをすると途中でシャットダウンすると云う洒落にならない状態に立ち至った。その間、ネットへの接続は切断してあったから、どうやら IE7 による CPU への負荷は第一要因ではないようだ。

となると、電源の異常か、マザーボードの動作不良か、と云うことを考えざるをえなくなる。マザーボードの交換は勘弁してほしいなと云うことが念頭にあるせいか、電源の異常の方がまだマシとか、いっそのこと電源の異常であってほしいとか、発想が歪んでくるが、そのまま、電源の交換に備えて、その仕様を確認しようと、コンピュータ筐体を開けてみた。

中を覗いて驚いた。CPU のヒートシンクに綿ぼこりがビッシリとついている。謂わば、ヒートシンクに毛布を掛けた状態になっていて、冷却ファンの効果など期待できない。少し負荷が高まっただけで CPU が熱暴走するのもムベなるかな。

早速、エアダスターと綿棒とで綿ぼこりを取り除いた。試しに、ウィルス・スキャンしてみると、無事完了。この十日間だか二週間だかのヤキモキは Much ado about NOTHING だったらしい。と言うか、是非そうあってほしいと思っている。

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2007年11月19日 (月)

ブログ・パーツを除去

私が使用中のコンピュータ・システムの電源が頻繁に落ちるので、CPU への負荷を少しでも減らすために、私のホームサイトである、この nouse からブログパーツやガジェット類を、できる限り削除した。

効果は限定的である可能性が大きい。

もし「行状」が改まらないなら、ブラウザを IE7 から IE6 に戻すか、あるいは全く別のブラウザに切り替えるしかあるまい。

それ以上は、システムの更新と云うことになるだろう。やれやれ。

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