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「岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)」所収のエピソード・アネクドート

本ブルグの記事「[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])の訂正 (2017年2月28日[火])」で引用した 「岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)」を読み返すと、頭のアチラコチラに引っかかっていた言葉の切れ端の出どころだったことに気が付いた。

これを入手したのは、高校の卒業式も済んだ3月27日で、進学する大学も自宅から通える所だったから、引っ越しなどで忙殺されることもなく、隣にあった書店でタマタマ見かけたものを、そのまま購入して、その日のうちに読了したものだったらしいことが、購入日と読了日の鉛筆書き込みで知れる。

購入日は兎も角、読了日も記入してあるのは、恐らく、買ったその日に読み終わったのが自分としては珍しい体験だったからではないか。

読んで感激したと云う記憶はないのだが (とは言え、半世紀前の話だから、忘れているだけかもしれない。由来、私は物覚えが悪い)、それでも、この本で知ったエピソードやアネクドートは、しっかり内在化していたようだ。もっとも、少し歪んでいたりする。

例えば、クレマンソー (ジョルジュ・クレマンソー/Georges Benjamin Clemenceau. 1841年9月28日-1929年11月24日) が、ポアンカレ (レイモン・ポアンカレ)/Raymond Poincaré. 1860年8月20日–1934年10月15日。「ポアンカレ予想」のポアンカレは [アンリ・ポアンカレ]。レイモンの従兄) と、ブリアン (アリスティード・ブリアン/Aristide Briand. 1862年3月28日-1932年3月7日) とを対比した評言を、クレマンソーとポアンカレとの対比と思い込んでいた。

実際は、次のようなものなのだ。

クレマンソーが、ポアンカレとブリアンを比較して、「ポアンカレはなんでも知っているが、なにひとつわからない……ブリアンはなんにも知らないが、なんでもわかる」といった有名な言葉はまことに見事なエスプリというべきであろう。この言葉は両者の比較論を越えて、一般的な人間論になっている。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第107頁。

原文は、次のようなものだったらしい。

"Poincaré sait tout et ne comprend rien, Briand ne sait rien et comprend tout"
--ARISTIDE BRIAND (1862-1932) – Liberté par le travail

河盛さんは、続いてこう書いていて、これも私は自分で「花束を持って」と云う一句を勝手に付け加えて覚えていた。

また彼には「恋愛の最も美しい瞬間は、階段を上がっていくときである」というような洒落た言葉もある。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第107頁。

これの原文は

"Le meilleur moment de l'amour, c'est quand on monte l'escalier."
--Georges Clemenceau | Le meilleur moment de l'amour, c'est quand on ... - 1001 citations

この後で紹介されているロイド・ジョージ (デビッド・ロイド・ジョージ/David Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor. 1863年1月17日-1945年3月26日 ) の逸話は、チャーチルのものだと覚え間違えていた。恥づかしい。と、書いたところでネットで調べたところ、逸話の主人公は、いろいろなヴァリエーションがあって、その中には、と云うか、一番有名なのがチャーチルらしい (“If I Were Your Wife I'd Put Poison in Your Tea!” “If I Were Your Husband I'd Drink It” – Quote Investigator)。もう、私には何が何だか分からん。

ロイド・ジョージが首相のとき、議会である婦人議員に嚙みつかれ、「もしわたしがあなたの奥さんだったら、あなたの飲む紅茶のなかに毒を入れたい」と毒づかれたのに対して、彼が静かに、「もしわたしがあなたの御主人だったら、悦んでその紅茶を飲むでしょう」と答えた言葉などは、典型的なイギリス的ユーモアと称すべきであろう。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第108頁。

ちなみに、イギリスで、不平等ながらも婦人参政権が導入されたのは、第1次世界大戦中1918年のロイド=ジョージ挙国一致内閣の時である。

大戦中の1918年2月に選挙法改正を行った。これにより選挙権の財産資格・居住資格が廃され、普通選挙が確立した。さらに30歳以上の婦人にも選挙権が認められた。婦人に選挙権が認められたのはこの改正の時が初めてであり、有権者数は一気に3倍となった。
この改正の背景には長引く戦争と総力戦体制によって、中産階級と労働者階級の格差、および熟練労働者と非熟練労働者の格差が縮まったこと、女性労働者の軍需産業への進出が進んだことがある。当時、選挙権は戦争協力と不可分に結びついており、従軍しない女性には選挙権は認められるべきではないというのが一般的な考え方だった。自由党においてさえも、ロイド・ジョージ以外の政治家は婦人選挙権に慎重な者が多かった。今回女性に選挙権を認めたのは、今度の大戦における女性の銃後の功績が世間一般に認められた形であった。
--デビッド・ロイド・ジョージ - Wikipedia

あともう少し引用しておこう

シャンフォール (セバスチャン=ロシ・二コラ・ド・シャンフォールSébastien-Roch Nicolas de Chamfort. 1741年4月6日-1794年4月13日) の著作「省察・箴言・逸話」からの引用

「ルイ十五世がまだ若かった頃、廷臣たちのレースの袖口を引き裂く悪い癖があった。モールパ氏はそれを矯め直すことを引き受けて、ある日、目の覚めるような美しいレースをつけて王の前に現われた。王は早速近よって片方のレースを引き裂いた。モールパ氏は少しも慌てず、こんどは自分の手で、もう一方のレースを引き裂き、《私にはさっぱり面白くありませんが》とあっさりいった。虚を突かれた王は真っ赤になり、それ以後はレースを引き裂くことをぴったりと止められたそうである。」
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第110-111頁。

Il s'agissait de corriger Louis xv jeune encore, de l'habitude de déchirer les dentelles de ses Courtisans. M. de Maurepas s'en chargea. Il parut devant le Roi avec les plus belles dentelles du monde. Le Roi s'approche, & lui en déchire une. M. de Maurepas froidement, déchire celle de l'autre main, & dit simplement : Cela ne m'a fait nul plaisir. Le Roi surpris devint rouge, & depuis ce tems ne déchira plus de dentelles.
--Page:Chamfort - Maximes, Pensées, Caractères et Anecdotes, 1796, éd. Ginguené.djvu/254 - Wikisource
引用原文末尾から6語目の "tems" は --temps-- の誤りだろう。

シャンフォール自身の逸話 (出典不明)。

あるとき、村の医者が鉄砲を肩にして猟に出かけるのに道であった彼は、「病人だけではもの足りませんか」と言った。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第111頁。

イギリス人がエスプリの効いたことを言うこともある例として、バーナード・ショウ (ジョージ・バーナード・ショー/George Bernard Shaw. 1856年7月26日-1950年11月2日) の逸話を紹介しておく (ネットを探してみたが、これの原文は見つからなかった)。

ある人がバーナード・ショウに、「金曜日に結婚をすると不幸になるというが本当ですか」と聞いた。「勿論です。どうして金曜日だけが例外になるのでしょうか」とショウは答えた。 --岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第131頁。

アネクドートとしては、次のものが脳裏に残っていた (それなりに覚えていたのはオチの所だけだったが)。

エルネスト・ミニョン著『ドゴール将軍の言葉』という本のなかに次のような話が出ている。フルシチョフとの問答である。
フルシチョフ(頭ごなしに)「原子爆弾が五発あれば僕はフランスを全滅させてみせるよ」
将軍(ふんといった顔で)「それから?」
フルシチョフ(すごんでみせて)「それからだって……こんどは、三十発で原爆でアメリカを全滅させる」
将軍(涼しい顔で)「するとアメリカでも同じ数の原爆を使ってロシアを全滅させるね……」
フルシチョフ(得意になって)「それだよ、僕がいいたかったのは。アメリカの政策は必ず戦争をひき起こす。そして、戦争になれば、われわれはおたがいに破滅だ」
将軍(そしらぬ顔で)「そうだ。そして君の中国の友人たちだけが生き残るね」 --岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第102-103頁。

この『ドゴール将軍の言葉』は "Les mots du Général de Gaulle.: Ernest MIGNON (Amazon.com: Books)" のことだろうが、詳細は不明。私としては、ドゴール将軍の『(ふんといった顔で)「それから?」』の原文が "Et Alors?" だったか確かめたいところだが、できなかった。

ちなみに、この "Les mots du Général de Gaulle" には、将軍の

"Comment voulez-vous gouverner un pays qui a deux cent quarante-six variétés de fromage?"
--Charles de Gaulle - Wikiquote
一体どうしたら、246種類のチーズがある国の舵取りをしようなどと思えるのだ。

と云う言葉が紹介されているよし。これは何処かで聞いたことがあるような気がする。

最後に、アメリカ合衆国の有名な Cartoonist であるジェームズ・サーバー (James Thurber. 1894年12月8日-1961年11月2日) の小品 "The Rabbits Who Caused All the Trouble" を紹介しておこう。

まず、原文が参照できるリンクを貼っておく。

  1. James Thurber: Writings & Drawings (including The Secret Life of Walter ... - James Thurber - Google ブックス
  2. Storyteller: The Classic that Heralded America's Storytelling Revival - Ramon Royal Ross - Google ブックス

勿論 「岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第91-92頁」には、訳文が示されているのだが、思うところあって、私なりのしたかで大意を示すことにする。

ウサギの奴らが諸悪の根源

とても小さな子供でさえ知っているくらいの頃のこと、オオカミたちの群れの近くでウサギの一族が暮らしていた。オオカミが言ってきたことには、ウサギたちの暮らしぶりが気に入らないと云う。(オオカミは、自分たちの生き方の正しさを熱狂的に信じていた。何故なら、それ以外の生き方などあり得ないからだった。)

ある夜、地震が起こって、何匹かのオオカミが死んだので、ウサギのせいにされた。なぜなら、周知のように、ウサギは後脚で地面を蹴って地震を引き起こすからである。別の夜には落雷があって一匹のオオカミが死んだ。これもウサギのせいにされた。なぜなら、周知のように、レタスを食べるものはカミナリを呼ぶからである。オオカミたちは、ウサギたちが行いを改めないのであれば、ウサギたちを改革するぞと迫った。そこで、ウサギたちは、無人島に逃げ出すことにした。しかし、オオカミとウサギ以外の [他の動物たち] は (彼らは、オオカミやウサギたちから遠く離れたところに住んでいた) ウサギたちを非難して言った。「君らは、勇気をもって、今いるところに留まらねばならない。この世は、逃亡者のためにできてはいないのだ。もしオオカミたちが君らを攻撃するなら、私たちが君たちを救援するだろうことは、ほぼ確実と言ってよい。」

そこで、ウサギたちはオオカミたちの近くで暮らし続けたが、ある日大洪水が起こって、大勢のオオカミが死んだ。これは、ウサギのせいだった。なぜなら、周知のように、ニンジンを齧り長い耳を持つ者は洪水を引き起こすのだから。オオカミたちは、ウサギたちそのものの為を思って、ウサギたちを急襲し、ウサギたちそのものの保護のために、ウサギたちを暗い穴倉に閉ぢ込めた。

ウサギたちの噂が聞こえなくなって数週間経った頃、[他の動物たち] は、ウサギたちの身に何が起こったのか知りたいと言ってきた。オオカミたちは、ウサギは食べられてしまっており、そうである以上、事態は純粋に内部問題に属すると回答した。しかし、[他の動物たち] は、ウサギの滅亡に就いての根拠が示されねば、団結してオオカミに対決する可能性もありうると警告した。そこで、オオカミたちは「根拠」を示した。「彼らは逃亡しようとしていたのだ。しかしながら、君たちも知っているように、この世は、逃亡者のためにできていないのだ。」

教訓: グズグズしないで一番近くの無人島に逃げ込め。

原文をご覧になっていただければ分かるが、この作品は "Within the memory of the youngest child" と云う一句で始まっている。これは河盛さんが訳されているような「思い出せないほど遠い昔」(第91頁) ではなく、むしろ「とても小さな子供でさえ知っているくらいの頃」つまり、この作品が書かれた当時の「現在」のことである。

"The Rabbits Who Caused All the Trouble" は1939年8月26日に雑誌 "The New Yorker" に発表された。イギリスとフランスがドイツに対して宣戦を布告して、所謂「第二次世界大戦」が始まる一週間ほど前のことである。

以下のことは「学校で教わる」はずのことで、多くの人にとって取っては、余談にさえなるまいが、Kristallnacht (クリスタル・ナハト) は前年 (1938年11月9日夜) に発生しており、この二つの出来事の間に、独ソ不可侵条約 (1939年8月23日) と、ドイツ軍のポーランド侵攻 (1939年9月1日) が挟まっている (ポーランドは、やはり侵攻してきたソ連とドイツとの2か国が主体となって分割占領され、消滅する。この結果ドイツとソ連とが国境を接することになる)。ちなみに、わが日本がドイツ及びイタリアと防共協定を結んだのは、これらより以前、1937年11月6日だった、更に、1940年9月27日に至って、日独伊三国同盟が締結される。これを受けるようにして、1941年6月22日にドイツ軍の独ソ国境全面におけるロシア奇襲と、1941年12月7日 (ハワイ時間) における日本軍の真珠湾奇襲が行われる。

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警句三題

Oscar Wilde

A man who moralizes is usually a hypocrite, and
a woman who moralizes is invariably plain.
--Oscar Wilde | Quotes
--"Lady Windermere's Fan" 3rd Act

道徳を振り回す男は大体クズであり
道徳を振り回す女は絶対ブスである。
--「ウィンダミア卿夫人の扇」第3幕

この "plain" は婉曲語法 (euphemism) だろう。

「ブス」ではなく「凡庸な」と云う語感である可能性は否定できないが、この戯曲の始まりの方で、

Crying is the refuge of plain women but the ruin of pretty ones.
泣き叫ぶことは、不細工な女にとっての逃げ道になるが、美女にとっては破滅への道である。
と述べられていることを勘案すると、「美醜」の「醜」の方と考えた方が良い。

上記引用句の前後は次のようになっている (なお、主人公 ウィンダミア卿夫人は清教徒として育てられている)。

Cecil Graham. Oh! gossip is charming! History is merely gossip. But scandal is gossip made tedious by morality. Now, I never moralise. A man who moralises is usually a hypocrite, and a woman who moralises is invariably plain. There is nothing in the whole world so unbecoming to a woman as a Nonconformist conscience. And most women know it, I'm glad to say.

セシル・グラハム: あー、ゴシップには魅力があるよ。歴史なんてゴシップに過ぎないしね。スキャンダルとは、道徳のために退屈にされたゴシップのことさ。そこで、僕は、決して道徳を振り回さない。道徳を振り回す男は大体クズだし、道徳を振り回す女は絶対ブスなんだ。この世で、非国教会派風の良心ほど御婦人に似つかわしくないものはないよ。そして、婦人の大多数は、そのことに気づいていると、断言するね。

Philip Guedalla

The preface is the most important part of a book. Even reviewers read a preface.
--Philip Guedalla quote: The preface is the most important part of a book...
--"The missing muse, and other essays" p.vii

書物に於いて一番大切なのは序文である。序文なら、書評家でさえ読むのだ。

この一句は、"The missing muse, and other essays" の序文に書かれている。

Daniel M. Greenberger

Einstein said that if quantum mechanics were correct then the world would be crazy. Einstein was right - the world is crazy.
--Quotes About Quantum Mechanics (80 quotes)

アインシュタインは「量子力学が真実であるとするならば、世界は狂っていると云うことになってしまう」と言った。アインシュタインは正しかった。世界は狂っているのだ。

アインシュタインが「量子力学が真実であるとするならば、世界は狂っていると云うことになってしまう」と、言葉通りに発言したことは、私は、寡聞にして承知していない。しかし、EPR 論文を発表したアインシュタインがそう考えていたことは確かだろう。

Daniel M. Greenberger は量子力学、特に量子もつれ (Quantum entanglement) の研究者。

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[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金]) への補足。オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell) の言葉へのリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク (Friedrich August von Hayek) の言及

経済学者 (と云う一言で片づけて良いのか私には判断が付かない。ただし、世間的な通りが良い言い方をするなら所謂「ノーベル経済学賞」1974年受賞者) フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク (Friedrich August von Hayek) に、"The Constitution of liberty" (邦訳名「自由の条件」) と云う著作がある。その第1部第3章 THE COMMON SENSE OF PROGRESS のエピグラフとして、次の一文が銘されている。

Man never mounts higher than when he knows not where he is going.
—Oliver Cromwell
人と云うものは、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。
-オリバー・クロムウェル

本ブログの『メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」』及び『[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])の訂正』で取り上げたクロムウェルの言葉

A man never goes so far as when he doesn't know where he is going.
のもとの形は、これだったのだろう (ちなみに、クロムウェルには言及していないが、『ドイツ語と英語の初歩。または、私は如何にして心配するのを止めて [メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] 補足を書くことになったか』もご参照頂きたい)。

注意すべきは、「原形」では、出発点からの移動の大きさが「遠近」ではなく「高低」で表されていることだ。

メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」』でも書いたことだが、「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」と云う (岩波新書1969年[エスプリとユーモア]でタレーランによると紹介されていた) 言葉を読んだ時、私は、それが「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」ぐらいの意味だと感じた訣だが、これが、「人間は、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。」であったのだったら、解釈の仕方は、「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」に対応する一通りだっただろう。

このことに就いてもう少し書いておくことができる。なぜなら、このエピグラフに続く文章で、ハイエクは、この言葉の出典を明らかにしているからだ。曰く

The quotation at the head of the chapter is taken from Jean François Paul de Gondi de Retz, Mémoires du Cardinal de Retz, de Guy-Joli, et de la duchesse de Nemours, contenant ce qui s'est passé de remarquable en France pendant les premières années du règne de Louis XIV (6 vols. in 8; Nouvelle édition; Paris:Chez Étienne Ledoux, 1820), vol. 2, p. 497, where President Bellièvre is recorded as having said that Cromwell once told him "on ne montait jamais si haut que quand on ne sait où l'on va."
--The Constitution of Liberty: The Definitive Edition - F. A. Hayek - Google ブックス
本章冒頭の引用句は、ジャン・フランソワ・ド・ポール・ド・ゴンヂ・ド・レ他著「レ枢機卿、ギ=ジョリ、ヌムール公爵夫人回想録。ルイ十四世治世初年時代にフランスで起こった著しいことども」(全6巻。八つ折判。新版。パリ:エチエンヌ・ルドゥ書店。1820年) 第2巻第497頁からのものである。当該箇所では、ベリーブル法院長が、かって、クロムウェルより、"on ne montait jamais si haut que quand on ne sait où l'on va." (人と云うものは、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する) と言われたことがあると、記録されている。

この "Mémoires du Cardinal de Retz, de Guy-Joli, et de la duchesse de Nemours" もまた、ネット上で閲覧することができる。問題の文の少し前から引用すると

Je vous entends, répondit le président de Bellèvre, et je vous arrête en même temps pour vous dire ce que j'ai appris de Cromwel (M. de Bellièvre l'avait vu et connu en Angleterre): il me disait un jour qu'on ne montait jamais si haut que quand on ne sait où l'on va.
--Mémoires du cardinal de Retz, de Guy Joli, et de la ... c.1 v.2. - Full View | HathiTrust Digital Library | HathiTrust Digital Library
となっている。自信がないが、一応、訳を試みてみると、

ベリーブル法院長は答えた。君の言うことは分かるよ。けれど、止めておいた方がいいね。もっとも、私がクロムウェルの知遇を受けていた当時 (ベリーブル殿は、イギリスでクロムウェルと会って、交友を結んだことがあるのだ)、 ある日、彼は私に「人と云うものは、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。」と語ったことがあるとも付け加えておくがね。

つまり、ベリーブルがイギリスにおいてクロムウェルの知遇を得ていたことが書き添えされており、クロムウェルの言葉は、そうした出会いの中でのものだったことがうかがえる。

この「ベリーブル法院長」に就いては "The Constitution of liberty" の編集者が

Pomponne de Bellièvre (1606–57), grandson of two chancellors of France and the first president of the Parlement of Paris, at one point served as French ambassador to England.
--The Constitution of Liberty: The Definitive Edition - F. A. Hayek - Google ブックス
ポンポンヌ・ド・ベリーブル (1606–57) は、フランスの二人の大法官の孫であり、パリ高等法院の法院長となった。一時期、イギリスにおけるフランス大使を務めたこともある。
と云う注釈を付けている。つまり、この Pomponne de Bellièvre は、二世 (Pomponne II de Bellièvre) の方のこと。彼は、無印の Pomponne de Bellièvre (1529-1607) Pomponne de Bellièvre の孫にあたる。彼がイギリスへの大使を務めたのは、1637年-1640年と1646年のことだったらしい (1637-1640 et de nouveau, en 1646, pour offrir la médiation de Louis xiv entre Charles Ier et son Parlement (Correspondance française de Guy Patin, éditée par Loïc CapronFamille de Bellièvre 及び Archives nationales - Thèse Pour le diplôme d’archiviste paléographe も参照されたい)。

しかし、所謂「短期議会」が招集され、ケンブリッジ選出の議員となった1640年以前のクロムウェルは、ほぼ無名だったらしいから、ベリーブルがクロムウェルと出会ったのは1646年だったろう。当時、クロムウェルは未だ単一権力を握っていないとは言え、清教徒軍が、チャールズ一世軍に決定的な勝利を収めつつある時期であり、チャールズ二世の亡命、チャールズ一世の処刑、共和国の建国と続く流れの中で、クロムウェルはまさに意気軒高としていたはずだ。そうした状況下で、彼が、フランスからの大使と面談して、「人間は、何処まで登るのか分かっていない時にこそ、一番の高みに到達する。」と語ったとしたら、それは、彼が自分の行き先が何処か分からないと云うことを告白したことを意味するのではあるまい。むしろ、「行き先」への展望は確信へと変わっていたが、それは他者、そしてもしかすると、仲間に対してさえ秘匿する必要を本人が感じるほどの「高み」だったと云うことだろう。

廃車寸前のポンコツ老人である私だが、「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」を読んで「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」と云う意味だろうと考えた18歳の私に、「目的地」を悟られたくない時にも、人は「目的地は分からない」と言うものだと云うことを教えてやりたい。

ハイエクの著作に戻ろう。

ハイエクは、引き続いて、このクロムウェルの言葉が、18世紀の思想家たちに深い感銘を与えたようだ (The phrase apparently made a deep impression on eighteenth century thinkers,...) と、書いている。

そして、そうした思想家として、デイヴィッド・ヒューム (David Hume)、アダム・ファーガソン (Adam Ferguson) 、アンヌ=ロベール=ジャック・テュルゴー (Anne Robert Jacques Turgot)、アルバート・ヴェン・ダイシー (Albert Venn Dicey) 、そして、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe) を挙げている (ジャンバッティスタ・ヴィーコ (Giambattista Vico) にも言及している)。

また、ゲーテに就いては、彼の言葉

Man geht nie weiter, als wenn man nicht mehr weiss, wohin man geht.
が引用されている。

ハイエクは、タレイラン=ペリゴールには言及していないようだ。

だが、ベリーブルの回想録での記載がある以上、「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」の「言い出しっぺ」が、英 (クロムウェル)、仏 (タレイラン)、独 (ゲーテ) の誰かと云う疑問は、活躍した時代の前後関係そのままに、クロムウェルと断定してよいだろう。

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[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])の訂正

本ブログの記事 [メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])で、私は、こう書いた。

日付が変わってしまったので、昨日の話になるが、先程、1日遅れでたまたま手にした「2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 (東京本社13版)」を流し読みした所、[天声人語] がこう始まっていた (現時点では、同内容の物がウェブ上の [asahi.com(朝日新聞社):天声人語 2011年6月8日(水)] で見ることができる) ([ゑ]引用時補足:現在ではリンクが切れている)。

〈行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない〉。ゲーテの言葉である。目的地が定まらないと足取りが重くなる。そんな意味だろう。逆に、確かな目標があれば急坂や回り道をしのぎ、転んでも起き上がり、大きな事を成せる
--2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 (東京本社13版) 第1面 [天声人語]

これを読んだ時の、私の感想は「ヤッチマッタナー」(© クールポコ) と云うものだった。箸にも棒にも掛からない詰まらないことを「したり顔」(最近は「ドヤ顔」と謂うらしいが) で書いてある。大体、「行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない」では警句にならない。「当たり前」にさえなっていない。当たり前の日本語を使いたいなら、せめて「行き先を決めない限り、遠くまで行くことはできない」ぐらいにしろよ、と言いたい。

浩瀚なゲーテの著作の中の何処かで、そんなことも書かれているかもる知れないが、そして私はまことに無教養で無知蒙昧ではあるが、私の知っているゲーテは、「行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない」とは言ってはいない。少なくとも、私が子どもの時に読んだ小辞典 (福音館書店刊であったか、昭文社刊であったかだと思う) の巻末についていた名言集では、そんなことを言っていなかった。うろ覚えだか、こんな感じだったのだ。

人は何処に行くか分からない時ほど遠く迄行くことはない。

(子どもだった私にも、これが「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」ぐらいの意味だと云うことが感じられた。)
(以下略)

しかし、この「私が子どもの時に読んだ小辞典 (福音館書店刊であったか、昭文社刊であったかだと思う) の巻末についていた名言集では、そんなことを言っていなかった。」は、私の記憶違いだったのだ。

その後、自宅にある段ボールの山の中に詰め込んであった私のシガナイ「蔵書」から出てきた、福音館書店 [ことわざ 故事金言 小辞典] (編者: 江藤寛子/加古三郎。1957年) の巻末の [金言・名句集] には、そうした文言は見当たらなかったからだ (「昭文社刊」は、誤り。福音館書店版が出てきた時の「これだ! 」と云う懐かしさは、余人には共感していただけないと思う。中学生の頃の私の [愛読書] だったのだ)。

福音館書店の [小辞典シリーズ] は、そのころ、小遣いをつぎ込んで、かなり買い揃えたが、身の憂き節の間ハザマに、大部分を「処分」してしまった。本・雑誌を [捨てる] ことに、生理感覚的な苦しみを覚える人間としては、「処分」と云う言葉さえ恨めしいが、そうした思いも時間は押し流してしまう。「これだけは」と取っておいた [ことわざ 故事金言 小辞典] も、結局は、[本の山] の中に紛れ込んでしまっていた。

まぁ、老人となった今では、「処分」は正解だったと、中年の頃の私に声ならぬ声をかけるしかない。買い揃えただけで、ほぼ読むことはなかった、それらの [雑書] の前に「取り敢えず読まなければ基本的な書籍」が、あと何回生まれ変わったとしても足りないくらいあるのだから。

しかし、僥倖により見出した [あの本] の中に目当ての文言が見当たらないのは、どうしたことだろう。索漠たる思いに一瞬とらわれたが、結局、そのままになった。「取り敢えずしなければならない野暮用」が山積している身としては、感慨に耽っている暇はないのだ。

ところが、偶然と云うものはあるので、その後しばらくしてから、やはり本の堆積の中から出てきた [懐かしい一冊] (書き込みを見ると、高校三年の3月27日に購入したものだ。私としては珍しく、読了日の書き込みがあって、購入当日である。卒業式が終わって、大学入学迄の間、暇だったのだな)

岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)

を、旧友に再会した思いで披見していると、いきなり出てきたのだ。ただし、ゲーテの言葉としてではなく、タレイラン=ペリゴールの言葉として

「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くにゆくことは決してない。」

[あぁ、これだったか] と、廻りまわって釈然とした。

少し脱線すると、つまり『これが「目的地が明確でないと、とんでもないところに彷徨っていくことになる」か、或いは「目的地に縛られない時こそが、もっとも遠くまで進むことができる」ぐらいの意味だと云うこと』を感じた「私」は、18歳だったのだ。さすがに、「子どもだった」とは言いづらい年齢である訣で、この点も間違っていた。

その時、すぐに訂正をアップすべきだったのだろうが、単に訂正ではなく、ある程度しっかりした補足を行うべきだろうと、つまらぬ色気を出したために、放置したまま、延々と遅れてしまった。ところが、最近新しく記事を書こうとして、簡単にかけそうな話題が全くないことに気が付き、ツメクサ代わりに、こうして訂正のみの記事を書いているという訣だ。

[エスプリとユーモア] の問題の箇所を、その前の部分から引用しておこう。今、読んでも面白いので、やや長めになる (この本は、現行の言葉遣いでい云う「コピペ」と云うか、「マトメ」でできたようなものだが、そのことを、とやかくは言うまい。私自身が、このブログで類似のことをしていると云うこともあるが、概括的な情報を纏めることには、十分な意味があるからだ)。ただ、引用するだけでは曲がないので、ネットで見つかった対応するフランス文を挿入しておく、最後の3つの bon mots を除けば、同一の書物 "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots" (Louis Thomas. Les Bibliophiles fantaisistes, 1909) 「タレイラン殿の機知: 逸話と警句」(ちなみに、彼は伯爵家の長男だったが、ある事情で家督を継ぐことなく、僧籍に入った。彼が時に「オータンの司教/l'évêque d'Autun」と呼ばれることはあっても、「タレイラン伯爵」とは呼ばれないのは、そのためである) で見出せる。これが [種本] かもしれない。

フランスの政治家に鋭いエスプリの持主の多いことはすでに書いたが、その代表的な天才はタレーランであったことは通説になっている。彼の名文句を集めた本はいろいろあるが、その言葉の矢を少し紹介してみよう。

彼はある若い外交官に向かっていった。「言葉というものは、自分の考えをかくすために、人間に与えられたものであることをを覚えておきたまえ。」
Un jeune auditeur au Conseil d'Etat, admis chez M. de Talleyrand, parlait de sa sincérité et de sa franchise.
« Vous êtes jeune, lui dit M. de Talleyrand ; apprenez que la parole a été donnée à l'homme pour dissimuler sa pensée. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文では、"Un jeune auditeur au Conseil d'Etat" 「国務院 (参事院とも) の新人評議官」ぐらいだろうから、「外交官」とはニュアンスが異なる。ただ、時代によっても意味合いが異なっている可能性はある。

ナポレオンの死をきいたとき、
「十年前なら大事件だったろうが、現在では単なるニュースにすぎないね。」
Quand on annonça à M. de Talleyrand la mort de Napoléon : «C'est une nouvelle, dit-il; ce n'est plus un événement. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文には「十年前」と云う言及はない。それから、"une nouvelle" は、「ニュース」とするのは微妙。「通知」とか「情報」ぐらいになると思う。実は、タレイランの口ぶりは、かなりそっけないのだが、その「そっけなさ」を出すのが意外と難しい。特に "n'est plus" を言葉として訳すと、訳文内の力点が、本来あるべきところからずれてしまう。「『情報』の一つだね。『事件』ではない。」ぐらいだろう。

ある日、友人のナルボンヌと散歩していると、彼はいろいろの情報をさかんに教えてくれる。そのとき偶然二人のそばを通った男が大きなあくびをした。それを見たタレーランはいった。
「君、声が大きすぎるようだぜ」
Le comte Louis de Narbonne, un de ceux que M. de Talleyrand aima le mieux, s'il aima quelqu'un, se promenait avec lui en récitant des vers de sa façon.
M. de Talleyrand aperçut un promeneur qui bâillait :
« Regarde donc, Narbonne, dit-il à son ami, tu parles toujours trop haut. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文 "en récitant des vers de sa façon" は「いろいろの情報をさかんに教えてくれる」と云うより、「独特な節回しで詩の朗誦をした」だろう。

スタール夫人は、彼女ともう一人の女性のどららか好きかと知りたいと思って質問した。
「もしあのかたと二人で河のなかへ落っこちたら、どらちらを先に助けて下さいますか。」
「わかってますよ、奥さん、あなたが水泳の名人でいらっらしゃることは」とタレーランは答えた。
Madame de Staël, qui partageait avec Madame de Flahaut les préférences de M. de Talleyrand, voulut un jour savoir de celui-ci laquelle des deux il aimait le mieux. Madame de Staël insistait beaucoup sans pouvoir obliger le galant abbé à se prononcer.
« Avouez, lui dit-elle, que, si nous tombions toutes deux ensemble dans la rivière, je ne serais pas la première que vous songeriez à sauver?
— Ma foi, madame, c'est possible, vous avez l'air de savoir mieux nager. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

「わたくしども二人が、一緒に川に落ちたら、貴方が最初に助けようと思うのは私ではないとお認めなさいまし。」
「マダム、正直に申して、それはありそうなことですな。貴方は、泳ぎがお得意でいらっしゃるようお見受けいします。」
フランス文では、タレイランは「水泳の名人でいらっらしゃる」と云う直截な言い方をしていない。
ちなみに、スタール夫人ももう一人の女性 「フラオ夫人」 も、タレイランの愛人だった。勿論、二人ともタレイラン以外の男性を「夫」を持っていた (二人とも「夫人」である。ただし、当該文献内での呼称が統一されていて、この逸話の当時は未婚だった可能性はある)。かれは艶福家だったのだ。この他にも、画家ドラクロア (Eugène Delacroix) の実の父親が彼だったと云う話は、かなり信じられている (ドラクロアの戸籍上の父親シャルル・フランソワ・ドラクロア Charles-François Delacroix は、タレイランの前任外務大臣)。
外交官・艶福家としてのタレイランに就いては、中公文庫 [タレイラン評伝] 上下2巻 (著:ダフ・クーパー。訳:曽根保信。1979) を参照のこと。

この外交官からしばしば馬鹿にされたスタール夫人は、いかなる政体にもうまく立ちまわる彼のことを、頭がコルクで足が鉛で作られた、いくら投げてもすぐ起き上がる、おきあがりこぼしにたとえていた。

不確実なニュースとして、イギリスのジョージ三世の死がパリに伝えられたとき、ある相場師がタレーランのところへ真相をききにやってきた。この外交官は次のように答えた。
「あるものはイギリス国王が死んだというし、また別の情報は国王が死んでいないという。僕としてはこのどちらも信用しないんだ。しかしこれは君にだけ内密に知らせるんだから、ひとにしゃべって貰っては困るよ。」
Un spéculateur lui demandant s'il était vrai que le roi d'Angleterre fût mort,
M. de Talleyrand répondit: « Les uns disent que le roi d'Angleterre est mort, les autres disent qu'il n'est pas mort. Pour moi, je vous le dis en confidence — surtout ne me trahissez pas! — je ne crois ni les uns, ni les autres. »
--Full text of "L'esprit de M. de Talleyrand : anecdotes et bons mots"

フランス文では、後半、順序が違っていて、ちゃんと落ちが付いている。「英国王は死んだと言う者もいれば、死んでいないと言うものもいる。私の意見を君だけに打ち明けると -- 絶対他言は無用だよ -- どちらも信じていないのさ。」

タレーランの言葉を少しばかり。
「中傷よりもっとおそろしい武器がある。それは真実だ。」
「私は自分と同意見でない人は許すが、彼自身のもっている意見に一致しない人間は許せない。」
「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くへゆくことは決してない。」

--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年) pp.112-114

上記引用中のタレイラン=ペリゴールの言葉の最後の3つの原文は、次のとおりである。

「中傷よりもっとおそろしい武器がある。それは真実だ。」
"Il y a une chose plus terrible que la calomnie, c'est la vérité."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde

フランス文では「武器」と云う言葉は使われていない。単に「もの (chose)」である。

「私は自分と同意見でない人は許すが、彼自身のもっている意見に一致しない人間は許せない。」
"Je pardonne aux gens de n'être pas de mon avis, je ne leur pardonne pas de n'être pas du leur."
Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Ses citations - Dicocitations & Le Monde

「自分と同意見」より「私と同意見」の方が良かろう。

「どこへゆくかわからないときほど人間は遠くへゆくことは決してない。」
"On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va."

問題は、この3つ目である。

確認できる資料が少ないのだ。例えば、"Mes citations en vrac: Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord" と云うウェブページに見出されるのだが、これだけでは心もとない。ただし、これとは、別に、閲覧が不自由な形であるとは言え、google books に収められている Des enjeux éthiques pour demain - André Beauchamp の p.104 には、

Mais la lucedité cynique de Talleyrand nous prévient: « On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va! »
しかし、頭脳明晰な冷笑家タレイランは、「人は何処に行くか分からない時ほど遠く迄行くことはない」と、我々に教えてくれている。
と云う記述がみられる (ちなみに、この文章は、科学技術の倫理問題を論じているらしい。)

後はここで指摘するには「喰い足りない」ものが、幾つかあっただけだった。それでも、一応、これで一件落着したと言いたいところだ。ところが、そうは簡単に問屋が卸してくれなかった。

実は、"On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va." をネットで検索すると、これをタレイランの言葉としてではなく、クリストファー・コロンブスの言葉だとするサイトや、さらには、Antoine de Rivarol (Antoine Rivaroli) と云う人物と云うサイトまであって、訣が分からなくなった。

結局、クロムウェル (Oliver Cromwell [1599年4月25日 - 1658年9月3日])と、タレイラン (Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord [1754年2月13日(2月2日説も) - 1838年5月17日])と、ゲーテ(Wolfgang von Goethe [1749年8月28日 - 1832年3月22日])との三人 が、ほぼ同一の発言

a man never goes so far as when he doesn't know where he is going. クロムウェル
On ne va jamais aussi loin que lorsqu'on ne sait pas où l'on va. タレイラン
man geht nie weiter, als wenn man nicht weiß, wohin man geht. ゲーテ
をしているとされているだけでなく、コロンブス他一名も乱入してきてしまい、「英仏独そろい踏みで、話が良くできてらぁ」と笑っていられなくなった。なにしろ、コロンブスはイタリア生まれだといわれ、それがポルトガル・スペインと流れていったらしいから、なにやらタチの悪い冗談でも聞いているようで、嫌気がさしてきた。

と云う訣で、これ以上調べるのは、当面やめにしておく。再開するにしても何年先になることやら。。。 (鬼の哄笑が聞こえてくるようだ)

最後に、タレイランの言葉を調べているうちに、検索に引っかかったものを幾つか列挙しておこう。

"Les femmes pardonnent parfois à celui qui brusque l'occasion, mais jamais à celui qui la manque."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
女は、好機をもぎ取る男を許すことはあっても、好機をつかみ損ねる男は決して許さない。

"Ne dites jamais du mal de vous; vos amis en diront toujours assez."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
君は自分の欠点なんか一切言わんでいいのさ。そんなことなら、君の友達が常々たっぷりと言っているよ。

"Café : Noir comme le diable Chaud comme l'enfer Pur comme un ange Doux comme l'amour."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
コーヒー : 黒きこと悪鬼の如く、熱きこと地獄の如く、清澄なること天使の如く、甘美なること恋愛の如し。

"La vie serait supportable s'il n'y avait pas les plaisirs."
--//evene.lefigaro.fr/citation/
快楽と云うものが無くなってさえくれたなら、人生は、我慢しうるものになるだろう。

"En politique, il n'y a pas de convictions, il n'y a que des circonstances."
--Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Ses citations - Dicocitations & Le Monde
政治においては、信念などと云うものは存在しない。あるのは、情勢だけである。

"Pas de zèle!"
--Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
「熱心」禁止!

"Dans les temps de révolutions, on ne trouve d'habileté que dans la hardiesse, et de grandeur que dans l'exagération."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
革命の時代、人々は、大胆な行為の中のみに技巧を感じ、誇張の中のみに偉大を感じていた。

"En France nous avons 300 sauces et 3 religions. En Angleterre, ils ont 3 sauces mais 300 religions."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
我がフランスでは300種類のソースと3種類の宗教がある。しかし、かの英国では、3種類のソースに対し300種類の宗教がある。

"Il y a trois sortes de savoir: le savoir proprement dit, le savoir-faire et le savoir-vivre; les deux derniers dispensent assez bien du premier."
--Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
知識には3種類あるのだ: 本来の意味での「知識」と、「行為の知識」と、「人生の知識」だ。後の二つがあれば、最初の一つはなくても十分に足りる。

"Qui n'a pas vécu dans les années voisines de 1780 n'a pas connu le plaisir de vivre."
--Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Citations de Charles Maurice, prince de Talleyrand-Périgord - Dicocitations & Le Monde
1780年頃を生きたことがないものは、「生きる歓び」を経験しなかったと云うことだ。

"Le meilleur auxiliaire d'un diplomate, c'est bien son cuisinier."
--Citations de Talleyrand - abc-citations
外交官にとって、彼の優秀な料理人が、最良の懐刀である。

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日本語版 Wikipedia の項「ラプラス作用素」の瑕疵

先日、必要があって、Wikipedia の記事、「ラプラス作用素」を、ザッと、読み流したのだが、その時に気が付いたことを書き留めておく。

勿論、ゴクささやかな、どうでもいいことなのだが。。。

初めに、書誌学的注意をしておくと、対象となる記事は、日本語版 Wikipedia の「ラプラス作用素」(タイムスタンプは 最終更新 2016年6月5日 (日) 02:46) である。そして、この記事は、少なくともおおむね、英文版 Wikipedia の記事、"Laplace operator" の訳文であるようだ (英文版の、本稿作成時のタイムスタンプは 7 June 2016, at 19:42)。Wikipedia ユーザーの個人設定の有無等に応じて、タイムスタンプは若干食い違う可能性はあるが。。。

で、私が引っかかったのは、[一般化] のセクションだ (その直前のセクション [スペクトル論] 中、「ラプラス=ベルトラム作用素」とあるのは、「ラプラス=ベルトラミ作用素」の誤りだが、ただの入力ミスだろうから、大量に発生しているのでもない限り、本稿では、話題にするに値しない類のものだ)。

[一般化] と云うセクションは、2つのサブセクション [ラプラス=ベルトラミ作用素] と [ダランベール作用素] とに分かれる。実は、この [ラプラス=ベルトラミ作用素] が、私が目ざしていた情報に関わると思われたので注目したのだ。

文脈をはっきりさせる為に、[ラプラス=ベルトラミ作用素] 全体を引用する。

ラプラス作用素の概念は、リーマン多様体上で定義されたラプラス=ベルトラミ作用素 (英語版) と呼ばれる楕円型作用素に一般化することができる。同様にダランベール作用素は擬リーマン多様体上の双曲型作用素に一般化される。ラプラス=ベルトラミ作用素を函数に適用すれば、その函数のヘッセ行列トレース

\Delta f = \mathrm{tr}(H(f))

が得られる。ただし、トレースは計量テンソルの逆に関して取るものとする。ラプラス=ベルトラミ作用素を同様の式でテンソル場に作用する作用素(これもまたラプラス=ベルトラミ作用素と呼ばれる)に一般化することができる。

ラプラス作用素の別な一般化として、擬リーマン多様体上で定義される外微分を用いた「幾何学者のラプラシアン」と呼ばれる

\Delta f = d^* d f

を考えることもできる。ここで d^* は余微分 (英語版) で、ホッジ双対を使って書くこともできる。これが上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。そのことは大域解析学の論文を読むときには常に気を付けねばならない。 より一般に、微分形式 α に対して定義される「ホッジ」ラプラシアンは

\Delta \alpha = d^* d\alpha + dd^*\alpha

と書ける。これはまたラプラス=ドラーム作用素 (英語版) とも呼ばれ、ヴァイツェンベック不等式 (英語版) によってラプラス=ベルトラミ作用素と関係する。

(引用者註: α の位置が間違っていたので訂正した。)

で、私が引っかかったのは、

これ (引用者註:つまり、「幾何学者のラプラシアン」) が上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。

の部分だった。「幾何学者のラプラシアン」と「解析学者のラプラシアン」では、呼び方が異なってているのだから、「日常的文章感覚」では「異なるもの」であるのは当然で、「注意すべき」も茄子のへったくれもない。

ダメ出し的なことを言うなら、これが、逆に、定義が異なっているにも関わらず、実は「幾何学者のラプラシアン」と「解析学者のラプラシアン」とが、同一のものだったと云う話の流れだったら、その同一性に「注意すべき」と云う表現がもっともになっただろう。

どう云う訣合だろうと思って、英語版の "Laplace operator" を見たら、疑問が氷解した (話が、後先にあるが 日本語版が実質英語版の翻訳であるのに、この時気が付いた。まぁ、いづれにしろ英語版も参照するのがルーチンワークだから、細かく言っても無意味だが)。

そこで、英語版も引用しておく。

The Laplacian also can be generalized to an elliptic operator called the Laplace–Beltrami operator defined on a Riemannian manifold. The d'Alembert operator generalizes to a hyperbolic operator on pseudo-Riemannian manifolds. The Laplace–Beltrami operator, when applied to a function, is the trace of the function's Hessian:

\Delta f = \mathrm{tr}(H(f))

where the trace is taken with respect to the inverse of the metric tensor. The Laplace–Beltrami operator also can be generalized to an operator (also called the Laplace–Beltrami operator) which operates on tensor fields, by a similar formula.

Another generalization of the Laplace operator that is available on pseudo-Riemannian manifolds uses the exterior derivative, in terms of which the “geometer's Laplacian" is expressed as

\Delta f = d^* d f

Here d^* is the codifferential, which can also be expressed using the Hodge dual. Note that this operator differs in sign from the "analyst's Laplacian" defined above, a point which must always be kept in mind when reading papers in global analysis. More generally, the "Hodge" Laplacian is defined on differential forms α by

\Delta \alpha = d^* d\alpha + dd^*\alpha

This is known as the Laplace–de Rham operator, which is related to the Laplace–Beltrami operator by the Weitzenböck identity.

大袈裟な準備をした挙句、[落ち] がアホらしくて申し訣ないが、

これが上に述べた「解析学者のラプラシアン」とは異なるものであることには注意すべきである。

の「原文」は

Note that this operator differs in sign from the "analyst's Laplacian" defined above,...

である。つまり、「訳者」は "in sign" を見落としてしまったのだ。そして、未熟練翻訳者にはありがちなこととはいえ、"differs" を機械的に「異なる」で置き換えてしまっている。確かに、"differs in sign" は「符号が異なる」としても、翻訳として及第点は貰えるだろうが、技術文では、「文章のエントロピー」とでも言うべきものを出来るだけ低くした方がいいので、ここは「符号が逆」とすべきだったろう。つまり

この作用素と、上記の「解析学者のラプラシアン」とでは、符号が逆になっていることに留意されたい。

とでもすべきだっただろう。

恥を忍んで告白するなら、この「結論」に達した途端、「この話、既にどこかの本で読んだことがある」ことを思い出した。私のマヌケさ加減も相当念が入っていると言うしかない。落ち着いて読んでおけば、Wikipedia の記事が、「解析学者のラプラシアン」と呼んでいる \Delta f = \mathrm{tr}(H(f)) が、フツーの「ラプラシアン」の形式上自然な拡張になっていることに、その場で気が付いたはずだったのだ (その前に、知識として知っておけよと、自分に言いたい気もする)。もっとも、それに気が付いたとしても、「異なる」=>「符号が異なる」=>「符号が逆」と迄、頭が回転したかどうか、自分の馬鹿さ加減を重々承知している身としては、自信がない。

それから、「ヴァイツェンベック不等式」は、英文版リンク先が "Weitzenböck identity" であることが示すように「ヴァイツェンベック恒等式」に訂正する必要がある。

微分幾何の楕円作用素間の関係を表す「Weitzenböck identity (ヴァイツェンベック恒等式)」の他に、平面幾何に「ヴァイツェンベック不等式 (Weitzenböck's inequality)」と云うものが実在するから、現状では、ミスリーディングする可能性が無いとは言えない。ちなみに、英文版の "Weitzenböck identity" の冒頭には 「"Weitzenböck's inequality" と混同するな」と書いてあったりする。vice versa.

ついでに書いておくと、次の小節 [ダランベール作用素] において

ここでは計量の符号を作用素の空間成分に関して負符号を許すようにしてあることに注意

と云う箇所があり、これの「原文」は

Note that the overall sign of the metric here is chosen such that the spatial parts of the operator admit a negative sign

である訣だが、「負符号を許すように」は、"admit" に引きずられ過ぎててしまっている。それに、その前の "the overall sign of the metric" が「計量の符号系」であることを (多分) 見落としている。「木を見て森を見ず」と云う奴だ。

ここでは、計量の符号系が、ダランベール作用素の空間部分の符号が負になるように選択されているのだと云うことに注意されたい。

ぐらいにすべきだっただろう。

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「桃夭」私訳試訳

今年の年賀状を書いた際「桃夭」の私訳を作成した(高校漢文の定番「桃夭」に説明はいらないだろう)。「于歸」を初めとして、解釈が微妙なのだが、ここでは年賀状で採用しなかった形のものを書いておく。いづれにしろ、苦し紛れのでっち上げである。

桃之夭夭 桃の若木に
灼灼其華 燃え立つような花が咲く。
之子于歸 嫁となったこの娘
宜其室家 家によろしい妻になる。

桃之夭夭 桃の若木に
有蕡其實 しっかりとした実が出来る。
之子于歸 嫁となったこの娘
宜其家室 家によろしい妻になる。

桃之夭夭 桃の若木に
其葉蓁蓁 枝いっぱいの葉が茂る。
之子于歸 嫁となったこの娘
宜其家人 家によろしい妻になる。

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Love Me or Leave Me

ここしばらく、時間ができると、(趣味としてではなく、必要に迫られた)自宅のリフォームまがいか、(こちらは、趣味と云うか、完全な「物好き」だが一般相対論の)テンソルの計算ばかりしていて、やや屈託している。しばしば消沈してしまって、そうした時は、都筑道夫の小説を読んだりしてやり過ごすのだが、この前、そうした合間に、"Love Me or Leave Me" の大雑把な意味を日本語にしてみた。[物部太郎] ばりにカードで城でも作れると良いのだが、生憎手先が極めて不器用なため、こうしたことしかできないのだ。

"Love Me or Leave Me" はジャズのスタンダードだから、所謂「和訳」はいくらでもあるだろうが、それらと張り合うつもりは全くないし、全く参考にしていない。成立の背景なども調べていない。たしか、書き上げるのに30分ぐらいしかかけていないはずだ (まぁ、この投稿を書くにあたって、それなりに手を入れたが)。勿論 "Love America, or leave America" や "Love America, and leave America" に話を展開する気も起きなかった。

最初に、初歩的な注意をしておくと、原文 (ネットで検索してください。私が使ったのは "Songtext von Nina Simone - Love Me or Leave Me Lyrics") の "believe me" は、「私と云う人格を信じて」ではなく「私の今言っていることを信じて」つまり、「これは嘘ではない」あるいはくだけて言うと「マジなんだから」と云う意味。

lonely と only, kissing と reminiscing, you と blue, borrow と tomorrow とが脚韻を踏んでいる。kissing と reminiscing など無理筋と云う気がするが、somebody/someone や nobody の使い方は効果的だ (特に There'll be no one unless that someone is you)。

I'd rather be lonley than happy with somebody else
Regretting instead of forgetting with somebody else
There'll be no one unless that someone is you
There's no love for nobody else

これらが、スタンザの末尾行又は冒頭行になっているのは、勿論意図的なものだろう。

それから "the night time" (定冠詞あり) を「今夜」と解するか、「夜一般」と解するかが問題だろうが、私としては「今夜」をとる。これに対し "night time" (定冠詞なし) は「夜一般」。

「愛してないなら出て行って」

愛してないなら出て行って。一人きりにしておいて。
嘘じゃないのよ。愛しているのはあなただけ。
「次の人で幸せに」なんてどうでもいい。一人ぼっちで構わない。

「今夜はキスをしなくっちゃ」とあなたは思っているのでしょう。
私は違う。私には、夜は思い出だけのためもの。
次の人で忘れるくらいなら後悔していた方がいい。

あなた以外はありえない。
私は一人でひたすら沈んでいたかった。

借りものじゃないあなたの愛が欲しいのよ。
今日は私のもの。明日は誰かに返す。そういうのは御免だわ。
あなたの愛が私の愛。
他の人のは愛じゃない。

そうよ。愛してないなら出て行って。一人きりにしておいて。
嘘じゃないのよ。愛しているのはあなただけ。
「次の人で幸せに」なんてどうでもいい。一人ぼっちで構わない。

「今夜はキスをしなくっちゃ」とあなたは思っているのでしょう。
私は違う。私には、夜は思い出だけのためもの。
次の人で忘れるくらいなら後悔していた方がいい。

あなた以外はありえない。
私は一人でひたすら沈んでいたかった。

そうよ、借りものじゃないあなたの愛が欲しいのよ。
今日は私のもの。明日は誰かに返す。そういうのは御免だわ。
あなたの愛が私の愛。
私の愛はあなたの愛。
他の人のは愛じゃない。

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"What A Wonderful World" の「大雑把な意味」になるのかならないのか分からんが。。。

G.N.Watson の "a treatise on the THEORY OF BESSEL FUNCTIONS" の第1章 "BESSEL FUNCTIONS BEFORE 1826" を読んで簡単なメモを作ると云う作業を、しばらく前から細々と続けている。その草稿が出来上がったのだが、チェックをしようとして、気が萎えた。

実は、だいぶ以前にプリンタが故障していて、若干の事情のもとで (勿論「経済的事情」もある) そのままにしておいたのだが、紙にプリントアウトしてチェックしたほうが良いに決まっているからだ。私の個人的能力のせいかもしれないが、ディスプレイ上のチェックと、 (「古い意味での」と修飾すべきか?) ハードコピー上のチェックでは、ミスや補正・補足の必要性の摘出度が画然と異なる。

本来なら、当面出来るディスプレイ上でチェックをすべきなのだろうが、そうした気にもならず、グダグダと古いアメリカンポップスなんぞ聞いている。

で、まぁ、Louis Armstrong の "What A Wonderful World" が出てきたと思いねぇ。そこで、一向に気分が浮かない現状への一種の「作業療法」として、"What A Wonderful World" の「大雑把な意味」を書き上げたと云う按排な訣さ。半時間ほどのヤッツケ仕事だから、後から直したいところが色々でそうだが、そうした気分を振り切っておく。とりあえず「完成」するのが目的さ。勿論、"too" と "you", "white" と "night", "sky" と "by", "grow" と "know" と云う押韻を反映させるなどと云うことは、天から考えていない。

原文は "LOUIS ARMSTRONG LYRICS - What A Wonderful World" (http://www.azlyrics.com/) によっている。

そうだ、この世は素晴らしい。

そうだ。木々は緑で、バラは赤いのだ。
バラが咲くのは、僕と君のため。
僕は心の中でつぶやく。そうだ、この世は素晴らしい。

そうだ。空は青くて、雲は白いのだ。
昼は幸多き明るさ。夜は神聖な闇。
僕は心の中でつぶやく。そうだ。この世は素晴らしい。

空にかかる虹の色は、とりどりに美しい。
通り過ぎる人々の顔の色も、とりどりに美しい。
握手している人たちがいる。
「初めまして」と言っている。
けもども、本当の意味はこうだ。
「あなたを愛します。」

赤ん坊が泣いている。見守っていると育っていくのが分かるのさ。
そのうち、多くのことを学んで、僕を越えていくだろう。
僕は心の中でつぶやく。そうだ。この世は素晴らしい。

そうだ。僕は心の中でつぶやく。この世はとても素晴らしい。

本当に。本当に。

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メモ:[幽明録] の一節における「日中当至」に就いて

以前 (十日ほど前?) にも二・三度 [幽明録 日中当至] と云うキーフレーズで、このサイトを訪問された方がいらして、つい調べかかったのだが、現在、私の「脳味噌」は「物理学のお勉強」モードになっていて、[中文/漢文] を喋喋すると、大失態を犯しそうなので、すぐに切り上げて、放置してしまった。

しかし、昨日深夜 (2013/07/12 23:20:05)、やはり、[幽明録 日中当至] なる訪問者がいらしたので、この機会に、全く的外れかもしれないことをお含み起き戴いた上で、前回調査時にチラと考えていたことを、ここに記録しておく。

おそらく、この「日中当至」は、[太平御覧] 所引の [幽明録] (幽明录) 中の次の一節に関わっているのだろう (魯迅の手になる [古小説鈎沈 (こしょうせつこうちん)] にも収められもいる)。

隴西秦嘉字士會,俊秀之士。婦曰徐淑,亦以才美流譽。桓帝時,嘉爲曹掾赴洛,淑歸寧于家。晝臥,流涕覆面。嫂怪問之,云:「適見嘉自說往津鄉亭病亡。二客俱留,一客守喪,一客賫書還,日中當至。」舉家大驚。書至,事事如夢。
--[維基文庫]太平御覽卷四百.人事部四十一「凶夢」
(引用文中「嫂怪問之,云:」の直後のゲタ一字を、他の資料で補った。)


陇西秦嘉,字士会,俊秀之士。妇曰徐淑,亦以才美流誉。桓帝时,嘉为曹掾赴洛。淑归宁于家,昼卧,流涕覆面,嫂怪问之,云:“适见嘉自说往津乡亭病亡,二客俱留,一客守丧,一客赍书还,日中当至。”举家大惊,书至,事事如梦。[御览四百]
--古小说钩沈 [幽明录]
(引用文で [トーフ] になっている「嫂」を補った。)

うーむ。新字体に直しておくか。

隴西秦嘉字士会,俊秀之士。婦曰徐淑,亦以才美流誉。桓帝時,嘉為曹掾赴洛,淑帰寧于家。昼臥,流涕覆面。嫂怪問之,云:「適見嘉自說往津鄉亭病亡。二客俱留,一客守喪,一客賫書還,日中当至。」舉家大驚。書至,事事如夢。

このコンテキストだと 「日中当至」は、「日中マサニ至ルベシ」とでも、読ませたいのではないか。中国語で「日中」は日本語の「正午」又は「正午前後のそれなりの長さの時間」を意味するらしいから、「(手紙は)正午頃には届く筈だ」ぐらいの意味だろうが、私自身の好みを言うなら、[徐淑] が昼寝をしていたことを踏まえて、「夕方までは」としたいところだ。

意味はこんな感じだろう。

隴西の[秦嘉]は、字(あざな) を「士会」と言って、才知に優れた官僚だった。妻は[徐淑]と云う名で、これも才色兼備の名声が流布していた。(後漢第11代) 桓帝の時、嘉は曹掾として (後漢の都である) 洛陽に赴いたが、淑は、自分の実家に戻った。彼女が昼寝した後、涙を流し顔を覆ったので、兄嫁が怪訝に思って尋ねると彼女は「たった今、嘉と遭ったのです。彼自らに、 『津鄉亭に行った所、そこで病死してしまった。津鄉亭に共に滞在していた二名の内、一人は私の遺体の見守ってくれており、もう一人は手紙を携えて、そちらに急行している。夕方までには届く筈だ』と伝えられました」と言ったので、家中が大騒ぎになった。実際、手紙が届くと悉く夢の通りであった。
--2013-08-18 [日] 訳文にカギカッコ 『』 を付加し、閉じの方のカギカッコ 』 と重なる読点を削除した。

色いろ不備もあろうが、今日は、高校のクラス会で、私は、所謂「ケツカッチン」なのだ。と云う訣で、これ以上のことはしないでおく。

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メモ: ロビン・ウィルソン [四色問題] (新潮社)

「四色問題」又は、既に証明されているので、別の言い方では「四色定理」の証明法について全く無知だったので、たまたま図書館で見かけた [四色問題] (新潮社 2004年。著者:ロビン・ウィルソン 訳者:茂木健一郎) を借りてきて通読した。好著であって、大いに学ぶところがあったことをまず言っておきたい。

ここで、注意しておくと「訳者」茂木健一郎自身が、[訳者あとがき] において、「本書の刊行に当たっては、翻訳家の北村拓哉さんに下訳をお願いし、その上で私が訳文を詰めるという形をとった。難しい数学を扱っている割には読みやすい本になったのも、北村さんの努力に負うところが多い。」(p.286) と認めていることだ。実質的な翻訳者は [北村拓哉] と考えてよいだろう。ちなみに、この[訳者あとがき] は、謝辞以外は具体的な内容に乏しく、この書物の中で唯一詰まらない箇所である。

訳文は、ほぼ滞り無く読めるもので、良く出来た仕事と云ってよい。ただし、それでも首を傾げた所が無い訣ではないので、そのことを書いておく。

と言っても、目立ったのは一点しかない。それは、訳本 p.228 等に見られる「懸案の五対五ペア」の「懸案の」である。それは次のような文に登場する。

上右の「懸案の五対五ペア」は、配置を取り囲む輪の内部で一つの国 C に接している、隣り合う五辺国のペアである。
--[四色問題] (新潮社 2004年。ISBN4-10-545201-0) p.228

しかし、この文脈で「懸案の」と云う言葉が出てくるのは可訝しい。「懸案の」と言うなら、ここで取り上げられている3つの「還元障害」配置は等しく「懸案」なのである。

その時、私が最初に思ったのは、「懸案の」が "pendent" の「訳」の積もりなのだろうと云うことだった。確かに、"pendent" には「懸案の」と訳しても良い語義が存在する。しかし、この文脈では、より適合する語義があって、それは「吊り下がった」と云うものだ (あえて「懸」の字を使うなら「懸垂している」と云う言い方も可能であるが、そこまで「懸」にこだわることはあるまい)。だから、「懸案の五対五ペア」は「吊り下がった五対五ペア」とか「五対五ペアの吊り下がり」と訳すべきだろう、と云うのが、一読した時の私の感想だった ([四色問題] の p.228 図2の「懸案の五対五ペア」を見てもらうと、私が何を言いたいのか分かると思うが、実は、下記で原書の対応部分を埋め込んであるので、そちらを御覧になった方が手っ取り早い)。

勿論、それを確かめるためには原文に当たらねばならない。手始めに原題を知る必要があるが、日本語訳のジャケットに "FOUR COLOURS SUFFICE" とあるから、それが原題だろうと推定できるし、実際その通りだった (なお、"colour" はイギリス英語の綴り。 アメリカニズムの "color" を用いて、書名が "FOUR COLORS SUFFICE" となっている版の方がネット上で多数派のようだ。以下、"FOUR COLORS SUFFICE" で統一する)。

わざわざ断わって言うまでも無いだろうが、私は "FOUR COLORS SUFFICE" を持っていない。日本語訳にしてから図書館から借り出したものだ。だが、ありがたいことに "FOUR COLORS SUFFICE" は google books に、収められている。ただ、当然の事ながら、著作権が設定されているから、その全文は読めない。そして、単に書名だけで google books を開くと、日本語訳の p.228 の対応部分は表示されなかった・・・

しかし諦めるの早いので、google books では検索語の組み合わせを旨く選ぶと、 目指しているページを丁度開いてくれることがある。そこで、"pendent" (変異形として "pendant", "pending") を含むフレーズで検索したのだが、旨くいかなかった。それでも、あれこれ試行錯誤しているうちに、ようやく目指すページに辿り着いたが、そこには "pendent" (そして "pendant" や "pending" も) 含まれていなかった。上記の引用部分の対応英文はこうだったのだ。

The third is a hanging 5-5 pair, a pair of adjacent pentagons that adjoin a single country C inside the surrounding ring.
--Robin J. Wilson "Four Colors Suffice: How The Map Problem Was Solved" (Princeton University Press, October 18, 2004, ISBN-10: 0691120234 ISBN-13: 978-0691120232) p.193

私は、自分の間抜けさかげんに笑わざるを得なかった。"pendent" ("pendant", "pending") ではなく "hanging" だったのだ。この "hanging" にも "pendent" と同様、「懸案の」の他に「吊り下がった」と云う意味がある。従って、訳文に就いては、上記の指摘は生きており、「懸案の五対五ペア」ではなく、「吊り下がった五対五ペア」とか「五対五ペアの吊り下がり」と訳した方が良いと云うのが私の断案である。

以下に google books に見られる対応ページを埋め込んでおくので、参照していただきたい。また、"hanging 5-5 pair" の図も同一ページに示されているので、それを見ていただくと、「吊り下がった五対五ペア」(又は「五対五ペアの吊り下がり」) が「見た通り」のものであることがお分かりになると思う。
2013-01-05[土]:google books での対応ページが正常に表示されなくなっていたので、削除した。

実は、翻訳上の瑕疵と云うのではなく、原文自体の論理に不備があるところがある。それは、訳本の p.180 における、次の部分である。

七辺国はどうなるか? もともと -1 の電荷を持っていた七辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つようになるためには、図7のように少なくとも六個の五辺国から合計五分の六の電荷を分けてもらう必要がある。けれどもこのとき、隣国の五辺国のうち少なくとも二つは隣り合うことになり、これは許されない。したがって、放電が終わっても、七辺国の電荷は負のままである。

八辺国はどうなるか? もともと -2 の電荷を持っていた八辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つようになるためには、少なくとも一一個の五辺国が必要だが、これは明らかに不可能である。したがって、放電が終わっても、八辺国の電荷は負のままである。九辺国、十辺国・・・・・・についても同様である。
--[四色問題] (新潮社 2004年。ISBN4-10-545201-0) p.180

各段落の結論である「放電が終わっても、七辺国の電荷は負のまま」と「放電が終わっても、八辺国の電荷は負のまま (九辺国、十辺国・・・・・・についても同様)」は正しい。しかし、そこに導くための論理に穴があるのだ。七辺国にしろ八辺国にしろ、放電後に電荷が負のままであることを言うには、放電後、それらの電荷が正にも 0 にもならないことを示す必要があるが、ここでは放電後の電荷が正にならないことを証明しているだけだからだ。

従って、次のように数値を少しだけ変える必要がある。

七辺国はどうなるか? もともと -1 の電荷を持っていた七辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つか、又は電荷 0 を持つようになるためには、少なくとも個の五辺国から合計の電荷を分けてもらう必要がある。けれどもこのとき、隣国の五辺国のうち少なくとも二つは隣り合うことになり、これは許されない。したがって、放電が終わっても、七辺国の電荷は負のままである。

八辺国はどうなるか? もともと -2 の電荷を持っていた八辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つか、又は電荷 0 を持つようになるためには、少なくとも個の五辺国が必要だが、これは明らかに不可能である。したがって、放電が終わっても、八辺国の電荷は負のままである。九辺国、十辺国・・・・・・についても同様である。

やはり、以下に google books に見られる対応ページを埋め込んでおく。
2013-01-05[土]:google books での対応ページが正常に表示されなくなっていたので、削除した。

本書の日本語訳、原著、ペーパーバック版のアマゾンリンクも貼っておく。

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