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「岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)」所収のエピソード・アネクドート

本ブルグの記事「[メモ:2011年6月8日 (水曜) 朝日新聞朝刊 [天声人語] 中の「ゲーテの言葉」] (2011年6月10日[金])の訂正 (2017年2月28日[火])」で引用した 「岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)」を読み返すと、頭のアチラコチラに引っかかっていた言葉の切れ端の出どころだったことに気が付いた。

これを入手したのは、高校の卒業式も済んだ3月27日で、進学する大学も自宅から通える所だったから、引っ越しなどで忙殺されることもなく、隣にあった書店でタマタマ見かけたものを、そのまま購入して、その日のうちに読了したものだったらしいことが、購入日と読了日の鉛筆書き込みで知れる。

購入日は兎も角、読了日も記入してあるのは、恐らく、買ったその日に読み終わったのが自分としては珍しい体験だったからではないか。

読んで感激したと云う記憶はないのだが (とは言え、半世紀前の話だから、忘れているだけかもしれない。由来、私は物覚えが悪い)、それでも、この本で知ったエピソードやアネクドートは、しっかり内在化していたようだ。もっとも、少し歪んでいたりする。

例えば、クレマンソー (ジョルジュ・クレマンソー/Georges Benjamin Clemenceau. 1841年9月28日-1929年11月24日) が、ポアンカレ (レイモン・ポアンカレ)/Raymond Poincaré. 1860年8月20日–1934年10月15日。「ポアンカレ予想」のポアンカレは [アンリ・ポアンカレ]。レイモンの従兄) と、ブリアン (アリスティード・ブリアン/Aristide Briand. 1862年3月28日-1932年3月7日) とを対比した評言を、クレマンソーとポアンカレとの対比と思い込んでいた。

実際は、次のようなものなのだ。

クレマンソーが、ポアンカレとブリアンを比較して、「ポアンカレはなんでも知っているが、なにひとつわからない……ブリアンはなんにも知らないが、なんでもわかる」といった有名な言葉はまことに見事なエスプリというべきであろう。この言葉は両者の比較論を越えて、一般的な人間論になっている。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第107頁。

原文は、次のようなものだったらしい。

"Poincaré sait tout et ne comprend rien, Briand ne sait rien et comprend tout"
--ARISTIDE BRIAND (1862-1932) – Liberté par le travail

河盛さんは、続いてこう書いていて、これも私は自分で「花束を持って」と云う一句を勝手に付け加えて覚えていた。

また彼には「恋愛の最も美しい瞬間は、階段を上がっていくときである」というような洒落た言葉もある。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第107頁。

これの原文は

"Le meilleur moment de l'amour, c'est quand on monte l'escalier."
--Georges Clemenceau | Le meilleur moment de l'amour, c'est quand on ... - 1001 citations

この後で紹介されているロイド・ジョージ (デビッド・ロイド・ジョージ/David Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor. 1863年1月17日-1945年3月26日 ) の逸話は、チャーチルのものだと覚え間違えていた。恥づかしい。と、書いたところでネットで調べたところ、逸話の主人公は、いろいろなヴァリエーションがあって、その中には、と云うか、一番有名なのがチャーチルらしい (“If I Were Your Wife I'd Put Poison in Your Tea!” “If I Were Your Husband I'd Drink It” – Quote Investigator)。もう、私には何が何だか分からん。

ロイド・ジョージが首相のとき、議会である婦人議員に嚙みつかれ、「もしわたしがあなたの奥さんだったら、あなたの飲む紅茶のなかに毒を入れたい」と毒づかれたのに対して、彼が静かに、「もしわたしがあなたの御主人だったら、悦んでその紅茶を飲むでしょう」と答えた言葉などは、典型的なイギリス的ユーモアと称すべきであろう。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第108頁。

ちなみに、イギリスで、不平等ながらも婦人参政権が導入されたのは、第1次世界大戦中1918年のロイド=ジョージ挙国一致内閣の時である。

大戦中の1918年2月に選挙法改正を行った。これにより選挙権の財産資格・居住資格が廃され、普通選挙が確立した。さらに30歳以上の婦人にも選挙権が認められた。婦人に選挙権が認められたのはこの改正の時が初めてであり、有権者数は一気に3倍となった。
この改正の背景には長引く戦争と総力戦体制によって、中産階級と労働者階級の格差、および熟練労働者と非熟練労働者の格差が縮まったこと、女性労働者の軍需産業への進出が進んだことがある。当時、選挙権は戦争協力と不可分に結びついており、従軍しない女性には選挙権は認められるべきではないというのが一般的な考え方だった。自由党においてさえも、ロイド・ジョージ以外の政治家は婦人選挙権に慎重な者が多かった。今回女性に選挙権を認めたのは、今度の大戦における女性の銃後の功績が世間一般に認められた形であった。
--デビッド・ロイド・ジョージ - Wikipedia

あともう少し引用しておこう

シャンフォール (セバスチャン=ロシ・二コラ・ド・シャンフォールSébastien-Roch Nicolas de Chamfort. 1741年4月6日-1794年4月13日) の著作「省察・箴言・逸話」からの引用

「ルイ十五世がまだ若かった頃、廷臣たちのレースの袖口を引き裂く悪い癖があった。モールパ氏はそれを矯め直すことを引き受けて、ある日、目の覚めるような美しいレースをつけて王の前に現われた。王は早速近よって片方のレースを引き裂いた。モールパ氏は少しも慌てず、こんどは自分の手で、もう一方のレースを引き裂き、《私にはさっぱり面白くありませんが》とあっさりいった。虚を突かれた王は真っ赤になり、それ以後はレースを引き裂くことをぴったりと止められたそうである。」
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第110-111頁。

Il s'agissait de corriger Louis xv jeune encore, de l'habitude de déchirer les dentelles de ses Courtisans. M. de Maurepas s'en chargea. Il parut devant le Roi avec les plus belles dentelles du monde. Le Roi s'approche, & lui en déchire une. M. de Maurepas froidement, déchire celle de l'autre main, & dit simplement : Cela ne m'a fait nul plaisir. Le Roi surpris devint rouge, & depuis ce tems ne déchira plus de dentelles.
--Page:Chamfort - Maximes, Pensées, Caractères et Anecdotes, 1796, éd. Ginguené.djvu/254 - Wikisource
引用原文末尾から6語目の "tems" は --temps-- の誤りだろう。

シャンフォール自身の逸話 (出典不明)。

あるとき、村の医者が鉄砲を肩にして猟に出かけるのに道であった彼は、「病人だけではもの足りませんか」と言った。
--岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第111頁。

イギリス人がエスプリの効いたことを言うこともある例として、バーナード・ショウ (ジョージ・バーナード・ショー/George Bernard Shaw. 1856年7月26日-1950年11月2日) の逸話を紹介しておく (ネットを探してみたが、これの原文は見つからなかった)。

ある人がバーナード・ショウに、「金曜日に結婚をすると不幸になるというが本当ですか」と聞いた。「勿論です。どうして金曜日だけが例外になるのでしょうか」とショウは答えた。 --岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第131頁。

アネクドートとしては、次のものが脳裏に残っていた (それなりに覚えていたのはオチの所だけだったが)。

エルネスト・ミニョン著『ドゴール将軍の言葉』という本のなかに次のような話が出ている。フルシチョフとの問答である。
フルシチョフ(頭ごなしに)「原子爆弾が五発あれば僕はフランスを全滅させてみせるよ」
将軍(ふんといった顔で)「それから?」
フルシチョフ(すごんでみせて)「それからだって……こんどは、三十発で原爆でアメリカを全滅させる」
将軍(涼しい顔で)「するとアメリカでも同じ数の原爆を使ってロシアを全滅させるね……」
フルシチョフ(得意になって)「それだよ、僕がいいたかったのは。アメリカの政策は必ず戦争をひき起こす。そして、戦争になれば、われわれはおたがいに破滅だ」
将軍(そしらぬ顔で)「そうだ。そして君の中国の友人たちだけが生き残るね」 --岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第102-103頁。

この『ドゴール将軍の言葉』は "Les mots du Général de Gaulle.: Ernest MIGNON (Amazon.com: Books)" のことだろうが、詳細は不明。私としては、ドゴール将軍の『(ふんといった顔で)「それから?」』の原文が "Et Alors?" だったか確かめたいところだが、できなかった。

ちなみに、この "Les mots du Général de Gaulle" には、将軍の

"Comment voulez-vous gouverner un pays qui a deux cent quarante-six variétés de fromage?"
--Charles de Gaulle - Wikiquote
一体どうしたら、246種類のチーズがある国の舵取りをしようなどと思えるのだ。

と云う言葉が紹介されているよし。これは何処かで聞いたことがあるような気がする。

最後に、アメリカ合衆国の有名な Cartoonist であるジェームズ・サーバー (James Thurber. 1894年12月8日-1961年11月2日) の小品 "The Rabbits Who Caused All the Trouble" を紹介しておこう。

まず、原文が参照できるリンクを貼っておく。

  1. James Thurber: Writings & Drawings (including The Secret Life of Walter ... - James Thurber - Google ブックス
  2. Storyteller: The Classic that Heralded America's Storytelling Revival - Ramon Royal Ross - Google ブックス

勿論 「岩波新書 青版730 [エスプリとユーモア] (著者: 河盛好藏。1969年)。第91-92頁」には、訳文が示されているのだが、思うところあって、私なりのしたかで大意を示すことにする。

ウサギの奴らが諸悪の根源

とても小さな子供でさえ知っているくらいの頃のこと、オオカミたちの群れの近くでウサギの一族が暮らしていた。オオカミが言ってきたことには、ウサギたちの暮らしぶりが気に入らないと云う。(オオカミは、自分たちの生き方の正しさを熱狂的に信じていた。何故なら、それ以外の生き方などあり得ないからだった。)

ある夜、地震が起こって、何匹かのオオカミが死んだので、ウサギのせいにされた。なぜなら、周知のように、ウサギは後脚で地面を蹴って地震を引き起こすからである。別の夜には落雷があって一匹のオオカミが死んだ。これもウサギのせいにされた。なぜなら、周知のように、レタスを食べるものはカミナリを呼ぶからである。オオカミたちは、ウサギたちが行いを改めないのであれば、ウサギたちを改革するぞと迫った。そこで、ウサギたちは、無人島に逃げ出すことにした。しかし、オオカミとウサギ以外の [他の動物たち] は (彼らは、オオカミやウサギたちから遠く離れたところに住んでいた) ウサギたちを非難して言った。「君らは、勇気をもって、今いるところに留まらねばならない。この世は、逃亡者のためにできてはいないのだ。もしオオカミたちが君らを攻撃するなら、私たちが君たちを救援するだろうことは、ほぼ確実と言ってよい。」

そこで、ウサギたちはオオカミたちの近くで暮らし続けたが、ある日大洪水が起こって、大勢のオオカミが死んだ。これは、ウサギのせいだった。なぜなら、周知のように、ニンジンを齧り長い耳を持つ者は洪水を引き起こすのだから。オオカミたちは、ウサギたちそのものの為を思って、ウサギたちを急襲し、ウサギたちそのものの保護のために、ウサギたちを暗い穴倉に閉ぢ込めた。

ウサギたちの噂が聞こえなくなって数週間経った頃、[他の動物たち] は、ウサギたちの身に何が起こったのか知りたいと言ってきた。オオカミたちは、ウサギは食べられてしまっており、そうである以上、事態は純粋に内部問題に属すると回答した。しかし、[他の動物たち] は、ウサギの滅亡に就いての根拠が示されねば、団結してオオカミに対決する可能性もありうると警告した。そこで、オオカミたちは「根拠」を示した。「彼らは逃亡しようとしていたのだ。しかしながら、君たちも知っているように、この世は、逃亡者のためにできていないのだ。」

教訓: グズグズしないで一番近くの無人島に逃げ込め。

原文をご覧になっていただければ分かるが、この作品は "Within the memory of the youngest child" と云う一句で始まっている。これは河盛さんが訳されているような「思い出せないほど遠い昔」(第91頁) ではなく、むしろ「とても小さな子供でさえ知っているくらいの頃」つまり、この作品が書かれた当時の「現在」のことである。

"The Rabbits Who Caused All the Trouble" は1939年8月26日に雑誌 "The New Yorker" に発表された。イギリスとフランスがドイツに対して宣戦を布告して、所謂「第二次世界大戦」が始まる一週間ほど前のことである。

以下のことは「学校で教わる」はずのことで、多くの人にとって取っては、余談にさえなるまいが、Kristallnacht (クリスタル・ナハト) は前年 (1938年11月9日夜) に発生しており、この二つの出来事の間に、独ソ不可侵条約 (1939年8月23日) と、ドイツ軍のポーランド侵攻 (1939年9月1日) が挟まっている (ポーランドは、やはり侵攻してきたソ連とドイツとの2か国が主体となって分割占領され、消滅する。この結果ドイツとソ連とが国境を接することになる)。ちなみに、わが日本がドイツ及びイタリアと防共協定を結んだのは、これらより以前、1937年11月6日だった、更に、1940年9月27日に至って、日独伊三国同盟が締結される。これを受けるようにして、1941年6月22日にドイツ軍の独ソ国境全面におけるロシア奇襲と、1941年12月7日 (ハワイ時間) における日本軍の真珠湾奇襲が行われる。

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