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メモ: 所謂「モンティ・ホール問題 (Monty Hall problem)」に就いて

以前、図書館から「放浪の天才数学者エルデシュ」と云う本を借りて読んだ時、彼が、所謂「モンティ・ホール問題 (Monty Hall problem)」に引っかかったと云うエピソードが紹介されていて (その後、文庫版を購入した。文庫版 /*草思社文庫 ISBN978-4-7942-1854-4*/ では第6章「はずれ」に書かれている)、その「問題」に就いて無知であった私は、ザッとネットで調べたことがある。

有名な問題らしく、ウィキペディアに項目が立てられていた (「モンティ・ホール問題」)。それに対する印象は、「説明がピンとこない」と云うものだった。実は、「放浪の天才数学者エルデシュ」にも解説があって、それも読んでいた訣だが、キツネにつままれた気分だった。しかし、「読んでいて理解できない・腑に落ちない」と云うことは、私のように超絶的に頭の悪い人間にはデフォルトで発生する現象なので、そうした場合のルーチンである、「何度も読み直す」とか、「新規まき直し自分の頭で考えてみる」とかをする訣だが、この場合も、結局は納得したのだった。ただ、「少なくとも、私自身にとっては、もっと分かりやすい説明の仕方がある」と云うオマケが付いたりする。

今回は、そのオマケを紹介しておく。ただ、当時、そして今回もこの原稿を書くに当たって、ごく簡単に調べただけだから、以下のことは、ネット上に、(あるいは、それどころか、私が気が付かないだけで、ウィキペディアの記事自体の中に)、既に指摘されているかもしれない。そうした場合は、笑殺していただきたい。調べたり考えたりしたことの前回分と今回分とが、私の頭の中で錯綜しているような気がするが、弁別することはしないでおく。そうしたことに拘るほど、大した内容ではないのだ。

ます、スタートラインとして、ウィキペディアに従って、本稿で論ずる「モンティ・ホール問題」とは、いかなるものかを確定しておこう。

「プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。

ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」

1990年9月9日発行、ニュース雑誌 ''Parade'' にて、マリリン・ボス・サヴァントが連載するコラム「マリリンにおまかせ」において上記の読者投稿による質問に「正解は『ドアを変更する』である。なぜなら、ドアを変更した場合には景品を当てる確率が2倍になるからだ」と回答した。すると直後から、読者からの「彼女の解答は間違っている」との約1万通の投書が殺到し、本問題は大議論に発展した。
--モンティ・ホール問題(最終更新 2017年3月1日 [水] 04:14)

引用者註:「司会のモンティ」は、あらかじめ、アタリとハズレのドアを知っている。

こうした反論に対して、マリリン・ヴォス・サヴァント (Marilyn vos Savant) は、「ドアを変えれば勝てるのは3回の内2回、負けるのは3回の内1回だけ、しかしドアを変えなければ勝てるのは3回の内1回だけ」と反論したそうだ。私に言わせれば、私が読んだ説明の中では、最終的には、これが一番単純で分かりやすい。私の以下の説明も、このヴォス・サヴァントの指摘の枠内に留まるものであることをあらかじめ認めておく。


では、わたしなりの解釈を述べることにする。

いま、1つの「アタリ」と2つの「ハズレ」からなる3つの回答候補がある問題があって、それに対しに2つの異なるフォーマットのクイズ・プログラムを作るとする。それを F1 と F2 と呼ぶことにする。

フォーマットF1 のルールは所謂「三択(三者択一)」である。挑戦者は、3つの候補の内の1つドアを選択して、それがアタリであるなら、ウィナーになり、ハズレであればルーザーになる。挑戦者がウィナーになる確率は 1/3 である。

フォーマットF2 のルールでは、3つの候補の内、2個の選択が許される。選択した2つのドアを開けたとき、その内の中にアタリが含まれているなら挑戦者はウィナーになり、両方ともハズレであればルーザーになる。挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 である。ここで、注意しておくと、「開けるドアを2つ選択する」と云うことは、「開けないドアを1つ選択する」と云うことと同じであることである。

私の「納得」のキッカケも、「モンティ・ホール問題」では、司会者の提案を受け入れると、挑戦者が「開けるドアを1つ選択する」状態から「開けないドアを1つ選択する」状態に推移することに気づいたことだった。

さて、次のような、プロトタイプのプログラムを考える。

プログラム0: 司会者 (上記の例で言うなら「司会のモンティ」) が、プログラムの冒頭で、挑戦者 (プレーヤー) に対して、フォーマットF1のクイズと、フォーマットF2のクイズとを提示して、そのどちらのフォーマットでクイズを行っても良いと宣言する。つまり、ドアの選択の前に、クイズ・フォーマットの選択をする。

そして、挑戦者が選択したフォーマットに従って、プログラムが進行する。この場合、どちらのフォーマットが挑戦者にとり有利かと言えば、当然 F2 (アタリの確率が 2/3) の方が F1 (アタリの確率が 1/3) の2倍有利である。

プログラム0 は、フォーマット自体の選択を行うことが明示されている。「モンティ・ホール問題」の核心は、プログラムの途中で、フォーマットF1 からフォーマットF2のへ切り替えが行われているのに、それが気づきづらいようにされていることである (フォーマットの切り替え自体、「ルール違反」だろう)。以下、フォーマット切り替えが容易に透けて見えるプログラムから、フォーマット切り替えがホボ隠蔽されているプログラムへと順次変更していく。

プログラムI: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が、開けるドアをもう1つ追加して、2つにしても良いと宣言する。つまり、フォーマット F1 からフォーマット F2 への切り替えを提案する。

もし、挑戦者がこの提案に同意するなら、挑戦者がウィナーになる確率は 1/3 から 2/3 へと倍増する。

このプログラムI を以下の系列で、「 フォーマットF1 を、それの2倍有利なフォーマットF2 に切り替える提案が行われる」と云う事実を変えないまま、プログラムI のコンテンツを「モンティ・ホール」型のコンテンツへ徐々に変形していく。

プログラムII: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が挑戦者に対して、当初選択した1つのドアを開けない代わりに、当初選択しなかった2つのドアを開けることを提案する。

この変更は、「開けるドアの集合」の包含関係を意味しない。つまり、「開けるドア」の追加ではない。しかし、「開けるドア」の個数 (集合の濃度) は、1つから2つへと2倍になっている。フォーマットF1 と F2 の要件は、「開けるドア」の個数のみに依存することに注意するなら、この場合も、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えになっていることが分かる。

挑戦者は、司会者の提案に応じるか応じないかに従って、2つ又は1つのドアを開ける。当然のことながら、挑戦者がウィナーになる確率は、司会者の提案を受け入れた場合の方が、受け入れない場合の2倍になる。

プログラムIII: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が挑戦者に対して、当初選択したドアを開けない代わりに、当初選択しなかった2つのドアを開けることを提案する。つまり、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えを提案する。ここまでは、プログラムII と同じである。

しかし、プログラムIII では、挑戦者が提案を受け入れた場合、開けるべき2つのドアのうちの一つを挑戦者自身が、そして他方のドアを司会者が同時に開ける

ただし、「同時に開ける」のは、司会者が、「挑戦者の分身」としてドアを開けることを際立たせるためであり、フォーマットF2 への転換後なら、司会者が、挑戦者の前にドアを開けても (次のプログラムIV 参照)、後でドアを開けても、そして、勿論同時に開けても (このプログラムIIIの場合)、いずれの場合も、司会者が挑戦者の分身であることには変わりはない。どの場合も,挑戦者がウィナーになる確率の値は等しく 2/3 である。それらが、コンテンツとして訴求性を有するかどうかは問題にしていない。

プログラムIII以降では、フォーマットF2 への切り替えが行われるなら、司会者が、あるドアを開けるようになっている。ここで、確率の導出のため、挑戦者自身がドアを開ける最終段階までプログラムが進んだ状態を想定するなら、挑戦者自身と司会者がどう関わるにしろ、2つのドアの両方が開くという最終形態は同一であるのだから、その順番も (あるいは同時であっても)、また、司会者及び/又は挑戦者のどちらが開けるかも、挑戦者がウィナーになる確率には影響しない。しかも、司会者がドアを開けるのは、必ず挑戦者の分身としてであることが重要な意味を持つ。司会者はウィナーにもルーザーにもならないのである。

従って、以下、プログラムの変形で指針となるのは、「挑戦者自身の行為により、挑戦者がウィナーになるか、ルーザーになるかが決定する」と云う籤引き型クイズとしての基本的要請を守ることである。ただし、そのことは、確率の計算とは無関係である。

プログラムIV: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者が挑戦者に対して、当初選択したドアを開けない代わりに、当初選択しなかった2つのドアを開けることを提案する。つまり、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えを提案する。ここまでは、プログラムII 及びプログラムIII と同一である。

しかし、プログラムIV では、挑戦者が提案を受け入れたなら、開けるべき2つのドアのうち、司会者が挑戦者より先に、2つのドアの内、少なくとも一つはあるハズレのドア (司会者は、アタリ・ハズレのドアを知っている) を開けてしまい。残りのドアを挑戦者自身に開けさせる。

この場合でも、時間が前後しているだけで、司会者が挑戦者の分身としてドアを開けると云う事実には変わりはないから、挑戦者がウィナーになる確率は、やはり、提案を受け入れない場合の確率の2倍になる。

このプログラムの場合、司会者がハズレのドアを開けた時点で、「挑戦者がウィナーになる確率は?」と云う設問に対して、「1/3」又は「1/2」と考える人たちが多数いたことが「モンティ・ホール問題」がスキャンダルになった理由だった。しかし、これは間違っている

つまり、F2 への切り替わり当初は「2/3」だったが、司会者がハズレのドアを開けた時点では「1/3」又は「1/2」になると云うようなことは、起こらない。開かないで残っているドアが2つになっていても、挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 である。

ドアが2つになったことで、「二者択一」になったように見えても (この見かけにより、プログラムは「盛り上がる」かもしれないが)、それはあくまで「見かけ」であり、ウィナーになる確率には影響しない。アタリ/ハズレを知っている司会者が、意図的にハズレのドアをあけており、挑戦者が正解する可能性を減らしていないから、挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 のままである。

挑戦者がウィナーになるかどうかは「フォーマットF2 では、開けることになった2つのドアにどちらかがアタリであればよい」と云う事実に変化はなく、少なくともその片方が必ずハズレと云うフォーマットF2移行時当初からの確定事項が意図的に暴露されたとしても、最終結果の確率には影響は出ないのである。

プログラムIV を変形して、フォーマットF2において開けるべき2つのドアのどちらかにアタリのドアがある場合に「司会者が先にアタリ・ハズレに関わらずドアを開く」としも、挑戦者がウィナーになる確率は 2/3 である。ただし、この場合は、上記の「挑戦者自身の行為により、挑戦者がウィナーになるか、ルーザーになるかが決定する」と云う籤引き型クイズとしての基本的要請に反することになる (この場合、司会者は、アタリのドアであることを承知で開ける訣で、プログラムとして滑稽なことが起こる)。

プログラムV: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者は、挑戦者が選択しなかったドアの内、少なくとも一つはあるハズレのドア (挑戦者は、アタリ・ハズレのドアを知っている) を開けてしまった後、挑戦者に対して、当初選択したドアを開けない代わりに、「当初選択しなかった2つのドアで、ハズレであることが分かっているドアの他」に、「まだ開いていない残りのドアも」開けることを提案する。

開けるドアは2つだから、これも、フォーマットF1 から、フォーマットF2 への切り替えになっている。ただし、フォーマット切り替えの提案が、プログラムIV では、司会者によるハズレのドア開扉の前に行われているのに対し、プログラムV では、司会者がハズレのドアを開けてしまった後に、フォーマットの切り替えが提案されているので、フォーマット切り替えという事実が認識しにくくなっている。

もし、挑戦者が提案を受け入れたなら、開けるべき2つのドアのうちのうち、司会者が既に開けてしまったドアとは別のドアを挑戦者自身に開けさせる。この場合でも、2つのドアを開けると云う選択を行ったのは挑戦者自身だから、時間が前後しているだけで、司会者が挑戦者の分身としてドアを開けると云う事実には変わりはない。従って、挑戦者がウィナーになる確率は、やはり、受け入れない場合に確率の2倍になる。

このように、このプログラムV (そして、次のプログラムVI) では、興味深いことが発生している。もし、挑戦者が司会者の提案を受け入れると、提案以前に司会者が、挑戦者と別主体として行ったドアを開けると云う行為が、挑戦者の分身としての行為に、時間を遡及して転化するのである。これは、フォーマットF1 及びフォーマットF2 の構成要件に時間が関係しないことから起こるパラドクスである。「モンティ・ホール問題」の解析にベイズ理論が親和するのも、これに起因するのだろう。

プログラムVI: フォーマットF1のクイズでプログラムを開始して、挑戦者が開けるべき1つのドアを選択した時点で、司会者は、挑戦者が選択しなかった2つのドアの内、少なくとも一つはあるハズレのドア (挑戦者は、アタリ・ハズレのドアを知っている) を開けてしまう。ここまでは、プログラムV と同一である。そして、挑戦者に対して、開けるドアを、「挑戦者が当初選択したドア」から、「挑戦者が当初選択しなかった2つのドアの内、まだ開いていないドア」に「切り替える」ことを提案する。

ここで、プログラムVI と司会者の提案の文言が異なっているだけであることに注意。司会者は挑戦者が開けるドアの「切り替え」を提案している形だが、実際には、開けるドアの追加を提案しているのである。

しかし、司会者がこうした言い方をすることで、実際にはフォーマットF1からフォーマットF2への切り替えが提案されているのに、そのことがホボ隠蔽されてしまっている。

提案を受け入れることにより、「切り替え」られるのは、「挑戦者が開けるドア」ではなく、クイズのフォーマットである。挑戦者は、司会者と云う「潜在的な分身」により、ドアを1つ開けており、提案を受け入れることは、「分身を含めて挑戦者が開けるドア」を2つにすることを意味する。従って、挑戦者がウィナーになる確率は、やはり、受け入れない場合に確率の2倍になる。

このプログラムVI は、「モンティ・ホール問題」そのものである。

付言すると、司会者の Monty と云う名前は、three-card Monte や three-cup Monte (これらに就いては、適宜、YouTube をご参照頂きたい) などの、short con game (イメージとしての訳語を当てるなら「大道芸」ならぬ「大道詐欺」) を連想させる。

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