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坂本龍馬の西郷隆盛評

坂本龍馬の西郷隆盛評「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」が、[礼記] 中の [学記第十八] の一節を踏まえた表現であることは、知っている人なら知っているだろう。

これが、[学記] とは別に龍馬の独創であったかもしれぬと云う想像は、論ずるに値しない。同じく [礼記] から特に挙げられて、[四書] 中に並べられている [大学] 及び [中庸] ほどではないにしろ、[礼記] 全体が [五経] の一つなのだから、儒教思想の根幹をなしている。また、卑近な例でいえば、[学記] は、人口に膾炙する「玉、みがかざれば器とならず。人、学ばざれば道を知らず」の出典でもある。「偶然の一致」とするのは迷妄にしかなりえない

ただ、だからと言って、龍馬が [礼記] なり、あるいは、その一篇としての [学記] を手に取り「勉強」したことがあるかどうかは、私には断定できない。しかし、そのことは問題にならない。龍馬が所属していた社会集団は、当然何重にも交錯していたはずだが、そのうちの「思想性」が接着剤となる集団では、その基本リテラシの中に、教育理念の祖型として「礼記」が組み込まれていに違いないからだ、たとえ、「机に向かって勉強」したことがなくとも、所謂「耳学問」をしていたことはありうる。

脱線するが、「玉、みがかざれば器とならず。人、学ばざれば道を知らず」は、昭憲皇太后御歌 (明治20年 [女子学習院] に下賜と云う事実を踏まえるなら「皇后御歌」の方が適切かもしれない。もっとも「皇太后」と云う追号に就いては、「イキサツ」があったらしい。参照: Wikipedia「昭憲皇太后」)「金剛石もみがかずば、珠のひかりはそはざらむ。人もまなびてのちにこそ、まことの徳はあらはるれ」の出典であるのも論を俟たない。皇太后 (又は、その「ブレーン」) が、[学記] を踏まえて詠んだものなのだろう。ちなみに、[学記] 原文は、「玉不琢、不成器、人不學、不知道」(明治書院「新釈漢文大系28」[礼記中] p.543)。

そもそも -- などと大仰なことを言ってしまって申し訣ないが -- 問題の「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」の「元ネタ」自体が、諸橋轍次の[中国古典名言事典]に採録されている (講談社学術文庫版 p.276)。「折紙」付の「名言」である訣だ。

話が後先になった。肝心の原典を示すことにしよう。

善待問者、如撞鐘、叩之以小者則小鳴、叩之以大者則大鳴
善く問を待つ者は、鐘を撞くが如し、之を叩くに小なる者を以てすれば則ち小さく鳴り、之を叩くに大なる者を以てすれば則ち大きく鳴る。
--明治書院「新釈漢文大系28」[礼記中] p.552

そして、龍馬の西郷評として知られているものは、次の勝海舟の「雑談」に由来する。

坂本龍馬が、かつておれに、先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行つて会ツて来るにより添書をくれといツたから、早速書いてやつたが、その後、坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。
--講談社文庫 (勝海舟) [氷川清話] 「西郷隆盛」p.60 (私の手元にあるものは、40年ほど前に発行されたもので、多分現在絶版。後継の版が、講談社学術文庫に収められているようだ。なお、引用文中「しばしば」及び「なかなか」の後半は、原文では「踊り字」の「くの字点」)

しかし、私に言わせれば、この西郷評の眼目は、「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」と云う cliché ではない。核心は、「西郷といふ奴は、わからぬ奴だ」、そして、「馬鹿なら大きな馬鹿、利口なら大きな利口」の方だ。これは、勿論、西郷を大いに褒めている訣で、それは、この表現のネガ「西郷といふ奴は分かりやすい奴だ」と「馬鹿なら小さな馬鹿、利口なら小さな利口」を考えてみれば良い。だからこそ、西郷贔屓の勝安房守が「なかなか鑑識のある奴」とご満悦だった訣だ。

実際、龍馬の西郷評の後で、海舟自らが「答え合わせ」をするように「西郷は、どうも人にはわからないところがあつたヨ。大きな人間ほどそんなもので……小さい奴なら、どんなにしたつてすぐ腹の底まで見えてしまふが、大きい奴なるとさうでもないノー」と語っている。--講談社文庫 (勝海舟) [氷川清話] 「西郷隆盛」p.61

逆に言えば、「西郷贔屓」である勝を得心させるようなコースの変化球として、龍馬は自らの感想を海舟の心の中に投げ込んだと言える。勿論、これは単純な追従といったレベルのことではなくて、海舟と云う「師匠」と龍馬と云う「弟子」の間に孕む緊張感が許す細いただ一本の糸のようなコースであっただろう。

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