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「場の古典論(原書第6版)」第11章第96節中の用語「擬テンソル」に就いて

今年も押し詰まってしまった。暮れ切ってしまう前に。過去の記事の補足なり訂正なりでよいから、二つ三つ投稿をしようと11月ぐらいから考えていたのだが、ことここに至って、とても無理だということが分かった。

転居を比較的短い間に2度した後整理をサボっていて、蔵書 (と云うほど、大したものではないのだが) の大部分が段ボールの中に入ったまま、そこら中に積みあがっている。であるのに、現在自宅に「自力リフォーム」まがいのことをしており、どの部屋も乱雑を極めていて、段ボールから本を取り出すことがママならない。そのため「話のタネ」として用いたい本が何処にあるのかさえ見当が付かない状態なのだ。

しかし、去年・一昨年のように年間1本と云うテイタラクではないにしろ、今年も数本しか記事を書いていないのは情けないので、枯れ木に花を一輪足すだけにしかならないにしろ、一文をひねり出すことにする。記事として最低限のレベルを確保できるか危ぶみつつ。。。

「場の古典論(原書第6版)」(発行:東京図書株式会社) 第11章第96節「エネルギー・運動量の擬テンソル」(pp.312-319) の用語「擬テンソル」が気味が悪いと云う、それだけ言えば「出落ち」的に話が終わってしまうだけの話を、以下ヤヤ詳しく書くことにする (第96節には一目で分かる誤訳があるが、それこそ「一目で分かる」から全体の文脈には影響しないだろうから、ここではカカヅラワルことはしない。そうした話は、将来「『場の古典論』講読」と云った記事を書く機会があったら、他のものと合わせて取り上げよう)。

「擬テンソル」と云う用語は、「場の古典論(原書第6版)」の pp.19-20 でも出てくる。こちらの方は、私も気にならない。この両者は別物なのだ。

それは、「場の古典論」の記述自身から明らかだ。それが分かる、それぞれに就いて特徴的な文章を摘出しておく。

任意の階数の[擬テンソル],とくに[擬スカラー]は,回転から合成できない変換を除いて,すなわち,回転に帰着させることのできない,座標の符号の変化である反転をのぞいて,すべての変換に対してテンソルのようにふるまう.
--「場の古典論(原書第6版)」第1章第6節「4元ベクトル」pp.19-20

(重力場のエネルギー・運動量擬テンソルである/引用者補足/)t^{ik} の大切の性質は,それがテンソルをつくらないということである。それは、(p.314 での t^{ik} の定義式 96.5 中の/引用者補足/) \partial{h^{ikl}}/\partial{x^{l}} において現れるのが共変導関数ではなく,ふつうの導関数だということからたやすく示される.しかし,t^{ik}\varGamma^{i}_{kl} によって表わすことができ,\varGamma^{i}_{kl} は座標の1次変換にたいしてはテンソルのようにふるまうから (§ 85 を参照),t^{ik} についても同じことがいえる。
--「場の古典論(原書第6版)」第1章第96節「エネルギー・運動量の擬テンソル」p.315

ちなみに、どちらの「擬テンソル」も英語では pseudotensor, さらにちなみにロシア語では псевдотензор である。

後者の「擬テンソル」である「エネルギー・運動量の擬テンソル」は「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」とも呼ばれるので、以下、そう呼ぶことにする。他方、前者を何と呼ぶかが、悩ましい。私としては只の「擬テンソル」としか呼びようがないのだ。しかし、対比の必要上、そうもいかない。仕方がないので、ad hoc な用語として「数学的擬テンソル」と呼ぶことにする。

念のため、一応注意しておくと、単に「テンソル」と云う用語が用いられている場合でも、その意味には大きく分けて2種類あることである。第1は、線形空間又は、その双対空間のテンソル積の元である。第2は、所謂「テンソル場」、つまり,極めて大雑把な言い方で申し訣ないが、可微分多様体の各点に対し、その点上の接空間と余接空間 (つまり接空間の双対空間) とのテンソル積の要素であるテンソルを対応させる写像で、その可微分多様体の構造と両立するものである。

困ったことに、上記の「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」にしろ、「数学的擬テンソル」にしろ、可微分多様体の各点に、テンソル又は擬テンソルを対応させる写像だが、「テンソル場」ではない。

もう少し具体的に言うと、「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」は、擬リーマン多様体の各点から、その点での余接空間2個のテンソル積の要素としのテンソルを対応させる写像だが、底空間をなす擬リーマン多様体の構造と両立していない。但し、余接空間の基底の一次変換に限るならば「テンソル」として振る舞う。

「数学的擬テンソル」の方は、ミンコフスキー計量が付いた実4次元アフィン空間の各点からその点上の接空間、つまり4次元ユークリッド空間に関わる擬テンソルを対応させる写像であるから、当然「テンソル場」ではない。

これを踏まえて言うと、上記の引用から分かるように、座標反転に対して、数学的擬テンソルは、相対論的環境では、擬テンソルとしてテンソルと異なる振る舞いをするが、座標反転も接空間や余接空間に移れば一次変換となるから、ランダウ・リフシッツ型擬テンソルでは、テンソルと同じ振る舞いをする。

ランダウ・リフシッツ擬テンソルは、擬リーマン多様体上の各点に、上記第1意味での「テンソル」を対応させているものの、テンソル場でないのは勿論、擬テンソルを対応させている訣でもないから「擬テンソル場」(今の文脈を離れた広いの文脈で適切な用語となるか疑問だが)でもない。せいぜい、テンソル場に類似する、テンソル場のまがい物と云う意味での「擬-テンソル場」(「擬テンソル-場」ではなく) といったところだろう。私が感じる「気味の悪さ」が分かっていただけるだろうか。

ただし、微分多様体上の「場」である以上、その局所化されえない属性は、本質的に大域的な存在と云うことになる。これに関連して、「場の古典論」の「重力場のエネルギーの空間内の局在化ということを考えるのは,いずれにしても無意味である」と云う記述 (p.316) は示唆に富む (これと同じことを P.A.M. ディラックが「一般相対性理論」の第31章で言っている)。「ランダウ・リフシッツ擬テンソル」の物理的意味は深い。

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