« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月の3件の記事

メモ: ロビン・ウィルソン [四色問題] (新潮社)

「四色問題」又は、既に証明されているので、別の言い方では「四色定理」の証明法について全く無知だったので、たまたま図書館で見かけた [四色問題] (新潮社 2004年。著者:ロビン・ウィルソン 訳者:茂木健一郎) を借りてきて通読した。好著であって、大いに学ぶところがあったことをまず言っておきたい。

ここで、注意しておくと「訳者」茂木健一郎自身が、[訳者あとがき] において、「本書の刊行に当たっては、翻訳家の北村拓哉さんに下訳をお願いし、その上で私が訳文を詰めるという形をとった。難しい数学を扱っている割には読みやすい本になったのも、北村さんの努力に負うところが多い。」(p.286) と認めていることだ。実質的な翻訳者は [北村拓哉] と考えてよいだろう。ちなみに、この[訳者あとがき] は、謝辞以外は具体的な内容に乏しく、この書物の中で唯一詰まらない箇所である。

訳文は、ほぼ滞り無く読めるもので、良く出来た仕事と云ってよい。ただし、それでも首を傾げた所が無い訣ではないので、そのことを書いておく。

と言っても、目立ったのは一点しかない。それは、訳本 p.228 等に見られる「懸案の五対五ペア」の「懸案の」である。それは次のような文に登場する。

上右の「懸案の五対五ペア」は、配置を取り囲む輪の内部で一つの国 C に接している、隣り合う五辺国のペアである。
--[四色問題] (新潮社 2004年。ISBN4-10-545201-0) p.228

しかし、この文脈で「懸案の」と云う言葉が出てくるのは可訝しい。「懸案の」と言うなら、ここで取り上げられている3つの「還元障害」配置は等しく「懸案」なのである。

その時、私が最初に思ったのは、「懸案の」が "pendent" の「訳」の積もりなのだろうと云うことだった。確かに、"pendent" には「懸案の」と訳しても良い語義が存在する。しかし、この文脈では、より適合する語義があって、それは「吊り下がった」と云うものだ (あえて「懸」の字を使うなら「懸垂している」と云う言い方も可能であるが、そこまで「懸」にこだわることはあるまい)。だから、「懸案の五対五ペア」は「吊り下がった五対五ペア」とか「五対五ペアの吊り下がり」と訳すべきだろう、と云うのが、一読した時の私の感想だった ([四色問題] の p.228 図2の「懸案の五対五ペア」を見てもらうと、私が何を言いたいのか分かると思うが、実は、下記で原書の対応部分を埋め込んであるので、そちらを御覧になった方が手っ取り早い)。

勿論、それを確かめるためには原文に当たらねばならない。手始めに原題を知る必要があるが、日本語訳のジャケットに "FOUR COLOURS SUFFICE" とあるから、それが原題だろうと推定できるし、実際その通りだった (なお、"colour" はイギリス英語の綴り。 アメリカニズムの "color" を用いて、書名が "FOUR COLORS SUFFICE" となっている版の方がネット上で多数派のようだ。以下、"FOUR COLORS SUFFICE" で統一する)。

わざわざ断わって言うまでも無いだろうが、私は "FOUR COLORS SUFFICE" を持っていない。日本語訳にしてから図書館から借り出したものだ。だが、ありがたいことに "FOUR COLORS SUFFICE" は google books に、収められている。ただ、当然の事ながら、著作権が設定されているから、その全文は読めない。そして、単に書名だけで google books を開くと、日本語訳の p.228 の対応部分は表示されなかった・・・

しかし諦めるの早いので、google books では検索語の組み合わせを旨く選ぶと、 目指しているページを丁度開いてくれることがある。そこで、"pendent" (変異形として "pendant", "pending") を含むフレーズで検索したのだが、旨くいかなかった。それでも、あれこれ試行錯誤しているうちに、ようやく目指すページに辿り着いたが、そこには "pendent" (そして "pendant" や "pending" も) 含まれていなかった。上記の引用部分の対応英文はこうだったのだ。

The third is a hanging 5-5 pair, a pair of adjacent pentagons that adjoin a single country C inside the surrounding ring.
--Robin J. Wilson "Four Colors Suffice: How The Map Problem Was Solved" (Princeton University Press, October 18, 2004, ISBN-10: 0691120234 ISBN-13: 978-0691120232) p.193

私は、自分の間抜けさかげんに笑わざるを得なかった。"pendent" ("pendant", "pending") ではなく "hanging" だったのだ。この "hanging" にも "pendent" と同様、「懸案の」の他に「吊り下がった」と云う意味がある。従って、訳文に就いては、上記の指摘は生きており、「懸案の五対五ペア」ではなく、「吊り下がった五対五ペア」とか「五対五ペアの吊り下がり」と訳した方が良いと云うのが私の断案である。

以下に google books に見られる対応ページを埋め込んでおくので、参照していただきたい。また、"hanging 5-5 pair" の図も同一ページに示されているので、それを見ていただくと、「吊り下がった五対五ペア」(又は「五対五ペアの吊り下がり」) が「見た通り」のものであることがお分かりになると思う。
2013-01-05[土]:google books での対応ページが正常に表示されなくなっていたので、削除した。

実は、翻訳上の瑕疵と云うのではなく、原文自体の論理に不備があるところがある。それは、訳本の p.180 における、次の部分である。

七辺国はどうなるか? もともと -1 の電荷を持っていた七辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つようになるためには、図7のように少なくとも六個の五辺国から合計五分の六の電荷を分けてもらう必要がある。けれどもこのとき、隣国の五辺国のうち少なくとも二つは隣り合うことになり、これは許されない。したがって、放電が終わっても、七辺国の電荷は負のままである。

八辺国はどうなるか? もともと -2 の電荷を持っていた八辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つようになるためには、少なくとも一一個の五辺国が必要だが、これは明らかに不可能である。したがって、放電が終わっても、八辺国の電荷は負のままである。九辺国、十辺国・・・・・・についても同様である。
--[四色問題] (新潮社 2004年。ISBN4-10-545201-0) p.180

各段落の結論である「放電が終わっても、七辺国の電荷は負のまま」と「放電が終わっても、八辺国の電荷は負のまま (九辺国、十辺国・・・・・・についても同様)」は正しい。しかし、そこに導くための論理に穴があるのだ。七辺国にしろ八辺国にしろ、放電後に電荷が負のままであることを言うには、放電後、それらの電荷が正にも 0 にもならないことを示す必要があるが、ここでは放電後の電荷が正にならないことを証明しているだけだからだ。

従って、次のように数値を少しだけ変える必要がある。

七辺国はどうなるか? もともと -1 の電荷を持っていた七辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つか、又は電荷 0 を持つようになるためには、少なくとも個の五辺国から合計の電荷を分けてもらう必要がある。けれどもこのとき、隣国の五辺国のうち少なくとも二つは隣り合うことになり、これは許されない。したがって、放電が終わっても、七辺国の電荷は負のままである。

八辺国はどうなるか? もともと -2 の電荷を持っていた八辺国が、隣国の五辺国から五分の一ずつ電荷を得て正の電荷を持つか、又は電荷 0 を持つようになるためには、少なくとも個の五辺国が必要だが、これは明らかに不可能である。したがって、放電が終わっても、八辺国の電荷は負のままである。九辺国、十辺国・・・・・・についても同様である。

やはり、以下に google books に見られる対応ページを埋め込んでおく。
2013-01-05[土]:google books での対応ページが正常に表示されなくなっていたので、削除した。

本書の日本語訳、原著、ペーパーバック版のアマゾンリンクも貼っておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

パスカルのパンセ中の一節「完全な静止は死である」に就いて

本日と言っても、午前1時過ぎ (2012/06/07 01:09:45)、キーフレーズ [パンセ 完全な静止は死である 英語] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

この「完全な静止は死である」は "complete rest is death." と英訳されるのが普通のようだ。ただし、これには前段があって、それは "Our nature consists in motion;" になっている。

たまたま、手元に中公文庫版の [パンセ] があったから、それを参照してみると

われわれの本性は運動のうちにある。完全な静止は死である。
--中公文庫 [パンセ] (パスカル。訳者:前田 陽一、山本 康) p.88 (第2章 [神なき人間の惨めさ]129)

とされている。ただし、勿論、原文はフランス語で

Notre nature est dans le mouvement; le repos entier est la mort.

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

メモ:高田衛「国文学者の想像力」(日本經濟新聞 2006年6月3日)

日本經濟新聞 2006年6月3日 (日) 第45378号第32面 (文化) に掲載された、高田衛 (たかだ・まもる) 「国文学者の想像力」は読み応えがあった。

文化五年 (1808) 年正月下旬、時の勘定奉行 [松平信行] (1746--1821)が、身分を隠して、飯田町中坂 (現在の千代田区九段北辺り) に住んでいた [滝沢馬琴] (明和4年6月9日/1767年7月4日--嘉永元年11月6日/1848年12月1日) を突然訪問したが、馬琴は不在だった。訪問者は、懐紙に次のようにしたためて、馬琴の妻 [お百] に托す。

実は、松平信行は、かって元服前の馬琴が仕えていた主人だったのだ。しかし、彼は、父の死去に際して俸禄を半減した主家に落胆した兄が主家を去ったために家督を受け継いだものの、信行の子 [八十五郎] の横暴な振る舞いに堪え兼ねて十四歳の安永9年 (1780年) 十月に主家を退転してしまっていた・・・

  木がらしに
  思ひ立ちけり神の旅

といひし言の葉のむなしからで、今は東都にその名高し。

  名のらずに
  しる人ぞしる梅の宿

 

[ゑ]付言:「木枯らしに」云々は、滝沢少年が主家を脱走した際に、自室の障子に書き残した訣別の辞。

28年の歳月の後、かっての小身旗本は違例の出世を遂げて勘定奉行として幕府の中枢にある一方、その児小姓 (元服前の小姓) は、江戸で隠れもない戯作者に変身していた。

松平信行の行動は、今で言う「著名文化人」となっていた、過去の出奔者滝沢某に対して関係修復を図り、あわよくば、自家に取り込もうとする底意があったのだろう。それに対して、馬琴は一度は主家で催された小宴に伺候したものの、それ以降は息子を代理に立てて、自らは主家に赴くことは無かったと云う。

高田衛は、文章をこう結んでいる。

旧主家に対する敵愾心と、旧主家筋の権力性の対する誇りとの、隠された両義的な心情が、この戯作者の、『南総里見八犬伝』をはじめとする天下国家に立ち向かう物語の数々の見えない背後にあるように思われるのである。

老いた国文学者の想像は拡がる一方である。

 

[ゑ]付言:「旧主家筋の権力性」とは、松平信行の本家の当主が、天明から亨和、そして文化年間死去するまで老中として権勢を揮った [松平信明] (宝暦13年2月10日/1763年3月24日 -- 文化14年8月16日/1817年9月26日) を念頭に置いている。そして、高田衛は、松平信行の滝沢馬琴訪問の影に、この松平信明か、或いは、[根岸鎮衛] --[耳嚢] の著者-- の存在を推定している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »