« サニャック効果雑考 | トップページ | メモ:元好問「山居雜詩六首 」 »

メモ: 災害用語としての "evacuation" の訳語

最近 [evacuation 意味] と云ったたぐいのキーフレーズでこのサイトを訪れる方が多いようだ。その理由は容易に想像がつくが、「時務を論ぜず、不用不急の話題に終始する」をモットーとする本ブログとしては、話題とするのははばかられるところがある。それに、冷静な判断を放棄することを誠意の証明であると勘違いしている人々が多い社会では、ピンポイントの情報は、それが「正しい」かどうかとは別に、短期的には事態の紛糾を助長する可能性があることを考えると、そうしたことに関わりたくないと云う所もある。

しかし、それでも以前書いた記事への補足を行う必要に気がついた場合には、「必要なことは必要」と云う原則に従って行為するのに吝かではない。

そこで、以下の文章は、誰彼と何らかの議論を行う意図を全く持っておらず、それどころか、何らかの議論のキッカケになることを望むものでもなく、単に以前書いた記事の補足としてのみ書かれたと云うことを注意しておく。

本ブログの [災害(地震)対策文書中の用語「避難所/避難場所」の英訳としての "evacuation area" に就いて] (2006年1月19日 [木]) で指摘したように、「避難場所」に "evacuation area" と云う英語を当てることには若干の問題がある。English natives が "evacuation area" (及び "evacuation zone") と聞いたり読んだりしたら、災害時に「そこへと避難する場所」ではなく、「そこから退避する場所」と受け止められる可能性が大きいからだ。

何故なら、英語が標準的言語である社会で発行された文書中でも "evacuation area" (及び "evacuation zone") が、日本語の「避難場所」と同義に使用されている例もあることはあるが、災害用語としての "evacuation area" (及び "evacuation zone") の多くは、日本語で表現するなら「[避難勧告/避難命令]対象地域」とでもいえる場所に関連して用いられているのである。

何故このような「捻じれ現象」が起きたのかと改めて考えてみると、恐らく "evacuation" を安易に「避難」と訳してしまったからだろう。日本語の基本的発想は「主体と客体と行為」の枠組みではなく「場と状況」の枠組みで起こるので、「避難場所」にしても、「避難 (の為に人間が逃げ込む) 場所」と云う捉え方ではなく「避難 (した人間がいる) 場所」と云う捉え方をして「避難」+「場所」だから "evacuation" + "area" としてしまったのではないか。

しかし、"evacuation" を災害用語として訳すならば、端的には「無人化」とでもすべき語感があるのだ。勿論、訳語としては「避難」の方が適当である場合もあるだろうが、その底意は「避難による無人化」である。

確かに完全な「無人化」と云うことはまず不可能であって「必要な要員」や「『それでも残った』住民」と云った例外はありうるから、文脈により「無人化した地域」にも「無人化が期待される地域」にもなるのだけれども、そうした留保をした上でならば "evacuation area" や "evacuation zone" は「無人化地域」になるのである。

もっとも「避難通路」を "evacuation route" と訳すのは一向に構わない。それは「無人化誘導路」と云う語感であるからだ。

そして、やはり日本の文書等で「避難場所」の英訳として用いられている "evacuation site" は、「無人化実施用地」と云う語感であって、これは確かに日本語の「避難場所」としての意味を持つ。

ここで、災害用語としての "evacuation" (動詞として "evacuate") を「無人化」(動詞として「無人化する」) と訳すことの妥当性を幾つかの実例で検証しておく。

まず、モスクワ現地時間1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故に関する、英文版ウィキペディアの記事 "Chernobyl disaster" (last modified on 28 March 2011 at 14:40) から (なお、日本語版ウィキペディアの記事 [チェルノブイリ原子力発電所事故] も参照のこと):

Evacuation of Pripyat
The nearby city of Pripyat was not immediately evacuated after the incident.The general population of the Soviet Union was not informed of the disaster until April 29; during that time, all state-run radio broadcasts were replaced with classical music (a common method of preparing the public for an announcement that a tragedy had taken place).
--"Chernobyl disaster - Wikipedia, the free encyclopedia" (last modified on 28 March 2011 at 14:40)
プリピャチの無人化
近隣の都市であるプリピャチの無人化は、事故直後に行なわれたのではなかった。ソビエト連邦の一般人が事故に就いて知らされたのは4月29日になってからであり、それまでは、国営放送ラジオの番組全てがクラシック音楽に切り替えられたのである (公衆に悲しむべき出来事の発表があることを覚悟させるための一般的方法だった)。

英文版ウィキペディアの記事からもう1例引用する。これはチェルノブイリ原子力発電所事故による立入禁止地域に就いてのの記事:

Infrastructure
The industrial, transport, and residential infrastructure has been largely crumbling since the 1986 evacuation.
--"Chernobyl Nuclear Power Plant Exclusion Zone - Wikipedia, the free encyclopedia" (last modified on 27 March 2011 at 10:31)
社会基盤
産業・交通・居住者の為の社会基盤は、1986年の無人化以来、大きく崩壊してしまってきている。

もっとも「無人化」と言っても、次のような例もある。

An email message to American citizens from Ambassador John V. Roos in Japan says US officials recommend an 80km radius Fukushima evacuation zone.
--DigitalJournal "US govt recommends 80 Km Fukushima evac zone; currently 30km" (Mar 16, 2011 by Mark Weitzman)
駐日米国大使ジョン・ヴィクター・ルースから米国市民に配信された電子メールによるなら、米国当局は、福島での無人化地域の半径を 80km とすることを推奨しているとのことである。

勿論、ここで「無人化」を期待されているのは「米国市民」であって、「日本国民」その他の市民ではない。だから「立入禁止」とか「立入制限」とでも訳した方が良いだろう。それでも、駐日米国大使が望んでいるのは、作戦中の米国軍人を除く一般米国市民が福島の原子力発電所から80km以内に一人もいなくなることであるだろう。

そして、用語の発信源に日本社会が絡むと推定される場合には "evacuation" の意味が曖昧になってくる (どうやら、今の日本社会では「避難」は「念のため」にするものらしい)。次は科学雑誌 "nature" の電子版ニューズの一節である ("evacuation" を「無人化」と訳すと文意が奇妙になるので「」で括っておいた)。

High radiation levels outside Fukushima evacuation zone - March 17, 2011
As more radiation monitoring equipment arrives in Fukushima prefecture, we're starting to get a sense of just how far the radioactive material from the stricken Fukushima Daiichi nuclear plant is travelling. Surprisingly high doses have been seen outside the evacuation zone set up by the government.
--The Great Beyond: High radiation levels outside Fukushima evacuation zone
福島「無人化」地域外で高い放射線レベル - 2011年3月17日
福島県内での放射線モニター機器設置数が増加するに応じて、事故のあった福島第一原子力発電所からの放射性物質が何処まで飛散しているのか明確に判断できるようになってきているが、政府が設定した「無人化」地域外で驚くほどの高い線量が検出されている。

|
|

« サニャック効果雑考 | トップページ | メモ:元好問「山居雜詩六首 」 »

世間/世界/社会/会社」カテゴリの記事

翻訳」カテゴリの記事

英語/English」カテゴリの記事

語義・語法」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40172/51244620

この記事へのトラックバック一覧です: メモ: 災害用語としての "evacuation" の訳語:

« サニャック効果雑考 | トップページ | メモ:元好問「山居雜詩六首 」 »