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2011年2月の5件の記事

サニャック効果雑考

ここ暫くは、空いている時間は専ら数学の「お勉強」をしていて、その他のことには、このブログでも稀には有るコメントに対する返答を考える時に手を出すぐらいになっている。手元に本がなく、ネット環境も使えない状況でも、その時のための問題を用意しておけば、いろいろ考えることができるので、数学は便利だ。

しかし、そうした材料になる問題を用意していないのに、そして材料を探せるのには不便な状況であるのに、ポッと時間が出来ることがある (朝、少し早く起きすぎてしまって、寝直すほどでもない時とかネ)。そう云う時は、ロクでもないながらも他に持ち合わせのない自分の頭の中をを探すのだが、この前もそうしたことがあって、その時は、久しぶりに数学でなく、「サニャック効果」のことを考えたのだった。理論物理も数学と同様、徒手で考え事をする材料として手軽なのだ。

人間の知性は、当の人間たちが思いもかけぬ跳躍を見せるから (例えば、「素数定理の初等的証明」など、アトル・セルバーグ|ポール・エルデシュが実現するまで、殆どの数学者は可能だとは思いも寄らなかったに違いない)、それに否定的な断言は本来は謹むべきだろうが、それでも「サニャック効果」を特殊相対論で説明するのは「本質的に困難だ」と断言したい。もし、「特殊相対論によるサニャック効果の説明」と称するものがあったとしたら、それは単純に間違っているか、或いは、実質的に一般相対論的な考え方を説明の中に「密輸入」している筈だと、私は思っている。

私には、布教精神が欠如していると云うか、まぁ、つまり、自分の考え出したことに他人様の同意が必要だと思うことは基本的に無くて、サニャック効果に関するものに限らず、自分が書き留めておく必要が有ると思ったことを書き留めしまえば (そのような場合は大抵ブログの記事にするのだが)、後の事は興味が無い。「何が語られているか」ではなく「誰により語られているか」が議論の決定的要素である状況では、議論を行うのは「時間の無駄」だろう。ついでに書いておくと、このブログの記事に対して、極極稀に、感謝されたり、褒めて頂いたりして下さる方がいらっしゃるけれども、そうしたことは一切不要である。

もっとも、それをワザワザ発表することが多いのは、「他人の目」を意識した方が、考えたり調べたりすることに疎漏が減るだろうと云う思惑によっているから、「同意」は念頭に無くても「批判」は念頭にある訣なのだが、その「他人の目」も第一義的には「『他人の目』をもった積もりの自分」だから、理念的には不健全ではある。ただ、実際、原稿を書いて対象化するなら、さらにそれを発表してブログ記事として読むと、シバシバ自分の事実誤認や論理の甘さに気づくことがあるのから、実際に役立ってはいるのだ。

話を戻そう。サニャック効果についても、それが「特殊相対論ではなく一般相対論で解釈されるべきだ」と云う私の見解...

と書いておくが、勿論、私の独創ではあり得ない。まともに物理学を勉強した人間なら、同じ結論に達するだろうし、また実際、同様なことをかいている先行者がいる。このブログの [一般相対論によるサニャック効果の導出] で引用しているように、ランダウ・リフシッツの [場の古典論] がそうであるし、Gerhard Schäfer の "Introduction to General Relativity (1997ESASP.420..141S)" がそうである。

私が先行者と異なっているのは、(狭いながらも) 私の調査の範囲内では、サニャック効果が主バンドルとして見た微分多様体のホロノミーであって、しかもゲージ不変量になっていることを具体的に説明したことぐらいだろう。それらについては、本ブログの [一般相対論によるサニャック効果の導出] から [ニール・アシュビー「GPS における相対論」第1章及び第2章訳文 (草稿)] までの一連の記事、特に [ホロノミー (holonomy) としてのサニャック効果 (Sagnac effect): 数学的準備] 及び [ホロノミー (holonomy) としてのサニャック効果 (Sagnac effect): 物理篇] を参照して頂きたい。

...を発表したキッカケになったのが、私が当時目にした「サニャック効果の説明」なるものの大多数 (特に日本語で書かれた者は全て) が、説明になっていないか、更には、物理学的に滑稽とさえ言えるものだったことに対する強い違和感 (当時の私は「呆れた」と書いている) によっていたのだが、その「違和感」は、一連の記事の発表自体で基本的に解消されている。つまり、気がすんでいる訣だ。その後書いた [アハラノフ・ボーム効果とその実証実験 (本ブログ「サニャック効果」関連記事の余談として)] や [サグナックとは乃公のことかとサニャック言い] は、まさに余談である (ちなみに「乃公」は「オレ」と読む。もっとも「乃公出でずんば」なら「ダイコウイデズンバ」になる)。

しかし、先日、改めて不思議になったのは、サニャック効果が、特殊相対論を適用することができず、恐らくは一般相対論形成の一つの具体的契機になっただろうと思われる等角速度回転運動円筒座標系 (所謂「ボルン座標系」) における現象であるにも関わらず、どうしてサニャック効果を特殊相対論で説明しようとする人々がいるのかということだった (ちなみに、もう一つが等加速度直線運動座標系、つまり所謂「リンドラー座標系」である)。

ここで、「初学者」のために、「特殊相対論を適用することができず、恐らくは一般相対論形成の一つの具体的契機になっただろうと思われる等角速度回転円筒座標系」と云うことに補足しておく (「嫌味とか皮肉になってしまっていないと良いのだが。。。」と思いつつ付言するなら、以下の数パラグラフは、ウィキペディアの相対論関係の記事に寄稿するような諸氏にとっては「常識」だろう)。

ローレンツやポアンカレと云った「宝物部屋」のドアの前まで行ってが素通りしてしまった先行者が存在する特殊相対論の場合と異なり、実質的にアインシュタイン一人の創造になる (これは人類史上真に驚くべき事件である) 一般相対論成立にも、勿論それなりの「前史」が有る訳だが、そうしたことに就いては割愛して、一般相対論の基本的な完成はアインシュタインの1916年の論文 "Die Grundlagen der allgemeinen Relativitätstheorie" 「一般相対論の基礎」("Annalen der Physik" 第49巻 1916年, pp.769--822.) だった。

その "Die Grundlagen der allgemeinen Relativitätstheorie" 第2章の後半 (pp.772--773) で、一様な重力場内に有る慣性系と、慣性系に対し等加速度直線運動をしている (つまりリンドラー座標系) とが等価であることを説明した後、アインシュタインは第3章の第3パラグラフから、慣性系に対して等角速度回転運動をしている座標系 (円筒座標系を採用するなら、ボルン座標系になるが、アインシュタインはそこまではしていない) を論じている。そして、等角速度回転運動座標系の回転軸 (これは慣性系に対して静止している) 上の1点を中心として、それぞれの座標系での回転軸に垂直な平面内での (正の直径値を有する) 円を考えると、慣性系では、円周の長さは、勿論、円の直径の円周率倍になるが、等角速度回転運動座標系に対して静止している円においては、円周上の尺度がローレンツ収縮により縮むので、円周の長さは、直径 (この大きさは慣性系の場合と同一) に対して円周率倍よりも大きくなる。つまり、等角速度回転運動座標系にはユークリッド幾何学 (ここでの意味は「2点間の距離がピタゴラスの定理で決定される3次元空間」) を導入することは不可能であることを確認した後、さらに、こう述べる (K^{\prime} は回転運動座標系):。

Ebensowenig kann Man in K^{\prime} eine den physikalischen Bedürfnissen entsprechende Zeit einführen, welche durch relativ zu K^{\prime} ruhende, gleich beschaffene Uhren angezeigt wird.
同様にして、K^{\prime} に対して休止し、かつ、同一時刻を示すと云う物理学的要件を満たすような時間を K^{\prime} に導入することはできない。
--アルベルト・アインシュタイン "Die Grundlagen der allgemeinen Relativitätstheorie" ("Annalen der Physik" 第49巻 1916年 pp.769--822.) p.775. ll.11-13

これは、特殊相対論的な効果により、回転軸上に静止している観測者に取って、回転軸上の時計よりも、円周上に静止している時計が遲延して見える為だが、その一方で、この2つの時計は回転運動座標系上では静止している訣だから、回転運動座標系に特殊相対論が適用可能であるものなら、一方から他方が遅れてみえることはあり得ない。つまり、この思考実験は、回転運動座標系には特殊相対論が適用不能であることを示している。

この一般相対論の出発点における注意に従って、相対論の教科書でも、回転運動座標系に特殊相対論を適用してはならないと云う注意書きが登場するのだ。

例えば、アインシュタインの「相対論の意味」(岩波書店 1958年。ただし、私には、この訳書の翻訳の出来が気に入らない) の pp.62--64 やランダウ・リフシッツの「場の古典論」(東京図書) の、私が持っている第4版訳本 (1964年) では pp.270--271 だが、これは第10章/第82節に含まれており、これは少なくともロシア語版では、第6版でも変わっていない (20111012補足:日本語版「場の古典論 第6版」では pp.254--255)。また、パウリの「相対性理論 (下)」(ちくま学芸文庫。2007年) でも p.27 に訳註として同様の記載が有る。

「相対論の意味」から引用しておこう (ここでも K^{\prime} は回転運動座標系):

Space and time, therefore, cannot be defined with respect to K^{\prime} as they were in the special theory of relativity with respect to inertial systems. But, according to the principle of equivalence, K^{\prime} may also be considered as a system at rest, with respect to which there is a gravitational field (field of centrifugal force, and force of Coriolis). We therefore arrive at the result: the gravitational field influences and even determines the metrical laws of the spacetime continuum. If the laws of configuration of ideal rigid bodies are to be expressed geometrically, then in the presence of a gravitational field the geometry is not Euclidean.
従って K^{\prime} における時間と空間は、特殊相対性理論に関連して惰性系において定義された時間と空間と同様には定義されえない。しかしながら、等価原理によれば、K^{\prime} もまた一つの重力場 (遠心力とコリオリ力との場) を伴う静止系と考えることができる。従って、我々は次の結果に到達する。すなわち、重力場は、時空連続体の計量に就いての法則に影響を及ぼし、更にはこれを決定しさえする。だから、理想的剛体の配置の法則を幾何学として言い表わすなら、重力場が存在するもとでの幾何学は、ユークリッド的にはならないと云うことになる。
--「相対論の意味」アインシュタイン (岩波書店。訳:矢野健太郎 1958年) p.64 (ただし、訳文を若干改めた。)

ただし、注意しておくと、これらの説明は、サニャック効果に対するものではなく、遠心力ポテンシャルに起因する固有時の変化に対応しており、コリオリ力ポテンシャルに起因するサニャック効果とは別の理論なのである (まぁ、大きくくくれば共に「一般相対論的効果」ではあるのだが)。

勿論、回転座標系上の現象であっても、個々の例にあっては、特殊相対論で説明がつくことは当然有るだろう。そして、その中に「サニャック効果」が含まれる可能性を初めから排除する訣にはいかないだろう。しかし、それでも、その「特殊相対論による説明」をしようと言うのなら、その「説明」を一般相対論による枠組みの中で捉える (実際には、そのようなことは不可能だから、「たとえば」の話になるが、計量テンソルをつかって、その「特殊相対論による説明」を表現するといったような) ことを試みてもよかったのではないか。しかし、もしそうしていたら、サニャック効果に対する誤った解釈が放置されると云うようなことは起こらなかった筈なので、「無い物ねだり」と云うものなのだろう。。。。

。。。などと、どうでもよいことを考えたのだが、「誤った解釈が放置されている」などと言っても、最近は物理学のお勉強をしていないので、確認の為日本語版ウィキペディアの [サニャック効果] を覗いてみたら、以前と比べると僅かにマシになっていた (「 2つの光の伝播時間差の測定には光波同士の位相差を観測する。 特殊相対論に基づくとの主張によるサニャック効果の説明」には「非推奨」と云うレベルが付けられていて、内容が大幅に削られている。)。

もっとも、その代わりにメインとなった「一般相対論に基づくとの主張によるサニャック効果の説明 」の出来は、やはり「呆れた」とでも言うしかない代物である。

同じことを何度も言ってきているので、「顎がくたぶれる」思いなのだが、行きがかり上少し書いておく。

で、問題のウィキペディア (最終更新 2011年1月30日[日]03:05) の説明なのだが、

  1. 「実際に、非慣性系の下では、異なる2つの経路(例えばa→b→cとa→b'→c。始点a終点cの時空点は同一点を仮定。)を移動した後のそれぞれの時計を比較することによって、両者のずれの差を観測できる。」と書いてあるが、単に3次元空間内で始点・終点が同一の「異なる2つの経路」を移動するというなら、その所要時間が異なるのは当然であって、サニャック効果とは無関係に起こりうる。また、それとは別に、始点・終点が「時空点」として同一なら、その固有時間時刻は同一になるから、「時計」は一致してしまいサニャック効果は起こらないことになる (この部分を書いた人物は、「ホロノミー」と云う言葉を知っているかどうかは別にして、恐らくホロノミーの説明をしようとしたのだろうが、残念ながらホロノミーの基本を理解していない)。
    所謂サニャック効果の前提として、時空内の2つの曲線 (描像を単純する為にジョルダン曲線としておく) であって、その(3次元)空間内の回転座標系の回転軸と直交する平面への投影が一致するようなもの (普通は、ともに円周) が取られる必要が有る。そして、サニャック効果とは、この3次元空間において、同一点から出発し、同一終点に至り、しかも向きを除けば全体として一致する径路であっても、その4次元時空への「水平持ち上げ」(物理学的な言い方をするなら、同期性を保持しながらの径路の延長) の到達点が、「時空点」として同一になるとは限らないということなのだ。つまり、「時空点」が同一なら、サニャック効果など発生しないのである。
  2. サニャック効果の本質は時空多様体の微分幾何学的特性の一つであって、或る種の微分形式におけるストークスの定理のことであり (だから、表式に閉曲線が囲む面積の項が出てくる)、物質の移動や信号の伝搬とは独立して成立すると云うことだ (物理現象として発現する為には何らかの物質移動又は信号伝搬が必要になるだろうが)。従って、サニャック効果で「径路」と呼ばれるものは、本質的には数学的概念としての曲線であって、それに沿って何らかの物理的実在が移動・伝搬する必要はない (不可能であっても構わない)。実際、「自由な光」の「光路」はヌル測地線になるのであって、例えば、ボルン座標系においては円弧を描くことなどあり得ない。
    だから、「光などの信号が経路を伝播する場合は伝播時間が「伝播経路長÷伝播速度+移動経路に依存する伝播時間のずれ」となる」とか「光などの信号伝播は、ある周回経路上を回転系回転軸に対して右回りと左回りに1周する2つの経路の信号伝播時間には差が生じる。」とか云うような類いの、安易に「伝搬径路」・「伝搬時間」と云う概念を用いた説明は「一般相対論に基づくとの主張によるサニャック効果の説明 」になっていない。
    ただし、後述の説明のために、補足しておくと、一般相対論的においても「光の伝搬径路・伝搬時間」が正当な理由をもって議論できるケースが有る。それは、「周回径路」などと言った大域的な広がりに対してではなく、ミンコフスキー時空からのズレが小さくて、光がほぼ「直進」すると云う描像が得られるようになる程小さい領域 (アインシュタインの言うところの「ガリレイ領域」である) に議論を限定する場合である。
    Stated more exactly, there are finite regions, where, with respect to a suitably chosen space of reference, material particles move freely without acceleration, and in which the laws of the special theory of relativity, which have been developed above, hold with remarkable accuracy. Such regions we shall call 'Galilean regions'. We shall proceed from the consideration of such regions as a special case of known properties.

    The principle of equivalence demands that in dealing with Galilean regions we may equally well make use of non-inertial systems, that is, such co-ordinate systems as, relatively to inertial systems, are not free from acceleration and rotation.

    ヨリ正確に言えば、領域を限定するならば、そこでは、適宜に選択された基準空間に対して質点が加速度なしに自由運動を行ない、 そして、上に展開した特殊相対性理論の諸法則が顕著な精度を以って成立するようになるが、このような領域は "ガリレイ領域" と呼ばれるべきものである。我々は、既知の性質を有する特別な事例の一つとしてのこうした領域の考察から議論を進めていくことにする。

    等価原理の要求するところによれば、ガリレイ領域を用いるなら、非惰性系、すなわち、惰性系に対して加速度を受けたり回転をしたりしているような座標系も、惰性系と同様に扱うことがで可能でなければならない。
    --「相対論の意味」アインシュタイン (岩波書店。訳:矢野健太郎 1958年) p.62 (ただし、訳文を若干改めた。)
  3. 「これらは光伝播の重力レンズ効果と基本的に話は同様である。」と書いてあるが、これも微妙な表現だ。確かに、サニャック効果も重力レンズ効果もともに、一般相対論的効果ではあるが、類似性はそこまでだろう。
    重力ポテンシャルのモデルは等加速度直線運動直線座標系 (リンドラー座標系) であるのに対し、サニャック効果は等角速度回転運動座標系 (ボルン座標系) に関わり、コリオリ力ポテンシャルに起因する。更に、「重力レンズ効果」に限れば、その中心力場の源泉となる物質の存在が前提とされ、シュヴァルツシルト計量を用いた議論が必要になる。これに対し、サニャック効果は物質を含まない空の空間でも成立しうる。そして計量は等角速度回転運動座標系の計量そのものである。原理的に異なっていると言った方が良いのではない。
  4. 「リングジャイロスコープ」の原理説明なるものがあるが、これはガリレイ・ニュートン的相対性に基づいた説明であって、「一般相対論に基づくとの主張によるサニャック効果の説明 」の項に含められるべきものではない (大体、この式は角速度と円の半径との積が真空中の光速度を超える場合を排除していないではないか)。どうしても、この項を残したいと云うのなら、別に「純古典的な物理観に基づくサニャック効果の説明」と云う題目を作って、そこに移すべきだろう。

先に、「サニャック効果の本質は時空多様体の微分幾何学的特性の一つであって、或る種の微分形式におけるストークスの定理のことであり」と書いた。通常の例では、「時空多様体」とはボルン座標系の事であり、「微分形式」とは、ボルン座標系の作る時空多様体を、「(3次元)空間」を底空間とする主バンドルとみなした時の接続形式のことである。それは、物理的には「同期化 (synchronization)」を定めている。この同期化接続形式は、ゲージ変換で結ばれる任意性を有するが、通常のサニャック効果の議論では、最も自然な接続形式である「アインシュタイン接続」(或いは「ポアンカレ接続」又は「ポアンカレ・アインシュタイン接続」) が用いられ、それによる同期化は「アインシュタイン同期化 (Einstein synchronisation)」(或いは「ポアンカレ・アインシュタイン同期化 (Poincaré–Einstein synchronisation)」) と呼ばれるが、それに就いての議論は本ブログの [ホロノミー (holonomy) としてのサニャック効果 (Sagnac effect): 数学的準備] (2008年10月31日[金]) 及び [ホロノミー (holonomy) としてのサニャック効果 (Sagnac effect): 物理篇] (2008年11月8日[土]) に譲ることにする。

実は、ボルン座標系に載っている円盤 (つまり、通常サニャック効果の説明に使われているケース) を例にして、サニャック効果の簡単な説明をしようかとも思ったのだが、中止した。何故なら、その表式は「間違った説明」における表式の見かけがパラレルになるので、本質的な相違点が見づらくなることに気付いたからだ。これは最後の「時間差」の表式が一致することからも、なんら不思議はない。もっとも、「間違った説明」では「時間」は「伝搬時間」のに対し、一般相対論での説明 (つまり敢えて言うなら「正しい説明」) での「時間」は「固有時間」であって別のものなのだけれども。。。

それでも、概略を述べておくと、円盤の周上の十分近い2点を取るなら、それはガリレイ領域内にあるとみなすことができるから、その2点間に就いてポアンカレ・アインシュタイン同期化を行うなら、その2点間の固有時間時刻の差を求めることができる。それを全円周に就いて積分すると、1周分のサニャック効果の「時間差」が得られる。通常の物理現象としてのサニャック効果は逆方向に進む2本の光線間の干渉として出現するから、その時間差は2周分の固有時間差に対応する。

サニャック効果に就いての詳細な計算を行う代わりに、我々の日常生活内における或る周知な現象が、サニャック効果に類似した原理で起こることを指摘しておこう。それは「時差」である。ただし、この「時差」は単純なものとして解釈されねばならなくて、「サマータイム」とか、国家間や行政上の区分による変更を含まない、経度15度毎に1時間づつ「現地時間」をずらすシステムとしての解釈されねばならない。更に又、「日付変更線」の存在も無視する必要がある。相対論における固有時間に日付の概念はないからだ。

このように解釈した時、時差システムの「現地時間」は、サニャック効果における円周上に固定された点の固有時間に相当する (「現地時間」は経度15度毎の調整だから精度が粗いが)。

もし、ここで或る旅行者が、時計を携えて、或る日或る時、ロンドン (その郊外には経度の基点である「グリニッジ天文台」がある) から出発して、例えば東回りに世界一周の旅行に出たとするなら、彼 (旅行者は、取り敢えず、男性としておく。そして、やはり、取り敢えず、彼は従者を連れて80日間で世界一周をしようとしたりしていると考えておいて頂きたい) は、東経15度近辺の、例えばローマ、或いは経度上、その付近に達すると、自分の時計が現地時間より1時間遅れていることを発見するだろう。そこで、彼は自分の時計の針を1時間進める必要に迫られる。これが一般相対論における同期化に相当する。彼が旅行を続けて、経度にして15度進み、東経30度付近の、例えばカイロ、或いは経度上、その付近に達するなら、彼は再び自分の時計が、現地時間より1時間遅れてしまったことを発見するだろう。そこで、彼は再び自分の時計を1時間進めることを余儀なくされる。

このようにして、彼が世界を東回りに一周すると、その間に彼は自分の時計を24時間進めねばならない。もし彼が、自分の時計の現地時間に合わせつつ、旅行の経過時間を記録していて、それによると世界一周に1920時間、つまり丁度80日間かかったと結論したとしても、ロンドンに居続けた者にとっては、彼の出発から帰還までの間は、それより24時間短い1896時間、つまり79日間になる。この差がサニャック効果に相当するのである (通常のサニャック効果はでは「東回り」と「西回り」の差であるから、時間差は2倍になる)。ジュール・ヴェルヌ (Jules Verne) の「八十日間世界一周 (Le Tour du monde en quatre-vingts jours)」のプロットの基本はこの事実によっている (「八十日間世界一周」の主人公フィリアス・フォッグは、日付変更線の存在を知らなかった、又は忘れていたと云う設定らしい)。

この時、旅行者が「自分の時計の現地時間に合わせつつ、旅行の経過時間を記録」するのが、サニャック効果における信号伝搬又は物質輸送が回転軸の廻りを一周する際の固有時間に相当する。

こうしてみると、類比によって、サニャック効果に次の特徴があることが理解しやすいのではないか (ただし、最終的な「時間差」は、「世界一周」では、世界をどちらの向きに何周かしたことにより決定されるのに対し、「サニャック効果」においては、回転軸の廻りに周回した軌道の、回転軸に垂直な平面上への射影が囲む面積、それも周回方向と周回階数を込みにしたものにより決定される)。

  • 旅行者 (信号・物質) の「速度」及び「所要時間」は結果の「時間差」に影響しない。局所的な速度も一定である必要はなく、途中で止まっても良いし、逆行しても良い。それどころか、「世界一周」の場合は、最終的に周回階数がキャンセルされるなら、地軸を通る以外のどのような「迷走」や「物見遊山」をしても良い (「恋愛」でさえできるのだ)。同様に、サニャック効果にあっても、回転軸に垂直な平面上への射影が囲む面積が相殺される形であるなら、どのような径路をとっても良い。

つまり、「径路長」とか「移動速度・伝搬速度」はサニャック効果の成立に無関係なのである。そして、地球における時差を決定するのが、始点と終点とを結ぶ「径路」の位相幾何学特徴 (具体的には、3次元空間から地軸を除いた空間の基本群) であるのに対応して、サニャック効果では、固有時間差を決定するのは、回転軸に対する垂直面への、閉径路の投影の重複を込めた面積と云うことになる。

なお、今回の記事を作成中に、ゲーデル時空におけるサニャック効果に就いて論じた次の文書を発見した。ゲーデル時空のサニャック効果に就いては、私がサニャック効果に就いて興味を持ち出した当初から取り上げるつもりであったので、気になったのだが、しかし、瞥見する限り、少なくとも私がしようとしていた方法ではゲーデル時空におけるサニャック効果は論じられていないようだ。

今のところ「例の tex ファイル」の編集から抜け出ることは出来そうもないのだが、なるべく早めに私なりのゲーデル時空におけるサニャック効果に就いての議論を纏めてみたいとは思っている (勿論、たいした物にはなりえないのだが)。

  1. "Sagnac effect in general relativity and Godel's Universe" (これに関連して arXiv.org の "[gr-qc/0404032] Sagnac Effect of Goedel's Universe" も参照のこと)

この記事で引用した書籍

パウリの「相対性理論」の「上」の方もリンクを貼っておく。

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メモ:アーサー・C・クラーク (Arthur C Clarke) の「無限」

[ギズモード・ジャパン] のタイムスタンプ 2011.02.25 21:00 の記事に [SF界の巨匠アーサー・C・クラーク氏がこの世の終わりを語った31ワード] と云うものがあった。

米版の [GIZMODO] のタイムスタンプ Feb 14, 2011 8:40 AM の記事 [Arthur C. Clarke’s 31-Word, Universe-Ending Sci-Fi Story] の紹介なのだが、その31語とは次のようなものだ。

And God said: DELETE lines One to Aleph. LOAD. RUN.
And the Universe ceased to exist.

Then he pondered for a few aeons, sighed, and added: ERASE.
It never had existed.
--Arthur C Clarke

私は アーサー・C・クラーク (Arthur C. Clarke) の著作を読んだことがない。従って、彼に就いての知識は極めて表層的なものである。だから、以下のことは全く的外れかもしれない。

一読して解るように、このショートショートストーリー (と云う表現が不似合いな程短いが) は、神をコンピュータ・プログラマ (音声だか意思だけで命令を実行できる) に見立てて、宇宙の創成ならぬ、宇宙の消滅を描いている (原題の "siseneG" は、"Genesis" つまり、旧約聖書冒頭の「創世記」--その第1章第1節は「初めに、神は天地を創造された。」である-- の逆綴りになっている) 。

aleph-zero
最小の超限基数 (the first transfinite cardinal)

そこで、少し気になったのは "Aleph" だ。"lines One to Aleph" と云うのは、宇宙を存在させる為のプログラムを指しているのだろう。そして、"Aleph" は、ヘブライ文字「アルファベット」の第一字であり、数学 (集合論) で可算無限基数を表わす ℵ の積もりだと推測できる ([2011-03-05 [土] 08:50: 補足] 数学の記号として正確には「可算無限基数」を表わすには、左に示したような "aleph-zero" を用いねばならない)。つまり「1行目から無限行目まで」といった意味合いだったのだろう。(神にとっては、人間にとっての「無限」と「有限」との区別は意味がないと云うことも意味している。これは後述 "aeon" についても同じことが言える。)

omega-zero
最小の超限順序数 (the first transfinite ordinal)

しかし、ℵ は「基数」(集合の「濃度」と云う言い方をすることもある)、つまり、われわれが日常生活にあって「何個」と数える仕方に対応する概念なのだ。ところが "lines One to ..." の場合、「第1行から第...行まで」と訳すこともあるように、それは、「何番目」と数える仕方に関する。こちらの方に対応する集合論上の概念は、基数とは別に存在して、それは「順序数」と呼ばれるものだ。自然数全体の集合 (整列集合) の順序数は、通常、ギリシア文字オメガの小文字 ω で表わされるから、ここは "lines One to Aleph" ではなく "lines One to omega" 又は、字面をおもんぱかるなら、"lines One to Omega" あるいは、いっそのこと "lines 1 to ω" としたほうが良かったかもしれない ([2011-03-05 [土] 08:50: 補足] 自然数全体に対応する整列順序数は、単に "omega" ではなく、左に示したように "omega-zero" を用いる書き方もある)。

それから "aeon" も要注意だろう。日本では「イオン」と言えば、スーパーマーケットグループの名称だが、欧米文化内では、古代ギリシア語 αἰών (アイオーン) 由来の時間概念で、宗教的な文脈では人間の営みを超越した「永遠にも等しい時間」を意味する。サンスクリットの「カルパ」(劫) に類似する。

あと、訳す場合に要になるのが "had" の扱いだ。アンダーラインで強調が加えられていることからも解るように、この「ストーリー」の皮肉の要だからだ。つまり、神を宇宙を創造したことを後悔して、それがかって存在したことさえも消去してしまったと云う落ちなのだから。

全体的な雰囲気は、こんな感じだろう。

そして、神は言われた:「『第1行から第無限行を消去』をロード」。「実行」。
すると、宇宙は存在を停止した。

その後、神を幾永劫か沈思され、溜め息をつかれ、付け加えられた:「抹消」。
すると、宇宙は存在したことがなくなった。

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メモ:映画 [戦艦ポチョムキン] 中の「全員は一人のために 一人は全員のために 」

このブログの記事 ["One for all, and all for one" (「一人は万人のために、万人は一人のために」) に就いて] (2007年1月30日[火]) において、

"Один за всех" "все за одного" が、Сергей Михайлович Эйзенштейн (セルゲイ・エイゼンシュテイン)の 映画 "Броненосец Потёмкин" (「戦艦ポチョムキン」)に出てくるらしいが、未確認(ただし "Battleship Potemkin: Scenario and script by Sergei Eisenstein" 参照)。
--["One for all, and all for one" (「一人は万人のために、万人は一人のために」) に就いて] (2007年1月30日[火])

と書いたが、現在 YouTube には、この映画が、以下のように8つに分割された形でアップロードされている。

  1. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 1/8
  2. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 2/8
  3. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 3/8
  4. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 4/8
  5. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 5/8
  6. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 6/8
  7. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 7/8
  8. Battleship Potemkin / Броненосец ≪Потёмкин≫ - 8/8

その「尺」は、"1" から "7" までが10分間、"8" が3分9秒で、これに対し英文版ウィキペディアの [The Battleship Potemkin] に示されている総時間は75分だから、ほぼ全体が再現されているとみなしてよいだろう。

これをザッと眺めてみると (ロシア語字幕付きサイレント映画だが、YouTube のものには字幕に英文のスーパーインポーズが付いている)、"Все за одного" (全員は一人のために) そして "ОДИН ЗА ВСЕХ" (一人は全員のために) と云う字幕が出てくるのは、"4" と "5" の丁度境目のところに1回だけだった。もうすこし厳密に言うと "4" の9分53秒あたりに "Все за одного" が 現れ、9分58秒あたりに "ОДИН" のみが現れて ("5" の0分0秒にも重複して現れる)、"5" の0分2秒に "ЗА ВСЕХ" が現れる。つまり「一人は全員のために」の方は、少し「タメ」が有るわけだ。そして、"Все за одного" が冒頭のみに大文字が使われていのに対し、"ОДИН ЗА ВСЕХ" では全てが大文字になっている。

これはなかなか面白い。この字幕処理がエイゼンシュテイン本人の通りであるかどうか (もし「だとすると」、それも「モンタージュ」の一つだろう) 私には確認する手段はないが、この「演出」は、「全員は一人のために」よりも「一人は全員のために」を明確に強調している。と言うか、踏み込んで言うなら「全員は一人のために」は「一人は全員のために」を引き出す為の「ダシ」に使われているだけだ。

その他、幾つかを備忘しておく。

  1. "1" の6分44秒あたりに "В Японии русских пленных лучше кормят, чем нас!" (日本のロシア人捕虜の方が俺達よりも良いものを食っているぜ!) と云う台詞が有る。これは、映画の中で「戦艦ポチョムキンの反乱」のキッカケとなった粗悪な料理、と言うか、その素材の「蛆虫がわいた牛肉」(実際にも、昼食のボルシチに使われた肉が腐敗していたのが始まりだったと云う) を目の前にした水兵の言葉なのだが、ポチョムキンにおける反乱の発生 (新暦1905年6月27日) が、日露戦役中、それも所謂「日本海海戦」(1905年5月27日及び28日) の直後であったことを考えあわせると、ヤヤ興味深い。
  2. "5" の1分51秒あたりで、ユダヤ人への差別的発言をした男性が周囲から袋だたきに遭っている。
  3. "5" の8分57秒あたりから、映画史上有名な「オデッサの階段」シーンが始まる。特に、「乳母車の階段落ち」シーンは "6" の4分52秒前後から。
  4. "8" の0分14秒あたりには "Все на одного" と云う字幕が現れ、0分42秒あたりには "ОДИН НА ВСЕХ" と云う字幕が現れるが、これは「ポチョムキン1隻」対「艦隊全部」を対比させた表現だろう。

YouTube 映像は取り消される可能性が有るので、私が実物を見たものではないが、ブルーレイディスク/DVD へのアマゾンリンクを貼っておく。

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メモ:"Modus Ponens" その他

以下は、現在作成中の「例の tex ファイル」に脚註として組み込んだもの (最終稿に残るかどうか不明) に、若干の補足を付け加えたものである。

現代の数理論理学に生き残っている古典論理学の推論規則に "Modus Ponens" と云うものがある。「『AならばBである』が成り立っている時に、更に『Aである』が成り立っているなら『Bである』が成り立つ」と云うものだ。

三段論法ならぬ 1.5段論法ぐらいの基本的推論規則だが、この "Modus Ponens" ("MP" と約されることもある) は、ラテン語の "modus ponendo ponens" に拠っている。

そのうち、男性名詞 (単数主格形) "modus" は「尺度」の意味から「基準」・「規則」・「方法」・「様式」を意味するようになった言葉で、ここでは「方法」又は「様式」の意味だろう。英語の "mode" の語源。

"ponendo" は、「脇に置く」から「設置する」・「断言する」・「提言する」・「肯定する」を意味するようになった動詞 "pono" (能動相直説法現在単数形。不定形は "ponere"。英語 "position, positive" の語源) の Gerundium (大雑把に言えば「動名詞」) の単数奪格。奪格は、この場合「手段」を含意して「肯定することにより」ぐらいの色彩を帯びさせる。"ponens" は同じく動詞 "pono" の能動現在分詞で、"modus" を形容詞的に修飾して「肯定する方法」と云う意味を形作る。当然男性単数主格形。

全体の意味としては「(Aを) 肯定することにより (Bを) 肯定する方法」になる。

この外に、ラテン語で表わされる推論規則としては、"MT" と約されることがある "Modus Tollens" (詳しくは "modus tollendo tollens") もそうで、「『AならばBである』が成り立っている時に、更に『Bではない』が成り立っているなら『Aではない』が成り立つ」と云うないようである。

ここで "tollend" は、「持ち上げる」から、「受容する」・「載せる」の他に「取り消す」・「否定する」を意味する動詞 "tollo" (能動相直説法現在単数形。不定形は "tollere") のGerundiumの単数奪格で「否定することにより」ぐらいになる。 "tollens" は動詞 "tollo" の能動現在分詞 (男性単数主格形) で、やはり "modus" を形容詞的に修飾して「否定する方法」と云う意味になる

全体としては「(Bを) 否定することにより (Aを) 否定する方法」である。

ちなみに日本語版ウィキペディアの [モーダストレンス] の項で、「モーダストレンス(英: Modus ponendo tollens, MT)は・・・」としているは誤り。"Modus ponendo tollens" と "modus tollendo tollens" は別のものである。

では "Modus ponendo tollens" はどのようなものかと謂うと、「『Aであり、且つBである』ことがあり得ない時、更に『Aである』が成り立っているなら『Bではない』が成り立つ」と云う内容である。つまり「(Aを) 肯定することにより (Bを) 否定する方法」 である。

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「水は命だ」をオランダ語で言うと...

本日四更 (2011/02/04 01:56)、キーフレーズ [水は命だ in het nederlands] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

単純に "water is leven" ではいけないのだろうか?

water is leven
(2011-02-15 [火] 10:00: 後ればせながら、日本語ネイチブでない方が、日本語の「水は命だ」のオランダ語訳を求めていらっしゃる可能性があることに気付いたので、この画像を補足しておく。)

どうも質問の趣旨が腑に落ちないのは、生ログのデータを見る限り、訪問者はベルギーのオランダ語圏に在住の方らしく見える。当然 "water is leven" 程度のオランダ語表現は、日常的に接していらっしゃるようにも思えるのだ。(2011年2月4日16時過ぎ訂正。ユーザエージェント、つまり、ブラウザの指定言語はオランダ語なのだが、それでも、オランダ語圏に在住されているとは限らないことに気が付いた。とは言え、ベルギー国内なら、オランダ語に接する機会はそれなりにあるだろうから、一応この部分は残しておく。)

ただ "Water is leven" と云うオランダ人画家 Henk Hofstra による芸術プロジェクトがあるらしく、こんなことをしていて、それと関係があるのかもしれないとも思ったりする。

それから Flickr には、"005 Water is leven - L'eau, c'est la vie" と云う写真があった。アントウェルペン (Antwerpen) (ベルギー第2の都市。日本ではシバシバ「アントワープ」と呼ばれる) 動物園 (ZOO Antwerpen) で何かのイヴェントがあったのだろうけれども、詳細は不明。

なお、"Water is Life" と云うと、世界の水資源問題が語られる時の定番のスローガン。

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