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2011年1月の1件の記事

Bourbaki "Théorie des ensembles" (ブルバキ「集合論」) 中のささやかな誤植

ここ暫くは、再帰関数 (「岩波数学辞典第4版」の「118 計算可能関数 D 再帰的部分関数」の項に出で来る \mu 演算の定義とも説明ともつかない、何か肝腎なところが抜けいてるか、間違っているかしている感じの記述には困った) から、1階述語論理系や集合論のお勉強をしているのだが、久しぶりにブルバキの [集合論] を読み直して (以前にしろ今回にしろ拾い読みなのだが)、そう言えば以前読んだ時に「\tau 記号」と云うのが「解らなかった」ことを思い出した。

劫を経た所為か、と言うか、先だって、ラッセル+ホワイトヘッドの「逆さイオタ」に就いて調べたからだろうが、今回は「解る」 (つまり、字面の意味ではなくて、全体的な流れの中で、どのような意図の下で使われているかが「解る」)。

そうこうしているうち、以前読んだ時に、私の頭が一番混乱した箇所に行き当たった。それは [歴史覚え書き] の脚註で、

ヒルベルトがその場所で \tau_{x}(\mathrm{A}) と書いてあることは, 本書の第1章では \tau_{x}(\mathrm{non\,A}) と書いてある.
--[ブルバキ 数学原論 集合論3] (担当訳者: 田中尚夫・村田 全。東京図書 1969年) p.53
ただ、[歴史覚え書き] だから、担当は村田さんだろう。

と云うところだ。当時はヒルベルトの原論文をチェックすることが出来なかったので、そのままで考えて、暫く頭の上に疑問符が花盛りになった後、理解するのを諦めたのだが、今ではネット上で調べることができる。そして、その結果は、例の如く、私の頭の悪さを証明するものだった。

単に \tau_{x}(\mathrm{A}) が、\tau_{x}(\bar{\mathrm{A}}) の誤植だった、つまり、本来は 「\mathrm{A}」 そのものではなく「 \mathrm{A} の否定 」だっただけのことなのだ。そして、文脈を考えるなら、それ以外の理解の仕方はありえず、読んだら直に気が付くべきことだった。

当時の私が、命題式 \mathrm{A} の否定を \bar{\mathrm{A}} と記す流儀を知っていたかどうか記憶が定かではない。しかし、どちらにしろ、私が「しょーもない」勘違いをしてしまったことだけは確かだ (過去の事は過去の事としても、今回は、ヒルベルトの論文搜しをする前に気が付けよ、と、自分に言いたい)。

ブルバキが、論理学の記号としてナマのフランス語を使ったことを弁解しているだけなのに、何か数学・論理学上の技法への言及であるかと思いこんだのだ。

なお、グーグルブックスに収められている "Theorie Des Ensembles (N. Bourbaki) p.43" を見ると、この誤植は原著由来のものであったことが分かる (この下に埋めたフレームに該当ページを嵌めておいた)。

On prendra garde que ce que Hilbert désigne par \tau_{x}(\mathrm{A}) à cet endroit est noté \tau_{x}(\mathrm{non\,A}) au chap. I.
そこでヒルベルトが \tau_{x}(\mathrm{A}) と表わしているものを、本書第I章では \tau_{x}(\mathrm{non\,A}) と書いてあることに留意されたい。

「そこで」の「そこ」は、この脚註が言及しているヒルベルトの著作集 (Hilbert "Gesammelte Abhandlungen") 第3巻第183ページのこと。

以下は、[ブルバキ 集合論第3巻]以外の「集合論」。「第4巻」とは「要約」のことではないかと思うが未確認。

ヒルベルト著作集のリプリント版へのアマゾン(米)リンクも貼っておく。確証は無いが、これがブルバキが言及しているものだろう。ただしその後、著作集の第2版が出ている (1970年)。

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