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メモ:竹内外史 [層・圏・トポス] 中のウッカリミス

例の [tex ファイル] (現在、680KB+) の材料になるかと思って、竹内外史 [層・圏・トポス] (日本評論社 1978年1月20日) を引っ張り出して拾い読みしてみたのだ、気がついたことがあったので書いておく (鉛筆の書き込みからして、以前通読している筈だが、その時は見落としていたようだ)。ただし、出版されてから30年以上経っているから既に周知化しているかもしれない。だったとしたら、黙殺もしくは笑殺していただきたい。

竹内さんは、部分圏についての limit と colimit (「極限」と「余極限」) に就いて説明し、その後、「米田のレンマ」の証明と「随伴関手」の導入をしてから、こう書いている (p.81/第2章5)。

さて前に\mathscr{C}の部分圏\mathscr{D}に対して\lim\limits_{\leftarrow}{\mathscr{D}}および\lim\limits_{\rightarrow}{\mathscr{D}}を定義したが, ここでこの定義を形式的にちょっとばかり広げておこう. 以下に\mathscr{D}は任意の圏として必ずしも\mathscr{C}の部分圏ではないとする. すなわち一般には\mathscr{D}\mathscr{C}の外にあるものとして,

\xymatrix{
\mathscr{D} \ar[r]^{D} & \mathscr{C}
}

\mathscr{D}から\mathscr{C}への関手とする. このとき\mathscr{D}^{\prime}\mathscr{D}Dによる像とすれば\mathscr{D}^{\prime}は明らかに\mathscr{C}の部分圏になっている.
--竹内外史 [層・圏・トポス] (日本評論社 1978年1月20日) p.81

今回は拾い読みしただけなので、別のところの注記を見落としている可能性もあるわけだが (しかし、おそらく、そうしたものは無いと思う)、もっとありそうなことは、竹内さんがここでウッカリミスをしたのだろうと言うことだ。実際、一般的に、関手による圏の「像」は圏にはならないので、以下のように簡単に反例が作れる。

まず圏\mathscr{C}を次のようなものとする

  1. 対象: 3つの要素A, B, Cとからなる。
  2. 射: 恒等射以外ではAからBへの射はaただ1つである。BからCへの射はbただ1つである。AからCへの射はc=b\circ aただ1つである。

次に圏\mathscr{D}を次のように構成する。

  1. 対象: 4つの要素D, D^{\prime}, E, E^{\prime}からなる。
  2. 射: 恒等射以外ではDからD^{\prime}へのdと、EからE^{\prime}へのeのみである。

ここで関手F (紛らわしいので、関手の記号としてはDではなくFを用いる) を

  1. 対象の対応:F(D)=A,\ F(D^{\prime})=B,\ F(E)=B,\ F(E^{\prime})=C
  2. 射の対応:F(d)=a,\ F(e)=b

とすると、これは確かに関手になっている。

しかし関手Fによる圏\mathscr{D}の「像」\mathscr{D}^{\prime}は圏にはならない。なぜならe\circ dが存在しない以上、F(e)\circ F(d) = F(e\circ d)も存在し得ないからである (つまりc=b\circ aは、Fの「像」\mathscr{D}^{\prime}には含まれない)。

上記の議論から直に分かるように、\mathscr{C}における異なる対象のFによる像が一致することが「悪さ」をしているのだ。実際、簡単に確認できるように、異なる対象を異なる対象に移すような関手ならば、その像は圏になる。

(関手は、単純な集合間の対応ではないから、それに「単射」とか「全射」とか云う用語を用いるべきではないと私は思っているが、そう断わっておいてから言うなら) つまり、関手が対象間の対応について「単射的」である場合には、それによる圏の「像」は圏になる (部分圏と云うトリビアルな例では、問題の関手は包含関手であって、言うまでもないが「単射的」になっている)。

しかし、これは「像」が圏になる十分条件であって、必要条件ではない。例えば、「定値関手」(定義域側の全ての対象に対して値域側の単一の対象を対応させ、定義域側の全ての射に対して、値域側の値である単一対象の恒等射を対応させる関手) は、定義域側の圏がただ1つの対象からなっているのでない限り、対象に関して「単射的」ではないが (と言うか、「単射的」とは逆の対極にあるが)、それでも、当然の事ながら「像」は圏になる。

興味深いことに、と言うか、ある意味自然な成り行きだったのだろうが、[層・圏・トポス] において、上記の問題箇所の直後に、定値関手と極限及び余極限が随伴関係にあることが説明されている (p.82-p.83)。

つまり、\mathscr{D}から\mathscr{C}への関手全体が作る圏を\mathscr{C}^{\mathscr{D}}と表わし、\mathscr{D}から\mathscr{C}の或る対象Xへの定値関手を\Delta{X}と表わし、更に関手Fに関する極限及び余極限をそれぞれ\lim_{\leftarrow\mathscr{D}}{F}及び\lim_{\rightarrow\mathscr{D}}{F}と書くなら


\mathscr{C}^{\mathscr{D}}(\Delta{X},F) \cong \mathscr{C}(X,\lim_{\leftarrow\mathscr{D}}{F})
\mathscr{C}^{\mathscr{D}}(F,\Delta{X}) \cong \mathscr{C}(\lim_{\rightarrow\mathscr{D}}{F},X)

が成り立っているのである (ただし\mathscr{C}(-,-)及び\mathscr{C}^{\mathscr{D}}(-,-)は、それぞれ\mathscr{C}^{\mathscr{D}}及び\mathscr{C}における、2つの対象間の射のなす集合)。

以前読んだ時に気が付かなかった私が言うのも可笑しいが、その議論を見るなら、極限や余極限の存在のためには、関手 ([層・圏・トポス] の記号ではD、このポストの記号ではF) の「像」が圏をなしている必要は無いことは明らかである (私のような「間抜けな奴」の場合を除くが)。

勿論、極限や余極限の存在には、何からの圏が構成されている必要はある訣だが、それは関手の「像」ではなくて、関手の「像」と、関手の値域の対象と、それらの間の射が作る圏、つまり所謂「コンマ圏」なのだ (ヨリ具体的には、「錐 (cone)」又は、「錐」の双対 -- 所謂「余錐 (cocone)」は、厳密には「錐」の双対ではない、と云うのが私の立場なので、こう書いておく)」を対象するような圏)。しかし、そうした話をしだすとキリがないので、ホンのメモ代わりであるこのポストの趣旨に馴染まないから止めておく。

ついでに書いておくと [層・圏・トポス]で

  • p.75の下から7行め「関数になっているか」は「関数になっているが」ぐらいにした方が良いだろう。
  • p.118 の「引き戻し (pullback)」中のE\times_A AE\times_A Xに改めるべきだろう。

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