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「画龍点睛」の出典と訳

ちなみに、「画龍点睛」( 「画竜点睛」) の出典とされいてるのは、通常、唐の張彦遠(音読みすると「チョウゲンエン」) の著わした「歴代名画記」第7巻所収の画家「張僧繇」(「チョウソウヨウ) の逸事である。

「歴代名画記」は翻訳されて、岩波文庫や東洋文庫に収められているようだが、私は未見。

そこで、ネットを探して見つかった [为学网] 中の資料 [《历代名画记》 唐·张彦远(7)] から、[張僧繇] 部分を転記する:

张僧繇(上品中),吴中人也。天监中,为武陵王国侍郎、直秘阁知画事,历右军将军、吴兴太守。武帝崇饰佛寺,多命僧繇画之。时诸王在外,武帝思之,遣僧繇乘传写貌,对之如面也。江陵天皇寺,明帝置。内有柏堂,僧繇画卢舍那佛像及仲尼十哲。帝怪问释门内如何画孔圣,僧繇曰:“后当赖此耳。”及后周灭佛法,焚天下寺塔,独以此殿有宣尼像,乃不令毁拆。又金陵安乐寺四白龙不点眼睛,每云点睛即飞去,人以为妄诞,固请点之。须臾,雷电破壁,两龙乘云腾去上天,二龙未点眼者见在。初吴曹不兴图青溪龙,僧繇见而鄙之,乃广其像于武帝龙泉亭。其画草留在秘阁,时未之重,至太清中震龙泉亭,遂失其壁,方知神妙。又画天竺二胡僧,因侯景乱散坼为二,后一僧为唐右常侍陆坚所宝。坚疾笃,梦一胡僧告云:“我有同侣,离坼多时,今在洛阳李家。若求合之,当以法力助君。”陆以钱帛果于其后购得,疾乃愈。刘长卿为记述其事。张画所有灵感,不可具记。(彦远家有僧繇定光如来像,元和中进入内,曾见维摩诘并二菩萨,妙极者也)姚最云:“善图寺壁,超越群公。价等昙度,朝衣野服,古今不失,奇形异貌,殊方夷夏,皆参其妙。唯公及私,手不释笔,俾画作夜,未尝倦怠。数纪之内,无须臾之闲。然圣贤晒曞,犹乏神气。岂可求备于一人?虽云晚出,殆亚前哲。在沈粲下。”(彦远以此评最谬)李嗣真云:“顾陆已往,郁为冠冕。盛称后叶,独有僧繇。今之学者,望其尘躅,如周、孔焉。何寺塔之云乎?且顾、陆人物衣冠,信称绝作,未睹其余。至于张公骨气奇伟,师模宏远,岂唯六法精备?实亦万类皆妙。千变万化,诡状殊形,经诸目,运诸掌,得之心,应之手。意者,天降圣人为后生,则何以制作之妙拟于阴阳者乎?请与顾陆同居上品。张怀梐云:“姚最称:‘虽云后生,殆亚前品’。未为知音之言。且张公思若涌泉,取资天造,笔纸一二而像已应焉。周材取之,今古独立。象人之妙,张得其肉,陆得其骨,顾得其神。”(《清溪官水怪图》、《吴王格虎图》、《维摩诘像》、《横泉闻龙图》、《昆明二龙图》、《行道天王图》、《汉代射蛟图》、《杂人马兵刀图》、《朱异像》、《羊仁跃马图》、《摩衲仙人图》、《梁北郊图》、《梁武帝像》、《梁宫人射雉图》、《定光佛像》、《醉僧图》、《田舍舞图》、《咏梅图》并传于代者也)
--唐·張彦遠 [歴代名画記] 第7巻 [張僧繇]

中国の故事成句とは言え、以下は日本人にとっても、少なくともかっては高校生レベルの漢文知識なんだが、一応書いておくと、「画竜点睛」に係るのは「又金陵安乐寺四白龙不点眼睛,每云点睛即飞去,人以为妄诞,固请点之。须臾,雷电破壁,两龙乘云腾去上天,二龙未点眼者见在。」である。

簡体字だと分かりづらいか。。。日本の「新字体」にすると:

又金陵安楽寺四白竜不点眼睛,毎云点睛即飛去,人以為妄誕,固請点之。須臾,雷電破壁,両竜乗雲騰去上天,二竜未点眼者見在。
又、金陵の安楽寺の (壁に描いた) 四匹の白竜の眼には瞳を描き入れなかった。そして、常々、もし瞳を描き込んだら竜はすぐに飛び去ってしまうのだと言っていた。人々は、それをホラ話だと見做して、無理に描き込ませたところ、しばらくして、カミナリが鳴り響き、イナヅマが光って、壁が壊れると、二匹の竜が雲に乗って天空へと飛び去ってしまった。瞳を描き込まれなかった二匹は、現存している。

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