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メモ:「泉声」の語義 (「百谷泉声」に関連して)

20日夜 (2009/08/20 22:18:31)、キーフレーズ [百谷泉声の意味] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

「百谷泉声」と云うと、素直に読み下すかぎり「百谷の泉声」として、その意味は「百の渓谷には泉から湧き出る水の音 (がする)」ぐらいだろうという気がしたが (勿論「百」は「数が多い」たとえ)、こうした文の「読み下し」と「意味」は、文脈によって可成異なってくるのは当然で、それどころか、私のように無学なものは、文脈をチェックしないと、トンでもない間違いをしでかしがちである。

と云う訣で、取り敢えず「"百谷泉声"」で google 検索してみると、書道教室の「お題」がらみで何件かヒットするのだが、その他に、中国語サイトで、[中华古诗文网] (中華古詩文網) 中の [全唐诗逸] のページがヒットした。

この [全唐詩逸] は日本国内の出版である。唐詩を網羅すべく編纂された [全唐詩] に、残念というべきだろうが、同時に当然ともいえる遺漏の詩句を、市河寛斎が全三巻に纏めたものだ。1804年 (文化元年) 刊。

この [中华古诗文网] によるなら「百谷泉声」は、[贺兰暹 (賀蘭暹)] 作の断片11句の内の一つ:

千峰黛色因晴出 百谷泉声欲暮寒

に含まれる。

元元は、「望太宝山」(「太宝山を望む」だろう) と云う詩の一句だそうな。

で、この読み下しなのだが、実は [全唐詩逸] は、その影印の pdf が、[うわづらをblogで] と云うブログサイトに掲載されている (全唐詩逸.pdf)。それに曰わく:

千峰黛色因晴出
百谷泉聲欲暮寒
千峰の黛色 晴に因って出で
百谷の泉聲 暮なんと欲して寒し

素直な読み下しで、私としても異論はない。これで、「一件落着」と思ったのだが、実は、そうではなかった。

一応、作者の [賀蘭暹] と、題にある [太宝山] の情報を補足しておこうと調べ始めたところ、いつものことながら、ジタバタ騒ぎをする羽目になったのだったのだ。

作者の [賀蘭暹] は、ネットを検索してもはかばかしいデータを得られなっかったが、彼は、氏名と詩断片とのみならば、日本で古くから知られていた詩人だったらしい。何故なら [和漢朗詠集] に、次の2句が見られるからだ (実は、この2句も [全唐詩逸] に収められている。と云うか、むしろ [全唐詩逸] の方が、[和漢朗詠集] から引用したのだろう):

黛色迥臨蒼海上。
泉声遥落白雲中。

(百丈山)
黛色迥(はる)かに 蒼海の上に臨み
泉声遥(はる)かに 白雲の中(うち)に落つ

--[和漢朗詠集 巻下]491「山」
秋水未鳴遊女佩。
寒雲空満望夫山。

(寄所思佳人)
秋水 未だ遊女の佩を鳴らさず
寒雲 空しく望夫の山に満つ

--[和漢朗詠集 巻下]718「遊女」

ここで、私は戸惑ってしまった。[百丈山] の句「黛色迥臨蒼海上。泉声遥落白雲中。」にも「泉声」の語句があるが、これは「泉から湧き出る水の音」と云う解釈には馴染まない(「[全唐詩逸] を覗いた時に気が付けよ」と、自分でも思うのだが、事ほど左様に私は迂闊だと云うことだとでも言うしかない)。

実際、[和漢朗詠集] の通常の注釈では、この「泉」を「滝」と解しているようだ。うーむ。「滝」....

「滝」と言っても、色色で、ナイアガラ瀑布と云ったものは、別範疇として除外するにしても、全てが [華厳の滝] や [那智の滝] のようなものばかりとは限るまいから、あまりこだわる必要はないのかもしれないのだが、「泉」を「滝」とするのにも抵抗を感じたのだ (勿論、ここで言う「滝」とは、日本語の「タキ」のことである。この「滝」を「タキ」の意味に使う用法は、日本独特らしい)。

つまり、私は、「泉声遥落白雲中」や、更に遡って「百谷泉声欲暮寒」の「泉」が、日本語で云う「イヅミ」と解釈するのには問題があることに気付いたものの、それを「タキ」と捉えることにも抵抗を感じたのだった。

「泉」の釈義は、ひとまず措いておくとして、改めて感じなおして見ると、私にとり、この「泉声」の情景としてしっくりするのは、川の最上流部で、流れが速く、水音が確かに聞こえてくると云うものだった (水量の多寡に就いては、どちらでもありうるだろうから、判断を保留しておく)。

と、ここまで考えて、日本語でも、少なくとも、古くは、そうした流れを「タキ」と呼んでいたことに気が付いた。「瀬を早み岩にせかるる滝川の」とは、まさにそうした情景である。コレまた迂闊なことではあった。

話の纏まりが悪くて申しわけない。混乱を避けるために言い直すと、「タキ」と云う表現や概念を排除しないものの、私には、この「泉」が、何よりも「(川の上流部の) 早瀬」のようなものに思えるのだ。

だから、王維の [過香積寺 (香積寺を過る)]
不知香積寺  知らず 香積寺(こうしゃくじ)
數里入雲峯  数里 雲峰に入る
古木無人徑  古木 人径無し
深山何處鐘  深山 何処の鐘ぞ
泉聲咽危石  泉声 危石に咽ぶ
日色冷青松  日色 青松に冷やかなり
薄暮空譚曲  薄暮 空譚の曲
安禪制毒龍  安禅 毒竜を制す
--王維 [過香積寺] (岩波文庫 [王維詩集] 岩波書店。東京 1972年。p.152)

においても、「泉聲咽危石」は「きりたつ岩にむせぶ泉の音」(岩波文庫 p.153) と解釈するより「切り立つ岩に早瀬が当たってむせんでいる」とした方が良いように思える。

こうした機微は、江戸時代の漢詩人には、皮膚感覚として理解されていたのかもしれない。菅茶山が、其の死 (1827年) の数日前に詠じたという [病中即事] には

月露秋容嫩  月露 秋容嫩く
風軒暮色敷  風軒 暮色敷く
少間離病蓐  しばし病蓐を離れ
俄頃隠書梧  いささか書梧に隠(よ)る
幽澗泉声小  幽澗 泉声小にして
遙村火影孤  遙村 火影孤なり
従茲経幾日  これより幾日を経べし
転惜此宵徂  転た惜し 此の宵の徂くを
--病中即事

とあるそうだが、この「幽澗泉声小」は、人気(ひとけ)の無い谷川に水が音低く流れていることを描いているのだろう。

[太宝山] は未詳。所謂 [嵩山] は、かって [太宝山] と呼ばれたことがあったらしいが (「嵩山 (SongShan):中国五岳之一。春秋前称太宝山」--地理教師网)、賀蘭暹の詩との関係は何とも言えない。

一応、纏めるならば、「百谷泉聲」とは、「(太宝山の峰峰の合間あいまの)数多くの谷のそれぞれから聞こえてくる早瀬の水音」と謂ったところか。

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