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2008年12月の2件の記事

Cymbeline (シンベリン) の一節

本日0時過ぎ (2008/12/30 00:14:00)、キーフレーズ [WAS I AS A TREE WHOSE BOUGHS DID BEND WITH FRUIT 日本語訳] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだが、ここに限らず、はかばかしい結果は得られなかったのではないか。

しかし、「日本語訳」を取り除いて、英語部分を double quotation marks で囲って "WAS I AS A TREE WHOSE BOUGHS DID BEND WITH FRUIT" で検索すれば、シェークスピアの戯曲「シンベリン/Cymbeline」第3幕第3場の一節 (BELARIUS の科白) であることがスグに知れる。

BELARIUS

How you speak!
Did you but know the city's usuries
And felt them knowingly; the art o' the court
As hard to leave as keep; whose top to climb
Is certain falling, or so slippery that
The fear's as bad as falling; the toil o' the war,
A pain that only seems to seek out danger
I' the name of fame and honour; which dies i'
the search,
And hath as oft a slanderous epitaph
As record of fair act; nay, many times,
Doth ill deserve by doing well; what's worse,
Must court'sy at the censure:--O boys, this story
The world may read in me: my body's mark'd
With Roman swords, and my report was once
First with the best of note: Cymbeline loved me,
And when a soldier was the theme, my name
Was not far off: then was I as a tree
Whose boughs did bend with fruit
: but in one night,
A storm or robbery, call it what you will,
Shook down my mellow hangings, nay, my leaves,
And left me bare to weather.
--The Complete Works of William-Shakespeare > Cymbeline - Act 3, Scene 3">

Wikisource 版 (The Tragedy of Cymbeline) もある。

これを見ると、"was I as a tree whose boughs did bend with fruit" の前に、 "then" を付けないと文章として完結しないことが分かる。「当時は」・「かっては」は自分も栄華を誇ったものだったと云う意味合いだから、昔を偲ぶ感情が下敷きなっているので、時間への言及は重要である。そして、強調のためばかりではないだろうが、とにかく "then" が冒頭におかれた結果として "was" が引き摺られて "I" と倒置されたのだ。

"as" の語感は微妙だが、「(当時こそは) そのようなものであった」と云ったところだろうか。


ちなみに、小田島雄志は次のように訳している。

そのころのおれは
枝もたわわに実をつけた木であった
--白水社 u ブックス「シンベリン」ウィリアム・シェイクスピア (小田島雄志 訳) 1983年 東京 白水社 p.103

小田島訳に、ほぼ異論はない。前後の科白の流れを考慮するなら、こう訳した方が良いだろうことを認めつつ、しかし、この文章単独なら、私は「そのころのおれは」ではなくて「そのころはおれも」としたい。

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[nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出] の URL (所謂「固定リンク」) に就いて

先日、本ブログの [nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出] (2007年9月30日[日]) に、[nouse: ホロノミー (holonomy) としてのサニャック効果 (Sagnac effect): 物理篇 ] (2008年11月 8日[土]) へのリンクを補足して、保存しなおしたところ、記事の URL (所謂「固定リンク」) が変わってしまった。

具体的には、ファイル名が "post_4f1e.html" から "post-4f1e.html" に変えられていたのだ。

「事故を防ぐ」と云う観点から、投稿記事の URL をココログが独自の方針で割り当てるのは、ある程度理解できる。しかし、一旦割り振った URL を変えてしまってどうするのだ。ファイルシステムが成立しないではないか。作成したファイルの内容の自己同一性を担保するのは、「公序良俗に反しない限り」投稿者 (厳密には「著作者」だが表見的には「投稿者」である) のみの責任であるとともに、投稿者のみの権利である (これは著作者人格権に関わる)。そして、同一の URL は、ファイルの内容の自己同一性の基本的な表示なのだ。

このブログ中の既存記事には [nouse: 一般相対論によるサニャック効果の導出] へのリンクを張ったものが複数存在する。それは現在リンク切れの状態になっている。しかし、リンクを張りなおしすと、リンク元の記事自体の URL が変わってしまう可能性があるので迂闊に手を出せない。

また、検索エンジンでも、古い方の記事にヒットした場合はリンク切れになっている。

ココログスタッフの猛省を促したい。

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