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「フォースのともにあらんことを」と「神ともにいまして」

[nouse: "May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと] (2008年3月27日[木]) での補足や [nouse: 『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合] (2008年3月27日[木]) での補足で書いたように、「フォースのともにあらんことを」をヘブライ語で言うとしたら、取り敢えずは "יהיה הכוח אתכם" や "יהי הכוח אתכם" そして、更に "יהי הכוח עמך" ぐらいになるのだろう。

しかし、[nouse: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] や [nouse: 『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合] (2008年3月27日[木]) で論じたように、この "הכוח" (「(ザ・)フォース」) は "יהוה" (「神」) の「隠れ蓑」と考えることができる。

とすれば、これを置き換えるとどうなるか、と私が考えてみたのは当然の成り行きだろう。そうすると、次のようになる:

  • יהיה יהוה אתכם

  • יהי יהוה אתכם

  • יהי יהוה עמך

この内、最初の二つはネットで検索してもはかばかしい結果は得られないのだが、3番目の יהי יהוה עמך は、無慮2ダースほどヒットするのだな。その内容をいちいち細かく見なかったが、ざっと眺めた所、結局考慮すべきなのは1件だけらしい。それは [歴代誌上]第22章第11節 である。「なんだ」と言われそうで困るのだが (というか、私自身が「なんだ」と思ったのだから世話はないのだが)、これは [nouse: "May the Force be with you."に就いて (2004年8月6日[金]] 中の「宿題」で所在を書き留めておいた 「旧約 [出エジプト] 10:10; [ヨシュア] 1:17 ; [歴代誌 上] 22:11」と「新約 [テサロニケ 2] 3:16 」の内のひとつである:

עַתָּה בְנִי, יְהִי יְהוָה עִמָּךְ; וְהִצְלַחְתָּ, וּבָנִיתָ בֵּית יְהוָה אֱלֹהֶיךָ, כַּאֲשֶׁר, דִּבֶּר עָלֶיךָ.
--דברי הימים א פרק כב יא
わたしの子よ。今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。
--新共同訳聖書 [歴代誌上]22:11

行き掛かり上、他のものも引用しておこう。まず旧約聖書の他の2つのパラグラフは:

וַיֹּאמֶר אֲלֵהֶם, יְהִי כֵן יְהוָה עִמָּכֶם, כַּאֲשֶׁר אֲשַׁלַּח אֶתְכֶם, וְאֶת-טַפְּכֶם; רְאוּ, כִּי רָעָה נֶגֶד פְּנֵיכֶם.
--שמות י י
ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときには、主がお前たちとともにおられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。...」
新共同訳聖書 [出エジプト記]10:10

これが検索でヒットしなかったのは、間に「よろしい」(כֵן) が入っていたのと、対象が「お前たち」(עִמָּכֶם) と複数だったためだろう。

כְּכֹל אֲשֶׁר-שָׁמַעְנוּ אֶל-מֹשֶׁה, כֵּן נִשְׁמַע אֵלֶיךָ: רַק יִהְיֶה יְהוָה אֱלֹהֶיךָ, עִמָּךְ, כַּאֲשֶׁר הָיָה, עִם-מֹשֶׁה.
--יְהוֹשֻעַ בִּן נוּן א יז
我々はモーセに従ったように、あなたに従います。どうか、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。
新共同訳聖書 [ヨシュア記]1:17

これが検索でヒットしなかったのは、動詞2通り、前置詞2通りで、全部で4通りあるのに、3通りしか検索しなかったためというより、「あなたの神、主」(יְהוָה אֱלֹהֶיךָ) と云う形まで検索の手を拡げなっかったせいが大きかったと思う。

新約聖書の方は、以下の通り:

Αὐτὸς δὲ ὁ κύριος τῆς εἰρήνης δῴη ὑμῖν τὴν εἰρήνην διὰ παντὸς ἐν παντὶ τρόπῳ. ὁ κύριος μετὰ πάντων ὑμῶν.
--ΘΕΣΣΑΛΟΝΙΚΕΙΣ Β΄ 3:16
どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。
--新共同訳聖書 [テサロニケの信徒への手紙 二]3:16

こう並べてくると、語法が異なるものの、所謂「ヤコブの夢」中のヤハウェの約束と、それに応えた「ヤコブの誓願」も引用したくなる:

וְהִנֵּה אָנֹכִי עִמָּךְ, וּשְׁמַרְתִּיךָ בְּכֹל אֲשֶׁר-תֵּלֵךְ, וַהֲשִׁבֹתִיךָ, אֶל-הָאֲדָמָה הַזֹּאת: כִּי, לֹא אֶעֱזָבְךָ, עַד אֲשֶׁר אִם-עָשִׂיתִי, אֵת אֲשֶׁר-דִּבַּרְתִּי לָךְ.
--בראשית כח כ - כח טו
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地へ連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない 。
--新共同訳聖書 [創世記]28:15
וַיִּדַּר יַעֲקֹב, נֶדֶר לֵאמֹר: אִם-יִהְיֶה אֱלֹהִים עִמָּדִי, וּשְׁמָרַנִי בַּדֶּרֶךְ הַזֶּה אֲשֶׁר אָנֹכִי הוֹלֵךְ, וְנָתַן-לִי לֶחֶם לֶאֱכֹל, וּבֶגֶד לִלְבֹּשׁ.
וְשַׁבְתִּי בְשָׁלוֹם, אֶל-בֵּית אָבִי; וְהָיָה יְהוָה לִי, לֵאלֹהִים.
וְהָאֶבֶן הַזֹּאת, אֲשֶׁר-שַׂמְתִּי מַצֵּבָה--יִהְיֶה, בֵּית אֱלֹהִים; וְכֹל אֲשֶׁר תִּתֶּן-לִי, עַשֵּׂר אֲעַשְּׂרֶנּוּ לָךְ.
--בראשית כח כ - כח כב
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。
「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る者を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
--新共同訳聖書 [創世記]28:20-28:22

(一応注意しておくと、「わたしはあなたと共にいる」は "אָנֹכִי עִמָּךְ" で、「神がわたしと共におられ」は "אֱלֹהִים עִמָּדִי" だから、この記事で問題にしている文型とは異なっている。)

しかし、「共にある」と云うヤハウェの本質属性を語るなら、モーセの召命におけるヤハウェ自身の言葉を逸するわけにはいかないだろう:

וַיֹּאמֶר מֹשֶׁה, אֶל-הָאֱלֹהִים, מִי אָנֹכִי, כִּי אֵלֵךְ אֶל-פַּרְעֹה; וְכִי אוֹצִיא אֶת-בְּנֵי יִשְׂרָאֵל, מִמִּצְרָיִם.
וַיֹּאמֶר, כִּי-אֶהְיֶה עִמָּךְ, וְזֶה-לְּךָ הָאוֹת, כִּי אָנֹכִי שְׁלַחְתִּיךָ: בְּהוֹצִיאֲךָ אֶת-הָעָם, מִמִּצְרַיִם, תַּעַבְדוּן אֶת-הָאֱלֹהִים, עַל הָהָר הַזֶּה.
--שמות ג יא - ג יב
モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
--新共同訳聖書 [出エジプト記]3:11-3:12

(「わたしは必ずあなたと共にいる。」は "אֶהְיֶה עִמָּךְ"。)

さらに言うなら、「ある」こそヤハウェの自己規定であった:

וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים אֶל-מֹשֶׁה, אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה; וַיֹּאמֶר, כֹּה תֹאמַר לִבְנֵי יִשְׂרָאֵל, אֶהְיֶה, שְׁלָחַנִי אֲלֵיכֶם.
--שמות ג יד
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うが良い。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
--新共同訳聖書 [出エジプト記]3:14

(「わたしはある。わたしはあるという者だ」--若干微妙な訳だが--は、"אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה"。注:少なくとも、私のブラウザではこの文は語順が正しく表示されない。ブラウザの所為というより、ココログ側の不備だろうけれども。)


ただし最後に、ミスリードを防ぐ為に、「神ともにいませ」が旅に出る者への別れの挨拶としてや、それを敷衍した書簡の結びの文句としてだけ使われるのでなく、語形が若干異なる (つまり「神ともにいませ」よりも「神ともにいます」と取れる) ものの、旅人がその土地で出会った相手の発する例もあることを注意しておいても良かろう:

וְהִנֵּה-בֹעַז, בָּא מִבֵּית לֶחֶם, וַיֹּאמֶר לַקּוֹצְרִים, יְהוָה עִמָּכֶם; וַיֹּאמְרוּ לוֹ, יְבָרֶכְךָ יְהוָה.
--רות ב ד
ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」と言うと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。
--新共同訳聖書 [ルツ記]2:4

(「主があなたたちと共におられますように」は "יְהוָה עִמָּכֶם"。)

このほか、幾つか参考になるかも知れない「聖句」の所在を記録しておく:

    旧約聖書
  1. [民数記]14:43「行く手にはアマレク人とカナン人がいて、あなたたちは剣で倒される。主に背いたから、主はあなたたちと共におられない」。

  2. [サムエル記上]17:37「行くがよい。主がお前と共におられるように」。

  3. [サムエル記上]20:13「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように」。

  4. [列王記上]1:37「主は王と共にいてくださいました。またソロモンと共にいてくださいますように」。

  5. [歴代誌上]22:16「立ち上がって実行せよ。主が共にいてくださるように」。

  6. [歴代誌下]20:17「ユダとエルサレムの人々よ。恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。 主がともにいる」。

    新約聖書
  1. [マタイによる福音書]28:20「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」。
  2. [ローマの信徒へ手紙]15:33「平和の源である神があなたがた一同と共におられるよう、アーメン」。
  3. [テモテへの手紙二]4:22「主があなたの霊と共にいてくださるように」。

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