« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月の6件の記事

我那覇和樹対日本プロフェッショナルフットボールリーグ仲裁判断 (CAS 2008/A/1452) 結論部訳文

以下は 2008年5月27日(スイス・ローザンヌ) に Court of Arbitration for Sport が申立人我那覇和樹と被申立人日本プロフェッショナルフットボールリーグ (Jリーグ) との間の仲裁事件に対して下した仲裁判断 (CAS 2008/A/1452) の結論部分とその和訳文である。

46. As mentioned above, whilst the opinion of the treating doctor carries much weight it is not conclusive of this issue. Nor is it conclusive to say that that opinion has the support of another medical expert such as Dr. Onishi. We note that contrary opinions have been expressed by Dr. Aoki and Dr. Lefor. Had the alleged offense occurred in 2008 Dr. Goto and Mr. Ganaha would be required to seek a retroactive approval of a therapeutic use exemption from a body of independent medical experts who would conduct a medical re-assessment of the treatment.
46. 上述の如く、担当医の意見は大変重要だとは言え、本件にとり決定的なものではない。この意見を大西医師のような別の医療専門家が支持していると云うことも決定的ではない。当仲裁廷は、青木医師やレフォー医師は反対の意見を述べたということも留意しているのである。本事案が2008年に発生したものであったのなら、後藤医師及び我那覇氏は、治療行為に就いて医学的な再査定を行なう独立した医療専門組織から、治療上の使用と云う例外にあたることに遡及的な同意を得る必要があったであろう。

47. Whilst the Panel might be minded to accept that in all the particular circumstances of this case, the intravenous infusion was a legitimate medical treatment for Mr. Ganaha within the meaning of the 2007 WADA Code the Panel notes that at the time the J League had not adapted those provision of the WADA Code which related to sanctions.
47. 本仲裁廷は、本件の個別的な事情全体に鑑みて、2007年反ドーピング機関 (WADA) 規定に照らすなら、この静脈注射は、我那覇氏への正当な医療措置であったと認めらめるものなら認めたいのであるが、本仲裁廷は、当時、 Jリーグは、反ドーピング機関規定の制裁に関する該当条件を採用していなかったことにも留意するのである。

[[訳註:"be minded + to 不定詞" は「[to 不定詞] したい」、「[to 不定詞] する意向である」と云う意味だが (補足参考:[nouse: [be minded + to 不定詞] に就いて: 我那覇問題仲裁判断翻訳に関連して] 2008年6月10日[火])、その前に "might" が付いているので、「(本来ならば) [to 不定詞] したいのだが・・・」と云う含みのある表現になる。この文の場合は、さらに後に続く文により「(本来)認められるものなら認めたいのだが(それができない)」と云う含意になる。「正当な医療措置」であることを認めたくても、その根據になる反ドーピング機関規定の該当条件をJリーグが採用していなかったからである。]]

48. The Anti-Doping Regulations of the J League which were in force at the time of the infusion and which were reproduced as Exhibit 2.2 in the proceedings, provide that the Anti-Doping Special Committee under Article 5.1, "shall be entitled ... to impose sanctions upon players ..." (underlining added by the Panel). Article 5.2 then gives examples of the types of sanctions which are referred to. The Panel has considered the proper construction of the regulation and notes that under the wording of the clause, the Committee is "entitled" to impose a sanction. There is no obligation or requirement to impose a penalty. There is an entitlement to impose a penalty but there is no mandatory obligation that a penalty be imposed for every infraction. In the present case after a careful evaluation of the evidence and the competing submissions of the parties and hearing the witnesses, the Panel has reached the conclusion that there is no need to decide if there has been a violation because the Panel is satisfied that it is not a case where any sanction should be imposed on Mr. Ganaha. His conduct is not deserving of any sanction. The phrase used in the applicable section of WADA Code was unclear and the provision has since been revised. The explanation given by Dr. Aoki at the meeting in January 2007 was not sufficiently clear. The J League had not taken adequate action to specify the detailed conditions, both substantial and procedural, to determine what is legitimate medical treatment. There was, and still is, on the evidence divided medical views on the necessity for an intravenous infusion in the circumstances of this case. Mr. Ganaha had no capacity to evaluate the professional judgment of the treating medical practitioner. Mr. Ganaha had no ability to check the medical recording and reporting by the treating medical practitioner. If the medical recording and reporting had been more complete and not deficient in the respects asserted by Dr. Aoki, Mr. Ganaha may not have been charged with an infraction of the J League Anti-Doping Regulations. The Panel is of the view that Mr. Ganaha's conduct is not deserving of any sanction and the Panel does not need to reach a conclusion on whether Mr. Ganaha an anti-doping violation by using or applying a prohibited method or not. Even if the Panel were to reach a conclusion that Mr. Ganaha had committed an anti-doping violation by using a prohibited method he should not be sanctioned as he bears no fault. After considering the unique facts and circumstances of this case, the Panel has reached the conclusion that Mr. Ganaha acted totally without fault. The Appeal is upheld and the decision with respect to Mr. Ganaha is set aside and relief requested by Appellant is hereby granted.
48. 本件注射時に効力があり、証拠物件2.2として本件記録書類中に収録されているJリーグの反ドーピング規則は、第5条第1項で、反ドーピング専門委員会は「選手に対して制裁を課する権限を有するものとする」(下線は、当仲裁廷による付加) と規定している。次いで第5条第2項では、相当する制裁の種類の例が示されている。当仲裁廷は、「規則」の本来的な構成を検討した結果、この条項の文言によるなら、「委員会」は制裁を課する「権限を有する」ものであることに留意する。制裁金を課する義務又は必要性は記されていない。制裁金を課する権限は存在するわけだが、全ての違反に対し制裁金を課する職務上の義務は存在しない。本件の場合、証拠及び両当事者の係争意見を注意深く検証し、証人への訊問を行なった結果、本件にあっては、我那覇氏には如何なる制裁も課されるべきものではないことを、本仲裁廷が確信する以上、本仲裁廷は違反が存在したのかを判定する必要はないとの結論に達した。我那覇氏の行動は、如何なる制裁にも相当しない。反ドーピング機関 (WADA) 規定の該当部分で用いられていた表現は不明確であったため、条文は改訂されたのだった。2007年1月での会議において青木医師が行なった説明は、十分に明確ではなかった。Jリーグは、正当な医療行為が如何なるものかを決定するための内容上・手続上双方における詳細な条件を規定する適切な行動を取らなかった。当時、そして現在でもなお、本件の状況下において静脈内注射を行なう必要性に対する医学的な見解は、証拠上分かれている。我那覇氏には、医療措置実施者の専門的判断を評価する能力はなかった。我那覇氏には、医療措置実施者による治療記録作成及び報告をチェックすることは不可能であった。もし治療記録及び報告が、より完備したものであって、青木医師が主張した点において不備がなかったなら、我那覇氏は、Jリーグ反ドーピング規則違反に問われることはなかったかもしれない。本仲裁廷の見解では、我那覇氏の行動は如何なる制裁にも値するものではなく、我那覇氏が禁止されている方法を利用又は適用することで反ドーピング規則違反を犯したか否かに就いての結論は、出すに及ばない。たとえ、本仲裁廷が我那覇氏が禁止されている方法を利用して反ドーピング規則違反を犯したと云う結論に至るべきものがあったとしても、我那覇氏には過失はない以上、我那覇氏は制裁を課されてはならない。本案件固有の事実及び状況を検討した結果、本仲裁廷は、我那覇氏の行動には全く瑕疵がないとの結論に達した。本件申し立ての主張は支持され、我那覇氏に関する決定は破棄され、申立人が要求する救済はここに認可される。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「フォースのともにあらんことを」と「神ともにいまして」

[nouse: "May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと] (2008年3月27日[木]) での補足や [nouse: 『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合] (2008年3月27日[木]) での補足で書いたように、「フォースのともにあらんことを」をヘブライ語で言うとしたら、取り敢えずは "יהיה הכוח אתכם" や "יהי הכוח אתכם" そして、更に "יהי הכוח עמך" ぐらいになるのだろう。

しかし、[nouse: NIFTY翻訳フォーラム投稿再録(1997年7月3日?)] や [nouse: 『"May the Force be with you" (「フォースのともにあらんことを」) を色色な言語で言うと』補足:ヘブライ語の場合] (2008年3月27日[木]) で論じたように、この "הכוח" (「(ザ・)フォース」) は "יהוה" (「神」) の「隠れ蓑」と考えることができる。

とすれば、これを置き換えるとどうなるか、と私が考えてみたのは当然の成り行きだろう。そうすると、次のようになる:

  • יהיה יהוה אתכם

  • יהי יהוה אתכם

  • יהי יהוה עמך

この内、最初の二つはネットで検索してもはかばかしい結果は得られないのだが、3番目の יהי יהוה עמך は、無慮2ダースほどヒットするのだな。その内容をいちいち細かく見なかったが、ざっと眺めた所、結局考慮すべきなのは1件だけらしい。それは [歴代誌上]第22章第11節 である。「なんだ」と言われそうで困るのだが (というか、私自身が「なんだ」と思ったのだから世話はないのだが)、これは [nouse: "May the Force be with you."に就いて (2004年8月6日[金]] 中の「宿題」で所在を書き留めておいた 「旧約 [出エジプト] 10:10; [ヨシュア] 1:17 ; [歴代誌 上] 22:11」と「新約 [テサロニケ 2] 3:16 」の内のひとつである:

עַתָּה בְנִי, יְהִי יְהוָה עִמָּךְ; וְהִצְלַחְתָּ, וּבָנִיתָ בֵּית יְהוָה אֱלֹהֶיךָ, כַּאֲשֶׁר, דִּבֶּר עָלֶיךָ.
--דברי הימים א פרק כב יא
わたしの子よ。今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。
--新共同訳聖書 [歴代誌上]22:11

行き掛かり上、他のものも引用しておこう。まず旧約聖書の他の2つのパラグラフは:

וַיֹּאמֶר אֲלֵהֶם, יְהִי כֵן יְהוָה עִמָּכֶם, כַּאֲשֶׁר אֲשַׁלַּח אֶתְכֶם, וְאֶת-טַפְּכֶם; רְאוּ, כִּי רָעָה נֶגֶד פְּנֵיכֶם.
--שמות י י
ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときには、主がお前たちとともにおられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。...」
新共同訳聖書 [出エジプト記]10:10

これが検索でヒットしなかったのは、間に「よろしい」(כֵן) が入っていたのと、対象が「お前たち」(עִמָּכֶם) と複数だったためだろう。

כְּכֹל אֲשֶׁר-שָׁמַעְנוּ אֶל-מֹשֶׁה, כֵּן נִשְׁמַע אֵלֶיךָ: רַק יִהְיֶה יְהוָה אֱלֹהֶיךָ, עִמָּךְ, כַּאֲשֶׁר הָיָה, עִם-מֹשֶׁה.
--יְהוֹשֻעַ בִּן נוּן א יז
我々はモーセに従ったように、あなたに従います。どうか、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。
新共同訳聖書 [ヨシュア記]1:17

これが検索でヒットしなかったのは、動詞2通り、前置詞2通りで、全部で4通りあるのに、3通りしか検索しなかったためというより、「あなたの神、主」(יְהוָה אֱלֹהֶיךָ) と云う形まで検索の手を拡げなっかったせいが大きかったと思う。

新約聖書の方は、以下の通り:

Αὐτὸς δὲ ὁ κύριος τῆς εἰρήνης δῴη ὑμῖν τὴν εἰρήνην διὰ παντὸς ἐν παντὶ τρόπῳ. ὁ κύριος μετὰ πάντων ὑμῶν.
--ΘΕΣΣΑΛΟΝΙΚΕΙΣ Β΄ 3:16
どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。
--新共同訳聖書 [テサロニケの信徒への手紙 二]3:16

こう並べてくると、語法が異なるものの、所謂「ヤコブの夢」中のヤハウェの約束と、それに応えた「ヤコブの誓願」も引用したくなる:

וְהִנֵּה אָנֹכִי עִמָּךְ, וּשְׁמַרְתִּיךָ בְּכֹל אֲשֶׁר-תֵּלֵךְ, וַהֲשִׁבֹתִיךָ, אֶל-הָאֲדָמָה הַזֹּאת: כִּי, לֹא אֶעֱזָבְךָ, עַד אֲשֶׁר אִם-עָשִׂיתִי, אֵת אֲשֶׁר-דִּבַּרְתִּי לָךְ.
--בראשית כח כ - כח טו
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地へ連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない 。
--新共同訳聖書 [創世記]28:15
וַיִּדַּר יַעֲקֹב, נֶדֶר לֵאמֹר: אִם-יִהְיֶה אֱלֹהִים עִמָּדִי, וּשְׁמָרַנִי בַּדֶּרֶךְ הַזֶּה אֲשֶׁר אָנֹכִי הוֹלֵךְ, וְנָתַן-לִי לֶחֶם לֶאֱכֹל, וּבֶגֶד לִלְבֹּשׁ.
וְשַׁבְתִּי בְשָׁלוֹם, אֶל-בֵּית אָבִי; וְהָיָה יְהוָה לִי, לֵאלֹהִים.
וְהָאֶבֶן הַזֹּאת, אֲשֶׁר-שַׂמְתִּי מַצֵּבָה--יִהְיֶה, בֵּית אֱלֹהִים; וְכֹל אֲשֶׁר תִּתֶּן-לִי, עַשֵּׂר אֲעַשְּׂרֶנּוּ לָךְ.
--בראשית כח כ - כח כב
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。
「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る者を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
--新共同訳聖書 [創世記]28:20-28:22

(一応注意しておくと、「わたしはあなたと共にいる」は "אָנֹכִי עִמָּךְ" で、「神がわたしと共におられ」は "אֱלֹהִים עִמָּדִי" だから、この記事で問題にしている文型とは異なっている。)

しかし、「共にある」と云うヤハウェの本質属性を語るなら、モーセの召命におけるヤハウェ自身の言葉を逸するわけにはいかないだろう:

וַיֹּאמֶר מֹשֶׁה, אֶל-הָאֱלֹהִים, מִי אָנֹכִי, כִּי אֵלֵךְ אֶל-פַּרְעֹה; וְכִי אוֹצִיא אֶת-בְּנֵי יִשְׂרָאֵל, מִמִּצְרָיִם.
וַיֹּאמֶר, כִּי-אֶהְיֶה עִמָּךְ, וְזֶה-לְּךָ הָאוֹת, כִּי אָנֹכִי שְׁלַחְתִּיךָ: בְּהוֹצִיאֲךָ אֶת-הָעָם, מִמִּצְרַיִם, תַּעַבְדוּן אֶת-הָאֱלֹהִים, עַל הָהָר הַזֶּה.
--שמות ג יא - ג יב
モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
--新共同訳聖書 [出エジプト記]3:11-3:12

(「わたしは必ずあなたと共にいる。」は "אֶהְיֶה עִמָּךְ"。)

さらに言うなら、「ある」こそヤハウェの自己規定であった:

וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים אֶל-מֹשֶׁה, אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה; וַיֹּאמֶר, כֹּה תֹאמַר לִבְנֵי יִשְׂרָאֵל, אֶהְיֶה, שְׁלָחַנִי אֲלֵיכֶם.
--שמות ג יד
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うが良い。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
--新共同訳聖書 [出エジプト記]3:14

(「わたしはある。わたしはあるという者だ」--若干微妙な訳だが--は、"אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה"。注:少なくとも、私のブラウザではこの文は語順が正しく表示されない。ブラウザの所為というより、ココログ側の不備だろうけれども。)


ただし最後に、ミスリードを防ぐ為に、「神ともにいませ」が旅に出る者への別れの挨拶としてや、それを敷衍した書簡の結びの文句としてだけ使われるのでなく、語形が若干異なる (つまり「神ともにいませ」よりも「神ともにいます」と取れる) ものの、旅人がその土地で出会った相手の発する例もあることを注意しておいても良かろう:

וְהִנֵּה-בֹעַז, בָּא מִבֵּית לֶחֶם, וַיֹּאמֶר לַקּוֹצְרִים, יְהוָה עִמָּכֶם; וַיֹּאמְרוּ לוֹ, יְבָרֶכְךָ יְהוָה.
--רות ב ד
ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」と言うと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。
--新共同訳聖書 [ルツ記]2:4

(「主があなたたちと共におられますように」は "יְהוָה עִמָּכֶם"。)

このほか、幾つか参考になるかも知れない「聖句」の所在を記録しておく:

    旧約聖書
  1. [民数記]14:43「行く手にはアマレク人とカナン人がいて、あなたたちは剣で倒される。主に背いたから、主はあなたたちと共におられない」。

  2. [サムエル記上]17:37「行くがよい。主がお前と共におられるように」。

  3. [サムエル記上]20:13「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように」。

  4. [列王記上]1:37「主は王と共にいてくださいました。またソロモンと共にいてくださいますように」。

  5. [歴代誌上]22:16「立ち上がって実行せよ。主が共にいてくださるように」。

  6. [歴代誌下]20:17「ユダとエルサレムの人々よ。恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。 主がともにいる」。

    新約聖書
  1. [マタイによる福音書]28:20「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」。
  2. [ローマの信徒へ手紙]15:33「平和の源である神があなたがた一同と共におられるよう、アーメン」。
  3. [テモテへの手紙二]4:22「主があなたの霊と共にいてくださるように」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ギリシャ語で「日本」は Ιαπωνία

本日四更 (2008/05/06 22:51)、キーフレーズ [ギリシャ語で日本 綴り] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。

後追いで検索してみたところ、意外なことに、適当なものがヒットしないようなので、大きなお世話ながら、次のサイトを参照されることをお勧めしておく。

  1. Ιαπωνία (ギリシャ語版ウィキペディアの「日本」の項目)

  2. Ιαπωνία (日本語版ウィクショナリーの "Ιαπωνία" の項目)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

所謂 "Boc" と呼ばれる官能基に就いて

昨夜 (2008/05/06 22:51)、キーフレーズ [Boc 官能基 化學式] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

既に解決しているかもしれないが、一応書いておくと、所謂 "Boc" に就いては、[tert-ブトキシカルボニル基 - Wikipedia] を御覧になっては如何と思料する。そこに、曰く:

tert-ブトキシカルボニル基 (tert-butoxycarbonyl group) は有機化学における原子団の一種で、(CH3)3C−O−C(=O)− の構造を持つ。しばしば Boc または t-Boc と略記される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「ビクトリアシークレット」の ロシア語表記

先程 (2008/05/05 22:18)、このサイトに、キーフレーズ [ビクトリアシークレット ロシア語] で訪問された方がいらしたようだ。

はかばかしいことは何も知らないのだが、もし「婦人服・美容用品を扱うアメリカの企業」(ウィキペディア) "Victoria's Secret" のロシア語表記をお調べであるのなら、日本語版ウィキペディアから対応するロシア語版ページに飛べば、その冒頭に、Виктория Сикрет と書いてある。

Сикрет は "Secret" の音訳だろうが、Виктория の方も、形としては主格だから "Victoria's" のロシア語訳と云うより、やはり "Victoria" 部分のみの音を移したと見做した方が良いかもしれない。丁度日本語でも「ヴィクトリアの秘密」ではなくて、「ヴィクトリア・シークレット」と呼ばれることが多いように(もっとも、日本語版ウィキペディアでは「ヴィクトリアズ・シークレット」だが)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「円鑿方枘」?

先程 (2008/05/05 21:01)、このサイトに、キーフレーズ [円鑿方枘 史記] で訪問された方がいらしたようだ。

まことに大きなお世話なのだが、[円鑿方枘 史記] でも、それなりのことは分かるであろうけども、しかし、これは少し変更して検索しなおされた方が収穫が多いのではないか?

なぜなら [円鑿方枘] は、[nouse: 『史記:孟子荀卿列伝』に就いて] で引用した「持方枘欲內圜鑿」(方枘 [ホウゼイ] を持って圜鑿 [エンソウ] に內 [い] れんと欲す) に関わると思しいからだ。少なくとも、中国語のサイトでは「円鑿方枘」と云う表記よりも、「圜鑿方枘」(圜凿方枘) や「圓鑿方枘」(圆凿方枘) と表記されている可能性が大きいと考えられる。

勿論、日本語では「圓」と「円」は通用するから、[円鑿方枘] でもヒットする日本語サイトは存在するだろうが、『史記』(史记) のテキストとの整合性は少しく失われてしまうだろう。

ちなみに、「持方枘欲內圜鑿」は「四角いホゾを丸いホゾ穴に入れようとする」ぐらいの意味。

なお、『楚辭』所収の」(宋玉が作ると伝えられている)「九辯」中に「圜鑿而方枘兮 吾固知其鉏鋙而難入」(圜鑿 [エンソウ] にして方枘 [ホウゼイ]、吾固 [もと] より其の鉏鋙して入り難き知をる) とある。

さらに屈原の「離騷」中には「不量鑿而正枘兮 固前脩以菹醢」(鑿 [ソウ] を量らずして枘 [ぜい] を正す、固 [まこと] に前脩以って菹醢 [しょかい] にせらる)と云う句が見られる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »