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人しれぬ思ひをつねにするがなる富士の山こそわが身なりけれ

作者:読人しらず 出典:[古今和歌集11]534
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.178

「こそ」の用例。大野晋の解と説明:「人知れぬ思いをつねにするするがの国の富士の高嶺こそ、私とそっくりだなあ」となって詠嘆調になっている (「こそ」は単なる強調になっている)。

『日本語で一番大切なもの』の解は、「思ひ」の「ひ」が「火」と掛けてあることを組み込んでいない。確かに難しいのだが、強引に作ると「わたしは『片思ひ』と云う『火』を常にするがの富士の高嶺なのだなあ」

平安時代、富士山を「火の山」だった。たとえば、『竹取物語』は次のように結ばれている:
かの奉れる不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、調の岩笠といふ人を召して、駿河の國にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の藥の壺竝べて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士ども數多具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙、未だ雲の中へ立ち昇るとぞいひ傳へたる。--[Taketori monogatari (UVa Library Etext Center: Japanese Text Initiative)]

この記事は[nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引 (改)] (2008年3月1日[土]) の一部をなすものである。

補足 (2008-04-26 [土]):

ふしのねの-たえぬおもひを-するからに-ときはにもゆる-みとそなりぬる (柿本人麻呂? [柿本集])
--和歌データベース:柿本集

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