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河風の寒き長谷を嘆きつつ君があるくに似る人も逢へや

作者:山前王(やまくまのおおきみ) 出典:[万葉集3]425/428
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.297

「が」の用例。「あるく」は「に」に係るので連体形だから「君があるく」の「が」は体言 (相当) に係っている。「君が歩く(姿)に似る人にも逢わない」。

大野晋の説明:「河風の寒き長谷(はつせ)を嘆きつつ」の主体が「我」なのか「君」なのか、解釈を決めるのは難しい。

参考 (『万葉集』原文):「河風 寒長谷乎 歎乍 公之阿流久尓 似人母逢耶

[ゑ]補足:当時の「あるく」には「彷徨う」と云う語感があるから、「嘆きつつあるく」つまり「溜め息をつきながら彷徨う」と云うのは自然な姿だろう。つまり、「河風の寒き長谷を嘆きつつ」の主体は「君」ではないか。

しかし、「君」とは誰なのか? 通常「石田王」とされていて、それは、この歌が詞書では長歌 [万葉集3]423/426 への反歌とされていることなどから一番手近な解釈ではあるのだが、微妙に引っ掛かるものがある。なぜなら、長歌 [万葉集3]423/426 では主人公 (石田王) は「磐余の道を」「通ふ」ているのである。その姿は喜びに充ちている。それに対し、[万葉集3]425/428 の主人公である「君」は、悲嘆にくれて彷徨しているのだ。それらは、たとえ同一人物を歌っていたとしても、決して人生の同一局面にある姿を反映するものではありえない。つまり、[万葉集3]425/428 が [万葉集3]423/426 の反歌であるとする詞書の記載には何らかの錯誤がある。そうすると、[万葉集3]425/428 の「君」が石田王する前提そのものが成立しないことになる。

そもそも、「石田王」と「紀皇女」とはどちらが先に亡くなったのだろう?

[万葉集3]424/427 及び [万葉集3]425/428 の左註から、紀皇女が薨じた時には石田王が既に卒っており、そのために山前王が石田王に代わって詠んだとするなら、「君」が紀皇女だったとするのは突飛だろうか? さらに付言するに、対をなす反歌 [万葉集3]424/427 もまた紀皇女を歌っていると考えることができるのだから、[万葉集3]425/428 もまた紀皇女を歌っていると考えるのは自然なことではあるまいか。

ただの想像だが、あるいは、石田王は紀皇女のもとに日参しているうちに、何らかの事故があって、外出中に (ひょっとすると紀皇女に関わる形で) 亡くなり、妻である丹生王には知らされないまま初瀬に埋葬されてしまい、それが丹生王には残念で堪らなかった、また、紀皇女の方は、石田王が葬られた初瀬を放心状態で彷徨うことになった、というようことがあったのではないか。このことは、弓削皇子の事を含めていづれ機会があったらもう少し考えてみることにする。

参考:
  石田王(いはたのおほきみ)が卒(みまか)りし時に、丹生王(にふのおほきみ)が作る歌一首并せて短歌
なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの 初瀬の山に 神さびに 斎きいますと 玉梓の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に 悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占(ゆふけ)問ひ 石占もちて 我が宿に みもろを立てて 枕辺に 斎瓮(いはひへ)を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七節菅(ななふすげ) 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも
(丹生王 [万葉集3]420/423)

  反歌
およづれのたはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる (丹生王 [万葉集3]421/424)
石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに (丹生王 [万葉集3]422/425)

  同じく石田王が卒りし時に、山前王が哀傷(かな)しびて作る歌一首
つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き [一には「貫き交へ」といふ] かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延(は)ふ葛の いや遠長く [一には「葛の根の いや遠長に」といふ] 万代に 絶えじと思ひて [一には「大船の 思ひたのみて」といふ] 通ひけむ 君をば明日ゆ [一には「君を明日ゆは」といふ] 外にかも見む (山前王 [万葉集3]423/426)
  右の一首は、或いは、「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。

  或本の反歌二首
こもりくの泊瀬娘子が手に巻ける玉は乱れてありと言はずやも (山前王 [万葉集3]424/427)
川風の寒き泊瀬を嘆きつつ君があるくに似る人も逢へや (山前王 [万葉集3]425/428)
  右の二首は、或いは「紀皇女(きのひめみこ)の薨ぜし後に、山前王、石田王に代りて作る」といふ。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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