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おろかなるなみだぞ袖に玉はなすわれはせきあへずたぎつせなれば

作者:小野小町 出典:[古今和歌集12]557
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.429

「が」に通う「ぞ」の例。

[ゑ]補足:この歌は、直前の安倍清行の歌と対になっている。
  下つ出雲寺に人のわざしける日、真静法師の導師にて言へりける事を歌によみて、小野小町がもとにつかはしける
つつめども袖にたまらぬ白玉は人を見ぬめの涙なりけり
安倍清行 [古今和歌集12]556

  返し
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば
(小野小町 [古今和歌集12]557)

真静法師の話は、『法華経』[五百弟子授記品] 中に見られる「世尊。譬如有人。至親友家。酔酒而臥。是時親友。官事當行。以無價寶珠。繋其衣裏。與之而去。其人酔臥。都不覺知。起已遊行。到於他國。為衣食故。勤力求索。甚大艱難。若少有所得。便以爲足。於後親友。會遇見之。而作是言。咄哉丈夫。何爲衣食。乃至如是。我昔欲令。汝得安樂。五欲自恣。於某年月日。以無價寶珠。繋汝衣裏。今故現在。而汝不知。勤苦憂惱。以求自活。甚爲癡也。汝今可以此寶。貿易所須。常可如意。無所乏短。」(岩波文庫『法華経(中) p.114, p.116) に関わるものだったらしい。

つまり「友人が非常に高価な宝玉を服の中に縫い付けおいてくれたのに気付いていなかった」と云う話を踏まえて、安倍清行は「白玉 (私にとって価値ある宝玉) を袖の中に包み込もうとしてもできないのは、それがあなたにお逢いしない目にあっている私の目から出た涙だからですね」と謂って寄越したのに対し、小野小町が「私の袖には価値のない涙が玉になっています。水の激しい瀬のように塞き止められないのですもの」と謙遜するように見せて、自分の方が遥かに泣いていると訴えたのだ。「質より量」戦法だね。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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