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神山の山下とよみ行く水の水脈し絶えずは後もわが妻

作者:不詳 出典:[万葉集12]3014/3028
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.415

「ずは」の用例。この「ずは」は、「よりも」でも「ずに」でも解釈できない。大野晋は「水の流れが絶えない限り、お前は私の妻だぞ」と解釈すべきと、極めて妥当な判断をしている。「神山」の訓は「みわやま」。

大野晋の「ずは」に対する説明の要旨は、その先行部分が示す事態が「1.既に成立している」、「2.未だ成立していない」、「3.成立するはずがない」の3通りのそれぞれで含意が異なると云うものである。

「ずは」の他の用例:
かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根し枕きて死なましものを (磐姫皇后(磐之媛命, 磐姫, 仁徳天皇妃) [万葉集2]86)
立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひ渡りなむ (上総国郡司妻女等 [万葉集20]4441/4465)
見渡せば近きものから岩がくりかがよふ玉をとらずは止まじ (読人しらず [万葉集6]951/956)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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