« 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして | トップページ | 津の国のあしでにもなき浦を見てなにはのことに落つる泪ぞ »

常ならず

作者:未確認又は該当情報なし 出典:奈良時代での用例未確認
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.19

「にあり」から助動詞「なり」が出来たことで、奈良時代に使われはじめた否定の表現法として大野晋が挙げている例。

奈良時代での「常ならず」の用例は見つからなかったが、「常ならぬ」なら万葉集に見られる。「常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし夢に見しかも (作者不詳 [万葉集7]1345/1349)」。その原文は「常不 人国山乃 秋津野乃 垣津幡鴛 夢見鴨」。
私 ([ゑ]) には、初三句がピンとこない。「人国山」は熊野にあるとも、吉野にあるとも言われるが、不詳。想像上の地名と云う説もある。『万葉集』中、「人国山」が登場するのは、この歌の他には「見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ (柿本人麻呂歌集 [万葉集7]1305/1309)」だけのようだ。これに対し、「秋津野」又は「秋津の小野」は数歌に登場する。

参考 (『万葉集』中の「あきづの」の歌):
かくのみし恋ひやわたらむ秋津野にたなびく雲の過ぐとはなしに (大伴宿祢千室 [万葉集4]693/696)
秋津野を人の懸くれば朝撒きし君が思ほえて嘆きはやまず (作者不詳 [万葉集7]1405/1409)
秋津野に朝居る雲の失せゆけば昨日も今日もなき人思ほゆ (作者不詳 [万葉集7]1406/1410)
秋津野の尾花刈り添へ秋萩の花を葺かさね君が仮廬に (作者不詳 [万葉集10]2292/2296)
留まりにし人を思ふに秋津野に居る白雲のやむ時もなし (作者不詳 [万葉集12]3179/3193)
み吉野の秋津の小野に刈る草の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き (作者不詳 [万葉集12]3065/3079)

やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも (柿本人麻呂 [万葉集1]36)

やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見据ゑ置きて み山には 射目立て渡し 朝狩に 獣踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野に (山部赤人 [万葉集6]926/931)

その他「秋津の川」、「秋津の宮」の歌もあるが、略す。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

|
|

« 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして | トップページ | 津の国のあしでにもなき浦を見てなにはのことに落つる泪ぞ »

『日本語で一番大事なもの』」カテゴリの記事

日本語/和文」カテゴリの記事

詩/文藝」カテゴリの記事

読み物・書き物・刷り物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40172/40484156

この記事へのトラックバック一覧です: 常ならず:

« 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして | トップページ | 津の国のあしでにもなき浦を見てなにはのことに落つる泪ぞ »