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主しらぬ香こそにほへれ秋の野に誰がぬぎかけし藤袴ぞも

作者:素性法師 出典:[古今和歌集4]241
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.294

「が」の用例。「が」は、本来、体言と体言とを結びつける助詞なので、基本としては「誰が藤袴」。詞書は「ふぢばかまをよめる

「ふぢばかま」は秋の七草のひとつ。茎・葉に芳香がある。ただし、生草としては香りはあまりないらしい。衣服としての「ふぢばかま」は粗末なものであるらしいので、この歌は単に (乾燥した) フジバカマに香気があると云うことをモチーフにして「人が居ないのに良い香りがする。秋の野で (香りを焚きしめた) 袴を脱ぎかけたのは誰だろう」と云う言語遊戯。「袴を脱いで、野中の何かに懸けた」とも「袴を途中まで脱いだ」ともとれるし、さらに、実はそこにはフジバカマが生えていたのだったともとれる。

『古今和歌集』における直前2首も藤袴を歌う:
なに人か来てぬぎかけし藤ばかまくる秋ごとにのべをにほはす 藤原敏行 [古今和歌集4]239
やどりせし人のかたみかふぢばかまわすられがたきかににほひつつ 紀貫之 [古今和歌集4]240

なお、『源氏物語』に「藤袴」の巻があって、夕霧が御簾の外から、フジバカマの花を、一方を握ったまま御簾内にさし入れて、そのことに全く気付かずに、花を取ろうとした玉鬘の袖を、夕霧が引っ張ると云うシーンがある。殆どルアーフィッシングなんだが、それはそれとして、このフジバカマの花は乾かしていあったのか生花だったのか? 夕霧が詠んだ歌からすると生花だったのかもしれない (「露」のイメージはドライフラワーには合わないだろう。なお、「藤袴」は「藤衣 (喪服)」に掛けている。香りは意識されていないようだ)。

参考 ([源氏物語30]「藤袴」):
「かゝるついでに」とや、おもひよりけむ、蘭の花の、いとおもしろきを、持給へりけるを、御簾の前よりさし入れて、「これも、御覧ずべき故はありけり」とて、とみにも許さで持給へれば、うつたへに、思ひ寄らで取り給ふ御袖を、引き動かしたり
  同じ野の露にやつるゝ藤袴あはれはかけよかごとばかりも
(岩波文庫『源氏物語(三)』p.150)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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