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みちのくはいづくはあれどしほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも

作者:東歌 出典:[古今和歌集20]1088
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.206

これは、「いづく」と云う疑問詞を「は」で受けている珍しい例。大野晋の説明によれば、この場合、「みちのくはいづく」と云うのが一纏まりなのである。「春は (何時がいちばんいいかと言うと) あけぼの」と同じ形式であって「みちのくはどこ (が一番か)」と考えられる。次の「あれど」は、奈良時代でも平安時代でも「ともかく」の意味で使われている。だから全体としては「みちのくはどこ (が一番かと云うこと) はともかくとして、しおがまの浦こぐ舟の綱手は非常に心をしみじみと打つ」。

『日本語で一番大切なもの』中では特に問題にされていないが、私には何故「しほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも」なのかが、もうひとつ釈然としない。これは宿題にしておく。

参考 (後世への影響):
世の中はつねにもがもな渚こぐあまの小舟のつなでかなしも (鎌倉右大臣/源実朝 [百人一首]93/[新勅撰和歌集8]525/[金槐和歌集]594)

[奥の細道]「末の松山」(曾良随行日記によれば「元禄2年5月8日」)
それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造て末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も、終はかくのごときと悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、 籬が島もほど近し。蜑の小舟こぎつれて肴わかつ聲々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして、奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず舞にもあらず、ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに邊土の遺風忘れざるものから殊勝に覚らる。 (岩波文庫『奥の細道』p.28)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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