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幾夜かは経べき

作者:紫式部 出典:[源氏物語]御法
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.207

大野晋は「辛抱してすごすことができるのは幾晩ですか (幾晩もそんなことはできないだろう)」と説明しているが、原文の文脈は「世の中、おぼし續くるに、いとゞ厭はしく、いみじければ、『おくるとても、いく世かは經べき。かゝる悲しさの紛れに、昔よりの、御本意も、遂げまほしく』おもほせど、心弱き後のそしりを思せば、『この程を過ぐさむ』とし給ふに、胸のせきあぐるぞ、堪へ難かりける」(岩波文庫『源氏物語(四)』p.294) だから、「死に遅れるにしてもどれほどだろう」と云うことだろう。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
ただし、『日本語で一番大切なもの』の中で大野晋は「幾夜かは経べき」の出典を明示していない。従って、大野晋の引用が『源氏物語』[御法] から取られたものでない可能性もある訣だが、私が調べた限りでは、そうしたものは見つからなかった。

注意しておくと、『源氏物語』の文脈を忘れるなら、「辛抱してすごすことができるのは幾晩ですか (幾晩もそんなことはできないだろう)」と云う訳が成立する文脈はありうると、私は思っている。ただし、現状ではそれは仮想された文脈になってしまう可能性が大きいだろう。

もし「幾夜」を採用する場合は、「死に遅れるにしても幾晩のことだろう」と訳すことも可能だろう。紫の上の死去直後の源氏の言葉としては、「幾世」よりも、こちらの方が切実であるようにも思えるが、しかし、そうすると後の『この程を過ぐさむ』との繋がりが悪くなってしまうから、やはり『源氏物語』の文脈には載りづらい。

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