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恋ひしくは日長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに

作者:柿本人麻呂歌集 出典:[万葉集10]2017/2021
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.254

大野晋は、この「今だに」の「だに」は、万葉集中の歌で、「せめて...だけでも」とか「讓りに讓ってこれだけでもと思うのに」では解けない「だに」の例であって、これは「せめて...だけでもと思うのに、それさえも」とでも訳すべきもので、つまり、「だに」が「さへ」とか「すら」に近く使われている、と説明している。

ここらへんの説明は微妙。「だに」の意味の変化はその通りかもしれないが、この歌の「だに」に「それさえも」含意があるとするのは、「勇み足」だったかもしれない。この歌では「も...や」の反語によって「私に残念な思いをさせないでください」と誘っているだけで、その後のことは言外になっている。この歌の言葉の範囲内だけからは、それ以上の事はいえないだろう。

しかし、さらに付け加えるなら、『万葉集』における、この歌の位置を考えれば、解釈を「せめて今夜だけでもと願ったのに、それさえも...」と踏み込むことは禁止される。なぜなら、[万葉集10]2017/2021 は一連の七夕歌群 ([万葉集10]1996/2000-[万葉集10]2093/2097) の一つだからだ。つまり、この歌は、年に一度 (あるいは、雨の七夕には会えないとするなら、ひょっとすると数年に一度) 天の川を渡ってきた牽牛が織女に詠みかけたと云う体なのである。牽牛が織女に会いたいと思い続けてきたことを織女が知っていることを牽牛は知っている。だからこそ「恋ひしくは日長きものを」である。この歌の後、牽牛が思いを遂げられなかったとするのは、可哀想ではないか。ここは単純に「遠距離恋愛」をしていて本当に久しぶりに女にあった男が甘えて拗ねたふりをしていると見た方が良いのではないか。

『日本語で一番大切なもの』では、この歌に解は与えられていない。当座の用に、一応作っておく:「あなたに恋しい思いをずっとしてきたのではありませんか。せめて今だけでも私に残念な思いをさせてよいものでしょうか。せめてお会いできる今夜だけでも。」
「恋ひしく」の「しく」は、回想の助動詞「き」のアク語法。「き」の連体形「し」に「あく」が付いたのだが、「し」+「あく」→「せく」とはならず、「し」+「あく」→「しく」となっている(例外的)。

「すら」は『源氏物語』には一例もない。その場所は「だに」が代わって使われているのだそうだ。

参考(『万葉集』中の類歌):
恋ふる日は日長きものを今夜だにともしむべしや逢ふべきものを (読人しらず [万葉集10]2079/2083)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
[万葉集10]1996/2000-[万葉集10]2093/2097
  秋雑歌
   七夕
天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや (柿本人麻呂歌集
[万葉集10]1996/2000)
ひさかたの天の川原にぬえ鳥のうら泣きましつすべなきまでに (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]1997/2001)
我が恋を夫は知れるを行く舟の過ぎて来べしや言も告げなむ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]1998/2002)
赤らひく色ぐはし子をしば見れば人妻ゆゑに我れ恋ひぬべし (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]1999/2003)
天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2000/2004)
大空ゆ通ふ我れすら汝がゆゑに天の川道をなづみてぞ来し (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2001/2005)
八千桙の神の御代よりともし妻人知りにけり継ぎてし思へば (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2002/2006)
我が恋ふる丹のほの面わこよひもか天の川原に石枕まかむ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2003/2007)
己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2004/2008)
天地と別れし時ゆ己が妻しかぞ離れてあり秋待つ我れは (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2005/2009)
彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2006/2010)
ひさかたの天つしるしと水無し川隔てて置きし神代し恨めし (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2007/2011)
ぬばたまの夜霧に隠り遠くとも妹が伝へは早く告げこそ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2008/2012)
汝が恋ふる妹の命は飽き足らに袖振る見えつ雲隠るまで (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2009/2013)
夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士 (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2010/2014)
天の川い向ひ立ちて恋しらに言だに告げむ妻どふまでは (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2011/2015)
白玉の五百つ集ひを解きもみず我は寝かてぬ逢はむ日待つに (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2012/2016)
天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2013/2017)
我が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2014/2018)
我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫の音聞こゆ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2015/2019)
ま日長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音聞こゆ紐解き行かな (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2016/2020)
恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2017/2021)
天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2018/2022)
いにしへゆあげてし服も顧みず天の川津に年ぞ経にける (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2019/2023)
天の川夜船を漕ぎて明けぬとも逢はむと思へや袖交へずあらむ (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2020/2024)
遠妻と手枕交へて寝たる夜は鶏がねな鳴き明けば明けぬとも (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2021/2025)
相見らく飽き足らねどもいなのめの明けさりにけり舟出せむ妻 (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2022/2026)
さ寝そめていくだもあらねば白栲の帯乞ふべしや恋も過ぎねば (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2023/2027)
万代にたづさはり居て相見とも思ひ過ぐべき恋にあらなくに (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2024/2028)
万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2025/2029)
白雲の五百重に隠り遠くとも宵さらず見む妹があたりは (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2026/2030)
我がためと織女のそのやどに織る白栲は織りてけむかも (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2027/2031)
君に逢はず久しき時ゆ織る服の白栲衣垢付くまでに (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2028/2032)
天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2029/2033)
秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2030/2034)
よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら泣き居りと告げむ子もがも (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2031/2035)
一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも [一には「尽きねばさ夜ぞ明けにける」といふ] (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2032/2036)
天の川安の川原定而神競者磨待無 (柿本人麻呂歌集 [万葉集10]2033/2037) 「定而神競者磨待無」には定訓がない。
     この歌一首は、庚辰に作る。
     右は、柿本人麻呂が歌集に出づ。

織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む (作者不詳 [万葉集10]2034/2038)
年にありて今かまくらむぬばたまの夜霧隠れる遠妻の手を (作者不詳 [万葉集10]2035/2039)
我が待ちし秋は来りぬ妹と我れと何事あれぞ紐解かずあらむ (作者不詳 [万葉集10]2036/2040)
年の恋今夜尽して明日よりは常のごとくや我が恋ひ居らむ (作者不詳 [万葉集10]2037/2041)
逢はなくは日長きものを天の川隔ててまたや我が恋ひ居らむ (作者不詳 [万葉集10]2038/2042)
恋しけく日長きものを逢ふべくある宵だに君が来まさずあるらむ (作者不詳 [万葉集10]2039/2043)
彦星と織女と今夜逢ふ天の川門に波立つなゆめ (作者不詳 [万葉集10]2040/2044)
秋風の吹きただよはす白雲は織女の天つ領巾かも (作者不詳 [万葉集10]2041/2045)
しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬ間に (作者不詳 [万葉集10]2042/2046)
秋風の清き夕に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士 (作者不詳 [万葉集10]2043/2047)
天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば (作者不詳 [万葉集10]2044/2048)
君が舟今漕ぎ来らし天の川霧立ちわたるこの川の瀬に (作者不詳 [万葉集10]2045/2049)
秋風に川波立ちぬしましくは八十の舟津にみ舟留めよ (作者不詳 [万葉集10]2046/2050)
天の川川の音清し彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか (作者不詳 [万葉集10]2047/2051)
天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ [一には「天の川川に向き立ち」といふ] (作者不詳 [万葉集10]2048/2052)
天の川川門に居りて年月を恋ひ来し君に今夜逢へるかも (作者不詳 [万葉集10]2049/2053)
明日よりは我が玉床をうち掃ひ君と寐ねずてひとりかも寝む (作者不詳 [万葉集10]2050/2054)
天の原行きて射てむと白真弓引きて隠れる月人壮士 (作者不詳 [万葉集10]2051/2055)
この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも (作者不詳 [万葉集10]2052/2056)
天の川八十瀬霧らへり彦星の時待つ舟は今し漕ぐらし (作者不詳 [万葉集10]2053/2057)
風吹きて川波立ちぬ引き船に渡りも来ませ夜の更けぬ間に (作者不詳 [万葉集10]2054/2058)
天の川遠き渡りはなけれども君が舟出は年にこそ待て (作者不詳 [万葉集10]2055/2059)
天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも (作者不詳 [万葉集10]2056/2060)
月重ね我が思ふ妹に逢へる夜は今し七夜を継ぎこせぬかも (作者不詳 [万葉集10]2057/2061)
年に装る我が舟漕がむ天の川風は吹くとも波立つなゆめ (作者不詳 [万葉集10]2058/2062)
天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更けぬ間に (作者不詳 [万葉集10]2059/2063)
ただ今夜逢ひたる子らに言どひもいまだせずしてさ夜ぞ明けにける (作者不詳 [万葉集10]2060/2064)
天の川白波高し我が恋ふる君が舟出は今しすらしも (作者不詳 [万葉集10]2061/2065)
機物のふみ木持ち行きて天の川打橋渡す君が来むため (作者不詳 [万葉集10]2062/2066)
天の川霧立ち上る織女の雲の衣のかへる袖かも (作者不詳 [万葉集10]2063/2067)
いにしへゆ織りてし服をこの夕衣に縫ひて君待つ我れを (作者不詳 [万葉集10]2064/2068)
足玉も手玉もゆらに織る服を君が御衣に縫ひもあへむかも (作者不詳 [万葉集10]2065/2069)
月日おき逢ひてしあれば別れまく惜しくある君は明日さへもがも (作者不詳 [万葉集10]2066/2070)
天の川渡り瀬深み舟浮けて漕ぎ来る君が楫の音聞こゆ (作者不詳 [万葉集10]2067/2071)
天の原降り放け見れば天の川霧立ちわたる君は来ぬらし (作者不詳 [万葉集10]2068/2072)
天の川瀬ごとに幣をたてまつる心は君を幸く来ませと (作者不詳 [万葉集10]2069/2073)
ひさかたの天の川津に舟浮けて君待つ夜らは明けずもあらぬか (作者不詳 [万葉集10]2070/2074)
天の川なづさひ渡る君が手もいまだまかねば夜の更けぬらく (作者不詳 [万葉集10]2071/2075)
渡り守舟渡せをと呼ぶ声の至らねばかも楫の音のせぬ (作者不詳 [万葉集10]2072/2076)
ま日長く川に向き立ちありし袖今夜まかむと思はくがよさ (作者不詳 [万葉集10]2073/2077)
天の川渡り瀬ごとに思ひつつ来しくもしるし逢へらく思へば (作者不詳 [万葉集10]2074/2078)
人さへや見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟の近づき行くを [一に「見つつあるらむ」といふ] (作者不詳 [万葉集10]2075/2079)
天の川瀬を早みかもぬばたまの夜は更けにつつ逢はぬ彦星 (作者不詳 [万葉集10]2076/2080)
渡り守舟早渡せ一年にふたたび通ふ君にあらなくに (作者不詳 [万葉集10]2077/2081)
玉葛絶えぬものからさ寝らくは年の渡りにただ一夜のみ (作者不詳 [万葉集10]2078/2082)
恋ふる日は日長きものを今夜だにともしむべしや逢ふべきものを (作者不詳 [万葉集10]2079/2083)
織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ (作者不詳 [万葉集10]2080/2084)
天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ (作者不詳 [万葉集10]2081/2085)
天の川川門八十ありいづくにか君がみ舟を我が待ち居らむ (作者不詳 [万葉集10]2082/2086)
秋風の吹きにし日より天の川瀬に出で立ちて待つと告げこそ (作者不詳 [万葉集10]2083/2087)
天の川去年の渡り瀬荒れにけり君が来まさむ道の知らなく (作者不詳 [万葉集10]2084/2088)
天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ (作者不詳 [万葉集10]2085/2089)
彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の絶えむと君を我が思はなくに (作者不詳 [万葉集10]2086/2090)
渡り守舟出し出でむ今夜のみ相見て後は逢はじものかも (作者不詳 [万葉集10]2087/2091)
我が隠せる楫棹なくて渡り守舟貸さめやもしましはあり待て (作者不詳 [万葉集10]2088/2092)

天地の 初めの時ゆ 天の川 い向ひ居りて 一年に ふたたび逢はぬ 妻恋ひに 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ 出の渡りに そほ舟の 艫にも舳にも 舟装ひ ま楫しじ貫き 旗すすき 本葉もそよに 秋風の 吹きくる宵に 天の川 白波しのぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて 若草の 妻をまかむと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ来し 恋尽すらむ 七月の 七日の宵は 我れも悲しも (作者不詳 [万葉集1089]2089/2093)
  反歌
高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ
(作者不詳 [万葉集10]2090/2094)
彦星の川瀬を渡るさ小舟のい行きて泊てむ川津し思ほゆ (作者不詳 [万葉集10]2091/2095)

天地と 別れし時ゆ ひさかたの 天つしるしと 定めてし 天の川原に あらたまの 月重なりて 妹に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに 我が衣手に 秋風の 吹きかへらへば 立ちて居て たどきを知らに むらきもの 心いさよひ 解き衣の 思ひ乱れて いつしかと 我が待つ今夜 この川の 流れの長く ありこせぬかも (作者不詳 [万葉集10]2091/2096)
  反歌
妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
(作者不詳 [万葉集10]2093/2097)

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