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長月の有明の月のありつつも君しきまさばわれ恋めやも

作者:柿本人麻呂 出典:[拾遺和歌集13]795
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.88

「やも」の用例。

連語としての「ありつつも」は「このままで」・「引き続いて」・「いつでも」の意(『岩波古語辞典補訂版』)。大野晋は、「ありつつも」を、「このままずっと」と解している。

また動詞「恋ひ」(連用形) だけで「恋しい想いで苦しむ」を意味する。参考:「人言の繁きこのころ玉ならば手に巻き持ちて恋ひずあらましを (河辺宮人 [万葉集3]436/439)」

大野晋の解は「このままずっとあなたが通って来てくださるなら、私はこんな恋しい心で苦しむことはない」。

しかし、私 ([ゑ]) の解釈は、やや異なる。以下の通り「恋人よ、(長い長い夜の、その明け方の)長月の有明の月が空に残っている間に来てくれさえするならば、私は恋しい思いに苦しまないですむのだよ」。

『拾遺和歌集』における、この歌を前後の歌と並べて再録しておく。
参考 (『拾遺和歌集』巻第十三。 794-786)
  万葉集和せる歌
ひとり寝る宿には月の見えざらば恋しき事の数はまさらじ
(源順 [拾遺和歌集13]794)
  題知らず
長月の有明の月のあつつも君し来まさばわれ恋ひめやも
(柿本人麻呂 [拾遺和歌集13]795)
  月あかき夜人を待ち侍て
ことならば闇にぞあらまし秋の夜のなぞ月影の人頼めなる
(柿本人麻呂 [拾遺和歌集13]796)

勿論、次の歌を連想することも忘れてはなるまい:
今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな (素性法師 [百人一首]21/[古今和歌集14]691)

この和歌 (「長月の有明の月のありつつも君しきまさばわれ恋めやも」) は、濠辰雄の「風立ちぬ。いざいきめやも」に関連して引用されている。「やも」は反語なので、「生きめやも」では「生きようか(いや止めておこう)」になる。これはヴァレリーの原詩 "il faut tenter de vivre !" (「生きていかなくては!」) の全くの誤訳である。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
私は大野晋の学業に敬意を持つこと人後に落ちると感じるものではないが、『岩波古語辞典』の「ありつつも」の語義 (当然、大野晋の担当であるべき) には若干の違和感を覚える。

そこで、『万葉集』で「ありつつも」が登場する歌を拾ってみると、以下のようになる。

ありつつも君をば待たむうちなびく我が黒髪に霜の置くまでに (磐姫皇后/磐之媛命/磐姫/仁徳天皇妃 [万葉集2]87)

佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来たらば立ち隠るがね (大伴坂上郎女 [万葉集4]529/532)

この岡に草刈るわらはなしか刈りそね ありつつも君が来まさば御馬草にせむ (柿本人麻呂歌集 [万葉集7]1291/1295)

岡の崎廻みたる道を人な通ひそ ありつつも君が来まさむ避き道にせむ (古歌集 [万葉集11]2363/2667)

今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし (作者不詳 [万葉集11]2671/2679)

安太多良の嶺に臥す鹿猪のありつつも吾は至らむ寝処な去りそね (陸奥国歌 [万葉集14]3428/3447)

  三月十九日に、家持が庄の門の槻の樹の下にて宴飲する歌二首
山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
(置始長谷 [万葉集20]4302/4326)
   右の一首は置始連長谷。
我が背子がやどの山吹咲きてあらばやまず通はむいや年のはに (大伴家持 [万葉集20]4303/4327)
   右の一首は、長谷、花を攀ぢ壷を提りて到り来。これによりて、大伴宿禰家持この歌を作りて和ふ。


  神丘に登りて、山部宿禰赤人の作れる歌一首并せて短歌
みもろの 神なび山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱る 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば
(山部赤人 [万葉集巻3]324/327)
  反歌
明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに
(山部赤人 [万葉集巻3]325/328)

こうした例から「ありつつも」の語義は「このままで」又は「そのままで」で、更に広くは、文脈が指定する状況が (ある状況が発生するまで、あるいはある目的が達成するために) 持続する状況下を含意すると推定される。「ありつつも」が「引き続いて」・「いつでも」の意味になるうることはありうるが、それは文脈への基本語義の適合の結果と見るべきだろう。

[万葉集2]87:「このままあなただけを待ち続けよう。私のこの柔らかに靡く黒い髪が、霜が置いたように白くなったとしても」
[万葉集4]529/532:「佐保川の岸を高みの薮を刈らないでくださいな。そのままはやしておいて、春になった時に身を隠したいのです」
[万葉集7]1291/1295:「この岡で草刈りをする若者よ。そこまで刈らないでおくれ。そのままはやしてままでおいて、我が君が来たら飼い葉にしたいのだ」
[万葉集11]2363/2667:「岡の先端を廻る道を皆さん通らないで欲しい。そのままそっとしておいて、あの人が人目を避けて遣ってくる道にしたいのです」
[万葉集11]2671/2679:「明け方に月が残るこの夜を今まで待ってもあなたは来なかったけれど、それでも、このまま待ち続けるのは、他の人ではなくあなたです」
[万葉集14]3428/3447:「安達太良山にいる鹿猪が動かずに臥しているように、おまえもそのままじっとして寝床から離れないでいてくれ。私が行くのだから」
[万葉集20]4302/4326:「山吹は慈しんで育てよう。あの方がいらっしゃる度に、山吹の花をそのまま髪に飾っているのだったから」
([万葉集20]4303/4327:「我が良き友の家の山吹が咲く頃に、これからも絶えることなく毎年必ずやってくるつもりなのだ」)
[万葉集巻3]324/327:「...絶えることなく、このままに、通い続けよう...」

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