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一つ松幾代かへぬる吹く風の音の清きは年深みかも

作者:市原王 出典:[万葉集6]1042/1046
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.118

係助詞「か」の用例。「幾代かへぬる」は「へぬる (は) 幾代か」の倒置。
大野晋の解:「一つ松よ、おまえさんがへてきたのは幾代なんだ、そのおまえさんから吹いてきて鳴る風の音の清く澄んで聞こえるのは、年長くここに立っているからか」。
「年深み」に就いては、「いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり (山部赤人 [万葉集3]378/381)」がある。

この歌の詞書は「同じ月十一日に、活道(いくぢ)の岡に登り、一株(ひともと)の松の下に集ひて飲(うたげ)する歌二首」である。「年」は天平16年甲申。「月」は正月、元旦は「丙申」だったから、その1月11日は「丙午」だった筈である (閏正月のあった年だが、「閏」であったとの証拠はない。ただし、「閏正月」であった場合は、正月11日は「乙亥」)。つまり、この宴は「子の日」ではなかった。

「二首」のうちのもう一首は、「たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ (大伴家持 [万葉集6]1043/1047)」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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