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月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど

作者:大江千里 出典:[百人一首]23/[古今和歌集4]193
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.268

所有者を表わす「の」の用例。「わが身一つにある秋」

『日本語で一番大切なもの』では解は与えられていないが、単に「秋の月を見ると何となく悲しい」と云うようなことではないと思う。

まず、押さえねばならないのは、この歌が、『和漢朗詠集』[秋夜] の項に収められた白居易の一節「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長/燕子楼(えんしろう)の中(うち)の霜月(さうげつ)の夜(よ) 秋(あき)来(きた)りてはただ一人(いちにん)のために長(なが)し」を踏まえていることだ。

この詩は、徐州の張尚書の愛妓眄眄が、張の死後十余年の間、邸内の燕子楼において孤閨を守ったことを詠んでいる。正に『白氏文集』などから漢詩を採って、和歌に翻案した『大江千里集』を作成した彼は、当然このことを承知したはずだから、この和歌も孤閨を守る女性の立場で解釈すべきなのだ。

「男の人に飽きられると云うことは私一人だけの体験ではないのだけれど、秋の月を一人で見ていると、わが身の行く末のどうしようもなさに、ちぢに心が乱れるです」

参考 (白居易「燕子樓三首並序」):
徐州故張尚書有愛妓曰眄眄, 善歌舞, 雅多風態. 予為校書郎時, 游徐、泗間. 張尚書宴予, 酒酣, 出眄眄以佐歡, 歡甚.予因贈詩雲:“醉嬌勝不得, 風嫋牡丹花.” 一歡而去, 邇後絕不相聞, 迨茲僅一紀矣. 昨日, 司勳員外郎張仲素繢之訪予, 因吟新詩, 有《燕子樓》三首, 詞甚婉麗. 詰其由, 為眄眄作也. 繢之從事武寧軍累年, 頗知眄眄始末, 雲:“尚書既歿, 歸葬東洛. 而彭城有張氏舊第, 第中有小樓, 名燕子. 眄眄念舊愛而不嫁, 居是樓十餘年, 幽獨塊然, 於今尚在.” 予愛繢之新詠, 感彭城舊遊, 因同其題, 作三絕句.

滿窗明月滿簾霜, 被冷燈殘拂臥床.
燕子樓中霜月夜, 秋來隻為一人長.

鈿暈羅衫色似煙, 幾回欲著即潸然.
自從不舞霓裳曲, 疊在空箱十一年.

今春有客洛陽回, 曾到尚書墓上來.
見說白楊堪作柱, 爭教紅粉不成灰?

--白居易:燕子樓三首 並序

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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