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ゆく年のをしくもあるかな増鏡みるかげさへにくれぬと思へば

作者:紀貫之 出典:[古今和歌集6]342
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.65

「も」を「かな」で承けている例。『日本語で一番大切なもの』での説明:「な」を付けることで字余りになってしまっているが、「をしくもあるか」で切ったのでは強くなりすぎるので、「な」を付けたのだろう。

『日本語で一番大切なもの』では解は与えられていない。

実は、私 ([ゑ]) は、この歌の大意を掴めないままでいる。「かげさへにくれぬと思ふ」であって「かげさへくれぬと思ふ」ではないから、「くれぬ」は「年」だけに係っていると考えて良いだろう(大体、「かげさへくれぬ」では意味が取りづらい)が、しかし、それでは「みるかげ」と「としくれぬ」とは、どう繋がるのかと云うと、私には説明が付かない。「増鏡」が只の枕詞で意味を担わないとすると、「かげ」の含意がまとまらなくなるから、「みるかげ」が「鏡に映る自分の姿」であることは動かせないから、そこから「としくれぬ」を導かねばならないのだが、すっきりした筋道がたてられないでいるのだ。
ただし、「年」と「増」が縁語になっているから、この歌は、単純に鏡に映った自らの姿の老醜を嘆くようなものではないにしろ (「現状が続いてほしい」と思っている初二句に注意)、抗いがたい時の流れへの嘆きを詠っていることは確かだ。
一応、疑問点を残したまま、解を作るとこうなる:「今年が終わってしまうのが残念でたまらない。鏡の中に映る自分の姿を見てさえ『また一年が終わってしまう (また一つ年を取ってしまう)』と思うので」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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