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伊夜彦おのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そぼふる

作者:不詳 出典:[万葉集16]3883/3905
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.242

当初予想される事態に反する事態を述べる「すら」の用例。伊夜彦は、新潟県の弥彦山の古名。「青雲」の訓は「あをくも」。

丸谷才一は「弥彦山はそれ自体が神々しくて、白い雲が棚引いている晴れた日ですら小雨がそぼ降っていることよ」と解している。これは通解でもあるらしい。

しかし、私としては、『日本語で一番大切なもの』p.232 で大野晋での注意に従って「神さび」を「マイナス・イメージ」の言葉として捉えて、歌を解釈したい:「弥彦山よ。お前の神としての力は衰えてしまって、晴天高く雲が棚引く日でさえ小雨がしとしと降るのだな」。

この歌の「小雨そぼふる」のヴァリアントが「あなに神さび」であることにも注意。「あな」はマイナス・イメージの言葉なのである。

ほぼ余談だが、「小雨そぼふる」を「あなに神さび」で置き換えると、歌の流れが、やや滞る。しかし「あなに神さび」を第6句と捕らえると、「弥彦山よ。お前の力は衰えてしまって、晴天高く雲が棚引く日でさえ小雨がしとしと降るのだな。やれやれ、本当に神としての力が衰えてしまっているよ」となって、意味が通じる。この歌が実は仏足石歌ではないかと言われる由縁かもしれない。

参考記事 (仏足石歌):
[nouse: 御足跡作る 石の響きは 天に到り 地さへ揺すれ 父母がために 諸人のために]

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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コメント

昨日は失礼しました。
如何でしょうか?「神さび」及び「あな」または「あなに」がマイナスイメージである根拠を知りたいのでここにお示しいただきたいのですが。
お示しなさらなければ、マイナスイメージではなく「神々しい」という従来の学説が正しいと見做させて頂きますが、それでよろしいでしょうか。

残念ですがメールアドレスはお教え出来ません。
嫌がらせをなさる方が多いので、悪しからず。

投稿: 講釈師 | 2018年11月10日 (土) 15:06

すみません、書き忘れていました。
浅学で申し訳ありませんが、「あなに」がマイナスイメージであるという根拠は何でしょうか?
岩波の古語事典を調べても「強い感動を表す語。ああ、ほんとうに」と書かれていて例として「桜の花のにほひはもー」と書かれていて、これは巻八ー1429に出てくる句で、やはり「桜の花の美しさよ、ああ」と捉えるのが妥当ではないでしょうか。
となるとやはりマイナスイメージというのは納得出来かねますが。

また「星雲のたなびく晴天の日まで小雨そぼ降る」というのは、神々しいからだ、と考えるのはおかしいのでしょうか。
現に高い山など晴天の日でも頂上では下界では晴れていても雲がかかっている時には山では雨や霧の時があり、それだけ高い=神々しいと言えますしそれを詠んでいると考えられませんか?
また六句目に「あなに神さび」と付けると、「弥彦山は自身が神々しく、青雲がたなびいている晴天の日までも小雨がそぼ降っているよ。まこと神々しく」となって少しも違和感を感じませんが。

さらにこの次の歌、3884は弥彦の麓の祭りの場を詠んだ歌となっていますが、仰るように力の衰えた神を昔ながらに鹿の皮の衣装に角まで付けてまで祭るものでしょうか。

投稿: 講釈師 | 2018年11月 9日 (金) 23:48

>しかし、私としては「神さび」をマイナスイメージの言葉と捉えて・・・

突然失礼します。お言葉ですが、違うと思います。
なぜならこの時代の人々の信仰、特に山に対する信仰は現代では考えられないくらい絶大なものであったと考えるのがまず常識ではないでしょうか。ならば「神さび」とは神々しいと捉えた方が自然で適当かと。
万葉集の巻16の目録を見ても、「能登国の歌四首」となっていますから、歌の感じと併せて地元の人に歌われた民謡のようなものと考えるのが妥当ではないでしょうか。
この歌を採集したのはまず間違いなく家持でしょう。
家持が自分が詠んだ歌を能登国歌として編纂したとは思えません。
そのように地元の人のあいだで、民謡(的な歌)として伝えられてきたこの歌が弥彦山に対してマイナスイメージを持っていてそれがずっと伝わったものとは到底思えません。
中西進、犬養孝などの一流学者の著書の現代語訳を見てもマイナスイメージな意見は見当たりませんし、またそのようなマイナスの意見があれば、中西先生などはキチンと載せると思います。現に石川郎女に関して美婦久志会の通説とは異なる意見があるということも書いておられます。

以上のことから私はやはりこの歌は弥彦山を讃える歌と考えるのが自然で妥当であろうと考えます。
ただし、歌を楽しむのは自由ですから、筆者殿がマイナスイメージで捉えられるのもまたユニークな感性で良いかと思います。
参考になる感じ方、味わい方を教えていただきありがとうございました。。

投稿: 講釈師 | 2018年11月 9日 (金) 22:39

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