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七万余騎がなかよりわづかに二千騎ぞのがれたりける。

作者:未確認又は該当情報なし 出典:[(覚一本)平家物語7]「倶利伽羅落(くりからおとし)」
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.423

鎌倉時代の終わり頃には、引用文中にあるような「ぞ」は「が」で置き換えてもいいようになってきていた。(岩波文庫『平家物語三』p.38)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
[平家物語7]「倶利伽羅落」
次第にくらうなりければ、北・南よりまはッつる搦手の勢一万余騎、倶利伽羅の堂の辺にまはりあひ、えびらのほうだて打たゝき、時をどッとぞつくりける。平家うしろをかへり見ければ、白旗雲のごとくさしあげたり。「此山は四方巖石であんなれば、搦手よもまはらじと思つるに、こはいかに」とてさはぎあへり。去程に、木曾殿、大手より時の声をぞあはせ給ふ。松長の柳原、ぐみの木林に一万余騎ひかへたりける勢も、今井四郎が六千余騎で日宮林にありけるも、同く時をぞつくりける。前後四万騎がをめく声、山も川もたゞ一度にくづるるとこそ聞えけれ。案のごとく、平家、次第にくらうはなる、前後より敵は攻め来る。「きたなしや、かへせ、かへせ」といふやからおほかりけれ共、大勢の傾たちぬるは、左右なうとッてかへす事かたければ、倶梨迦羅が谷へ、われ先にとぞ落しける。まッさきにすゝむだる者が見えねば、「此谷の底に道のあるにこそ」とて、親落せば子も落し、兄落せば弟もつゞく。主落せば家子・郎等落しけり。馬には人、ひとには馬、落かさなり落かさなり、さばかり深き谷一つを、平家の勢七万余騎でぞうめたりける。巖泉血を流し、死骸岳をなせり。されば其谷のほとりには、矢の穴、刀の疵残ッて今にありとぞ承はる。平家の方には、むねとたのまれたりける上総大夫判官忠綱・飛弾大夫判官景高・河内判官秀国も、此谷にうづもれて失せにけり。備中国住人瀬尾太郎兼康といふ聞ゆる大力も、そこにて加賀国住人蔵光次郎成澄が手にかゝッて、いけどりにせらる。越前国火打が城にてかへり忠したりける平泉寺の長吏斎明威儀師もとらはれぬ。木曾殿、「あまりにくきに、其法師をばまづきれ」とて、きられにけり。平氏の大将維盛・通盛、けうの命生て、加賀の国へ引退く。七万余騎がなかより、わづかに二千余騎ぞのがれたりける。(岩波文庫『平家物語三』p.36, p.38)

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