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ちぎりおきしさせもが露をいのちにてあはれ今年の秋もいぬめり

作者:藤原基俊 出典:[百人一首]75/[千載和歌集16]1026
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.33

感動詞「あはれ」の用例。自分自身を「あはれ」と感じている。

大野晋の説明:鎌倉時代の初め頃になると、歌詠みたちは、閉塞された生活の中で、いろいろものに感じているという歌が多くなった。だから、自分で自分を見る対象にして「あはれ」と言うようになったが、この場合も「はたから見て」という傾向があるようだ。

参考 (『千載和歌集』での詞書):「律師光覚、維摩会の講師の請を申しけるを、度々洩れにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、しめぢが原と侍りけれども、又その年も洩れにければよみてつはしける

「しめぢが原」は、次の歌を踏まえる:
なほ頼めしめぢが原のさしもぐさわれ世の中にあらむ限は (読人しらず [新古今和歌集20]1917) 『新古今和歌集』巻二十[釈教]冒頭歌。「何かおもふ何をかなげく世の中はたゞ朝顔の花のうへの露 (読人しらず [新古今和歌集20]1918」とともに「このふた歌は、清水観音の御歌となむ云ひつ傳へたる」。

「露」は「常もなき」ことの寓意だろう。次を参照:
つねもなき夏の草葉に置く露を命とたのむ蝉のはかなさ (読人しらず [後撰和歌集4]193)

この歌に解を付けるとしたら、こうにもなるか:「(息子の光覚を、十月十日の維摩会の講師に選ばれるよう取り計らって頂けると云う)お約束を『しめぢが原のさしもぐさ』で、あなたが『世の中にあらむ限り』必ず叶えると云うお言葉でしたので、それを信じてきっておりましたが、そのお言葉は、さしもぐさの上の露ほどの常のなさでした。その露を命とも思って便りにしておりました私どもの儚さのまま、ああ、今年の秋もみすみす過ぎてしまったように思われます」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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