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山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく

作者:柿本人麻呂 出典:[万葉集3]429/432
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.146

已然形の用法。「なれ」+「や」で「なれや」の場合。
大野晋の説明によれば、恋人が死んで、吉野の山で火葬にして、その火葬の煙がたなびいていると云う歌である、と云うのだが、「出雲の子」が柿本人麻呂の恋人でなくても成立するだろう。
「出雲の子らは霧であるんですかね」と、相手に聞く形で、そんなはずはないとそれを否定している。「なれ」と云う已然形で「あるので」と云う部分までを含んでいる。平安時代になると已然形には、「ば」か「ど」を付けて、「ば」の場合か「ど」の場合かをはっきり示すようになった。

詞書は、「溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首」。「火葬る」の訓は「やきはぶる」。もう一首は「八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ (柿本人麻呂 [万葉集3]429/432)」。
一応私なりの解をを付けておく:「出雲娘子は霧である訣はないだろうに、煙が山間を抜けて去って、吉野の山の嶺にたなびいている」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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