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これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関

作者:蝉丸 出典:[百人一首]10/[後撰和歌集15]1090
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.232

「も」の歌の代表例。

この記事は[nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引 (改)] (2008年3月1日[土]) の一部をなすものである。

補足 (2008-04-25 [金]):
[後撰和歌集15]1090 では

  逢坂の關に庵室を造りて住み侍りける、行きかふ人をみて
これやこのゆくもかへるも別れつつ知るも知らぬも逢坂の關
(蝉丸 [後撰和歌集15]1090)

として収められている。なお、番号 "1090" は "1089" で引用されることもある。

実は、この歌は、以前から良く分からないままできていた。

従来からある解釈も、見知った限りでは釈然とするものは無かった (『日本語で一番大切なもの』では解は与えられていない)。

更に、この歌には、気になることがあって、それは「逢坂の關に庵室を造りて」と云う詞書である。「蝉丸」とされる作者は、「尋ね人」でもあったのだろうか、と、つい思ってしまうのだが、それを確かめることが出来ないままでいる。ただ、彼が伝説通りに琵琶奏者であったなら、「逢坂の關」で「営業」していたと云う想像を逞しくすることは、取り敢えず許されるかもしれない。

もっとも、こうでもあろうかと云う解の腹案は、私にもあるので、それを書いておく:「ここで暮しておりますと、東国へ下る人とも別れねばならず、また都に上り帰る人とも別れねばならないのですが、その一方で、知っている人ばかりでなく知らなかった人ともお逢いする機会があるのです。だからこそ、ここは『逢坂の關』と呼ばれているのでしょうね。」

つまり、私が従来解に感じている不満の要点は、「行く/帰る」と「知る/知らぬ」と云う二項対立に注目するばかりで、ヨリ重要な「別れる/合ふ」と云う二項対立の緊迫感が閑却されてことである。だから、「帰る」のが「東国に下向する人を見送りにきた人が京に戻る」のか、或いは「東国に下向していた人が帰京する」のかと云う非本質的な議論や、「知っている同士や知らない同士が逢う」から「逢坂」と云う、媒概念不周延の虚偽に近いような奇妙な解釈が行なわれたりしているのではないかと云う気がしているのだ。私には「別れる/合ふ」の主体が作者蝉丸でなければ、この歌は成立しないと思われる。しかし、今は、私の腹案の適否を含めて、これ以上先に考える見当がつかない。

一応、将来問題に再挑戦する際に備えて、現時点で収集できる資料を纏めておこう。

蝉丸の作歌:
秋風になびく淺茅のすゑごとに置く白露のあはれ世の中 (蝉丸 [新古今和歌集18]1850)
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ (蝉丸 [新古今和歌集18]1851)
逢坂の関の嵐のはげしきにしひてぞゐたるよを過ぎんとて(蝉丸 [続古今和歌集18]1725)


『今昔物語』には、蝉丸と源博雅に関わる説話が収められている ([今昔物語24]23)。また、謡曲にも『蝉丸』がある。


「知るも知らぬも」の歌例:
  題しらず
われだにもまづ極樂にうまれなば知るも知らぬも皆迎へてむ
(僧都源信 [新古今和歌集20]1926)

  守覺法親王五十首歌よませ侍りける時
この程は知るも知らぬも玉鉾の行きかふ袖は花の香ぞする
(藤原家隆 [新古今和歌集2]113)

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