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二十八貫の銀では、疵のない、手入らずの女房が持たるゝ。

作者:近松門左衛門 出典:心中万年草
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.425

「ぞ」から「が」への移行は、江戸時代に入ると確立する。「女房が持たるゝ」は連体形終止であることに注意。
岩波文庫『曾根崎心中・冥途の飛脚・他五篇』[心中万年草] p.269 では「二十八貫目(くはんめ)の銀(かね)では、傷(きづ)のない手入(い)らずの女房が持(も)たるゝゥ」となっている。 なお、「疵/傷」の歴史仮名遣い訓は「きず」。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
[心中万年草]
「ヲヽのみこんだ こりや男。雷が鳴つたとて こちの娘が不義のある証拠にはなるまいぞ。どふでも今宵祝言させ くゝり付けて往なせねば。雑賀屋の与次右衛門がゥ町へ面が出されぬ。手柄に婿にして見せふ」。「ヲヽおれが身代見かけては 定めて婿に欲しからふ。二十八貫目の銀では、傷のない手入らずの。女房が持たるゝゥおれが銀でこしらへた。夜着蒲団から取つてくれふ」と二階へ上がれば与次右衛門。腕ねぢ折らふとゥ引下ろし 上を下へとつかみ合ふ。(岩波文庫『曾根崎心中・冥途の飛脚・他五篇』 p.269)

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