« 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み | トップページ | 不尽の嶺を高みかしこみ天雲もい行きはばかりたなびくものを »

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け

作者:上野岑雄(かみつけのみねお) 出典:[古今和歌集16]832
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.263

助詞「の」の用例。「深草」も「野辺」も作者にとっては自分の外界にある。
「深草の野辺」は「深草にある埋葬地」の意。

『源氏物語』[薄雲]の引き歌。藤壷が亡くなったあとで光源氏が「今年ばかりは」とつぶやく。その一句を言うだけで和歌全部を引いたことになる。

参考 ([源氏物語19]「薄雲」):
をさめたてまつるにも、世の中ひゞきて、「悲し」と思はぬ人なし。殿上人など、なべて、ひとつ色に黒みわたりて、ものの映(はへ)なき春の暮なり。二條院の御前の櫻を御覧じても、花の宴の折など、思し出づ。「今年ばかりは」と、ひとりごち給ひて、人の、見とがめつべければ、御念誦堂にこもりゐ給ひて、日一日、泣き暮らし給ふ。夕日、花やかにさして、山ぎはの木ずゑ、あらはなるに、雲の薄く渡れるが、鈍色なるを、なにとも御目とどまらぬ頃なれど、いと物あはれに思さる。 (岩波文庫『源氏物語(二)』p.237)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

補足
この歌は、太政大臣藤原基経 (836年-891年) が亡くなった際のもの。詞書は「ほりかはのおほきおほいまうち君、身まかりにける時に、深草の山におさめてけるのちによみける」。

|
|

« 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み | トップページ | 不尽の嶺を高みかしこみ天雲もい行きはばかりたなびくものを »

『日本語で一番大事なもの』」カテゴリの記事

日本語/和文」カテゴリの記事

詩/文藝」カテゴリの記事

読み物・書き物・刷り物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40172/40543954

この記事へのトラックバック一覧です: 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け:

« 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み | トップページ | 不尽の嶺を高みかしこみ天雲もい行きはばかりたなびくものを »