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しるといへば枕だにせでねしものを塵ならぬ名の空に立つらむ

作者:伊勢 出典:[古今和歌集13]676
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.257

「さへ」に近い「だに」の用例。

丸谷才一は「枕は人の秘密を知るというから、その枕さえしないであなたと関係したのに、私の名は塵でもないのに、その私の名が当て推量に立って、あの女はあの男と関係があると言われる」と解しているが、前半はともかく、後半は疑問。「空に立つらむ」を「当て推量に立って」とするのは苦しいだろう。まず「空」を「当て推量」とするのに無理があるし、「関係」したことが事実なら「当て推量」を嘆くのは奇妙だろう。そのことに気づくと、その前の「塵ならぬ名」を「私の名は塵でもないのに」とするのが可訝しいことにも気づく。この「名」は「評判」とか「噂」と解すべきだろう。だから「塵ならぬ名」は「塵ではなく噂が」の意。

これは、以前 (一度だけ?) 共寝をしたが、その後は来ようとしない男に対し、男との噂が徒なものになっていると嘆いているのだ。「ものを」は「たしかに共寝をしたのに」と云う執着を表わす。

これを踏まえて解を作りなおすと「枕は人の秘密を知るというから、その枕さえしないであなたと共寝をしたのに、そのあなたはあれ以来いらっしゃらない。おかげで、枕からは塵ではなく(あなたとの) 噂が空に (徒に) 立っているようですよ」となる。「枕」と「塵」は縁語。恋人との共寝をしないと枕に塵が積もると言われていた。

丸谷才一のために一言付け加えておくなら、この和歌には伊勢の「可愛い嘘」が忍ばせてあるような気がしてならない。歌の後半の含意では枕に塵が積もったのは男が来ないせいだと咎めいてるわけだが、前半で認めているように、「枕」を外したのは伊勢本人の意思で、そのことを男が気付いていることを伊勢は承知している。だから「しるといへば」と予防線をはった訣だ。この「嘘」のため、「枕」の意味が歌の前半と後半では、「恋の禁じ手」レベルの酷さですり替えられているのだ。

参考:
夢とても人に語るな知るといへば手枕ならぬ枕だにせず (伊勢 [新古今和歌集13]1159)」 (詞書:「忍びたる人と二人ふして」)
枕だに知らねばいはじ見しままに君かたるなよ春の夜の夢 (和泉式部 [新古今和歌集13]1160)

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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