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こととはん野島が崎のあま衣浪と月とにいかがしをるる

作者:七条院大納言 出典:[新古今和歌集4]402
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.291

地名に「が」が付く用例。地名の場合は、所在・所属を表わすのに「が」で承けることが多い。「野島が崎の海人の衣は、波のしぶきと月見る涙とでどのように濡れているか、お尋ねしたい」

「野島が崎」は「淡路島北端の西側の地」と云う。参考:
あはれなる野島が崎のいほりかな露置く袖に波もかけけり (藤原俊成 [千載和歌集8]531)
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ (柿本人麻呂 [万葉集3]250/251)
玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我れは (柿本人麻呂 [万葉集3]250/251 一本にいふ)
淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す (柿本人麻呂 [万葉集3]251/252)
玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我は (柿本人麻呂 [万葉集15]3606/3628)
天地の 遠きがごとく 日月の 長きがごとく おしてる 難波の宮に 我ご大君 国知らすらし 御食つ国 日の御調と 淡路の 野島の海人の 海の底 沖つ海石に 鰒玉 さはに潜き出 舟並めて 仕へ奉るし 貴し見れば (山部赤人 [万葉集6]933/938)

参考 (『新古今和歌集』中の前の歌3首と共に):
  八月十五夜、和歌所歌合に、海邊秋月といふことを
心あるをじまの海士のたもとかな月宿れとは濡れぬものから (宮内卿 [新古今和歌集4]399)
わすれじな難波の秋の夜半の空こと浦にすむ月はみるとも (宜秋門院丹後 [新古今和歌集4]400)
松島やしほ汲む海士の秋の袖月はもの思ふならひのみかは (鴨長明 [新古今和歌集4]401)
  題しらず
こととはん野島が崎のあま衣浪と月とにいかがしをるる (七条院大納言 [新古今和歌集4]402)

ちなみに言う。「鴨長明 [新古今和歌集4]401」には「松島の塩を汲む海女の秋の袖よ。月は物思う人の涙で濡れた袖に映るならわしだけではなかった。塩水で濡れた海女の袖にも映っているよ」と云った解釈が与えられることがあるようだが (小学館[日本古典文学全集:新古今和歌集])、なぜそうなるか、私にはよく理解できない。そこで、私なりの解をつけておく:「松島で潮汲みをする海士の濡れた袖に光る秋の月と云うものもある。『月』と云う歌題だからといって、ありがちに『もの思ふ』としてすむだろうか」。実は、鴨長明自身が、『新古今和歌集』の少し前で「ながむればちぢにもの思ふ月にまたわが身ひとつの峰の松風 (鴨長明 [新古今和歌集4]397)」と詠んでいるのだが、或いは自戒かも知れず、更に或いは、「松島やしほ汲む海士の」は、宮内卿の「心あるをじまの海士の」に和したのかもしれない。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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