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後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ

作者:大伴家持 出典:[万葉集4]739/742
中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.170

「こそ」の用例。大野晋は「後にでもお前に会おうと思うからこそ今日までも生きているのに (お前は私を疑ってあれこれうるさいことを言う)」と解して、言いたいことが歌中に示されず、言外にある例だと説明している。
大体その通りなのだが、言外の「お前は私を疑ってあれこれうるさいことを言う」は、少し違うのではないだろうか。

この歌は、大伴坂上大嬢との相聞中の一首で、彼女の「かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君 (大伴坂上大嬢 [万葉集4]737/740)」と「世の中し苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば (大伴坂上大嬢 [万葉集4]738/741)」とに大伴家持が和したものなのだ。つまり「娘」が「世間の噂がどうでも後で逢えるわよね」とか「恋の苦しさに負けて死んでしまいそう」とか、やや纏まりのない拗ね方をしたので、「男」が「死んだら逢えなくなるのだけれど...」と、(多分、やや呆れて、ただし優しく) たしなめたのが、この歌だろう (大野晋の言いたいことは、私としては分かるんだが、その一方で、ミスリードしそうな表現だと思う)。

本記事は、極めて長文である [nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引] (2008年3月1日[土]) から同一引用文に係る項目を分離独立させたもので、内容に実質的な変化はない。

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