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2007年12月の8件の記事

"Rboard PRO for PC" 被昇天

昨2007年12月20日午前、十年ほどもしっかり働いてくれた "Rboard PRO for PC" が天に召されました。

ハードウエアとしての使い心地はとても優れていたものの、ドライヴァの出来は今ひとつで、ときどき突如として半角カナコードを吐き出すようになって、システム再起動を余儀無くさせられましたが、それも今となっては良い想い出です。

最近は、システム立ち上げ時に、キーボードの認識が成立せず、そのたびに BIOS 画面をオープン・アンド・シャットすると云う便法を取らざるを得ないことが頻頻と起こるようになっていました。

更に、この數日間は、数文字、或いは一文字打ち込んだだけで半角カナ状態に切り替わることが常態化していました。そして遂に昨日になって、システム立ち上げのキーボード認識失敗だけでなく、BIOS 画面を開く為の DEL キー入力さえ出来なくなってしまったのでした。

キーコードが入力できなければ、キーボードはキーボードではなく、コンピュータも只の箱です。こうなってしまっては、この Rboard を偏愛してきた私としても為す術がありません。思うに、二台の「アスキーボード」と、この "Rboard PRO for PC" とで長い間続いてきた親指シフト専用キーボードの利用が到頭終わってしまったので、若干の感傷ナシとしませんが、普通の日本語キーボードに AltIME と「親指ひゅんQ」を入れて凌いでいます。

でもやはり使いづらいですね。慣れれば何とかなるのでしょうか。そうあって欲しいとは思っていますが。

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[幽明録 天台二女] に就いて:訳文

半年ほど前 (2007年6月19日[火]) に [nouse: [幽明録 天台二女] に就いて:太平広記[幽明録]逸文[劉晨阮肇入天台]テキスト] では、[幽明録 天台二女] の原文テキストをポストしただけで終わっていたが、[nouse: 元好問「玄都觀桃花」。あるいは、老生、煩悶しながらバーミヤンで麻婆豆腐を食べること:「非関水雨能留客」か「非関小雨能留客」か?] (2006年12月 4日[月]) でも触れたように、この説話は、[リップ・ヴァン・ウィンクル-浦島太郎] 型であって、その視点から、かねがね再論するつもりであった。そこで、今回訳文を作成して、少しだけ話を進めておくことにする。

最初に、テキストに就いて説明しておかねばなるまい。ご存じの方も多いだろうが『幽明録』のオリジナルは早くから散逸している。しかし、その佚文は『太平広記』や『太平御覧』などの他書に引用されて現在に伝わっている。[nouse: [幽明録 天台二女] に就いて:太平広記[幽明録]逸文[劉晨阮肇入天台]テキスト] に示したのものも、その類いである訣で、以下、これに基づいて議論を行なう。印刷による注釈本のたぐいによるチェックはしていない。

岩波文庫の『唐宋伝奇集』の解説にもあるように「唐代の伝奇小説は、北宋初期に編纂された『太平広記』に大部分が収録されて」(岩波文庫『唐宋伝奇集(下)』p.380) いるから、信頼できるテキストの確定ができない状況と云うのは、私としても慚愧に耐えないのだが、諸事情から如何ともしがたいので、以下、其の程度の物だとおもって御覽いただきたい。

いきなり脱線するが、『太平広記』と言えば、石田幹之助が、その著『長安の春』の序文に於いて「顧(おも)うに『太平広記』五百巻、『全唐詩』四万八千首、それを片端から読んで見たところで問題によってはこれだけの材料しか出ないのかと思うとばかばかしくもあり」と、羨むべき自嘲を行っている、まさにその書である。

[nouse: [幽明録 天台二女] に就いて:太平広記[幽明録]逸文[劉晨阮肇入天台]テキスト] 中の4つのテキストのうち、まず基本として4番目の「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」を翻訳を試みる。ちなみに、このテキストは魯迅の校勘になるものらしい(『古小說鉤沈』所収)。

刘阮遇仙

汉明帝1)永平五年2),剡县3)刘晨、阮肇共入天台山4)取谷皮5),迷不得返。经十三日,粮食乏尽,饥馁殆死。遥望山上,有一桃树,大有子实;而绝岩邃涧,永无登路。攀援藤葛6),乃得至上。各啖数枚,而饥止体充。复下山,持杯取水,欲盥漱。见芜菁叶7)从山腹流出,甚鲜新,复一杯流出,有胡麻饭掺8),相谓曰:“此知去人径不远。”便共没水,逆流二三里9),得度山10),出一大溪,溪边有二女子,姿质妙绝,见二人持杯出,便笑曰:“刘阮二郎,捉向所失流杯来11)。”晨肇既不识之,12)缘二女便呼其姓,如似有旧,乃相见忻喜。问:“来何晚邪?13)”因邀14)还家。其家铜瓦屋。南壁及东壁下各有一大床,皆施绛罗帐15),帐角悬铃,金银交错,床头各有十侍婢,敕云:“刘阮二郎,经涉山岨16),向虽得琼实17),犹尚虚弊18),可速作食。”食胡麻饭19)、山羊脯、牛肉,甚甘美。食毕行酒20),有一群女来,各持五三桃子21),笑而言:“贺汝婿来。”酒酣作乐,刘阮欣怖交并22)。至暮,令各就一帐宿,女往就之,言声清婉,令人忘忧。至十日后欲求还去,女云:“君已来是,宿福所牵23),何复欲还邪?”遂停半年。气候草木是春时,百鸟啼鸣,更怀悲思24),求归甚苦。女曰:“罪牵君,当可如何?”遂呼前来女子,有三四十人,集会奏乐,共送刘阮,指示还路。既出,亲旧零落,邑屋改异,无复相识。问讯得七世孙,传闻上世入山,迷不得归。至晋太元八年25),忽复去,不知何所。

漢の明帝の永平五年のことである。剡(シャン)県の劉晨と阮肇はコウゾの樹皮を採るため一緒に天台山に入ったが、迷って戻れなくなった。十三日過ぎると食料も尽き、餓死せんばかりになったが、遠くの山上に一本の桃の樹があり、多くの実がなっているのが見えた。岩は切り立ち谷川は奥深く、登るための道は全く無かったが、葛のツルに縋りながらよじ登っていくことで、上まで辿り着くことができた。幾つか食べると空腹は収まり満足したので、山を下り戻り、椀で水を掬って手や口を濯ごうとしたが、見ると、青々としたカブラの葉が山腹から流れ出てくる。さらに椀も一つ流れ出てきたが、その中には胡麻と飯粒が入っていた。二人は「これは、人のいる所から遠くないと云うことだぞ」と言い合って、ともに水に入り、流れに逆らいながら二・三里ほどいくと、山を越えることができて、大きな渓流に出た。そのほとりには、たとえようもなく容姿の優れた女が二人いて、劉晨と阮肇が椀を持ってやってくるのを見るや、笑って「流してしまったお椀を、劉さんと阮さんのお二人がすぐに持って来てくれたわ」と言った。劉と阮には理由が分からなかったが、旧知の中のように二人の女は姓を呼び、そして逢えたことを大いに喜んだのである。二人の女が、「今晩いらっしゃらない?」と聞いてきたので、劉と阮は、招待に応じて女たちの家に附いて行くのだった。その家の屋根は銅葺きで、南の壁と東の壁の下には各々大きな寝床があって、それぞれの寝床には、角に鈴が付いていて金銀入交じりの縫い取りのある紅絹(もみ)の帳(とばり)が懸けてあった。枕頭には、それぞれ侍女が十人控えていたが、そのものたちに「劉さんと阮さんのお二人は、険しい山中を通って来られたのです。桃の実を食べたばかりですけれど、まだお疲れで身体が弱っておいでです。急いでお食事を作りなさい」と命じた。食事には、胡麻餅、ヤギ肉の干したもの、牛肉が出て、はなはだ美味であった。食事が了わると、酒が出された。各々数個の桃の実を持った女達が現われ、笑いながら言うには「貴女に御婿さんが出来ておめでとう。」酒がすすんで朗らかになり、劉と阮は、喜びと怖れとを交々味わったのである。日が暮れると、劉と阮は、それぞれ寝床に寝かされた。女も床をともにしたのだが、その言葉とその声は清らかで淑やかであり、人をして憂いを忘れしめるものだった。十日が過ぎて、帰ろうとすると、女は「貴方が此処にいらしたのは、前世からの果報が貴方を此処に引き寄せたのです。どうして帰ろうなどとするのですか?」と言うので、半年の間留まった。気候も草木も春となったことを示し、さまざまな鳥が鳴いて、望郷の想いは更に募り、帰りたいと云う気持ちがひどく苛まれるようになった。女は言った。「罪業が貴方を牽いていくのだから如何しようもないわ。」ついに女は以前来た女達を呼ぶと、三・四十人が集まって、音楽を演奏して、一緒に劉と阮とを見送り、帰り方を教えるのであった。帰ってみると、親戚友人は零落しており、町の家々は別のものに替っていて、知人もいなかった。問いたずねて、七代目の子孫が、先祖が山の中に入り、迷って返って来れなかったと云う話を伝え聞いていることを知った。晋の太元八年になって、再び忽然と姿を消したが、どこに行ったかは分からなかった。

1)漢明帝:明帝(めいてい 28年-75年、在位57年-75年)は、後漢(現在は「東漢」とも)の第2代皇帝(孝明帝)。中文版ウィキペディア「汉明帝」も参照のこと。

2)永平:後漢明帝下の元号。58年(戊午)-75年(乙亥)。「永平五年」は62年に相当する。

3)剡县(剡縣):現在の浙江省紹興(地級)市内の嵊州(県級)市に当たる。百度百科「嵊县」も参照のこと。

4)天台山:浙江省台州(地級)市天台県の北部にある山。天台宗の発祥地。台州市は紹興市の東南に接し、また東方が東シナ海に開いている。百度百科「天台山」も参照。

5)谷(穀):カジノキ(Broussonetia papyrifera Vent.)。クワ科の落葉低木樹。「谷皮(穀皮)」は、その樹皮。劉晨、阮肇が何の目的で、「谷皮(穀皮)」を得ようとしたのかは文面からは不明。カジノキやコウゾは、現在製紙原料として用いられるが、製紙法の発明者とされる蔡倫は、まさに後漢時代、永平年間から始まってから第二代明帝・第三代章帝・第四代和帝等へと仕えていった人物で、製紙法の発明は105年(和帝期末)とされている。話が微妙なのは、蔡倫以前の前漢時代から植物繊維由来の「紙」が利用されていることだ。私には判断がつかない。ただし「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」の注では「它(谷皮)的纤维可以织布,也可以作纸浆。」と言うておる。ちなみにコウゾの学名は Broussonetia kazinoki Sieb. でカジノキと近縁種(シーボルトがコウゾとカジノキを混同したほど)。コウゾはカジノキとヒメコウジ(Broussonetia kazinoki)との雑種と云う説もある(日本語版ウィキペディア)。ちなみに「日本の和紙業界が現在原料として使うコウゾは約8割がタイからの輸入カジノキである(タイの文献側には1930年代にカジノキの白皮を輸出したという記録が残っている)そのタイも現在ではラオスからの輸入に仰ぐようになっている。(メコン圏に自生するカジノキ)」だそうな。取り敢えずの翻訳としては「穀皮」は、「コウゾの樹皮」とするのが、読者を distract しなくてすむから良いかなどと思う。

6)藤葛:「葛」も「葛藤」も「クズ (Pueraria lobata)」を意味する (「フジ」は含まれない) が、では「藤葛」はどうかと云うと、やはり「クズ(葛)」を意味するようだ。では「フジ」は中国語で何と呼ばれているかが問題になるが、これは例えば「紫藤 (Wisteria sinensis)」になるようだ(別名あり)。ただし、日本産の「フジ (Wisteria floribunda)」とは若干異なる。「紫藤」の生態は、私は無知だが、日本産の藤と同様なら、そのツルは木の枝から垂れ下がる筈で、切り立った崖をよじ登るのには向かないような気がする。「葛」は勿論、好適だろう。

7)芜菁(蕪菁):日本語での所謂「蕪(カブ又はカブラ)」のこと。というか、日本語でもカブ・カブラを「蕪菁」と表記することはある。「叶」は「葉」。

8)胡麻饭掺(胡麻飯糝):「胡麻」には、所謂「ゴマ」の他に「アマ(亜麻)」の意味があるらしいが、はたしてどちらか? ただし「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」の注によれば「芝麻」、つまり「ゴマ」。「掺」は「糁」に読み替えた。「饭糁」は「飯粒」。なお「胡麻饭掺」は「胡麻饭」+「掺」ではなく「胡麻」+「饭掺」と解釈した。

9)二三里:「里」は歴代長さが変わるので、数値は特定できないが、指呼の間ではないだろう。かと言って、「二三里」が、余り長距離であるのは文脈に堪えられない。しかし、そもそも、ここで「二三里」と云う具体的な数値が出てくることの方が興味深い。

10)得度山:「度」は「渡」とと通ずるから、「山を越えることができた」と云うことだろう。「苦労しながら」と云うニュアンスがある。

11)捉向所失流杯来:「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」の注によれば「刚才」。もしそうだとすると、つまり「今さっき」とか「たった今」と云う意味。

12)晨肇既不识之,缘二女便呼其姓(晨肇既不識之,緣二女便呼其姓):この位置に有る「缘」は意味不明。「之,缘」ではなく「之缘,」と切るなら、「劉と阮には理由が分からなかったが、二人の女は旧知の中のように姓を呼んだ」と、ある程度は意味が通じるので、そのように訳す。

13)来何晚邪?:直訳すると「どの晩に来るのか?」だが、「今晩来ないか?」と云う含みが有る。字面としては晩餐に招待しているとみることができるだろう。

14)邀:「招待」

15)絳羅帳:「絳」は「真紅の」。「羅」は「紗」や「絽」のような織物。一応「紅絹(もみ)の帳(とばり)」と訳しておく。

16)山岨:「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」の注によれば「山里险峻难行的地方」のことで、「岨」とは「戴土的石山」だそうだ。

17)琼实(瓊實):ようするに、劉・阮が山上で食べた「桃の実」のことだが、単純な美称であるか、あるいは西王母の蟠桃のような、より具体的な内容をもっているものなのか判断がつかない。今のところは「桃の実」と訳しておくしかあるまい。ただ、劉・阮が食べた「桃の実」は、平たく丸い物を数える「枚」で数えられていることに注意。実は、蟠桃も「枚」で数えられることがある。漢の武帝が、西王母に蟠桃を賜わったと云う故事があるが、それは次のようなものである:

漢武故事曰.東郡獻短人.呼東方朔.朔至.短人因指朔謂上曰.西王母種桃.三千歲一為子.此兒不良也.已三過偷之矣.後西王母下.出桃七枚.母因噉二.以五枚與帝.帝留核著前.母問曰.用此何.上曰.此桃美.欲種之.母笑曰.此桃三千年一著子.非下土所植也.
--中央研究院 漢籍電子文獻/選自【古籍三十四種】/藝文類聚/第八十六卷 果部上/桃 - 1467 -

もっとも、[漢武帝內傳] では、以下のようになっているらしい:

又命侍女更索桃果,須臾,以玉盤盛仙桃七顆,大如鴨卵,形圓青色,以呈王母。母以四顆與帝,三顆自食。桃味甘美,口有盈味。帝食輒收其核,王母問帝,帝曰:「欲種之。」母曰:「此桃三千年一生實,中夏地薄,種之不生。」帝乃止。
--詩詞典故:王母桃

18)虚弊:「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」の注によれば「身体虚弱疲惫」を指す。「身体が疲労衰弱している」(「虚弱」が「衰弱」。「疲」も「惫」も「疲れる」の意。)

19)胡麻飯:「吃在武夷山」(下記引用参照) に記されている「胡麻飯」と同一のものであるならば、それは、極上等なモチ米に水を含ませてから蒸し、石臼に入れて木槌でつき崩し、捏ねて小さい塊にしたものに、上質なゴマ・白糖を混ぜ込んだものである。一応「胡麻餅」と訳しておく。ここで、注意すべきは、多くの武夷山伝説で、神仙が里人を持てなすのに必ず「胡麻飯」を使っていることで、そのために「神仙飯」とも呼ばれると云うことである。「天台二女」において、劉と阮の晩餐の筆頭に「胡麻飯」が挙げられていると云うことは、「天台二女」が神仙であることの伏線になっている。

胡麻飯是武夷山最遠古的傳統小吃,俗稱麻餈稞。以上好的糯米用水浸透後蒸熟,置石臼中用木槌打爛、揉成小團,拌上芝麻、白糖,香甜可口,食後很久都有「飽肚感」。在不少武夷山神話傳說中,神仙都用胡麻飯招待鄉人,被稱為「神仙飯」。吳屯的金餈(以柴灰淋水浸糯米)、金粽,星村、興田的白稞也都和胡麻飯一樣講究糯、甜、滑的風味。 --吃在武夷山

20)行酒:「酒を勧める」

21)五三桃子:「五三」は「三乃至五」ぐらいの概数。「数個の桃の実」と訳しておく。概数を表わすのに、大きい数字を先行させることがあるのである。

22)欣怖交并:「喜びと恐怖を交々味わった」と云うことか?

23)宿福所牵:「天台山文化/民間伝説/劉阮遇仙」の注によれば「前生的福气把你牵引到这儿来的」。「前世からの果報が貴方を此処に引き寄せたのです」

24)悲思:「望郷の想い」だろう。(「鬱鬱多悲思,綿綿思故鄉」三國·魏·曹丕[雜詩])

25)晋太元八年:「太元」は東晋孝武帝 (こうぶてい、362年 - 396年、在位は372年 - 396年) 下の年号。「太元八年」は 383年に相当する。


[nouse: [幽明録 天台二女] に就いて:太平広記[幽明録]逸文[劉晨阮肇入天台]テキスト] 中の4つのテキストのうち、1番目のもの2番目のものは、両方とも依った『太平広記』が「明鈔本」と註してあり (1番目は「出《神仙記》。明鈔本作出《搜神記》」、2番目は「明鈔本《太平廣記》六一」)、微妙に異なるがほぼ同一である。以下に、2番目のテキストを訳出しておく。

太平廣記 卷第六十一 女仙六 [天台二女]
劉晨、阮肇,入天台采藥,遠不得返,經十三日飢。遙望山上有桃樹子熟,遂躋險援葛至其下,?數枚,飢止体充。欲下山,以杯取水,見蕪菁葉流下,甚鮮妍。复有一杯流下,有胡麻飯焉。乃相謂曰:“此近人矣。”遂渡山。出一大溪,溪邊有二女子,色甚美,見二人持杯,便笑曰:“劉、阮二郎捉向杯來。”劉、阮惊。二女遂忻然如舊相識,曰:“來何晚耶?”因邀還家。南東二璧(南東二璧原作雨璧東壁,据明鈔本改。黃本作西璧東璧)各有絳羅帳,帳角懸鈴,上有金銀交錯。各有數侍婢使令。其饌有胡麻飯、山羊脯、牛肉,甚美。食畢行酒。俄有群女持桃子,笑曰:“賀汝婿來。”酒酣作樂。夜后各就一帳宿,婉態殊絕。至十日求還,苦留半年,气候草木,常是春時,百鳥啼鳴,更怀鄉。歸思甚苦。女遂相送,指示還路。鄉邑零落,已十世矣。(出《神仙記》。明鈔本作出《搜神記》。)

佚文:十五 劉晨阮肇入天台
劉晨、阮肇入天台取穀皮,遠不得返。經十三日,飢。遙望山上有桃樹,子實熟。遂躋險援葛至其下,噉數枚,飢止體充。欲下山,以杯取水。見蕪青26)葉流下,其鮮新。復有一杯流下,有胡麻焉。乃相謂曰:「此近人家矣。」遂渡山,出一大溪。溪邊有二女子,色甚美。見二人持杯,便笑曰:「劉、阮二郎捉向杯27)來。」劉、阮驚。二女遂欣然如舊相識曰:「來何晚耶?」因邀還家。南、東二壁各有絳羅帳,帳角懸鈴,上有金銀交錯。各有數侍婢使今28)。其饌有胡麻飯、山羊脯、牛肉,甚美。食畢,行酒。俄有群女持桃子,笑曰:「賀汝婿來。」酒酣作樂。夜後各就一帳宿,婉態殊絕。至十日,求還,苦留半年。氣候草木是春時,百鳥啼鳴,更懷鄉,歸思甚苦。女遂相送,指示歸路。既還,鄉邑零落,已十世矣。(一)(明鈔本《太平廣記》六一)

劉晨と阮肇はコウゾの樹皮を採るため天台山に入ったが、遠出をしすぎて戻れなくなり、十三日過ぎて、飢えてしまった。遠くの山上に桃の樹があり、その実が熟しているのが見えたので、険しい地形を葛のツルに縋りながら登っていくと、樹の下に辿り着けた。幾つか食べると空腹は収まり満足したので、山を降りるつもりで、椀で水を掬ったが、見ると、青々としたカブラの葉が流れ下りてくる。さらに椀が一つ流れ下ってきたが、その中には胡麻が入っていた。二人は「近くに人家があるぞ」と言い合って、山を越えていくと、大きな渓流に出た。そのほとりには非常に美しい顔だち女が二人いて、劉晨と阮肇はが椀を持っているのを見るや、笑って「劉さんと阮さんのお二人が、すぐにお椀を取って来てくれたわ」と言ったので、劉と阮は驚いたのであった。二人の女は、昔からの知り合いでもあるかのように喜びながら、「今晩いらっしゃらない?」と言ったので、招待に応じて女たちの家に附いて行ったのである。南と東の壁には、それぞれ、角に鈴が付いていて、金銀入交じりの縫い取りのある紅絹(もみ)の帳(とばり)が懸けてある。それぞれには、何人かの侍女や召し使いが控えていた。食事には、胡麻餅、ヤギ肉の干したもの、牛肉が出て、はなはだ美味であった。食事が了わると、酒が出された。突如として桃の実を持った女達が現われ、笑いながら言うには「貴女に御婿さんが出来ておめでとう。」酒がすすみ朗らかになり、夜がふけた後、それぞれが帳の内で寝たのである。そのしとやかな様は例えようもなかった。十日が過ぎて、帰りたいといったが、しきりに引き止められて半年の間留まった。気候も草木も春となったことを示し、さまざまな鳥が鳴いて、望郷の想いは更につのり、帰りたいと云う気持ちがひどく苛まれるようになった。ついに女は見送りに来て、帰り方を教えるのであった。返ってみると、故郷の村は寂れていた。十世代も過ぎてしまっていたのである。

26)蕪青:「蕪菁」と読み替える。

27)捉向杯:この文脈では、意味がとりにくいが「すぐにお椀を取って来て」と訳しておく。

28)使今:意味がとりがたい。これは、「太平廣記 卷第六十一 女仙六 [天台二女]」に見られるように、「使令」とすべきだろう。中国語の「指令」は、日本語の「使役(する)」に対応する言葉だが、「使役される人」の意味もある。


3番目のテキスト 「幽明录 南朝宋·刘义庆」は、『古小說鉤沈』版に類似し、独立して論ずるに足らないだろう。ただし、『古小說鉤沈』版では「遂停半年。气候草木是春时,百鸟啼鸣」となっていて、桃源郷にも時間推移があるとするのに対して、「遂住半年,天气常如二三月」と、日常時間がないことを暗示していて、物語としては、こちちの方が釈然とする。

幽明录 南朝宋·刘义庆 (珽案:此条原抄本阙字甚多,今依《太平广记》一百十二卷校补)
 汉明帝永平五年,剡县刘晨(一作晟)、阮肇共入天台山取谷皮,迷不得返。经十余日,粮食乏尽,饥馁殆死。遥望山上有一桃树,大有子实,而绝岩邃涧,了无登路,攀葛乃得至,啖数枚而饥止体充,复下山持杯取水,欲盥漱,见芜菁叶从山眼流出,甚鲜新,复一杯流出,有胡麻糁。相谓曰:“此去人径不远。”度出一大谿,谿边有二女子,姿质妙,绝见二人持杯出,便笑曰:“刘阮二郎捉向所流杯来。”晨、肇既不识之,二女便呼其姓,如与有旧,相见忻喜。问来何晚,即因要还家,家筒瓦屋,南壁及东壁下各有一大床,皆施绛罗帐,角县铃上金银交错,床头各十侍婢,便敕云:“刘、阮二郎经涉山阻,向西得琼实,犹尚虚弊,可速作食。”有胡麻饭、山羊脯甚美,食毕行酒,有群女来,各持三五桃子,笑而言:“贺女婿来”。酒甘作乐,刘阮忻怖交并。至暮,令各就一帐宿,女往就之,言声清婉,令人忘忧。至十日后,欲求还去,女云:“君已来此,乃宿福所招,与仙女交接,流俗何所乐哉。”遂住半年,天气常如二三月。晨、肇求归不已。女仍仙主,女子有三十人集会奏乐,共送刘阮,指示还路。既出,亲旧零落,邑屋全异,无复相识,问得七世孙,传闻上世入山,迷不得归。


この説話の詳細な分析に就いては別の機会に讓ろう。

しかし、簡単に読み取れる程度の特徴は纏めておくことにする。ただし、以下の覚え書きは、私個人のためだけのものである。 用語等、私自身にしか判らないであろう書き方をするが、ここで書いておくのが都合が良いので書いておくまでで、それ以上のものではないので御寛恕ねがいたい。

  • 男性主人公は二人組である。ただし、このことにはほぼ意味がない。女性主人公が二人組であることと釣りあいをとっただけではないか。むしろ、この説話が女性主人公の複数性を保存していることの方が興味深い。

  • 故郷を出発する契機になる事件の発生は存在しない。出発は、植物性有価物 (「コウゾの樹皮」。ヴァリアントによっては「薬草」とするものもあるようだ) の採取を目的とした自己都合的な物である。主人公の故郷からの出発を促す [賢者/守護者] は存在しない。

  • 男性主人公は、当初山中を彷徨する。彷徨の際、「乗り物」は利用されないかのように見えるが、葛のツルの利用が、「乗り物」の利用に相当する可能性がある。その結果、仙樹と思われる樹木の下に辿り着く。但し、この樹木の下には泉などの「水局面」は存在せず、ここでは女性主人公との遭遇も起こらない。その代わり、男性主人公は、この樹木の実を食べる(これには性的な意味があるのかもしれない)。

  • 「仙果」を食べた後、男性主人公は帰郷しようとするが、それを思いとどまる。その契機となるのが、川を流れくだってくる「蕪の葉」と「植物性の食物が入った椀」である。これは [スサノヲ/クシナダヒメ/ヤマタノヲロチ] や桃太郎伝説との類似性を感じさせる。

  • 結局、男性主人公は、水性の経路(川)を通って、しかも川の流れに逆らつて「異郷」に入る。

  • 男性主人公は、「水」のたもとで女性主人公に遭遇する。ただし、男性主人公が女性主人公の登場を待つのではなく、すでに女性主人公が待機している。女性主人公は複数である。

  • 男性主人公は女性主人公と共に、女性主人公の家に「還る」。

  • 女性主人公の家に帰っても、女性主人公の家の「家長」は登場しない。

  • 女性主人公の家に到着後における男性主人公の「正体」への言及はない。ただし、男性主人公と女性主人公との遭遇時点で、類似のことが既に起こっている。

  • 女性主人公の家で男性主人公は歓待される。

  • 男性主人公と女性主人公の「対形成」が行なわれる。

  • 女性主人公の家で時間が経過する。半年間。

  • 男性主人公が望郷の想いで苦悩する。

  • 男性主人公は、帰郷に就いて女性主人公と接触する。この際の女性主人公は神格性を帯びている。

  • 「神格」からの「授与」や「呪物の贈与」は発生しない。

  • 男性主人公の帰郷への送別が行なわれる。

  • 男性主人公は帰郷する。 [命名行為] は行なわれない。

  • 「失敗者との接触」は起こらない。「失敗者」そのものが存在しない。

  • 男性主人公は失踪する。[太祖] にはならない。

さらに、単なる「余談」になるかならないか、微妙な気もするのだが、もう一つ気がついたことを書いておこう。

一読、この説話で興味深いことは男性主人公が二人組であることである。これは、恐らく女性主人公が二人組であることに対応しているのだろうが、すでに述べたように、そのことの議論はここではしない。

ただ、これに関連して単純な連想として、私が思いついたのは宮沢賢治の『注文の多い料理店』だった。『天台二女』では男性主人公が二人組であるのは、女性主人公が二人組であることに照応していること以上の意味はあるとは思えないのだが、『注文の多い料理店』では、男性主人公が二人組であることでしっかりとした喜劇的効果があがっている。

やはり詳しい分析は別の機会に依ることにして、そのときのヒントになるかもしれないことを書き留めておくと:

  1. 冒頭死んでしまう猟犬は「山の神」への供犠と考えることができる。

  2. 「鉄砲」や「弾丸」に就いても同様。 この二つはあからさまに「道具」である。

  3. 物語の最後で帰郷した男性主人公は、あたかも長時間が経過した後の要に容貌が老人化する。

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メトキシ其?

先程 (2007/12/14 09:45頃)、[メトキシ其 構造 化学式] や [メトキシ其 化学式] でこのサイトを訪問された方がいらしたようだ。

まぁ、どうでもいいことなんだが、「メトキシ其」は「メトキシ基」に変えられた方が良いのではないか。

ついでに日本語版のウィキペディアから引用しておく。

メトキシ基(—-き、methoxy group)とは、有機化学において構造式が CH3O- と表される1価の官能基。メチルオキシ基。アルコキシ基の一種。
--メトキシ基 - Wikipedia


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ロシア語で「チョコレート」

先程 (2007/12/06 10:51:11) キーフレーズ [ロシア語 チョコレート] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。あるいは、ロシア語で「チョコレート」を何と言うのがお調べなのだろうか。

たしか、[nouse: ロシアの99%カカオ・チョコレート] には、"шоколада" と云う形で、ロシア語のチョコレートに就いて言及しているのだが、これは「生格形」であって主格形ではない。

主格形を書いておくと、"шоколад" になる。

関連があるかもしれないサイトを幾つか:

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メモ:「プログラミング入門 - Rubyを使って」

本の抜書きファイルを作成していると、効率的なデータ整形を行ないたくなる。まぁ、私の場合 sed や grep で殆どの場合間に合うレベルなのだが、それでも、Perl や Ruby の初歩的なレベルぐらいでは使いこなしたい、と、思っている。

実は、Perl なら以前少し勉強したことがあるのだ。しかし、今ではすっかり忘れてしまった。Ruby の方も、読み物などから名前ぐらいは承知しているが、それだけだ。と云う訣で、Ruby の方に食指が動いて、サイト [オブジェクト指向スクリプト言語 Ruby] からリンクが張ってある [プログラミング入門 - Rubyを使って -, by Chris Pine, 日本語ver. by S. Nishiyama] を読み始めた。そこには、Windows 用のバイナリをダウンロード・インストール方が書いてあったので、その通りに、ダウンロード・インストール (Ruby は、既にシステムにインストールだけはしてある cygwin に入っている筈なんだけれど、私、cygwin のコンソールを使いこなせていないので、今回は利用を遠慮することにした)。

で、チュートリアルの続きを読んでいったのだが、ところどころ、たどたどしい部分があって (特に「第2章 文字列」以降。例えば、第2章冒頭 "You can think of printed letters being strung together on a banner." を「横断幕などに印刷された文字が広げられる(strung)のを思い浮かべると良いでしょう。」とするあたり、どうなのだろう。『横断幕など印刷されている文字は「綴られ」ている ("string" されている) と言いますよね』ぐらいで良いのではないか)、それが気になった。

中には、「これは戴けないな」と云うものさえある。

その内の一つだけに就いて書いておく。「プログラミング入門 - Rubyを使って - 2. 文字列(string)」の終結部はエスケープキャラクタに就いて説明がされているのだが、次のような箇所がある。

注:現在 [プログラミング入門 - Rubyを使って -, by Chris Pine, 日本語ver. by S. Nishiyama] に示されている翻訳の原文が、現在 [Learn to Program] に示されている版とは限らない。それを確認する手段を私はもっていないのだ。ただ、リンクが張られている以上、相応の関連性はあると考えて良いだろうから、版の整合性を考えないでも、その事によって、以下の議論の大筋を留保する必要はないと信じる。

バックスラッシュ記号(訳註:日本語の端末では円記号に見えます。以降、読み替えてください。)は、エスケープキャラクタです。このことを言い換えると、バックスラッシュ記号と他の文字が並んでいたら、それは新しい文字に翻訳されるということです。バックスラッシュがエスケープするのはアポストロフィ記号とバックスラッシュ記号それ自身です。(よく考えると、エスケープ記号はいつもそれ自身でエスケープされなければならないことがわかると思います。) いくつか例を挙げておきましょう。

puts 'You\'re swell!'
puts '文字列の最後のバックスラッシュ:  \\'
puts 'up\\down'
puts 'up\down'
You're swell!
文字列の最後のバックスラッシュ:  \
up\down
up\down

バックスラッシュ記号は'd'をエスケープせず 、バックスラッシュ記号自身をエスケープする ので、最後の2つの文字列は同じものになります。コード上では同じもののようには見えませんが、コンピュータの中では同じものです。
--プログラミング入門 - Rubyを使って - 2. 文字列(string)

これの「原文」(と思われるもの) は、以下の通り:

The backslash is the escape character. In other words, if you have a backslash and another character, they are sometimes translated into a new character. The only things the backslash escapes, though, are the apostrophe and the backslash itself. (If you think about it, escape characters must always escape themselves.) A few examples are in order here, I think:

puts 'You\'re swell!'
puts 'backslash at the end of a string:  \\'
puts 'up\\down'
puts 'up\down'
You're swell!
backslash at the end of a string:  \
up\down
up\down

Since the backslash does not escape a 'd', but does escape itself, those last two strings are identical. They don't look the same in the code, but in your computer they really are the same.
--Learn to Program: 2. Letters

この引用文の最初のセンテンスで "The backslash" と "the escape character" との両方に定冠詞 the が付いているのを訳文でどう表現するかと云うことも議論しようと思えば議論できるのだが、ここでは、そうしたレベルの話はしない。以下、次の単語の訳し方を取り上げることにする。

  1. "if you have a backslash and another character" の "another" の訳し方。

  2. "they are sometimes translated into a new character." の "sometimes" と "new" の訳し方。

1. "if you have a backslash and another character" の "another" の訳し方。

この部分は Nishiyama 訳では「バックスラッシュ記号と他の文字が並んでいたら」となっている。しかし、日本語の「他」には、例えば「他人」と云う言葉が含意するような、「本」とは異なるものである意識が底にあるのに対して、"another" は単に「もう一つの」と云うだけのことを指す場合が多い。例えば「バックスラッシュ記号と他の文字が並んでいたら」(つまり日本語版では「円 (\) 記号と他の文字が並んでいたら」)では、"\\" と云う場合がカヴァーできるか心許ないだろう。しかし、直後の記載からも分かるように "\\" は、\ がエスケープしている重要な場合の一つなのである。だから、この文は「バックスラッシュの後に文字があった場合は」とか、或いはもう少し踏み込んで「ある文字の前にバックスラッシュが付いていたら」ぐらいに訳しておいたほうが良いだろう。

2. "they are sometimes translated into a new character." の "sometimes" と "new" の訳し方。

Nishiyama 訳では、"sometimes" の存在が無視されていて、「それは新しい文字に翻訳されるということです。」と、訳されている。まず、「新しい」と訳されいてる "new" の方だが、この文脈では「新鮮な」とか「新規の」と云う語感よりも、「別の(者/物に更新)」と云う語感に近い ("Rachel has a new boyfriend." --COBUILD English Dictinary for Advanced Learners 3rd ed. "new:3") 。

また "sometimes" は、文の "sometimes" 以外の部分で表現されている事実が「起こる場合がある」と云うことを意味する。これを、Nishiyama 訳は無視しているため、「バックスラッシュ記号と他の文字が並んでいたら、それは新しい文字に翻訳されるということです。」は、直後にある、実際に \ がエスケープするのが「アポストロフィ記号とバックスラッシュ記号それ自身です。」と、文脈が繋がらなくなってしまっている。 更に、原文を読めば分かるように、後の方の文は、"The only things..." とあって、エスケープされるのが、この二つ「だけ」であることが明確に書いてあるが、これも Nishiyama 訳は無視してしまっている。もし、「だけ」を翻訳に入れたら、自家撞着ぶりはヨリ明確になっていたろう。

纏めると、次のようになるだろう:

In other words, if you have a backslash and another character, they are sometimes translated into a new character. The only things the backslash escapes, though, are the apostrophe and the backslash itself.
これは、つまり、バックスラッシュの後に文字があった場合は、それらの2文字は、改めて別に1文字として扱われることがあると云うことです。もっとも、バックスラッシュがエスケープする文字は、アポストロフィとバックスラッシュ自身とだけなのですが。

まぁ、原文の説明も歯痒いところがある。バックスラッシュがアポストロフィから制御コード性を剥奪することを明示的に書いた方が良かったのではないか。


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『孟子荀卿列伝』に就いて

先程 (2007/12/05 13:26:03) キーワード [孟子荀卿列伝 あらすじ] で、このサイトを訪問された方がいらしたようだ。

「あらすじ」と言われてもねぇ。

要するに『史記列伝』中に収められた孟子・荀子・騶子・淳子その他の人々の伝記 (獵儒墨之遺文,明禮義之統紀,絕惠王利端,列往世興衰。作孟子荀卿列傳第十四。[太史公自序 93]) で、全部で12パラグラフほどしかないのだ。

[中國哲學書電子化計劃] によると:

《孟子荀卿列傳》
1 孟子荀卿... : 太史公曰:余讀孟子書,至梁惠王問“何以利吾國”,未嘗不廢書而嘆也。曰:嗟乎,利誠亂之始也!夫子罕言利者,常防其原也。故曰“放於利而行,多怨”。自天子至於庶人,好利之獘何以異哉!

2 孟子荀卿... : 孟軻,騶人也。受業子思之門人。道既通,游事齊宣王,宣王不能用。適梁,梁惠王不果所言,則見以為迂遠而闊於事情。當是之時,秦用商君,富國彊兵;楚、魏用吳起,戰勝弱敵;齊威王、宣王用孫子、田忌之徒,而諸侯東面朝齊。天下方務於合從連衡,以攻伐為賢,而孟軻乃述唐、虞、三代之德,是以所如者不合。退而與萬章之徒序詩書,述仲尼之意,作孟子七篇。其后有騶子之屬。

3 孟子荀卿... : 齊有三騶子。其前騶忌,以鼓琴干威王,因及國政,封為成侯而受相印,先孟子。

4 孟子荀卿... : 其次騶衍,后孟子。騶衍睹有國者益淫侈,不能尚德,若大雅整之於身,施及黎庶矣。乃深觀陰陽消息而作怪迂之變,終始、大圣之篇十餘萬言。其語閎大不經,必先驗小物,推而大之,至於無垠。先序今以上至黃帝,學者所共術,大并世盛衰,因載其禨祥度制,推而遠之,至天地未生,窈冥不可考而原也。先列中國名山大川,通谷禽獸,水土所殖,物類所珍,因而推之,及海外人之所不能睹。稱引天地剖判以來,五德轉移,治各有宜,而符應若茲。以為儒者所謂中國者,於天下乃八十一分居其一分耳。中國名曰赤縣神州。赤縣神州內自有九州,禹之序九州是也,不得為州數。中國外如赤縣神州者九,乃所謂九州也。於是有裨海環之,人民禽獸莫能相通者,如一區中者,乃為一州。如此者九,乃有大瀛海環其外,天地之際焉。其術皆此類也。然要其歸,必止乎仁義節儉,君臣上下六親之施,始也濫耳。王公大人初見其術,懼然顧化,其后不能行之。

5 孟子荀卿... : 是以騶子重於齊。適梁,惠王郊迎,執賓主之禮。適趙,平原君側行撇席。如燕,昭王擁彗先驅,請列弟子之座而受業,筑碣石宮,身親往師之。作主運。其游諸侯見尊禮如此,豈與仲尼菜色陳蔡,孟軻困於齊梁同乎哉!笔武王以仁義伐紂而王,伯夷餓不食周粟;衛靈公問陳,而孔子不答;梁惠王謀欲攻趙,孟軻稱大王去邠。此豈有意阿世俗茍合而已哉!持方枘欲內圜鑿,其能入乎?或曰,伊尹負鼎而勉湯以王,百里奚飯牛車下而繆公用霸,作先合,然後引之大道。騶衍其言雖不軌,儻亦有牛鼎之意乎?

6 孟子荀卿... : 自騶衍與齊之稷下先生,如淳于髡、慎到、環淵、接子、田駢、騶奭之徒,各著書言治亂之事,以干世主,豈可勝道哉!

7 孟子荀卿... : 淳于髡,齊人也。博聞彊記,學無所主。其諫說,慕晏嬰之為人也,然而承意觀色為務。客有見髡於梁惠王,惠王屏左右,獨坐而再見之,終無言也。惠王怪之,以讓客曰:“子之稱淳于先生,管、晏不及,及見寡人,寡人未有得也。豈寡人不足為言邪?何故哉?”客以謂髡。髡曰:“固也。吾前見王,王志在驅逐;后復見王,王志在音聲:吾是以默然。”客具以報王,王大駭,曰:“嗟乎,淳于先生誠圣人也!前淳于先生之來,人有獻善馬者,寡人未及視,會先生至。后先生之來,人有獻謳者,未及試,亦會先生來。寡人雖屏人,然私心在彼,有之。”后淳于髡見,壹語連三日三夜無倦。惠王欲以卿相位待之,髡因謝去。於是送以安車駕駟,束帛加璧,黃金百鎰。終身不仕。

8 孟子荀卿... : 慎到,趙人。田駢、接子,齊人。環淵,楚人。皆學黃老道德之術,因發明序其指意。故慎到著十二論,環淵著上下篇,而田駢、接子皆有所論焉。

9 孟子荀卿... : 騶奭者,齊諸騶子,亦頗采騶衍之術以紀文。

10 孟子荀卿... : 於是齊王嘉之,自如淳于髡以下,皆命曰列大夫,為開第康莊之衢,高門大屋,尊寵之。覽天下諸侯賓客,言齊能致天下賢?恳病?

11 孟子荀卿... : 荀卿,趙人。年五十始來游學於齊。騶衍之術迂大而閎辯;奭也文具難施;淳于髡久與處,時有得善言。故齊人頌曰:“談天衍,雕龍奭,炙轂過髡。”田駢之屬皆已死齊襄王時,而荀卿最為老師。齊尚修列大夫之缺,而荀卿三為祭酒焉。齊人或讒荀卿,荀卿乃適楚,而春申君以為蘭陵令。春申君死而荀卿廢,因家蘭陵。李斯嘗為弟子,已而相秦。荀卿嫉濁世之政,亡國亂君相屬,不遂大道而營於巫祝,信禨祥,鄙儒小拘,如莊周等又猾稽亂俗,於是推儒、墨、道德之行事興壞,序列著數萬言而卒。因葬蘭陵。

12 孟子荀卿... : 而趙亦有公孫龍為堅白同異之辯,劇子之言;魏有李悝,盡地力之教;楚有尸子、長盧;阿之吁子焉。自如孟子至于吁子,世多有其書,故不論其傳云。

13 孟子荀卿... : 蓋墨翟,宋之大夫,善守御,為節用。或曰并孔子時,或曰在其后。
--中國哲學書電子化計劃(史記 : 列傳 : 孟子荀卿列傳 - 中國哲學書電子化計劃)

後は、『史記列伝』の邦訳本でもご参照下さいとでもいうしかない。岩波文庫版では第1分冊の pp.231-242 (注込み) に記載されている。

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朝永振一郎『量子力学的世界像』中の誤植

岩波文庫「量子力学と私」(朝永振一郎。岩波書店。東京。1997年) の p.352 ([量子力学的世界像]中の注) に、

二次元の楕円を、x, y の二次の方程式で、三次元の楕円体は、x, y, z の三次の方程式で、それぞれ定義したように

とあるが、勿論「三次の方程式」は「二次の方程式」の誤植である。

弘文堂版 (1965年) 『量子力学的世界像』では、pp.138-139 に相当する。

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ヘブライ語で「宵の明星」

[nouse: 色色な言語で「宵の明星」] (2007年11月30日 [金]) で、ヘブライ語では「宵の明星」を何と言うか調べ忘れていたので、補足しておく。

"Babylon English-Hebrew " で "evening star" を引いてみると、次の結果が得られる:

כוכב הערב: 「宵の星
נוגה: 「金星
ונוס: 「ウェヌス

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