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毛岸英と毛岸青の母楊開慧 (杨开慧) の写真

楊開慧 (杨开慧) の写真に就いては、次のサイトを参照。

彼女は、1920年末、毛沢東と結婚した。二人の子に 毛岸英 (1950年11月25日朝鮮戦争で戦死)、毛岸青 (2007年3月23日4時18分北京市の人民解放軍総医院で死亡)、毛岸龍 (1931年5月夭折。一説に行方不明) がある。彼女は、1930年10月に湖南省国民党政府主席の部下により逮捕され、1930年11月14日に処刑された。

1957年春節、楊開慧の友人だった李淑一が、毛の詩の読後感を書いた手紙を送り、それに夫の柳直荀が1932年9月19日に死亡(彼自身中国共産党員だったが、内部抗争の結果処刑された。1945年4月「平反(名誉回復)」--人民网)した後の孤閨の嘆きを詠んだ [菩薩蛮] 詞「驚夢(惊梦)」を同封した(1933年夏の作らしい--柳直荀故居)。

これに対し、1957年5月11日の返信で、毛は、楊開慧と柳直荀とを偲ぶ詩を付した:

蝶戀花《答李淑一》
一九五七年五月十一日

我失驕楊君失柳,
楊柳輕直上重霄九。
問訊吳剛何所有,
吳剛捧出桂花酒。

寂寞嫦娥舒廣袖,
萬裏長空且為忠魂舞。
忽報人間曾伏虎,
淚飛頓作傾盆雨。
--毛澤東詩集
--漢文會館 - Yuzx.com


《蝶恋花•答李淑一》(1957年5月11日)

我失骄杨君失柳,
杨柳轻飏直上重霄九。
问讯吴刚何所有,
吴刚捧出桂花酒。
寂寞嫦娥舒广袖,
万里长空且为忠魂舞。
忽报人间曾伏虎,
泪飞顿作倾盆雨

李淑一原词《菩萨蛮·惊梦》

兰闺索莫翻身早,
夜来触动离愁了。
底事太难堪,
惊侬晓梦残。
征人何处觅,
六载无消息。
醒忆别伊时,
满衫清泪滋。
--新华网

ここで、毛はかっての妻を「驕」と形容している。私なぞは、単純に生活人の「乾いたユーモア」を感じるが(楊開慧処刑当時、毛が別の地で別の女性と暮らしていたことを込めても、そう思う)、中国人にとってはかなり引っ掛かりのある表現らしい。しばしば、彼女は「驕楊(骄杨)」として言及され、そして apologization が行なわれている。

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