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聊斎志異中の一篇 [嬰寧] と落語 [崇徳院]

忘れてしまわないうちに書いておく。どうでもいいことなので、すぐに忘れてしまいそうなのだ。

この前、自宅で、本の探し物をしていたら目的の物ではなくて [聊斋志异选(聊斎志異選)] (1978年 第2版。北京 人民文学出版社) が出てきたのだった。少し気になったので、仕舞い返さずにおいて、時時は取り上げて中を覗いたりしている。鉛筆の書き込みがあって、昔、日本橋の丸善でバーゲンセールの際、勢いで買ったものらしい。酸性紙を使っているらしくて、表紙などボロボロになってしまって可哀想なくらいだ。

その中に [婴宁(嬰寧)] と云う一篇があって、こんな風に始まっていた(書籍から写して入力するのが面倒なので、以下ネット上に見つけたテキストの方をコピーする):

婴宁

王子服,莒之罗店人,早孤,绝慧,十四入泮。母最爱之,寻常不令游郊野。聘萧氏,未嫁而夭,故求凰未就也。

会上元,有舅氏子吴生邀同眺瞩,方至村外,舅家仆来招吴去。生见游女如云,乘兴独游。

有女郎携婢,拈梅花一枝,容华绝代,笑容可掬。...
--中国新世纪读书网: 蒲松龄-->聊斋志异-->婴宁
[人民文学出版社]版では「舅家仆来」ではなく--舅家有僕来--。

「良いネ」と思いながら、その先を読むともなく読むと:

...生注目不移,竟忘顾忌。女过去数武,顾婢子笑曰:“个儿郎目灼灼似贼!”遗花地上,笑语自去。

生拾花怅然,神魂丧失,怏怏遂返。至家,藏花枕底,垂头而睡,不语亦不食。母忧之,醮禳益剧,肌革锐减。医师诊视,投剂发表,忽忽若迷。母抚问所由,默然不答。

适吴生来,嘱秘诘之。吴至榻前,生见之泪下,吴就榻慰解,渐致研诘,生具吐其实,且求谋画。吴笑曰:“君意亦痴!此愿有何难遂?当代访之。徒步于野,必非世家,如其未字,事固谐矣,不然,拚以重赂,计必允遂。但得痊瘳,成事在我。”生闻之不觉解颐。

吴出告母,物色女子居里。而探访既穷,并无踪迹。
--中国新世纪读书网: 蒲松龄-->聊斋志异-->婴宁

ここまで読むと、如何に鈍感な私でも、落語の [崇徳院] の出だしに似ていると気付いた。まぁ、似ているのはここら辺ぐらいまでなんだが。

[聊斎志異] なら、角川文庫の柴田天馬訳で読んだことがある(と言うか、私にとって [聊斎志異] は柴田訳しか考えられない)。和訳を以前読んだ時には気がつかなかったことを、今回中国語で読んで気がついたわけだが、そう云うことは時時あるものだ。兎に角、まず繁体字版、ついで柴田訳を引用しておこう。

嬰寧

王子服,莒之羅店人,早孤。絕惠,十四入泮,母最愛之,尋常不令游郊野。聘蕭氏, 未嫁而夭,故求凰未就也。

會上元,有舅氏子吳生,邀同眺矚。方至村外,舅家有仆來, 招吳去。生見游女如雲,乘興獨遨。

有女郎攜婢,拈梅花一枝,容華絕代,笑容可掬。生 注目不移,竟忘顧忌。女過去數武,顧婢曰:「個兒郎目灼灼似賊!」遺花地上,笑語自 去。

生拾花悵然,神魂喪失,怏怏遂返。至家,藏花枕底,垂頭而睡。不語亦不食。母懮 之。醮禳益劇,肌革銳減。醫師診視,投劑發表,忽忽若迷。母撫問所由,默然不答。

適 吳生來,囑密詰之。吳至榻前,生見之小下。吳就榻慰解,漸致研詰。生具吐其實,且求 謀畫。吳笑曰:「君意亦復痴!此願有何難遂?當代訪之。徒步于野,必非世家。如其未 字,事固諧矣;不然,拚以重賂,計必允遂。但得痊瘳,成事在我。」生聞之,不覺解頤。

吳出告母,物色女子居里,而近代訪既窮,並無蹤緒。母大懮,無所為計。
--Wikisource 中文版: 聊齋志異/第02卷 [嬰寧]

嬰寧

王子服(おうしふく)は莒(きょ)の羅店(らてん)の人だった。早く父をうしなって孤(みなしご)になったのだが、大そうりこうで、十四のとき泮(はん)に入った1)。母は、ひどく、かわいがって、常々は游郊野(ゆさん)などもさせず、蕭氏(しょうし)をもらって配偶(めあわ)せるつもりであったのが、未嫁(こない)まえに若死にをしたので、求凰(つまさだめ)が、まだ、すまずにいた。

上元の節句である。舅氏子(いとこ)の呉が迎えに来て、いっしょに散歩をしたが、村はずれまで来ると、叔父の家の僕(しもべ)が呉を呼びに来て連れていった。王は遊女2)が雲のようにいるを見て、興に乗じて、一人で遊び歩くのであった。

婢(こしもと)をつれ、一枝の梅花を、ひねくりながら歩いている娘がいた。絶代(よにまれ)なきりょうで、笑うようすが、手にも掬(く)まれるようである。王はじっとみつめて、しまいには、変に思われるのさえ忘れていた。女は幾足か過(いっ)てから、腰元を見返って、「このひとの目は灼灼(ぎょろぎょろ)して賊(どろぼう)みたいね」と言って、花を地上に遺(す)て、笑いながら行ってしまった。

王は急いで花を拾ったが、がっかりして、気が抜けたようになり、わびしく帰ってきたのである。家につくと、王は花を枕の底にしまい、頭を垂れて睡(ね)たまま、話もしないし食べもしないのだ。母は心配して醮禳(まじない)をさせるけれども、ますますひどくなるばかりで、すっかり、やせ、医師が診察して薬をやり病気を発表(そとにだ)すと、うっとりして迷ったようになってしまった。母が、やさしく、わけを聞いても、黙って返事もしないのである。

おりから呉が来たので、母は呉に、ないないで、たずねてみてくれと頼んだ。呉が榻(ねだい)の前に来ると、王は呉を見て、ほろほろと涙を流すのであった。呉は寝台の傍によって慰めながら、聞いてみると、王はくわしく事実を話し、そして、何とか考えてくれろと言った。呉は笑って、「きみも亦復痴(ずいぶんばか)げている。そんなことは何でもないさ。よろしい。きみに代わって探してみよう。徒歩于野(のあそび)をするくらいなら、きっと世家(いえがら)ではあるまい。もし許婚がなければ、もちろん、話は、まとまるし、そうでなかったら、たくさんな賂(かね)をやれば、思うに、きっと、ととのうさ。ただ、なおることだ。話はぼくが成功させる」と言った。王は、それを聞いて、思わず、にっこりしたのであった。

呉は部屋を出て母に話した。そして娘の居里(いどころ)を探したのであるが、訪ね尽くしても、さらに蹤緒(あとかた)がないので、母は、ひどく心配して、途方に暮れた。
--角川文庫 [完訳 聊斎志異 第三巻 (全4冊)] 柴田天馬訳。1969年改版。東京 角川書店。pp.15-16

注:
1)「泮に入る」: 「泮」は孔子廟の前の池のこと。明清時代、童試(県試・府試・院試の3つ)に合格して者が国立大学である [國子監] の学生になることを「入泮」と言った。
2)「遊女」: 「游(遊)」は物見遊山で出歩くこと。

この後、娘 (嬰寧) を探し出せなかった呉は、探索を諦めてしまって、適当なことを王に言って誤魔化す。業を煮やした、呉がデタラメに娘が暮らしていると言ったに場所へと出かける。すると...と云う具合に話が進み、落語の [崇徳院] からズレてしまう。

落語の [崇徳院] のテキストは、本稿の目的に丁度合うものが見つからないのだが、取り敢えずは以下を参照していただきたい。

[嬰寧] と [崇徳院] の構造上の類似点を挙げると次のようになる:

1. 親から大切にされている独身の青年が外出する。青年には、少なくとも途中までは同性の同伴者がいる。
2. 外出先で、青年は、美しい娘に遭う。娘には「婢(こしもと)」が同伴している。季節は「春」で、青年や娘が外出していることには、おそらく宗教的・祭儀的な意味がある。
3. 青年は娘を見つめ、娘は青年に気づく。
4. 娘は、ある物を落とし(あるいは、捨て)、青年がそれを拾う。その「ある物」とは限らないが、娘の象徴になる物が、娘から青年にわたる。
5. 娘の象徴になる物を持って、青年は自分の家に還る。青年は娘の象徴物を大切に仕舞う。
6. 青年は、娘に恋をしているが、その娘が誰かさえわからないために、「恋煩い」に陥り、元気をなくして病人のようになる。
7. 青年の親は心配して手を尽くすが、効果がない。青年は「元気がない」理由を、親に話さない。
8. 青年の親は、青年を医者に見せる。医者は、青年の「病」が内にこもったものであると診断して、それが外に出るような処方をする。
9. 青年の友人が、青年の家を訪れる。青年の親は、青年の友人に、青年から「元気がない」理由を聞き出すよう依頼する。
10. 青年の友人が青年に会うと、青年は友人に、外出時の娘との顛末と、娘が身元が不明であることをを話す。
11. 青年の友人は、青年の親に、青年の「元気がない」理由が「恋煩い」であること伝える。
12. 青年の友人は、娘を探し出すことになり、探しはじめるが、娘は見つからない。

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