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2007年3月の4件の記事

メルクリウス/ヘルメス図像リンク集: イル・ジョルナーレ ("Il Giornale") ロゴに関連して

(Supplementary note. April 11, 2007: This page is in Japanese. Please take a look at an English article "nouse: List of Links to Mercurius/Hermes Images (English Version)" if you feel it better.)

2007年3月7日 (水) の記事 [nouse: スターバックスの成立と、そのロゴの変遷] で、スターバックス (Starbucks Corporation) の現 Chairman であるハワード・シュルツ (Howard Schultz) が一時期(1985年-1987年)スターバックスを離れていた際に経営していたコーヒー・ショップ・チェーンの「イル・ジョルナーレ ("Il Giornale")」のロゴが、ローマ神話の伝令神/商業神 メルクリウス (Mercurius. 英語表記は Mercury) であったことに付記して、そのロゴ中の横顔には、「翼の付いた帽子らしいものも見える」と書いただけで、それ以上は話を広げなかった。

勿論、話を広げようにも材料がないのだが、一応、何かを考える場合の手掛かりぐらいは作っておいた方がよいだろう。

と云う訣で、メルクリウス又はヘルメスの図像の簡単なリンク集を作成してみた。

その内容は、非常に雑多だが、これはある程度、メルクリウス/ヘルメスの性格が極めて多面的であるためかもしれない。まぁ、それはともかくも、雑多過ぎて、分類・整理するのが面倒なのは確かで、だからしていない。遺漏は当然あるだろうし(実際たとえば、ヘルメス文書関係のは大略落ちている筈である)、内容の当否のチェックもしていないので、本当にこれは手始めのものと言ってよい。

Il Giornarle color logoRoman_coin_mercury_syd_00875
ただ、それとは別に付言すると、「イル・ジョルナーレ ("Il Giornale")」のロゴに雛形がもしあったとするなら、それはコインに刻印された図像であった可能性が、それなりに大きいだろうから、そのことは僅かながら意識的に材料を収集した(近代になって、例えば切手の図案として描かれた可能性もあることはあるが、それにしても、その源流はコインの刻印になるのではないか)。とは言え、それもイル・ジョルナーレ・ロゴとの類似性の観点から採用したため、全体のごく一部である。

ここで、「イル・ジョルナーレ ("Il Giornale")」のロゴに右側に並べて示したのは、217-215 BC 頃のローマの貨幣で、表側 (obverse) に羽根の付いた帽子 (petasus 又は petasos) を被ったメルクリウスが刻印されているもので、元の画像は Wildwinds.com に掲載されている "Anonymous. 217-215 BC. Æ Semuncia (5.44 gm). Head of Mercury right wearing petasos / Prow of galley right; ROMA above. Crawford 38/7; Sydenham 87. * Sear RCV 620" の
Example No.6 に見られる。

Stc3a8le_de_mercure_01Fudomyouou_tnm_jp付言ついでに書いておくと、古拙なメルクリウス像には、我が文化における「鬼」の像を連想させるものがある。頭の翼が「角」で、手に持ったカドゥケウス(Caduceus) --ケリュケイオン (Κηρύκειον)-- が「金棒」と言う訣だ(不動明王や制託迦童子の像にも少し似ている)。

当然、メルクリウス像に配して、鬼の画像も並べたいところだが、適当な正対立像が見当たらなかったので、東京国立博物館に収蔵されている不動明王立像の画像を並べておく。似ているような似ていないような微妙なところではある。

不動明王が剣とは別の手で持っているのは、羂索、つまり縄である訣だが、メルクリウスが、カドゥケウスを持っている手と別の手で持っているのは、「小銭入れ」とか「袋」とかされているようだ。(「剣と索との組み合わせがカドゥケウスに対応することがありうるか?」は、一度考えた方が良いかもしれない)

ちなまれているのは: nouse: スターバックスの成立と、そのロゴの変遷

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朝日新聞2007年3月8日 (木曜日) 東京本社版朝刊第15面 (オピニオン) 第12版「ワールドくりっく」

(「日本人の」と云う限定を付けるべきかどうかはは知らないが)新聞記者がまともな文章を書くことは滅多にない。しかし、その「滅多にない」例外が起こったので、備忘しておく。

本日2007年3月8日 (木曜日) 朝日新聞東京本社版朝刊第15面 (オピニオン) 第12版「ワールドくりっく」(まぁ、このネーミングセンスは凄まじいが) の「ディカプリオ映画に見るアフリカのこども兵」は良い。

「何が問題なのか」と云うことを明瞭に、しかも借り物でない自分の頭で理解しているし、その問題に「他人様(ひとさま)」が、どうしたら或る程度正確な興味を持ってくれるか、よく考えて、しかもそれをしっかり実行している。

著者は [松本仁一] (編集委員)。いま、ネットで調べてみたら「カラシニコフ」の著者だった。

それで釈然とした。あの新聞連載は、私が珍しく切り抜きを試みたものだったのだ。すくなくとも、連載の最初三分の一ほどは、十分読むに堪えるルポルタージュだったと記憶する。

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スターバックスの成立と、そのロゴの変遷

--2011-01-06 [木] 12:12
スターバックス・コーヒー CEO ハワード・シュルツの2011年1月5日付けブログ記事 "Looking Forward to Starbucks Next Chapter | Starbucks Coffee Company" によると、スターバックスのロゴが更新されるとのこと (And now, we've given her a small but meaningful update...)。

starbucks new logo 2011

ザッとしか見ていないので、断言できないが、切り替わるのは、"You'll begin to see our evolution starting this Spring." と云うシュルツの表現からして、設立40周年記念日の2011年3月30日が目処になるのではないか。

スターバックス (Starbucks) コーヒーショップ・チェーンのロゴに就いて検索されて、このサイトを訪問されるかたが頻頻といらっしゃるので、少し情報をまとめておく。

コーヒーショップチェーンとしてのスターバックスの創業者であるハワード・シュルツ (Howard Schultz) の著作 --Dori Jones Yang との共著-- "Pour Your Heart into It: How Starbucks Built a Company One Cup at a Time" (私は未見。邦訳 [スターバックス成功物語] もあるが、これも未見) に、ある程度のことが書いてあるとは思うが、ネット上で収集できた情報を、以下まとめておく。

撞着していることもある雑多な情報源から選択・再構成を行なったので、錯誤の混入したことや、あるいは「組み合わせによる錯誤」が生じたこともありうるだろうが、その点は悪しからず。

スターバックスがコーヒーショップチェーンになるまで

「スターバックス」を創設したのは、ジェリー・ボールドウィン (Jerry Baldwin), ゴードン・バウカー (Gordon Bowker), ゼヴ・シーグル (Zev Siegl) と云う3人の男だった。しかし、物語は、4人目の男、アルフレッド・ピート (Alfred Peet) から始まる。

アルフレッド・ピートは、1920年、オランダで生まれた。生家が アルクマールでコーヒーや紅茶をあきなう店だった彼だが、学校の成績が芳しくないこともあって、父親から認めてもらえず、第二次世界大戦後、逃げるようにして母国を出て、インドネシアで紅茶業界に身を置いた。その後、ニュージーランドに居たこともあるが、結局1955年、35歳の時に米国カルフォルニア州 (State of California) のサンフランシスコ・ベイエリア (San Francisco Bay Area) に移り住んで、コーヒーの輸入業に職を得る。この仕事をする中、アメリカのコーヒーに幻滅を憶えた彼は、ヨーロッパ風のコーヒー豆販売を考えるようになり、遂に1966年、カルフォルニア州バークレイ (Berkeley) のヴァイン街 (Vine Street) とウォルナット街 (Walnut Street) との交差点に、自家焙煎のコーヒー豆と紅茶を販売する店「ピーツ・コーヒー・アンド・ティー」 (Peet's Coffee & Tea) を開いたのだった。

(2007-10-04 [木] 追加及び補正:Alfred H. Peet は、2007年8月29日に死去。享年87。その後に書かれた英文版ウィキペディアの記事 "Alfred Peet" や、ニューヨーク・タイムズの記事 "Alfred H. Peet, 87, Dies; Leader of a Coffee Revolution" を読むと、第二次世界大戦前後の彼の経歴は、私が書いたものと異なっていた可能性がある。大雑把にまとめると、ピートは、戦前にロンドンに移り住んでおり、コーヒー・紅茶の会社に就職していたが、戦後リプトンに再就職し、さらに、リプトンの社員としてインドネシアやニュージーランドに赴任したらしい。)

彼の店から数ブロックの近さにはカリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley) のキャンパスがあり、学生、芸術家、作家、音楽家、そしてヒッピー (Hippie) などが彼の店を訪れる(ピート自身は、「ヒッピー」の客を喜ばなかったらしい)。高品質を追求するピートの店の深い煎りのコーヒー豆は評判となって、熱狂的ともいえる愛好家も現われるようになる。ピートは、自分が売っているコーヒー豆の挽き方や淹れ方を、顧客に教えることもするのだった。

ジェリー・ボールドウィン (1942年サンフランシスコ生まれ) は、当時、サンフランシスコで学生生活をしていたが、ある人物から貰ったピートの豆に感動したことをきっかけにして、ピートの店の存在を知る。彼は、ピートの店のことを、サンフランシスコ大学 (University of San Francisco) の同窓生でルームメイトのゴードン・バウカーにも教える。その後、二人は、ワシントン州 (State of Washington) シアトル (Seattle) に引っ越すが、通信販売でピートの豆を取り寄せてまで、そのコーヒーを飲み続けた。

ところで、バウカーは、カナダブリティッシュコロンビア州 (British Columbia) バンクーバー (Vancouver) にある「マーチーズ・ティー・アンド・コーヒー」 (Murchie's Tea & Coffee) のコーヒー豆もお気に入りで、しばしば3時間かけて車をとばし、豆を買いに行っていた。しかし、ある日、コーヒー豆を買ってきた返りのドライブの途中、バウカーは、シアトルにコーヒー豆の販売店を作ることを思いつく。

相談を受けて良いアイデアだと思ったボールドウィンは、バウカーの隣に住んでいた、やはりサンフランシスコ大学同窓生のゼヴ・シーグルにも声をかけると、シーグルも賛成するのだった。三人は、様ざまな機会(特に、1970年のクリスマス休暇)にピートの店を訪れ、コーヒーに就いての専門的知識を身に付けていく。

こうして1971年、ボールドウィン(英語教師)、バウカー(作家)、シーグル(歴史教師)の三人は、焙煎コーヒー豆とコーヒーメーカー、それに紅茶とスパイスを販売する店を開いた。資金は、三人が1350ドルづつ出し合い、そして借入も5000ドルして工面した。場所は、ワシントン州シアトルのパイク・プレイス・マーケット (Pike Place Market) が選ばれた (2011-01-16 [日] 07:21 補足: この記載は不正確。実際に開店したのは後述のように、Western Avenue 2000番地であって Pike Place 北端から僅かに外れている)。

店の名前は「スターバックス・コーヒー・ティー・アンド・スパイス」("Starbucks Coffee, Tea and Spice")。当初、バウカーは、アメリカの作家ハーマン・メルヴィル (Herman Melville 1819年8月1日–1891年9月28日) の小説 [白鯨] (Moby-Dick) に登場し、物語の舞台であると言って良い捕鯨船 Pequod を店の名前にしようと主張した。

You may have seen many a quaint craft in your day, for aught I know;--square-toed luggers; mountainous Japanese junks; butter-box galliots, and what not; but take my word for it, you never saw such a rare old craft as this same rare old Pequod.
--Moby Dick, or, the whale Chap. 16 "The Ship"
何はあれ、諸君も若いころそれぞれに奇妙な船を見たことはあるだろう。--底の四角な斜桁(しゃげた)船、山なす日本のジャンク、パタ箱みたいなガリイ船、その他さまざま。だが絶対に断言してもいいが、このたぐいまれな古船ピークォドほど、たぐいまれな古船を見られた人はないであろう。
--「白鯨」 (訳:阿部知二) 筑摩世界文學体系 36 [メルヴィル] 1972年。東京 筑摩書房。p.51 ([八木 敏雄]訳の岩波文庫版全3巻もある。)

しかし、意見を聞いた宣伝コンサルタントのテリー・ヘクラー (Terry Heckler) に、"Pequod" からは "Pee-quod" (オシッコ-刑務所)が連想されるとして反対される。そして、ヘクラーは、シアトルっ子にとっての「お山 (The Mountain)」--日系人は「タコマ富士」と呼んだ-- であるレーニア山 (Mount Rainier) に19世紀末/20世紀初頭にあった鉱石採掘場の名 "Starbo" (又は "Storbo") を主張するのだった。

議論の結果、店の名称に選ばれたのは "Starbo" に音が似ており、捕鯨船 Pequod の一等航海士の名前である "Starbuck" (スターバック) にちなんだ "Starbucks" (スターバックス) だった。(ちなみに、私が簡単に調べた範囲では、「白鯨」中にはスターバックがコーヒーを好んだとか、飲んだと云う記述はないようだ。)

The chief mate of the Pequod was Starbuck, a native of Nantucket, and a Quaker by descent. He was a long, earnest man, and though born on an icy coast, seemed well adapted to endure hot latitudes, his flesh being hard as twice-baked biscuit. Transported to the Indies, his live blood would not spoil like bottled ale.
--Moby Dick, or, the whale Chap. 26 "Knights and Squires"
ピークォド号の一等航海士はスターバック。ナンタケット出身で、代々の震教徒(クエイカ)である。丈の高い、熱のある人物で、寒冷な海岸に育ったにもかかわらず、肉は二度焼きのビスケットのように堅くて、熱帯にも適合しうる人柄と見えた。インド諸島に送られても、そのいきいきとした血は、瓶詰のビール同様、くさることはないであろう。
--「白鯨」 (訳:阿部知二) 筑摩世界文學体系 36 [メルヴィル] 1972年。東京 筑摩書房。p.76

三人が新しい店を開いた際、当初のうちはピートからコーヒーの生豆を廻してもらったり、焙煎機等の器材の業者の探し方を教えてもらったりしていた。その店構えもピートの店を手本にして作られていた。客に試飲はさせるが、飲み物としてのコーヒーを販売しないと云う方針も踏襲された。

最初のうちはシーグルだけが有給で、その彼が店頭に立った。他の二人は、それまでの仕事を止めずに、昼休みや夕方にやってきて手伝った。ボールドウィンの担当は会計だったが、コーヒーに就いての知識を更に追求していた。バウカーは実務には向かなかった。

店は、1971年から1976年までは Western Avenue 2000番地にあったが、その後 Pike Place 1912番地に移転した。("Pike Place Market" 及び "Seattle City Clerk's Neighborhood Map Atlas - PIKE-MARKET" を参照)。

その後事業は拡大し、1980年には店舗も6店までに増えるが、この年には、既に事業に情熱を失っていたゼヴ・シーグルが、持ち株を、他の二人に売却してスターバックスを去ってしまう。また、バウカーは、オーナーの地位に留まっていたとはいえ、興味が別の事業に移ってしまっており、日々の具体的な経営を行なっていたのはボールドウィンだけだった。

開業してから10年後、1981年にシアトルのスターバックスを、ニューヨークのビジネスマン、ハワード・シュルツ (Howard Schultz) が訪れる。1953年7月19日ニューヨーク市 (New York City) ブルックリン地区 (Brooklyn) の貧しい家庭に生まれ育って、苦学して大学を出た後、ゼロックス (Xerox Corporation) のセールスマンなどを経て、当時のシュルツは、スウェーデン (Sverige) の家庭用プラスティック製品製造業者 Hammarplast の米国での営業マネージャーをしていた。彼は、Hammarplast 製のドリップ・コーヒーメーカーを、どのデパートよりも数多く仕入れてくれていたコーヒー豆販売店に興味を持ったのだった。パイク・プレイスの一号店を訪れたシュルツは、スターバックスでの丁寧で熱心な仕事ぶりに感銘を受ける。

スターバックスで働きたいと考えたシュルツは、東海岸の遣り手営業マンであるシュルツとの肌合いの違いに尻込みするスターバックスの二人のオーナー、ボールドウィンとバウカーを説得して、1982年9月にマーケティングと営業担当責任者としてスターバックスに入社する。

1983年春、国際見本市に出席するためイタリアのミラノを訪れたシュルツは、そこでのコーヒー・バーの居心地の良さに感激し、美味しいエスプレッソ・コーヒーが飲めるだけでなく、社会的・文化的な場としての役割も果たす店舗を米国とカナダに展開しようと、スターバックスの両オーナーに主張する。しかし、「良質な焙煎豆の販売」にこだわるオーナーたちは、「飲食業」への進出を望まず、シュルツの主張を認めなかった。逆に、ボールドウィンとバウカーは、1984年にサンフランシスコでのピートの事業を買収して、焙煎豆の小売販売に一層傾斜する。しかし、この結果、スターバックスは多額の負債を抱えることになった。

シアトルとサンフランシスコ双方で事業を管理しなければならなくなっボールドウィンのもと、シアトルのスターバックス従業員の士気は低下する。更に財政が逼迫したために賞与が支給されなくなった際に労働争議が発生する。これにショックを受けたボールドウィンはスターバックスの経営から逃げ腰になってしまった。

このころ、シュルツはボールドウィンを何とか説得して、試験的に飲料の販売をスターバックスの店舗で行なう。条件の悪いなか良好な成績があがってシュルツは喜び、ボールドウィンも考え方を改めるだろうと期待したが、ボールドウィンの態度はかたくなだった。

スターバックスの将来に展望を持てなくなったシュルツは、スターバックスを離れて、自分自身で新規事業を起こすことを考えるようになる。そうしたなかで、彼は弁護士のスコット・グリーンバーグ (Scott Greenberg) と出会い、自分の構想が有望であると励まされる。シュルツの不満を知ったボールドウィンとバウカーは、むしろシュルツが新規事業に始めることに肯定的で、計画が具体的なものになるまでは、それまでの地位に留まることに同意するのだった。

1985年、シュルツはスターバックスを去る。そして、自らシアトルにエスプレッソを提供するイタリアン・コーヒーの店舗チェーンを経営に乗り出した。ボールドウィンは開業資金を15万ドル投資してくれた上、シュルツの要請によって、新会社の取締役になった。バウカーも、6ヵ月契約で非常勤のコンサルタントを引き受けた。シュルツとバウカーは、1985年12月にイタリアのミラノとヴェローナにエスプレッソ・コーヒーバーの視察旅行に行っている。

店の名前はバウカーの提案に従って「イル・ジョルナーレ ("Il Giornale") 」になった。イタリア語で「日刊新聞」とか「日誌」を意味する言葉である。

1号店が1986年4月に開店したシュルツの「イル・ジョルナーレ」は成功する。半年後にはやはりシアトルに2号店、1987年4月にカナダ、バンクーバーに3号店が設けられた。そして1987年中間業績として、3店の販売年額は150万ドルに達した。

一方、スターバックス経営から別の事業へと興味が移っていたバウカーは、その事業のための資金が必要だった。また、ボールドウィンは、シアトルとサンフランシスコとの間の行き来や、スターバックスでの労働問題に倦んでいた。スターバックスと「ピートの店」とのうちの一つを選ぶと議論の余地なく「ピートの店」と云う気分だったのだ。1987年3月、二人はスターバックスの全てを売却する決心をする。

これを知ったシュルツはすぐに行動を開始する。彼は、自分の事業のためにスターバックスの獲得が必要であることを理解していた。数週間のうちに、シュルツは買収資金380万ドルを調達する。1987年8月に買収手続き完了。契約後、シュルツとグリーンバーグはイル・ジョルナーレ1号店へ歩っていき、窓際のテーブルに陣取ると、エスプレッソで乾杯したと云う。イル・ジョルナーレとスターバックスは統合され、新会社の名称は「スターバックス・コーポレーション」("Starbucks Corporation") とされた。ハワード・シュルツは、新スターバックスの社長兼最高経営責任者に就任した。

その後、スターバックスは成長を続ける。1996年には東京銀座の松屋店がオープンして、北米以外に初めて店舗を持つ(もっとも、1994年に成田空港内で一時期営業をしたことがあるが撤退していた)。1998年、コーヒーチェーン店の買収によりイギリス進出。2006年11月現在、全世界に直営店、7102店(米国内には5668店)、提携店が5338店(米国内3168店)、総計12,440店が存在する。


スターバックス・ロゴの変遷

Starbucks_logo_until_19871971年コーヒー豆の販売店としてスターバックスが出発した際のロゴは、あからさまに海又は水の女怪をモチーフにしており、簡単には「双尾の人魚 (女性) (Mermaid)」と言い表わせるものであった。船員たちを蠱惑して破滅させると云う特徴に注目するなら、代表的なものがギリシア神話(特に「オデュッセイア第12歌」)に登場するため、それに従ってセイレーン (Siren. ギリシア語複数形では Σειρήνες) と呼ばれることもある。警笛を意味する「サイレン」の語源であるのは周知の通り。

更に、女性の水怪として "Melusina (Melusine)" や ローレライ (Loreley) も同じ系譜に属する。

このセイレーンのロゴを提案したのも、テリー・ヘクラーだったらしい。ネットで引用されている、シュルツの記述によれば ("Pour Your Heart into It: How Starbucks Built a Company One Cup at a Time"):

"Terry [Heckler] also poured over old marine books until he came up with a logo based on an old sixteenth-century Norse woodcut: a two-tailed mermaid, or siren, encircled by the store's original name, Starbucks Coffee, Tea, and Spice. That early siren, bare-breasted and Rubenesque, was supposed to be as seductive as coffee itself." [pg. 33]
さらにテリーは、海事関係の古書を何冊もひろげて、双尾の人魚(つまりセイレーン)を描いた16世紀ノルウェーの古い木版画を元にして、周りを当初の店名 "Starbucks Coffee, Tea, and Spice" で縁どることで、ロゴを作り上げたのだった。この胸乳を露にしたルーベンス風の最初のロゴは、コーヒーそのものと同じぐらい蠱惑的であることを意図したものだった。(第33ページ)

ヘクラーが、エリザベス朝ロンドンにあった [人魚亭] ("Mermaid Tavern") を意識していたかどうかは不明だが、元になっている発想は同じだろう。

Original_twin_tailed_siren_1実は、初代のスターバックス・ロゴが下敷きにした図版は、ほぼ分っている。"Deadprogrammer's Cafe ≫ How the Starbucks Siren Became Less Naughty" によれば、 Juan Eduardo Cirlot による "A Dictionary of Symbols" の "siren" の項にあるそうだが、そのほかにも Ad De Vries による Elsevier's Dictionary Of Symbols And Imagery: In English With Definitions (イメージ・シンボル事典) の "melusina" の項にも掲載されている(私が確認したのは大修館書店刊の日本語版)。

初代のスターバックス・ロゴと、木版画板とを比較すると、基本的に同一の図像であることは議論の余地はないが、Michael Krakovskiy ("Deadprogrammer's Cafe" 作成者) も指摘しているように、両者には微妙な、そして重要な違いがある:

  1. 木版画版では、女性像の腹部の膨らみを強調するために入られていたハッチングが、スターバックス・ロゴでは、ほぼ消されている。

  2. 木版画版では、目立っていた臍穴が、スターバックス版では目立たないものになっている。

  3. 木版画板では、深く切れ込んだ二本の尾の境目が、スターバックス版では、なだらかなものになっている。

  4. 木版画板では、微妙に沈痛な表情(特に口元)であるのが、スターバックス版では、微笑している。

基本的に改変は「あからさまに性的な要素を取り除く」と云う方針で行なわれたと思しい。

二つの図像は、基本的に同一だから、もちろん共通点もある訣だが、特に目立つものは:

  1. 胸乳を露出している(両方とも)。

  2. 両手のそれぞれで、二本の尾のそれぞれを支えている。

  3. 王冠を被っている。

  4. 長い髪を背中にたらしている。

あと、もう一つ初代のスターバックス・ロゴの特徴として指摘しておかねばならないのは、その色彩である。それは、焙煎したコーヒー豆を連想させる(seal brown か?)。

Peetslogoちなみに、初代のスターバックス・ロゴと "Peet's Coffee & Tea" の(現在の) ロゴとは、ほぼ同一色である。焙煎コーヒー豆販売店としてのスターバックスが創業した1971年当時の "Peet's Coffee & Tea" ロゴ (もしあったとしての話) が、現在のものと、少なくとも色彩が同一であるかどうかの確認はとれなかったが、スターバックス・ロゴの色彩選択に影響を及ぼした可能性はある。

Il Giornarle color logoスターバックス・ロゴには、もう一つ源流がある。それは、シュルツがスターバックスを離れていた時に経営していた「イル・ジョルナーレ ("Il Giornale") 」のロゴである。円の中央に、ローマ神話のメルクリウス (Mercurius. 英文表記では Mercury) の横顔を配し(翼の付いた帽子らしいものも見える)、その周りを、文字 "IL GIORNALE" と3 + 3 個の星で縁どったものだった。

この星が何を象徴しているのかは、確認がとれなかった。もちろん、メルクリウスは水星をも意味する言葉ではあるが、それとの関連性も不明。更に、話を広げると、一応西洋占星術や錬金術のことも考えなければならなくなるだろうが、今その余裕はない。

注意すべきなのは、シュルツの著作 "Pour Your Heart into It: How Starbucks Built a Company One Cup at a Time") に書かれているように、このロゴが緑色を基調にしたものであったことである:

Il Giornarle monochrome logo "Our logo reflected the emphasis on speed. The Il Giornale name was inscribed in a green circle that surrounded a head of Mercury, the swift messenger god." [pg. 88] (Note: Please excuse the poor condition of the Il Giornale logo. I scanned the image from a many times photocopied memo from Il Giornarle letterhead.) 私たちのロゴは、素早さの強調を反映したものだった。"Il Giornale" と云う店名が書き込まれた緑色の円が、素早く知らせを伝える神「マーキュリー (Mercury)」の頭部を取り囲むように配置されていた。[第88ページ] (「イル・ジョルナーレ ("Il Giornale") 」のロゴが見づらいことをご勘弁願いたい。この画像は、イル・ジョルナーレのレター・ヘッドから何遍もコピーを繰り返したメモをスキャンして得られたものなのだ。)

Starbucks_logo_198719921987年、スターバックスとイル・ジョルナーレとの統合に応じて、ロゴも変更される。中心となる像は、初代のスターバックス・ロゴに従って「セイレーン」が採用されたが、色はイル・ジョルナーレの緑色が選ばれた。また、扱う商品が変更になったので、縁どりの文字も、"Starbucks Coffee, Tea, and Spice" から "Starbucks Coffee" (そして、星 1 + 1 個) になった。

再び、シュルツの説明を引用するなら:

"To symbolize the melding of the two companies [Il Giornarle and Starbucks] and two cultures, Terry [Heckler] came up with a design that merged the two logos. We kept the Starbucks siren with her starred crown, but made her more contemporary. We dropped the tradition-bound brown, and changed the logo's color to Il Giornarle's more affirming green." [pg. 108]
両社 [スターバックスとイル・ジョルナーレ] と、その文化の融合を象徴するために、テリー・ヘクラーは、その二つのロゴを一つにまとめたデザインを作り上げた。スターバックスのセイレーンは星を付けた王冠を被せて残したが、ヨリ現代風にした。また、ロゴの色は、古めかしい茶色は止めて、イル・ジョルナーレの、ヨリ積極的な感じの緑色へと変更した。[第108ページ]

初代から二代目のロゴへの変更点は、図案の様式化を進めた(「より現代風にした」)だけではない。次のような特徴がある:

  1. 視覚的な厚みを意図的に排除しており、腹部に膨らみは全く感じられない。

  2. 髪の毛を背中に垂らさず、胸の方に垂らすようにしたことで、両乳首を隠した。

  3. 二本の尾の間の境目が実質的になくなっている。

  4. 顔が正対しているため、表情が明白に archaic smile になっている。

ただし、この段階では臍穴は残っていた。また、尾が、全体としての様式化により、水の関わり合いが薄れているのを補う形で、尾の文様が、波形になっている(もっもと、初代の鱗形が失われたと云う見方もできる)。

なお、セイレーンの「星を付けた王冠」には、メルクリウスの「翼が付いた帽子」が名残を留めているのかもしれない。だから、スターバックス・ロゴは、ヒョッとすると、手塚治虫の [ビッグX] や、鳥山明の [Dr.スランプ アラレちゃん] と細い線でつながっていると想像することはできる。

ただし、これに関連して書いておくと、"melusina" (melusine) や "Alchemical siren" は、しばしば冠を被った姿で描かれる。以下を参照:

Starbucks_logo_from19921992年、スターバックスは、再度ロゴを変更する。[二代目] でさえ、性的でありすぎると反発する顧客があったため(ただし風評)という。この年、スターバックスは NASDAQ に株式上場を行なっており、それが影響した可能性もあるだろう。

シュルツは、その著作で "In 1992 we also asked Terry Heckler to revise our logo: She stayed mostly the same but lost her navel. [pg. 309]" (1992年、我々は、テリー・ヘクラーに、スターバックス・ロゴを改訂するよう依頼した。その結果、女性像は、ほぼ元のままだが、臍穴がなくなることになった。[第309ページ]) と言っているが、勿論、他にも変更が加えられている。画像の一部を拡大して、はみ出た部分を切り落としたと云うのが、変更の要旨なのだが、その際、画像の中心を、二代目における胸から、三代目では顎に移している。このため、「風評」云々は別として、たしかに更に性的な含意は削ぎ落とされることになった。

目立つ変更点をまとめると:

  1. シュルツも認めるように、臍穴が見えない。

  2. セイレーンの下半身が、ほぼ見えなくなって、僅かに二本の尾の先端部分が「見切れる」ように移りこんでいるだけになっている。

  3. 尾の文様が、波形からヘリングボーン (herringbone) 風になっている。

Starbucks_logo_original2実は、スターバックスのオリジナル・ロゴと呼ばれるものには、別のパターンがある。ロゴの周囲銘文が "Starbucks Coffee, Tea, and Spice" ではなくて "Starbucks Fresh Roasted Coffee" になっているものだ。

2006年9月にスターバックスが創立35周年記念として、ワシントン州 (本社がある) とオレゴン州 (ワシントン州の南隣にある) 内の店で出すコーヒーのカップに付けてあるロゴを「オリジナルのもの」に差し替えたのだが、その時のロゴは、こちらの方だったらしい。("The Insider: Principal roasts Starbucks over steamy retro logo" 参照)

参考サイト:

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セネカ [怒りについて De ira] からの引用句

[nouse: 「大衆が恐れる者は、必ずや大衆を恐れる」: ユリウス・カエサルの面前に抛り込まれた一句。] (2007年2月26日) に引き続き、セネカの [怒りについて (De ira)] からの引用句を書き留めておく。

(1,7,4) Quarundam rerum initia in nostra potestate sunt, ulteriora nos ui sua rapiunt nec regressum relinquunt. Vt in praeceps datis corporibus nullum sui arbitrium est nec resistere morariue deiecta potuerunt, sed consilium omne et paenitentiam inreuocabilis praecipitatio abscidit et non licet eo non peruenire quo non ire licuisset,...
--Itinera Electronica: Du texte a l'hypertexte
最初はわれわれの手に負えても、後になると、その力でわれわれを捕らえて後戻りを許さないものがある。たとえば、断崖から投げ落とされた体には、それ自身の裁量などは少しもできず、いったん投げ出されれば静止も停止もできない。もう取り消せない墜落のために、どんなに考えても悔やんでもすべて後の祭りであって、初めから行きたくはなかった所へ否応なしに達することになる。
--岩波文庫 33-607-2 [怒りについて] (訳:茂手木元蔵。1980年。東京 岩波書店) p.21

"quarundam" は quidam の女性複数属格 (quarum の末尾の m が d に後続されるため n に転化している)。"nos ui sua" 中の "nos" は対格。"ui" は vi つまり vis (女性名詞) の単数奪格。"sua" は suum の女性単数奪格。

"Vt" は Ut のこと。"in praeceps datis corporibus" の "corporibus" は corpus (n) の複数奪格("in" に支配されている)。"datis" は do の受動相完了分詞中性複数奪格("corporibus" と一致)。"praeceps" は副詞「真っ逆さまに」で、「断崖」の意ではあるまい。

"morariue" の -ue は -ve のこと。その前の morari の方は、deponentia 動詞の一つ moror の不定法現在。

"licet" は非人称動詞「許されている」の直説法現在(三人称単数)。"licuisset" は、その接続法過去完了(三人称単数)。

翻訳のチェックはしないつもりだったが少し書いておくと:

まず "Vt in praeceps datis corporibus nullum sui arbitrium est" は「断崖から投げ落とされた」云々ではなく「身体が真っ逆さまに落ちているようなもので、何も自由にならず」といったところか。

また "nec resistere morariue deiecta potuerunt" を「(いったん投げ出されれば)静止も停止もできない」とするのはどんなものだろう。morari の語義を考えると「停止も減速もできない」の方が良いのではないか?

"non licet eo non peruenire quo non ire licuisset" で「初めから行きたくはなかった所へ否応なしに達することになる」と云うのも引っ掛かる。"licuisset" が接続法であることを意識するなら「もとより行く筈もなかった所に辿り着いてしまう」ぐらいではないか。

うーむ。

当初の予定では、"De ira" からの引用句を十前後並べる積もりだったのだが、一つ書いただけで、なんだか面倒くさくなってきた。予定を切り上げて、今回はこれだけにしておく。

ちなみに、岩波文庫版のほかの "De ira" の現代語訳をネット上で探してみたところ、フランス語版英語版イタリア語版が出てきたが(ドイツ語版は見当たらなかった)、今回見た非常に狭い範囲内だけなら、イタリア語版が一番しっかりしているようだ。

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